ブログより転載(2009年10月)

 



御心(みこころ)のままに



御心のままに、

この言葉はクリスチャンなどでは良く聞かれる言葉ですね。

「神様が決めたことならそれでいい。」

そんな意味なのですけど、

幸も不幸も酸いも甘いも、

恐れることなく、拒むことなく、

神様がお決めになられたことでしたら全て受け入れます。

ということですね。

勿論それは、流されるままということではなくてね、

自分の力でできるだけのことはやってみて、

それでも好ましくない結果を神様がお与え下さるのなら、

それは私自身の罪として、試練として、受け入れましょう。

という前向きな心の状態なのですね。

心の奥に深く決意して覚悟を決めた人だけが使う重い、重い言葉なのですね。


不満もなく、傲慢さもなく、真摯に誠実に神と共に感謝と愛の中にあること。

それがね、御心のままに委ねる。

御心のままに生きる、生かされる。

そのために必要な決意ではないかと思うのです。

おっさんは、クリスチャン(キリスト教の信者)ではないのですけど、

この精神はとても貴く尊いものであると思いますね。



バッテラの夢



何の因果か、おっさん昨夜バッテラの夢を見ました。

沢山のバッテラの製作をお願いされまして、

さて、どのように製作すれば良いのであるか?

などと考え込んでおりました。


大阪には旨いもんいっぱいあるんやで♪

ってことで、

バッテラは大阪の食べ物なのでございますが、

押し寿司ですね。鯖と海老と穴子と玉子が一般的ですけど、

鯖は、なんでこんなに身が薄いねんというような鯖の上に透明な昆布が乗っていて、

それをえいやあ!って箱に入れて押し固めて一口サイズにカットするのですね。

海老も、穴子も、なんでか驚くほどに身が薄くて、

でもこちらの方には透明な昆布は載せないのでおじゃりますな。


それに比べまして、玉子の身の厚いこと厚いこと。


七五三が近付いておりますな。

大阪人はこれを、「ひちごさん」と呼びますな。

「ひ」を「し」と発音するのが東京弁でありまして、

その逆に、「し」を「ひ」と発音するのが大阪弁でおじゃります。

私はどちらかといいますと、大阪よりも関八州とか上信越の方が水が合うのですけど、

「ひ」は「ひ」と、

「し」は「し」と、

正しく発声したいものでおじゃります。


それでもおっさん、バッテラは好きなのでおじゃりますな。



おっさん的倶楽部



本はね、毎日たった10ページでも読み続けますと、

一ヶ月で300ページ読めますね。

本、二冊程度です。

ところがね、おっさんどうしたことか一ヶ月で100ページ程しか読めていない。


さぼりましたなあ。

いけませんなあ。


クラシックのね、おっさんの好きな、

例えば串かつの郵便、

もとい、

クシコスの郵便馬車とか、チェロ組曲とか、レクイエムとか、

お気に入りのものを集めて一枚のCDに落としましてね、

それを聞きながら本を読むわけです。


今は、「だれにでもできるJAVAアプレット」なんて本を読んでいるのですけど、

それがどんなに簡単な本でもね、おっさん途中で一回は嫌になります。

根気がないと言いますか、気が変ってしまうといいますか、

遊びたくなると言いますか、(笑)

それで途中で何日間か放り投げてしまうのです。

これは必ず放り投げてしまいます。

そのまんま二度と手に取ることのなかった本の多いこと多いこと。

そんなこんなでようやく100ページなんです。


いえ、読みながら覚えているということではないのです。

幾ら覚えようとしても最近ではもう全く覚えられない。

それで最近はもう覚えようとする無駄な努力は止めました。

覚えなくても本を見れば済むことなのですから。

考え方さえ理解しましたら、それで良いのです。

後で本を見ながらプログラミングだってできるのです。

流石に時間は掛かりますけど、

でも何も急ぐ必要もないのですから、それで良いのですね。


クラシックを聞きながら、

お茶を点てながら、

パソコンに向かいながら、

それで良いのではないかってね、

おっさんは最近そう思うようになりました。


あ、昔は完璧主義者だったのですけどね。(爆)



