癒しの世界全エッセイ集2004.11 4/7


毒

先日、4月18日は紀宮様の御誕生日でございました。
天皇家の御様子を伝えるテレビ番組で、
その穏やかな御姿が放映されておりました。
天皇家御一族様は本当にお優しくて素晴らしい方ばかりでございます。

一般にはひねくれてお育ちになられる御子様も沢山いらっしゃいます。
将来、漫才師でもお目指しになられるのでしたら、
多少ひねくれていた方が人気が出るかも知れません。
でも余り人には好かれませんね。

何故心の中の素直な感情が脳の中で変換されてしまうのでしょうか?

あのね、
ひねくれるかどうかは幼少期の生活環境に因るんです。
判断力が充分に育っていない子供の頃は正悪の判断ができません。
正論も、毒も、同じように知識として吸収されてしまいます。
愚痴や、喧嘩の多い御家庭の御子様は、
沢山の言い訳や悪知恵といった毒を溜め込んで参ります。

この方々は御成人なされてから、
自らの毒に気付き、
毒を消すために、
かなりの努力と時間が必要になります。

決してカルマとか業とかいったものではありませんよ。
全て原因があって結果が導き出されるものでございます。


散文

私の周りには色々と良くして下さる方が沢山いらっしゃいます。
本当に有難いことです。
御心だけで構いませんのに、色々と立派なものを下さる。

何かをして貰ったら必ずお返しをしなければなりません。
御返しさせて戴きますと、「気を遣わないで下さい」と仰られる。
冗談じゃない。
何かをして戴き、御返しをしなければ私の運気が下がってしまう。(笑)


御商売をなさっておられる方は、やはりお客様は神様のような存在でございますね。
でもね、客が御自身を「お客様だぞ!偉いんだぞ!」と思われる、
これは間違いでございますよ。
お金を払う方が偉いに決まっている。そんな理屈だろうと思いますが、
昔は物々交換で必要な物を入手しておりました。
その物々交換の基準的なものとして貨幣が生まれただけで、
今でも商品と貨幣の物々交換を行っているに過ぎません。

ですから、
商品を売る人はお客様に感謝し、
お客様は商品を売って下さる人に感謝する。
当たり前のことでございますね。


言霊

言霊って素晴らしいなと感じることが多々ございます。
使い方を間違いますと誤解されることもありますが、
正しい使い方をしますと、人間関係も良くなります。

北島三郎さんの、与作という唄がございます。
これを解説しますと次のような文章になると思います。

与作というきこりがいました。
毎日、山の中で「ヘイヘイホ」という掛け声をあげて木を切っていました。
与作は働き者です。
毎日毎日「ヘイヘイホ ヘイヘイホ」という声が聞こえます。

これをね、心を込めて書き直しますと次のようになるかと思います。

与作というきこりが居りました。
毎日、深い山に分け入りましては、「ヘイヘイホ」という掛け声をあげて木を切りま
す。
本当に働き者のきこりでございますよ。
毎日毎日、汗水を流しながら「ヘイヘイホ」と、その声は途切れることがありませ
ん。

如何でしょう?
幾分説得力が増したのではないかと思います。

レストランなどに入りましても、
「何名様ですか?」
「席まで御案内します。」
「お煙草は吸われますか?」
「御注文は決まりましたでしょうか?」
「お飲み物はいつお持ちしましょう?」
「メニューをお下げします。」

などと接客されておられますが、

「何名様でいらっしゃいますか?」
「席まで御案内させて戴きます。」
「お煙草はお吸いになられますか?」
「御注文お決まりでございますか?」
「お飲み物はいつお持ちさせて戴きましょう?」
「メニューを下げさせて戴きます。」

の方が良い心持ちになるのは、私だけでしょうか。
勿論、フランクな云い回しが好まれる場合もあると思います。
でも、やはり言葉は良く考えて使うに越したことはありませんよね。


散文

おろりや おろりや おろ
おろりや おろりや おろ
おんころろ せんたぎや
おんかかかーび さんまえい
くーるくる おんたけや
悲しみの 鈴の音が
ちんちろちろりろ鳴り響く

夢で聞いた唄を思い出そうとして思い出せず、
さりとて曲を考える才能も無い今日この頃でございます。

25年程前でしょうか。
若くして夭逝された方の詩や日記が自費出版される。
マスコミ各社で取り上げられたことがございます。
「ぼくは12歳」
「光る砂漠」
「アジアの片隅で」
などといったタイトルが思い出されます。

性というものに悩み自殺さなれた中学生、
身体障害で車椅子のまま事故に遭われた高校生、
京大の大学院まで進まれて自殺なされたある種の思想をお持ちになられた大学院生、

自殺なされた方が多いようでございます。
今でもネット上で知り合われた方同士が一緒に自殺なさるケースも増えているようで
ございますが、
自殺はいけません。
人や神、沢山の方々に迷惑を掛けてしまう。
そしてまた死の恐怖と苦しみが尋常ではない。
その苦しみが障害となり成仏できないようでございます。
永遠に苦しまなくてはなりません。
少なくとも神様が見付けて下さり手を差し伸べて下さるまでは。

人は死んでしまえば無になってしまう。
魂なんて存在しない。
そういった思想を持ってしまいますと生きる目的も見出すことはできませんでしょ
う。
短い人生の後は無に帰してしまう。
そう考えますと悪事を行う方もおられますでしょう。
自暴自棄になられる方もおられますでしょう。
生きる意欲を失ってしまわれる方もおられますでしょう。
何と悲しい人生なのかと思いますよ。

魂は死後も永遠に存在し続けます。
そのことは私がサイト上で証明させて戴いております。
神様の優しさや暖かさを知れば、
決して自殺など考えることはございません。

供養して差し上げて下さいませ。


白装束集団がテレビや雑誌を賑やかせております。
千乃という女性をスカラー波から守るためにキャラバン移動を続けているようどござ
います。
彼等の教義の中では天使様が大王を名乗っていらっしゃる。
ミカエル大王?

