癒しの世界全エッセイ集2004.11 5/7



残暑見舞

8月8日は立秋でございます。
暦の上では秋でございますね。

それにしても暑くなりました。
今日は汗をダラダラ流しながら洗濯と掃除を済ませまして、
入口の前に水を撒きました。
そうしますと何だか楽しくて嬉しい気分になるんですね。
不思議なことです。

朝起きまして、
「あぁ、今日もまたくそ面白くもない日が始まった。」
などと思いながら二日酔いの頭をボリボリとかきむしる。
私も数年前まではそんな日が続いておりましたが、
これはいけません。
御自身で幸せを逃しているようなものでございますよ。

朝は誰よりも早く起きまして一杯の冷たい水を飲む。
屋外に出て深呼吸をして、
部屋の窓を開け空気を入れ替えます。
そうしますと、次第に気合が入りまして、
よし、今日も頑張るぞといった感じになるわけでございます。

ダレておりますと暑さにやられます。
私の周りには食欲をなくしておられる方が多いです。
そんな年代なんでしょうね。


先日は隣町で花火大会がございました。
私の部屋の南向きの窓から、
建物の間に花火が見えました。
綺麗ですね。
神様は私のためにこんなに良い部屋を用意して下さった。
有り難いことでございます。


テレビではSARSの話題がすっかりなくなりました。
今年は海外に御旅行される方も多いのではないでしょうか。
南の島なんか良いですね。
マウイとかモルディブとか、沖永良部島とか、
ダイビングして、魚を採って、バーベキューして。
最高でしょうね。

水平線から大きなオレンジの朝日が昇りまして、
水平線に大きな真赤な夕日が沈みます。
皆様は覚えておられますでしょうか?
朝日や夕日が本当に大きく見えるんですよ。

御旅行なされる皆様、どうか御気を付けてお出かけ下さい。
御旅行なさらない皆様も、良い夏の思い出ができますように。


幸せ

私が一人暮しを始めましたのもちょうど今頃の時期でございました。
入社して、少しずつ貯金を貯めまして、
ボロボロの下宿屋の一室を借りたんですね。
風呂、トイレ付き2万2千円。
陽の光が全く射し込まない暗くて汚い部屋で、
テレビもラジオもない暮らしでございました。
それでも、その頃は楽しかったですよ。

どこかの部屋でテレビを見ているようで、
その頃流行していた「ケンちゃん」なんて歌がかすかに聞こえて来るんですね。
良い歌だなあと思いながら聞いておりました。

ですからね、
幸せなんて収入や貯蓄額、恋愛なんてものとは関係ないんですね。
幸せだと感じれる自由な心が本当に幸せなんだと思いますよ。
少なくとも私はそうでしたから。


前生

その頃の友人でね、
お顔の彫りの深い、外国人のようなお顔立ちの人がおりました。
純粋な日本人なんですけど、異国情緒溢れるお顔立ちなんです。
ある時、宴会でその友人が呑み過ぎましてね、
意識をなくしてしまわれたんです。
意識がないのに、「OK、OK」って仰っておられるんですね。

急性のアルコール中毒で脳が麻痺しているんですね。
恐らく彼の守護霊さんは外国人で、
彼の生命を守るために身体の中に入って下さっているんですね。
それで周りの人を安心させるために、
大丈夫、大丈夫と言っているんです。


最近、テレビで生前の記憶を持つ人のことが取り上げられておりました。
多くの人は生前の記憶を直に生まれ変わりに結び付けてしまいます。
恐らくこのアルコール中毒になった彼のことも、
生前の記憶が「OK、OK」と喋らせたのだと結論付けるんでしょうね。
守護霊様や指導霊様のことを知らないのですから仕方ないのかもしれませんが、
導き出せる答えは一つではありませんよ。

それに、お亡くなりになられてから前生を思い出された霊の話しも
聞いた事がありません。
人間が肉体を持っているのはね、
まだ生まれて間も浅く、魂として自立できないからだと思いますよ。
蝶で例えますとさなぎの状態ですね。
蝶になりますとさなぎに戻ることはありません。

前生療法で過去の記憶が蘇る例があるようですが、
これもね、アルコール中毒になった彼と同様の現象でございます。
意識が催眠によって生前までさかのぼりますと身体の活動が停止する恐れがありま
す。
それを防ぐために守護霊様が代りに身体に入って話しをなされるんですね。
もしかしますと、守護霊様も催眠に掛かるのかも知れませんね。

魂として天に入りましたら解かることでございますよ。


金儲け

先日も名も知らぬ大学から、
名誉博士号にしてやるから金を払えといったようなレターが届いておりましたが、
本当に嫌な時代でございますね。

名誉もお金も、そんなもの欲しくはありませんよ。
生活できるだけのお金はね、
神様がちゃんと準備して下さいます。

宗教や精神世界にしましてもお金儲け目当てが多いです。
基本的に正しいお心をお持ちの方が個人でされている場合には問題はないんです。
ところが皆さん信者をかき集めて団体にしようとされる。
団体にしてしまいますと、
必ず悪い心を持った人が入り込んで参ります。
建物の一つを建てるのにも信者の寄付が相当必要でございましょう。
教祖が信者に多くのことを強制する。
独裁国家さながらの様相でございます。
そうして一体何人の方を救って差し上げられたのでしょうか。

ひとつひとつ物事を熟考しましてね、
正しいと確信を得られたことを周りの方々に教えて差し上げる。
1人から2人へ、2人から4人へと伝わって参ります。
強制することは必要ではありませんよ。
団体にする必要もありません。
気の合う者同士が集まって勉強会でも開けば良いことでございますよ。

幸せに向って進み出して下さること、
それだけが私の願いでございます。


お彼岸

お彼岸は波羅蜜多(パラミター)の日本語訳でございます。
パラミターは煩悩を離れて悟りを開いた心の状態のことでございます。
お釈迦様が悟りを開いた心の状態を河の向こう岸に例えまして、
彼岸(かのきし・ひがん)と教えたものでございます。
悟りを開く前の心の状態が河のこちら側で、
此岸(このきし・しがん)でございます。

どこかで勘違いされたようでございますね。
今はね、
死者が成仏して彼岸に到達するもので、
三途の川の向こう岸が彼岸であるとそう認識されております。

三途の川の三途とは、
餓鬼界、畜生界、地獄界に続く三つの途でございます。
餓鬼は満足して感謝することができない魂でございますね。
足ることを知りませんので、いつまでも飢えと渇きに苦しみます。
畜生は動物的に生きてきた結果、
魂の大脳皮質に相当する部分が形成されずに、
肉体は人間であっても魂はけだものの姿をしているものでございます。
地獄は心がひとときも安らげない世界でございます。
阿修羅地獄などは争いを好み闘争に明け暮れる世界でございます。

お亡くなりになられてから、
そういった世界に連れて行かれるということではございませんよ。
生きている時から心の状態によりまして、
御自身で籍を置かれていらっしゃるんです。

日本は競争社会でございます。
競い合ってより良い地位や収入を得ようとしております。
ですから、沢山の方が餓鬼や畜生、阿修羅になっておられるのではないかと
感じております。


魂

優しくなろうとすることはそれほどにまで難しいことなんでしょうか?

