ブログより転載(2007年1月)

 

辛苦の人生

 

辛苦の人生を歩む人がいる。  

でも考えてみて欲しいのです。  

辛さも、苦しみも、他ならぬその人自身が生み出したものであるということ。  

その人の心と行為と想念が生み出したものであるということ。  

そうじゃないっていう人もいるんです。  

でもね、間違いなくそうなんです。  

それからね、  

どんなに辛くても、  

どんなに苦しくても、  

笑っていること。  

どんなに笑うことが辛い時でも、何が何でも笑うんです。  

歪んだような笑顔でも構わない。  

その頑張りは、必ず大きな幸せを運んで来て下さるんです。  

そうしてね、  

下っ腹に力を入れて生きることなんです。    

 

それでも人は

 

それでも人はまだ心を持っているんです。
僅かながら、心を、神理を、まだ感じているんです。
ですから、社会もまだ曲がりなりにも秩序を保つことができているんです。
科学技術も進歩しているんです。
 

人が完全に心から目を背けてしまいました時、
地球上には地獄が展開されますでしょう。
何の希望も無く、悪魔と、廃人が地上に溢れることになってしまいますね。
 

今日は北朝鮮で何かあったそうですけど、
北朝鮮の人でも、まだ希望は失ってはいないんです。
自分達の力で、強く生きようとしているんです。
泣いてなんかいられるか、ってな感じなんでしょうね。
まあ、人によりましては泣く気力も失せてしまっておられます方もいらっしゃいますでしょうけど。
 

未来を変えるのはね、これからの私達なんです。
これからどう生きるか。
今のままでは、行き付く先は破滅でございます。
どう生きて、どのように変わって、どのように社会を変えていくか、
 

私は今後たくさんの”そのまんま東”さんが生まれて下さることを望んでおりますけど、
そのためには、正しく穢れのないマナコが必要でございます。
本質を観抜く眼、なんです。
判断力なんです。
的確に悪を感じ取り、光を感じ取る力なんです。
それがイコール霊能者ということではありません。
霊が見えるだけの霊能者では何の役にも立たないんです。
 

義を持ち、
愛を持ち、
慈悲を持ち、
勇気を持ち、
智恵を持ち、
神の視点で客観的にものごとを捉え、
神の指し示す方向を的確に感じ取り、
信念を持って己の足で踏み出すことのできる
自我我欲も自己保存の心も捨て去った、
正しく、謙虚に生きようとする人格が必要なんです。
 

その実践こそがお釈迦様の仰られました正法なんです。  

まだ、遅くはないんです。
たとえ遅すぎたとしましても、私達は種を撒き続けなければならないんです。
でも、まだ人が心を持っております以上は大丈夫なんです。
神様が必ずお導き下さるんです。
 

ですからね、
この地球を、宇宙を、大自然を、
神様への義に代えて私達の力で守り抜き、素晴らしい世界に変えてみませんか?
ここはひとつ、踏ん張ってやらかしてみようではありませんか。
神様が笑いながら、
「やる、やるとは聞いてたけど、そこまでやるとは・・・」
って仰って下さるように頑張ってみようではありませんか。
 

人類の名にかけて、
愛する仲間のために、愛する子孫のために、
そしてまた、輪廻転生して再度修行をするために生まれて参ります私達自身のために。
   

 

こころとかたち

 

例えば器は、心があるから水を湛えることができるのですね。
人間が、ものを加工すると同時に、心をそのように加工したのです。
 

形は、心を現わします。
心は、形を現わします。
このこともね、紛れも無くお釈迦様の色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、ですね。
 

そうしてまた、
四次元に存在しないものが三次元に存在しますでしょうか?
五次元に存在しないものが四次元に存在しますでしょうか?
 