あのね、
天使様は大王といったような権威は好まれないんですよ。
ですから、慎ましく天の使いであると名乗っていらっしゃった。
天使様が大王などといった位に御就きになられることは有り得ませんよ。

教義の中に数多くの矛盾が存在しても、
判断力の未熟さからそれを見抜くこともできない。
本当に盲信は恐ろしいものでございますね。
しかもかなり邪悪な気を発しておられますよ。
確かに天上界のことはかなり詳しく知っているようではございますが。

幸せとは一体どういった意味なのでしょうか?
しあわせ、仕合わせ。
神も人も、互いに仕え合ってこそ仕合わせが実現するのではないのでしょうか?
天使様は天に仕えるものでございます。
人は神や上司に仕えます。
一段高い所から見下すような存在は、
たとえ神であっても愚か者でございますよ。


ちなみに彼等の仰られておられるスカラー波はベクトル波に対しての用語であると思
われます。
方向性のない特定のポイントだけを攻撃できる、
呪いの怨念のようなエネルギーなんでしょうね。
最先端科学でもこういった兵器の製造は不可能でございます。
余程科学が進歩して、素粒子の解明が進まなければ為し得ないことでございます。


弱さの構造

人は気付かない間に何かに頼ってしまっているようでございます。

親に頼る。
会社に頼る。
宗教に頼る。
恋愛に頼る。

親に頼るのは、そこに安心できるものがあるからでございましょう。
会社に頼るのは、安定した給与を与えて下さるからでございましょう。
宗教に頼るのは、そこに何らかの教えがあるからでございましょう。
恋愛に頼るのは、そこに幸せがあるかも知れないと思われるからでございましょう。

とんでもない考え違いをされておられます。
不安があっても御自身で考えて行動しなければ、
不安を取り除く努力をしなければ、
天に入る資格は与えられません。

自ら光を放つ。
それが勇気となり自信となり、
魂としての大きな成長につながるものでございます。
その努力がなければ、
前進も悟りも近付くことはありませんよ。


陰徳

右手のしていることを左手に教えるな。
これはキリスト様の言葉でございます。

誰でも良い行いをしますと、誰かに話したくなるものでございます。
これはね、徳になります。
すればするだけ運勢が開けて参ります。

でもね、もっと素晴らしい陰徳というものがございます。
一年間、毎日スケジュール通りの正しい生活を行ってきた。
一年間、毎日祝詞を奏上した。
一年間、毎日公園の掃除をひとりで行ってきた。
誰にも話さず、自慢にもせず、
こういったことを行っておりましたら、
一年後その方は素晴らしい変貌を遂げているはずですよ。

簡単なことでも良いんです。
笑顔を心がけた、
誰とも喧嘩をしなかった、
食事を節制した、水を節制した。

効果なんてなくても別に構わないじゃないですか。
とにかく良い事を続けてみる。
気分も良いはずですし、
暫くしますと綺麗なオーラに包まれましてね、
生きていることが本当に楽しく感じるかも知れません。


文殊の知恵

筍が旬でございますね。
初鰹や新茶など、旬のものは運勢を良くします。
冬に繁盛した御店が夏には客足が途絶えている、
夏には暑苦しい御店なんでしょうね。

夏には夏の装いを、冬には冬の装いを、
春も秋も同様でございます。
24節季も大切なものでございますよ。

あ、筍です、たけのこ。

ある理由から昔よく通っていたスーパーの店長室でね、
この時期になると筍を茹でる匂いがするんですね。
店長さんに聞いてみました。

この時期の筍は高い。
旬のものなのに売れ残る。
そこで料理をしたこともない男連中が、
筍の煮方、味の付け方を学び、
研究に研究を重ねて、
美味しい筍の煮物を作った。

筍は買う人がいなくても、
調理された筍の煮物は飛ぶように売れるんですね。
調理代は1円も上乗せしていないそうです。

楽しく働くとはこういうことではないかと思いました。
旬の高価な筍を一人でも多くの方に食してもらいたい。
その熱意がこの偉業を成し遂げたんだと思います。
この店は放っておいても人気が上がりますでしょう。

文殊様の知恵でございますね。


ある食品工場にひとりの男がやって参りました。
「水」に関するある提案を持って来たのです。

その男はこう云いました。
井戸水を御使いになりませんか?
良質の水が得られますよ。
無料で掘って差し上げます。
その代わりに水道代を、水道局にではなく弊社に御支払い下さい。
かなり安くなりますよ。

これも文殊様の御知恵でございますね。

井戸掘り業者は井戸を掘るという投資を一旦行いますと、
長期的に安定した利益が発生します。
投資でございますね。
リスクの少ない、長期的にはかなり美味しい投資でございます。

食品工場は水道代が易くなり良質な水が使えるのですから、
願ったり叶ったりでございますよ。

素晴らしい御知恵でございます。


彼等が文殊様の御真言を唱えられておられたのかは知りませんが、
(おそらく唱えてはおりませんでしょう。)
文殊菩薩様の御真言は
「おん どっきゃ せいだ たん」
でございます。


気質

気質という言葉を辞書で調べてみますとね、
多血質、憂鬱質、胆汁質、粘液質という4つの気質があると載っております。
「かたぎ」ではありません。「きしつ」です。

それぞれに納得できることがございます。

多血質の方は余り考えない余り聞かない。
赤ちゃんがね、「オブー、オブー」と泣いておりましてもその意味が分からない。
これは幼児語で飲み物が欲しいと言っているんですよね。
横から教えて差し上げようとしましたが、
なにしろ多血質の方ですから、想像通り無視されてしまいました。
血の気が多いから怒り出すと手におえない。

憂鬱質、
私も以前はこの気質でございました。
くよくよ物事を考え、決して行動に移さないタイプでございますね。

胆汁質の方ではダミ声の方が多いような気がします。
肝もすわっており、良く考えてはおられるのですが、細かな配慮に掛けているように
感じます

粘液質、粘着気質と同義ですね。
いちばん厄介なタイプです。
御自身の考えが絶対に正しいと思いこみ、無理矢理にでも納得させようとします。
話をさせると説得力のない話をねちっこく長時間話し続けます。
宗教の勧誘員などがこのタイプですね。

人生におきましては、どれも必要不可欠な気質ではございますが、
行き過ぎはいけませんね。
中庸が肝心です。
よく考え、反省し、周りの人を参考にして丁度均衡の取れた状態を維持する。

御釈迦様の仰られる中庸や八正道の本質ではないかと思います。


宜保愛子様御逝去

5月6日、宜保愛子様が胃癌のため御逝去なされました。
魂の世界の存在を、今生きておられる方々に伝える。
それが彼女の使命であったように思われます。
相当に御無理をなさっていらっしゃたのでしょう。
病気も御自身の胸の中に隠していらっしゃったのでしょう。
本当に突然の悲報で驚きました。
天上にてゆっくりと休暇をお取り下さいますようお願いしたいと思います。

彼女は晩年運であったように思います。
若い頃には芽が出なかった。
ですが、晩年には大きな仕事を幾つも成し遂げ、
余り苦しむことなく天に召されました。

晩年運の方はね、
努力しても努力しても若い頃には芽が出ません。
やはりどこかに欲や条件反射の未熟さといった要因が残っているんでしょうね。
何をしても上手く行かない。
どうして自分だけが駄目なんだろう。
若い頃には必ずそう考えて悩むようでございます。

