癒しの世界全エッセイ集2004.11 1/7


貧しい心
 
貧しい心の正体についてお話したいと思います。
 
皆さんは毎日の食事がどれだけ多くの人の努力によってもたらされたものか知ってい
ますか?
自然の恵みの素晴らしさを知っていますか?
例えば一度の食事が大根一本だったとします。
おそらく殆どの人が不平を云うでしょう。
いきなり顔つきに陰りが現れ、もっと食べたいと不満を漏らすでしょう。
確かに栄養価は低いかも知れません。
でもね、大根一本で2人の大人が満腹になります。
何故、自然の恵みに感謝できないのでしょうか?
今日も食事を戴くことができると感謝できないのでしょうか?
 
心を忘れた人達。
幸せを忘れた人達。
そして心まで貧しくなってしまったようです。
感謝する心を失い、そして得たものと云えば
精神病や成人病、犯罪、貧困そして社会の崩壊です。
 
自然の恵みに感謝すること。
先祖に感謝すること。
生きていることに感謝すること。
全てのものに感謝すること。
 
それだけで幸せが訪れるはずなんですけどね。
感謝の心を持たない人なんて、
神も、先祖も、私でさえも、
力になってあげたいなんて思いませんよ!


縁と云うもの

縁と云うものを信じない方も居られますが、縁は確かに存在します。
親子の縁、先祖の縁、職場の縁、結婚の縁
縁を閉ざすということは、人生を閉じるということに繋がります。
居場所が未だ見つからないという方
縁を大切になさって下さい。
きっと、そこに明るい未来が開けています。

親を大切にすること
先祖を大切にすること
友人を大切にすること
心を大切にすること
愛しみの心を持つこと
優しくあること
感謝の心を持つこと
怒りや恨みを持たぬこと

当たり前のことですが
疎かにされ易いものです。

沖津、神守辺、束神八塚
野津留、来生霊、多る霊死る
神会し、野霊満、神会し御賜へ
碑府の、碑八(塚)の、碑種種の
物申賜

幸せを見つけること
それは容易いことではありません。
真実を見抜く眼差し
不変の真理を見出そうとする姿勢
それが幸せの第一歩です。
幸せは近くにあるものです。
心安らかに眼を閉じて
真実を見つめて下さい。

幸せへの縁が
きっと見えるはずです。

四国の占部ども大川路に持ちまかり出でて祓へやれ


試練

日本は今、大不況の真っ只中にいます。
中国や韓国の盛況ぶりに比べれば木枯しの吹き荒ぶ凍て付いた真冬のようです。
企業が飽くなき利益追求の精神のもとに分をわきまえず行動した結果です。
不良債権にしてもそうです。
失業者の増加にしてもそうです。
狂牛病問題にしてもそうです。
倒産にしてもそうです。

お金は経済を円滑に行う道具でしかありません。
その道具を最終目的にして行動した結果
多くの人や企業が
感謝し満足することを忘れ
自分さえよければ良いと考え
暴走してしまったのです。
楽しければ良いという考え方も
自己中心のなにものでもありません。

金銭欲にとりつかれ
自らは贅沢を繰り返し
他人には厳しく冷酷で
心を忘れ
愛を忘れ
義を忘れ
その結果
なるべくしてなった不景気です。
見方を変えれば
自ら与えた試練とも云えるでしょう。

今
お遍路さんが急増していると聞きます。
自らの人生を見つめ神仏に救いを求める
その気持ちは痛いほどに分かります。

そうして
この闇が晴れたとき
多くの人が感謝の心を取り戻し
阪神大震災の時のように
助け合いながら
楽しく生活していることを
願って止みません。


五木の子守唄

貧しい時代のことです。
食べるものも無くなった人達は、
自分の子供達を、
奉公という名目のもとに、
給金も貰えぬ辛い仕事に追い遣りました。
働かなければ食事も与えられない。
そんな中で、
多くの子供達が病に倒れ、
亡くなったといいます。

自分の体重とさほど違わない赤ん坊を背負わされ、
赤ん坊が泣き出すと食事は貰えない。
里が恋しく、
明日死ぬかも知れない自分の命。
悔しさと悲しみと空腹と疲労の中で、
「お姉ちゃんが死んでしまったらもう逢えんけんね」
「だからお姉ちゃんを助けると思って泣かんとってね」
そう赤ん坊に問い掛けたといいます。

五木の子守唄
何の罪も無い子供達が背負わされた、
悲しい運命の物語がそこにあります。

そんな子供達が幸せになっていることを、
手を合わせて祈ろうではありませんか。


偉人たちの言葉

心を正し姿勢を正し謙虚に誠実に生活する
己に厳しく一切の贅沢を慎む
生きていることに感謝し両親や先祖を大切に敬う
人との縁を大切にし礼儀を疎かにしない
毎日反省し行いを改めるよう心がける
子や孫を暖かく見守り良きアドバイスを与える努力を怠らない
弱いものを助け決して暴力を振わない
怒り恨み妬み謗りの感情を持たない
金銭、性、名声などの欲におぼれない

こういったことを守らせるために過去の偉人達は「神」という存在を作り上げまし
た。
それが宗教となりお金儲けに利用されていることはご存知の通りです。


別離

この世での別れは悲しいものです
縁があっても別れなければならない
それは本当に苦しいものです

でもね
天上界では逢うことが出きる
魂同士で逢うことができる
魂というのは真心に他なりません
一切のこだわりや執着のない本当の心で
意識を通じ合える
その時の喜びは計り知れません

20歳の人が90歳まで生きるとして
再会まで70年かかります
地球が
太陽の周りを1週すれば1年です
70年が長いか短いかは別として
その期間は誰しも
魂の成長の為に
精一杯努力しなければならないのです

そのご褒美として
再会が許されるのです


スナフキン

ムーミンというテレビアニメに登場する旅人です
皆さんの中には
好きだという人もいれば嫌いだという人もいるでしょう
どうでもいいという人も知らないという人も多いでしょう

でも彼の生き方には見習うべきところがあるように感じます

旅と、歌と、皆の役に立つことが好きで
だから
ふらりと旅の途中に立ち寄っては
どこからか手に入れた本を読んでいる

お腹が空けば釣をする
魚が釣れれば食べるし釣れなければ食べない
時にはギターを弾いて歌を唄う
必要なこと以外は口にしない
でも誰かが困っていれば積極的に助けてあげる
その言葉は彼の中で充分に考えつくされた挙句の発言で
決して無駄が無い

