癒しの世界全エッセイ集2004.11 2/7


 
救いを求める心

岸辺四郎さんという芸能人の方がいらっしゃいます。
しばらく見かけないと思っておりましたら、
借金まみれで自己破産なさっておられたようでございます。
テレビに再登場されました時には、
とても控え目で、慎み深くなっておられました。
恐らく彼も何度も神様に救いを求められたであろうことは想像できます。
少量・粗食ながらも食事ができることに心から感謝し、
一切の贅沢を慎み生活されておられたのであろうと思います。
そして今は何とか救いが得られ、
慎ましいながらも幸せな日々を過ごしておられるようでございます。

救いを求める心とはこういった心ではないかと思います。
不自由しておられなくとも、こういった気持ちで
毎日を感謝し、慎ましく、食も慎み、贅沢も慎み、真面目に生活する。
裕福な方にはこれは非常に難しいことでございます。
これができるようになれば神様にも愛されます。多分。

 
神様の気持ち

時々、悲しくなる時があります。
人は何の為に貴重な命を与えられているのでしょうか。
神様は何の為に存在しておられるのでしょうか。
そういったことにも気付かずに自分達の幸せだけを追い求める。
そんな人が多過ぎるように思います。
皆で仲良くして、調和された美しい社会を建設する為ではないのでしょうか。
そのために神様は力を注いで下さっておられるのではないのでしょうか。
そのご褒美として 幸せな家庭や子孫、穏やかな心、豊かな人生が保証されるのだと
思います。

そのような人は神様に見捨てられるはずがございません。

 
不動明王様

不動明王という神様がいらっしゃいます。
菩薩様の中で最も強い神様でございます。
この不動明王様の御真言で火界咒というものがございます。

「のうまく さらば たたぎゃていぎゃく さらば ぼっけいびゃく さらばたたら
た せんだ
 まかろしゃだ けん ぎゃきぎゃき さらば びきんなんうんたらた かんまん」

不動明王様は火焔に包まれて右手に剣を持ち、
牙を剥き出した口をひん曲げて悪を睨み付けております。
この不動明王様になったつもりで御真言を唱えますと
不動明王様のエネルギーを受け取ることができます。
何事にも負けぬ強い意思が生じて参ります。
両手の指を内側に組み人差し指を立て合わせますと、
不動明王様の根本印になります。
この根本印を結び唱えてみて下さい。

じつはこれは願望を叶える御真言でございます。
私はこの御真言は
「自分で願望を成就させる能力」を得るものだと感じております。
是非唱えて戴き、強い人生をお進み下さいますようお願い申し上げます。

 
神への義

もし皆様が神様から何でもできる超能力を与えられたとします。
皆様はその力を何に使いますか?
何故、そのような力を与えられたのだとお考えになられますでしょうか?
使命を感じて人の役に立つことに使われますでしょうか?
嬉しくなって自分だけの為に使われますでしょうか?
皆様が使命を感じて人の役に立つことを決意し、
その使命が与えられた義務であることを感じ、努力されるのであれば、それが義で
す。
人間にはこの世界で生活していくに充分な身体と能力と環境を与えられております。
この環境の中で人間は無から文明を起こし技術を向上させ、
宇宙船を飛ばせる程に発展して来たのです。
超能力は既に神より与えられているのです。


芥子種

聖書に芥子種(からしだね)の記述がございます。
良い土地に恵まれた芥子種は大きく育ち、
悪い土地に育った芥子は貧弱なものでございます。
会社の後輩に追越された。
後輩の方が給料が良い。
そのような時に、
「どうしてあいつばかりが」とお思いになられると思います。
それはお釈迦様の云われます「ねたみ」の心に他なりません。
一方面の技量に優れた者は見習わなくてはなりません。
人間として優れているのではありません。
その方面では優位に立っておられるのです。
見習ってその技術を習得せねばなりません。

人は「ねたみ」から「ひがみ」の心を生じ、
さらには「恨み」をも生じさせてしまうのです。
その方面で優位な人は「恨む」のではなく見習うべきです。
尊敬し、その一挙一動を見習うべきです。
多かれ少なかれ人は「見下す」癖がございます。
見下す放漫な心には芥子種は育ちません。
上司、部下の関係は職場内だけのものでございますよ。

 
自分主義

人はご自身の生き方を変えれぬものでございます。
自分なりの生き方、
それを変えることは滅多なことではできません。
運勢を変える方が余程容易いものです。
ご自身なりの生き方を貫いて下さい。
誰にも非難し後指を指す権利はございません。
「水」の性格の方に火を燃やせと云っても無駄でございます。
「風」の性格の方に落ち着けと云っても無駄でございます。
「火」の性格の方に怒るなと云っても無駄でございます。
「自分なりの生き方しかできんけんね」
そういって開き直ってしまうことも大切かも知れません。

 
らくだ

産まれた時から大きな荷物を背負っていた
荷物を運ぶこと
それが僕の仕事のろまのように見られるけど
結構速くて力持ち

荷物を背負って歩くことは嫌いじゃない
もちろん辛い時だってある
旅が僕の友達
目的地がどんなに遠くたって
到達して見せる
それが自信にもなるし
やるぞっていうファイトが湧いてくる

案外それが楽しかったりする

 
傷つくこと

傷つくことを恐れてはいけません。
あなたがもし傷ついて落ち込んでいるのなら、
そこから何かを見付けて這い上がって来なくてはなりません。
傷つけば傷つくほど逞しくなって行かなくてはいけません。
そうして傷つくことがなくなった時、
大きな安らぎを得ることができるのですから。


負のエネルギー

負のエネルギーといったものがございます。
決して良い影響を与えないものでございます。

メールマガジンなどを見ておりますと
時代を反映してか
貧乏・借金・病気・自殺などといった言葉が氾乱しております。

悲しいことです。
こういった言葉は余り使うべきではありません。
どんなに苦しくても笑っておりますと必ず運が上向いて参ります。
楽しくしておりますと人が集まって参ります。
努力をしておりますと誰かが助けて下さいます。
多くの人に愛を与え親切にしておりますと多くから愛されます。
人の為になることをしておりますと金運が上向いて参ります。
お分かり戴けますでしょうか?

