霊道

 

お地蔵様の近くには必ず霊道がございます。

 

子や孫を亡くされた人の未成仏霊や親を失った子供の未成仏霊が お地蔵様の御尊顔を拝みに参ります。

この方たちにとってはそれが癒しになります。

霊道とお地蔵様を直線で結んだ場所には不思議な現象がございます。

物が揺れたり、音が鳴ったりします。

お参りされている方がいらっしゃるんですもの。

それくらいは当たり前でございますよ。

 

霊道は魂の通り道でございます。

野山を踏み固めて道ができるように、

沢山の魂がそこを通り、道ができあがったものでございます。

お地蔵様を拝みに来るような魂ですから、悪さはしません。

絶対にありえません。

でもね、優しい人がいるとついて行っちゃうこともあるようです。

人恋しさの余りにね。

菓子や飲み物が置いてあるとそっちにも行っちゃいます。

悪さをすることはありません。

というか、助けて下さることもあるようですね。

天上界と地上を結ぶ霊道は天上界の神様方がお造りになられたものでございます。

だから、花が植えてあったり、虹が出ていたり、三途の川があったりと美しいものでございます。

これも亡者を想う神様の愛なのでしょうね。

 

孤独

 

私達全ての人の心や身体には暖かい血が流れております。

地球の母体には常に新しい魂が生まれ、育まれております。

大地に、樹に、海に、そして人に生命が鼓動しております。

地球上の人、魂全てが仲間であり、親しき友人でございます。

神は仲良くしろと仰られております。

それはあたかも自分達の子供の兄弟喧嘩をやめさせるかのようです。

 

他人の幸せを妬み

他人の人生を妨害し

自己の幸せのみを追求し

自己の権利ばかりを主張する

そんな人にはそれが分からないようです。

だから孤独になってしまうのですね。

 

黎明

 

不況であっても、

誰もが万人の幸せのために努力し、

互いに支えあい助け合って生活していれば、

誰も飢えることはありません。

誰も凍死せず、争いもありません。

犯罪も、自殺も、暴力もありませんね。

そのような社会が構築されれば、

みんなが愛し合い、

休日には世界中に合唱の歌声がこだますことでしょう。

その歌声を早く聞きたいものです。

 

そのために私達は生きているのです。

そのために私達は苦しんでいるのです。

そのために私達は努力をしているのです。

そのために神が存在し、

豊かな実りがあり、

太陽、月、地球、大自然全てのものが秩序正しく活動しているのです。

人間もその秩序の中に組み込まれております。

秩序を乱すことはなりませんよ。

悪魔の声に耳を貸してはなりませんよ。

 

皆様お一人お一人が、幸せへの道を話し合う場を持ち御活動下さればと想います。

そうしましたら次第にその輪は大きくなり、輪と輪が繋がり、

やがて、世界中がその輪に組み込まれることになりますでしょう。

インターネットもそのように発展して参りました。

 

天上界

 

私達の殆どは守護霊様といった存在に守られております。

 

私達は産まれてから多くのことを学びます。

食べることや言葉、生活習慣に至るまで、膨大な量の情報を吸収します。

私達はね、

親からだけではなく、守護霊様にも多くのことを教えて戴きます。

例えば、コトバに意味があること。お乳を吸うこと。声を出すこと。

こういったことは守護霊様が直接意識を伝えることによって為し得るものでございます。

そんな風に私達は守護霊様に守り、導かれて今まで生きて来られたのです。

感謝、しなくてはなりませんね。

もちろん私達は人間として、厳しい地上に生きているわけですから、多くの障害にぶつかります。

その中には、守護霊様もお手上げの難問もございます。

そういったことは逐一、指導霊様に報告されます。

殆どのことはこれで解決に至ります。

指導霊様が解決できない問題は、指導霊様が天に持ち帰ります。

天では御先祖様やその上位の方が集まり、緊急会議が開催されます。

場合によっては天使様や菩薩様が会議に加わることもございます。

皆さん喜んで参加して下さるようです。

私達が天に守られているということが御分かり戴けると思います。

 

