ブログより転載(2007年3月)

 

弥生

郵便屋さんが来るというので、仕事にも手を付けられず待ち状態でございます。

このところ、沢山の方がお風邪のような疫病に罹っていらっしゃるようで、
お気を付け下さいませ。

身体機能の衰え、これを漢方では腎虚というそうですけど、
そういったものが根本にあって、その上にストレスが重なって
そして少しずつながらも確実な気候の変化に心身が対応できなくなって、
お風邪を召してしまわれる。

風邪には金柑や葱、生姜湯、
体力増強にはローヤルゼリーや山芋などが良いですね。

いろいろ

私は先日、もろみ酢なんてものを買って参りまして少しずつ戴いておりますけど、
少し酸い老酒のような味で飲みやすいです。

昨日は少し湿っぽい雨が降っておりまして、これでようやく春が来るんだろうなって、
感慨深く感じておりました。
3月6日は啓蟄でございますね。
これでようやく虫さんたちも地中から這い出して来る事ができるというものでございます。
昨日の雨はきっと虫さんたちにとりましては目覚まし時計のようなものなのでしょうね。

雛祭り

今日はかぼちゃを煮ました。
本当はけんちん汁を作ろうと考えていたんです。
かぼちゃに里芋、牛蒡や筍を入れて、けんちん汁のようなごった煮を作ろうとしたいたのですが、

意外に60円のかぼちゃの量が多くて、
鍋一杯あって、
それでかぼちゃだけ煮込むことになりました。

美味しいかぼちゃの煮物ができましたよ。

別れの歌

いえ、ショパンではなくて、、、

今、少しナツメロのサイトを覗いていたのですけど、
世の中には別れの歌が多いですね。
非常ォ〜に多いんです。

恐らくは幸せ絶好調の歌よりも、別れのしみじみとした歌の方が多いんです。
特に演歌では別れの歌ばかり、

それは恐らく、演歌がそういった悲しい、寂しい、といった心理状況にフィットするものであり、
苦しみに耐える健気さ、サディズム的な感情が
割と容易く島国であります日本国民の心の中に受け入れられるからではないかと思うのですが、

でもね、別れの歌にしみじみと聞き入るよりも、
仲良く愛を育んで行こうとする努力、協力体制、
そういったものをね、日本国民が会議して、国民憲法のようなものを作って、

皆が仲良く、幸せで、愛に溢れていて、
離婚する夫婦なんて殆どいなくて、別れるカップルも殆どいなくて、
と、そんな社会に変えて行くことができましたら、
そっちの方が幸せではないんかいの?
って思ってしまうのですけど。

別れの歌なんて、もう歴史の中の遺物にしてしまった方が、
皆が前向きに生きれるようになるんちゃうけ?
って思うのですけど。

どうなんでしょうか。

そのためには、我なんて張っておりましたらいけませんよね。
家のしきたりだとか、
男のわがままだとか、
そんなもの大切に抱えておりましてはいけませんよね。

皆が素直になって、今までの古臭い考え方を捨てて、客観的にね、
皆が仲良く幸せになるようにするにはどうすればいいべか?ってね、
考えるんです。

私はもう私なりの結論を持っておりますけど、
皆様の素晴らしい未来構想はね、是非皆様方お一人お一人考えてイメージを持つようにして下さいましたら、
少しは早くその素晴らしい未来が実現できると思うんです。

で、どこかで一度皆で話し合う機会を持つことができましたら、素晴らしいなあって思いますね。

時代病

凶悪犯罪が増え、犯罪が若年齢化、卑怯化し、
人の弱みに付け込む悪質商法が増え、
自殺者が増える。

この社会の病を時代病と名付けることにしましょう。

いじめが犯罪なのではないんです。
いじめではなくて犯罪なんです。

本質的な原因は、心を失ったのです。

昭和30年代頃まではまだ貧しい時代でございましたから、
隣近所が助け合って暮らしていたのですが、
昭和40年代以降はそういった風習も次第に消えて参りました。
その世代に生まれた方々が社会の中核を担い、心を教えずに子を育てて来てしまった。
それだけのことなんです。
生活の変化や政治政策も勿論、影響しているとは思いますけど、

思い遣りの心、助け合う心、優しい気持ち、
社会が個人主義に移行する中で、次第にそういった心を失ってしまったのです。
政治にも、人々の心にも愛や慈悲の心が失われてしまったのです。

多くの人が我欲に走ってしまった。
人の心から愛が失われますと、社会は争いと混乱に塗れます。

今がまさにその状態であるように思います。

これからの教育は、一から新しいものに変えるべきだろうと思います。
教育再生、なんてそんな現状に毛を生やしただけのようなものではなくて、
国の政策も、新しい概念で正しい在り方を再構築する必要があると思います。
法律も(憲法ではなく)、全て現状に則したものに変えていかなくてはいけません。

