癒しの世界全エッセイ集2004.11 7/7


散文

スーパーでは早くも鮎が店頭に並んでおりました。
塩焼きが美味しそうでございますね。
来月あたりには川に下り簗(やな)が仕掛けられましてね、
産卵のために川を下って来る鮎を取るんですね。
日本ならではの情緒豊かな涼やかな光景でございます。

私は今日も死者を供養するための御真言ばかり3時間程唱えまして、
くたくたになりまして、
バッハのトッカータとフーガなどを口ずさんでおります。(爆)

成仏できない方がやたらと増えておりますからね。

実は癒しもね、死者の供養も、胎蔵界の意識なんですね。
丹田や下丹田に力を入れましてね、
優しい気持ちで人の幸せや死者の成仏を願って差し上げる、
そうしますと胎蔵界の意識になりまして、癒しの波動が生じるんですね。

その気持ちが心を軽くするんです。
神様も感応して御力を貸して下さるんです。
運気も、急上昇するんですよ。

私もね、これからはもっと死者の供養に力を注がなくてはいけないと考えておりま
す。


ところでね、
人間の価値って何で決まるんでしょうか?
ふとそんなことを考えたりします。

お金があることが人間の価値なんでしょうか?
子供や孫が沢山いることが人間の価値なんでしょうか?
家族がいて、仲良くしていることが人間の価値なんでしょうか?
権力を持っていることが人間の価値なんでしょうか?
美しいことが人間の価値なんでしょうか?

もちろん生きて行く上では必要なことなんでしょうが、
どれも違うような気がしますね。

人や社会の役に立っている、
豊かな心を持っている、
そんなことが価値のある人間なのではあるまいか、
などと感じております。

明日からは月遅れ盆に入ります。
以前も書かせて戴きましたことがございますが、
彼岸や盆にお花や供え物のない御墓は本当に寂しそうなものでございますよ。
日本酒の一升瓶や饅頭、色とりどりの菊の花、
そんなものをお供えして家族皆で仲良く心を込めて御参りする、
手を合わせて差し上げる、思い遣りのある言葉を掛けて差し上げる、
その気持ちが御先祖様に届くんですね。

そういった豊かな心も必要だと感じております。


神社参詣

先日は雨の合間の蒸し暑い日に開運方位の神社に参詣しまして、
今年の経過報告をして参りました。

5時間程掛けて3ヵ所の神社、二十数ヵ所のお社を廻りまして、
また沢山の方々や沢山の経本、沢山の神様とのご縁を戴いて参りました。

やはり神社の開運効果は素晴らしいものがございますね。

御神殿の前の賽銭箱の上の鈴を鳴らすために吊り下げられております綱、
そこに色とりどりの紐が一緒に吊り下げられているのですが、
私が手を合わせてお願いしておりますと、その紐が風になびきまして、
私の身体を取り囲むように絡むんですね。
いや、この現象が何度もあるんですよ。
左に立てば右から風が吹き、右に立てば左から風が吹くんです。

ああ、これはきっと神様が「守ってやるぞ」と仰られているんだと感じました。
私は神様のお声を直接聞かせて戴くことができませんのでね、
きっと神様がそうして下さったんだろうと思います。

合掌した手は神憑りしまして激しく震えますし、
心身ともに癒されまして調子も良く、清々しい気分にさせて戴きました。

水掛け不動尊といった水を掛けて願を叶えて戴くというお不動様がおられましてね、
何気なく手にしたひしゃくで水を掛けましたら、ひしゃくが折れちゃった。
元々折れかけていたんでしょうね。
お不動様が「お前は嫌いだから水を掛けるな」なんて仰られているのかも知れませ
ん。

何だか嫌な予感がしますね。
でもね、大丈夫なんですよ。
これも何かのご縁でございますからね、
社務所に行きましてお詫びしまして、
筋を通させて戴くんです。
そうしますとね、
神様はちゃんと守って下さるんですね。