肉体と精神



いきなりですけど、

肉体と精神は競い合い補い合って健全になろうとしますね。


まず、精神を高める、

そうしますと肉体が頑張って付いて来て下さるのですね。

それで肉体も少し健全になって、

まあ、勿論、もうダメなところは難しいですけど、

肉体が少し健全になった分だけ、精神も少し健全になるのですね。


これは逆に肉体を幾ら健全にしましてもね、

本人の自覚がありませんと精神は健全にはならないのですけど、


精神の健全化は、反省から始まりますね。

反省して、想念を前向きに訂正して、

そうしますと生活習慣も改められるわけですから、

肉体も必ず健全化の道を歩もうとしますね。


肉体の健全化にはね、

空腹の時間が必要ですね。

精神と同じように肉体にも休憩が必要なのですね。

それが、うっかり八兵衛のように小腹が空いてはお団子を食べる、なんてことをしておりますとね、

必ず胃腸が弱り、運気が弱り、肉体の様々な場所に症状が現れて来るのです。

肉食ばかりでも同じですね。

適度な食事と適度な睡眠、適度な運動、適度な労働、

それが運気を高め肉体を健全に近付けて下さる。

いえ、本当ですよ。

勿論、頭の体操も必要ですけどね。

で、そのためにはね、

やはり健全な精神が必要なのです。


健全な心は健全な精神を培いますね。

健全な精神は健全な生活習慣と健全な想念を、

健全な生活習慣と健全な想念は健全な肉体を培って下さる、

とそういうわけなのですね。

ただ、健全な精神を得るためには健全な肉体がね、

逆に必要なわけなのですね。

ですから、精神と肉体は互いに補い合い、競い合って、

健全になろうとするのですね。



身体と五行の関係



例えば、ですよ、

朝起きました時にお口の中で変な味がする。

歳を重ねてまいりますとそのような現象が生じます。

身体からいやーな匂いがする。

加齢臭なんて呼ばれておりますけど、

そういったものはね、身体のどこかが弱っております時に生じる現象でございますよ。

よく怒るようになった。

とかね、それも怪しいもんです。


朝起きて、お口の中がなんか酸っぱいぞ!

そんでもって最近体臭が脂臭いぞ!

これはね、「木」の病ですね。


朝起きて、お口の中がなんか苦いぞ!

そんでもって最近体臭がこげ臭いぞ!

これはね、「火」の病ですね。


朝起きて、お口の中がなんか甘いぞ!

そんでもって最近体臭が香ばしいぞ!

これはね、「土」の病ですね。


朝起きて、お口の中がなんか辛いぞ!

そんでもって最近体臭がなま臭いぞ!

これはね、「金」の病ですね。


朝起きて、お口の中がなんか塩っ辛いぞ!

塩辛食ったっけかなあ?

そんでもって最近体臭がごみ臭いぞ、腐った匂いがするぞ!

これはね、「水」の病ですね。


こういったのはね、大切な身体からのメッセージでございますな。

注意せんといけませんな。

詳しくはこちらに表があるのでごわすな。

http://www.gofuya.com/shiawase/mibyou.htm



妙法蓮根経



いいかい?

南無妙法蓮華の教えにある蓮華の花は、

濁った池の水面に顔を覗かせた美しい花であるよ。

不調和な心の表面意識に顔を覗かせた神理の花であるよ。

乱れた社会の中から生じる神霊のお心であるよ。


その濁った水を綺麗にするのです。

その不調和な心を調和させるのです。

乱れた社会を調和させるのです。


そうすれば、池の中の蓮根は見えるようになるよ。

さらには水面の波紋が静まればもっと良く見えるようになる。

蓮根は私達の食卓を潤すよ。

深い深いところのその蓮根は、

見た人全てを幸せにしてくれるよ。

蓮華の花から想像することもできるけど、

直接見る方が幸せになれるよ。


これがね、妙法蓮根経。

南無妙法蓮根って唱えるだけでは何にもならないよ。

蓮根を見るための感謝と愛、反省と懺悔の正しい想念行為が必要だよ。


満足して感謝する。そして報恩の想念行為、それが愛だよ。

愛は慈悲と言う神仏のお心の実践だよ。

反省して懺悔する。そして悔い改め、想念行為を修正する。

その、魂を引き上げる力と押し上げる2つの力が働いて、

心はさらに明るく輝いて行くよ。

それがね、池の水を綺麗にするコツだよ。

そうして毎日満たされて、笑顔で心豊かに暮らす時、

水面の波紋は静まるよ。


蓮根はね、深く深くに存在する神理、

つまり神霊のお心だよ。

それから、池の底は神霊の意識だよ。

神理が見えてこそ、

神霊と繋がってこそ、

私達は真の幸せを得られるのだよ。

違うかい?