上手く行かないのは神様が守って下さっているからじゃないですか。
大きな使命を与えるには、
それ相当に成長しなくてはなりません。
成長するために厳しい試練が与えられることもございます。
でも努力しておりましたら、必ず報われる日が参りますよ。
神様は厳しいですがとてもお優しい方でございますから。


花

久しぶりに花屋さんで3種類の鉢植えの花を買って参りました。
赤紫色の花と赤くて白い縁取りのある花、
それと蔦のような楓の葉のような蔓草。
育て方を懇切丁寧に教えて戴くのですが、
やはり花屋さんの店先に置いてあった時よりも花の数が減っちゃうんですね。

恐るべし、花屋。

あ、蔓草は元気にしておりますが、お花の方がかなり弱いようです。
明日にでもHB101を購入してこようかと考えております。

でも、花にも魂がございますね。
魂がないとすれば、花の精さんがいらっしゃる。
以前、同じように花を育てておりましたが、
すっかり枯れて干からびてしまった木の枝から蕾ができて花が咲いたことがございま
す。
最期の力を振り絞って花を咲かせて下さったような感じです。

毎朝公園に出かけておりましたら、花が移り変わって行く様子が分かります。
今日はすずらんのような提灯の形をした花が高い木の枝に咲いておりました。
花壇の生い茂った草の下には沢山のきのこが生えておりました。

花はきっと、
命懸けで人の心を和ませるのが使命なんでしょうね。
地球を緑一杯の豊かな大地に保つことが使命なんでしょうね。
本当に有り難いことでございます。

私達もきっと、
私達の使命を命懸けで遣り遂げなくてはならないのでしょうね。
草花はそういったことを教えて下さっておられるんでしょうね。


追記

花を観察しておりましたら、少しずつ謎が解けて参りました。
鉢が小さいからこれ以上根を張れないよ。
だから今が全盛期なんだよ。
沢山花を咲かせているんだよ。
・・・と、こう仰っておられるんです。

大きな鉢と大量の腐葉土や栄養剤を買って参りました。
アルカリ性とか酸性とかそんなこともうどっちだって良い。
混ぜれば中和されるんだから。
ということで、えいやーっ!と大きな鉢に移しかえました。

小さな鉢から抜き取るとね、
根が飛び出さないように、薄い紙で堅く周りを巻いているんですね。
もう少し自由にして差し上げれば良いものを。
花屋さんも罪なことをなさいます。
人間の欲のために草花の命を犠牲にしていらっしゃる。

儲けを得るために弱いものを苦しめる。
欲のために、見栄を張るために、生きるために、
それでも絶対にしてはならないことでございますよ。
悲しい現実でございます。


出会い

このところ、沢山の出会いがございました。
若い女性でおまじないのことを教えて差し上げた方がおりました。
生まれて初めて天狗様の御真言を唱えられました。
唱えている最中にバタバタっと音がしましてね、
本当に天狗様が降りてきて下さった。
天地根源の神様にお願いする呪文を唱えますと、
一緒に唱えて下さる方がいらっしゃる。

私でも天狗様をお呼びしたことはございませんよ。
ご先祖様で大きな徳をお持ちになられた方がおられたのでしょうね。


絵馬

神社の絵馬、
これには皆様、御自身のお願いを書かれるようでございますね。
もちろんそのためのものでございますから、間違いではありません。

神社に参りましてね、
神社の神聖な気を浴びまして、
絵馬に「多くの人の苦しみが癒されますように、苦しむ人がいなくなりますよう
に。」
純粋な気持ちで心を込めて書きましたら、
嬉しい出来事が押し寄せて参ります。

私はいつもそのように書かせて戴いております。
本当に嬉しいことが沢山ございますよ。


散文

窓を開けておりますと心地良い風が吹き込んで参ります。
数種類の珍しい鳥の鳴き声も聞こえて参ります。
先日、一羽が飛び込んで来ましてね、
出窓のところでフンをして帰って行きました。
市街地のようなところでもそんなことがあるんですね。

羅漢様にお会いしに行きたいと考えております。
羅漢寺は100キロ程離れた場所でございますが、
ご表情が豊かでございましてね、
本当に生きてそこにおられるような感じがします。
魂があるんですね。
話し掛ければ笑って何か云って下さるのではないかと思います。


横山ホットブラザーズというトリオの漫才師がいらっしゃいます。
曲を演奏しながらの楽しい漫才をなさっておられます。
子供の頃からテレビで拝見させて戴いておりますが、
まだまだ長く続けて行って戴きたいと思っております。

彼等の漫才の中で、
ノコギリを叩いて人が喋っているような音を出すといった芸がございます。
ノコギリがね、「おまえはアホか」って喋るんです。
楽しいですけどね、
漫才では「アホ」とか「馬鹿」という言葉が結構多用されております。
誰かを見下して笑う、
そういった文化が漫才の中にあるのかも知れません。

横山ホットブラザーズさんもたまにはノコギリに、
「あんたエライなあ」といったような言葉も喋らせてあげて欲しいと思います。


悪夢

恐い夢を見ました。
夢の中で眠っておりますと、鋭い剣が床の下から突き刺さるんです。
幾度も繰り返し、私が寝ている場所の周りを突き刺すんです。
それが今度は壁から、
私の姿が壁の向こうから見えているように、
私のいる場所の近くを突いて来るんです。
逃げても逃げても剣が追い掛けて来るんです。

いや、命ぐらい取られても別に構わないのですが、
相当恐ろしい雰囲気がございまして、
顔面蒼白で心臓の鼓動は鳴りっぱなしでございました。

起きて考えますとね、
あの剣は不動明王様がお持ちになっている利剣でございました。
近頃お前はさぼりすぎる。
ぐうたら寝こけているばかりでちっとも成長せん。
というお叱りであったように思います。

真に有り難く申し訳のないことでございます。
精進しなくてはなりませんね。


悟りに至る道

悟りって何でしょうか?
以前にもこういったお話をさせて戴いたことがございますね。
何のためにって、
それは全ての人が幸せになるためでございますよ。
それ以外の目的で悟りを得るなんてことはあり得ません。
そのこと自体も宗教と勘違いされる方もいらっしゃいますが、
とんでもない。
宗教や精神世界とは全く違うものでございますよ。

物事の本質を見極め、常に正しい判断を出せる。
苦しんでいる人がおりましたらその鎖を解いて差し上げられる。
正しい道を指し示して差し上げられる。
それが悟りでございます。

