ブログより転載(2006月9月〜10月)

 

未来社会

仕事は原則として、どのような仕事でも政府が一括して請け負い、それを民間に引き渡すんです。
例えば、家を建てたい、水道管が破裂した、そんなことも全て窓口は一つなんです。
勿論、直接取引きもありますけど、それも全て政府に報告するのですね。
企業は、その殆どが個人事業主の集まりで、組合のようなものになりますでしょうね。
殆どの人が個人事業者で、皆が自分の得意分野で頑張っているんです。

消費者は、借金を幾らしても構わないんです。
政府銀行が財産総額を管理しておりましてね、残額があろうとなかろうと、現金を引き出すことができるんです。
でも、余りに借金が増えすぎますと、労働センターへの召集がかかりましてね、
そこで暫くは働くことになります。

政治政党はなくなっておりますでしょうね。
全て国民の投票による決議に変わりますでしょう。

恋愛意識もいまよりずっと向上しておりますでしょうからね、
不倫なんてなくなっていると思いますよ。
皆が魂とか、前世といったことの理解が進んでおりますから、
皆、前世で誓い合った婚約者を大切にするんですね。
好きな人とは不倫するよりも、周りに気兼ねせずに友人として楽しくお付き合いする方を望まれますね。

 

中道

一本の細い道があるんです。
その道は光で溢れており、何人もその道を進む限り災いに遭うことがない。
神霊に護られた道ですね。

その道を挟んで、荒地が広がっておりましてね、
その向こうは険しい断崖絶壁ですね。
荒地には獣や毒虫がおりまして、毒草も生い茂っているんです。
ですから、この荒地は命を失う危険がありますね。

でも、誰も真中の道を歩こうとはしない。
怪しいとか、古臭いとか仰られるんですね。

今、どなたかに、ナイフで鉛筆を削れるか聞いてみたとします。
十人おりましたら十人とも、削れるって云いますでしょう。
でも、昔のように正しく鉛筆を削れる人は一人いるかいないかなんです。
皆、円錐形に削ってしまうのですね。

昔の人はね、鉛筆の角のところにナイフを当てましてね、
真っ直ぐに、水平になるように削ったのです。
ですから、削った鉛筆は六角錐になるんですね。

昔も同じなんですね。
どこかで間違いが蔓延ってしまう時期が何度も何度も繰り返し訪れているんです。
常識が通らない、誤った大衆の意見が正しいとされる、時代。
今もそんな時代でございますね。
でもね、それは真に人を幸せに導いて下さるものではないんです。

例えば御護符や呪術の古書があるとします。
でも、その中にも10中8、9は間違いが含まれているんですね。
昔も今と同じで間違いも沢山あったのですから。

その間違いを正すために時折に救世主のような存在が生まれて下さるんです。
救世主の教えに接することができた人は幸せな人ですね。
そうでない人は、間違ったものを頑なに信じ続けるんです。
私は前者であることができたと喜んでおりますけど。

でもね、たとえ救世主の正しい教えに接することができませんでも、
八正道に基いて、正しく考え、正しく見て、、、と
そういった生き方をしておりますと本質を見抜く力は養われて来るんです。

前述の鉛筆を削る話でもね、
正しい在り方を知っているものだけが本物か偽者かを見分けられるのです。
ですからね、本質を見抜く力、判断力を養うことは大切なことであると思います。

そのためにはね、やはり真中を通る一本の細い道、中道を歩いておりませんといけませんね。

 

詩、のようなもの その2

地球は命に溢れている。

命は海の中に、
岩に、大地に生息する植物に、昆虫に、
大地を駆け回る動物たちに、
大空を舞う鳥たちに、
私たちの身体を構成する全ての細胞に、
臓器に、
至る所に生息するウイルスに、
菌糸のひとつひとつに、
命は宿っている。

例えば饂飩を食べる。
その小麦粉にも一粒一粒に命がある。
麦が、その命を犠牲にして与えて下さった命の糧である。
私たちを生かして下さろうとその命を犠牲にして与えて下さった、
尊い命の糧である。

命は歓びである。
そこから愛と感謝が生まれなくて一体何を生み出そうとするのか。

だから私は命に祝福するのだ。
大いなる歓びを感じて、祝福するのだ。
全ての魂を抱き締めてやりたいのだ。
癒して、慰めてやりたいのだ。

 

祝詞奏上

神界の神様は穢れを嫌われます。
折角、神様が来て下さっているのに、部屋に穢れ、不浄がありますと、
神様がそれを教えるために頭痛で知らせるそうでございます。
ですから、神職さんには頭痛持ちの方が多いです。