フィット感



198円で塩わかめを買って参りまして、水で戻して、

鰹節とポン酢で和えて戴きます。

これが疲れた身体には良いのですね。

このポン酢わかめはね、

きゅうりの輪切りを和えましても、

たとえば竹輪などと和えましても、

冷やした豚しゃぶや冷奴、トマトなどに添えましても、

良い感じになるのではないかなと思うのです。

そしてその上に赤いラディッシュなどを載せましてね、

そうしますと色彩鮮やかでより調和度が増すのではないかと思うのです。


ところで、この部屋を借りました折にね、

シンクタンク、もとい、

シンクの横の空間に棚が二つと小物入れと冷蔵庫とデスクがぴったりと収まりましてね、

これはもう最初からその位置に置かれることが決められていたのではないかと、

思うのですね。

調和するのですね。

ぴったりなのです。


調和度はね、フィット感とも云いますね。

フィットする、調和する、

これは大切なことでございます。

そこにあるべきものがあって、あるべきでないものはないのです。

神霊や守護霊様のお導きありましてこそ、

調和されて行くのでしょうね。

ところが、これが欲や執着でお導きが受けられていらっしゃらない人などは、

無茶をするのでしょうね。

あるべきでないものを無理にそこに置こうとするのでしょうね。

ですからそれが封じる作用に働いてしまうのではないかと思いますね。

或いはその学問が風水というものなのかも知れませんけど、


春夏秋冬、東西南北、朝昼夕夜、木火土金水、

その時、その場所であるべきものが定まっているのでしょうね。

そうじゃないかなとおっさんは思うのです。

そうじゃあないかなってね。



歯医者復活戦



さて、歯医者通いが続いておりまして、

歯の奥深くに膿が溜まっていたのですね。

で、前回それを取り除いて、薬を詰めて、蓋をして、

今回もまた、薬を詰め直して、蓋をして、レントゲン撮って、

でもね、ここはええですよ。

一回の治療に一時間掛けて下さる。

まあ、通院頻度は月一なのですけどね、

いつまで掛かるのかは分かりませんけど、

まあ、根気強く通うことにします。


ところでね、おっさんはカレーが好きでして、

前回の通院帰りにカレーを戴きました。

なんか、黒いカレーなのですね。

海苔の佃煮?のようなのが混入されているのです。

美味しいっちゃあ美味しいのですけど、

安っぽい子供だましの味ですね。

ある店では白みそのようなものが混入されておりましたし、

別のカレー専門店では梅干が混入しているのです。


おっさんほどの歳になりますとね、

違和感のありますものを食しますと身体が敏感に反応しますね。

梅干混入カレーでは熱が出ましたし、

海苔の佃煮混入カレーでは脂汗が出て参りました。

何もそんな変なもの入れて子供だましの味にしなくても、

普通のカレーで良いんだけどなあって思うのです。


おっさんは、普通のカレーが好きなんです。

高級牛肉だって別に入っていなくても構わないのです。

勿論、入っているのはもっと好きですけど、

それでも脂が多いと身体にダメージが加わります。

ほんまに、素朴なカレーが良いのです。

高級品や変わった食材などはおっさんの身体に悪いのです。

閻魔大王と同じようにあっさりしたお茶漬けでも食べたくなるのです。


さて、夕食は何を食べよっかな。



エール(Yell)