否ですね。
四次元以高の高次元は、この三次元世界を含む心の世界なんです。
三次元世界は四次元世界が投影されたものでね、
四次元世界のほんの一部がこの三次元の宇宙空間なんです。
 

ですから万物に心があるんです。
四次元に存在するということは心があるということなんです。
 

心は意識です。
ですが人間以外の全てのものは自我を持ちませんので大宇宙大神霊の心そのものでございます。
神なんです。
 

万物に神が宿っている。
ですから昔の人は万物を神として崇めたんです。
実は崇めるのではなく、大切にし、そこから本質を、つまり神の意識、神理を見出さなくてはならなかったのですが、
そうして、それを私達が生きる智恵として活用するべきだったのですが、
 

最近は昆虫類が持つ様々な未知の科学が最先端科学として注目されておりますようでございます。
でもね、それだけではなく、そこに神理、大神霊の意識、調和に向かう智恵、心、
そういったものにも目を向けて戴きますと科学技術もより一層進歩するのではないかと思いますね。

 

物質社会

 

今、日本は恵まれ過ぎた物質社会にありまして、
もうこれ以上、新しい商品はもう殆ど何もいらないだろうと思えるのですが、
足ることを知らぬ人間の欲はすさまじいものでございまして、
欲を引き出すもの、購買意欲を掻き立てるような商品が、今尚、次から次へと生み出されております。
 

これ以上欲ばかり掻き立てても仕方ないようにも思うのですが、
そこは、飽くなき利益追求を目的として存在しております企業の所為で、
人の心は益々欲深くなり、心を、生き方を、未来を、見失ってしまいそうな現状でございます。
 

そんな中にありまして、
心の重要性に気付く人も次第に増え、
スローライフや田舎暮らし等に興味を示す人も増え始め、
スピリチュアルリーダー的な方々もテレビなどの媒体などに数多く登場し始めまして、
いよいよ日本も、間違った方向へ加速し過ぎた状況にブレーキが掛け始められましたように感じております。
 

それでも、今尚、新しく、飽くなき利益追求を行うための企業の設立を目的とした企業家の卵も、
同じように増加し続けておりますように思います。
 

でもね、これからの人々の幸せに本当に必要なものはなんだろうかってね、
考えるんです。
もう、何も必要はない。
癒しのための商品も、開運のための商品も余り必要ではない、
それよりもね、
もっと、人の心を暖かくできますもの、成長できますもの、
賢く、幸せに暮らしていけますものがね、
真に、お一人お一人の人生を輝かせて下さるものがね、
そういったサービスが必要ではないのかな、ってね、思うんです。
 

お金ではなくてね、
お金が無くても誰でも受けられるようなサービス。
企業の宣伝広告といった世俗的なものもなくてね、
 

それが何なのか、今の時点では私にも分かりません。
何をどうすれば良いのかも分からないんです。
  奈良の方にね、山食っていう団体があるのですけど、
皆で働いて、ものを作って、皆で暮らしておりますようでございます。
でも、ここも、利益は運営者の一人占めのようですからね、
それに労働も強制のようですし、
それが正しい在り方であるとは到底思えないのですが、
 

そういった癒しの施設、
田舎暮らしを経験して、皆で楽しく農作業とかもの作りができるような、
湯治場が合って、好きな時に働いて、誰でも無料で宿泊できる、
心の勉強会とか、癒しのセミナー、スピリチュアル講座、
なんてのもあっても良いと思いますね。
 

そんな施設がありましたら、
ストレスも無く、人の心も豊かになるのではないかなってね、
思うんです。
 

いえ、夢ですけどね。
そんな施設がありましたら良いとは思いません? 

 

考えてみませんか?