私もそういった症状に見舞われることがございます。
最初は、分からなかったから気を送り光を当てて一生懸命に説得しておりました。
でも、改善されない。
さてはオヌシ、神様だなということがおぼろげながら分かって参りまして、

それでも個人の家から全ての不浄を取り除くことはなかなか難しいことでございます。
それで、家賃の安い賃貸物件を探しておりますが、
なかなか見付からないものでございます。
でも、そういった修行所のような場所がありましたら、沢山の方にも利用して戴けるのではないかと、
最近はそんなことを目論んでおります。

開運のメニューは沢山ありますからね、
癒しと開運修行所、なんて名前付けて。。。
勿論、不浄はいけませんから禁酒禁煙で、そこでは必ず力一杯命懸けで頑張って戴くんです。
必ず開運できますようにね。

まがりなりにも私は開運のプロなんです。
ですから、必ず開運できるんです。
でも、部屋のことは、神様にお願いするしかないようですけどね。

 

虐待

それぞれが、己の立場で考えてしまうから争いになる。
それでも愛し合う仲なら話し合うこともできますでしょう。

でも、そういった関係でなく、例えば、
ストーカーやセクハラ、暴力の加害者と被害者、
嫁姑関係、
上司と部下、
いがみ合う親子関係、
そういった関係で、一方的に求められる側は、
当然、理不尽な要求に対して自己の権利を主張するのですが、

弱い立場、
子供や女性と言った弱い立場にあるものは主張できないものでございます。

昨日も、痩せ細った子供が栄養失調でその命を落としました。

折角生まれてきて、
満足に食べることもできず、自らの人生を歩むこともできずに
その命を落としてしまう。

弱者に取りまして、この世界はなんと辛い世界なのかと思います。
暖かく護って下さるべき国も、強者の味方をなされる。

試練の時なのかなと思います。
この試練の時に、どれだけお心の暖かい人が増えて下さるか、

試練の時だからこそ、心に目覚め、社会を正しい方向に導いてくださる方が増えて下さる。
きっと、増えて下さる。
それを願うばかりでございますね。

 

牛のノロイ

アメリカ産牛肉の輸入が始りまして、
吉野家さんでも牛丼が復活したそうでございます。

鶏糞を食べさせられて育った牛、
鶏糞牛o
私は食べませんけど、

死刑囚にだって死に際には好きなものを食べさせて下さるんです。
食用の牛にだって、美味しいものを食べさせてあげりゃ〜、って思うのですけど、
人は飼料を安く上げようとするんですね。

でも、人の倫理観はどうなってしまったのでしょうか?
何も分からない牛になら、鶏の糞を食べさせておけば良い、そう考えていらっしゃるのでしたら、
大間違いなんです。
その想念は必ず、自分達の所に戻って来るんです。

ですから、私達が鶏糞で育った牛を食べなくてはいけないことにもなるんです。
クロイツフェルト・ヤコブ病に罹るんです。

人だって鶏の糞は食べたくない。
それは牛だって同じなんです。
牛のノロイ、人への憎しみ、
それが狂牛病の原因でありますプリオンを生じさせた、
それはまず間違いのないことなのではないかと思います。

牛だって心を持っておりますし、天に帰りますと言葉だって話すんです。
勿論、人間の魂とは決定的に異なる大きな違いがありますけど。

牛の気持ち、考えて差し上げて下さい。

 

黒猫

黒猫がゴミを漁っておりましてね、真っ黒い猫で毛並みのとても美しい猫ちゃんなんですけど、
少し小柄の、チャーミングな猫なんです。
きっと捨て猫か迷子猫なんでしょう。

黒猫の好きな人って多いですね。
「おまえも嫌われものなんだな」って、自分の境遇を重ねまして愛着が沸くのかも知れませんね。

ところでね、質問です。

全てのものの中で、一番暖かいものは何でしょうか?
全てのものの中で、一番冷たいものは何でしょうか?

お分かりになられますでしょうか?

答えはね、
暖かい人の心と冷たい人の心

商店街を歩いておりますと、お年を重ねられました、おばちゃん達が買い物をしておりますけど、
皆さん、、余りお美しくない。
心の内に不満を抱え、冷たく暗いお心で生きて来られましたからなのでしょう。

全く残念なことでございます。
笑顔で日々をお過ごしになられておりますと、一ヶ月で御表情が魅力的に変わりますのに。

人の表情ってね、変わりますよ、
笑顔で生きるか、不満顔で生きるか、
一ヶ月も経ちますと、月とスッポン程の違いが生じて参りますね。

 