おっさんは、涙もろくていけませんやね。

先日、スーパー玉出でお買い物をしておりまして、

そうしますと、いきものがかりさんのエールという歌が流れておりまして、

おっさん思わず涙ぐんでしまいました。


いえ、おっさんは牛乳係りだったのですけどね、

それでぎっくり腰を患ってしまいましたことは以前どこかで書かせて戴いたのですけど、


いきものがかりさんはエエですね。

歌詞が素晴らしいですね。

曲も素晴らしいですね。

で、曲の要所要所で閃きが生じるのですね。

あなたの人生はそれで良いのだよ、とか、

悲しむことも、悩むことも、苦しむことも必要ないよ、だとか、

伝わってくるのですね。

でね、その歌詞の中に、タイトルにもなっておりますエールという言葉が出てくるのですけど、


エールという言葉は心に何かを訴えかけて参りますね。

で、それが何かを考えておりまして、分かりました。

神霊はね、私たちにずっとエールを送り続けて下さっていたのだと、

そのことを深層心理が理解しているから、

エールという言葉に心の深い深いところが反応してしまうのですね。


と、そのようなことを考えておりましたら、

お空にありえないような雲が現れました。

飛行機雲のような細い雲が三本、くるっと弧を描いているのですね。

いえ、飛行機雲ではないのですよ。

この場所は航空機ショーが行われる場所でもありませんし、

飛行機が三機、すぐ近くを飛ぶことは管制塔さんは許可しませんでしょう。

それに、一機の飛行機が三本の煙を吐いているとしましたら、

それは事故になっているのではないかと思うのです。

近くに飛行物体も見当たりませんでしたし、くるっと弧を描く飛行機雲なんて見たことないですからね、

ですからこれはどなたかが見せて下さったエールの象徴なのではないかな、

とおっさんはおっさん本意の勝手なことばかり考えるのですけど、


エールはね、

「ガンバレー」

「挫けるなー」

といったような応援の声なのですね。

強い心と深い愛がありませんと、人はどなたかにエールを贈ることなんて、

できませんね。

おっさんだって常に暖かな気持ちでどなたかにエールを贈り続けることなんてできません。

時には、コンニャロも贈ってしまう。

常にエールを贈り続けることのできる暖かな人になりたいな、

と、おっさんはそう思うのでありました。



母性、その愛の実践



以前にどこかで、母性本能は動物の本能であるよ。

なんてことを書かせて戴きましたことがございます。

全くその通りでね、母性は真の愛から生じるものでなくてはいけませんね。

何故なら、大いに神性を発揮しなくてはならない人類が、

獣と同じであって良い訳がないからなのですね。


ところでね、先日松居一代さんと仰られますタレントさんがテレビに出ておりまして、

人ん家の便器を素手でゴシゴシ洗っておりました。

おっさんはそれを見て感動しましたね。

言葉ではなく、無言の行動での愛の実践。

誰にでもできるものではありませんね。

時々、頓珍漢なことを仰られます彼女、

それでも人ん家の便器を素手でゴシゴシできる。

それだけでどんなに純粋で美しい魂であるかが証明されておりますね。


今生、恐らくは掃除を通して愛を伝える使命を持って、

生まれて来られたのでしょう。

大宇宙掃除大使、とでも呼べそうな彼女は、

言葉で愛を伝えることは下手ですけど、

恐らくそれはご自身で魂に誓って、前世でそのように決めて生まれて来られたのでしょうけど、

それでもテレビに出て愛の実践を人々に間違いなく伝えておられるのですね。


これこそがね、真の愛から生じる母性の姿ではないかと思いますね。

邪気だとか、邪悪な念だとか、ウイルスだとか、ウンチだとか、

そんなことはお構いナシに、ドンと来い、全て受け入れて抱きしめてやるぞ、

と言わんばかりの大きな懐、強い母親、大きな愛情、

人はね、そうでなくてはいけませんね。

私も見習わなくてはいけません。


結婚しますと、人は誰でもそういった母性が求められますね。

だって家族の邪気とか邪念とか、ウイルスとか、ウンチとか、

汚い、嫌だなんて云っていられないのですから。

大きな愛で包んで差し上げなくてはいけないのですから。

命がけで家族を護って差し上げなくてはいけないのですから。

ですから、恐らく結婚の前後に、

守護霊様は母性を備えるための課題を与えて下さるのではないかと思いますね。

そうして、人は、

素手で便器をゴシゴシできるかどうかは別として、

必要な母性を獲得して一回り成長するのでしょうね。


人生、無駄なことは何一つないのですね。

全てが学びであり、それを教えて下さる人が居る。

頑張って、頑張って、その姿で愛の実践を教えて下さる人が居る。

素晴らしいことだと思います。

有り難いことだと思います。

まだまだこの世界も捨てたものではありませんね。



自分の気持ち



赤信号、みんなで渡れば恐くない。

以前そのような標語が流行りました。

集団意識というのでしょうか。

人間の悪い癖ですね。

こっちに本当の自分の道があるのに、みんなと同じ方向に進んでしまう。

野球を、観戦するのが好きで、

就職活動は濃紺のリクルートスーツ、

変だと思われませんでしょうか?

