ブログより転載(2006年12月)

 

いじめの原因

 

いじめについて、様々な著名人がご自身なりの意見を発言し始めましたね。
ですから、私も発言しなくてはいけないかなと思いまして少し書かせて戴くことにしました。

いじめは何故起こるのでしょうか?
勿論、そこには江原さんの仰られます通りに想像力の欠如がございます。
そうしてまた、ある点での弱いもの、劣ったものを見下す考え方というものがね、
社会全体に、全ての人に、存在するのですね。
それがね、いじめの根底にあるんです。

人をある一点だけで見下す、
彼らにはそれが狭い視野であることに気付けないのですね。
ですから、、別の部分で自分が見下されることにもなるんです。
そうして、想像力の欠如が原因でね、
弱いもの、苛め易い人は、自分が攻撃されないように、苛めちゃえ、
ってことになるのではないかと思いますね。

苛めたり、苛められたり、
彼らには、ご自身の考え方の核となるものが存在しないんです。
それは親の世代が信念を持っていないから、
正しい考え方を育んで来なかったから、
ですから、子供にも正しい考え方を教えて差し上げることができなかった。

感情を失ってしまっております親が多いですから、
子供も感情が育たない。
人が虐げられているのを見ましても、可哀想とは感じないのでしょうね。

例えばね、絵本を読んで差し上げる。
でもね、ただ読んであげるだけではなくてね、
「可哀想だね」とかね、
「どう思う」とか、
「悪い人、やっつけられちゃったね」とか、
弱いものいじめはいけないこと、
正義が必ず勝つこと、
そういったことを、感情の持ち方を教えて差し上げること、
でも、それは基本中の基本ですね。

親が言動一致の行動を通して、その姿で正しい考え方を教えて差し上げる、
背中でね、お手本を示して差し上げますことが大切なんです。

それとね、ご家庭の環境でもね、
過保護で甘やかされて育ちますと、痛みを知らない人間に成長しますね。
厳しく育てられますと、心に憎しみを植え付けてしまいますね。
さらには、過保護で厳しい、これはもう目も当てられないような人間に育ってしまいますね。
心が萎縮した、自分では何も考えることのできない、窮屈な、心の自由度0の、
人間になってしまいますね。

中道ということが大切なんです。
真中の在り方、
強制することなく、人格を尊重して、自己の責任で考え行動する権限を与えて、
勿論、子供ですからアドバイスして正しい道に導いて差し上げますことは必要ですけど、
自分の力で、失敗して、何度も繰り返して、上達して、自信を付けさせて、
そうやって自分の足で立てるようにして差し上げるんです。
そうしてまた、心の在り方、思い遣りの大切さ、暖かさ、人生の楽しさ、生き甲斐、様々な喜び、
可能性、様々な正しいものを与えて差し上げるんです。

そのように子供を育てておりますとね、
考える力もどんどん付いて参りますから、苛めをするなんてこともなくなるんです。
苛めに遇いましても、ご自身の力で解決することができるようになるんです。

そうは思われませんでしょうか?

 

ベートーベン 交響曲第九番ニ短調op125「合唱」

 

このところ毎日第九を流しております。
合掌、ではなくて、合唱ですけど何か?

合唱は良いですね。
感謝と喜びに満ちて輝いているような作品ですね。
魂が合唱色に染まれば、悪いものなんて逃げて行っちゃう、
そんな素晴らしい歌なんです。

クリスマスにはヴェルディのレクイエムを
年末にはベートーベンの第九を
これって常識ですよね?
思わず手が指揮棒を振ってしまいますよね?(笑)

写真

10年程前のパスポートが出て参りまして、その頃の私の顔面写真を見ていたのですけど、

昔は、私も悪い顔をしておりました。
姉歯氏とか麻原氏のような悪人顔なんですね。
その頃よりもね、今の方が10歳以上若く見えるんです。

その頃から10年経っているのですから、20歳以上若返っているのか?そうなのか?