彼を見てこう思います
自然が好きで
生きることが好きで
何のこだわりも無い
心の自由な人が
きっとこんな人格なのだろうと


義

義を持つということ
神への義を持つということ
それは私達が
今、こうして生きていることに感謝し
鼓舞奮闘することなのです

神は頼るだけの人には決して救いを与えません
自ら道を切り開く努力をしてこそ
それを「義」と受け止めて下さり
助けて下さるのです

神の存在に気付いたとき
魂を奮い立たせ鼓舞奮闘する
それが信仰であり
神への義を持つということなのです


大自然

人は頼るものがなければ不安でたまらなくなります
それはどんな人であっても同じです
不安が全く無いという人でも
頼っているものが全て無くなってしまったときには
間違いなく不安になります

パートナーがいなくなったとき
会社を退職したとき
能力がなくなったとき
親友がいなくなったとき
お金がなくなったとき
住む家がなくなったとき

如何でしょう?不安になりませんか?

でも安心して下さい
私達は大自然に守られているではありませんか
大地に守られ
太陽の光に守られ
大気に守られ
大自然の恵みに守られ
大自然の秩序に守られ
だからこそ
生きていけるのではないでしょうか

そして天では
私達のずっと以前から存在し
高い意識を持つ魂が
私達を見守っていて下さるのです


懺悔

人間は誰であっても過ちを犯します。
愚かさ故に過ちを犯します。
犯したことにさえも気付かない過ちもあります。
例えば最善を尽くさないことも過ちです。

過ちに気付いた時
そのことで人に迷惑をかけてしまった時
みなさんはどうされますでしょうか?

懺悔

その人のいる方向に向い何度も平謝りに謝ります。
そして二度と過ちを犯さない覚悟をします。
それでも自分を許せなければ
誰かの役に立つことをするのです。


青い星より

遥か彼方より飛来し
天と地を創設され
私達を教え導き下さった神々へ

私達は幸せです
人類の種が生まれてからほんの数万年の間に
私達はここまで進化しました
神々の導きがなければ
未だ未開発でいたことと推測します

私達は
この天より与えられた恵みの大地に立ち
定められた道を着実に歩みます
感謝の心と伴に
日々の行いを着実にこなします
慎ましく喜びの気持ちを持ち仲睦まじくこなします

何故なら
そこに希望の光があるからです
暖かい愛の光があるからです

ありがとうございます
どうか私達のうちの一人たりとも
道を踏み外しませんように
守り導き下さいますようお願い致します

青い星の幼子より


神

遥か昔に人として生を受け
今に及ぶ長い期間に
知性を磨き上げ判断力を研ぎ澄まして来られた
神と呼ぶに相応しい方

信じるか信じないかではなく
実際に存在しております

私達が
平和で仲良くいる努力を惜しまず
慎み深く慈悲深く憐れみ深く
神への義と人への愛を持ち
天への道に一歩でも近付こうとするとき

神は誰の所にも等しく現れ
力を貸して下さいます

奇跡があって始めて神に気付くのではなく
日常の生活の中に神を見る努力を忘れてはなりません


幸せの法則

積極的に働かなければ 仕事は失われます
考えようとしなければ 考える機能は失われます
他人の意見を聞こうとしなければ 聞く機能は失われます
意思を伝えようとしなければ 話す機能は失われます

痴呆の人の心は一般の人より遥かに暖かいです
聾唖の人は心を理解し合う術に長けています
ホームレスの人は人一倍努力家です

皆様がその状況に置かれて始めて心を理解するのではなく
常日頃からそういった人達に接触し
自分に欠けている部分を学び取る姿勢が必要ではないでしょうか?


真清水(まさやけるみず)

天上界には真名井(まない)という井戸がございます。
人が天の意に叶った行いを神々は喜び時として祝いの席を設けます。
その時に乾杯なされるのがこの真名井から汲み上げた真清水です。
とても甘露で高級なお酒のような味がします。

水を汲む時に
「今も賜ひし天(あま)つ水を天(あめ)の真名井の真清水と受けしめ給へ」
と唱えますと水道水であっても一瞬にして真名井の水と化します。
本当に甘く美味しくなります。
病気にも効くようです。


ぬか漬け

先月からぬか漬けを漬けています。
野菜くずをよく洗い1日ほど漬けておきますとご飯のおかずになります。
毎日美味しくなれ美味しくなれと願いながら心を込めてかき混ぜております。
塩や唐辛子、昆布などを加えて冷蔵庫で寝かせております。

ぬか床は大切にしていればいつまでも使えます。
大切にしなければ臭くなりすぐにかびが生えてきます。
ぬか漬けをかき混ぜていると幸せな気分になれます。

不思議なものです。


日本語文化

日本語には元来より言霊(ことだま)が宿っておりました。
五十音すべてに意味が存在し
太古には五十音の組み合わせで神や自然と対話していたようです。
ですから言霊は五十霊(ことたま)であり
発声することにより五十霊の波、すなわち五十波(ことば)が生じるとされておりま
した。

言葉の奥底には言霊による深奥な意味が存在するのです。
人はそのことを忘れ去り
もはや日本語の乱れはどうしようもないところまで来ております。
改良されていくのなら良いのです。
ですが使い勝手のみで切り外され組み合わされ
言葉の伝える情報が単純化される一方です。

食文化の乱れにしましてもそうです。
物を粗末に扱う風潮にしましてもそうです。
限度を弁えぬ贅沢さにしましてもそうです。
人は欲というものによって
盲目となってしまったかのようです。

神は常に我々の傍にいて力を貸して下さっておられます。
神から離れていったのは人間の方であることにお気付き戴きたいと思います。
自らの苦難は神や仏などによるものではなく
自ら産み出した産物であることにお気付き戴きたいと思います。


危機感

化石燃料ももはや残り少なく
大気汚染,海洋汚染,オゾン層破壊,森林伐採をはじめとする様々な環境破壊

新しいエネルギーの確保もままならず
原子エネルギーといった安易な方法に依存しようとしております
たとえ0.1%でも危険性があれば
千台に一台の確率で原子炉のトラブルが発生します