帰りには有名店のらーめんなど戴きまして、
おビールなども戴きまして、
帰って参りました。

かなり歩きましたので直径2センチ程の水ぶくれができておりまして、
小指の爪も剥れかけておりました。
正座しますと足が痛いです。


「人生もひとり行脚の旅路かな」なんてね、
道中ではこのような句が浮んで参りました。

人生は永いものでございます。
私達はまだ歩き始めたばかりでございますからね、
苦しいこと、楽しいこと、悲しいこと、色々あると思います。
お心の貧しい人も沢山おりますから、
理に合わないことも沢山ございますでしょう。
でもね、
人のため社会のために感謝の気持ちを忘れず働いておりましたら、
神様も御先祖様も必ず見て下さっておられます。
必ずお力をお貸し下さいます。

今がどんなに苦しい状況でありましても、
満足して感謝して力一杯に努力しておりましたら、
必ず神様がお力をお貸し下さるんです。
さらに優しい気持ちで人のために命懸けで努力しておりますと、
驚くような力を神様が与えて下さるんです。
お信じになられないかも知れませんが、本当なんですよ。

神社でこのような言葉を見付けて参りました。
「ほほえみあって、祈りあって、感謝」
素晴らしいお言葉でございますね。

3人寄れば文殊の知恵などと申します。
皆様で知恵を出し合い助け合っておりましたら、
必ず大きく道が開けて参りますよ。
悩むことなんてこれっぽっちもないんです。
輝かしい未来に希望と歓びでワクワクしながら
真っ直ぐに進んで行かれましたら良いんですよ。


目病み地蔵

京都には眼を患ったお地蔵様がいらっしゃいましてね、

京都の鴨川は昔から洪水が何度もございまして、
沢山の方が水害の被害に遭われました。

今年も水害は沢山ございましたが、
昔はより被害が大きく復旧に要する人も手間も大きかったのではないかと思います。

それでね、洪水の時に雨を止ませて戴くためにね、
「雨やみ地蔵」として御祀りされたものでございました。

宗円さんと仰る信心深い御老人がいらっしゃいましてね、
眼病を患い、片眼の視力を失っておりました。

ある時このお地蔵様が宗円さんの夢枕にお立ちになられまして、
この寺に湧く阿伽水で眼を洗いなさいと仰られたそうですね。
でね、その通りにしましたら眼病がすっかり治っちゃった。
その代わりにお地蔵様の片眼が濁っちゃったんです。

本当に有った話しでございますよ。

それでね、このお地蔵様はね、
「雨やみ地蔵」の「あ」が取れて「めやみ地蔵」と呼ばれているそうでございます。

信心が無駄になることなんて絶対にありませんね。
もちろん信仰の対象は神様或いは真理・大自然といったものでなくてはなりません
よ。
幾ら生き神様と呼ばれているような人でありましてもね、
教祖様といったような人でありましてもね、
世俗に塗れ生きている人間を信仰の対象にましても何の御利益もありませんからね。


生活習慣

運気にも栄養は必要でございますね。

「私に会った開運の方法を教えて下さい。」
なんてよく聞かれます。
私は必ず日の出を拝み深呼吸すると良いですよと申し上げます。
だって本当に素晴らしい効果があるんですから。
でもね、多くの人は「私にはできません。」って仰られます。

できないのなら生活習慣を少し変えてできるようにすれば良いんです。
ドランクドラゴンのつかじさんじゃありませんけど、
こうやって、こうです。(笑&意味不明)

最近は6時前後に建物の合間からお日様が拝めます。
東向きの日の出を拝むにはうってつけの高層マンションが建っておりましてね、
でも窓に灯りが点いているご家庭は少ないですね。
本当に勿体無いことでございますよ。

朝は日の出と共に起きまして、お日様を拝み、
有難うございます。今日も一日頑張らせて戴きます。と挨拶し深呼吸する。
隣人や知人に会いましたら積極的に挨拶し少しでも会話を交わすんです。
大きな声を心掛けまして、
会社では積極的に精一杯働くんです。
下っ腹に力を入れておりましたら自信も湧き起こって参ります。
そうしましたら、必ず充実感や多幸感が味わえます。
食事も美味しいですし、生活も楽しくなって参ります。
楽しいと脳や心の働きが活発になって参ります。
多くのことに興味が持てるようにもなり、責任感や向上心も自然と身に付いて参りま
す。