ところで、伊藤ハムの焼豚は美味しい。
あのロールケーキのように丸めたの、あれってすっごく美味しい。
今年のお節はかずのこと焼豚でいいかなあ。

 

 

また一年、この大宇宙大自然界におけるあらゆる事象の一年分の記録が大神霊のオペレーティングシステムに追加されました。
魂の記録はね、私達が見たもの全て、考えたこと全て、行ったこと全て、
私達の心の奥底に、神様の意識と同化する手前の部分で、私達の心を通して、記録されているのですね。
アカシックレコード、なんてどなたがそのように命名なされたのかは存じませんけど、
例えば、窓際で水耕栽培している葱もね、
葱本体と、細胞のそれぞれにアカシックレコードを持っているのですね。
反省ばかりの一年、
それでも反省することによりまして、暗い闇の部分の記録が金色に塗り替えられるそうでございます。

光子体の中に魂があって、
魂の真中に心があって、
心の中心に神様の意識があるんです。
それは平面的に考えておりますといけませんね。
心の中心が4次元から5次元の方向へ窪み、
さらにその中心が5次元から6次元の方向へ窪み、
さらにその中心が6次元から7次元の方向へ窪み、
以下続く。
そのどこかで、恐らく真中の真中の真中より少しずれたところに、
アカシックレコードは存在しているんでしょうね。

魂の数はね、無限大なんです。
それは説明するのは少し難しいのですけど、
多次元の理論をもとに考えますと分かるんです。
でもそれじゃあ実在界が魂で溢れてしまわないか?ってね、
いえ、それはあり得ないんですね。

だって実在界の大きさは宇宙の大きさを遥かに超えているのですから。
実に天文学的に大きな世界でございます。
そうしてまた、三次元的な大きさの概念は高次元では全く意味をなしませんでしょうね。
私達の魂は、三次元的に見ますと、無なんですから。
大きさが0なんですから。
ですからきっと、霊(レイ)なんでしょうね。
それでもね、高次元ではそこでの大きさというものがあるんですね。

ところでね、
願いを叶えるメソッドって分かりますか?
巷では呪術が大流行のようですけど、
そんなもので誰でも簡単に願いが叶うのなら、誰だって幸せになれるんです。
でもね、呪術では決して幸せにはなれないんです。
逆に悪い影響が出る人もあるんです。
願いが叶うこともありますでしょう。
でもね、それは、呪術ではなく、その人が真剣に命懸けで頑張りましたから、
その頑張りを神仏が汲んで下さったのですね。

願いを叶える方法はね、決して呪術であってはならないんです。
他力本願であってはならないのです。
江原さんだってそう仰られると思いますよ。

最後にはね、やはり自力本願の魂の力なんです。
真心で、信念を持って願う魂の力なんです。
その姿勢に神様や善霊様方は感応して下さるのですね。

 

教育

 

先日、テレビで物凄く愚かな発言を耳にしました。

父親のお蔭でメシが食えていることをもっと教え込まないから駄目な子が育つんだ。
ってね、
一昔前の軍国主義のような、お国のため、天皇陛下のためといったような、
極めて時代遅れの考え方を今もってなさっておられる方がいらっしゃるのですね。

そんな教育をしておりますと、純粋な子供の瞳が濁ってしまいますね。

そうではないんです。
それは間違った考え方なんです。

父親が外に働きに出るのはね、家庭内での役割だからなんです。
母親にも家事という役割がありますよね。
勿論母親が働きに出ておりましたり、育児などの負担が増えました際には、
お父様も家事に協力し、家族の負担ができるだけ平等になるようにしなくてはなりません。
また、御子様は学ぶことが役割であり、
御両親には御子様に食べさせ、教育を受けさせる義務があるんです。

皆が平等でね、それぞれに役割がある。
誰かが特別に偉くて、感謝されるべきで、
王様の命令は絶対!のように基本的人権や生存権に関わる部分で強制的主従関係があってはいけない。
それが正しい考え方ではないかと思いますよ。

同じ人間同士、対等な立場でね、
心を開き合って、或いは親しい友人同士として、
信頼し合い、尊重し合い、思い遣り合い、
親にそれができないのでしたら、御子様も正しく真っ直ぐには育ちませんでしょうね。

 

あと、それから、

 

原則として
夫婦の小遣いは同額であるべきだと思いますね。
夫婦の作業量も均等であるべきですね。
家族のことは全て家族全員による話し合いで決めるんです。
舅や姑と嫁は基本的に血が繋がっておりませんし、生きてまいりました環境も違いますから、
勿論、考え方も違うんです。
ですから、それは主人が間に入って下さらなくてはいけません。
また、ご家族の誰かが病気になったりしますと、あらゆる面で家族全員が支えて差し上げなくてはなりません。