フロンガスに関しては未だに増加し
オゾン層や磁場を破壊し続けている有様です
異常気象や環境の急変により
多くの種が絶滅しまた絶滅の危機にあります

人類が生存し続けるには
もはや間に合わぬところにいるのです

他の惑星への移住も計画されているようですが
この素晴らしい地球をも破壊しようとしている人類が
他の惑星で生き延びれるのでございましょうか

もはや残された時間は残り僅かとなっております
なのに人は危機感をも持たず
自己の利益のみに終始しておられます

魂は永遠ですが
故郷に関しては如何でしょうか
地球があと一万年持つでしょうか

例え神の救いがあろうとも
私達が改めなければなす術がないのです
人の心が冷たければどうしようもありません

先進諸国であっても
精神的に発展途上の国は沢山ございます

時は刻々と迫っております
もう時間は残されてはおりません


クジラ

人よりも大きな尾びれを波に打ち
海洋を悠々と泳ぐ
イルカの長老 クジラ
背中の白い斑点は染みなどではない
神が与えた勲章なのだ

何も恐くはない
ただ神の命ずるままに生きる
ただ神の命ずるままに


愛すること

人には何故「愛」というものが与えられているのでしょうか?
皆様はお考えになられたことがございますか?

もちろん子孫を残すためでもあります
人生を豊かなものにするためでもあります

人を好きになる気持ち
それは本当に大切なものでございます
その気持ちがなければ
全ての人が自分勝手な行動をするようになります

心の中は孤独で、不安で、苦しくて、
手に入れたいものは奪ってでも手に入れようとするでしょう
社会は混乱に陥り
阿修羅界のような死闘が繰り返されます

逆に皆様おひとりおひとりが万人への愛を持ち
調和の取れた生活をすることで
全世界の平和が実現するのです


キリスト様

イエス・キリストがお生まれになった時
街には神を称える賛美歌がこだまし
神により救いの手が差し伸べられたことに
多くの家族が感謝を捧げておりました

祈りの声は止まず
週に一度の断食は
誰もが進んで行っておりました

でもそれは一時的なものでしかありませんでした
人はすぐに感謝することを忘れ
神の奇跡を忘れ
信じることを忘れ
疑うことしかできなくなっておりました

何とおろかで悲しいことなのでしょうか
今の時代でも
人の心は何ら進歩していないように思います

イエス・キリストを見捨てたのは
神ではなく
悪に惑わされた人の愚かさであったのです。


繰り返し繰り返す秋の暮れ

食べ物の語源は賜りものでございます
ご飯は「食べる」のではなく「賜る」のです
大自然の恵みに感謝し
必要以上の量は食べず
無駄をせず
良く噛み
楽しく、美味しく戴かなくてはなりません

私達の身体も大自然からお借りしているだけで
時が来れば返さなくてはならないのです
その借り物である身体を
暴飲暴食などによって患わせることなく
傷つけることなく
これもまた感謝の心を持って
大切に使わせて戴かなくてはなりません

それは人間としての努めであり
神に愛されるものでございます


心の平穏

皆様は毎日が楽しくて何も思い患うことがなければ幸せだとは思いませんか?
物質的な財がなくても明るくていつもニコニコしている人は素敵だとは思いませんか
?
私はこう思います。
「あぁ、この人は心の中に大きな財産を持っているのだなぁ。」と

その財産は決して失われることがありません。
決して欠乏することもありません。
価値が下がってしまうこともありません。
魂だけの存在になった時に天へ持ち帰ることのできる唯一の財産でございます。
こんなに素晴らしいものはそんなにはございません。

一緒に頑張って増やして行きませんか?


魂

欲望のままに生きておりますと魂はすぐに腐ってしまいます。

魂を腐らせて地獄に落ちる。
鬼や悪魔は腐った魂のなれの果ての姿でございます。
地獄は魂の腐った部分を削ぎ落とす場所でもあります。
魂を削ぎ落とし磨きをかけるのです。
それは長く厳しい試練でございます。

本来、人の魂には真理が刻み込まれております。
ですから磨かれた魂は美しい光を放ちます。
まばゆいばかりの光でございます。
とても暖かい光でございます。
そしてそれは人の心を映し出す鏡となり、
そこから発せられる意思は強く正しいものでございます。

生きていることの目的や、人生が辛く素晴らしいものであることの理由。
そういったものがここからも垣間見ることができるように思います。


気功

臍の下に丹田と呼ばれている部分がございます。
背筋を伸ばしてこの丹田に力を入れますと自信が湧き上がってくるはずです。
おまけに表情が明るくなります。健康になり姿勢も良くなります。
常に丹田に力が入っておりますと運勢も良くなります。

丹田の部分に力を入れることが難しいようでしたら、腹部全体に力を入れて下さい。


気功

毎日朝から晩までストレスを持ち続けますと体内の気は恐ろしい速さで消費されま
す。
通常の人間ではおおよそ3日で気を使い果たしてしまうでしょう。
週5日働くとして4日目からは心身の不調や思考力や意欲の低下が起きている筈で
す。
人によっては休日にもストレスが解消せずに、
気を使い果たした状態で何年も働き続けておられるかも知れません。
それでは良い仕事はできないはずです。
精神的(感情・不安・緊張)なものもございますが、
主に生活環境(睡眠・食事・入浴・趣味)と身体の不調和(身体のゆがみ・姿勢)も
大きな要因でございます。

私がお勧めしたいのは明け方の太陽の光を浴びることです。
5時前に起床されまして戸外へ出られまして
太陽光がある程度強くなるまで背を向けたり掌を向けたり深呼吸したりと、それを繰
り返します。
本当に新鮮で清々しく、神の息吹を浴びるようでございます。
これで気功の体操などをしていれば間違いなく気は充足され意欲が沸いて参ります。

中国の景気の凄まじさの秘密はそんなところにあるのかも知れませんね。

 
気功

私は「気」というものに癒しの効果があると感じております。
気功を習得し簡単な体操を毎日続ければ素晴らしい人生が送れます。
健康で幸せな人生。
場合によってはヒーリングもできるようになり、
占いやおまじないも効くようになります。
しかしながら「気」が出ていない方が沢山おられます。
ストレスや食品添加物、極度の疲労が原因と思われます。