真心、
思い遣り、
心からの優しさ、
誠実さ、
勇気、
忍耐、

現在、こういったことを多くの方が見失っておられますよね。
大切なことでありながら、
欲や煩悩に溺れて見向きもされないようでございます。

こういったことに注意を向け、
日々反省し努力を重ねておりますと心が軽くなって参ります。
こういった気持ちが神に向きますとそれが「義」になります。
人に向きますと「愛」や「慈悲」になります。

そうして更に
正しい生活習慣、正しい条件反射を身につけ、
判断力を研ぎ澄まし、欲をなくす努力をする。
これは本当に難しいものでございます。
修行僧などが荒行を行いますが、
こういった生活を維持し継続することの方がはるかに厳しい修行でございます。

こういった生活を続けておりますとやがては悟りが開け、
観自在の菩薩になるわけです。
心の周りのくもりがなくなりますので、
あらゆることが一瞬の間に見通せるんですね。

生命に囚われ、
自己の利益や欲に囚われている人には、
如何に遠い道程でありましょうか。


躾?

「子供は怒るんじゃなくて叱らなくてはいけないんですよね。」
そんなことを仰られる方がいるんです。
思い上がりも甚だしいですね。
悲しいやら情けないやら。

根拠を指し示して差し上げなければ、
誰も云うことを聞いては下さいませんでしょう。
根拠がなければ、強く叱っても反感を買うだけです。
話しを聞き、一緒に考えて差し上げなければ、
身内にはして貰えませんよ。

例えば玩具が欲しくて駄々をこねるお子さんがいらした。
「Aちゃんには毎月の月初めに買ってあげているでしょう。
来月までお待ちなさい。
それまで待っているともっと欲しいものが見付かるかも知れませんよ。
Aちゃんが頑張ってもっとお手伝いをしてくれると、
もっと早く買ってあげられるかも知れません。」
そう諭して聞かせるとどんなお子さんであっても納得するもんです。

御子様はね、相当頭が良いんです。
判断力と知識が若干乏しいだけなんです。
考える力は充分に備わっておりますよ。
叱ってはなりませんし、増してや怒るなんてとんでもないことでございます。

大人であっても、
例えば進捗が遅れている。
スケジュールと完成度を示して、遅れていることを理解して戴く。
どうすれば納期に間に合わせることができるのか、一緒に考える。
そういったプロセスを経ずに、
根拠も示さずに、
ただ「急げ」だけでは誰も納得しませんでしょうし、
誰も急ごうという気持ちになれませんでしょう。

たとえ御子様であっても対等に接することのできる素晴らしい方でしたら、
言わずもがななんですが。


今を生きる人へのメッセージ

人生は本当に厳しいものでございます。
魂を磨く修行の場でございますから当然ではございますが。

今はね、沢山の人が人生に疲れ果ててしまっておられます。
生きることを拒み続けている人もいらっしゃいます。
明日の不運を恐れ、現実から瞳をそむけてしまう。
そうして過去に囚われ、日々をただ無為に過ごされておられます。

一体、何故これほどまでに重荷を背負わなくてはならないのでしょうか。
それは恐らく、
厳しい人生を歩む者の道を塞ぎ、妨害し、
情け容赦なく攻撃する心無い方がおられるからでございます。

神様はそのような者を決して許しはなさいませんでしょうね。

それが人であっても、
邪悪な魂であっても、
地の底から這い上がってきた魔物であっても、
決して許すことはございません。

真の理を言い聞かせ、
耳を貸さぬものは八つ裂きにし、
地獄の底へ突き落としますでしょう。
或いは宇宙の闇に葬ってしまわれますでしょう。

神様は決してそのような者には負けることがございません。
ですから、皆様には現実から瞳をそむけることなく、
力強く前向きに安心して歩をお進め下さいますようお願いします。


散文

もうじき梅雨に入ります。
私の周りでは、至る所で紫陽花が咲き乱れております。
あやめ(菖蒲)、蛍なども季節を感じさせる美しいものでございます。

「蛍の墓」は可哀想でしたね。
そういえば蛍が出てくるアニメで好きなのがもうひとつありました。
幼馴染の男女が蛍を見に行く約束を小さい頃にしていて、
でも離れ離れになりそうになる。
で、山奥の川に蛍を見に行って抱き締め合う。
タイトルは分からないのですが、感動する物語りでございました。

これから雨の日が続くと思いますが、
是非皆様、御身体にお気を付けてお過ごし下さい。


方位学

吉方位というものがございます。
その反面凶方位というものもございます。
暦を見ますと四方八方が凶方位になってしまっています。
吉方位はほんの一部の方角だけでございますね。
実はね、吉神様より凶神様の方が数が多いんです。
もちろん凶神様であっても良い影響をもたらして下さることもございます。

凶方向に転居などを行ってしまいますと必ず何らかの影響がございます。
運勢がある程度強ければ全く問題は起きないんですが、
運勢が弱っておりますと、もろに影響を受けます。

方災除けの秘法というものは幾つもございますが、
いずれも現代にマッチするものではありませんし、
一般の方には非常に難しいものでございます。
吉日吉時に吉方位の神社を参拝し、神殿の床下の土を戴き、
酒と供物、冥加金を奉納し
新居で神棚に塩をかけて供えた上である祝詞を唱え、床下に撒く。
なんて誰がしますでしょうか。
神社の神主さんも相手にして下さいませんね。

難しい神言を唱えるというものもございますが、
意味を理解して、純粋な心で、命懸けで唱えなければ効果は期待できません。

運気を上げることが大切でございますよ。
早寝早起、一汁一菜、先祖供養、
日々の行いを省みて反省し、
沢山のものに感謝し、
周りの人の幸せを願い、役に立って差し上げる。
地に足をつけて秩序正しく生活する。
怒りの心を慎み、
人との和を計り、
楽しく笑って生活する。

簡単にできることではありません。
例えば早朝に公園に行き朝日を拝みながら深呼吸する。
これは私のお薦めなんですが、
これだけでもかなり運気は良くなります。
(以前にも何度か書かせて戴いておりますね。
馬鹿の一つ覚えでございます。お許し下さい。)

今日はね、雲一つない良いお天気でございましてね。
オレンジの綺麗な朝日が出ておりました。
空の色が桃色でございましてね、
本当に美しい世界でございますよ。

昨夜、どなたかが作業して下さったんでしょう。
大きな樹が植えられておりました。
かきつばたのような花も沢山植えられておりました。
殆どが蕾でございますが、暫くしますと濃紫の花が咲き乱れますでしょう。
有り難いことでございます。