多くのことに感謝し、人生を思い通りに動かし、
最大限に楽しく素晴らしい人生を味わうことができるようになりますよ。

今日は木洩れ日がダイヤモンドのようにキラキラと輝き、
木の葉が黄金色に染まり、
白雲が銀色に輝きまして、
雀も綺麗な声を奏でておりました。


信念

毎日、沢山のことを考えます。
私自身嫌になる程のことを考えます。
考え過ぎて思考がメビウスの輪のようになってしまうこともございます。

普通の人と私の違いを考えてみました。
こんなことを云ってしまいますと、
恐らく皆様には自慢のように受け取られてしまいますでしょう。
嫌われてしまうかも知れませんね。
それでもね、書かなくてはいけないこともあるんです。
決して天狗になっているわけでも傲慢でも自慢しようとしているわけでもありません
から、
何卒、御理解下さりたく思います。

それはね、
多くの人には信念がなくて、私には信念があると云うことでございます。
私は魂レベルで生きております。
ですから、私には多くの欲がありません。
恋愛的なかけひきも私には一切通用しません。(謎)
それはね、私はものごとの究極を見つめているからだと思います。
信念があるからこそ為せることでございます。
命懸けで生きておりますから為せることでございます。
信念があるからこそ、
たとえ神様であっても叱り付けることができるんです。
間違いなく私が正しいと胸を張って主張できるから叱り付けるんです。

誰かを説得するにしましてもね、
人を助けるにしましても、何をするにしましても、
信念がありませんと説得力さえも生じることはありませんでしょう。
人生を思うが侭にすることも叶いません。

でもね、
命懸けで生きてさえおりましたら、
信念なんてすぐに生まれてくるものでございますよ。
どうか皆様方も強い信念をお持ち下さいますようお願いします。


流行

時代は変化するものでございます。
多くの方はお気付きになられていらっしゃるとは思いますが、

例えば宗教は、
火を崇め、巫女や呪術師が活躍した時代
仏教やキリスト教が伝来し広められた時代
経を唱えることと主とした新興宗教が蔓延り始めた時代
仏陀やキリストの教えを再現し広めた時代
(原理主義ですね。多くの場合はその原理が間違っております。)
真理や道理を発見し広める時代
へと移り変わって参りました。

コンピュターは、
汎用コンピューターやスーパーコンピューターが主流の時代
専用回線で接続し巨大ネットワークを構築した時代(VAN)
パソコンが主流となり、小規模LANでサーバーやインターネットと接続される時代
へと移り変わって参りました。

企業では、
商いを行う個人商店の時代、
会社という概念が生まれより合理的に利潤を追求した時代
三菱、三井、住友等の巨大財閥が発生した時代
外資系が参入し、年功序列から実績主義に移り変わる時代
個人事業や個人経営企業・商店の時代
へと移り変わって参りました。

少し変な話しで恐縮ではございますが、
時代は、個人から団体、団体から結合・巨大化、
そして個人・分散・役割分担といった流れに移行しております。
それは紛れもなく神の御意志であるかのように、
コンピューター言語にしましても、
政府(国家)組織にしましても、
全ての面でそういった方向性があるようでございます。

大きな時代の流れ(流行)でございますね。
そうして次の時代は、
未来へと繋がる小規模組織同士の結束の時代であると私は考えます。
互いに平等の、力関係の存在しない、
未来にとって有益な組織同士が互いに情報を交換し合い、
高め合う時代であると感じております。

皆様、時代を見誤ってはなりませんよ。
未来の幕開けはもうそこまで来ているのかも知れません。
それを早めるのも遅らせるのも、
私達次第なのかも知れませんね。


九星気学

私は後厄でございましてね、
8月は衰運月、9月は変動月でございました。
感受性がやたらと鈍りまして、体調面でも今一つ優れません。
空回りがやたらと多くなって参りました。
おまけに今年は5黄土星の年でございましてね、
この年は全ての星の象意が強められるんです。
お陰で私も厄除けの御真言を普段の倍を唱えなくてはなりません。
(御真言は4時間程唱えますと必ず素晴らしい効果が現れますよ。
道理に合わないことはダメですけど。)
知人の方でも病気の悪化や不意の怪我など沢山耳にします。

今年は火山の噴火や、水害、猛暑、台風、地震など、
やたらと多かったですからね。
やはり五黄土星の年は侮れませんね。
でもね、オリンピックでメダルを沢山獲得できたりと、
案外良いこともございました。