天上界の最下層には幽界(アストラル界)がございます。

岩肌むき出しの殺風景な場所です。

その上には霊界(スピリチュアル界)がございます。

地上と同様に家屋が立ち並び、劇場や音楽館なども沢山存在します。

その上が神界でございます。

景色の美しい場所のようです。

その上にもさらに沢山の世界が広がっております。

頂上にはキリスト様やお釈迦様、モーゼ様、大天使様などがおられるようです。

地球レベルの環境問題、医療、科学、社会、エネルギー等の諸問題に取り組み、

日々頭を悩まされておられる様子でございます。

芸術面でもバッハ様やベートーベン様、ショパン様、シューベルト様といった巨匠が、

日々鍛錬なされ新しい音楽を披露なされているようでございます。

 

人間関係でお悩みの方へ

 

人は生きて行く中で様々な出会いを経験します。

もちろん魂が腐敗しきった人間も、魂が幼稚な人間もおられます。

そういった方々は弱い人間を攻撃し、自分が優位に立っていると誤解し自惚れます。

最も恥ずかしく、くだらない人間でございます。

可哀想な人でもあります。

 

嫌な人、相性の悪い人、生理的に合わない人もおられると思います。

でもね、

好き嫌いを判断の物差しにしておりますと正しいことが見えなくなります。

その人が害を及ぼすのかといったことをお考え戴ければと思います。

害を及ぼすのであれば、

まず、云われたことやされたことを逐一記録して下さい。

それが真実を証明するものになりますでしょう。

周りを巻き込み、理性的に理論的に話し合うべきです。

害を及ぼさないのであれば、嫌いな理由を徹底的に考えてみるべきです。

相手に欠点があるのであれば教えて差し上げて下さい。

聞く耳を持たない人でしたら、上手く避けることも必要ですね。

誤解があれば解かなければいけませんし、

ご自身に問題があれば、反省して直すべきです。

 

死の淵

 

死の淵に落ちかけたとき、

人は強い恐怖を覚えます。

その時の人の生きようとするエネルギーは凄まじいものでございます。

強烈な、生のエネルギーの逆噴射が起こります。

どんなに弱い人間でも、 神と同等のエネルギーを噴射します。

その時、人は変化します。

あらゆる面で強くなります。

新しい能力が開花します。

世界が変わります。

それは、その時に悟りを得るからなのかも知れません。

ですから、決して諦めてはいけません。

諦めてしまいますと、逆噴射が生じない。

だから絶対に諦めないで下さい。

どんな時でも、どんなことでも。

 

 

獲物を殺るだけではない

殺らなければ生きて行けない

だからこそ

命の大切さを一番良く知っている

愛することもある

家族だっている

仲間だっている

それぞれにそれぞれの役割があり

掟がある

孤独な

掟がある

神が

そのことを一番良く知っていて下さる

だから

今日も神に遠吠えする

 

憎しみ合う親と子

 

生活を共にしていながらも憎しみ合っておられる親子が多いようでございます。

縁あって生活を共にしているのに憎しみ合わなければならない。

それはなんと悲しいことかと思います。

その方達も心の奥底では、

関係を改善して仲良くやって行きたい。

という想いがあるはずでございます。

 

人と人とは真心があってはじめて繋がり合えるものでございます。

お相手のことを思い遣り誠実に接することにより、

信頼関係が結ばれるものでございます。

互いにお相手の意思を尊重する姿勢があって、

はじめて理解し合えるものでございます。

そのことを忘れ、

害を与え、

云いたいことばかりを云い、

迷惑を考えず好き放題の行動を取る。

家族なんだから気を使わなくても良い。

互いにそのような考え方では喧嘩も絶えないと思いますよ。

 

家族であってもひとりひとりが独立した魂でございます。

人生の一時期を便宜のために同居しているに過ぎません。

真心を持ち、真摯に、誠実に接し合われますことをお薦めします。

 