公園をお散歩中の方に、
「おはようございます。今日は朝日が綺麗ですね。」
とお声掛けさせて戴きます。
こういったやり取りだけでも楽しいものでございます。


知性

人間って人より多少知識があると鼻が高くなりますね。
他人と知識の量を比べたがるんです。
こういったものは知性ではありませんね。
知識が人格を蝕むんです。
豊富な知識があっても自慢することにしか使われない。
そういった人は知識なんて持たない方が良いです。
霊性のある人間の意識ではなく哺乳類の意識です。
可哀想な人達です。

お金も知識も決して多ければ良いというものではありませんね。


恋愛

皆さんは一体何のために御付き合いなされるのでしょうか?
幸せで楽しく過ごすためではありませんか?
でも、喧嘩ばかりなさっておられるカップルって多いですね。

以前一緒に仕事をさせて戴いた方で、
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いつも遣り込められていた方は怒りや憎しみを持ち続ける。
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復縁を願われます方はね、
心から反省し誤りを見付け、
二度と同じ過ちを繰り返さない覚悟を持たなければならないように思います。
そうして、御相手様の幸せを願って差し上げ、
心から精神誠意詫びることが必要だと思いますよ。

心は一人一人の持ち物で好きなように操縦することができます。
その半面、神様であっても人の心は変えることはできないんです。
御相手様の気持ちを和らげ、再びその方の方を向いて戴くためには、
真心で精神誠意謝罪することが必要不可欠でございます。
そうしますと、御相手様も反省し悪い部分があったことを謝って下さいます。

御相手様が怒りや憎しみの心を抱えたままでは、
例え神様のお力添えがあったとしても二度と口を利いては下さいませんでしょうね。


一歩

季節はずれの話しで恐縮ではございますが、
毎年、初詣にあるお寺にお参りをさせて戴いております。
今年は布袋様を戴いて参りましたが、
この布袋様には秘密がございましてね。
一年目は小さな布袋様。
二年目は少し大きな布袋様。
三年目はもうひとまわり大きな布袋様。
といったように毎年、より大きな布袋様を戴いて帰る決まりになっております。

以前にこのようなことを書かせて戴きました。
「一歩進めば次の一歩が見えて参ります。」
「毎日が新しい人生の始まりでございます。
一日一日を精一杯力の限り生きておりましたら、
必ず何歩かずつは前進します。」と

でも、現実はそんなに簡単なものじゃないですね。
挫けることもございます。

それでもね、
皆様の御蔭を持ちまして、
私のところも来年からタウンページに掲載させて戴くことになりました。
一部の地域だけでございますが。
本当に有り難いことでございます。
いえ、決して自慢ではありませんよ。
ただ少し高い広告を出させて戴いたに過ぎません。
私自身、僭越だと思っております。
身の程知らずだと思っております。
でもね、嬉しくて仕方がない。

来年からは、今以上に頑張らなくてはなりません。
私のような怠け者にこれ以上頑張れるのやら、頑張れないのやら。

布袋様を見ておりますとね、
やはり人はこの布袋様と同じように年々大きくなって行かなくてはなりません。
歯をくいしばってでも、毎年成長して行けるように頑張らなくてはなりません。
神様に遣わされた魂である以上、
正しい道を歩もうとする神様の子である以上、
それは決して反古にしてはならない約束事なのだと、そう思います。

再来年はね、もっと大きな御報告をさせて戴きます。
これは私の皆様とのお約束でございます。
必ず実現させて戴きます。


散文

イカの沖漬けが冷蔵庫で唸っております。
造ったのはもうかなり前になります。
大蒜の醤油漬けもザーサイもあります。
こちらは買ってきたものです。
基本的に漬物が好きなんですね。
一番好きなのは白菜漬けです。

冷やご飯に冷たい味噌汁をぶっかけて食べる。
何故か私はこんなものが大好物なんです。
その時にね、白菜漬けがありましたら御の字ですね。
あぁ、神様、仏様、有り難や有り難や、
って気分になっちゃいます。

今日はねうどんに揚げ玉と玉子を入れて戴きました。
これもまた私の弱い胃腸を気遣って下さるような、
暖かく美味しいものでございました。
一食百円程度でございます。
でもたまには贅沢もさせて戴いております。

家の近くに沖縄の食品を扱うお店ができておりました。
毎日、サンタクロースのようなお髭を生やした店長さんが
一日中店頭に立って、道行く人にペコリと頭を下げて下さっているんです。
お話をさせて戴きますと50代半ばの店長さんで、奥様が沖縄出身だとか。
開店のお祝いに明太子と韓国海苔、とんこつらーめんを買わせて戴きました。
美味しくて一日で食べてしまいました。


今、公園にはヘメロカリスというユリ科の黄色い花が咲き乱れております。
ゆり独特の良い香りが辺りに満ちております。

公園にね、ゴミを放置して行く方がいらっしゃるんですね。
夜明けの公園には本当に沢山のゴミが散らばっております。
こんな方ばかりが来られる公園なら潰してしまえば良い。
神様がお怒りになられるのも当然でございますね。

沢山の方の愛情や優しいお心が分からないんですね。
可哀想でございますね。


生活苦

生活苦でご相談下さいます方が多いですね。
病気や人間関係までもが複雑に絡み合っている方もおられます。
頭を抱えてしまって、諦めモードの方もいらっしゃいます。
一つ一つ、原因と何が正しいのか、どうするべきかを見極めて行く。
根気は要りますが続けておりますと必ず何かが見えて参ります。

「お金がなければ食べなければ良い。」
これ、私の口癖なんですが。

神様がお救い下さらないのでしたら、
生きることを神様が許して下さらないのでしたら、
私は喜んで命を捧げるつもりでおります。
神様を称えながら朽ち果てるつもりでおります。

神様が地獄へ行かせるなら、
地獄の責め苦にも喜んで耐えましょう。
魂を戴いたということは、
それ以上に素晴らしいことでございますものね。

でもね、決してそうはなりません。
必ず神様がお救い下さいますよ。


縁

縁とは不思議なものでございます。
強く引き合う縁もあれば、反発し合う縁もあります。
互いに傷付け合いながらも、一緒にいなくてはならない縁や、
顔を合わせれば喧嘩ばかりしているのに、強く引きつけ合う縁、
強く引きつけ合っているのに、別れて暮らさなければならない縁。

きっとね、
それは神様や守護霊様に何かを教えられているんだと思います。
学ばなくてはならないことがあったり、
使命と何か関係があったりするのだと思います。

私も生まれてからの人生の全てが、
今の仕事の礎になっております。
ひとつひとつの出来事や苦しみなどの全てが上手く噛み合わさって、
まるでそこに道があったかのように、
曲がりくねりながら、
この場所に到達したように感じます。