もちろん厳しく接することが必要な場合もございますが、
美しいものも邪悪なものも全て両手に抱き締めましてね
「私はあなたを愛しています。」
「憎しみなんか捨てておしまいなさい。」
「魂を授かったということはとても素晴らしいことなんですよ。」
御自身に言い聞かせるようにそうつぶやいてみて下さい。
邪悪なものであっても悟って成仏して下さいます。

光りを放ち、
全てのものを美しい光りで包み込むんですね。
欲の愛では絶対に光りは放てません。
純粋に、幸せになって欲しいと願う気持ちが魂を輝かせるのです。

でも私がこれをしますと、異性であれば嫌がられますね。
同性でしたらもっと嫌がられます。

命はね、
自分のために使うこともできますし、
他人のために使うこともできます。
でもね、
御自身だけ良くなろうとしておりますと、どんどん悪くなります。
愚痴が増え、どんどん魂が暗闇に包み込まれます。
或いは怒りと憎しみでで真赤に輝く阿修羅になってしまいます。

命を掛けてでもこの人に幸せになってもらいたい。
そう思える心が何かを動かすんですね。
心からそう願えるようになって、
それでも何も変わらないようであれば、
神様が無視なさるのであれば、
そんな神様は叩きのめしてやって下さい。

そんなもんですよ。


散文

たまにね、
メールの最後に「バイバイキーン」なんて書かせて戴きます。
楽しくて良いかなあと思って。
これって、どうなんでしょうか。
やっぱり、幼稚だし、ちょっと古いし、って思われているんでしょうか。

先日もまた、変なおじさんの歌を歌いながら歩いておりましたら、
またもや近所の酒屋さんが賞味期限切れの赤いきつね(カップうどん)を沢山下さい
ました。
本当に幼稚な人格でございますよね。
でも楽しいからそれはそれで改めることもないかなと思っております。
次は南京玉すだれの歌を唄いながら店の前を歩いてみようかしら、
などと考えております。

あそうです、
楽しくしていることが大切だと何回か書かせて戴いたことがございますが、
これはね、楽しければ良いということとは違いますよ。
楽しければ良いということは、自分さえ良ければ良いということですからね。
周りの人も含めて楽しくしていることが大切なんですよ。


旧盆も終わりました。
旧盆にね、神様に御供えしようと梨を2玉買って参りまして帰途を歩いておりました
ら、
よく遇う歯のない足の悪いおじいさんに遇いました。

このおじいさん歯がありませんのでね、
何を喋っておられるのかが全く分からないんです。
「お元気ですか?」とお聞きしますと顔をしかめまして、
笑いながら何やら答えて下さるんです。
どうもね、「暑くてさっぱりやがな。」というようなことを喋っておられるようで
す。
「まあそう仰らずに楽しくお過ごし下さいよ。
元気にまだまだ長生きしてもらわんとあかんのですから。」
と、私も何があかんのかさっぱり分からないのですが、
取り敢えずありきたりのことを申し上げましてね、
梨を1個差し上げて帰って参りました。

このおじいさんとも天国で再会しましたら、
良いお友達にして戴けるのではないかと思っております。
今は会話ができる状態ではありませんから。
でもね、その時はゆっくりと昔話でもしながら笑えれば良いかなあと思っておりま
す。


神社参詣

近くの神社に頻繁にお参りさせて戴いております。
ポケットの小銭を貯めておきまして、ビニル袋にごっそり入れてお参りします。
ここの神社には稲荷様や恵比寿様、大黒様、産土の神様、戦死者の魂など、
沢山の神様が祀られております。

それぞれの御社に一掴みずつのお賽銭を入れまして、
神様方、御先祖様方に、
ご縁の有った皆様方や霊的な方をお守り、お導き下さいますように、
とお願いさせて戴きます。
もちろん私自身のこともお願い申し上げますよ。

小銭がない時には千円札を賽銭箱に入れさせて戴きます。
賽銭箱って面白いですね。
お札ですと、必ずと云って良いほど突っかえます。
中まで入らず途中で留まっているんです。
これ、噛みおわったガムで簡単に取り出せるぞ、って考えてしまいますが、
そんなことしちゃいけませんね。

神社に参詣しました日には、本当に楽しい気分で過ごさせて戴く事ができます。
やはり神社には本当に良い気が流れておりますね。
良い場所と広い空間、
それに何よりも毎日祝詞を奏上して神様をお呼びしておりますからでしょうね。
私もそういった場所で祝詞を奏上させて戴きたいものでございます。

本当に神様と気軽に御話しさせて戴ける場所でございますよ。


努力

私が24歳の頃東京に転勤になりまして、
そこで当時の私の上司であった山田さんという方と知り合いました。
青森の御出身で、「梨」と「茄子」の発音が曖昧な方でございました。
でもしっかりとした標準語を御話しになられておりました。
とにかく御酒の好きな方でございましてね、
そのためか御顔が赤く焼けておりました。

当時、新聞を読む習慣もなかった私に向って、
始めて会ったその上司は、
「日経新聞を読んで来なさい。
朝礼前の20分間、その記事について語り合いましょう。」
というようなことをのたまわれました。

毎朝、駅で日経新聞を買いまして、
不道徳ながらも満員電車で1面程度読みましてね、
来る日も来る日もそれを繰り返しまして、
山田さんとその新聞の記事について御話しさせて戴く毎日でございました。

その方はね、
私の記憶に基ずいた全ての発言に対して、
記憶の誤りを訂正して下さり、
記事の詳細に及ぶまで噛み砕いて説明して下さるんです。
何も見ずにですよ。

その時には気付きませんでしたが、
その方は、毎朝毎朝私のために、
日経新聞を隅から隅まで、
頭に叩き込んで下さっていたんですね。
おそらく早朝に新聞が届きますとすぐに読み始めて、
命懸けで読んで覚えて下さっていたんです。

力ずくの努力というものを私はこの時始めて目の当たりにしました。
力ずくの努力、
それが彼の開運の法則なんでしょうね。
「梨」と「茄子」を正確に言い分けられない彼が、
標準語を御使いになられていらっしゃるのも、
力ずくの努力の賜物であると理解できました時には、
本当にね、
涙がこぼれましたよ。

始めて赴任して、
信頼できる人間かどうかもわからぬ私に、
力ずくで努力することの大切さを教えようとして下さる。
努力や記憶力を自慢する気持ちなど微塵もなく、
純粋に育てて下さろうとしているんです。

2年間一緒に仕事をさせて戴きまして、
何度も御食事を御馳走になりました。
私の昇進にも一役買って下さった、
有り難い神様のような方でございます。

その方の発言で記憶に深く残っているものがございます。
「ナスと牛乳のジュースは美味しい。」
のだそうでございます。
皆様、良く考えてからお試し下さいね。


料理研究?

うーん、料理と云いますか、酒のつまみ程度なんですが、
本当に幼稚ながら、楽しいのでやっております。

蕎麦つゆはかなり重宝します。
蕎麦つゆに砂糖と水を加えまして、
スーパーなんかで安く売られている魚のアラを煮ますと、
美味しい煮魚ができあがります。
これに生姜なんかを加えますともっと美味しくなるんでしょうね。

蕎麦つゆに砂糖と水を加えたものに玉葱を入れましてね、
煮まして、市販の安いコロッケを入れまして、玉子でとじます。
予算のある時には鳥カツなどを玉子でとじます。
美味しい玉子とじができあがりますね。

この蕎麦つゆに砂糖を入れたものはすき焼きのタレにもなります。
ラーメンに入れる煮豚なども美味しく作ることができます。
肉じゃがもよく作りますよ。
砂糖を多い目に入れますと、
ブリ大根や里芋の煮っころがしモドキなんてのも作れます。

蕎麦つゆだけでも、
油でうどん玉を炒めて、蕎麦つゆを少し振りかけますと関西風焼きうどんになりま
す。
鰹節なんかをふりかけますとちょっとした一品になります。

蕎麦つゆがなくても、
ミリンと醤油とお酒とダシを同分量混ぜましたら代用できます。

うどんダシも重宝しております。
これで大根のオデンを作りますと安くて健康にも良いです。
うどんダシを御湯で煮詰めて冷やしますとダシ醤油としても使えます。

マヨネーズは和辛子と混ぜてマスタードのようなものを作ってみたり、
春雨に掛けて塩胡椒してサラダ風にしてみたり、
春雨の代りにスパゲッティを使ってみたり・・・。
ケャップは素麺と油と塩胡椒で、
なんだか分からないけど美味しいものができ上がります。

