新春のお慶びを申し上げます。



今年もまた、皆様の御厚情によりまして、新しき年を迎えさせて戴きますことができました。

ありがとうございます。心より深く深く御礼申し上げます。

 

皆様の中には、この世界の無常の風の中にも神様の愛の光を見出して下さいました方も

沢山居て下さっておられますことと思います。

地上を無常の風の吹き荒ぶ荒れ果てた地獄にするか、

神様の愛の光に溢れる浄土にするか、

それは私達次第なんですね。

 

毎年、今年こそはと願いつつ新年を迎えさせて戴いておりますが、

今年はさらに一段も二段も、

神様の浄土に近付けさせることができればと願っております。

その為に、私達は変わらなくてはいけません。

毎年、少しでも大きく、成長し続けなくてはなりません。

 

誰か人が、自分の思う通りに動いて下さらないから幸せではないのだと、

仰られます人がおられます。

それは違うのですね。

幸せは自らの心の中にあるのですね。

心に神様を住まわせ、愛を育み、豊かで幸せな心を育み、

人に求めるのではなく与えるのです。

沢山のものを与えられる大きな心を育てることなんです。

それが人として、神様の子供としての本当の幸せではないかと思います。

 

私事で恐縮なのですが、

一昨年より富士山に登りたいという気持ちが生じておりまして、

昨年も私の意志の弱さから思いきりが付かずに登れずにいたのですけど、

登れ、登れという心の急かす声が聞こえて来るのですね。

これはね、富士山は最も高いものの象徴であり、

悠久の時を大きな愛で待ち続けて下さっておられます神がそこにおられて、

私達はその高き頂きまで登って行かなくてはいけないのだと思うのです。

そのことをどなたかが教えて下さっているのかも知れないなあと思うのです。

 

さて、私は毎年元日の深夜に初詣に出掛けておりますが、

とある神社の鳥居の左右に灯が灯されておりまして、

暗い参道を仄かに照らして下さっております。

神妙な灯でございます。

心を傾けてみますとね、「おかえりなさい」と仰って下さっておりますように感じるのです。

私達が本当に帰るべきところ、

魂が帰依するべきところは、真に神様の御足元なのだなと、

つくづく感じております次第でございます。

 

今年も、皆様に取りましても実り多き年でありますよう、

強い信念で夢の実現に一歩でも二歩でも近付いて下さいますよう、

沢山の素晴らしいご縁があり、

沢山の愛に包まれ、また御自身の心に愛を育み、慈しみの心を育み、

御家族・御友人・周りの方々全てと仲良く睦まじくいて下さいますよう、

健康で遣り甲斐のある楽しく素晴らしい年でありますよう、

お祈り申し上げます。

 

平成二十年 元旦