「気」を見ることは簡単です。
腕を伸ばし人差し指を立てて、それが2本に見えるように練習してください。
視点をどこにも合わせないで宙を見ている状態です。
それができるようになれば、そのままの視点で身体の周りを見て下さい。
湯気のようなものが身体から出ていることに気付きます。
出ていない人には見えません。
薄暗い場所の方が見えやすいです。
私の経験では「気」を見ていると心が落ち着き、
確固たる信念のようなものが湧き起こって来ます。

「気」を取り込み全身に行き渡らせる呼吸法をご紹介したいと思います。
「気」が停滞して病弱な方や何をしても上手くいかないといった方でも
何度かやっていると間違いなく改善します。
まず、腹部に力を入れて正座します。
膝はこぶしがひとつ入る程度に開いて下さい。
鼻から息を思いきり吸い込みます。
息を止めて吸いこんだ息を腹部に押し下げて下さい。
この時に少しクラクラするかも知れませんが、すぐに治まります。
次にその息が手の指先や足のつま先にまで行き渡ることを想像して下さい。
それが終われば口をすぼめて息を吐き出します。
吐き出せるだけ吐き出して下さい。

一日一回だけでも効果はございます。一度お試し下さい。


気

気が停滞しますと何をしても上手く行きません。
不思議なもので、気の流れが弱まったりすることは誰にでもございます。
順調に行っていたことが行き詰まってしまう。
このような時には次の方法を試してみて下さい。
・お腹に力を入れて靴音を鳴らしてゆっくりと歩く。
・はっはっはっ と無理に笑う。
・息を止めて思いきり伸びをする。
・静かに正座してみる。
・早朝に戸外で深呼吸をする。
・嫌なことでも興味を持ってみる。
・考え方を180度変えてみる。
いろいろと試してみて下さい。
運勢も良くなりますよ。


掃除

部屋の中や職場が汚れておりますと、仕事がなくなります。
ごみやホコリが良い気を吸いこみ、邪気を出すからです。
お香を焚いたり盛り塩をしますと若干は改善しますが、
余りに酷い状態ですとどうにもなりません。

心の中が念の蓄積で穢れておりましても、
生活の乱れによって身体が不調和な状態になっておりましても、
同じことが起こります。
私はね、これはきっと神様に 反省して生活を改善する、或いは掃除をする時間を与
えられているのだと思います。
そのままの状態を続けておりましたら必ず病気になりますから。

神様の愛だと思いますね。
有難いことです。

 
病気でお悩みの方へ

病気の特効薬はβエンドルフィンです。
これは楽しいときや幸せを感じている時に脳内に放出される脳内ホルモンで、脳内麻
薬と呼ばれております。
幸せであれば病気になるはずがないのです。
怒りや憎しみの感情、心の不調和はノルアドレナリンといった脳内ホルモンを 発生
させます。
これは猛毒で精神や身体に負担をかけ、病気になりやすい体質を作ります。

心が強ければ、どのような病気でも治せるはずでございます。
病気に負けてはいけません。
癌であっても白血病であっても同じことです。

青面金剛(しょうめんこんごう)様の御真言
「ばてぃた まかまかろ うこうこ らあちゅうたてい そわか」
は大病除去に大きな効果がございます。
薬師如来さまの御真言「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」や
孔雀明王さまの「おん まゆらき らんでぃー そわか」などの御真言を唱えて戴い
ても良いのではないかと思います。
毎日、数分間唱えて戴くと良いかも知れません。

お時間が御座いましたらお近くの神社にご参拝下さりたく思います。
また、ご実家などに魂の入った人形や釜、古物などが長年しまい込まれているような
ことはございませんでしょうか?
もしあるようでしたら一度出し、磨いてお香を焚きお力をお借りするのも大切です。
雛人形がお有りになればこういった時にこそお祀りせねばなりません。
小さな音でクラッシックを流しつづけると病も早く治ります。
花を飾ることも良いようです。


仕事でお悩みの方へ

人生を見直される良い機会に恵まれたのだと思います。
今までよりさらに楽しく幸せな人生を歩まれますことを心より願っております。
ところで、貴方が就かれておられるお仕事は貴方様がするべき仕事なのでしょうか?
貴方様に合った仕事なのでしょうか?
もしそうでなければ、疲れてしまいます。
がんばろうとする気持ちが持てなくても当然です。
貴方がするべき仕事であるなら好きで好きでたまらないはずです。
寝る間も惜しみ仕事に精を出しておられるはずです。
貴方がするべき仕事をどうか探してみて戴ければと思います。
ずっと以前から好きで趣味にして来た事、小さい頃からの夢、
それが本当にしなければならない職務であると感じます。

生きている者には全て使命がございます。
病気にしても、感情にしても、人生の一つ一つに理由と目的が存在し因果関係が存在
します。
そしてその使命を見付け果たすために、人間には大脳皮質が与えられております。
そしてまた人間には「心」というものも与えられております。
社会に迷惑を掛けない限りは、どのような生き方をすることも、
ご自分で選択することが許されております。


恋愛でお悩みの方へ

好きという感情は愛を生むためのもので素晴らしいものでございます。
その感情は大切にして戴きたいと思います。
そして、そこからは奉仕の精神が生れてこなくてはなりません。
奉仕とは名の通り「仕えまつる」ことです。
お相手の幸せを願い力になって差し上げることです。

好きだから一緒にいたい。というのは愛ではなく欲でございます。
そういった心は慎まなければなりません。

多くの方と親しくなさって戴き、
最も価値観の合う方を伴侶に選ばれれば良いのではないかと思います。
その為の前向きな努力は必要です。
是非、奮起なさって下さい。
その際には焦りやこだわりはマイナスの効果しか与えません。

愛染明王のご真言で敬愛法というものがございます。
「おんまからぎゃ ばざらしゅにしゃ ばざらさとば じゃくうんばんこく」
相手を強く心に想いこのご真言を唱えますと、
怨敵でさえも帰服し、親睦の情愛を示すと云われております。

西洋系のおまじないでは
球根を土に植え、お相手だと思い大切に育てるものがございます。
「○○の愛再び芽吹き愛よみがえる。美しき花を咲かせる。」と唱えます。
タロットカードも強い「気」を放っております。
恋愛や結婚には小アルカナの聖杯のエースのカードを身につけていると良いです。