貝類は濃い塩水で茹でますとそれだけで美味しくなります。

にんにくを大量のバターで揚げましてね、
それをバターごと冷やしまして、
焼いたフランスパンに塗って食べると美味しいです。

毎日、こんなものを美味しく戴いております。
私の口が美味しいと感じているだけで、
皆さんの御口には合わないかも知れません。
でも案外安く簡単にできるものでございますね。
一食数十円なんですから。

あ、茹でたうどんに酢と醤油、唐辛子、葱をかけて食べると美味しいそうでございま
すよ。


不動産

最近、不動産に関する御問い合わせがございましたので、
若干御話しさせて戴きます。
お不動様ではありませんよ。
お不動様はなにものにも動じない不動の強い信念を持つ神様でございますが、

不動産を購入する、
或いは家を御建てになられますとね、
その不動産の持つ強いエネルギーに影響されます。
ですから、
どなたでありましても人間関係が変りますし、
意識や性格、趣味、嗜好、貯蓄額、
職場にありましては仕事の役割までも変ります。

御結婚なされましても、
御子様を授かりましても、
高級車を御購入なされましても変りますが、
不動産を御購入なされました際の変化はひときわ大きいものでございます。

変化があるくらいなのですから、もちろん波瀾もございます。
何も無いなんてそんなことは有り得ません。

お金遣いの激しい人が波乱万丈の人生を御送りになられる。
これはね、
徳が充分に身に付いていないんですね。
御自身の器以上の浪費をなされますと必ず振り回されます。
金神様の御怒りに触れるのでしょうかね。

不動産を御購入なされますと、
さらに強いエネルギーを受けることになります。
土地神様や土公神様、鬼門、裏鬼門、
青龍、白虎、玄武、朱雀
などといった古来からの言い伝えもございますが、
波瀾や変動を巻き起こす強いエネルギーを避けるための、
御先祖様の御知恵であったように思います。

でもね、
人間と言うものは災難に向き合うことにより運勢が強化されるものでございますよ。
どっしりと構える、
或いは塞翁様のように何があっても平然としている。
悪い出来事も良いように考え、
嬉しい出来事があっても警戒を怠らず、
と、それが良いのかも知れません。

それからね、
波乱万丈の人生を御過しになられて来られた方は皆さん、
晩年には素晴らしい人生を過ごしていらっしゃるようでございますよ。


メール

毎月、百通程度のメールを賜ります。
同業者さんもいれば、
御悩みを抱えていらっしゃる方や、
重い御病気に苦しんでおられる方、
自殺志願者の方もいらっしゃいます。

僭越ながら、御節介ながら、
人生相談のようなことをさせて戴いておりますが、

御相談のメールを賜りました際には、
優しい気持ちと強い力が湧き上がって参ります。
人生を左右するような御相談には、
心を込めて、1時間以上掛けて返信させて戴きます。
返信させて戴きました後はね、
自分でも人格が変っているのが分かります。

皆様から御力を戴いているんですね。

結婚が決まりました。
就職が決まりました。
御客さんが増えました。
そういった御報告を戴きますと本当に嬉しいものでございます。
中にはね、神様が来て下さったとか、
守って下さっているのが分かった、
と仰られる方もいらっしゃいます。

良かったですね。本当に良かったです。
私はその程度のことしか御返事を差し上げられないんですね。
困っておられる方には幾らでもアドバイスさせて戴けるのですが、
喜んでいる方には一緒に喜ばせて戴くことくらいしかできません。
もともと、非常に無口で不器用な人間ですから。

でもね、
こういったご連絡を賜りますと、
私ももっともっと精進させて戴かなくてはならない。
そう思います。

やはり皆様から御力を戴いているんですよ。
サイトやメールマガジンの御意見・御感想を下さった皆様からも、
励まされ、癒されたりしております。
癒しのメールマガジンで私が癒される。
不思議なものでございますね。

本当に有り難いことでございます。
神様仏様でございます。
ありがたやありがたや・・・。(笑)


阿Q正伝

この稚拙なメールマガジンをお読み下さっておられる方でしたら、
恐らく魯迅という作家もこの小説も御存知なのではないかと思います。

清の時代のことでございますから、西暦1600年代の話しでございますね。
阿Qと呼ばれていた名もない、でも学のある男が職を失い、
犯罪を重ねて失墜して行く様子が描かれております。

私の住んでおります場所は痴漢やひったくりで有名なところでございます。
失業率も非常に高く、経済的に行き詰まり犯罪に手を染める方も後を断ちません。

阿Qの住んでおりました400年前の清の状況と、
私の周りの状況はさして違いがないように感じております。
犯罪を犯す者だけの責任ではありません。
国、地方、政治家、教育、経営者、地域住人、全ての責任でございます。

人の意識は400年間全く成長していないのではないかと思えて参ります。
全く以って悲しいことでございます。


一汁一菜

米と味噌汁、それに菜のもの。
これが一汁一菜の食事でございます。

お酒を戴く。
1合程度なら健康にも良いものでございます。
神経の緊張を解し、胃を活性化して下さいます。
ですが大量の飲酒はいけませんね。

アルコールは腸内の善玉菌を殺してしまいます。
その上脂肪分ばかり摂取しますと悪玉菌ばかりが増殖します。
ガスが大量に発生して胃にまで上がって参ります。
食欲がなくなるんですね。

やっぱり米を食わにゃーなりません。
昔の人は一汁一菜なんて良いことを云っております。
続けましたら胃腸も健康を取り戻して下さいます。
胃腸が悪いと運気も下がりますからね。
私も人のことは云えませんが、

今日は里芋の煮物を作りました。
神様にも召し上がって戴きました。
とっても軟らかくて美味しいです。


前向きな生き方

人間って、どうしてこんなに弱いんでしょうね。
振られたとか、捨てられたとか、不運だとか・・・。
悩んでもどうしようもないことで悩んでおられますよね。

皆様にはもっと前向きに、
力強く生きて戴きたいと思います。
そうして、
人が幸せに楽しく暮らして行くためのお力になって戴きたいと思います。
そうしますとそれが皆様にとって、
本当に幸せなことだと感じることができるようになりますでしょう。

歩くことを拒みダダをこねているようでは成長はありません。
苦しみも増すばかりでございます。
心の傷を癒すためにも、
心に背負った重い荷物を下ろすためにも、
目的地に向って歩き続けなくてはなりません。

皆様はもう充分に認識されていらっしゃるではありませんか。
自分に優しく人には厳しい、
それがどんなに身勝手で愛されない人格なのか、
自分に厳しく人には優しく、
それがどんなに素晴らしいことなのか。

義とは何か、愛とは何か、人間が生きている理由、
そんなことを過去に書かせて戴きました。
どうか忘れないで下さい。
自分には関係のないことだと放ってしまわないで下さい。

もう何人もの方がね、
感謝の気持ちを育て上げ、
神への奉仕の心を持ち、
様々な方法で他人の幸せのために心を砕かれていらっしゃいます。

満足して感謝します。
感謝しましたら、次は誰かの幸せを願って差し上げることです。
そうしましたら、何か活動せずにはいられなくなりますでしょう。
心が満たされて、信用も、地位も。名誉も上がります。
さらに大きな満足が得られます。

逆にね、
不満や悪口は信用を損ねます。
さらにレベルの低い仲間を呼び集めてしまいます。
不満がさらに状態を悪化させてしまうんですね。
その行き付く先は悪魔です。
悪魔は黒光りしておりますよ。
私は嫌いですね。


散文

今朝は南向きの窓から黄色の朝日が射しこみまして、
西側にお祀りしております七福神様の御顔を照らし出しておりました。
七福神様方が朝日をながめていらっしゃったんですね。
今日はね、良いことがございますよ。