日本は、変わるべきだ、変わらなくてはいけない、
本当に心からそのように思います。

国民の皆様、変えて行きましょう。
政治家の皆様、変えて行きましょう。
心を入れ替えて、真摯に、誠実に、今の日本の現状と向き合って行きましょう。
いい加減、そろそろ正しい方向に進んで行きましょうよ。

人と、人

人と人が共通する目的を持ち一緒に人生を歩もうとする時
互いに、一緒に生きていこうという姿勢がなければ絶対に上手くは行かないですね。
家庭でも、職場でも、何かの組織でも、
役割はそれぞれが違うんです。
全体を見渡す役割の人もいれば、ただ一つのことだけをこなす役割の人もいる。
でも、誰か一人が黙って俺に付いてくれば良いんだ、とか、
誰かが何とかしてくれるといった依存心しか持っていないようでしたら、
その組織は絶対に上手くは行きませんね。

今ここに、私と、私の守護霊様がいるんです。
誰かの願いを叶えようとする時には、その方の守護霊様に来て戴きます。
いえ、これは私の想念の中でそのようになっているんです。
目の前にその方の守護霊様をはっきりと具現化させております。
そうして、一つの願いを叶えるために皆で力を合わせるんです。

一人の人間がいる、
それでもそこには組織があるんです。
皆の力で私達は生かされているんです。
私の魂は、今はこの身体にしっかりと結び付けられておりますので、
心を通して高次元の情報を少しばかり得る程度のことしかできません。
ですから、沢山の方が高次元から私の人生、この世界での修行をコーディネイトして下さっているんです。
コーディネイトはこーでないと、いけませんね。

でもこれも皆で一緒に生きていこうね、って気持ちがありませんと、いけませんね。
守護霊様方も頑張って下さっているのですから、
私達もしっかりと修行しなくてはいけませんね。

霊能商法の見分け方

インターネットでも怪しい霊能商法のようなサイトが増えておりますように思います。
でもね、簡単な方法で見分けられると思うのです。
例えば、ホームページに記載されております内容だけでも、 

前払いで、どのような理由があっても返金しない旨のことが書かれている。
これは怪しいですね。法律違反ですしね。
−3ポイント

のろいを扱っている。これも普通に考えますと自分達の命に関りますから、怪しいですね。
−3ポイント

責任者の本名が書かれていない。 −1ポイント

所在地が書かれていない。 −2ポイント

電話番号が書かれていない。 −2ポイント

返品やクーリングオフができない。 −1ポイント

メールアドレスがフリーメールである。 −1ポイント

僧とか怪しい肩書き、寺社名等の虚実の記載がある。
これも法律違反ですから −2ポイント

必ず叶うといったようなオーバーな表現。 −2ポイント

価格不明瞭、これも法律違反ですから、 −3ポイント


ホームページの内容以外でもね、

 
強制や強引な勧誘、一方的なメールや電話がある。−3ポイント

契約時にも本名や住所、電話番号がはっきりしない。
誰と契約しているのだろうかってことです。法律違反ですから、 −3ポイント


例えばね、10ポイントから始めて減点制でチェックしてみるんです。
心を重んじるであろう霊能力者が信頼を疎んじることはないと思いますからね、
ポイントがマイナスになるようでしたらかなり怪しいですね。

あと、それと、法律に違反する契約は無効ですからね。
法的機関も法律や契約内容だけではなく、常識的な見地を判断の基準にするんです。
常識的に考えておかしんじゃないってことは、幾ら法律や契約がそうなっておりましても、
認められないでしょうね。

霊能商法、その2

同業、この言葉にもいろいろと引っ掛かるものがあるのですけど、
いろんな同業さんのサイトを覗かせて戴いておりますと、色々と面白いものを拝見してしまいます。

その1、私のサイトの文章と極めて似た文章が書かれている。

その2、掲示板に様々な方が書き込みされているようなのですが、信じられないことに、顔文字が一つもない。(笑)

その3、ページごとに辻褄の合わないことが書かれている。

その4、陰陽師や道師、修行僧を名乗っている割には余りにも知識がなかったり、血の気の多いことが書かれている。

等ですね。
良く読みましたら、あれ、変だぞってところが簡単に見付かりますよ。

忌というバケモノ

昔の人は、何か人生で上手く行かない時期が参りますと、
或いは何やら不気味な現象に遭遇したりしますと、
そこには、何かの意味があると考えたのでしょうね。
この”意味”があるお蔭で、人生が上手く行かないんだ。
と、ある時その意味が、存在を持ち始めた。

意味から忌へ。

最近ちょっと運気が閉ざされぎみだなあ、
忌があるに違いないぞ、ってね、
その意味を考えることをやめて、忌というものの仕業にしてしまった。

良いですか?
神様は私達に必ず良くして下さる。
私達の視点から見て、運気が閉ざされたように感じましても、
それは神様の思召しなんです。
心を綺麗にして毎日を力一杯大切に生きておりましたら、
必ず良いように考えて下さるんです。