 

若者は年長者を敬い、大切にし、
年長者は若者を尊重する。
互いの人生を妨害することなく、
対等な立場で、互いに協力し合い、
それがどんなに素晴らしい生き方であるか、
 

それが、今は
若者が年長者を敬わず、
年長者は若者を尊重せず、
互いに人生を妨害し合い、
感謝することなく、
支配関係にあることを望み、
いがみ合う。
 

そうでない人が一人でもおりますでしょうか。  

たとえ対等な立場の人間同士でありましても、
愛し合わず、
自我我欲で奪い合い、
傷付け合い、
 

支配関係で良好な人間関係が築けますでしょうか?
いがみ合っておりまして自分のところだけに幸せが舞い込んでくると思われますでしょうか?
自分の希望ばかり押し付けておりまして愛を深めるなんてことができますでしょうか?
表面上は仲が良いように見えましても、
傷付け合っておりまして本当に幸せなのでしょうか?
心に安らぎが得られますでしょうか?
 

政界も、財界も、家庭も、国際関係も、職場も、仲間も、恋人も同じなんです。
全てが利己主義なんです。
 

それでは何も変わりませんよね。 

 

  幸か不幸か

 

現代人はどうすれば自分が不幸になるのか、それが分からない人が多いですね。  

幸せになる方法も、不幸になる方法も、
親とか学校で教えられている筈なんですけど、
もうすっかり忘れてしまっていて、
誰も見ていないからいいや、ってね、
自ら不幸になるようなことをするんです。
 

でも、少なくとも神様や霊的存在はちゃんと見ておりますよ。
そうしてね、悪いようにはしないかも知れませんけど、絶対に良いようにはして下さらない。
裁くのは、何度も申し上げております通り、ご自身なんです。
 

自業自得で不幸になりましても、
私はどうすることもできませんし、力になって差し上げますこともできなくなってしまいますね。
 

そんな方が幸せになれる方法はただ一つ、
いえ、もう申しますまい。
もう百回以上は申し上げているのですから。 

 

モード

 

急ぎ足で歩いておりますとね、

 

急いでおりますことが心に伝わって、どんどん視野が狭くなって行くんです。
仕事のことしか考えられなくなってしまうんです。
ですからウインドウショッピングする時はゆっくり歩きますでしょ。
 

サラリーマンさんを見ておりますと、何だか可哀想になって参りますけど。
スーツ着込んでいるからって、のんびり歩いてはいけないなんてことは、ないんですよ。
深呼吸してはいけないなんてことは、ないんですよ。
何だか昔の視野の物凄く狭かった私を見ておりますようで。。。
 

モードっていうものがありますね。
私の場合、3つのモードがあるのですけど、
神様と接しております際の神妙な気分のモード、と
楽しくて、幸せで、笑顔のニコニコ感謝いっぱいモード、
それと、
やる気に燃えて一生懸命頑張っておりますモード、
 

次第に意識的に切り替えられるようになって参りましたけど、   サラリーマンさんもね、
会社のために一生懸命に会社の歯車になって働くモードとは別に、
自分の時間を大切できるようなモードを幾つかお持ちになられました方が良いと思うんです。
上手く切り替える習慣ができますと、時間も有効利用できると思いますし、
ストレスも発散し易いのではないかと思いますね。
 

でもね、基本的に急ぎ足の人は人生を生き急いでいるんです。
そんなに急がなくても人生短いものでございますよ。 

 

まとめ

 

さて、少し神という大自然界のシステムについてまとめてみましょう。
大自然界とは霊界まで全て含んだ自然界のことですね。
 

さて、私達の心は、意識は私達の身体の中には存在しませんでしたね。
では、どこにあるのか、
それは私達の住むこの三次元の一つ上の次元であります四次元に存在したのでしたね。
四次元球のモデルを考えますと、見えて参りましたね。
 

幽界は、エネルギーの存在する世界でしたね。
例えば、熱エネルギーが幽界に存在し、それが三次元に炎として現象化される。
想念もまた、エネルギーですね。
私達の想念が三次元の世界に現象として現れる、
それは本当に、恐ろしいほど連動しておりますことが見えて参りましたよね。
 