そうしませんから、夫婦のどちらかが弱者になってしまうんです。

ご家庭それぞれの工夫や独自のやり方がありましても構いませんでしょう。
でも、間違った方法での家庭運営では誰かが苦しむことになってしまいますね。

 

クリスマス

 

キリスト降誕祭

キリストの愛と、お釈迦様の慈悲、
それは共に正法と言う宇宙に普遍的に存在する神理、大宇宙大神霊の二つの大きな側面でございました。

綺麗な心というだけでは何にもならない。
愛の強さと正しい方向性を見ぬく正しい瞳が何よりも大切なのだ。
心に神を宿して強く賢く生き抜くことが何よりも大切なのだ。
とキリスト様の心の中はそのような想いで溢れていたのではないかと思います。

キリスト様も私達と同じスタートラインに立ち、
私達と同じ環境の中で、身体を持った私達と同じ人間として生まれて下さり、
悩み苦しみの中から真理に到達して私達を教え導いて下さいました魂の大先輩でございます。

私達もいずれは必ずそうなるのですね。
そうならないといけないんです。

お釈迦様も同じでございますね。
そうして、時代も場所も全く異なった場所で人として生きた二人の偉人が、
教えの内容に方法に違いはあれど、
本質的には全く同じことを悟り、人民を教え導いて下さった。
その事実に、私達は多くのことを考え、見出すことができるのではないかと思いますね。

この二人の偉人は、実はあちらの世界では実に親しい間柄だったようでございます。

 

ニュース

 

つい先程、朝日放送で私が何年も前から思い続けておりました社会問題の深い闇の部分が取り上げられておりました。
何が間違っているのか、何が悪いのか、
最近のマスコミにしましては極めて正しい視点での極めて正しい判断で、
私も充分納得の行きます素晴らしい番組でございました。

今日はクリスマスのイヴイヴですね。
イヴイヴなんて云いますと、なんだかイボイボみたいであれですけど。
天皇のお誕生日で国民の祝日なんですね。
今日と明日は街中賑やかなことでございましょう。

困ったことに、私は遊ぶということに余り長けてはおりませんからね、
楽しそうにして遊んでいらっしゃいます方を拝見しますと、全く羨ましい限りでございますね。

カラオケもね、
私は唄いたい時に唄いたい歌を歌うんです。
別に伴奏の必要性も感じませんし、誰に聴いて欲しいとも思わないんです。
自分だけに聞こえるような声で、心を込めて楽しく唄う、
それだけで充分に楽しいんです。
別にカラオケでお金を払ってまでりモコンの取り合いをしたいとは思わないですね。
ボーリングだって、ピンを倒すことに意地になるような人間でもありませんからね。

昔は踊れるような場所がありましたね。
今はどうなのか知らないのですけど、
そりゃ踊りますと楽しくなります。
誰だって楽しくなるんじゃないかと思うんです。
でも、誰にも踊りを見せたいとも思わないですし、
部屋で独りで踊っておりましても楽しくなれるんです。

私ってば、困った人間でございます。
一般人とは少し違うのかも知れません。
でもね、最近はキグルミさんを拝見しまして、あの振り付けを覚えたい、練習して踊れるようになりたい、
なんて思いますね。

家族もね、独りより二人、二人より沢山の人と一緒におります方が楽しいに決まっておりますよね。
でもきっと、私という人間と一緒に過ごせる人は余りいないのではないかと思います。
窮屈だと思いますね。(笑)
私も、求め合う人間関係の中におりますことはできませんから、恐らく逃げ出してしまうのではないかと思います。
与え合う人間関係、家族、
将来、そのような家族が持てれば良いかなってね、
暖かな家庭で、皆が楽しくて幸せで、助け合い与え合って生きる、
そんな環境が築けましたら幸せかなってね、思いますね。

へてから、地球全体がそういった暖かな家族になることができましたら、
素晴らしいなってね、思うんです。

 

みたまのふゆ

 

今年もあと二週間となりました。
正月用の箸やら注連飾りやら、準備しなくてはなりません。

正月と云いますものは、御魂の殖ゆ、つまり神様のエネルギーが
一番沢山降り注いでおります時期なのではないかと思いますね。
日の出などは本当に綺麗に見えますからね。

その神様のエネルギーを与えて戴きますために、
木を切り出して作ったばかりの箸やら、今年取れた稲藁で作った注連飾りなどを用いるのですね。
できる限り多くのものを新しく整えて、新鮮な神様の息吹を、エネルギーを吸収するのですね。