お相手の方のご先祖様にお願いするための祝詞もございます。
(お相手の名前)の代々(よよ)の御祖(みおや)様の御前(みまえ)を拝(おろ
が)み奉(まつ)りて
慎(つつし)み敬(うやま)いも白(もう)す。
(お相手の名前)を愛す(あなたの名前)を愛(め)ぐしとみそなはして、
縁を繋(つな)ぎ給(たま)えと慎(つつし)み敬(うやま)いも白(もう)す。

おまじないは他にもいろいろございます。
でも、本当はおまじないよりも優しく暖かい心が一番良く効きます。
欲や悪い感情で暖かい心を無くしておられる方が本当に多いです。
愛と欲の違いを良く考えて見極めることも大切です。
バレンタインのクッキーの中に髪の毛を入れるなどといったくだらないものもござい
ますが、
愛の心があれば絶対にできないことです。
欲まみれの方が考えたおまじないなのでしょう。
こんなことをしていては絶対に上手く行きません。
神にも見放されてしまいます。

必ず上手く行きます。
どうか、自信をお持ち下さい。


経済的なことでお悩みの方へ

このお悩みをお持ちの方は結構多いのではないでしょうか。
収入の一部を寄付などの人の役に立つことに使えば、金運は上昇します。

大黒様の御真言で「おんまかきゃらやそわか」や
十一面観音様の「おんろけいじんばらきりく」を唱えて戴きますと
金銭的な問題は改善します。


いじめでお悩みの方へ

弱いものに暴力を振う人間は私であっても絶対に許せません。
貴方が意地悪をする人よりはるかに優しくて素敵で輝いていれば、
その人は意地悪をする度に孤立して行きます。
毅然とした態度で接されることが良いと思います。
意地悪をされるのであれば、こちらは正しい方法で対応しましょう。
適切な自己防衛の方法があるはずです。
悪い縁も理由があり発生したものですから、その理由も考えてみて戴ければと思いま
す。

優しさと、知恵と、強さがキーポイントです。
上手く避けることも必要でございます。


容姿でお悩みの方へ

容姿と人間の価値とはまったく関係ありません。
容姿が良いというだけで心をなくしてしまう人もおられます。
根拠のない自信はすぐに崩れるものです。

光を放って下さい。人一倍素晴らしい光を放って下さい。
例えばできそうにないことを奮起してやり遂げてしまう。簡単なことでも良いのです
が。
それができるようになれば、誰からも愛されます。

笑顔は美しいものです。


理由もなく悩んでおられる方へ

何もない人生なんて楽しくとも何ともありません。
たかだか80年、多少苦しい思いをした方が楽しいものです。

生きている間にできるだけ多くの美しいもの素晴らしいものを見て、
沢山の正しい条件反射を身につけ、
判断力を養い、
沢山の正しいことを学んでおかなければなりません。
この世界は修行の場所なのですから。
その為には遊ぶことも休むことも大切なことです。
辛いときは無理をなさらず流れにまかせましょう。
とにかく、時は無限にございます。
貴方が何かに怯えていたとしても、時間はゆっくりと過ぎて行きます。
苦しみはいつかは癒されます。
永遠の苦しみなどございません。


不安や恐怖をお持ちの方へ

不安や恐怖は様々な原因によって発生します。
自律神経失調症の方は理由もなく不安に苛まれます。
不安神経症の方は脳内ホルモンの働きが異常になり、思考をコントロールできず不安
や恐怖でパニックに陥ります。
PTSDの方は記憶の再現を無意識に強く拒み続けており、
何らかの拍子に記憶が再生されますと強い恐怖に陥ります。
そういった病気に現れなくとも、
不安や恐怖を持ち社会生活を送っておられる方もおられます。
不安は判断のための必要な機能ですが、
不安を持ちすぎることは良くありません。
不安が起こりましたら不安を取り除こうと努力するのではなく、
不安のままにするべきことを行って下さい。
緊張をほぐし、ゆったりとした気持や穏やかな気持を心がけて下さい。
お腹に力を入れて胸を張って下さい。
大きく息を吸って、吐き出すことに注意を向けて下さい。
不安もひっくるめてご自身を好きになって下さい。
それでも不安で耐えられないようでしたら、
神の子であるという使命をお持ち下さい。
使命を果たすためには不安になっていられないはずです。

 
メッセージ

人が皆
苦しき修行を続ける修行者であるように
あなたもまた修行者である

人が皆
果てしなき旅を続ける旅人であるように
あなたもまた旅人である

幸せを追い求める ひとつの魂である

人間よ
時は果てしない
光の世界と闇の世界が交互に訪れ
その果てに待ち受ける希望の世界に
想いを馳せようではないか
その願いがきっと叶うことを信じようではないか

私達それぞれの魂が
互いに相容れることは難しい
だが
皆が同じ魂ではないか
不可能なことではない

全ての魂が一丸となり
個々人ではなく
全ての魂にとっての幸せの為に
使命をまっとうする
その時が
未だ見ぬ素晴らしき世界の幕開けになるのだ

その目的を 一人でも持つものが在れば
諦めてはならない
夢を捨ててはならない
希望の火を絶やしてはならない

そして今
細くか弱い
だがしっかりとした火が
まだあちらこちらで力強く燃えている


中島みゆきさんについてのメッセージ

中島みゆきについてですが、
彼女の歌は暗いと云われます。
ですが彼女自信は明るい人格です。
暗い歌は決して自分のことを唄っているのではなく、
他人の苦しみや悲しみを唄っているのです。
感受性の強さが表現せずにはいられないのです。
これが何を意味しているかお分かりでしょうか?
他人の苦しみに共感できぬ人とはどのような人なのでしょうか?
共感しながらもその苦しみに染まらぬ人とはどのような人なのでしょうか?
どうか考えてみて戴ければと思います。
 

神についてのメッセージ

神とはどのようなものでしょうか?
姿形ではありません。
それは欲を持たぬ愛情深き親のような存在なのです。
その親が子を生み、何も与えず裸のまま放置するということがありましょうか。
病気には治療法を与え、苦痛には安らぎを与え、全ての者に未来を与え教え導くので
す。
ですが人は欲やこだわりの心を持ち
その誤った心の在り方が神を見失わせ自ら苦しみを産み出しているのです。

