ブログより転載(〜2006年3月)

 

最近、公園で鳩がうずくまっている様子を良く目にします。
以前からうずくまっていましたっけ?
私は最近気付いたのですが、
足を折り曲げてお腹を地面に付けているんです。
沢山の鳩がそうしているんです。
不思議な光景です。
鳩に詳しい人、是非、鳩のうずくまり現象について調べて下さい。
関東の鳩はどうなんでしょうね。

ところでね、
日は東から昇ります。
ですから(北ではなく)東にあります都市は情報をいち早く情報を得て発信する、いわゆる流行の最先端的な機能が備わります。
東京が首都として機能している理由が分かりますね。
西に湾が開いている大阪は風水で云われております通りで、経済的な中心になっていることもうなずけますね。
天照皇大神様のいらっしゃる三重は南東に湾が開いておりますから、一番気が良い場所でございますね。
ですから、神様の中心になっていることも頷けるんですね。

 

世界各地で巨大なハリケーンや巨大台風が発生し被害が出ております。
これはね、不調和な想念が余りにも増え過ぎたためなんでしょうね。
人類への警告ですね。
やがて神の逆鱗に触れるぞっていう警告です。
神様の逆鱗に触れてしまいましたら、人類など一瞬の間に絶滅してしまいますからね。
人類が必要ないものとして神様により絶滅させられた歴史は過去に沢山ございます。
ノアの箱舟、アトランティス大陸、ムー大陸、他にもまだまだございますでしょう。

不調和な想念、
人に害を加えようとする想念、環境を害そうとする想念、
人間だって憎しみや争いの中では落ち着くことができないのと同じように、
大自然のあらゆる存在もまた、そういった不調和な想念の中では秩序を保つことは困難でございましょう。
折角中国から譲り受けた日本のパンダが子をもうけることができなかった、
これも原因は私達の想念にあるんだと思いますよ。

UFOが地球の調和のために、或いは何かを伝えるために地上に描くミステリーサークル、
聖書の特殊な解読法による預言、
様々な方法で神様は私達の滅亡がそう遠くないことを教えて下さっておられるようでございます。

調和を図るため、地上から災害を無くすため、
私達地球人類全員が真の愛に目覚め、地上を愛に溢れる世界にする、
その努力は一層心掛けなくてはならないような気が致します。

 

守護霊様や御先祖様、神様が守って下さっているという認識を持つことは大切ですね。
それでね、力一杯にやってみて、ダメだったらダメでも良いんです。
信念を持って力ずくでやってみることなんです。
くよくよしておりましても、何も始まりませんからね。

 

人を愛するということは本当に難しいことでございます。
強いエネルギーが必要ですからね。

聖書の中にはこのような教えがございます。
「今日食べるもののことで思い煩うな。」
と。
キリスト様は十字架を背負われました時にも、
私達のことを憐れんで下さいました。
自分のことはどうだって良い。
それがね、本当の愛であり、本当の強さなんだと思います。

言葉が通じないとき、想いが通じないとき、
真心で神様に心の平穏を願って差し上げる。

真心で祈ることも本当に難しいものでございますね。
一切のこだわりを捨てなければいけませんから。

私達は誰もが愚かです。
でもね、私は祈ることしかできませんから、愚かなりに信念を持って、
神様のお慈悲に縋りながら祈っております。

誰もが幸せでありますように、
私も幸せでありますように、
ってね。

 

私は、誰かに何かを要求することは絶対にしないんです。
そのことは私の性格を良く理解して下さっている人でしたら充分に分かってくださっていると思います。
勿論、権利を主張することはあります。
それは違うのではないかえ?とか、こうしなければいけないのではないかえ?って厳しく云ってしまうこともあります。
そりゃ、私も一応は男性格を持っておりますから、歯に衣着せずに云っちゃうこともあります。

でもね、誰かに何かを求めることは絶対にしないんです。
ですから、なあなあの友人といった関係も持たないんです。
でもね、私以外の人は皆さん互いに求め合って生活していらっしゃるんですね。

人に頼り迷惑を掛けることが正しいことか、間違ったことか考えたことがございます。
できるだけ自分の足で立つようにして、できるだけ人に迷惑を掛けないようにして、
逆に人から与えられる迷惑はできる限り受け入れられるようになる。
それが本当に正しい在り方だと思っております。

互いに信頼し合った仲でしたら迷惑を掛け合うことも全く問題はありませんでしょう。
それによって互いが広い心を養うことができるんですから。
でもそれにも限度がありますよね。
何でもかんでも人に頼り切っておりましたら成長なんてできないんです。