思い起こしますと、
今までの人生で無意味だったことは何一つないんです。
ですからね、このことは確信を持って云うことができます。

無意味な出来事など一つもありませんよ。
無意味な縁など一つもありませんよ。

人生には終点はありません。
私の人生も、これから先どこに続いているかは分かりません。
皆様の人生も同じでございます。
でも不安になることはありませんよ。
ワクワクしながら、希望をお持ちになり、
続いている道を一歩一歩、
進んで行けば良いだけでございます。

このメールマガジンにも、沢山の方が御購読下さり、
沢山の方が離れて行かれました。
2つの道が合わさり、
暫くしますとその道がまた分岐していた。
それだけのことでございます。

人生もまた、そのようなものでございますね。
良いご縁であって戴ければと願っております。


散文

毎日ではありませんが朝は大体4時半に目覚めます。
公園に参りまして深呼吸をします。
なんかね、腐った豆を煮ているような悪臭がするんです。
近くに淀川が流れているからでしょうか?
琵琶湖からここまで流れて来る水は相当に汚れているのでしょうか?
近くに工場があるからなのかも知れません。
風向きによっては本当に息ができないんです。
まあ、良いんですが。

家に帰り仕事をしまして、
夕方になると疲れ果てます。
寝転んでおりますと開け放った窓から空が見える。
雲がね、ゆーっくりと流れて行くんです。
「なーんにも焦る必要はないよ。」
って仰って下さっているようで心が晴れ晴れとして参ります。

でもね、日によっては豆を煮る臭いがここまで流れてくる。(笑)

そういえばもうじき七夕ですね。

笹の葉さらさら
軒端(のきは)に揺れる
お星様キラキラ
金銀砂子(すなご)

五色の短冊
私が書いた
お星様キラキラ
空から見てる

晴れると良いですね。
七夕の夜は空を見上げて、ゆっくりと夏の風情を御楽しみ下さい。


京都ではそろそろ祇園祭りでございます。
優雅でしょうね。
来月は化野(あだしの)念仏寺の千灯供養がございますね。
所狭しと並ぶ沢山の石仏一体一体に蝋燭が灯っている情景は
一見の価値がございます。


感情

人には感情というものがございます。
正しい感情は理性や知性を育てます。
ですが、悪い感情は理性や知性の発育を妨げるものでございます。
感情を野放しにしておりますと、
次第に我欲が増え、苦しみが増えて参ります。
しっかりと御自身の心で感情を管理しなくてはなりません。

夫婦の関係であっても、
舅や姑と嫁の関係であっても、
親と子といった関係であっても、
御自身の感情のなすがままに行動し、
相手に迷惑を掛けておりましたら良い関係は築けませんね。

そうして、後でしっぺ返しを食らい、
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
私はなんて不幸なんだろうかと考える。
自業自得でございますよね。
ものごとの道理というものでございますよ。


今の人は感情を優先しますね。
例えば、どなたかのお子さんが殺害された。
悲しい事件が頻繁にございますが、
ニュース番組などでは必ず、
「我が子の命を奪った人が憎い。」とか
「子を持つ親の気持ちが・・・。」
といったような被害者の声が報道されます。
悲しいことであり、
そういった感情は周りの方々が支えて差し上げなくてはなりません。

でもね、
辛い気持ちも悲しい気持ちも、
心の持ち方一つで変えれるものでございます。

それよりも、
凶悪な殺人鬼に対して、
何故、この人には心がないのだろうか?
家庭に問題はなかったのだろうか?
生まれ育った環境に問題はなかったのだろうか?
社会に問題はなかったのだろうか?
といったことを解明し、
二度とこのようなことが起こらない、
このような殺人鬼が生まれないようにするにはどうすれば良いのだろうか?
親の役割、家族の役割、学校の役割、国や地方の役割、公的機関の役割は何なのか?
万人が一つになり考えて行かなくてはなりません。

感情の処理方法を論じるのではなく、
幸せな社会の構築のために、
何が一番大切なことなのか、
今後どうして行くべきなのかを、
悲しみに打ちひしがれることなく、
常に前を向き、
全身全霊で考えて答えを見付けて行かなくてはなりません。


十一面観音様

最近、流しが黒ずんで参りましてね。
綺麗にしなければと思いながら見ておりましたら、
何と十一面観音様の御尊顔が浮び上がっておりました。

下手なスケッチをして十一面観音様の御神体の写真と見比べておりましたら、
髪型から飾り物までそっくりでございます。
インスタントカメラを買って参りまして写真に納めさせて戴きましたが、
かなり暗く小さいので果たして写っているのかどうか。
近日、写真かスケッチをサイトに掲載させて戴きます。

私のような者の所にまで御姿を現して下さる。
本当に有り難いことでございます。


音楽

音楽も気や心を伝えるものでございますね。
以前、葉加瀬太郎さんという方の曲がテレビ番組で使われておりましたが、
素晴らしいですね。
今は亡きテレサ・テンさんの香港という歌は彼女の人生そのものでございましたね。
(古いですね。)
ブルースはアメリカ黒人の魂の叫びでございますね。
ジャズは軽快なリズムで楽しくなりますね。

素晴らしい音楽が本当に沢山ございます。
一つ一つの作品に魂があり、何かを訴えて参ります。

楽しく歌を唄う、あるいは演奏する。
そうしますと、楽しい気が伝わりまして楽しい空気に包まれます。
気というものは移るんですね。

昔ね、駅前でどこかの大学生20人程が輪を作って、
音楽を流して楽しそうに踊っておりました。
本当に楽しかったんでしょうね。
私にもその楽しさが伝わって来まして、
飛び入り参加して一緒に踊っちゃいました。
お馬鹿ですね。

本当に、楽しくしておりますと運がひらけますよ。
そして、気は移るものでございます。
皆様楽しくね、御過しになって下さいね。


戦後

1945年に戦争が終わりまして58年になります。
日本は平和憲法を採択し、一切の武力を放棄しました。
世界中に平和を発信し続けている素晴らしい国でございます。
これからもますます平和を推進して行かなくてはなりません。

皆様は日本が今後どのような国になるとお考えになられますか?
資本主義の国でしょうか?
それとも社会主義の国になっておりますでしょうか?