難しい顔をしていると運は下がってしまいます。
暗い表情をしておりますと人は避けてしまいます。
努力をせずには誰も助けてはくれません。
愛を与えない人は誰からも愛されません。
自己中心ですと金運は下がってしまいます。

美しい心には決して邪は寄り付かないものでございます。
簡単なことですが多くの人が見失っておられるようです。

 
道

私が小さい頃、このような質問をしたことがございます。
「ねぇ、この道はどこに続いているの?」
その時の答えはそっけないものであったと記憶しています。
「ん?・・・そこで行き止まりやで」
このようなやりとりで子供の夢は儚くも壊されて行くものでございます。
まだ返事があったから良かったものの、
例えば「うるさいっ!」と一喝されてしまったりした子供達は
一体どのような人生を送ることになるのでしょうか?

子供は夢を持つものでございます。
「この道は世界中に繋がっていて、
あなたが行こうと思えばどこへでも行けるんですよ。」
などといった夢のある回答をして戴きたいものです。

 
愛

「愛」というものを解釈することは非常に難しいことです。
それは皆様一人一人がそれぞれの愛をお持ちになっておられるからでございます。
皆様のその「愛」は大切になさって戴きたいと思います。
それは素晴らしいことであり、
そこから輝かしい未来が開けてくる可能性があるのですから。

[愛の種類]

さて、本当に人間らしい愛とはいったいどのようなものなのでしょうか?
ここでは3種類の愛の形とその例を挙げて参りたいと思います。
皆様はどの愛がお好きでしょうか?
どの愛を人間らしいものとお考えになられますでしょうか?
1.神の愛(アガペー・大脳皮質の愛)
お相手の幸せのみを願う奉仕の愛でございます。
お相手にとって正しいものを与えるもので厳しくもあり優しくもあります。
2.本能の愛(哺乳類の愛)
自然に湧き起こる恋愛感情・親しみなどがこれに当たります。
相思相愛になりたい、この人と家庭を持ちたい、子を設けたいなどの感情が生じま
す。
3.欲を伴う愛(爬虫類の愛)
自分のものにしたいなどといった恋愛感情です。
お相手を束縛する。自由を認めない。強制する。管理する。
さらにはいじめ・虐待に発展することもございます。

人間は多かれ少なかれこれら全ての愛を持っております。
神の愛が多い人もいれば、欲を伴う愛が多い人もおられます。
爬虫類は良い遺伝子を残すためにパートナーの奪い合いが必要でした。
この闘争本能が人間の脳に欲として残っております。
哺乳類は遺伝子的に優位(背が高い、能力がある、美しい)な相手を見極め
子孫を残すためこういった本能の愛を持っておりました。
そして人間には大脳皮質が与えられ、
神と等しく理性的で知性的な愛を持つことが可能でございます。

[親子間の愛1]

子を思う親の心、
それはアガペーの愛でなければなりません。
決して母性本能であってはいけないように思います。

母性本能には独占欲が伴います。
自分のものだという考えに基いております。
人間がまだ野生であった頃には母性本能は必要だったでしょう。
しかしながら人間には大脳が与えられたのです。
知恵があるのです。

子を思う親の心、
それは純粋に子のためにという奉仕の心でなければいけないように思います。

父性本能も同様でございます。
厳しい門限を強制する。
アルバイトを禁止する。
娘の結婚に反対する。
過保護・放ったらかし。
日記を盗み見る。
外泊を禁止する。

御子様を思ってのことと思います。
ですが、欲は全く含まれておりませんでしょうか?
結婚式の披露宴で御父様はよくお泣きになられます。
寂しいことでございましょう。
ですがそれは欲から生じたものではないでしょうか?

[親子間の愛2]

放任主義という言葉がございます。
天皇家に嫁がれました紀子様も放任主義でお育ちになられた方でございます。
放任と申しますのは決してほったらかしにすることではありません。
日本語の意味がすっかり損なわれており辞書でさえそのようなことが書いてございま
す。
字の通り放って任せるという意味でございます。
任せるからには対等に接しなくてはなりません。
放任とはお子さんであっても対等に誠実に接し、
お叱りになられることも何かを強制なさることもなく、
お相手の意思を尊重し、必要であればアドバイスを与えるような接し方でございま
す。
このような環境でお育ちになられましたお子様はやはり何かに秀でているようでござ
います。
これは神の愛ではありませんでしょうか?

[男女間の愛]

男女間の愛は様々でございます。
互いに許し合える仲であれば、
合意のもとに欲の愛で束縛し合うことも幸せを得る一つの方法かも知れません。
失恋して、それでもお相手のことが忘れられない。
落ち込んだり、恋愛の感情が恨みや憎しみに変わってしまう。
それは神の愛でしょうか?本能の愛でしょうか?
そこには欲の心は存在しませんでしょうか?
思い出が美しすぎますとお相手の幸せを考える余裕がなくなり、
戻ってきて欲しいという欲が生じるようでございます。

[神様の愛]

神様はいつも私達人間に対して惜しみない愛を与えて下さっておられます。
例え裏切られても、恩を仇で返されても、
それでも根気強く愛を与え、恵みを与え、
幸せに導いて下さろうとしております。
そこには見返りを求める気持など微塵もございません。

そのような愛を私達一人一人が持つことができれば、
どんなに素晴らしい世界になるだろうか。
私はそう思っております。

[動物の愛]

以前、ペンギンの生活がテレビ放映されていたことがございました。
オスのペンギンは2ヶ月間なにも食べず、空腹に耐えながら卵を温め続けておりまし
た。
メスのペンギンはその間、遥か遠くに魚を取りに出かけておりました。
子が産まれても迷子になることもございます。
別の動物の餌食になってしまうこともございます。
それでも不平不満も云わず、
厳しい試練に耐え、各々の役割をこなしておりました。
ペンギンでもこのような素晴らしい愛を持っているのです。
私達は見習うべきではないでしょうか?