ですから、何でもかんでも頼ろうとする人には、私は厳しいですよ。
厳しく接して差し上げますことがその人のためになるのですから。
頼ってくださるのはね、本当はとても嬉しいことなんです。
多少の迷惑もなんとも思わないのですが、
客観的な視線で間違っていることは間違っているってね、その人のために厳しく云っちゃいます。

それにね、神界の神様以上の意識をお持ちの方で、
誰かに何かを頼ろうとしたり、人に何かを要求したり、迷惑を掛けても構わないといったお考えの方はお一人もいらっしゃいませんからね、
魂の成長をお志になられます方は肝に銘じておいて下さった方が良いですね。

 

幸せになりたいのなら、反省してご自身の過ちに気付かなくてはいけないんです。
過ちを抱えたまま、誰かに迷惑を掛けつづけたまま幸せになれるなんて、そんな馬鹿な話しはないんです。
反省して、己の汚い部分を取り除き、懺悔して、心から懺悔して、もう二度と同じことはしないと心に誓い、
そうして本当の幸せに近付くことができるんです。

老人になっても、寿命で命を落としても、それでもまだ何かあるごとに人のせいにする、
汚い心を抱え込んで、俺様はこんなに偉いんだゾと威張り散らす。
一体、今生きている人の中で、そうじゃないと云える人が何パーセントおられるのでしょう?

感謝と懺悔、
感謝だけでは魂は成長しないんです。
また、懺悔だけでも神様は認めては下さいませんでしょう。

今生きている人達の平均的な心の状態は地獄霊の位置にあるようです。
勿論、生きているのですから時には霊界の意識を持つこともありますでしょう。
それでも地獄霊の意識の時が殆どなんです。

最も高い時の心の状態を、霊界から神界、菩薩界、如来界へと上げて行く、
最も低い時の心の状態を、地獄界から幽界、霊界へと上げて行く、
そのためには反省して自分自身で汚い部分を取り除くしか、方法はないんです。

今はね、末法の世でございますから、光の天使様も沢山命を与えられてこの世界で活動されていらっしゃいます。
その反面、光の天使の振りをする悪者、悪霊も沢山おられるようでございます。
鋭い判断力と心の目で再度真実を見詰め直し、正しく力強い人生を自らの足で切り開きお進み下さいますよう、
心から願っております。

 

冬の寒さも和らぎ少し肌寒く感じる頃、桃の花が咲きまして虫達は地上に這い出します。
そうして梅の花が咲き、薄桃色の季節が始まります。
新しい命の息吹を感じますね。

また暫くしますと桜の花が咲きまして、そよ風に吹かれて舞上がるんです。
全てが新しい始まりの時ですね。
ピカピカの鞄を持って、ピカピカの靴、ピカピカの服で元気に登校する新一年生などを目にしますと、
頑張ろうって気になりますよね。

桜が終わりましてもまだ暫くは里桜といった品種が咲き続けます。
里桜は花は小さいですが幾重にも重なった桃色の品種です。
それから、こぶしの花が咲きます。
こぶしは木に咲く白い大きな花ですね。

本当に素晴らしい季節でございますね。

 

神社の御手洗場の作法はね、
まずひしゃくの柄を両手で持って軽くお辞儀をしまして、
ひしゃくを流水で洗い清めます。
次にひしゃくに流水を溜めて左手を洗い、柄を左手に持ち替えて右手を洗います。
また柄を右手に持ち替えてひしゃくから左手に水を受け、その受けた水で口を漱ぐんです。
で、また両手でひしゃくの柄を持って軽くお辞儀をしてひしゃくを置いて終わりです。

でもね、全てのひしゃくに口紅が付いているんですね。
思いますに、きっとこれは、力士が力水を飲むように口を漱いでいらっしゃるんですね。
「ごっつあんです。」なんてね。(笑)

 

砂の道を30分程トラックの荷台に揺られて海辺の村に着く。小さな小屋の庭先で食事を戴くのである。
店員が大皿に持った料理を運んでくる。蟹を殻付きのままぶつ切りにしてピリ辛く煮たものである。どうしても手が汚れる。
ここではBeerが飲める。皆は口々にビアを注文している。

食事が終わると私達は小さな船に乗せられて向いの岸に運ばれた。
ここは干潟のような遠浅でドロドロの海が遠くまで続いている。ムツゴロウのような魚がその干潟に顔をのぞかせる。
ここには干潟の上に建てられた高床式住居のような建物が軒を連ねている。
全体が干潟の海の中に建てられた高床式の村である。

少し歩くようで、その高床式の村の高床式の木製の橋のような道を案内される。
途中、ココナッツジュースを勧められる。ココナッツ椰子の頭を大きなナイフで切り取ってそこにストローを挿したもので、
現地の若い兄ちゃんが観光客相手に現地の言葉で懸命に勧めている。