関係が改善できそうにない。

憎しみが心の中を暴走している。

そのような方もおられますでしょう。

そのような方は長期間離れてみることも良いかも知れません。

どんなに憎しみ合っておりましてもやはり親子でございます。

魂は太い絆で結ばれております。

時間がそのことを気付かせて下さいますよ。

 

 

−その1−

 

小さな長い島があって、

両端に橋がかかっている。

海は荒れており、

吹き荒ぶ強い風と雨。

2つの橋は同じような形をしている。

視界は悪く、2メートル先も見えない。

私はどちらの橋を渡れば良いのかが分からない。

行ったり来たり、行ったり来たり、

歩き続ける。

 

−その2−

 

どこかの異国の街で、

とても悲しい音楽が聞こえる。

どこかで聞き覚えのある唄。

この国にはレコードがない。

録音したカセットテープが闇で売られている。

曲名と唄っている歌手の名前が分からないと、

手に入れることはできない。

それを調べる方法すらない。

日本に戻って調べてみた。

見付からない。

未だに見付からない。

 

盲信

 

深く内省をして、毎日正しい努力を続けておりましたら、

天の存在やその仕組みなどが伝わってくるものでございます。

 

先日、みのもんたさんの番組を拝見しておりました。

彼もまた、素晴らしい使命をお持ちの方だと感じました。

私と同じような意識のもとに、

特定のターゲットに、

より細かく真理を与えられております。

時には、いい加減なこともあるようでございますが、

それは私も同じで御座います。

以前、丹波哲郎さんという役者さんが霊界について論じられておられました。

いや、彼は違いますよ。

天の意識とは程遠いところにあります。

何処かで聞きかじった知識を披露していただけなのでしょう。

レベル的にはかなり低俗なものでございます。

(批判することを好まない私が危険を顧ず、大義のためにここまで言及するのですから、

彼の信仰者も一度深く御考察下さいますようお願いします。)

 

謝った信仰は危険この上ないものでございます。

利益のために宗教団体を興す者も後を断ちません。

どの宗教団体が誤ったものであるかは、私には一目瞭然でございます。

摘発される宗教団体は年々増えております。

宗教信仰者の皆様も、もう一度深く御検証下さいますようお願い致します。

 

求職

 

最近、就職に関する相談が増えております。

やたらと増えております。

「好条件と思って面接に伺ったら、条件がまるっきり違うんです。」

求人者が求人広告を広告代理店やハローワークに掲示する際には、

必ず労働諸法に従っているかといった審査を受けます。

(いい加減なものではありますが)

ですから、求人者はその審査を問題なくパスする労働条件で求人広告を掲載します。

週法定労働時間(40時間)遵守を明記していながら、

面接で話しを聞けば週60時間以上といったことも多いようでございます。

「高収入を保証しますと書いてあったのに、完全歩合制でした。」

宣伝文句と実際とがまるっきり違うことはよくあることのようです。

宣伝文句は広告代理店の人が求職者の好意を得るために良いように書くのでしょう。

完全歩合なのですから、売上を上げれば上げるだけ収入も上がります。

経営者はそれ以上の上前を搾取しておりますから、

それ以上の収益が得られますね。

社員の働きが悪くても赤字になることはない。

社員の数が増えれば増えるだけ、利益が増える仕組みです。

(社員にとっては個人で起業する方が収入は多くなるはずです。)

 

雇用契約を盾に厳しい労働条件を付き付け、

その半面リスクも責任も持たずに利益を得る。

しかも50%以上の新入社員が半年以内に退職する。

これは個人の能力の問題ではなく、企業の意識の低さの問題でございます。

全く、悪魔のような所業でございます。

求職者が面接に行くだけで、

履歴書や写真、交通費、外食費など、一回で千円以上の出費が伴います。

こういった悪質な企業に年間100回面接に行ったとしますと、

年間10万円以上の出費が伴います。

悲しいことに、新聞や雑誌に掲載されている求人情報の殆どが、

これと殆ど変わらない状況にであるようです。

 