昨夜は薄桃色の半月が出ておりました。
私の近くにはコスモスの花が咲き乱れております。


ある方から桃を賜りました。
「さえざえと水蜜桃の夜明けかな」
どなたかの俳句がございますが、
枝にたわわに実る桃が黄色と桃色の模様であったのを毎日眺めておりまして、
日が昇る直前の光景のようだと感じていたのでございましょう。
ある日桃の実が熟して全面真赤に熟れているのを見まして、
ああ、桃の実も夜明けを迎えたんだなあ、と考えたのでありましょう。
素晴らしい観察力でございますよ。
感受性を鍛え上げておりませんと、そこまでの俳句は読めませんね。


近くの贔屓にさせて戴いておりますお店に買い物に行きまして、
図々しくも椅子に腰を下ろして店長さんととりとめのない長話をしました。
帰り際に買い物をしようとしますと、
いつも買わせて戴いている所為か、気を使って下さって、
「御無理をなさらないで下さい。」なんて仰られる。
それにおまけまで付けて下さって、
この店長さん、売りたいのやら売りたくないのやら、良く分かりません。
本当に商売っ気のない方でございます。


最近、隣の駐車場のノラ猫は
どこで覚えたのか、お腹が減りますと「ちょうだい、ちょうだい」と鳴くようになり
ました。
知能は低くても、
彼等は平均的な人間より優れた美しい心を持っています。

犬などは訓練で理性や知性を鍛え上げて、
盲導犬や警察犬、救助犬等、立派なお仕事をなさっておられるものもおります。
食事を与えて下さった方には精神誠意尽くし、愛を与えて下さいます。
知能があるから人間の方が偉いなんていうのはね、
本当に人間の勝手な思い上がりなんですね。


祝詞

私の周りでも祝詞を御奏上なされる方が増えて参りました。

力一杯に祝詞を奏上する。
そうしますと、とても爽やかな気分になれます。
体調によりましてね、
特に胃腸が悪かったりしますと力一杯奏上できないんですね。
今一つすっきりしないんですよ。
力一杯に祝詞を奏上しますと汗をかきます。
でも駄目な時は幾ら頑張っても駄目ですね。

そんな時には打って付けの歌がございますよ。
「あっきらめましょう、あきらめましょう、すっきりしましょう、パッパッパヤッ
パー」ってね。
どなたのどういった歌だったかは覚えていないんですけどね。

でも祝詞は本当に良いですね。
心がこもりますと誰が奏上しても効果がございますよ。


石畳の道

私が子供の頃にはね、
まだあちらこちらに石畳の道がございました。
路地裏などに入ってみますと石畳が敷かれていたりしまして、
濃紺が砂埃をかぶって灰色っぽくなっているアスファルトよりもね、
心が和らげると云いますか、
何だか落ち付くような、
気分が軽くなるような感じがしたものでございます。

神戸の海岸の近くの通りなども、
昔は石畳があったように記憶しております。
でも今は殆どがアスファルトに変わってしまっているんですね。
寂しいような気がします。

京都にはまだ石畳の道が残っているようですね。
歴史の町でございますからね。

少し前にテレビコマーシャルで、
「丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条・・・」
(まるたけえびすにおしおいけ、あねさんろっかくたこにしき、
しあやぶったかまつまんごじょう)
というようなわらべ歌が使われておりました。
京都市の北から南へ、
通りの名前の頭を取って並べただけのものでございますけれども、

昔は、石畳の情緒豊かな道でございましたので、
わらべ歌にして唄い伝えられて歴史に残っているのでございましょう。
これがアスファルトの道でしたら、
誰も歌にして残そうなどとは考えなかったのではないかと思います。
そうして、
人はこの歌を唄いながら蛸薬師様を御参詣したり、
魚の棚に魚を買いに行ったりしていたのでございましょう。

まあ、私の推測にしか過ぎませんが。

蛸薬師様はね、
修行僧が病気の母のために蛸を買って来たんですね。
壷に蛸を隠してお堂に帰ろうとしますと、
人々が蛸の生臭い臭いを嗅ぎ取りまして、
「おい、生臭坊主!ちょっとその壷の中を見せてみろ」
と強引にその壷の蓋を取ろうとするんです。
修行僧が薬師如来様に助けを求めますと、
蛸が有難い経典に変わっていたという言い伝えでございます。

だから蛸薬師様なんですね。
きっと御母様の御病気も良くなられたことでございましょう。


御釈迦様

御釈迦様が慈しみの心の大切さにお気付きになられましたのはね、
長い修行の旅の途中でございました。
食べるものも食べずに、
誰にも負けない厳しい修行のために、
目は落ち窪み、頬は痩せこけ、
身体は骨川筋衛門だったようでございます。
それでも心は安らぐどころか、
ますます暗く沈んで行くんですね。

村の娘さんがね、
山羊の乳を差し出しまして、
これで栄養を付けて下さいと申し上げまして、

御釈迦様はね、
それが慈しみの心であること、
今の自分に取って、それがどれだけ有難い思い遣りであるか、
厳しい修行でも悟れなかったものを、
この娘さんが教えて下さったんだ。
ということを理解しまして、
厳しい修行をしても何にもならないことを思い知らされたんです。

山羊の乳を戴いた後は厳しい修行も止めまして、
心安らかに過去を反省する毎日でございました。
間も無く菩提樹の下で悟りを得られたんですね。


達磨様

10月5日は達磨様の命日でございました。

達磨様はボーデイ・ダルマ様という御名前でございます。
この方も御釈迦様と同じく南インドのとある国の王子様でございました。
少林寺で9年間壁に向って座禅を組み続けまして、
ようやく悟りを開かれました。

七転び八起き、
失敗してもまた何度でもやり直せば良い。
そのような教えが達磨人形の御姿になり残っておりますね。
石の上にも三年などといった教えもございますが、

達磨様の強い御意志でございますね。
「諦めるな!」という厳しくも暖かい達磨様の愛でございますね。


ロシア民謡

ずっと前にテレビで「パルナス」というケーキ屋さんのコマーシャルが
流れておりました。
何十年も前になりますか。

パルナス パルナス モスクワの味 パルナス パルナス パルナース
というような歌なんですが、
これがまた結構良い歌でしてね、
どこかに元になった歌があるのではないかと思います。
誰か御存知の方がおられましたら教えて下さい。

ロシア民謡では煙突掃除の歌で、
チンチムリーチンチムリーチンチムリー 私は煙突掃除やさん
といったような歌もございます。
(間違っていると思いますが こんな感じです。)

何だかね、ロシア民謡って景色が見えるんですね。
雪が降り積もっていたり、
赤茶けた屋根に上って真っ黒になりながら煙突掃除をしている人がいたり、
その煙突はレンガを四角く積み上げたような形をしているとか、
その人は年配の女性でグレーの雨合羽で、たいそうなマフラーを首に巻いていると
か、

暗い歌もありますけど、楽しいものは凄く楽しい気分になります。
私も良く口ずさんでおります。
好きですから。。。
(踊りたくなるんですよね)

という訳で今回は「行商人」という歌の歌詞を掲載させて戴きます。
フォークダンスでも有名ですね。

行商人
(北川剛 翻訳・武市昌久 編曲)

おお 箱の中にはキャラコとにしき
肩にめり込みそうだ いたわっておくれ

夕日が沈んだら会いにおいでよ
麦の穂なみたつ 畑の中へ

夜の霧の中で恋いの取り引き
どんな話しになったか 誰も知らない

夜のとばりだけがそれを知っている
ざわめく麦の穂よ 秘密を守ろう


私事

私の子供の頃はかなり不衛生な生活環境でございました。
それが原因で雑菌が身体に入りこみましてね、
結構酷い皮膚病に罹っておりました。
(うつるものではありませんから御安心下さい。)

30年近くもこの病気を抱え続けて参りました。
敗血症と診断されて入院を薦められたこともございます。
化膿止めを飲みつづけましてそれでも治らなかった病気が、
ここ何年かピタリと治まっているんですね。

毎日沢山のおまじないやら祝詞やら御真言やらをしているからでしょうか。
何が良かったのかは良く分かりませんが。


冬も近付いて参りましたので、
インターネットオークションで新品の布団をGETさせて戴きました。
数百円なんです。
送料の方が高かったです。
FAXも二千円で入手しました。

隣街の自転車屋で結構状態の良い中古自転車を5千円で買って参りまして、
街中を走り回っております。
昨日はおでん種の400円程度するものを100円で買って参りました。

これはきっと十一面観音様の御蔭ですね。
「おんろけいじんばらきりく」という御真言を唱えておりましたから、
その御利益だと思います。
有り難いことでございます。

ちなみに明日の昼頃まで食事はおでんになります。(笑)


陰陽師

陰陽師という映画がございました。
近日この続編が公開されるとか。
(もう公開されているんでしょうか?)