[詩]

ひとりのひとを愛しました
この愛は何よりも強い
何故なら自分より相手を優先する
何故なら愛は勇気を与えてくれる
何故なら死をも恐れないでいられる

愛は全ての良いものを与えたいという感情
愛はもっと好きになりたいという方向性
だから未来へと向って伸びて行く大木のようだ
広大な海へ流れ込む大河のようだ

この愛は永遠に失せることはない


祈り

皆の幸せの為に
何ができるか考えてみた
僕には
何もできない
だから

祈ろうと思う
ただ
祈ろうと思う
心から祈ろうと思う
優しい心で祈ろうと思う
祈り続けようと思う

神様が   聞き届けて下さるまで


樹氷

少しずつでも
成長して行けば良い
冷たい洞窟の暗闇の中でも
心は希望で溢れている

数億年経ったある日
岩は崩れ
眩いばかりに輝く勇姿を
光に中にさらけ出したい
だから
今はこれで良い


人生

辛いこともあるよね
悲しいこともあるよね
ここにいると
いろんなものが見える
いろんな人の心
いろんな人の苦しみ
いろんな人の叫び
怒り

いつから
人の心は冷たくなってしまったのだろう
自分達のことばかりで
思い遣りの心を忘れ
運勢を低下させ
悩みに惑わされ
自分達の首を自分で絞めている
苦しみもがいている

どうか、気付いてほしい


化野(あだしの)念仏寺

京都嵯峨野の祇園寺の奥に化野という場所がございます。
ここは昔、遺体を風葬にしておりました。
弘法大師空海様が野晒しになっていた亡骸を供養するために、
如来寺を建てられました。
無縁仏の石仏や石塔8000体がございます。
壮観なものです。

お近くの方は是非ご拝観を!


暖かな気持ち

青空、大地、海、光、風、水、樹・・・
私達全ての人がこの大自然より平等に愛を受けております。
博愛とでも云うのでしょうか。
大きな愛で包んで下さっております。
一見、何の役にも立っていないように見えて、
実は生命を守って下さっています。
生命を育んで下さっています。

折々、そういった大自然の暖かな心に触れておりますと
人間の愛が如何に小さなものかを思い知らされます。
好き嫌いでものごとを判断し、
人を避け、退け、特定の人にしか愛を与えない。
これが如何に冷たく頑なな心かと気付かされます。

暖かな心は万人に愛されるものでございます。
皆様、是非暖かな気持ちを大切になさって下さい。


いつもここから

「いつもここから」って良い名前ですね。
何か伝わってくるものがあります。
例えば、仲良しの二人組みがいて、
幼い頃から   そこの角の公衆電話の横の大きな街路樹の下で待ち合せをして、
二人揃って登校していたとか。
いつのまにかそれが約束事のようになっていて、
遊びたいなと思えばその樹の下に行ってみる。
そうすると必ずもうひとりが待っていたりするとか。

二人が社会人になって、
もうそんなこともすっかり忘れてしまっていたある日、
その樹の下で再会・・・。とか。
「じゃ、漫才でもしようか」てなことになって。
数十年後、一人が亡くなってしまう。
でも魂になってももう一人をずっと待ちつづけているとか。
3年後に二人一緒に天国に旅立ったとか。

(※いつもここからはテレビで拝見した漫才師の名前です。)


犬の瞳

犬の瞳は美しいものでございます。
純真で疑うことを知らぬ瞳をしております。
でも捨て犬の瞳には深い悲しみが刻み込まれております。
人も、犬も同じでございます。
生れたばかりのときは誰もが澄んだ瞳をもっております。
騙され、裏切られ人は変わってしまいます。
それでも犬は信頼することを止めようとはしません。
愛するということを本能的に知っているようでございます。
不自由な生活を強いられていても愛することを止めようとはしません。

人はどうでしょうか?
すぐに腐ってしまい疑うことしかできなくなってしまってはおりませんでしょうか?
私達はもう一度「純真な心」を思い出す必要があるように思えてなりません。

 
開運&金運UP

金運は7時までの朝日を浴び、外気を大きく吸いこんで下さい。
余りお金のことを気にせず裕福な気持ちが良いです。
入った分の幾らかは人のために役立たせると大きくなって帰ってきます。

開運では食事の改善がお薦めです。
一汁一菜と申しましてご飯一杯とお味噌汁と菜のものの食事を感謝して戴く。
これを続けておりますと運勢が驚くほど良くなって参ります。
私も2年程続けておりましたが挫けました。
難しいものですが相当効果がございます。

ご先祖様も神様も私達が楽しくしていると喜びます。
大きな力になって下さいます。
でも悲しんでいると喜ぶのは悪い人、悪い魂でございます。
笑って、明るい歌でも口ずさみながら楽しくお過し下さい。


クリスマス

クリスマスは皆様はどのようにお過しになられましたでしょうか?
赤く燃える暖炉の前で、
テーブルには七面鳥とケーキ、様々な豪華料理が並んでいて、
その傍らで大きなツリーがチカチカと電飾を光らせている。
窓の外には真っ白な雪・・・。BGMはもろびとこぞりて。
こんな感じなのでしょうか?