 
皆様へのメッセージ

人生は長く果てしないものでございます。

皆様がご旅行をされたとします。
その行程を途中で投げ出す訳には参りません。
人生も同じで、皆様はあてどない旅をされているようなものでございます。

その行程で 皆様は様々な出会いをご経験なされるでしょう。
心の故里のような方にも出遭われますでしょう。
情け容赦なき道標のような方にも出遭われますでしょう。

神の世界は一際厳しい世界でございます。
神の義を貫いておられる方はおそらく後者の方でしょう。
神へと導いて下さるのはおそらく後者の方でしょう。

心の故里は皆様が帰り着く先ではありません。
それを心の糧として進んで行って戴かなければならないのです。
どうか希望を持ち、 うつ向かないで歩き続けて欲しいと思います。


幸せになる方法

真心と、心からの優しさと、真実の愛で幸せを掴みとって下さい。
幸せはご自分の力で奪い取るものです。

無理やりにでも幸せになって戴ければと思います。


お遍路さん

「おんころころせんだりまとうぎそわか おんかかかびさんまえいそわか」
これは薬師如来様と地蔵菩薩様のご真言です。
お遍路さんは病気にならず巡礼が無事に終わることを願い、
このご真言に曲を付けて歌いながら歩きます。
仏様のご加護を得るために鈴を鳴らしながら歩くのです。

巡礼を終えた人の中には
お遍路さんの身のまわりのお世話をする人もおります。
寝床や休む場所を提供したり、食べものを差し上げたりします。
それだけでも功徳が得られます。


無題

心が強くなければ何もできない
心が強くなければ目標へは届かない
夢を持たなければ進むこともできない
夢を持たなければ進む方向も分らない

目標がなければ
努力することもしなかっただろう
泣くことも笑うこともしなかっただろう
心が強くなければ
あなたを愛することもなかっただろう
夢を持たなければ
あなたにプロポーズもできなかっただろう

そうして
生きていることさえも
鬱陶しいだけだっただろう


義ということの意味

人には守らなければならない掟がある
1.受けた恩は返さなければならない
2.愛するものは守らなければならない
3.正義は必ず勝たなければならない

それが如何に難しいことであるか
人の心が如何に弱いものであるか
あなたはそのことにも気付かない

でも それが義なのです
義を守るということなのです


願い

あなたが
この世に生を受けていることに対して
あなたが
優しく正しい人であることに対して
そうしてまた一年
あなたが年を重ねたことに対して
おめでとうの花束を贈ります

今後もずっと
優しく正しい人でいて下さい
健康な子供を産み
あなたと同じような
優しく正しい人に育てて下さい

それがその花束に込められた願いです


命の理由

全ての生けるものの命は
尊いものであるということ

命には全て理由があるのです
動物は美しい自然を守るため
人間は地上に神の楽園を建設するため

だから人間は誰しもそれぞれの環境において
神の楽園の住人にふさわしくなるよう
修行しているのです
魂を磨いているのです


人形

大切にしているお人形さんは心を持つようになります。
信じられない方も、非科学的だと仰られる方も多いでしょう。
逆に云えば現代科学で解明されていないだけのことだと感じます。
髪の毛が伸びたり、表情が変わったりする現象があるのも事実です。
でも、恐れることは何もありません。
人間が霊性を持っており、
人間の脳や神経細胞が魂を生み出すのです。
どうやら人間の感情はエネルギーとなって伝わって行くようです。
悪い感情を持ちつづけますとお人形さんには悪い心が生まれます。
良い感情を持ちつづけますとお人形さんには良い心が生まれます。
悪いお人形さんも良い心で可愛がれば心を入れ替えて下さいます。
幸せに生きる手助けをして下さるのです。

自己中心ではない愛の心がキーポイントのようです。


枯野

「枯野を 塩に焼き 其が余 琴に作り 掻き弾くや 由良の門の
門中の海石(いくり)に 触れ立つ なづの木の さやさや」
いつの頃の話なのかは分かりませんが、この歌は古事記にも日本書紀にも紹介されて
おります。

枯野という名の老大木から造られた一艘の舟を献上された。
その舟が朽ちたので塩焼きの神事で使うことになった。
その火がもとで火事になったが「枯野」は焼け残った。
焼け残りから琴を造り奏でたところ、
海中の岩に生えるなづの木が波に揺れる時のように
大きな美しい音色で鳴り響いた。
そのような話だったと記憶しています。

古事記などに紹介されているこういった歌は言霊にもとづいて作られたものが多く、
時として心に染みるものも多く見受けられます。
言霊探しも面白いかもしれません。


ストレス解消法

多くの方が人間関係やハードワークなどでストレスを感じているのではないでしょう
か?
ストレスが溜まりすぎると病気になります。
そこで今回は私のお薦めのストレス解消法を紹介させて戴きます。
バイオフィードバックと気功を使用したものです。

まず、仰向けに寝ます。枕は頭と首を支えるようにします。
頭のてっぺんに注意を向けます。
筋肉が緊張していますので、緩和するようにイメージします。(本当に緩和しま
す。)
次は額です。その次は目じり、耳、頬、後頭部、口元と続きます。
そこまで行けば多分頭のてっぺんがまた緊張しているでしょう。
何度も繰り返します。
頭部全体が緩和すれば、とてもだらしない顔になっているはずです。
つま先まで行けば完璧です。
病気の部分があれば、
そこに意識を集中させて原因や改善して行くことを具体的に意識します。
軽い病気であれば、100%治癒します。


靴

靴を大切にしておられますでしょうか?
毎日を共にし、身を削りながらも私達の足を守って下さる靴を
大切にしておられますでしょうか?
ちゃんと磨いていますか?
乱暴に扱っていませんか?
履けなくなったら「有難う」も言わずポイッと捨てていませんか?

日本には粗末に扱われた物が化けて出る民話が多く存在します。
感謝する心の大切さを教えようとしたご先祖様達の英知を感じます。


ご提案

皆様の夢はどのようなものでしょうか?
皆様の生きている目的はどのようなものでしょうか?
皆様の使命はどのようなものでしょうか?
皆様にとっての幸せとはどのようなものでしょうか?
皆様が誇りを持ち自信を持ってなさっておられることは何でしょうか?
楽しくて、決して挫けることなく弱気になることなく、
誰にも負けないでやっておられることは何でしょうか?