厄年の方はね、
健康や怪我、人間関係に充分御注意下さいましてね、
本当に、目立たず慎ましくお過しになられますようお薦めします。

あとね、やはり今年の冬は厳冬なんでしょうね。


開運食材

明日から神無月でございます。
神様が不在になる月でございますね。
神様が出雲大社に集まり会議をなされるんです。
何のための会議かと申しますと、縁結びが大きな議題のひとつでございます。
御一人御一人に相応しい御縁を考えて下さるんですね。

紅葉が色付き始める候でもございますね。
松茸や柿、ブルーベリーなどの木の実が旬でございますね。
鍬括る秋とも申します。
稲の刈り入れが全て終わりまして、
季節はもう一直線に冬支度に邁進している候でございます。

私は8月は胡瓜のピクルス、9月は豚汁がマイブームでございましたが、
10月はそろそろ鍋物を始めてもよかろうか?
(と云いましても白菜鍋ですが。)
などと考えております。

旬の食材は開運にはうってつけですね。
大地の気を沢山吸い込んでいるからでございましょう。

開運には味噌などの発酵食品なども良いですね。
菌類がアミノ酸や他の生成物に加えて良い気を与えて下さるんです。
菌類から抗生物質が作られることを考えますとうなづけますね。

豆類も根に根瘤菌が付いて栄養分や気を与えて下さっていますから良いですね。
きのこ類も菌そのものですから云うに及ばずでございます。

海産物や粘り気を出す食品も開運には良いようでございます。

オクラ・納豆・山芋・わかめ・昆布・もずく・大豆・小豆・きのこ・
魚介類・味噌・酢・ヨーグルト・チーズ・旬の食材
こんなものが開運には良いようでございますね。


出逢いと別れ

さて、神様方が縁結びの会議をして下さっておりますから、
皆様はこれからも多くの出逢いと別れを御経験なさいますでしょう。
出逢いが多いだけ別れも多く経験します。
別れが多いだけ出逢いも多いんです。

でもね、決して別れを必要以上に悲しみ、
再会の欲に取り付かれてしまってはいけませんよ。
そうしますと別れの数だけその苦しみに耐えなければならなくなりますからね。

この世では叶わないかも知れませんが、
縁がありましたらまた必ず逢えますからね。


遺伝子

巷では血液型占いが流行しているそうでございます。
A型は几帳面な性格、B型は気まぐれでいい加減、
なんて云われておりますが、

太古の昔、
A型の遺伝子を持つ民族はきっと、
厳しい自然環境の中を生き抜いて来たんでしょうね。
北方の寒い地方の民族だったのかも知れませんね。
知恵を働かせ自然環境の些細な変化にも敏感に対応しなければ生きて行けなかったの
でしょう。

B型の遺伝子を持つ民族はきっと、
自然の実り豊かで、海産物も豊富な地域で暮らしていたんでしょうね。
南国の暖かな地方でせかせかとすることもなく、
のんびりと暮らしていたんじゃないかと思います。

AB型はその両極端の遺伝子が混ざっておりますから、
多少複雑な性格をなさっておられるのかも知れませんね。

遺伝子はある局面でどのような行動を取るかといったことに、
多少影響を与えているようでございますね。
一卵性双生児は行動パターンが似通っているといったような話しも良く耳にしますか
ら、
それは間違いのない事実なんでしょう。
もちろん努力や信念で行動パターンを変えることは可能でございますよ。

あ、それから双子の兄弟が遠く離れて暮らしておりましても、
双方の人生に共通性が見られるなんて話しも聞きますが、
これは気が通じ合っているからでございますね。
遺伝子にはそこまで人生を制約する力はないです。


成仏できない理由

今は本当に成仏できない人が増えておりますね。
何故なんでしょうか?