サンタクロースは存在しないと思われておられる方が多いです。
ニコラウス神父(聖ニコラウス−セント ニコラウス−)さんがサンタクロースのモ
デルになったのだとする説もありますが、
これだけ有名ですと天上界の神々も放っては置かないでしょう。
必ず誰かがサンタクロース役を買って出て下さり、幸せを届けて下さいます。
霊的な存在ですから目には見えませんが。

 
大きなもの

山に登り景色を見渡す
とてつもなく大きなものがそこにある
人は時に畏怖を感じる
恐怖さえも覚えることがある
樹はその大きなものの使者のようだ
とても優しく暖かい

大地に足をしっかりと踏み締め
空を仰ぐ
大きなものはどこにでも存在する
そしてそれは
人間の生活に大きな影響を与えている

確実な時間の歩み
寄せては返す波のざわめき
全ての生けるものの命
紅い血潮の流れ
留まることを知らぬ愛

人よ
安らかになれ
心安らかになれ
この大きなものが与え賜う安心感
きっと優しくなれる
きっと強くなれる
今よりもっと大きくなれる
この大自然のように


親子

親子関係が上手く行かないといった話をよく聞きます。

子供にとって親は養って下さっている存在、産み育てて下さった存在でございます。
親にとって子供は同居して下さり人生の一時期を共に歩んで下さった存在でございま
す。
互いに感謝しなければなりません。

意見がぶつかり合うこともございます。
意思の疎通が上手く行かないこともございます。
感情を荒げる必要がどこにありましょうか?
互いに希望を出し合い、条件を出し合い、どこまで妥協できるのか、
そういったことを膝を突き合わせて、時間を掛けて話してみて下さい。
誠実であることが何よりも大切でございます。
時には医師や年配者などの多くの方のご意見が必要になることもあるでしょう。
人間には知恵があるのですから、必ず上手く行くはずです。

 
母子家庭の方へ

父親がおられない御家庭の御子様はとかく問題が起こりやすいようでございます。
幼少期に優しくて暖かくて強くて逞しい存在を見失ってしまいますと心に隙間ができ
てしまいます。
お母様まで仕事に出られておりますと御子様の寂しさはどれほどのものなのでしょう
か。

駐車場でね、ひとりの男の子が「ママ、ママ」って云いながら泣いていたんですよ。
心配になって声をかけても泣いている理由が分からない。
迷子になったのかなと思って、「ママは何処にいるの」って聞くと、「お店・・
・」って云うんです。
どこかのお店で働いているのかなと思っていたら、買い物からその子のお母様が戻っ
てきて、
おでこと鼻の頭が赤くなっていることに直ぐに気付き、「転んじゃったのね」・・
・。

母親の愛って凄いものですね。

御子様には母親が必要なんです。
それと優しくて暖かくて強くて逞しい父親。
どうにもできない事情がおありになるかも知れません。
でも、必ず家に帰ってから一緒にはしゃぎ回って遊んで差し上げて下さい。
勉強のこともゲームも小言もなしで力一杯身体を動かして遊んで差し上げて下さい。
そうでなければその子は鬱病になってしまうかも知れません。
その御子様の心の隙間を埋めることができるものは、
優しくて暖かくて強くて逞しい父親的な存在だけでございます。

トライアングルをね叩いて、どこかを握らせる。
「暖かさが入って行くよ」「優しさが入って行くよ」「どんどん入って行くよ」「ほ
うら、入っていった」
こういった心療治療法がテレビで紹介されておりました。
機会があればお試し下さい。

子供は楽しいことを見付ける天才でございます。
凄いエネルギーを持っています。
お母様が励ましてもらっているケースもあるかも知れません。

子供に教えて貰った遊びなんですが、
大人にとっちゃちーっとも面白くない。
1円玉をね、部屋のどこかに隠させて探し回る。
子供は大人が必死になって探し回ることが面白い。
だからオーバーアクションで「どこかな」と云いながら大げさに座布団をめくってみ
たり。
最初は簡単な所に隠して直ぐに見付かるようにします。
見つけ出すと、瞳が輝きます。
どんどんレベルUPして行くんですよ。

幸せで楽しければ御子様には何の問題も病気も起こりません。
楽しく遊びましょ!
後は疲れ果てて寝るだけです。

 
ありきたりな話

肉がおいしい。
魚がおいしい。
水がおいしい。
人間って産まれてきてこんなに贅沢させて貰っている。
これはもう神様や大自然に感謝しなくてはなりませんね。
それに気付かず不平不満を仰る人が多いです。

公園でね雀さんにポップコーンをあげました。
数日後、その公園のその場所に100円落ちておりました。
不思議なものです。
雀の恩返しなのでしょうか。

そういえば、こんな話しを聞いた事があります。
喧嘩ばかりしていた仲の悪い兄弟がいて、
誰かが長いスプーンを与えたという話しです。
最初は自分で食べようとしていたのですがスプーンが長すぎて食べられない。
どっちかが相手の口にスープをすくったスプーンを差し出したんですね。
相手もそれに気づき自分のスプーンでスープをすくって差し出し返したんですね。
相手に食べてもらわないと自分も食べられない。
そのことをようやく理解したんでしょう。

相手を思い遣る気持ち、それが自分に撥ね返って来るんですね。
相手を思い遣る気持ちが人の心を動かす、そういったことを教えてくれる話です。

私の家は共同住宅ですが、廊下に煙草の吸殻を平気で捨てて行く人がいます。
誰も気付いて下さらないので今のところ私が掃除当番です。
顔を合わせても挨拶もして下さらない。
現在の不況の根底にはこういったことも原因していると感じております。

 
子供

子育てについての質問がございます。
御子様の性格を親の望む通りに変えることなどできません。
そうは問屋が卸しません。
どんなに小さな御子様でも御自身の意思を持ち、
御自身の人格を持ち、御自身の使命を持ち、
祝福されてこの世に遣わされたのです。
御心配なさらなくとも立派に成長なされます。