多くの人は挫けます。
弱気になり愚痴も云います。
時として悪に負け己を見失います。
私自身も例外ではございません。
それは仕方のないことかも知れません。
でも、少しづつでも治して行かなければならないのです。
多くの人にはそれさえも難しいことです。
人は何故、そんなにも弱いのでしょうか?
それは信念がないからではないかと思います。
信念を持ち、一念発起すれば為し得ないことなどございません。

皆様にひとつご提案がございます。
どうか上の質問に信念を持って答えることのできる回答を見つけて下さい。
そしてそれを神様と約束して下さい。
必ず実行し成就させるのだということを。

 
人間の一生

どのような人生であれ、生きるということは素晴らしいことです。
多くの人の暖かい愛情に支えられております。
気付かない方も居られるでしょうが、
愛情を受けたことの無い人はひとりもおりません。
その御礼として、自らも愛情を注がねばなりません。
努力という形であっても構いません。
慈悲という形であっても構いません。
感謝という形であっても構いません。
その心こそが幸せとして自分にはねかえってくるのだと、
私はそう信じております。

ひとりひとりがその心を持てば素晴らしい社会になると思います。


−努力−

努力ということについて少し私の思うところをお話したく思います。
嫌なことを我慢して続けることが努力でしょうか?
お金のために、家庭を守るためにストレスを持ちつづけ
嫌なことを我慢して続けることが努力でしょうか?
そういった方が非常に多くいらっしゃいます。
不満、争い、怒り、憎しみの心を持ち、健康を損ない、
折角、神より与えられた身体を傷つけております。
アドレナリンやノルアドレナリンといった猛毒を脳内に大量に発生させて
身体や精神の病気を引き起こしております。
幸せを感じるとき、人はβエンドルフィンという脳内麻薬をつくり、
驚くべき能力を発揮します。
どうか、今一度「努力」について考えてみて下さい。
お願い致します。


プロセス指向心理学

心理学者アーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学をご紹介します。
全ての病気や不調和は深層心理からのメッセージであり、
心身を調和のとれた健康な状態に戻すためにはそのメッセージを
理解しなければならないというものです。
患部に意識を集中させて痛みなどの違和感を積極的に感じる、
つまりより痛くなるように努力します。
そうすることによって病気になったプロセスや調和を得るプロセスが
深層心理から読み取れるといったものです。


右脳で聴く音楽

右脳で聴く音楽は深層心理に働きかけるようです。
他のことをしながらクラシックやジャズなどを小さめの音で流しているだけで
一時間後には気分が良くなります。
発想やひらめきをもたらす効果もあるようです。
日本語の歌は感情移入し易くどうしても左脳で聴いてしまいます。
こちらは論理的な思考をするには向いているかも知れませんが、疲れます。
たまにはクラシックなんて如何でしょうか?

ベートーベンのピアノ・ソナタはお薦めです。


山椒太夫

これは森鴎外の小説でございます。
その中に、
「安寿恋しやホーヤレホ、厨子王恋しヤホーヤレホ」
という歌が出て参ります。
子を思う盲目の母が海辺で口ずさむ悲しい歌でございます。

丹後半島には山庄太夫という伝説が伝わっております。
森鴎外の小説もこの伝説をもとに創作されたものでございます。
多くの人がこの安寿と厨子王丸のように、
製塩の労働力として人身売買されたようでございます。
丹後半島には小説の舞台となった夕汲浜や
太夫が二人の額に焼印をつけようとした時に身代わりになった地蔵様
また山庄太夫史跡などが実際に存在しております。


思うこと

人生は力仕事に他なりません。
それはひとつの大事業であり、苦しみの連続なのかも知れません。
しかしながら希望を持ちつづけ、
重要な局面で心を奮い立たせることができれば、
人間は何事もやり遂げることができます。
それができなければ、何のための大脳皮質なのでしょうか。
信じられないかも知れませんが、
神様は生きている人全ての心に宿っております。
そしてそれを生かすも殺すも皆様次第なのです。
皆様が神性を発揮なされ素晴らしい人生を送られますことを願っております。


貧乏長屋

かっての時代には貧乏長屋といったものが存在したようでございます。
職もなく字も読めない人でさえも
長屋の仲間達は惜しみなく食事を与え職を斡旋したようでございます。
家賃でさえ「つけ」ていた様子でございます。
それは周りの人の親切心・慈悲心といったものでありましたのでしょうか。
当人でさえも感謝の心や、何かお返しせねばといった心を持っていたような気がしま
す。
現在、そういった善良な心は失われ、個人主義に走り、
助け合う精神など微塵も見られません。
3人寄れば文殊の智恵などと申しますが、
個人主義である以上、文殊様の英知などとは程遠い世界であるようです。

どうか、困っている人を見捨てないで下さい。
心の成長はそこにございます。
そうして仲間が増えて行き、
やがては地球全体に愛で溢れた素晴らしい世界が拡がるのです。
そうならない限り、   地球は発展途上の星でしかございません。

勘違いはしないで下さい。
裕福な方が利欲のために他の人に経済的援助を求めることは論外です。
その求めに経済的手段で応じることも、
その人にとってしてはならないことだと思います。


強さと優しさ

「強くなければ人に優しくできない」
それは正論なのでしょうか?

優しい人が弱い人を助けることはありえないのでしょうか?
強いけれども優しくない人と、優しいけれども強くない人・・・。
どちらが好きかと質問すれば全員が「優しいけれども強くない人」と答えます。
私は、優しい人は強くなれると信じております。
でも、人は優しくなろうとはせず、強くなりたがるばかりでございます。

皆さんはどちらが正しいとお考えになられますでしょうか?