万人が、野球が好き、それも観戦することが好きなわけがないのです。

ある人は野球を、するのが好き、観戦しても参加していないのなら興味はない、

またある人は、野球よりも相撲が好き、野球観戦するくらいなら相撲を見る、

それが当たり前だと思うのです。

オレ様は勝負服の赤いブレザーで内定を勝ち取ってやるぞ、

就職活動なんてジャケットでいいじゃん、

その信念を貫き通す人が大半であることが当然でありますように思うのです。

それがね、どうしたことかロボットのように同じ思考回路、行動形態なのですね。

意見の全く同じ人など存在するはずがありませんのに、

無理にみんなと合わせて群れようとする、

それはね、協調ではありませんね。

洗脳に近いものを感じますね。


怖さと、洗脳、

洗脳はね、恐怖心があるから洗脳されてしまうのですね。

みんなと同じでなければ仲間外れにされてしまうのではないか、

就職できないのではないか、

自分の意見を言うと喧嘩になってしまうのではないか、

その心が洗脳を受け入れてしまうのですね。


こうしていたら間違いないよ。

こうしていたらみんなと同じだから仲間外れにはならないし、

就職もできて全て上手く行くよ。

安全だよ。

パパもそうして来たし、ママもそうして来たんだよ。

新聞にだってそう書いてあるし、偉い人だってそうなんだよ。


でもね、それでは自分が窮屈だし、

神様の与えて下さった大切な個性が埋もれてしまう。

良い面もありましたら、悪い面もあるのですね。


おっさんはね、マイノリティーで良いと思うのです。

マイノリティーが当たり前だと思うのです。

この世界の人間がね、

自分と同じ思考回路、行動形態でなければ、

聞く耳を持たず何も受け入れず、

人を尊重せず、何も与えない、

そんな頑なな人間ばかりでしたら、

そりゃあ仲間外れにされてしまうかも知れない。

でもね、聞く耳を持っていて、

自分と異なる考え方も尊重して下さるような人は居るのです。

とても少ないかも知れませんけど、少しは居るのですよ。

勿論、聞く耳と尊重する姿勢はご自身がまずお持ち下さいますことが大切だと思いますけど、


そうしてご自身の意見、考え方で信念を持ってこの世界を渡って行かれますことこそがね、

本当の命ではないかと、おっさんはそのように思うのです。

自由なお心でね、

なーんにも恐れず、

自分なりの生き方を追求して行かれましたらと思うのです。

その方が人間らしいし、幸せなんじゃないかなって思うのですね。



執着を離れる



この世界は、現象界でございます。

実在界と呼ばれるあちらの世界とは違いまして、現象が生じる。

不調和界ですね。

この世界はね、

私たちの心が天に通じますと調和社会に近付き、

私たちの心が地獄に通じますと、地獄に近付きます。


調和社会での修行、

それはどんなに暖かな遣り甲斐があって意欲に燃える修行の環境でございましょう。

逆に、地獄での修行はね、

効率も悪く、苦しみ悶える中で神理を探さなくてはいけない、辛い辛い修行の環境でありましょう。


私たちは、恐らく、

地獄で修行するよりは調和社会で修行する方が良い。

誰だってそうだと思うのです。


ただね、どうでもいいっちゃあどうでもいい。

たかが現象界のことであって、

大した違いじゃあない。

執着を離れたもの勝ちなんです。

執着を離れましたら、苦しみさえ、なんでもなくなりますからね。


執着はね、

命が怖くなりましたら、

欲が芽生えましたら、

自分のことしか見えなくなりましたら、

子供が、怖い怖い、嫌だ嫌だと何かにしがみ付くように、

生じて参ります。

その執着が視野を狭めるものですから、

さらに執着が強固になります。

その結果が鬼とか魔物、

生きた人間でありましたら、

周りに迷惑を及ぼす存在になるのです。


だからこの世界が益々道理の通らない世界になって来る。

理不尽な世界になって来るのですね。


ですから、例えば叶えたい願いがありましてもね、

執着し過ぎはいけませんね。

心のどこかで「叶うといいな」程度が良いのです。

その場所から一旦少し離れてみて、

そうしますと客観的に眺めてみることもできるようになりますから、

良い方法が見付かるかも知れませんし、

閃きや気付きが得られるかも知れません。


心がね、同じ方向ばかり向いておりますから、

執着してしまうのですね。

時には色んな方向に意識を向けて、

心を向けて、

力を投入して、

そうしますと一方向だけの執着から離れることもできますでしょう。


人生だってね、

執着を離れて、

自分を捨てて生きておりました方がね、

絶対に上手く行くのです。

守護霊様は間違いなく、

その時にお力添え下さるのです。

いえ、お力添え下さることができるようになるのです。

私たちにその準備が整うのです。


苦しい時代でございます。

厳しい社会でございます。

もう既に、この世界は地獄にかなり近付いてしまっているのかも知れません。

でも、それは、

どうでもいいっちゃあどうでもいいのです。

執着を離れたもの勝ちなんです。

ですからね、

人生行き詰ったら、

どうしようもなくなったら、

執着を離れて、どうにでもなれって感じで生きてみる。

自分を捨てて、

ご自身の運命を全て受け入れる覚悟をするのです。

死んでもいい、って考えるのです。


そこにね、光の道が開けるのですから。



太陽系を考える



ここに、太陽系の惑星に関するデータがございまして、

以前におっさんはそれを見てある結論に到達しました。

それを少し皆様にも考えてみて戴きたいのですけど、


まず、このデータは地球の直径を1とした場合の惑星の直径です。
太陽から離れるに従ってどんどん大きくなり、木星を最大にして、そこからどんどん小さくなる。

あれれ、火星ばかりやたらと小さいのですね。
神様は間違って創ってしまったのかなあ。

水星    0.38
金星    0.95
地球    1.0
火星    0.53
木星    11.2
土星     9.4
天王星    4.0
海王星    3.9

それから、次ののデータは太陽との距離ですね。地球を1とした場合のものです。
太陽から離れるに従って、その間隔は大きくなりますね。

あれれ、地球と金星は、なんだか近過ぎやしませんか?
地球がその位置にあるのはどうもおかしいですよね?

水星    0.39
金星    0.72
地球    1.0
火星    1.52
木星    5.2
土星     9.55
天王星    19.2
海王星    30.1


でね、このことを考えておりまして、おっさんはたった一つの結論に到達しました。

大昔にはね、地球なんてなかったのです。
それが彗星か隕石によって火星が今の地球の位置まで弾き飛ばされたのですね。
でね、その欠片が火星なんです。

人間の体内リズムは一日が25時間だっていうじゃないですか。
火星の一日も25時間なんです。
でね、地球が火星の位置にありました頃は重力も少なかったのでしょうね。
ですから恐竜なんかの大型の生物が繁殖したのです。