逆に、御子様自らがご自身の使命を見付け、
ご自身の人格を向上させ、
生きている目的を見出し、
楽しく素晴らしい人生を歩んで行けるようにアドバイスして差し上げなくてはなりま
せん。
御両親が御子様の人生を強制し、干渉することは許されないことでございます。

 
子育てに悩む親とひとりぼっちの子供達

私は「子育て」という言葉が嫌いです。
ここに1人の女の子がおりました。
彼女は小学生でございました。
人見知りの激しい、何も話せない女の子でございました。

父親は毎日、夜遅くに帰って来ました。
どこかで酒を飲み、酔いつぶれて帰ってきました。
家族全員の夕食の時間が始まります。
父親はそこでも酒の瓶を取り出し、グラスに注ぎます。
会話は一方的に父親の愚痴が続きます。
同じことを幾度も繰り返し喋り続けます。
「あの馬鹿が、」「けったくその悪い、」
そして子供にやつあたりして、さらには暴力を振うこともございました。

母親はそれでもその父親を愛し、信頼をしておりました。
自分の娘よりもです。

母親は激情家で娘に対しては非常に厳しくしておりました。
それが子育てだと本心で信じきっていたのでしょう。
娘が云うことを聞かなければそれが父親に伝えられました。
その夜は父親の折檻が始まります。

学校では友達がひとりもおりませんでした。
成績も悪く教師からもよく叱られていたようでございます。
「娘が、ひとことも口を利かなくなりました。」
こういって相談を受けたのはずっと前のことでございます。
多分、この女の子は産まれてきてから、
誰とも意思の疎通ができなかったのではないかと思いました。
可哀想で涙がこぼれました。

子供と言うものは、話したくて仕方がないものでございます。
このように周りの環境で話すことを許されず、
考えることさえも妨害されてしまいますと、
心に深い闇を抱えてしまいます。
以前、放任ということについて書かせて戴きました。
簡単にできることではありません。
本気で考えて実践しなければ非常に難しいものでございます。
ですから、子育てをするという考えを捨て、
御子様の友達になって差し上げて下さい。

子育てなんて考えているから、親は悩まなくてはなりませんし、
無口で、学力が低く、友達もできない人格に育ってしまうのだと思います。

 
鬼やらい

家中の財が減り、病人が絶えず、短命。

昔の人は、これを鬼の仕業と考えていたようですね。
もちろん実際に災いを起こす邪鬼や妖怪、生霊、死霊などが祟っている場合もござい
ますが、
その多くは心の在り方が原因しているように思われます。
ゆったりとした気持ちで、
周りの人や食物など多くのものに感謝し、
四季折々の素晴らしさに触れ、
困った人が居れば助け合い、
人のため、社会のためになることは進んで実践し、
好きな歌を口ずさみながら、
笑って楽しく毎日を過ごしておりますとそれだけで健康になり、心は幸せで満たされ
ます。
嫌われることもなく、多くの人から愛されます。

鬼さんも絶対にやって来ません。


鬼

鬼には種類がございます。
黒鬼、赤鬼、青鬼、ツノ鬼、飛び鬼などと私は呼んでおりますが。
鬼の性格を持っている悪霊でございます。
黒鬼は妬みや恨みの執念の塊でございます。
赤鬼は怒りや呪いの怨念を持ったものでございます。
青鬼は恐怖や苦しみの塊でございます。
ツノ鬼は誰かを傷つけたい念の塊でございます。
飛び鬼は地獄から抜け出したい一心で跳ね続けているものでございます。

鬼に憑かれますと心の中に風が吹き荒んでいるような感覚がございます。
虚無な気分になり、大方の方は寝込んでしまわれます。
電気製品に高圧電流を流して壊したり、
金魚鉢に爪の尖った腕を入れ掻き回して金魚を殺したり、
幼児を危険な目に遇わせたりと、悪さの限りを尽します。
何故、私にそんなことが分かるのか不思議に思われる方もおられると思います。
経験者だからですよ。

でも正しい心を持っておられ、光を放っておられる方からは、
鬼は逃げ出してしまいます。
思い当たる方はご連絡下さい。

 
キリスト様の言葉

「人はパンのみによって生きるのではない。」
キリスト様の言葉でございます。
人間はね、食物だけで生きているのではなく、
多くの人の愛があるから生きていられるんですよ。

街中を歩いておりましても、繁盛している店と閑古鳥が鳴いている店がございます。
繁盛している店の商品には愛や暖かな心といったものが 不可価値として付いている
ようでございます。
皆様は愛のない人、心のない人から何かを買いたいと思われますでしょうか?
私達は商品を買っているようで、実は愛や暖かい心を買っているのかも知れません
ね。
どのような御職業であっても愛や心が不可価値として沢山付いておりましたら、
人気が上がり、お客様も次第に増えて参ります。

このことは決してお忘れになりませんようお願いします。
そうしましたら人生は大きく花開きますでしょう。

 
積極性

仕事を頑張ろうと思うより、
気持ちを込めて仕事をするんだ、
この人に優しい心を与えて差し上げるんだ、
そう思って仕事をして戴ければと思います。

優しい気持ちがあれば、必ず心が伴いますです。
もし皆様の愛する人が風邪で寝込んでしまったら、親身になって看病しますでしょう
?
そのときの気持ちですね。
皆が好きでいられれば誰にでも優しい気持ちになれますし、優しい心が伴います。
仕事が好きだと楽しいですし、心がこもります。

その状態を続けることは難しいものですが。

 
悟り

「悟り」の意味を皆様は御分かりになられますでしょうか?
悟りとは真理を理解し、それにより執着や煩悩を離れることです。
そう云ってどれだけの方が理解し、具体的にイメージできますでしょうか?