私は資本主義が理想的だと思います。
社会主義は管理社会ですからね、
政府があらゆることを管理し貧富の差を無くそうとする主義ですからね、
個性を生かした職に付くこともできない。
時には召集令状なんかが送られてくる。
そんな国は嫌ですね。

日本の未来はやはり資本主義でございます。
国の役割は大幅に縮小されておりまして、
個々人一人一人が責任を持ち生活している。
皆様が個性を生かした好きな職に就き、
互いに助け合いながら生活している。
ですから生活に苦しむということもありませんし、
犯罪もありません。

自分や自分の家族だけが幸せなら良いというお考えの方は一人もおりませんよ。
皆様が全人類の平和を願って活動されておられます。

いつになればそういう社会が実現するのでしょうか?
少なくともあと千年は掛かりそうですね。
もしかすると、決して実現しないのかも知れません。
青く美しい地球を破壊した人類として、
永遠に汚名を残すことになるのかも知れません。


落語

桂ざこばさんという落語家のお師匠さんがおられましてね。
多分、皆さん御存知だと思うのですが。

以前、彼のスリの落語を聞いた事がございます。
玩具屋で5円の鳥の形をした笛が売られている。
子供達が集まってどの笛が良いか選んでおります。
汚い着物を着たお子さんが一人おりましてね、
欲しそうに眺めているんです。
店主がね、
「お前どうせ買われへんねやから帰れ!」
とその汚い着物の子供を追い払っている。

その様子を見ていたスリが、
鳥の笛を盗って、分からないようにその子供にあげたんです。
後にその子供が笛を持っているのが見付かり、
犯罪者扱いされ、皆から白い眼で見られるようになります。
思い余ったその子は井戸の中にドボーンと身を投げます。

スリがそのことを聞きましてね、
この右手が悪いんやと言って右手を切り落としてしまいます。

オチはね、そのスリがまだ仕事を続けておりましてね、
「実はわたい左利きですねん。」
という少し期待外れのものでございましたが、
ざこば師匠の気迫の有る独特の語り口調でこの落語を聞かされますとね、
色々と考えさせられるものがございました。
今まで聞いたことのない素晴らしい落語でございましたよ。


散文

7月16日までお盆でございました。
少し高めの御酒を買って参りまして、ガラスのコップに並々と注ぎ、
三方に乗せまして、
お香を焚き、どっしりと腰を据えましてね、

神様、御先祖様どうぞ戴いて下さい。
悪さをせぬ魂の方もどうぞお寄り下さい。
とお願いします。

霊的な方とお話しするのに霊能力は必要ではないんですね。
もちろん有った方が便利でしょうが。
心というものが一番大切だと思いますよ。
こういったことをしたからと言ってどうなるというものでもありません。
神様や御先祖様に御挨拶して感謝申し上げているだけでございます。

別に無意味なことでも構いません。
私がやっていることはもしかすると殆どが無意味なことかも知れません。
でもやはり無意味なことなど何一つございませんよ。
現に私は多くの魂に守られておりますから。


私事

私がサラリーマンをやっておりました頃は酷いものでございました。

毎年年末になると風邪をひいて40度近い熱を出しておりました。
歯医者にも年一回は必ず通っておりました。
歯医者が嫌いで虫歯を放っていたんですね。
痛みに堪えられなくなって駆け込む始末でございました。

ストレス性の潰瘍になったこともございます。
便が真っ黒なんですね。
病院でね、
太い注射器でブスコバンという薬品をぶすっとお注射されまして、
バリウムを飲まされます。
先鋭恐怖症で注射針を見ますと貧血を起こすんです。
バリウムだって口に入れた途端に吐き出してしまいます。
本当に気の弱い人間でございましたよ。

ストレスで神経を患ったこともございます。
突然、頭の中がパニックになるんです。
息もできなくなって、周りの音が遠のいて行くんですよ。
恐くてね、苦しくて、どうなってしまうんだろうって思いながら、
精神科の医者に駆け込みました。
それから5年間精神安定剤を飲み続けましたね。

こんな状態でございましたから、
仕事も上手く行かない、
人間関係も悪くなる一方です。
本当に、嫌々働いておりますとろくなことがありません。

何をしても上手く行かない。
そういったご相談を戴くことがございます。
私と同じですね。

私はね、毎日祝詞(のりと)を奏上して神様をお呼びさせて戴きました。
正座しましてね、神様に御出で下さい、どうかお救い下さい。
心からそう強く願いましてね、供物を供えお辞儀をしまして、
力一杯に祝詞を奏上しておりましたね。
玄関を掃き、水を撒き、盛り塩をしまして、
おまじないの呪文も沢山唱えました。

神様が本当に来て下さったんだな。と感じたのは6ヶ月後でございました。
今は驚くほどの健康体でございますよ。
驚いたことに虫歯の痛みさえも消えてしまうんです。
医者はそれからもう何年も通ってはおりません。
まるっきり違う強い人生を楽しく歩ませて戴いております。

ですからね、
心から神様にお願いしたい、
そう感じた時に神様に精一杯礼を尽くし神様をお呼びする。

本当に効果がございますよ。


笑顔

笑顔も大切でございますね。
笑顔の人は放っておいても幸せになります。
苦しんでおりますと顔がこわばりますが、
笑顔でおりますと心が明るく輝いて参ります。

私はこれをニコちゃんの法則と呼んでおりますが、

テレビで拝見するような有名人は皆さん笑顔がとても美しい。
そして、よく笑いますね。
その表情を見ておりますとね、
あぁ、この人はこの仕事が本当に好きで、
生きていることが嬉しくて仕方がないんだろうな。
って感じます。

お腹に力を入れて鏡を見ながら笑顔の練習をする。
周りから見ておりますと不気味がられるかも知れませんが、

それでも私の恵比須顔もずいぶんと見られるようになって参りました
悪いものも笑顔の人間には近付けないものでございます。
笑顔でおりますと人生が楽しくなって参ります。
人生が楽しいとさらに笑顔になります。

笑顔の会でも創設するべかな。


千羽鶴

御心をお持ちでない方は何をされても上手く行きません。
自ら反省し過ちを見付けて改善するしか方法がない。
聞く耳をお持ちでない方に教えて差し上げても仕方がありませんから。
でもね、
私の経験ではただ一つ道を開く方法がございます。
以前、私が仕事としてさせて戴いていたものでございますが、

一番相応しい神様の御真言を唱えさせて戴き、
毎日十羽の鶴を折りまして、
30分拝みに拝み倒します。
神懸りしましてね、座がガタガタ揺れ出しまして、
合掌した手が大きく揺れ出します。

毎日約1時間ですね。
それを100日続けて行う訳です。
辛いことこの上ありません。
100日経ちまして、突然御依頼主の方に千羽鶴が届きます。
一羽一羽に神様の魂が宿っておりますから、
間違いなく御守り下さいます。