商(あきな)いの語源

商いは贖(あがな)うという言葉から生じました言葉でございます。
贖う、を辞書で調べますと、このような意味のことが書かれております。
1、罪・穢れを免れるために金品を出す。
2、つぐないをする。罪滅ぼしをする。
ですから、商いをするということは元々、
罪をつぐなうために少しでも社会の役に立たせて戴きたいと、
身を粉にして、誠心誠意人のために働くことであったと思われます。

事業も元々はお金儲けの意味なんて全く無かったんです。
社会のための大きな仕事、それが事業でございます。
そうしまして、それが正しい事業でしたら、収入は自ずと付いて来るものなんです。
沢山の善霊様のお力添えが戴けますから、必ずそうなるものなんです。
それが今はお金儲けのために事業を起こす。
ですから失敗したり、苦しんだりしなくてはなりませんし、
来世も同じように苦しまなければならなくなるんですね。

 

人の外見と内面的なもの

人の外見と内面的なものは余り関係はないように思いますね。

私は内面は結構厳しい一面がありますけど、
気の弱そうな容姿と、ゆっくるしたしゃべり口調で、気が弱くて優しそうな、鈍とした人物として受け取られてしまいますことが多いです。
ですから、心と身体、
外見的なものと内面的なものはやはり余り関係はないように思いますね。

容姿はね、私の心や魂といったものではなくて、身体に入って下さっております魂がそのような性格なのでしょう。
遺伝子の影響もありますでしょうしね。
ですから、私の心や魂とは全く関係無く、私の身体は昔から余り丈夫ではなかったですね。
ゆっくりとしたしゃべり方は、舌が短いものでね、どうしてもそうなってしまうのですけど、

ところでね、内面の話しなんですけど、

1.自分に優しくて人に厳しい人
2.自分に優しくて人にも優しい人
3.自分にも人にも、優しくも厳しくもない人
4.自分に厳しくて人にも厳しい人
5.自分に厳しくて人に優しい人

私は、人格が成長するに従いまして、内面的なものは1から5へと変わって行くのではないかと思いますけど、
皆様はどう思われますでしょうか???

 

夢の話

昨夜は、小さな家の縁側に座ってのんびりしておりました。
夜のはずなのに、秋の日の日溜りって感じでね、
縁側の前に道がありまして、その道に面して、石を彫って作ったようなお地蔵様やらが五体程並んでおりましてね、
そこに小さな子供がお参りをしておられました。
私は、何故か当然のように声を掛けているんですね。

それから、飛んでいる映像。
私は夢の中では飛んでおりますことが多いです。(笑)
鉄腕アトムのように飛んでいるのですけど、余り高くも無く、速くも無い。
無理に速く飛ぼうとして手を振り回しておりました。

 

いじめについて

先日の、いじめを苦に自殺した中学生の事件が頻繁に報道されておりますけど、
どうも担任教師の発言が原因であったようでございますね。

政府や警察、公務員、教師、そういった公職に有る富裕層は事なかれ主義を尊びますね。
内輪の事件で、たとえそれが殺人事件であったとしましても、
己の地位が危うくならないように、もみ消すことができるならもみ消してしまえ、
そう考えていらっしゃるんですね。

いつの時代も自己保身は醜いものでございます。
それが結果的には加害者の、強者の味方になっているんです。
強きを助けて弱きを挫いているんですね。

学校なんぞ、行くものではありませんね。

今回の事件では、勿論教師は懲戒免職のみならず殺人罪でも裁かれなくてはなりませんし、
校長も殺人幇助の罪で裁かれるべきであろうと思います。
さもなくば、偽証罪で裁かれるべきでございます。

ご両親もね、何をなさっておられたのでしょうか?
たかだか苛め程度のことで尊い子供を死なせてしまう、
何故、ご両親は相談もして貰えず、助けて差し上げることもできなかったのでしょうか?
私はご両親にも大きな罪があると思いますよ。

社会全体の心が地獄を生み出している、それが今の時代なんでしょうね。
正しい在り方を求めようとしましても、
殆どの方のお心が地獄のような冷え切った状態ですのでね、
今後、ひとつひとつ解決策を見付けて参りますのは困難なことだと思います。
万人がお心を正して、正しく生きる決意を持って下さいませんと、
もうここまで来てしまいますと、簡単な方法で軌道修正することは不可能でありましょう。

心を正して正しく生きる、正しい社会を目指す、正しい在り方を目指す、
それが何よりもまず、全てを修復するための要件でございますね。
それをしませんことには、
今後益々、弱い立場にある者の命が奪われてしまう事件や事故が増えてまいりますでしょうね。