その理由としまして、
まず最初に心が成長していないことが考えられますね。
心で考える習慣がなくて脳でばかり考えているんですね。
ですから魂になった時に感じることはできても考えることができない。
生前、心が汚れて幕が掛かったような状態で心が見えなかったんですね。
死んだことにも気付かない、そんな状態ですね。

悪事を企てたり、犯罪を犯すような人は心が成長しておりませんから、
間違いなく成仏できません。

次に苦痛や悲しみに執着してしまっている状態が考えられますね。
生前に長期間、苦痛や悲しみが持続しておりましたら、
魂になりましても苦痛や悲しみを振り払うことができないんです。
死んだから苦しいはずがないんだ、辛いはずがないんだと気付きましたら、
すぐに成仏できるんですけどね。

第3に怒りや恨み、憎しみで魂が重くなってしまっているケースが考えられます。
そういった感情を捨ててしまうことができましたら、
魂は時間と共に次第に軽くなって参ります。

第4に何かしらの執着を持っていてこの世に留まりたいと考えているケースですね。
御自身で留まりたいと願っているんですから、神様でも助けることはできません。

難しいものでございますね。

生きている間に、心で感情を制御することを覚え、
何事に対しましても命懸けで全力でぶつかって行けば良いんです。
怒っても泣いても良いんです。
それでさっぱりと忘れてしまい、心に悪い感情を貯め込まなければね、
それが一番良いんです。
くよくよ、うじうじ、恨んだり、根に持ったり、愚痴を云ったりするよりもね、
その方がどんなに良いか知れませんよ。

まあ、笑っているに越すことはありませんが。

最近気付いたのですが、
私も貧相な顔をしております。(爆)
でもね、笑顔でおりましたらね、
最近は書物に出ておりました貴相や富相に少しばかり近付きました。
笑顔でおりましたら貴相や富相になるんですね。
嬉しいことでございますよ。


寂しい感情

少し前になりますが、
無心で御真言を唱えておりましたら、
どなたかの、とても寂しそうな感情が飛び込んで参りました。
寂しくて、耐えきれない、誰かに守られていたい、
そんな感じの意識ですね。

あ、これは私の意識ではないぞ、って思いながらも
暫く様子を見ておりましたが、
何が寂しいもんですか、ってね。
寂しいのなら私や周りの人に云って下されば良いんです。
だれか楽しい人が必ず楽しくして下さいます。
それに神様だって皆さん親しい御友人なんですから。

でもね、突然あることに気が付きました。
多くの霊達も寂しがっているんですね。
霊も寂しいから、寂しい人の所に集まって来るんです。
「あそぼ」ってね。

そんな時はね、
楽しい音楽を流すと良いですよ。
長時間流しておりますとね、
なんだか明るい雰囲気に変りまして、
気分も明るくなりましてね、
きっと妖精とかが飛び廻っているんじゃないかってくらいに楽しくなりますよ。


旬の食材

もうじき鰯や鱈、あんこう、などといった魚が獲れるようになって参りますね。
鰯のつみれ汁、あんこう鍋、鱈鍋が美味しい季節でございますからね。
もう少し寒くなって参りますと牡蠣や河豚、鰤の時季に入ります。
でもこの時季に獲れるものは全て鍋ものに最適な食材ばかりでございますね。
あ、大根も美味しい時季でございますから、鰤大根も良いですね。

熊や猪は今年は下界で農作物などを荒し、
人に危害を加えるようなこともありましたが、
それそろお腹一杯になって冬眠に入って下さいますでしょう。
一安心でございますね。
その代わりに秋田辺りではなまはげさんが暴れ回るようになります。
「なぐごはいねがー!」ってね。(笑)

お酒を熱燗にして、炬燵に入り、鍋を突つく、
私などには夢のまた夢でございますが、
今年もまたそんな季節が近付いております。


BGM

演歌などもこれからの寒い時季には最適でございますね。
最近では吉幾三さんがTOFU(トーフ)といったような面白い唄を歌っておりま
す。
きっとスーパーの豆腐売り場とかで流れるんじゃないかと思っているのですが、
なんだか、そこまでメジャーではないようでございます。
森進一さんなんかも心温まる良い唄を歌っていらっしゃいますね。

ところでね、
「上野発の夜行列車下りた時から、青森駅は雪の中、
北へ帰る人の群れは何故か無口で、海鳴りだけを聴いている。
私はひとり連絡船に乗り・・・」
なーんて唄がありますよね。
きっとこの唄の主人公さんは北海道の方なんでしょう。
でもね、なーんか納得いかないんですよね。

北海道の方はね、
「時計台の下で逢って私の恋は始まりました。」
っていう唄のようにね、案外明るい性格なんですね。
北海道の方にはね、
こぶしも、凍て付く風の寒さに歯を噛み締めながら話す津軽弁も、
じょんがら三味線も似合わないんです。