皆様、お一人お一人には使命と言うものがございます。

子供の頃から好きだったこと、

楽しくてずっと続けて来られたこと、

それが紛れもない「使命」でございます。

求職者の皆様は、決して経営者より人格が劣っているわけでも

増してや能力がないわけでもございません。

使命にまだ気付いておられないだけでございます。

どうか、皆様の使命を早急に探求なされ、

人生においての楽しく遣り甲斐のある仕事を見出されますよう、

応援しております。

それでも、まだ使命が見付からないようでございましたら、一度私にご連絡下さい。

一緒に探させて戴きます。  

 

散文

 

戴き物の御礼の品を送るために菓子店に行きました。

そうしますと、さりげなく暖かいお茶が出されます。

本当に有難いことです。

「有難うございます。毎日麦茶ばかり飲んでいるので美味しいです。」

と感謝申し上げます。

そうしますと店員さんの表情が明るくなり、心地良い空間が生まれます。

お茶一杯のお陰でお客様も良い買い物ができますし、

お店の売上も上がります。

 

以前、近くに御老人の方が住んでおられました。

この方とはよく神様の話しをしました。

「笑ろてなはれや」というどなたかの御本をお借りしたこともございます。

この御老人の方が老人擁護施設に入られたのは6ヶ月程前のことでございました。

先日、戴き物の栄養剤をぶらさげて尋ねてみました。

3ヵ所程そういった施設を訪ねてみましたが、どうにも居場所が分からない。

きっと何処かで元気に楽しく御過ごしになられていることと思います。

刺青を入れて両手小指が欠損した元暴力団のおっちゃん、

足が悪くて足を引きずりながら歩いているおじさん、

背中が90度曲がってしまっているおばあちゃん、

私の近くには様々な人が住んでおられます。

それぞれに問題を抱えてはいますが、

おひとりおひとりが御自身の生活を楽しく行っておられるようでございます。

仲良くさせて戴いております。

 

 

梅は天神様(菅原道真公)の好きな花でございまして、

天神様の絵には梅が描き込まれていることが多いようです。

何かを送られた時に梅の小枝が添えられていたという記述もございます。

粋なはからいですね。

 

梅は枝が上向きに付いているものや下向きに付いているもの、

花びらが大きなもの小さなもの、

花が緑のもの、赤いもの、薄紅色のものなど様々な種類がございます。

私の所から2時間位の場所には中山寺という場所がございまして、

そこにも梅林がございます。

優しいお顔をした観音様が、

右手を差し伸べ、左手は胸の前に立て見守って下さっておられる場所でございます。

この観音様にも魂が宿っております。

お顔が活き活きとしておりますので分かります。

 

観音様には合掌をして懺悔をして下さい。

右手が観音様、左手が御自身でございます。

御真言は「おん あろりきや そわか」でございます。

 

生活

 

私の住居は8畳程の広さでございます。

フローリングの床で神棚をお祀りしております。

これ以上広いと電気代も掛かりますし、掃除も一苦労になります。

丁度良い広さの空間でございます。

寝具はディスカウントストアーで購入した2千円程度の寝袋を使っております。

御神殿に寝泊りさせて戴いているような感じでございます。

多くの方には寝袋で寝ることは辛いかも知れません。

でも私は辛いとは感じません。

魂は喜びで溢れております。

神様と共にいられることがどんなに素晴らしいことかと感じます。

 

生かせてもらっているだけでも有難い。

今ここに存在させてもらっているだけでも有難い。

そのご恩には一生報いなければと思っております。

御酒だけは、たしなむ程度に許して戴いております。

でも、人格が変わる程に飲むことは絶対にありませんよ。

確かに御酒を戴きますと意識は低下します。

リラックスする時にはその方が安らげます。

 

開運の法則

 

初詣で戴いてきた布袋様のお顔がニコーッとしておりましてね、

先日えびす様から戴いてきた笹についている福袋の中身が綿だったりしまして。

私って、それだけのことで幸せな気分になり笑えてくるんですよ。

 