心の汚れを拭うように雑巾掛けする。
神気を吸うように朝日を拝む。
心に灯を灯すように蝋燭に灯を灯す。
心を正すように正座して姿勢を正す。
神様に仕えるように丁寧に祝詞を奏上する。

そうしましてね、ご自身の心の在り方を深く深く内省してみるんです。
正しい在り方、正しい考え方を死に物狂いで考えるんです。
万人が考えなくてはいけないんです。

あなたや、あなたの大切な人が尊い命を奪われてしまうことがないようにね。
事件の被害者になってしまうことがないように。

 

牡蠣

テレビの幾つかの番組で、牡蠣を美味しそうに食べております様子を拝見しまして、
もう牡蠣の季節なんだなあってね、しみじみと感慨に耽っておりました。

テレビで拝見しておりますだけで食べた気分になれる私は、きっと誰にも理解不可能でございましょう。

考えますに、人の行動には必ず条件と目的がございます。
条件がありまして、それによって目的が発生し、行動に移るのですね。

例えば、お腹が空いて、食事の時間になる、
これは条件ですね。
この条件が成立しますと、人は満足を得ることを目的に食事をするという行動をとるのですが、
でも、満足を得るため、という目的では食べ過ぎる可能性がありますね。
満足するまで食べてしまうわけですから。

たとえばね、ここんとこの目的を、栄養を摂取するため、といった目的に置換することができましたら、
生活習慣をそのように心掛けましたら、食べ過ぎる心配はなくなりますね。
そのためには食欲に打ち勝つ必要がありますけどね。

食べるものがある、という条件があり、
時間を潰すという目的で、食べるという行動をとる、
こんな方もいらっしゃるのではないかと思いますけど、
これは非常に危険ですね。
時間が潰れるか、食べ物が無くなってしまうまで食べてしまいますからね。

酒飲みはどうでしょうか。
咽喉が乾く、という条件がありまして、
咽喉を潤すため、という目的でお酒を飲む。
別にお茶でも良いのですが、酒飲みはお酒を飲むのですね。(笑)

そうしますと、咽喉が潤ったから飲むのを止める、という具合には決してなりませんね。
大脳が麻痺するわけですから、気が大きくなりましてね、
美味しいから、もう少し飲んでも良いや、もう一杯だけ、もう一杯だけ、
てな具合になるのですね。

そうしておりますと、また新しい条件が整いますね。
つまみが欲しい、っていう条件ですね。
目的は酒を進ませるためなんですね。
そうやってつまみを食べながら酒を飲むんです。
際限無く呑み続けるのですね。
私も昔は酒飲みでしたから、良く分かります。

強い信念で、客観的に見て正しい目的を持ち、正しい行動に繋げること、
これこそが正しく生きるためには必要なのですね。

 

金儲け

私達は金儲けするために生まれて来たんじゃないんです。
金儲けをする方法なら、私が一番よく知っているんです。
でも、やらないんです。
何故だか分かりますか?

世俗的な低い意識だからなんです。
嫌いだからなんです。
ズルをしたくないからなんです。
人生に何の役にも立たないからなんです。

心の奥には無限大の智恵が埋っております。
心を澄ましますと次から次へと発想が沸いてくるんです。
閃くのです。

まず一歩を踏み出すこと、
そこから物語りは始るのです。
未熟でも良いんです。
形になっていなくても良いんです。

 

気になること

人は何故、騙されるのでしょうか?
何故、リスクを背負うのでしょうか?
信頼を得るにはどうすれば良いのでしょうか?

人は、余りにも認識がなさ過ぎです。

欲を持ちますと付け込まれますでしょう。
金銭にルーズな人が信頼を得ることができないのと同じように、
人の心に無頓着な人もまた、信頼を得ることはできませんでしょう。

何故、その人を信頼するのでしょうか?
魔の心は弱い心が原因なんです。
誰にでもあるものなんです。

何故疑わないのでしょうか?
疑わなければ、正しい判断はできませんでしょう。
盲目であってはなりません。
盲目で絶対に信頼するべきではありません。

魂は信頼して差し上げるべきでございます。
魂が悪人であるはずはないのです。
誰もが皆、神の意識の一部なのですから。
でもね、
魔の部分、その人の弱い心は、
絶対に信頼するべきではありません。
疑わなくてはなりません。
疑って、弱い心を見抜くことができましたら、
強く訂正して差し上げなくてはならないのです。

また、信頼を得るためには、
強い信念を持つこと、
正義を貫くこと、
正しく謙虚に生きること、
一つでもいい加減な気持ちがありましたらいけません。
自身の欲を優先させてはいけません。

信頼は全てに優先するのです。
欲を満たせても、それは一時だけのことです。
でも、信頼は永遠に続くのです。