忌だからといってお祓いすることも良いでしょう。
静かにしていることも良いでしょう。
でもね、忌の意味を考えることもまた、大切なことでございますね。

想いますに

日本人は少し愛情を示すことが下手過ぎるんでしょうね。
欧米などでは挨拶代わりにHugする習慣がありますけど、
愛の言葉でも日常茶飯事に、ごく自然に、当然のように交しておりますけど、
日本人にはどうも奥ゆかしいところがあって、照れくさいような感じで、
どうもそれが愛の欠如という悪影響を与えております感がありますね。

日本人も挨拶代わりにHugする習慣を持てば良いんじゃないかって思います。

でもね、ここで勘違いしてはいけないのが、
和解してからHug、ということなんです。

日本人でも握手すれば和解できるなんて勘違いしております人もいるのですけど、
和解せずに握手しても怒りや憎しみは収まらないんです。
逆に、大きくなってしまうのですね。

和解した証拠として、握手やHugをするんです。


昨夜はメタセコイヤの木の前で考えていたのですけど、

花は美しいものでございます。
人の純粋な心もまた、美しいものでございます。
天では皆が愛し合って暮らしていらっしゃる。
それはきっと、愛さずにはいられないほどに愛しい魂の世界だからなんでしょうね。

ようやく分かったこと

私には少し愛情を示す訓練が欠けていた、って思うんです。

魂と魂の始めての遭遇には、実に重たいものがある。
相手が頑固そうに見える相手だと、こちらもつぃ身構えてしまう。

でもね、鏡を見る限り、私も相当頑固そうなんですね。(爆)

私よりご年配の方でも、ご老人でも、
昔はモテたでしょうね、とか、
綺麗だったんでしょうね、って云いますと、誰でも嬉しいものなんですね。

愛情を示す言葉は幾らでもありますものね。
少し訓練する必要がありそうです。

心を開いて、それだけでは駄目なんですね。
心を開いて、その人の心に思いきって飛び込んで行かないといけないんですね。

卒業式

そうですか。
もう卒業式のシーズンですか。

私はできの悪い生徒でその頃は気付かなかったのですけど、
師の愛は偉大なものでございます。

どのような生徒でも我が子と同じように愛情を持って向き合う、
それがどんなに難しいことか、
今更ながらに気付かされるようでございます。

皆様は師のご恩に感謝し、ご恩に報いようとされた人でしょうか?
或いはあの頃の私と同じように、恩を仇で返してしまった人でしょうか?

罪の深さは後になってからしか気付けないものでございます。
後になって罪の大きさを知り懺悔する、
それでもね、その時にはもう罪を償うには時間が経ち過ぎてしまっているんです。

もう、罪を背負って生きるしかないんです。

「罪に生きる」

そうならないためにも、一瞬一瞬を大切に、真摯に、誠実に、生きることなんでしょうね。

科学的高次元論−神霊の世界−

実在界と云われます神霊の世界は高次元の世界でございます。
と、そのことは以前にお話しさせて戴いておりますけど、

この現実の世界は3次元空間でございます。
ここに、例えば机があるとしましょう。
机の上は平面ですから2次元の世界ですよね。
3次元の中にある2次元の空間なんです。
その机の上に本が乗っている。
この本の机との接触部分、四角形のこの部分は二次元の世界で認識されます。
この二次元の世界に、もし高さという概念を持たず、高さが認識できない生物がいるとしますと、
この生物に取りまして、この本は四角形の平面的な存在として認識されます。

四次元以高の世界でもね、
点は点、線は線、平面は平面として存在します。
三次元空間は三次元空間として存在するんです。

高次元の世界のどこかに、宇宙と呼ばれる三次元空間がある。
そこに三次元までしか認識できず四次元の概念を持たない人間や動物の身体があるんです。
この身体に高次元の魂が入り込むのですから、
魂は三次元までしか認識できなくなります。
でもね、身体も、魂も、四次元方向に厚みを持っているのですね。

二次元でもそうなのですけど、
紙でも、何でも、全てのものは厚みを持っている。
存在するものは必ず厚さがあるんです。
この厚さが”高さ”ですね。

そうしてね、四次元側に突き出した厚みが、”心”なんです。

神霊界の一点に存在するこの三次元宇宙空間。
その中で、身体に囚われてしまったが故に高次元が認識できなくなってしまった魂。
でも、魂に意識を移して見てみますと、ちゃんと高次元が認識できるのですね。

人や動物の身体はね、修行目的に作られたものですからこの三次元空間にだけしか存在しませんけど、
実は植物は違うようですね。
高次元のどこにでも咲いているし、咲かせることができる。
三次元の空間も高次元の中にあるのですから、同じように花が咲いている、
それだけなんです。
植物が何次元体をしているのかは分かりませんけどね。

神霊の世界、分かったこと

この世界は物質界と思われておりますけど、
実はそうではないのですね。
物質の世界なんかではなくてね、神霊の世界、想念の空間の一部でしかないんです。
身体が、想念を現象化させているんです。
なるほど、その方が修行にはリアリティーがあって良いですからね。
その世界で、人は何に気付くか、どこまで気付くことができるか、

人よ、物質に囚われることなかれ。