 

不満

 

不満というのはね、誰かを、或いは何かを責める心の在り方ですね。

自分を責めずに人を責める。
これはいけませんね。
自分を責める気持ちがあれば、反省して、懺悔して、訂正して、罪を償う気持ちで生きるんです。
そうすれば多少は楽になるんです。

でも責任を自分の外に置いてしまいますと、
これはもう制御できる範疇を超えておりますから、どうすることもできない。
人の心は支配できませんから。
そのような条件反射でおりますと、どんどん苦しみが、怒りが、不満が大きくなって行くんです。
そうなってしまいますと、もう守護霊様や御先祖様は護って下さることができない。

それに神様はきっと、
人を責める人よりも、自分を責める人の方が好きなんです。
神様に愛され易い人格ってあるんです。

全ての不満を取っ払ってしまうこと。
苦しいことですけど、とても辛い大変な作業ですけど、
不満がありますから、人生が思うようにならないんです。

全ての不満を取っ払ってしまう。
それは全てのものに感謝するということと同義ですね。
心眼が開けるということなんです。
光に溢れるということなんです。
心が軽く、自由になれるということなんです。
楽しいということなんです。
全知全能になるということなんです。

私も早くそうならなくてはいけないんです。
一刻も早く、悲しみに暮れる人を助けて差し上げなくてはならないんです。

 

権力

 

今、日本という国を支配しているものは何でしょうか?
国民主権と謳いながらも、実際には国民には権力と云えるような力は殆ど与えられておりませんよね。
唯一の国政参加のための投票という行為、これも政党がバッファになっておりますから、全く意味のない形だけの行為になってしまっておりますものね。
国民不在の権力構造、
最高裁判所と国会と内閣、その三権分立は今や形だけのものとなってしまっておりますよね。

私達はその事実に目を瞑ってはいけませんね。

与党連合と、マスコミと、最高裁判所
あるとすればその歪んだ形の三権が分立しているだけなんです。

悪を排除するべき権力者が悪を排除する義務を怠慢し、
さらには国家の安全崩壊に拍車を掛けている。
唯一、マスコミの存在が、かなりの問題を含みながらも多少なりとも救いになっている事実は否めません。

でもまあ、戦国時代から考えますと、少しばかり住み易い国になりましたね。
相変わらず年貢の取り立ては厳しいですけど、
国民は生かさず殺さず、でも実際には殺されております人も多いようですね。

教育の問題、人の心の問題、
労働力の問題、景気、格差社会、
凶悪犯罪、少子化問題、
年金問題、領土問題、国家犯罪、
税金の無駄遣い、

全てが絡み合って、もうどうしようもないところまで来てしまっておりますよね。
暴動でも起こして全てご破算にしてしまえば、少しは良くなって下さるのかも知れませんね。

先日はテレビで、畑のキャベツが粉々に砕かれております様子が報道されておりました。
国が買い取って貧しい国に送ってやんなよ。弱者の支援団体に与えてやんなよ。
農家にキャベツ捨てさせて補償金支払うのと同じことなんだからさ。
方法なんて幾らでもあるじゃないか、って思うのですけど、どうなんでしょうか?

 

ありったけの魂の想い

 

ある方のバイオリンの演奏にありったけの魂が込められていることに気付く。

夜中に、ありったけの魂を込めて、ヴォルガの舟歌を唄ってみる。

えー こーらー
えー こーらー
もうひとつ えー こーらー

なるほど、素晴らしい。
うん うん。

日本の えいやー とか ほらさー とか、
これ、もしかするとロシアの影響かも知れない。

最近、祝詞を奏上する時に、どこかと繋がっている感をより強く、はっきりと感じるようになった。
どこか分からないけど、高いところ。

なるほど、繋がっている時に大地は震動するのか。
なるほど、なるほど。 

精神誠意、溢れんばかりの感謝と至誠の気持ちで一際丁寧に奏上しますと必ず繋がるのですね。

万人の願いが叶いますように、ありったけの魂の想いと祈りを込めて。

 

開運の三本柱

 