真理は時代によって変わるものではないかという指摘がございます。
キリスト様やお釈迦様の教えが現在になおも生き続けているということからも、
真理が永遠のものであるということにお気付きになられるのではないでしょうか?
もっとも、悪を目指す者の真理は正反対のものでございますが。

人を救う方法は多々ございます。
最もレベルの低い方々は、力やお金で人を救おうとしますでしょう。
次のレベルの方は知性や理性、愛、慈悲といったものを使いますでしょう。
諸天様、天使様は悟らせることによって人を救います。
力やお金は諸天様や天使様にとっては最終の手段であると思います。
その時にはきっと、「しょうがないなぁ」とか云って手を差し伸べられるのでしょ
う。

現在、悟りを得る為には必要充分な情報が氾濫しております。
現代におきましては、悟りを得ることは、
お釈迦様やキリスト様の時代に比べますと、途方もなく容易でございます。
ですが、悟りを得ても実践することができない。

実践できて初めて真の悟りを得たということになるのだと思います。

 
天の方向

ある陰陽師さんが御真言を誦して効現があった。
そのような陰陽師さんの努力には頭が下がります。
でも、だからといってその陰陽師さんが偉いというわけではありませんね。
神様や仏様が偉いだけです。

もちろん私も、決して満足できるような人間ではありません。
天使様も菩薩様も、全ての神様がより向上しよう、
より判断力を磨き、さらに多くの悩める子羊達を救おうと切磋琢磨されておられるん
です。
神様も、人間も同じ修行中の身なんです。
神様だって御自身に満足されておられないと思いますよ。

常に向上しようとする努力、それを忘れてしまいますと悪いものが近付いて参りま
す。

さりとて、休むことも大切でございます。
常に天の方向を見つめている限りにおいては、
数百年休んだところでどうということはございません。
魂のレベルで見ますと、ほんの一瞬でございますよ。

 
雨の日

ある方がね、
雨が降って来ますと、必ず「洗濯物干していなかったけ」と考えるんです。
雨が降って来ますと必ずそう考えるようです。
そして確認のために飛んで帰ります。
軽い強迫神経症の症状ですね。

私はのんびり屋ですから、
濡れたら別の服を着るか、別の方法を考えれば良いのではあるまいか?
同じ服を一日余分に着つづけてもどうってことはないっしょ?
と、そんなことを申し述べます。

濡れたのが布団であっても、
その日はお客様用の布団か、或いは新聞紙という方法もあります。
濡れた洗濯物は次の機会にでも洗えば良いんだし。
方法は幾らでもあるように思います。
でもね、その人は 「洗濯物は雨に濡らしてはいけない。」
と、まるでそれが運命をも変えてしまうのではないかという究極のレベルで
頑なに思い込んでしまっているのです。
まあ、人それぞれですから私の意見を押し通すわけにも行きませんが、
精神を患わせませんようにお願いしたいと思います。

 
守護霊様

守護霊様は過去に地上で生活していた人間の魂でございます。
人間は身体を失いますと魂として天上界での生活を始めます。
(そうでない魂も沢山おりますが。)

天上界でね、
生きていた時の人としての在り方を深く反省します。
魂は真心そのものでございますから、本当に深く反省します。
でも、まだまだ弱い魂でございます。
ですから地上に新しく生れた人を守り、御自身の魂の修行も行なうために守護霊にな
られるのです。
(御先祖様が付いて下さる場合もございます。)

でもやはり人の魂でございますから、挫けることもございます。
守っている人の心が正しくなければ、嫌になり離れてしまいます。
その人の心の曇りが酷ければ、守ることもできなくなります。
守護霊様自身の心が曇ってしまうこともございます。
地上はやはり厳しい世界ですから、使命を忘れてしまわれることもあるのでしょう
ね。
守護霊様は直接意識を与えることで意思を伝達します。
(特別な使命のある方には別のはっきりした形でもコンタクトを取ります。)
ですから、悪いことをすれば自責の念が生じます。
守護霊様が教えて下さるのです。
悪いことを平気で行なえる人にはきっと守護霊様は付いていらっしゃらないのでしょ
う。

正しい心を持ち努力されておりますと、守護霊様に愛され
心に思った願望を守護霊様が聞いて下さり、叶えて下さるようになります。
守護霊様も頑張って下さいます。


11月23日午前6:00

公園に行ってみる。
東の空が次第に黄色く色づき始める。
右斜め上には明けの明星が見える。
背後には綺麗な月が樹々の隙間から見える。
幻想的な風景である。

空高く西から東へ雁が隊列を組んで飛んで行く。
今年最期の雁かも知れない。
雀が集まってくる。
ぴーちく、ぱーちくなどと鳴いている。

手が冷たい。


11月28日午前6:30

東の空が厚い雲に覆われている。
日の出なのに西の空が桃色に染まっている。
景色がとても綺麗に見える。
土の上には大きなアンパンマンとアルファベット。
小さな男の子と若い母親なのだろう。

蔓草に紫色の小さな花が咲いていた。


11月29日午前6:30

雲ひとつ無い空。
東の空が強い茜色に染まる。
頭上やや南に三日月、左下方に明けの明星。

雀が毎日同じ時刻に公園のベンチにとまる。
雀のなる樹もある。 
冬枯れた紅葉のシルエットが美しい。
帰りに蜜柑の樹を発見した。 


樹

ビンカ・マジョールという樹がございます。
風が吹きますと、もっさ もっさと揺れます。
この樹は朝日に照らされますと面白い色に輝きます。
赤緑の濃い色にも見えますし、見る方向によっては緑やこげ茶色にも見えます。
不思議な光景でございます。


ひとりごと

1月19日
今日の大阪は雲一つない青空が広がっております。
風もさほど強くなく、爽やかな日和でございます。
窓を開けて空気を入れ替えております。
ハイキングに出掛けたい気分です。