ここの村は貧しい。
全面オープンになった高床式住居の中にござが敷いてあり、そこに家族がいて私達を眺めている。赤ん坊もいる。
ここの人達の収入源は海老である。
小さなアミ海老のような海老を取って醗酵させたものが主な生産物である。
この村の至るところで海老を大きなアルミ製のボウルに入れて醗酵させている。だから村中で海老の醗酵した臭いがしている。
土産物屋で売っているクッキーなどにも、この海老の醗酵したものが甘く味付けされて挿まれていたりする。
私達には余り美味しいものではない。

 

調和のために不調和がある。
調和のために不調和が生じる。
不調和は学びとなる。

人は余りにも多くの不調和なものをその体内に取り込んでいる。
全ての生物も同じである。

鳥インフルエンザ、様々な微弱毒を持つ細菌、埃、唾液、汚れた想念、
良くみてみれば、そういったものが空気中を飛び交っている。
どこまでが綺麗なもので、どこまでが汚れたものか、
そのような人間の独り善がりなものさしはナンセンスであるように思う。
そもそも身体そのものが汚れているのだから。

南無妙法蓮華
蓮華の花は汚れた汚水の中から美しい花を咲かせる。
人の身体が如何に汚れていようとも、その心は美しく咲かせることができるのだ。

汚れたものなんてこの世界には存在しない。
全て神様がお造り下さった賜わりもの。

でも美しいものと汚れたものの線引きはナンセンスであっても、
正しいもの、間違ったもののモノサシは存在する。
それなくしては、お釈迦様は何をお悟りになられたのだろうかということになってしまう。

たとえ人に害を与えるものであっても、
善なる心には無害なものとなる。

 

大陸の唄は大らかで、豊かで、広がりがあって、幅があって、奥行きがあって、
深さがあって、優しくて、何もかも赦して包んでくれるようなそんな暖かさがありますね。
それに比べまして、日本の唄は少し鋭角で研ぎ澄まされているように感じます。

私達は日本の風土や文化にしか馴染みがありませんから、
どうしても中国大陸やアフリカ大陸よりも島国の日本の唄に魅力を感じてしまいますが、

先日、テレビの番組の主題歌になっていた「ライライヤ」という唄を聴くことができました。
ああ、誰なんでしょう、こんなに深い広がりのある唄をお作りになられましたのは・・・。
魂が強く揺さぶられましてね、いえ、比喩ではなく本当に揺さぶられるんです。
でね、その直後、私の魂は大河の岸辺にいて、広大な景色を眺めておりました。

素敵な唄です。。。

 

中国のガス田開発問題がまた浮上しているようでございます。
領海権、尖閣諸島の領有権をめぐって揉めているんです。

中国が日本と誠実に接する気持ちになれないのは理解できます。
或いは、日本が間違っているのかもしれない、
ですから早期に歴史の勉強会をする必要があるんです。

日本は中国を植民地化しておりました。
そうして沢山の中国を含むアジア人を殺戮しました。
これは間違いのない事実でございます。
その償いは今もって、中国に納得の行く形でなされていないのが現実です。
日本は口先だけ、お金の借款だけの謝罪、これで誰が納得するのでしょうか。

太平洋戦争はね、
他国に進攻して植民地を増やしたい日本とヒトラー率いるナチスドイツ等の国が手を組み、
植民地支配を逃れたい中国に正義の味方のアメリカやロシアが手を差し伸べ戦った戦争なんです。
真珠湾で日本が最初に暴力を振った戦争なんです。
アメリカの正義は敗戦後の日本の扱い方からも充分に判断できるんです。

日本人は男達の大和などと云って喜んでおりますが、
戦艦大和は侵略のための戦艦だったんです。
決して日本を護るための戦艦ではなかったんです。

日本が核を落とされた、
それはね、日本がならずものの国であったから、アメリカに極めて強い二発をごつんとやられたんです。
核を落とされても仕方のない国だったんです。
アメリカの責任半分、日本の責任半分なんです。

勉強して下さいましたらそういたことも納得して戴けると思いますが、
日本はね、もっと反省しなければいけないと思いますよ。
冷静になって、歴史を振り返り、倹しくなるべきだと思います。

そういったことを考えますとね、
中国の日本に対する対応も仕方のないことだって分かります。
韓国も、そうですね。
その他のミャンマーやフィリピン等の国は、本当に日本に好意的に接して下さっている。
感謝してもし過ぎることはないと思いますね。

いえ、良くは知りませんけどね。