さて、心の仕組みはどうなっておりましたでしょうか?
光子体(幽体)の中に魂があり、魂の中に心があり、心の中心に神様の意識がありましたよね。
心の中にはさらに理性や知性、本能、記憶の領域などがあり、それを表面意識が包んでおりましたよね。
心の中心の神様の意識は高い次元にありましたよね。
そうして神の意識から見ますと私達の魂は神様の一部でしたよね。
その神様の意識からは慈悲のエネルギーが流れ込んでおりましたよね。
その慈悲のエネルギーを私達が受け取るためには、心を綺麗にしておかなくては受け取れませんでしたね。
  そのためには反省して懺悔して罪を償うこと、心の在り方を訂正すること、
さらには満足して感謝、報恩の行為、
そうしてまた、心の次元を上げ、閉ざされた過去世の記憶や神様の意識に到達しますためには、
善に徹する、ということが大切でございましたね。
 

そうしてまた、そういったことが私達のオーラを輝かせて下さいますから、
悪い霊の障りや災いに遭うことが無くなるのでしたよね。
 

脳の中には爬虫類時代の脳の領域と、哺乳類時代の脳の領域、霊的生命体としての人間の領域がありましたよね。
爬虫類の脳で生きますと闘争本能が、哺乳類の脳で生きますと欲が生じることが分かりましたよね。
さらに霊的生命体として高い意識を目指しておりますと、やがては神の意識に到達できることも分かりましたよね。
 

私達は、心の次元を上げることが私達に取りましてどれだけ大切かということが理解できたのですね。  

闘争本能や欲で動物的に、爬虫類的に生きておりましたら苦しいですよね。
心が重くて、真っ暗な闇の中で、地獄で苦しまなくてはなりませんでしたよね。
それは死後の話ではなく、今、生きております時点で、心が地獄にいるということが分かりましたよね。
心を軽く、明るくして、感謝の気持ちで神様の慈悲の光(エネルギー)を沢山吸収して、
楽しく生きておりましたら、心は霊界のレベルまで上がれるのでしたね。
さらには正しい条件反射と正しい生活習慣、正しい判断力が身に付きますと神界まで上がれましたよね。
即ち、八正道ということですね。
講和を目指した中道の正しい在り方ということですね。
神界は八百万の神様の世界でしたね。
さらには、慈悲の心を持ちますと菩薩界まで上がれましたよね。
自我我欲を捨て、見返りを求めず、無私の気持ちで慈悲を与える、これが菩薩様でございましたよね。
さらには大宇宙と一体化しますと、如来界まで上がれるのでしたね。
如来様は神と表裏一体をなす存在でございましたよね。
 

モーゼ様、お釈迦様、キリスト様は如来様でございましたね。
キリスト様は愛を説き、お釈迦様は慈悲を説かれましたね。
モーゼ様は義を説かれた、それは定説とはなってはおりませんけど。
人と人とを繋ぐものは愛であり、
神から人へ、人から人へ与えられるものが慈悲であり、
人が神に対して持つべきものは義でしたね。
 

義は苦しみを勇気に変えて下さる、
それが信仰というものの本質でございました。
愛と慈悲は神の、大宇宙大神霊の二大要素でしたね。
信仰も他力本願は間違いで、自力本願こそが人の生きる道でございました。
 

さて、この世界は素粒子が全ての物質の最小要素となっております。
素粒子は神の慈悲の光として流れ込んで参ります。
それは神様の意識に他なりません。
その素粒子が電子や陽子を構成し、
電子と陽子が合わさって中性子となり、
陽子と電子、中性子が原子を構成し、
原子が分子を構成し、
分子が細胞を構成し、
細胞が臓器を構成し、
臓器が生命体を構成しております。
 

魂はどうでしょうか。
素粒子が魂を構成し、
魂が六人集まって魂の兄弟を構成する。
ここで、男は電子、女は陽子に相当しますね。
その魂の兄弟が幾つも集まって神を構成する。
 