テレビを拝見しておりまして、

余命幾許もない若い女性が好きなアーティストのコンサートに行きました。

感動して帰って来たら、病気が治ってしまっていた。

私にも経験がございます。

私も昔はサラリーマンでございましたが、

余暇を利用してはカメラ片手に旅行をする。

好きなことですと2日程度の徹夜はへっちゃらなんですね。

真冬の新潟の海岸で、

降り積もる深い雪を踏み締め、道をさまよいつつ3時間程度歩いて、

ようやく海岸に辿り着きました。

その世界は別世界でございましたよ。

素晴らしいものでございました。

死の恐怖も迫っておりましたが。

翌日、したことのないパチンコというものをしました。

大量のチョコレートを戴いて帰りました。

(これは社内の皆様にお配りしました。)

 

気が、変わったのですね。気というものが変化したのです。

開運とは、気を変化させることに他なりません。

全く別の環境の中で楽しくて感動することをやってみる。

経験したことのない刺激を受けてみる。

経験したことのない寒さ、楽しさ、辛さ、様々にございます。

そうしますと気が変化しまして、

今までどうしても解けなかったパズルがいとも簡単に解けてしまいます。

同じことを何度もやっておりますと、マンネリ化します。

効果が次第に薄れて参ります。

新しいことを次々に企画して実行して行くことが大切でございます。

御友人を沢山持ちますと、それだけ刺激が増えて参ります。

刺激は脳に大きな変化を及ぼします。

その変化が何かを変えてしまう。

 

開運の法則でございます。

 

食事のマナー

 

食事をしながらの会話は難しいものでございます。

 

私は食事をできるだけゆっくり味わって戴くようにしております。

話しかけられますと、まだ口の中に残っておりますので、

返事をさせて戴くのに時間が掛かります。

また、舌ったらずで一生懸命話しますと唾が飛びます。

唾を飛ばさないように細心の注意を払います。

本当に難しいものでございます。

 

食事中に箸や爪楊枝を振り回しながら、

身振り手振りで話しをされる方がいらっしゃいます。

こういった方に限って他人の食事の仕方に注文を付けて来る。

 

ある方と食事をしました。

一緒にステーキを戴きました。

私はご飯をフォークですくって戴きます。

でも、その方はフォークの裏側にご飯をなすり付けて食べている。

食べ方を教えて下さるんです。

甚だ呆れましたが、教えて下さる通りに食事をさせて戴きました。

私もその程度のマナーだったら知ってはいるんですけどね。

 

どうしてフォークの先端がスプーンのように曲がっているのか、

この人は根本的なことを考えないようです。

どこかの国の一部の上層階級だけが行っているマナーというものを、

何故私達が真似をしなくてはならないのでしょうか?

そこに何の意味があるのでしょうか?

食べたいように楽しく食べる。

それが本当に大切なことだと思います。

この方のお子さんは可哀想だと思いましたよ。

ナイフやフォークを落としても自分で拾ってはいけない。

これはマナーかも知れませんが、モラルに欠ける行為です。

自分で落としたものは自分で拾いましょう。

 

また別の時ですが、

有名なお好み焼きの店に連れて行って戴いたことがございます。

行列ができておりまして、数十分待った後に席に着きました。

狭いテーブルに4人座る。

身動きするのも難しい程窮屈でございました。

少々味が劣っても、

私は、もっとお客を大切にしておられる店が好きですね。

 

私のこと

 

学生の頃、私は猫背で、無口で、世界一気が弱くて、オドオドしていました。

だから友達も余りいない、会話の輪に入ることもない、虐められっ子でした。

でも自分ではそのことが分からない。

周りから見られる自分は、自分だけには見えない。

 

でもね、他人の目を気にしていても仕方がないんですね。

他人から誉められて生まれた自信ははかないものですし、

他人から批判されて落ち込んでもすぐに忘れてしまいます。

御自身の生き方を貫き、信念を貫き、

御自身の心が健康で幸せで裕福で楽しくて、笑って生活していれば、

それだけで良いと思いますよ。

誰に何を言われる筋合いもありませんし。

心は自分の持ち物で自由に使えるものです。

自分が自分株式会社の社長なんですね。

 