今まで2回程させて戴いたことがございます。
3人目の方がね、一ヶ月以上続けたところでキャンセルして来られるんです。
それじゃ、御心分だけでもとお願いしましたが、
結局、御支払い下さることはありませんでした。

魂の篭った約300羽の鶴も、
御心のない方の所へは行きたくないでしょうから、
仕方なく神社の人形供養の火に焼かせて戴いたんです。

残念なことでございます。
もう私もこれは絶対にやりません。

でもね、
御自身の業で運を閉ざされてしまった方は、
魂を込めて千羽鶴を折ってみて下さい。
もちろん御一人でね。

その方が、巷に売られている開運グッズなんかよりどれだけ強い効果があるか、
はかり知れませんよ。


宗教

先日もね、
ものみの塔などといった小冊子を持って伺って来られた方がおりましたが、
素晴らしいことが書いてあるから読め!
って仰られるんです。
書いてあることは大体見当が付きますので御断りさせて戴きましたが、
何故、そこまで自信を持って素晴らしいと仰られるのか、
私には理解できません。
だって、一人一人感性が違いますし、
素晴らしいかどうかはお読みになられる方が決めることでございますよ。

他の宗教勧誘員同様に、
この方も聞く耳をお持ちになられない方でございました。

万人の魂の中には真理というものが植えつけられております。
自然の法則と申しましょうか、
神の意識とでも申しましょうか、
心の闇を取り払うとそういったものが見えて参ります。
それは何一つ矛盾することなく体系付けられた概念でございます。
その万人の魂に眠る真理は全て同じ概念でございます。
例えばある方だけ、概念が異なっているなんてことはありません。

おそらく、その小冊子も
このメールマガジンと同じようなことが書かれているのでしょうね。
そして他の宗教団体と同じように、
必ず何ヵ所か間違いがあり、
宣伝広告があり、
自慢話があるんでしょうね。

判断できないと、間違いを信じ込んじゃうんですよ。
自慢話に感動し、宣伝広告につられて入信しちゃうんでしょうね。
そうして洗脳されて、
同じように小冊子を持って勧誘活動に励むんでしょうね。
「素晴らしいですよ」ってね。


言葉

以前から気になっていたのですが、
皆様はモラルとデリカシーの違いが分かりますか?
何かね、混同されていらっしゃる方が多いみたいなんです。

モラルは法律には触れませんが社会通念上守るべきものですよね。
法律の一歩手前にあるものです。
デリカシーは決して悪いことではないけれども
社会生活を潤滑にするために持つべきものでございますよね。
モラルの手前にあるものです。

私はそんなふうに認識しておりますが、間違っておりますでしょうか?


失礼なメールが良く舞い込んで参ります。
敬称に君とか、殿とかを使っていらっしゃる。
これって目上が目下の者に対して使うんですよね。
人をバカにする時にも使います。
ごくろうさまなんて言葉も同じですよね。

ある会社に健康機器の説明会に伺いました。
御自身の会社をわが社なんて言っていらっしゃる。
良い年をした会社の役員クラスの人物なんですが。
可哀想ですが、
あぁ、この会社も潰れるなって思いましたよ。


悲しいこと

私の所にも様々な方からの様々なお誘いがございます。
嫌な人達も沢山見て参りました。

愚痴を言っていても気付かない。
他人の悪口を言っていても気付かない。
誰かを見下していても気付かない。
思い上がりも甚だしい、
そんな方が本当に沢山いらっしゃいます。
特に宗教や精神世界系の人に多いですね。

自分が世界で一番物知りだとか、
パワーがあるとか、
そんなことばかり考えていらっしゃる。

そんなこと私には全く興味がないのですが、
私も同類の宗教や精神世界系の人間だとでも
思われているのでしょうか。
私も興味があるだろうと勝手に勘違いして自慢たらたら話をされます。

世界平和のためにお金が必要だとか、
そのために協力して欲しいとか、
私に強要して来られるんですね。
身の程を越えるような額のお金を得ようとすることは、
どのような目的であっても欲でしかありませんね。
お金なんて生活できるだけあれば充分です。
世界平和のための活動だって資金が無くても方法はございますよ。

それで占いや開運グッズなどを高い代金で買わせようとする。

くだらない。
本当にくだらないですよ。
意識がどれほど低いか、
反省しようとする気持ちもないから気付くこともない。

悲しいことでございますよ。


御心の未熟な方も多いですね。

そういった方が運気が衰えて助けを求めても、
御心のない方に誰が力を貸して下さいますでしょうか?
私だって嫌ですし、神様方も嫌だと思いますよ。

何かをしてもらいますと必ず御返しをするものでございます。
それが経済の基本でございます。
商品を戴いて、その分の感謝の気持ちをお金で御返しする。

ところがどうでしょう、
買い手に御心がないから売り手も代金を請求せざるを得ない。
売り手にも御心がないから高い代金をふっかける。
代金をふっかけるだけでなく、冷たい言葉もふっかける。
肉屋などは大量に防腐剤や発色剤をふっかける。
だから熱を加えますと嫌な臭いがしますよ。

本当に悲しい時代でございますね。


人類が発生しましてから、
まず心を大切にする時代がございました。
神といった概念も、
死者を埋葬する習慣も、
心を大切にしていたからこそ生じたものでございます。

その心を重んじる時代から哲学というものが生まれ、
哲学の中から芸術が生まれ、
芸術の中から科学が生じました。

そうして新しい時代は、金儲けです。
あるいはビジネス、詐欺、犯罪・・・。
科学の中から、
私達は一体どのような素晴らしいものを生み出したのでしょうか。

ですからね、
私達はもう一度心と言うものを見つめ直す必要があるんです。

人類がそのことを理解できなければ、
恐らく破滅まではそう長くは持たないと思いますね。

今でもどれだけ多くの人が苦しんでいることか知れません。
全て御心の未熟さが結果として現れているんです。
皆様が苦しむことがありませんように、
それだけは御願いしたいと思います。


お茶

以前ね、スーパーで買い物をしておりましたら、
どくだみ茶が凄い気を放っておりまして、
手に持ちますと熱いんですね。

最近は麦茶が熱く感じるんです。
なんでかなぁ、って考えておりましたら答えが出て参りました。
身体に必要なものが熱く感じるんですね。
有害なものは冷たく感じます。
これって気功の基本中の基本でございました。

お茶関係は熱く感じるものが多いですね。
健康に良さそうです。
最近は冷やした麦茶が本当に美味しく感じるようになって参りました。

冷水のシャワーも気持ちが良いですよ。
もうすぐ大暑ですものね。