やっぱり大きなお風呂は良いですね。
浴槽が上に突き上がっているのではなくて、
歩いて行ってそのまま階段を降りるように浴槽に入れるものが良いです。
黒っぽい石の床が良いですね。
大きな窓があって雄大な景色を満喫できる。

部屋はフローリングで囲炉裏が掘ってある。
御神殿があって、
偶に客を招いて庭で採れた新鮮な野菜を料理して振舞う。
これ私の夢なんですが。

モミジも桜も良いですね。
季節の花が庭先に咲いている。
こんな贅沢は私にはとても勿体無いものです。
でもそんなところで食べる鍋は最高でしょうね。
猪肉やきのこ、里芋なんかを味噌で煮こんで。
一生に一度位はそんな贅沢してみたいものです。


釈迦

心に苦しみの種を持つから苦しい。
仏陀釈尊(お釈迦様)がそんなことを云っていました。

心に悪い感情の条件反射を持つなということです。

諦めや憎しみ・怒りといった感情は記憶されます。
その時のことを思い出す度に感情が再現するのです。
脳にそういった感情が記憶されるのはやむをえません。
(あの時は・・・で済むからまだ良いのです。)
でも心に記憶させてしまってはいけません。
思い出す度に感情が込み上げてくるのでしょう。

その感情に打ち勝つことは難しいことです。
忘れようとしても忘れられないのです。
記憶の回数が多ければ多いほど、苦しみも多くなります。

勇気と知恵を持ち、心から許すことが大切です。


子を殴る親

子供を殴る。それは間違ったことなのでしょうか?私はそうは思いません。
云って聞かない子供は殴るしかないでしょう。
殴らなければ将来とんでもない大人に育ってしまうのですから。

でもね、
十歳にも満たない子供を殴る。
子供の話をまともに聞かないで殴る。
「してはいけないこと」の理由を理解させようとする努力もせずに殴る。
それは許される事ではないように思います。

仕事柄、精神の病を患った方とよくお話します。
幼少期に虐待を受けた人たちもかなり多いのです。
「ゆがんだ愛情」
「飲んだくれの親」
「キチガイ」
「絶縁」
共通してそういった言葉を吐き出します。
悲しそうな瞳をして訴えます。

二十代の方もいれば三十代、四十代の方もおられます。
幼少期に受けた暴力は心の傷となって永遠に残るのです。
その人たちの親の多くは
数十年経った今でも
子供を決して対等に見ようとはしないことが多いです。
ペットを飼っていても
餌を与えないか、窮屈な檻に閉じ込めていたりします。

たかだか数十年早く生まれたからという理由だけで
人を殴ることが許されるのでしょうか?
貴方より素晴らしいかもしれない魂の芽を
もぎ取ってしまうことが許されるのでしょうか?

虐待を受けた子供で成績の良い方は少ないです。
大人になっても社会生活に適合できないで苦しんでおられます。
「真実の愛」が本当に必要だと感じます。

(キチガイという差別用語を使用しておりますが、
これは差別目的ではなく、そう呼ばれるべき人を
そのように表現しているだけでございます。)


就職難の時代

就職できずに精神の病におかされる方も多いです。
「リストラ」「不景気」「就職難」
そういった方たちは間違いなく
精神的ストレスに押し潰されています。

家主に追い出されるのではないか?
金融会社に追い立てられるのではないか?
数ヶ月後にはホームレスではないか?
冬の寒さに凍死してしまうのではないか?
家族共々、飢え死にしてしまうのではないか?
そういった悪いイメージをリアルに持ち続けて苦しんでおられます。

不幸なイメージを持つよりは神仏の素晴らしさを感じている方が
人は幸せになれるのです。

人間、運命というものは
なるようにしかならないのかも知れません。
諦めて下っ腹に力を込めてじっくり構えているというのも
ひとつの生き方だと感じます。

「身体は滅んでも魂は永遠に存在する。」
「恐がることは何もないのだ。」
と、そのことを肝に命じて。


母子家庭

うつ病患者の方では母子家庭で育ったケースが多いです。
心の中に必要不可欠な部分が欠落しているのでしょう。
強く、優しく、暖かい存在(父親)を知らないのです。

人生の中において
心の欠けた部分を満たせる伴侶が見つかれば幸せです。
心の傷は次第に癒えて行くでしょう。
そうでなければ、心は永遠に吹きっさらしです。

心のない今の時代に
そういった方が生きて行くのは並大抵のことではありません。
リストカットを繰り返し手首に穴が開いている人もいらっしゃいます。
強さも、優しさも、暖かさも知らない人には
この世界が居心地の悪い地獄のように感じるのでしょう。
正常な意識でいることにさえ耐え切れないのです。

心に問題がなくてもうつ病になるケースもあります。
ストレスを長期に受けつづければ
神経伝達物質の分泌異常に簡単になってしまいます。

うつ病は一概に「心の病気である」とは云えません。
増してや「心が風邪を引く」などといった不適切な表現は
不理解・不誠実以外の何物でもないのです。


不安神経症・パニックディスオーダー(PD)

この脳の病気は非常に苦しいものです。
神経症は一般に「ノイローゼ」と呼ばれていますが、
一般に言われている「ノイローゼ」とは全く異なる病気です。

先日、高校生の不安神経症の方と会いました。
「両親が病気のことを全く理解してくれない。」
そんなことを云っておられました。

悲しいものです。
精神疾患の患者さんからは本当によくこういった声を聞きます。

不安神経症・パニックディスオーダー(PD)

これは生きている間に体験するであろうどのような恐怖より
凄まじい恐怖が脳内に発生する病気です。
恐らく誰もが失神するであろう恐怖
でも、この病気の場合には失神は起こりません。
倒れるか、貧血になるか・・・。

患者さんは云います。
「外出先でパニックに襲われても誰も助けてくれない。」
「救急車を呼んで欲しくても誰も相手にしてくれない。」
「両親から怠け者の病気だと辛いことを云われる。」

精神疾患に関する認識
それは患者自身にしか分らないことかも知れません。
ただ、もう少し認識を持って戴ける方が居られても
良いのではないかと思うのですが。


メニエール病・難聴の併発

この病気の方とお会いしました。補聴器も役に立たない
様々な医学書を調べたところ、解りました。
どうやらニコチン酸が体内で不足しているようなのです。
ニコチン酸の投与が必要です。

この病気の方は医師にご相談を!