開運のためには大切なことが3つありますね。

1.感謝すること
2.正しく生きること
3.力一杯に生きること

これがね、それぞれにまた奥が深いんです。

感謝って云っても、満足して感謝、それからご恩に報いる報恩の行為
反省して懺悔、それから、罪を償う生き方、
そういったことが見えなくてはいけませんし、

正しく生きるということでは、八正道に基いた中道の生き方だなってね、
分かって下さらなければいけませんね。

力一杯に生きることも、ただ力一杯ではなくて、楽しく遣り甲斐を持って力一杯なんです。
嫌々力一杯に生きておりましても何にもならないんですね。

感謝しますとね、心が輝き出しますから、次第に力一杯に生きることもできるようになるんです。
力一杯に生きておりますと、正しく生きてみようって気にもなって来るんです。
正しく生きておりますと、また様々なことが分かって参りまして、さらに感謝しようって気にもなれるんです。

そうやってね、心のレベルを上げて行くんですね。

それから、神様の計画、つまり私達の使命は、
調和した社会を造ること、万人が幸せに生きれるようになることですから、
私達もそのような目的で生きておりますとね、
そこに神と人との調和が生まれて来るんです。
神と人との融合ですね。
神と人との協調、協力体制が生まれて来るんです。

そうしますとね、私達は百人力、千人力で何も恐れるようなことはなくなるんです。
神様が護って下さいますし、力強くサポートして下さるのですから。

偶然に偶然が重なって上手く行く、そんなことって人生に何度かあると思うんです。
それをね、ただ偶然として片付けてしまわないでね、
その時の心の動き、その時の生き方、生活態度を注意深く観察しておくことなんです。
何故って、それは間違いなく神様、善霊様がお力添え下さっているのですから。

どのような時にお力添え下さるのか、それを良く観察して、分析してみるんです。
そうしますとね、きっと、この私の文章を、なるほどな、ってね、
確信して下さることができるのではないかと思うんです。
今後の人生の指標にもなって下さると思うんです。

 

勘違いしてはいけないこと

 

私達は魂で見ますと盲目です。
皆が盲目です。
どんなにハイ スピリチュアルな人でも、あちらの世界から見ますと盲目なんです。
盲目ですから、勘違いします。

こうだから、こうなるだろう、ってね、
それは勘違いですね。
この世的なものに、確実に定められた決まりはないんです。

上手く行くはずが、心が汚れていたばかりに悪霊の妨害に遭って上手く行かない、
上手く行かないはずが、心が綺麗で、守護霊様のお力添えがあって上手く行く、
そんなことは枚挙の暇もない程に沢山あるんです。

ですから、何事も、自分から駄目だって思わないことです。
どんな時にも心を研ぎ澄まして力一杯頑張ってみるんです。

勘違いなんかしておりましたらいけないんですよ。

 

心の教育

 

先日、教育再生会議が行われ、厳しく躾る方向性での提言が出されました。
厳しくですか。いかにも安倍さんの考えそうなことに決着が着いたわけですね。

道理を教え諭すことなく、心の正しい在り方を教えて差し上げることなく、
社会全体の歪みを直そうとすることなく、
局所的に、厳しく抑え付けようというわけですね。

いじめを、暴力や犯罪を力で抑え込む、がんじがらめに縛り付ける、
そうしますと、必ずまた歪みが出て来るんですね。
間違った悪い方向へ、悪い方向へ向かってしまうのではないかなあと思いますね。

私は、誰かが心の教育といったことを発言して下さるのではないかと期待していたのですが、
残念なことに有識者の皆様は、そういったことは頭の片隅にもなかったようでございます。
社会も、政治も、親も全てまともで、
いじめをする者、見て見ぬ振りをする者、教師、学校だけが悪いんだ、ってことなんでしょうね。

でもね、私は大人も子供も、政治家も、心の教育が必要ではないかと思うんです。
絶対に心の教育が必要なんだって思うんです。

だってね、真理に気付き感動しましたら、
正しく生きるということの素晴らしさを知ることができましたら、
誰だっていじめなんてしなくなると思いますし、
積極的に思い遣りを持って助け合うようになって下さると思うんです。

教えるべきことは沢山あるんですよ。
分からなければ私のサイト見て下さったら、全てが教科書になることが分かりますでしょう。
(笑)

人の心を変える方法はそれしかないように思いますね。

何だか最近偉そうなことばかり書いておりますけど、
神様が恐れずに力一杯にやってみなさいって仰って下さいましたからね。
そのように約束して生まれて来たんだから、って。
命の枠にはまらず、命を恐れずに力一杯にやってみなさい、ってね。