自信なんて物も大したものではないですね。

丹田に思いっきり力を入れていれば楽しくなって来ますし、

自信も生まれてきます。

昔の肝っ玉母さんは丹田にくそ力が入ってたのでしょうね。

 

神様方

 

神様は私達の大先輩なんですね。

判断力を鍛え上げて常に最善の生き方を人類に教えて下さっておられます。

般若心経はお釈迦様が弟子に教えを説かれて悟りを開きなさいって教えた言葉ですね。

お釈迦様にも守護霊として神様が付いておられました。

だから生きている間にあれだけの素晴らしく高い意識を持つことができたんですね。

お釈迦様も神様の御一人です。

人類のために知恵と力を貸して下さっているんですね。

モーゼ様にも神様がついておられました。

彼の身体はもうボロボロでございました。

だから新天地に入ることができず命を終えたんです。

最期の彼の使命は、反省することでございました。

神様方がモーゼ様を天にお迎えになられた時には祝いの席が設けられたようです。

キリスト様の守護霊様も神様の御一人です。

皆さん素晴らしくお心の純粋で美しい方です。

そしてまた、お祝いの宴席も大好きなんですね。

 

霊域

 

死者の供養のために長期間お経を唱え続けておりますと、

次第にその場所は強い霊的エネルギーを持った霊域になります。

多くの迷える魂が引き寄せられて、癒され、成仏します。

もちろん、霊道も開きます。

 

そういった家系の御子様や御孫様には、

霊的な能力が身に付いているようでございます。

また、多くの善霊の守護も得られます。

ですから、そういった関係のお仕事に就かれる方が多いようです。

人によりましては、異常な感覚に戸惑われる方もいらっしゃいます。

こういった方々には霊域や魂を守る使命が与えられているのではないかと思います。

職場や住居、行く先々が霊域になっていることが多いようです。

神様に行かされるのでしょうね。

ある程度の霊的な能力をお持ちで、多くの善霊の守護がございますから、

御自身で転落しなければ、

悪い霊によって人生を妨害されることもありませんし、

不遇な立場に追い遣られることもありません。

 

人の心を揺さぶるもの

 

情熱は魂の叫びでございます。

ですからそれは人の心を揺さぶります。

本当に強く揺さぶります。

たとえそこに真理がなくとも、

その人にとっての命を掛けての魂の叫びであれば、

神をも、宇宙をも動かします。

自らの心を信じ、自らに信念を持ち、

思いきり魂の叫びをぶつけてみて下さい。

間違いなく、どのような願いでも叶いますでしょう。

命懸けで、

力ずくで、

心から願う願望を叶えて下さい。

聞いたこともない程の大きな魂の叫びを、私に聞かせて下さい。

 

美しいものも人の心を揺さぶります。

ですから人は美しいものに憧れます。

人は美しいものを手に入れますと、

磨きをかけて大切に扱います。

美しさにも感動を覚えます。

でも暫くしますとその美しさに慣れてしまい、

さらに美しいものを探し始めます。

折角手に入れた美しいものに飽き、

磨きをかけることも止め、

汚れるままに放置してしまいます。

 

これを欲と言います。

欲は足ることを覚えなければ尽きることがありません。

手に入れたものの美しさを見失わず大切にし、

さらに美しいものを捜し求める。

そして決して手の届かぬものは追い求めない。

それはなんと美しい行為であるかと思います。

そしてまた、

私達の心の中にはとてつもなく美しいものが眠っております。

物質的な美しさは時間の経過とともに劣化しますが、

心の中の美しいものは

磨き続ける限り決して劣化することはございません。

 

神罰

 

神様は罰なんて下さない。

そうお考えになられる方も多いと思います。

 

心の汚れが激しく、他人に害を与える人がおりました。

神様はなんておちゃめなんでしょう。

その方の家の前で、犬にうんちをさせる。

そしてそれを踏ませるんです。

汚い話しでごめんなさい。

でも本当なんですよ。

 