初回には愛欲のために生きたまま鬼になってしまった女性が出て参ります。
現代でも気付かずに鬼になってしまっている方がいらっしゃるようです。

想いを寄せる人が別の人を愛している。
そんな時に呪術で別れさせようとか、
関係を壊そうとか、脅しをかけようとか、
そんなことを考えておりますと、その方は既に鬼でございますよ。

誰でも欲の多い人は嫌われます。
憎しみの多い人を誰が愛して下さるものですか。
想いを寄せる人が愛している人をも愛して差し上げる。
幸せを願って差し上げる。
そのような美しい博愛の心を持つ人は輝いております。
誰からも愛されます。
沢山の愛を持てば沢山の愛を受け取ることができるんです。
悔しさや後悔の念なども起こりません。
こころは幸せで満たされます。

欲を持ちますと苦しい人生を送らねばならず、
その後にも地獄の責め苦が待っております。
愛を持ちますと幸せな人生が送れます。
天国にも喜んで迎えられますでしょう。

恋愛に関してだけではありません。
政治も、仕事も、人間関係も同様の法則がございます。

ある方から梨を賜りまして、
御近所さんに御裾分けさせて戴いたことがございます。
御返しに高級な年代もののウイスキーを戴きました。
わらしべ長者のようなことになってしまっているんです。
政治も運営が厳しいからと税金を上げてしまいますと税収は結局減るんです。

愛は奪うものではなく与えるものでございます。
与えますと必ず大きくなって返って参ります。
奪いますとさらに大きなものを失います。
可哀想ですが気付かなければどうしようもありませんね。


北朝鮮

金正日さんは未だに
「世界は力の関係で成り立っている」
と考えていらっしゃるようですね。

社会・共産主義国の多くの方はそういう意識を未だに持っていらっしゃるようです。
可哀想な人達でございますね。
本当に心が貧しいんですね。

力の均衡が崩れることが恐くて虚勢を張っていらっしゃるんでしょうね。
心の中は孤独感一杯で、
唯一の味方として喜び組などを作っていらっしゃるんでしょうね。

皆様も良く御存知の通り、
日本も、アメリカも、西欧諸国も、そしてロシアに至るまで、
その関係は信頼によって成り立っております。
もはや誰も疑いようのない事実でございます。

どうもこれは金さんに意識改革して差し上げなければならないように思いますね。
皆、仲間なんだよ。
何も恐くはないんだよ。
ってね。
朝鮮語のできる催眠術師なんかが行って差し上げれば良いのではないか、
などと考えております。

でなければ、彼はいつまで経ってもあのまんまですもんね。
北朝鮮人も可哀想ですし。


正月

お正月と云いましたらコタツに入って蜜柑でございますね。

愛媛や和歌山などが蜜柑の産地でございます。
以前、和歌山を旅したことがございますが、
どこを見ましても蜜柑だらけでございました。
どうやら、夏も冬も、
一年中種類の異なる蜜柑が実っているようでございます。

和歌山には紀ノ川という川がありましてね、
でもそこでは河岸におばちゃん達がしゃがんでおりまして、
大根を洗っているんですね。
傍らには山と積まれた大根が置かれておりました。

紀州大根ですね。
洗って、これから紀ノ川漬けを作るんですね。
紀ノ川漬けは乳白色の沢庵のような漬物でございます。
沢庵よりはもう少し甘いかも知れません。

和歌山は南高梅の産地でもございます。
美味しいものが沢山ございます。

土地々々によって美味しいもの、豊かな恵みがございます。
人情があり、風習がございます。
人も同じでございますよね。
誰が優れているとか、あの人は偉い人だとか、
そんなことは一切ございませんよね。
一人一人が素晴らしい魂の持ち主でございます。

実態を知りませんので隣が良く見えるだけでございます。


面棚5年

1998年より神棚に向いまして心を落ち着ける。
そんな日が続きまして5年でございます。
達磨様は面壁9年、
私はまだ面棚5年でございます。
最も達磨様のように座り続けているわけではありませんが。

食べることができましたらその御礼に神棚に神饌を供えまして、
仏式で申し訳ないのですが、お線香も焚かせて戴きます。
そうして大きな灰皿に一杯になったお線香の燃え残り、
これを見ておりますと、やはり神様の有り難さを感じずにはいられません。

神棚に向っておりますと時計の時を刻む音が聞こえて参ります。
この一刻が60回で一分、
それが60回繰り返されまして1時間でございますね。
1時間でも相当長いなあと思うのですが、
1日はそれが24時間あるわけですね。
1日が365日あって、
人生はそれが約80回繰り返されるわけです。

人間の一生なんてうっかりしておりましたら短いものでございますが、
人はこの一生の間に多くのことを成し遂げることが可能でございます。
時間というものも本当に有り難いものでございますね。


テレビ番組

正月の番組と云いましたら、温泉に入って美味しい料理を食べて、
各地の正月の風習を流しているものが多いですね。

お笑いでは染之助・染太郎師匠が
今年はヨネスケ・染太郎のコンビで御出演なされるようです。
えび茶のハッピを着ておめでたい芸を見せて下さるんでしょうね。
(これってもしかしますと関西ローカルな話題なんでしょうか?)

正月も働いて私達を楽しませて下さる。
全くもって有り難いことでございますね。


占い

雑誌などでは今年の占いなどが載っていたりします。

私はどの占いの本を見ましても良くは書かれておりません。
必ず、「幸運の少ない人生です。」といったようなことが書かれております。

うーん、確かに当っておりますね。
考えて見ましたら全くその通りでございますよ。
根気がなくて、努力することが嫌いで、感謝の気持ちもない。
そんな人間に神様が幸運を分けて下さるわけがないんです。

でもいつからでしょうか、
神様に御仕えするようになり、
ヘタクソながらも毎日、長い時で4時間程祝詞や御真言を唱え続けまして、
(あ、毎日は語弊がありますが。)
私は占いを超越することができました。
(人格の再構築を何度か行いますと、
生年月日から得られるような占いは意味がなくなります。)

ですからね、
人生なんてどうにでも変えることができるんです。
幸せなことに、ここには沢山の開運の法則もございます。
開運できないわけがないんですね。

占いなんて信じるものではありません。
人生をより良くするための参考にして戴かなくてはなりません。
占いの結果で落ち込んだり、諦めたり、
それは本当に消極的な生き方でございますよ。

私はね、このメールマガジンを御購読下さった皆様には、
社会をより良くするための人生のリーダーになって戴きたいと願っております。
(仏教で云いますと羅漢様ですね。)
そうなって下さらないと困ります。(笑)
皆様お一人お一人の輝きで社会を明るくして戴きたいと願っております。
その結果として皆様にも必ず大きな幸せが訪れます。

そのリーダーさんが占いで落ち込むような消極的な生き方ではいけませんね。
悪者は正義の剣でやっつけてやろうという意気込みがなくてはいけません。
神への義と愛と勇気をどうか持ち続けて下さいますようにお願いします。

こんな歌がございます。
「愛と勇気がけが友達さ」
(あ、これアンパンマンです。)

幸せはね、
今がどんなに厳しい状態にありましても、満足し、感謝して、
神への義を持ち続け、自分との闘いや正義の闘いに勝ち抜き、
愛を持ち、慈悲を育み、判断力を養い、感性を磨き上げ、
自ら勇気を振り絞り天の光の中に飛び込み、
幸せを見つけ出そうとする努力が大切でございます。

屈辱を味わい深い傷を負いましても、
神への義がございましたら何度でも挑み続けることが可能でございます。
いじけたり、落ち込んだり、弱気になったり、
そんな生き方は例えそれが私自身であっても大っ嫌いでございます。
どうか自らの手で幸せを掴み取って下さいますように。

皆様が今年も御健康でお幸せでありますように祈念しております。


日本文化

寒くなりましたね。
本当に寒くなりました。
皆様は風邪などお召しになられてはおりませんでしょうか?