津軽には津軽の魅力が、
北海道には北海道の魅力があるんです。

心に残る名曲なんですけどね、
なーんか雰囲気が違うんではないかい?
などと考えている今日この頃でございます。

あー、でも津軽じょんがら節は死ぬまでに覚えて、
全国行脚の癒しの旅に出掛けたいものでございます。


私事

私の部屋にもね、家主様の御好意によりまして
湯沸し器を付けて下さることになりました。(爆)
いえ、数年間ずっと故障しておりましてね、
今月中頃までは水風呂でも構わなかったのですが、
水垢離の良い修行になっていたのですが、
どうもこれからの時季はやはり困ります。

毎年、大きな鍋に一時間以上掛けてお湯を沸かしまして、
入浴しておりましたが、
やはりね、とてつもなく寒いんです。
でもね、これからは少しは人間らしい生活ができるようになります。

文明の利器は本当に有り難いものでございますよ。
嬉しい限りでございます。


先日は知人の女性と2年ぶりに会って御食事を御一緒させて戴きました。
それがね、
失礼ながら2年前までは森久美子ばりの巨漢だったのですが、
なんとそれが普通の体型になっているんですね。
表情がイキイキとしておりましてね、
瞳がキラキラ輝いているんです。
楽しくて楽しくて仕方がない、
今は命懸けで楽しさを追及しているんだって感じでございました。

そりゃあ楽しいでしょうね。
彼女に取りましては今が人生の中で一番楽しいに違いありませんね。
にこにこっとした時の笑顔がね、本当に魅力的でございましたよ。

何があったのかメールマガジンに書きませんかって御誘いしまして、
快くお引受け下さったのですが、
なかなか原稿が届きません。
そんなわけで勝手に書かせて戴いておりますが、

何か本当に思い切らなくてはならないような何かがあったんでしょうね。
強い精神力で食欲に打ち勝って来たんでしょうね。
辛かったと思いますよ。

でも今は本当に輝いておりますからね。
もうじき御結婚もなされるそうでございますよ。
極度の苦しみや悲しみ、辛さを乗り越えますとパラダイスが待っているんですね。


レクイエム

ヴェルディのレクイエムというクラシック音楽がございます。
賛美歌などの教会音楽のような感じのものでございます。
レクイエムは確か鎮魂歌という意味ではなかったかと思いますが、
キリスト様の魂を和ませるための歌でございますね。

私はこの曲、(CDに14曲入っているのですが、)が大好きでございましてね、
良く流させて戴いております。

瞳を閉じましてね、
教会で聴いているようにイメージするんですね。
そうしますとね、
部屋の空気の温度が少し下がりまして、
雑音が消えまして、
落ち付いた静かで重厚な雰囲気に変わりましてね、
本当に教会の雰囲気に変わるんです。

霊域が高まるのか、或いは気が変化するのかは分かりませんが。
イエス様!ってね、
自然に手を組んでお祈りをしたいような心持ちになるんです。

お薦めでございますよ。

レクイエム(永遠の安息)
キリエ(主よあわれみ給え)
ディエス・イレ(怒りの日)
トゥーバ・ミルム(不思議なラッパの音)
リーベル・スクリプトゥス(書きしるされた書物は)
クイドースム・ミゼール(哀れな私)
レックス・トレメンディ(みいつの大王)
レコルダーレ(思い出させたまえ)
インジュミスコ(私は嘆く)
コンフターティス(裁判をうけたのろわれた者は)
ラクリモサ(涙の日よ)
ドミネ・イエス(主イエスよ)
サンクトゥス(聖なるかな)
アニュス・デイ(神の子羊)

といった曲が入っております。
少しでも雰囲気が伝わって下されば良いのですが。

キリスト様は聖書の中でも素晴らしい教えを沢山残されていらっしゃいますね。

あなたの中で一番大きい者であっても、
天にいる神の中で一番小さい者より小さい。

聖書がありませんので、正確な表現ではありませんが、

死後の魂は永遠の命を得る。
とか、
心の貧しい魂は炎の中に投げ込まれるとかね。

ちなみに新約聖書の約はね、
神様との約束の約でございますね。
決して翻訳の訳ではありませんよ。