就職難対策

なかなか就職先が決まらないといったご相談が増えております。
人によっては「数百回面接を受けても手応えがない」ようでございます。

営業活動にしてもそうですが
笑顔で!大声で!
視線は上向き加減が良いようでございます。
一番瞳が輝いて見えます。

この仕事が好きで仕方が無い
そのような人を会社は採用したがるものでございます。
お客さんにしても、恋愛のお相手にしても
暗く魅力のない人は敬遠されます。
頑張って下さい。


愚者の手前勝手な発言

「アメリカは負け犬の遠吠えのようだ。ハーッハッハッハッ」
金正日が北朝鮮国民に対してこのような演説を行ったことは記憶に新しいと思いま
す。
北朝鮮が謙虚になり誠実になり国際社会に参加するのであれば、
多くの国が支援を惜しまないと思うのですが、金正日にはそれが分からないようで
す。

軍事力のある国は軍事力を出し
お金のある国は資金を出し
知恵のある国は知恵を出し
この難局を乗り切らなくてはなりません。

大阪市は昨年度に市予算が切迫した状況であることを公表しました。
数万人のホームレスを抱え失業率が最悪であるにも関らず、
こういった方々への支援を何も行なわず、
一方でオリンピック招致活動、ワールドカップ招致といった贅沢な市政をおこなって
おります。
もし、大阪市が誠実な姿勢でホームレス全員に住居を提供し、施しを行ない、
「大阪市は弱者を絶対に見捨てません。」と公言すればどうでしょうか?
多少住民税を増やしても余り苦情は出ないと思うのですが。

企業がリストラを止め、無償残業を無くし、
労働基準法に則った労働時間、週40時間以内を遵守し、
その余った給与分で人材を採用すればどうでしょうか?
企業同士で助け合いを行ない、仕事の譲り合いや技術の相互提供をするようになれば
・・・。

争うのではなく、互いに協力し合い、この局面を乗り切る姿勢があれば、
不況も、国際問題も解決できるのではないかと思います。
これは愚者の手前勝手な発言に過ぎません。
従いまして御気分を害されませんようにお願いします。


お墓について

お墓は大切なものでございます。
お参りして水をかけてあげないと禿げになります。
苔が生えれば皮膚病になります。
小さな深い穴が開いていると膿のでる病気になります。
周りを高い塀で囲んでしまうと八方塞がりになります。
ヒビが入ると骨折してしまいます。

お墓を大切にしない人で病気の人、多いです。

今の人は何が大切なのかすっかり忘れてしまっているから、因果応報で報いを受けて
しまいます。
でもその原因が分からない。自分でも見付けられない。
供養してくれる人を悪く思う魂なんておりませんよ。
力になって支えて下さいます。

お墓はその人が生きていた記念碑でしかありません。
心もなく荒し放題にしているから怒っちゃうんですね。

今は魂についての知識がなさすぎですね。
亡くなった人間の魂がただ見えないというだけで恐がられています。
テレビで「リング」という噂の映画を見ましたが、ちーっとも恐くない。
皆が楽しくしていれば多少悪い魂も、悟って成仏してくれます。
 

気と厄

気が停滞することは誰にでもありますね。
気は3日、3ヶ月、3年ごとに変化しますから。
慌てず騒がず反省して、それから出きる限り楽しくしていると良いです。

厄年というものがございます。
1,3,5,7,10,13,24,28,46,49,52,55,60,64,
70,73,82,85,88,91歳 が小厄
19,32,33,34,37,61歳 が女性の大厄
25,41,42,43,61歳 が男性の大厄でございます。
(数えです)

惑星や星の位置は人間に影響を与えます。
その結果、気の強さや質が変わります。
何気なく気が変わるという言葉を使いますが、本当に気が変化します。
厄年には運勢も弱くなります。
立ち止まって人生を振り返り反省や感謝する気持ちを思い出す年なんでしょうね。
慎ましくしていた方が良いです。
ちなみに厄の本番は節分以降になります。
 

恋愛

恋愛はね、自分らしく輝くことと、いつも笑っていること、
それと、恋愛の「気」というものがあります。

恋愛をしますとね、理性と知性が抑制されて、本能が強くなります。
ハートの形の凹んでいる方が理性と知性です。
凸っている方が本能です。
 

友達

何気ない会話が10年、20年と続けばどんなに仲の悪い人同士でも親友になれま
す。
魂レベルの友達なんて素敵だと思いませんか?
何も強制しないし束縛もしない。そんな関係が続けば、必ず真の友情が芽生えます。
友達は大切なものでございます。
音信が途絶えて数万年後に天国で再会。
それでも良いんですよ。
きっと良い想い出になっていることでしょうし、昔話に花が咲くかも知れません。
 

開運の鍵

先日、テレビを何気なく見ておりましたら、身寄りのない老人が生活に困り犯罪を重
ねる実例が報告されておりました。
身寄りがある。声を掛合う相手がいる。
それだけでも何と幸せなことかと感じます。

どれだけ現状に満足し感謝することができるか。
満足すれば心も明るく安らかになります。
そうしてどれだけ人生を楽しく生きる事ができるか。
にこにこしている人の周りには人が集まります。
どれだけ人の、社会の役に立つことができるか。
お金はそういった人のところに集まるものでございます。
それが開運の鍵でございます。