神社に伝わる伝説

−磐船神社(大阪府交野市)−

饒速日命(にぎはやひのみこと)が天の磐船(あめのいわふね)という巨岩に乗り、
この地に降臨されたと伝えられております。
十種の神宝(とくさのかんだから)を揺らしながら
「ひとふたみよいつむよななやここのたり、ふるべゆらゆらとふるべ」
という神詞(かみごと)を唱え病に苦しむ人を救ったと云われております。
磐船神社にはその時の天の磐船が祀られております。

−貴船神社(京都市左京区)−

離縁された夫を呪い貴船神社に丑の刻参りをした嫉妬深い公卿の女がおりました。
顔を真っ赤に塗り、髪を角のように束ね、口には松明を咥え、
「我を生きながら鬼神になしてたまえ」と口走りながら、
夜更けに大和路を掛け回っておりました。
鉄輪(かなわ)の井戸の傍で息果てた時には鬼の顔になっておりました。
供養塚を築き供養するまで鬼の怨霊が現れ、毎夜掛け回っていたそうでございます。


幸せについて

人は豊か過ぎると豊かであることを忘れてしまうようです。
贅沢が身に着いてしまい足ることを忘れてしまうようです。
幸せ過ぎて幸せであることにさえ気付かない人もおられます。
人が生きるということは実はとても楽しいものなんです。
少なくとも私自身は毎日が楽しくて楽しくてたまりません。
それに気付かないのは何ともったいないことかと思います。
折角、神様から授かった身体やチャンスを無駄にしておられるのですから。
皆様の周りにもそのような罰当たりな?人がおられましたら、
是非生きていることの楽しさを教えて差し上げて下さい。
生きる勇気を与えて差し上げて下さい。
かといって生きることに執着し過ぎることもいけませんが。
皆で楽しく過ごせたらと願っております。

 
縁について

貴方が何か行動を起こせば新しい縁が生じます。
天上界では神々を始め貴方のご先祖様や指導霊様が会議を行い、
次にどのような縁を貴方に与えるべきかを話し合います。
その決定を指導霊様が常時貴方についておられる守護霊様に伝達します。
守護霊様はその決定に基き貴方の歩むべき道を決定し貴方を導きます。
意識を通じあるいは映像を通じてです。
それは全て必要があり、なされていることです。

新しい縁を大切にし古い縁にこだわることなく、
安心して守護霊様に身を任せて、
しかしながら努力は惜しまずに
毎日を着実にこなしていれば確実に幸せな未来に辿り着きます。
ですが悪い心や怒り・恨みなどの感情を持てば
守護霊様は離れて行ってしまうかも知れません。
縁が生じなくなってしまうかも知れないのです。


開運情報

感謝し、満足する心はとても大切なものです。
ご自身でも努力されておられますでしょうか?
私自身、そういったことが本当に大切なことだと感じております。

以前、私は欲にまみれたサラリーマンでございました。
自分の幸せばかりを考えて生きておりました。
そのころにはおまじないも御護符も全く効果が出なかったように思います。
神様でさえも目を背けたくなるような人間だったのでしょう。

純粋な心、汚れのない心は本当に大切でございます。
怒りも憎しみも忘れ神社にお参りします、或いはご先祖様のお墓にお参りしますと、
時として運が突然開けるようなことがございました。
これはお薦めです。


願い事を叶える方法

さらに向上されようと努力なされること
ご自身の長所、特技をさらに向上されようと努力なされること
心や縁というものを大切にして戴くこと、
感謝の気持ちを持って戴くこと
こういったことを日々心がけて下されば
善霊や天使様のご加護が得られ 願い事はより早く叶います。

菩薩様 如来様 観音様 この諸天様(神様)方は実際に存在し、
願いを聞きつけて来て下さいます。
そして、どのような願い事も聞き届けて下さいます。
間違った願い事であればその人を正しい方向に教え導いて下さいます。
環境を変えることが先決であれば、環境を変えて下さいます。

天使様は組織に組み込まれた役職ですが、
諸天様方は組織に関らず個人で人を救う能力を与えられております。
自営業者のようなものです。
例えば山に登る時に 手を引いて下さるのが天使様であれば、
後ろから押して下さるのが諸天様です。
多くの諸天様に願いをすることは決して悪いことではありません。
努力を怠らず、自己を省みることを怠らず、
感謝し満足する心を持っていれば、
確実に良い方向に道が開けます。

皆様も諸天様方にお願いをしてみられては如何でしょうか?


天使様と諸天様

−天使様−

天上界では非常に高く重要な地位についておられる神様です。
人々に正しい心を持たせ自立させるために厳しい言葉を与えます。
問題意識を与え自ら改善して行くことを求めます。
飴と鞭で言いましたら鞭に相当します。
天使様ご自身もご自分に非常に厳しく切磋琢磨されておりますし、
天上界での責任も並大抵なものではないようです。
滅多なことでは人前には現れません。

−菩薩様−

天使様と同格の神様でございます。
天上界の組織に組み込まれておらず独自で活動されております。
どのような人にも慈悲の心で接します。
飴と鞭どちらも使い分けておられます。
悪の心や弱い心に対しては鬼のような恐ろしい形相で叱りつけます。
それは人々を苦しみから救いたい一心からでございます。
面倒見の良い神様ばかりで、頻繁に人前に現れます。

−観音様−

菩薩様に較べますと欲がまだ残っており、
美しい服で着飾られておられる方が多いのが特徴でございます。
天上界の組織に組み込まれておらず独自で活動されております。
菩薩様は欲を持つことを好みませんが、
観音様は欲に対しては寛容でございます。
非常にお優しい方が多いのが特徴でございます。
飴と鞭で言いましたら飴でございます。
観音様と菩薩様の中間には如来様と呼ばれる神様もおられます。

 
努力とは

菩薩様とは異なり天使様は人に安易な救いは与えません。
人類の幸福の為にはごく稀に選ばれた者に力を与えますが、
決して救いは与えないのです。
モーゼ様にしましてもキリスト様にましてもジャンヌ・ダルク様にしましても
その生涯は厳しく波乱万丈でございました。
天使様は「ご自身で努力しなさい」といっておられるように感じます。

ここで、僭越ながら私なりの努力について思うところを述べさせて戴きます。
私は嫌なことを我慢して行うことだけが努力だとは思いません。
嫌なことは何をしても上手く行きませんし、疲れます。
もっと楽しく努力されては如何でしょうか。
例えばご自分の好きな分野や長所を伸ばして行く、
そういった方面で人の役に立つことを見つけ出し人生を切り開いていく。
もちろん、ご自分の弱いところは少しづつでも改善して行かなければなりません。
それが本当の努力ではないかと思うのですが。