理由もなく神様が罰を与えることはございませんよ。

心の汚れに気付かせるためにそうなさるんですね。

 

最近、近くに住んでいる元暴力団のおっちゃん。

この方が電話を貸してくれといって参りました。

快くお受けしましたが、

実はこの方、性格が荒っぽいんです。

阿修羅界に意識が通じてしまっているのかも知れません。

酒を要求し、4時間居座り続けました。

また汚い話しで恐縮なんですが、

トイレにオシッコを撒き散らし、

煙草の灰で床を焦がし、

大声でわめき散らし、

挙句の果てに泥酔状態で立てない有様でした。

家の前に唾を吐いて何とか帰りましたが、

4時間後位経って夜中にまた参りまして、

またもやわめき散らし、隣人と騒ぎを起こして帰って行きました。

仕方なく出入り禁止を申し渡しましたが、

どうも精神分裂症っぽいですね。

悪い霊と話しをしているようです。

覚醒剤もしているのではないかと思います。

可哀想なことにこの方にも神罰が下りますでしょう。

自業自得ですから、仕方ありませんね。

 

ピノッキオ

 

皆様御存知の童話でございます。

嘘をつけば鼻が伸びる。

映画にもなっているようですのでご覧になられた方も多いのではないかと思います。

 

実はこの童話、嘘はいけないことだと教えている訳ではありません。

嘘をつき鼻が伸びる。

その苦しみの中でもがき苦しみ、反省し、 二度と嘘はつかないと決意する。

その心の在り方が彼の鼻を元通りにしたのだと思います。

 

「子供が嘘をつくんです」 こういった御相談をお受けしたこともございます。

恋人が嘘をつく。

これも根本的には同じことでございますが、

 

嘘がいけないことだという決まりでもあるのでしょうか?

親子の間で、或いは恋人同士で、

嘘をついてはいけないという契約でもなされたのでしょうか?

皆様も御分かりの通り、

誠実な心から生じた嘘は決して悪いものとは限りません。

生活を守るため、人権を守るために生じる嘘もございます。

嘘をつかなければ命の危険に晒される。

そのような時に誰がその嘘を責めることができますでしょうか?

嘘をつかない関係を望まれるのでしたら、

きちんと話し合って取り決め(契約)をしておくべきですね。

但し未成年相手の契約は無効でございますよ。

 

嘘を責め立てる側の人間性についてもしっかりと考慮なされるべきだと感じます。

 

 

親の愛というものは素晴らしいものでございます。

ある物語をテレビで拝見しておりまして、感動することがございました。

あ、私は新聞は読みません。

偏った思想が1ページに少なくとも1ヵ所はありますので、鬱陶しいです。

何も考えずに読んでおりますと洗脳されてしいます。

 

ある御家庭の話しでございました。

母子家庭で御母様が汗水流して少ない御給金を戴く。

母親はそれを御子様のために毎日、拾円、二拾円と貯金されておられたようでございます。

肉を食べたい時には魚にし、魚を食べたい時には野菜で我慢をして、

息子には良いものを食べさせ、何とか残らせた僅かなお金を貯蓄して、

息子が二十歳の時には十数万円の貯蓄があったそうでございます。

いや、物語りでございますから、このような御母様が現実におられるかどうかは知りませんが。

 

月に十万円のお金があっても不平を仰られる方が多い中で、

このような素晴らしい愛情をお持ちになられる御母様はなんと素晴らしい存在でございましょうか。

息子が、東京で働きたいと申し出た時に、

「何もでけんけど、これでお前のやりたいようにやってけれや。」

といって全財産を渡した御母様の御姿は本当に美しいものでございました。

「わしは畑があるし何とでもなるけ」

そう云った御母様のお顔は本当に嬉しそうでございました。

 

実はね、私も深く反省させられることがございます。

私も結構贅沢させて戴いておりますからね。

私にとってはこの御母様は神様でございます。

欲を捨て、息子のために一生を捧げる。

この深い愛情が神様のものでなくて一体何なのでしょうか。

私はそう思います。