神という生命体の、
人はたった一つの細胞に過ぎないんです。
 

同じようにね、
地球も、宇宙を構成するたった一つの細胞でございます。
月は電子に、地球は陽子に相当しますね。
幾つもの惑星が集まって太陽系を構成しております。
太陽系は銀河を構成し、
銀河は宇宙を構成し、
その宇宙が幾つも集まって神を構成しているのです。
 

人がどれだけ小さな存在であるか、
それでもその心の中には神を宿しているんです。
大宇宙を宿しているんです。
何故なら、この世界の全ての物質的なもの、現象は、
心の中が現れたものに過ぎないのですから。

 

震動

 

光は、神より生じ、奈落に飲み込まれて行く。
丁度、ホワイトホールとブラックホールの関係にあるようです。
 

ブラックデビルなんて昔さんまさんがやっておりましたけど、
悪魔の住む奈落の底では当然光は欠乏するわけで、従って闇になっているわけですね。
闇を悪魔が好むのですが、それでもやはり彼らも神の子であり、彼らにも光は必要ですから、
光がありませんと存在することができなくなってしまいますから、
私達の中の汚れた心を持つものにとりついて、光を吸い取って存在しているわけでございます。
 

さて、神の念が素粒子となり、震動を伴って放出される。
それが光ですね。
至高の頂、物凄く高い次元から3次元に流れ込んで参りますこの光は、
凝結することによりまして、全ての物質を、エネルギーを、形成しております。
そのことは以前に証明させて戴きましたね。
 

光が万物の源ですから、万物は光を与えられますと、命を活性化させることができます。
魂が力強く震動するのですね。
 

ですから、そのために、人は「ふるべゆらゆらとふるべ」、と神詞を唱えて光を沢山受け取ろうとするのです。
そのための”振部の神詞”なんです。
勿論、それでも、汚れた真っ黒な心では余り光を吸収することはできないのですが、
ですから、命もどんどん弱くなって行ってしまうわけでありますが、
 

高橋信次先生は、かく唱えられました。  

「大宇宙大神霊よ、仏よ、光を与え給え、心に安らぎを与え給え。」
とね。 

 

生命の科学

 

私達の科学にも間違いは沢山ありますね。  

記憶は脳で記憶しているんじゃない、心が記憶しているんです。
その心から取り出した情報を処理して、生命体としての行動に移すことが、脳の役割なんです。
 

真摯に研究されておられます科学者さんでしたら、分かって下さいますでしょう。  

心の奥底には、神様の意識があり、全ての記憶があるのですから、
お釈迦様のように悟りを開きますと、賢くなるわけです。
その心の奥底に眠っております神様の意識に、全ての記憶に到達する方法はね、
善に徹して生きることなんです。
 

善に徹して生きる、
これはつまり、神様の意識で生きるということですからね、
そのように生活習慣、条件反射を訓練しておりますと、必ず深い深い所にあります記憶の扉が開くのです。
 

ですからね、善に徹して、反省して、感謝して、これでもかってほどに善に徹して生きる、
善に徹して正しく生きることを心掛ける、魂に言い聞かせて。。。
 

それがね、本当に大切なことなんですね。 

 

自然神

 

イメージしてみて下さい。  

貴方は大地の上に大の字で寝転がっているんです。  

そこは岬で、夜空には満天の星、
海からは波音が轟き、大地を震わせ、風を震わせ、響いて参ります。
 

大自然が奏でる音楽ですね。  
想像してみて下さい。   力強い大自然の懐   安心感   あたたかさ   嬉しさ 歓び   仲間  
感じ取って下さい。
感じませんか?
 