40年程前まではどこの御家庭にも火鉢や練炭といったものがございました。
冬の寒い日に、手を火にかざして、
ああ、暖かいな。。。
実際にはそれ程暖かくはなかったはずなのですが、
火を見つめておりますと、本当に身体の芯から温まるような気がしたものでございま
す。

記憶にある方は思い出してみて戴ければと思います。
ね、思い出しただけでも暖かくなりますでしょう?
心が暖かくなるんですね。

火を見ておりますと、
その中に大自然の偉大さや神様の存在が見えるようでございます。
太古の昔には火を介して神様との交流もしておりました。
火鉢や練炭の時代でも神様との交流ができていたんですね。

冬になると風邪を引く、
これはきっと心の中が冷え切っているんだと思いますよ。
部屋の中をファンヒーターでどんなに暖かくしておりましてもね、
心の中が冷え切っておりましたら風邪を引きます。
隙間風の吹き荒ぶ部屋の中で、
火鉢や練炭にあたりながら、
時には美味しい魚を焼き、時にはその暖かさに感謝しながら、
神と触れ合い、
火を見つめて家族と語り合う。
そんな暮らしをしておりますと風邪も引き難いのではないかと思います。

ストーブでも暖かさを感じます。
囲炉裏や暖炉などは云うに及ばずでございますね。


日本は形式主義になってしまっております。
学校でも「前に習え」などといった号令がございますが、
生徒も、教師でさえもその意味を理解せずに使っているんですね。

見本になる人が列の前に立ち、
「前に習え」の号令でその見本と同じ姿勢を取るんです。
でも今は列を整え、手を前に上げて前との空間を取る。
それが「前に習え」の意味になってしまっているようでございます。
もちろんそれでも構わないのですが、

日本語の含蓄のある言葉、
神と繋がることのできる古い時代の美しい文化、
そういったものを再び思い出して戴ければ、
形式ではなく、そこに存在する本質といったものを、
深く見つめ直し、神の存在を発見して戴ければとそう思います。


神饌の心

神前に御供えする供物や料理を神饌(しんせん)と申します。
神様には新鮮な食材、心の篭った料理を御供えするんです。

吐息が白く濁るような今の季節には、
暖かい味噌汁が本当に有り難いものでございますね。
本当に味噌汁の湯気にどれだけ有り難さを感じることか知れません。

贅沢三昧の人には分かりませんでしょう。
裕福な時に感謝の気持ちを忘れてしまう。
感謝の気持ちを忘れますから運気が下がるんですね。

毎日コンビニエンスストアで買ったパンをかじっていたような
愛に飢えた子供が心身の調子を崩しまして、
施設に入って、
暖かい心の篭った食事をするようになりましたら、
すぐに体調が元通りになりました。
誰でも心の篭った料理を食べておりませんと病気になりますね。

神様だって心の篭った暖かい料理を食べたいに決まっています。
真夏には熱い煎茶よりも、
よく冷えた冷たい麦茶が良いに決まっています。

そういったものを神饌として神棚に御供えする。
それだけでも絶対に神様が良くして下さいます。

神様だけではなく、人も、魂も、全ての生き物も同じでございますよ。


先日、とても良いお話しを教えて戴きました。
貧乏神や疫病神は感謝の気持ちを思い出して戴くために存在しているようでございま
す。
なるほど、思い当たることが多々ございます。
貧乏をしておりますとものの有難さに気付くことが多いですからね。
それにキリスト様もこんなことを言っておられます。
「金持ちが天国に入ることはらくだが針の穴を通るより難しい。」
全くその通りでございます。

貧しい暮らしをしておりますとものの有難さが身にしみます。
感謝しておりますと、心が満たされます。
感謝できるようになりますと貧乏神様も離れて下さるようでございます。
「有難う」という言葉には本当に素晴らしい力がございますね。
「素晴らしい」とか「愛しています」などにも力がございます。
心から生じる言葉ですからね。
言葉自体にも輝きがございます。
そう云った言葉を日々口にしておりますと心も輝いて参ります。


心理ゲーム

心理ゲームでね、人間ホイホイを設計して下さいっていうのがあるんです。
皆様はどんな仕組みのものをお考えになられますでしょうか?
それでね、あることが分かるんです。
人間ホイホイで設計するのはね、
実はその人が「自分だったら引っ掛るだろうな」と思う夢や欲望が反映されるようで
ございます。
私も酒池肉林の贅沢し放題の大きな家を想像しました。
(肉林は食べる方の肉です。)
潜在意識って恐ろしいですね。


核家族化

昔は二世帯同居などが当たり前の時代でございました。
互いにお相手のことを思い遣り、困った時には助け合う、
そんな時代でございましたから二世帯同居の方が便利だったのでしょう。

今は本当に嫌な時代になったものでございます。
親は子供に同居を強制し、御子様の収入をあてにして生活する。
それは多分に国の年金政策や福祉の政策の拙さも原因しているように思われます。

また、お心のない方が増え、
舅様や姑様がお嫁様に思い遣りの一つ掛けて差し上げる気持ちもない。
そのような状況でございますから、
お若い方が核家族で親御様と離れてお暮らしになられますのも当然でございますね。

育て方が悪いのか、社会の風潮なのかは分かりませんが、
御子息様やその御嫁様までも御心がないんですね。
舅様や姑様を邪険に扱い、
話が合わないから、考え方が違うからと御実家に寄り付かなくなります。

子供の頃から親御様が御子様を軽視し、ぞんざいに扱い、
或いは親御様の考えを強制し奴隷のように従わせて、
信頼関係を育む努力も怠慢しておりましたのに、
御子息様が御結婚なされましてから、
「息子が家に寄り付いて下さいません。」と仰られます方は驚くほど多いものでござ
います。

親子の信頼関係が浅いものでございましたら、
親御様より心から愛する御嫁様の御意志を尊重なされることは当然でございますね。
親子の間柄は強制や風習などではなく、
お互いの信頼関係や互いを思い遣る心、誠意、真心によって決定されるものでござい
ます。

法律的に見ましたら御成人なされ独立なされた御子様に対して、
親御様は何も強制することはできません。
これは強制してはならないのです。
互いに立派な御人格をお持ちになる大人同士でございますから、当たり前ですよね。
もちろん長男だから家を継いで下さらないといけない、といった考え方も誤ったもの
でございます。
昔からの風習がそうであっただけで根拠もなにもない考え方でございます。

でもね。
御子様が御両親から多くを学び、感謝し、尊敬しておりましたら、
親御様も御子様を尊重し、奉仕の精神で深い愛と思い遣りを持って御育てになってこ
られたのでしたら、
誰が親不孝などするものですか。
御子様も親の嫌がるお嫁様とは御結婚なさいませんでしょうし、
お嫁様を説得してでも同居し、隅々まで世話を焼いて下さいますでしょう。

信頼関係をお築きになられる努力が必要でございますね。
真心と、心からの思い遣りをお持ちになられ、
何も強制することなく、
御子息様やそのお嫁様のお幸せを願って差し上げ、
困ったことがあり相談を受けましたら親身になって一緒に考えて差し上げる。

幸せを維持するためにはとても大切なことですね。
親子の間柄でなくとも、
夫婦や同居人の間柄でありましても同じことが云えるのではないかと思います。


気楽な生き方

今の時代は気楽な生き方を好まれる方が多くなっているように感じます。

でも誰もが気楽に生きておりましたら、一体社会はどうなってしまうのでしょうか?
誰も見ていないからガムを吐き捨ててもいいや。
禁煙場所でもタバコを吸ってもいいや。
借りたものは請求されるまで返さなくてもいいや。
横一列に並んで歩いて、道を塞いでもいいや。
一体、どれだけの人に迷惑を掛ければ気が済むんでしょうか?