それをね、もっと調和溢れる惑星にするために、
神様の御意思で、弾き飛ばされたのでしょうね。
ですから地球がこんなに綺麗な惑星になったのです。

おっさんにはそうとしか考えられないのですね。



もやもやしたもの



誰の心の中にもね、

もやもやしたものはあると思うのです。

割り切れない思いとか、わだかまりとか、

まあ、全て自分自身の心の作用で必要があって生じております現象なのですけど、

受け入れられない、

んなこと認められない、認めたくない、

そういった気持ちがね、

もやもやしたものを生じさせるのですね。


それはね、生きております限りは、

水面の波紋のようにひっきりなしに生じて来る。

気付かずに平気で暮らしている方もおりますでしょう。

気になって一生懸命に取り除こうとされている方もおられますでしょう。

そのもやもやが様々な不調和な現象を生じさせていることに、

気付いた方もおられるかも知れませんね。

まあ、兎に角、心の中のもやもやしたものは、余り気分の良いものではありません。

なんたって心の安らぎを妨害するのですから。


ところでね、

睡眠障害ってものがありますよね。

眠りにつくことが難しい。

深い眠りに入れず何度も目覚めてしまう。

うなされる。

悪夢を見る。

眠りは大切なものでございましてね、

心身をリフレッシュさせたり、

寝ております間に守護霊様からの大切な通信を受け取っていたり、

実在界に戻って誰かに会っていたり、

光のエネルギーを充電していたり、

するのですからね、

それが上手くできないとなりますと、人は誰でもイライラして来るものでございます。

そうしてそのイライラがさらなる不調和を招いてしまうこともあるのでしょうね。


寝るコツって、ありますよね。

例えば、心にもやもやを抱えたまま眠りに付こうとしましても、

余り良質な眠りが得られるはずはありませんよね。

怒りや、憎しみ、嫉妬などの不調和な感情、不調和な想念でも同じですね。

そういった時には魔物が悪夢を見させるようなこともありますでしょう。


夕食を腹八分目に戴きましてね、

散歩して、公園のちっちゃな自然にもふれて、

部屋に戻って反省して、神様にも懺悔して、

自らのお心の中のもやもやを取り除いて、

お心を感謝と愛に溢れた状態に戻して、

クラシックなどの高尚な音楽にも浸って、

リラックスもして、

守護霊様ともお心の中でお話して、

明日のご守護とお導きをお願いして、

ああ、今日も充実した一日になったな、とね、

にこにこして眠りに付く、

そうしますと良質の眠りが得られるようになるのではないかなってね、

思うのです。


眠れないでイライラしていおりますと、

小さなことに拘ってしまいますしね。

ほんの些細な人間関係のトラブルがね、

憎いの憎くないの、赦すの赦さないの、

でもね、ぐっすり寝て考えてみますとね、

大したことじゃない、

人生に取りましては取るに足らない、

どうでもいい些細なことなんです。


秋の夜長、

価値のある過ごし方をしませんと勿体無いと思いますね。



JAVA



おっさん、只今JAVAをお勉強しております。

ぶっちょいJAVAのテキストを購入して参りまして、

一生懸命に理解しようとしておりました。

ところがね、これがなかなか進めない。

沢山の難しい概念が抽象的な文章で説明されていて、

なんだかちっともわかんない。


先日、古本屋で、百円でまたまたJAVAの本を買って来たのです。

少しバージョンが低いものの、

こちらの方はね、もうスムーズに読み進められるのです。

なんたって「誰でもできる」ってタイトルにあるくらいですから、

猿でも、おっさんでも、理解できてプログラミングだってすぐにできるようになるのです。

それにね、概念だって、ああ、こういうことかって理解できて来るのですね。


不思議なものです。

学ぶ教材一つで、

いつまで経っても概念が理解できずプログラミングもできなかったり、

買ってきてすぐ概念が分かってプログラミングできたり、

するのです。


その違いはね、たったひとつだけ、

「誰にでもできる」なんです。

ですからおっさんは、

古本屋で、「誰でもできる」とか、書かれておりますような御本はどんな分野のものでもね、

取り敢えず買って読んでみることにしているのです。

なんてったって新しい技術が簡単に習得できるのですから、

素敵なことではないですか。

ただね、古本屋で百円で売られておりますものは少しばかり古くて、

技術的に全く通用しなくなってしまっておりますものも多いのですけどね。



ヤヌスの鏡?



もう23年前ほど前になりますでしょうか、

そのようなテレビドラマがございまして、

まだ中学生か高校生かの女の子が祖母の躾と称する虐待で心を患わせて二重人格になってしまう。

というお話でございました。

もう一つの人格が夜に出歩いて犯罪を重ねるのですね。

チェーンを振り回してね。

面白い番組だったのですけど、

私は山下真司扮する教師の軟弱ぶりが見るに堪えず途中から見るのを止めてしまったのです。


いえ、実際にあるようなお話だと思うのですね。

特にご老人は躾と虐待の見極めが付き難いですからね。

昔の軍国主義を経験されて来られました様な方は云うに及ばず、

昭和の後期でも躾や教育の中で当然のように暴力が行われていたのですから。

まあ、次第に正しい親子関係の姿に修正されて来ておりますようには感じますけど、

それでもまだまだ修正しなくてはいけない部分がありますように思います。


まあ、根本的なところはね、

自己満足ではいかんということでしょうね。

自己満足の躾、

自己満足の愛、

自己満足の教育、

それをね、真の愛に基づくものに変えて行かなくてはいけないのですね。


どのような人間関係でありましても、

お仕事でもね、何でも、

世間体や金銭的なもの、名誉や肩書きに惑わされて真の愛が見えなくなる、

相手の立場に立った真摯で誠実な在り方を忘れてしまう、

それが人間の性(さが)であり、業でありますように思います。


その過ちもね、反省という行為なくしては見つけることができないのです。

そうして、その過ちに気付きましたら、勇気を持って少しずつでも修正していかなくてはいけませんね。

難しいことですけどね、

それが必ずご自身の人生も、社会も、

光あるものに変えて下さいますでしょう。

そう思いますね。



みかんがみっかんないよ



みかんがみっかんないよ、みかんがみっかんないよ

みかんなんて最初からなかったのよ!