いにしえの昔、この偉大なる大自然に神としての神格を与え、奉りあげた、古人の智恵  

天之御中主尊様は、宇宙の、大自然の調和の法  

天照皇大神様は、太陽、光の神様  

いざなぎ尊様は、陰陽の、陽の神様  

いざなみ尊様は、陰陽の、陰の神様  

古人は、知っていたんです。何もかもをね。
神とは、どういったものであったか、
心とは、どういったものであったか、
 

私達、現代人は遠く隔たってしまった、
愚かに堕落してしまった、
そのことに気付くべきなんです。 

 

身内殺人

 

今週は愛し合うべき身内を殺害した事件が重なりまして、大きく報道されておりました。  

私達は第三者ですので真実を知る由もありませんけど、
これは加害者の人間性というよりも、そうならざるを得なかった理由があったのだろうと、
思いますし、そのように信じております次第でございます。
今後、裁判などで真実が明らかにされて行くのではないかと思いますが、
 

どの事件にも云えますことは、愛し合うべき身内間の、配慮のなさ、誠意のなさ、思い遣りのなさ、信頼のなさ、尊重する姿勢のなさ、
といった要因が共通して存在するのではないかと思います。
 

私の人生にもありましたよ。
人を殺してしまい兼ねないような時がね。
 

それは誰にもあることなんです。
誰でも人を殺してしまうことは想定の範囲なんです。
 

身内間で、配慮のなさ、誠意のなさ、思い遣りのなさ、信頼のなさ、尊重する姿勢のなさ、
そういったことが原因でトラブルに発展するようなことがありましたら、
片方が、そういった人間関係を良好に保つ努力を怠っておりましたら、
必ず殺人事件にその一歩が踏み出されてしまいますでしょう。
 

殺人事件に発展しなかったのは、
単に守護霊様や周りの方々からストップが掛かったか、
或いは理性が本能よりほんの少し強かった、それだけのことなんです。
 

ひやっとはっと、なんて言葉が以前云われておりましたね。
たとえ殺人事件に発展しないで済んでおりましても、
何度も同じようなトラブルが発生しておりますと、必ず殺人事件は発生してしまいますね。
 

ですからね、
たとえ親子間、兄弟間、夫婦間でありましても、
配慮とか、誠意、思い遣り、信頼し合うこと、尊重する姿勢、
そういったものが大切なんです。
  身内だから何をしても許される、
それはね、間違った思いこみだと思いますよ。

 

手法

 

不幸な人を幸せにするにはどうすれば良い?  

そんなことを考えます。  

世間には無理矢理にでも幸せにして欲しいなんて願う人が多いように思いますね。
でも、無理矢理に、強引に幸せにして差し上げようとすると、
それはヨットスクールの戸塚さんのようになってしまいます。
あれからも何度か、同じように強引に心の病を治しますというような人間が現れては事件として取り上げられた記憶がありますね。
 

無理矢理にでも幸せにして欲しいなんて、そんな考えは持たない方が良いんです。
とんでもない宗教団体に引っ掛かり易くなるだけですから。
彼らはそんな人間を見付けては大金を騙し取って無理矢理不幸にしているのですから。
 

恋愛でもそうですね。
男は多少強引な方が良い、
そんなお考えですと、最近は監禁事件が多いですから危険ですね。
 

自分の力で幸せになるんです。
無理矢理にでも幸せになるんです。
 
ところで、先日、相田みつおさんのことがテレビで放送されておりました。
書も良いですねえ。
真心を込めて書きますと、訴える力が生じて参りますね。
 

例えばね、関西で御商売されていらっしゃる人でしたらね、  

まいどおおきに

お客様の真心とあったかな心

絶対に忘れまへん

感謝 感激

心から ありがとう

なんて書いて貼っておくんです。
真心は余り篭っていませんけど、人間らしい暖かさが伝わりますよね。
 

たとえばね、ビジネスマンさんでも、  

 どうしようもない 人間で
 えらい すんまへん
 申し訳なく
 思うとります

なんて書いてデスクに飾っておきますと、
人間関係が上手く行きそうに思いませんか?
 

自分の言葉でね、真心を込めて書くんです。
きっと、御護符なんかよりも効果絶大だと思いますね。