考えなさ過ぎなんです。
何のために頭があるんでしょう。
迷惑を掛けないため、素晴らしい社会を造るため、皆が幸せになるため、
ではないのでしょうか?

そのために、誰もが必死になって考えなければいけないんです。
感性を研ぎ澄まし、
判断力を鍛え上げ、
あれ、変だと感じることのできる能力を身につけなければならないんです。

その先にね、誰もが本当に気楽に楽しく生きることのできる社会があるのではないか
と思います。


桜 −河口恭吾−

突然ですが、河口恭吾さんの桜という唱は素晴らしいですね。
僕が笑わせるから桜の季節をかぞえながら一緒に歩いて行きましょう。
というような歌詞なんですが、
何もしてあげることはできないけど、笑わせて楽しくさせて差し上げる、
なんていう微笑ましくて爽やかな心の篭った奉仕の精神は、
なんだか嬉しくなって感動してしまいます。
曲もゆったりとした暖かな曲でございます。
おまけに河口さんの御声も優しい声でね、
本当に素晴らしいものでございます。

私もね、
音楽なんてクラシックや能力活性のサブリミナル音楽以外は滅多に聴かないのです
が、
テレビで流れているのを聴いておりまして、一瞬で好きになってしまいました。


僕がそばにいるよ 君を笑わせるから
桜舞う季節かぞえ 君と歩いていこう
僕がそばにいるよ 君を笑わせるから
桜舞う季節かぞえ 君と歩いていこう

まぶしい朝は何故か切なくて
理由をさがすように君を見つめていた
涙の夜は 月の光に
震えていたよ 二人で

僕がそばにいるよ 君を笑わせるから
空のない街抜け出し 虹を探しに行こう

いつもそばにいるよ 君を笑わせるから
やわらかな風に吹かれ 君と歩いていこう
君と歩いていこう

君がいる
君がいる
いつもそばにいるよ


禅問答

「善人になろうとする人は偽善者です。」
皆様はその理由が御分かりになられますでしょうか?

まるで禅問答のようでございますが、
一体、何のために善人になろうと思われるのでしょう?

人はご自身の利益にならないことは行いません。
ご自身が幸せになるため、強く、優しくなるため、能力を付けるため、
そこから全ての行動が始まるんです。
社会貢献や奉仕活動でありましても、
自分自身の関わる社会がより良くなりますと、
ご自身が満足感を味わえます。
より良い社会からさらに大きな恵みと幸せも受け取ることができます。
突き詰めて考えますとご自身のために社会貢献や奉仕活動を行うんです。

ですからね、
自分のために善人になろうとする、それは偽善者でございます。

善人ではなくて、優しい人になって下さいましたらと思います。
優しい気持ちで何かを与えて差し上げましたら、必ずそれが戻って参ります。
そうしている内に素晴らしい人間関係、さらには素晴らしい社会が生まれるんです。
素晴らしい人間関係の中で得られるものは大きいです。
素晴らしい愛、大きな幸せ、笑顔、豊かな暮らし、満たされた心、信頼できる友人、
きっとそんなものが手に入りますよ。


愛と欲

愛と欲は本当に難しいものでございます。
子孫を残すためには欲は必要ですからね。

ある人にとって、
結婚して子を設けることが幸せになる一番の方法なのでしたら、
欲はなくてはならないものでございます。

人として哺乳類が持っておりました欲を受け継ぐ生き方は正しいものでございます。
また、霊的なスピリチュアルな存在として、
欲を捨て大脳皮質が生み出した理性や知性、霊性に基づいた生き方をすることも、
正しいものでございます。

ただね、欲を持ちますと苦しくなります。
怒り、妬み、嫉み、憎しみ、恨み等の悪い感情を生み出す素になります。
そういった感情は余り持つべきではありませんね。
苦しみを増すばかり、疎ましがられるばかりで良いことはありません。

この世界には不要なものは一切存在していないと私は思っております。
毒も極微量では薬になります。
薬は大量に服用しますと毒になります。
欲もまた用い方次第で毒にも薬にもなるものでございます。


私は恋愛で御悩みの方には偶にこのようなお話しをさせて戴きます。

お相手様のことを考えて差し上げて下さい。
お相手様の幸せを願って差し上げて下さい。
とね。

御相手のことを考えて差し上げると云いますのはね、
御相手様のことを想い観察しているというのとは違います。
それはご自身のために、お相手様のことを考えているんです。

御相手様が今何が必要か考えて差し上げる、
今一番必要な言葉を掛けて差し上げる、与えて差し上げる、
御相手様が少しでも良い方向に向かうように考え、教えて差し上げる、
といったことになるかと思います。
それは時には優しさであったり、また厳しい言葉であったりします。
愛あればこそでございますよね。
それは本当に難しいものでございますよ。

でもね、そうして観察力を鍛えておりますと、
判断力も鍛えられますし優しくもなれます。
御相手様の考えが手に取るように分かるようになりますよ。


えびす様

1月10日は十日えびすでございました。
前日が宵えびす、翌日が残り福でございます。
私も七福神様を御祀りしておりますので、宵えびすに御参りさせて戴きました。

でもこれは関西だけなんですね。
関東は11月、霜月の酉の日に酉の市で熊手を買うんですね。
関西は笹が主流なんですが。

去年は二の酉にも御参りしました。
西宮えびす大社というところなんですが、
ここは全国のえびす神社の総本社でございます。
二の酉の日には誓文祭(せいもんさい)という儀式が行われましてね、
神饌を供し、降神の儀、祝詞奏上、昇神の儀、玉串奉納、神饌を徹し、直会(なおら
い)
と、10時から11時まで厳粛に儀式が執り行なわれておりました。

参拝者用に椅子を沢山準備して下さっておりましたが、
私は直立不動で拝見させて戴きました。
だって神職様方が頑張っていらっしゃるんですもの。

それから、境内にひっそりと祀られております、
稲荷様や百太夫様、天神様など全ての社に御挨拶申し上げて参りました。

稲荷大明神様は霊性のある狐を救い上げて、
人間のために働くといった使命を与えていらっしゃる人間の神様でございますね。
決して狐の神様ではありませんね。
私は最近きつねどんべえの揚げが好きになってしまっているのですが、
稲荷に仕える狐様が来て下さっているのかも知れません。(笑)

稲荷はね、どこかの国の狐が沢山住んでいたイナリーという地方の名前が由来のよう
でございますね。

ちなみに龍神様(龍王様)も龍を御遣いになられる人間の神様でございます。
天狗様は山でお亡くなりになられました修験者の魂でございます。


節分

節分でございます。
滋賀県の近江神宮では追い出された鬼達を集めて歓迎するというお祭りが
夕方に行われるそうでございます。

昔話には、山で静かに暮らしておりましたお爺さんとお婆さんが
逃げてきた鬼を招き入れて御馳走をして差し上げまして、
金銀財宝を沢山戴いたというものもございます。

悪い鬼も優しい心には背けないようでございますね。

翌日は立春になります。
立春大吉と紙に書いて貼っておきますと災難を逃れられるそうでございます。


散文

皆様如何お過しでいらっしゃいますか?
まだまだ寒い日が続きますが、じきに
「楽しいよう、幸せだよう、春風が心地良いよう」
なんて口走ってしまうような候になりますでしょう。