これは、さまーずさんのネタでございます。


おっさん暇なもので、このネタについて少し考えてみたのですね。

恐らくは子供とその母親の会話と思われますこの会話も、

母親のセリフの読み方一つで、随分と状況が違って参ります。


まずね、母親が涙をこぼしながらこのセリフを云ったとしましょう。

それはどのような状況でしょうか?

訳の分からないことばかり云うこの子、

どうして気がふれちゃったのだろうか、とね、

落胆しておりますような状況でしょうね。


次に、母親が怒りながらこのセリフを云ったとしましょう。

恐らく、みかんはあったのです。

それを母親が一人で食べちゃった。

それをいつまでもくどくどくどくど云い続ける子供に対して、

もう、いい加減にしなさい、って気持ちで、

みかんなんて最初からなかったのよ!と云ったのでしょうね。


それから、母親が、子を肩を両手で掴み、揺らしながら、

一際強い口調で、目を大きく見開いてこのセリフを云ったとしましょう。

そうしますとね、

あらこの子、空腹すぎて気がどうにかしちゃったのではないだろうかと、

驚いて、早く正気に戻って、というような気持ちで、

こう云ったのでしょうね。


また、母親がこのセリフを吐き捨てるように云ったとしましょう。

それは恐らく暮らしが厳しくみかんなんてとてもじゃないけど買えない。

ええい、もうどうにでもなれ、って気持ちでの発言ではないかと思います。


これがね、子供に諭すように云ったとしましたら、

うちはみかんも買えないほど貧乏だけど、

負けないで一緒に頑張って生きて行こうね、

という気持ちなのではないかと思うのです。


みかんなんて、みかんなんて、みかんなんて、

とそこばかりを強く繰り返すようでしたら、

その母親は、余程みかんに憎しみがあるのでしょう。


まあ、そんなことを考えておりましても仕方がないのですけど、

時にはそんなくだらないことを考えてみることも、

良いのではないでしょうか?



反省というもの



若い人は皆さん魅力的でございます。

心も純粋で、輝いている。

ですからね、おっさんも若い人を見る度に、

「若いってええなあ」って感じます。

まあ、若い人が魅力的なのは当たり前の話なのですけど、


それがね、歳を重ねるに従いまして次第に色んな色を塗り重ねる。

勿論、それが良い味になっておられます方は素晴らしいなって思うのです。

でもね、次第に毒々しくなってしまう人もいらっしゃる。

テレビでもね、まだそれほどのご年齢でもなく、

容姿も端麗なのですけど毒々しい方を良く拝見します。

残念だなあって思うのですね。


で、その毒々しさや色んな好ましくない色を削り取るのが、

反省、という作業なのでありまして、

自らの内面と向き合う、この反省という作業がどれだけ大切なものか、

それは一口では言い表せない程、人生にも魂にも大きな影響を与えるものでございます。


ところでね、かって私の尊敬する先生はこんなことを仰っておられました。

神社仏閣の中には悪霊の巣窟になってしまっているようなところもあります。

ってね。

中には光の天使の連絡場所として使われておりますところもあるようですけど、

古狐や古狸、蛇や地獄霊が大明神を騙り居座っているところもあるようですね。

「平成狸合戦ぽんぽこ」でもそのような描写がありましたね。


祈りの場に光がないからそのような現象が生じてしまうのです。

祈りの本質はね、感謝と自らを省みるための祈りであるべきなのです。

それが、欲を叶える祈りばかりなのですから、

当然、そこに光はないのですね。


感謝と反省、

今のような時代だからこそ大切なものでございます。

特に反省はね、おっさんもよく忘れちゃう。

でもね、間違いなく人は、魂は、

前進するためには反省が必要なのです。

反省なしに前進はできないのです。

それに、闇の色や毒々しい色に染まっておりましても、

人生、その先には進めない。


おっさんはそう思うのです。



おのおのがた、討ち入りでござる、その1



赤穂と申しますと、塩の産地でございます。

兵庫県の西にありました国で、今では赤穂城などが残っておりますようでございます。

昔の御仁は感性が豊かでございました。

塩の味が分かるのですね。

そのような感性豊かな御仁の一人に、

柳沢出羽守保明(やなぎさわでわのかみやすあきら)

といった御仁がおられました。

五代将軍、徳川綱吉の御側用人筆頭で、後の美濃守吉保(みののかみよしやす)

ですね。

この名前はね、絶対に覚えておかなくてはいけませんね。

そうしませんと、忠臣蔵が分からなくなる。

将軍綱吉の一番近くに居た人で、この人を抜きにしては忠臣蔵は語れないのです。

で、この柳沢出羽守保明が、日頃から、赤穂の塩はうめえなあ、と感じていた。

そこで赤穂の製塩技術を聞き出して全国に広めようと考えたのですね。


吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)はね、高家筆頭、

高家といいますのはね、幕府が朝廷と折衝や調整ごとを行うための幕府側の役人ですね。

その筆頭なのですから、天皇とも対等に話し合う偉い人なのですけど、

そもそもこの吉良上野介義央はもうかなりのお歳のおじいちゃんでございまして、

頑固一徹、


当時はね、人の心や人柄を見抜き、

手の平を変え品を変え、

如何にしてその人の懐に入り込むか、

如何にして少しでも良い立場に立てるか、

そういった繊細で巧妙な交渉術が当たり前の世の中でありましたわけで、

そのような中で吉良上野介義央の頑固一徹では、どうも朝廷外交もままならない、

そんなことで柳沢出羽守保明も頭を抱えておりましたわけでございます。


ところで、この時代には饗応(きょうおう)という慣わしがございました。

幕府が朝廷のご機嫌を伺うために接待するのですね。

天皇や上皇に加えて女官やお付の者数百名が京から江戸へ物見遊山の大宴会、

それが饗応なのですけど、これだけで一千両(数億円)は掛かるのですね。

で、丁度その時の饗応役(館伴−かんばん−)に命じられておりましたのが、

浅野内匠頭源長矩(あさのたくみのかみながより)