梅の花もそろそろでございますね。

今日は銀行へ参りましてATMの長い列に並んでおりました。
皆さん全員が難しいお顔をなさっていらっしゃるんですね。
厳しい時代でございますから、
暗い風潮でございますから仕方がないのかも知れませんが、
きっと職場でも暗い御表情をなさっていらっしゃるんでしょうね。

職場でも笑っておりますと目立ちます。
職場で一人だけニコニコしておりましたらね、
必ず白羽の矢が立ちまして、
よし、今度はあいつを使ってやろうって偉い人に思って貰えるんです。
「あいつ、あいつ、名前なんだったっけ、ほら、あの、笑っている奴」
って、すぐに思い出して貰えるんです。

それで楽しく仕事をしておりましたらね、
きっと周りに輪が広がって参りますね。
職場もきっと楽しい場所に変って参りますよ。


桃太郎

桃太郎という昔話がございます。
その頃、その国では貧困が続いておりまして、
子が生まれてもすぐに栄養失調で死んでしまう、
或いは死産してしまうといった状況であったようでございます。

死んでしまった子の魂は、
霊的な力の有る桃の実となって戻って来て下さる。
そのように信じていたようでございますね。

桃は「もも」と発音します。
これは百(もも)から由来しておりまして、
たわわに百ほども実を付けることから、
霊的な力があると信じられていたものでございます。

食べるものと云いましたら、ほんの少し収穫できるキビだけでございました。
子が欲しい、
貧しさにも負けない強い男の子が欲しい、

桃太郎の物語りは、
そう考えました村人が願いを込めまして創作したものでございます。

舞台は阿波の国、今の徳島でございますね。
その西方の隣国には、
讃岐(さぬき)、伊予(いよ)、土佐(とさ)の国がございます。
それぞれ、さる、いぬ、とり(きじ)として物語りに登場して参ります。
また、さる(申)、戌(いぬ)、酉(とり)は西南西、西北西、西の方位を示します
ので、
上手く隠された隠語になっておりますね。

強い若者が東方にあると云われている豊かな国に隣国の兵を従えて攻め入り、
女子供や財を持ちかえって下さる、
そのような願いの篭った昔話が桃太郎でございます。


弥勒菩薩

弥勒菩薩様の御名前はマイトレーヤ様でございます。
お釈迦様の慈悲から漏れてしまった人達を必ず救済しに参ります、
五十六億七千万年後に、必ず戻って参ります、
そうお釈迦様とお約束なされた神様でございます。

突然SF(サイエンスフィクション)的な話しになって申し訳ないのですが、
私はね、弥勒菩薩様は今現在、
実際に肉体を持って生きておられるのではないかと思っております。
だってね、
五十六億七千万年という莫大な長い時間が何を意味しているのかが、
さっぱり分からないんです。

それでね、
仮説で非常の申し訳ないのですが、
弥勒菩薩様は何等かの理由がお有りになられて、
高速の宇宙船で宇宙の遥か彼方へ向われておられるのではないかと思うのです。

光速を遥かに超える速度で宇宙空間を移動しますと、
一瞬の間に遥か遠くの惑星に到着できます。
でも実際の時間は、実は数十億年経過しているという、
浦島太郎でおなじみのうらしま効果でございますね。
アインシュタイン博士が御発見なされました理論でございます。

身体ではほんの僅かの時間なのですが、
宇宙での使命を終えまして、宇宙船で地球に戻り付きました際には、
地球時間で五十六億七千万年経過しているであろう、
そういった計算に基きまして、
弥勒菩薩様がお釈迦様とそういったお約束をなされた。

夢物語でもなんでもなく、
現実に可能性のあることでございます。
実際に、地球外の飛行物体と予測されるUFOなるものが、
地球上を飛びまわっているわけですからね。

まあ、その頃には人類が滅亡してしまっているかも知れませんが、
魂は必ずお救い下さいますでしょう。

何だか、猿の惑星という映画も思い出してしまいますね。
ついでにコーネリアスと仰られるお名前の猿の医学者さんも思い出されます。


天国の歩き方

その昔、地球の歩き方といった海外旅行雑誌がございましたが、
(今も発行されているのでしょうか。)
ここでは天国の行き方について少しばかりお話しさせて戴きます。

地球上には未成仏霊さんが沢山いらっしゃいます。
何故、成仏できないのだと思われますか?
実はね、
心が感謝と報恩と希望と喜びで輝いておりませんと、
天上界には上がれないんです。
欲や執着、その他の諸々の煩悩で心が暗くなっておりますと、
魂が重くなっちゃうんでしょうね。
心が沈み込むというような日本語もございますが、
ほんとうに魂の粘りが増してその重さで沈み込んでしまう。

ああ、嬉しいな、生きていることは素晴らしいな、
明日はどんな良いことがあるのかな、
ってね、
希望に瞳を輝かせている、
そんな状態でしたら、必ず天上界に上がれます。
例え少しばかり落ち込んでおりましてもね、
守護霊様が抱えて行って下さるんです。
でも、それにも限度がありますね。
余りに重過ぎますとどうにもならない。
増してや心の在り方に大きな問題がありますと、
地の底に沈んで行っちゃいます。

天上界に上がりましたらね、
だだっ広い空き地のような場所で、
生きていた時のこと全てを深く反省させられるわけです。
ここがあの有名な幽界でございますね。
迷惑を掛けてしまった人がおりましたらね、
謝罪に行かなくてはなりません。
罪を背負った状態のままでは天国の門はくぐれませんから。
ご自身の心が許さないんですね。

幽界には天国の門が大きくそびえ立ってておりまして、
その門の向こうが天国になります。


イラク復興支援

イラクに自衛隊が派遣されました。
それは国際協力といった面では素晴らしいことであり、
イラク国民の自立、豊かで幸せな国への第一歩として喜ばしい限りでございます。
ですが、テロの危険、命に関る危険があることも確かでございます。

アメリカが終戦を宣言しまして、
でもその時点ではイラク旧体制では戦争は継続されておりましたね。
戦争終結にはサダム・フセインの拘束、
或いは全領土の制圧が必須でございます。
その条件が満たされまして始めて戦争終結と云えるものでございます。

幸いなことに、先遣隊派遣直前にサダム・フセインが拘束されまして、
曲がりなりにも戦争は終わったと云える状況になりました。
ですが、テロの危険が減ったわけではありません。

強制的に自衛隊が派遣され、
私はこの状況を見ておりまして、第二次大戦の惨劇を思い出しておりました。

戦闘機が母艦に激突する、
爆弾を積んだ潜水艇が人間魚雷となって母艦に激突する。
兵士は命を落すわけですから、正常な意識でいられるわけはなく、
泣き喚きながら、「おかーさん」などと叫びながら激突するわけです。

軍国主義の暗い、思い起こすこともままならない、暗い話しでございます。

命のある任務に強制的に派遣する国の在り方は、
そういった暗い時代の軍国主義を思い起こさせるものでございます。

命を掛けてもイラク復興支援に参加したい、
そういった正義感の強い自衛隊員のみ派遣なされるのが正しい在り方ではなかろうか
と、
私は感じております。
もちろん、御家族様の同意がなくてはなりませんし、
充分な功績、待遇を与えなければなりません。

今、もし自衛隊員が命を落すような事態にでもなりましたら、
政府は一体どうなさるお考えでいらっしゃるんでしょうかね。