浅野家大老の大石内蔵助が老中方に裏金を渡して今までは何とか辞退させて戴いていたのですけど、

老中方も限界に来ておりまして、

浅野内匠頭源長矩もさしこみ(胃痙攣)を理由に断ろうとしたのですけど、

この時ばかりは辞退させて貰えなかったのです。

分からんことがあったら高家筆頭の吉良上野介に聞けば良かろう、ってね。


それがこの事件の始まりでございますな。

つづく



おっさんの育児理論



子が生まれます。

いえ、生まれたとします。

生まれたばかりの赤ん坊は、まだ何もできません。

泣くことか、お乳を吸うことしかできません。

それが暫くしますと笑うようになり、這い這いするようになり、

どんなことにでも興味を示すようになります。


さて、この赤ちゃんは、二十歳になると自動的に一通りのことができるようになるでしょうか?

No!ですよね。

自動的にはなりませんよね。

沢山の知識を吸収して、沢山の経験を積み重ねて、

成功もして、失敗もして、その中から沢山の生きた学びを得て、

そうしてようやく二十歳になって成人の仲間入りをして、

社会にも立派に通用できるようになるのです。


0歳から二十歳までの間はね、

ですからできるだけのことはやっておかなくてはいけませんね。

可能な限り様々なことにチャレンジして、

可能な限り沢山の成功と失敗を繰り返して、

甘い汁も、しょっぱい汁も、苦い汁も、

沢山味わって、そこから自分なりの生きた智恵を身に付けて、

経験値を増やしておかなくてはいけませんね。

そうしませんと、何もできない人間に育ってしまうのですから。


ところでね、

勉強勉強で外に出て太陽の光を浴びることもなく毎日毎日塾通い、家庭教師、

目指せ開成、目指せ灘、目指せ麻布、目指せラサール、と

こんな風に育ちました人は、どうでしょうか?

それから、親御様が「あなたはママの言うことだけ聞いていればいいの」って、

あれもさせない、これもさせない、ほらこれ食べなさい、あれ食べなさい、


日陰でね、育ちました果実もね、

一応は実がなるんです。

知識という栄養、過保護という栄養を吸って、

実だけは大きく大きく育つのです。

茎は貧弱なのに実だけ外見は立派なものがなるんです。

ところがね、この実は決して美味しくない。

甘くないのですね。

社会人として、何かが欠けているのです。

んでもって知識をひけらかす以外何もできない人間になるのです。


ですからね、

赤ちゃんが何にでも興味を示す時期は大切ですよ。

それから、遊ぶことも、ゲームに夢中になることも、音楽や車に興味を示すことも、

異性に興味を示すことも、悩み苦しむことも、

万引きして警察に捕まることも、(これはお勧めしませんけど、)

ご自分から何かに興味を持って挑もうとされますことは全て大切な経験なんですね。


親御様はそれを頭ごなしに押さえ付けるのではなくてね、

お子様のそのご意思を尊重して差し上げて、

人生の可能性に向かって一緒に道を切り開くための方法を考え、

励まして差し上げて下さいましたら、

と思いますね。


それがね、素晴らしい未来社会にも繋がって行くのですから。



神無月



さて、上半期も終わりまして、今日は下半期の第一日目でございます。

皆様、本当にお疲れ様でございます。

日々、大きなプレッシャーや責任という重荷を背負っての過酷な労働、

日々、大量の情報を頭に詰め込み、大量のノルマを消化し、

もう毎日が闘いで、足も痛い、腰も痛い、肩も痛い、耳も痛い、頭も痛い、

心はもう既に不感症で、深手を負っている。

私は思うのです。

人はよく頑張っているなあ、ってね。

そして息つく間もなく、今日からはまた新しい課題、目標が設定されまして、

それに向かって闘いを挑んで行かれるのでしょうね。

ファイトー、一発っう!ってね。


意欲に燃えておられます方もおりますでしょう。

我慢して、我慢して、辛抱して、辛抱して、嫌々ながらも重い足を引きずっておられます方も、

いるのでしょうね。

私などは、サラリーマン時代、ずっと後者でしたけどね、

まあ、時には悠々と流れる雲でも眺めて、

お心を癒して下さいましたらと思いますね。


特にもうそろそろ良いご年齢の方はね、

若い人と同じようには動けないのですから、

お身体に気遣って下さいましたらと思います。

はい。