ブログより転載(2009年12月)

 



大晦日にするべき話題かなあ



例えば、ですよ。

スーパーで鯛の生食用の短冊が売られていて、

短冊一本598円の、半額シールが貼られているとしまして、

その隣に、短冊二本980円の、半額シールが貼られたパックがあるとしまして、

どうも短冊二本の方を買ってしまう帰来がおっさんにはあるのですね。


短冊二本と言いますと、大きな舟盛りでも作れるほどのお刺身が取れるのです。

それに見切りで半額シールが貼られているのですから、

そりゃもう早く戴いてしまわなくてはいけない。

そうしなくては折角の鯛の短冊がダメになってしまうのです。

しかもね、おっさんは独り者、

天下御免の風来坊でございますよ。

パッ、天下御免の風来坊、パッ、

なんて時代劇もありましたけど、


とてもとても一人で食べきれるものではないのです。

腐っても鯛、で最後まで食べなくてはいけない。

お刺身で、

薄造りにして鯛しゃぶで、

お頭のない鯛の塩焼きを作って、

バター焼きも作って、

バター焼きはポン酢を掛けて召し上がれ、

ってなことで食べきらなくては鯛さんに申し訳が立たない。


でも買う段では、そこまでは考えが及ばないのですね。

買いたくなると言いますことは神様が買えと云って下さっているのだ、

と勝手な解釈を致しまして、

無意識のうちにもその短冊が2本980円の見切りで半額になった鯛を手に取って、

意識が戻りました時にはニコニコ顔できちんとレジに整列して順番を待っているというような具合なのでございまして、

まあ、そんなわけで元日の朝には

お頭も皮もない鯛の塩焼きでも食卓に飾ってみようかなと思うのでございます。


後先も考えず、

吉と出たのか凶と出たのか、

この糞親父が来年も、

うだつの上がらぬ生き恥を、

晒すと思えば恥ずかしや。

穴があったら入りたい。

あこりゃこりゃ。



労働者派遣法改正へ



労働政策審議会が登録型派遣と製造業の派遣を禁止することを取りまとめ、

来年の通常国会に法制案が提出されるようでございまして、

ようやく日本を破壊させている闇の一部に光が当たったように感じております。


思いますに、この派遣制度でどれだけの人の命が失われたか、

無分別にも自民党が法制化した派遣制度を民主党政権が元に戻そうとする動きを

始めて下さったのですね。

有り難いことでございます。


郵政民営化以来、久しぶりに正しい政策が行われようとしているのです。

これで日本は少しはマシになって下さると思いますね。

この勢いでさらに闇の部分に光を当てて、

自民党の行って来た誤った政策を元に戻して下さいましたら、

と思います。

それだけでも、どれだけ日本がマシになることか、

どれだけの命が、失われずに済むことか、と思うのです。


子供手当てで所得制限を設けない鳩山さんの判断には耳を疑いましたけど、

どんだけ世間知らずのお坊ちゃまなんやと思いましたけど、

それでも、派遣法の改正だけは是非ともやって欲しいものでございます。

それだけで民主党の存在意義はあると思いますね。


正しいお考えの人が多少なりとも居て下さっている。

ちゃんと日本を愛し、現象を正しく見て下さっておられる人が居る。

自民党の中にはいらっしゃらなかったのですけど、

民主党の中には居て下さっているのだなあ、

と、そう思うのですね。



ほんまにそう思うのです



生きる

人が人生を生きる、といいますことは大変なことでございます。

少なくとも、いい加減な気持ちで生きておりましては、

勝利は得られない。

自分自身の魂との闘いに勝利できないのですね。

責任ある生き方、

説得力のある生き方をせんといかんのです。

そうしなくては業も、罪も、ただむやみに積み重ねるだけですからね、

それはもう、考えて、考えて、正しく、正しく、

前向きに生きていかなくてはいけませんね。

おっさんは業も罪も人一倍深い。

今生、失敗ばかり繰り返しましたからよく分かるんです。

それはもう、背水の陣で望まなくては、

おっさんには後がないのです。

一歩も引けない。

間違っても間違いを正しいとは云えないのです。

それを間違ってしまいますと自分に撥ねっ返って来るのですね。


罪を重ねるとどうなるか、

例えば宗教の教祖などの指導者がその信者に間違ったことを教え、

信者を不幸にしているとします。

そうしますとその教祖は頭が割れるように痛み、

頭の中がガンガン割れるように鳴り響き、

身体が痺れて来る。

そういった現象が生じるそうなのですね。

それは高橋信次先生がそのように教えて下さったのです。


それはね、無間地獄に心が通じてしまうから。


誰だって自分のことばかり考えておりますと、

客観的な視点を失い、自分が一番可哀想に感じますから、

余計に苦しみが増幅されますね。

次第に嫉妬心が芽生え、

相手のことを考える余裕がなくなって独善的な考え方しかできなくなり、

人を正しく理解せず誤解して、

ますます人間関係も悪化させて、

間違ったことばかり教えていらっしゃる宗教団体の教祖のようにはならなくても、

不調和な世界に心が通じてしまうようになりますね。


ですから、そういったことのないようにせんといかんのですね。

広い視野で間違いなく私たちの人生行路を航行しなくてはいけないのですね。

自分に負けそうになる気持ちを何とか前向きにして、

勇気を持って挑んで行かなくてはいけない。


人生ってほんまに大変ですわ。

でもね、命ある限り、前向きに楽しく頑張り続けたいと、

おっさんはそのように思うのでございます。



抑圧の反動



マグマはね、

抑圧に耐えかねて噴火しますね。

大陸間プレートも、

抑圧に耐えかねて撥ねっ返り、大震災を齎しますね。

親によって抑圧された子供たちが不良化して、犯罪化することは、

誰の目にも明らかでございます。

最近の犯罪の殆どが、

こういった爆発の力による、

ええい。もうなるようになれ、といったような破壊的な考え方に基づいているように思います。


江戸時代に、ええじゃないか運動が巻き起こった、

これも抑圧の反動でありましたことは明確でありましょう。

一昨年、とある芸人が、「そんなの関係ねえ」とのたまわり、

今年は遂に国民感情が爆発して民主党に政権交代した。

全てええじゃないか運動と同様に、抑圧の反動であり、爆発なのですね。


そしてまた、社会を変えるのも、人の生き方を変えるのも、

大地の姿を変えるのも、

この爆発の力によるところが大きいように思うのですね。


逆に考えますと、抑圧のないところに爆発はなく、変化も少ない、のです。

さらに逆を考えますと、抑圧と言う不調和がありますから、心が正しい在り方を求めて爆発するのですね。

抑圧も、爆発もなければそれが原因で命を落としてしまわれます方も、

その分の悲しみも少なくなるのです。


権力や腕力を自分本位に利用しようとしますとそこには必ず抑圧が生じます。

その抑圧は必ず爆発を生むことになります。

それによって多くのものが失われ、

権力や腕力を自分本位に利用する者にも必ずその反作用が生じます。


それで少しずつでも不調和が調和の姿に変わって行くのですね。

ただそれも人が自らを省みてこそなのでありまして、

そこに誰も、何も学び取ることをしなければ、

いつまで経っても不調和は不調和のままですね。


親権を持つものが子を不良化させても、犯罪に追いやっても何も考えないのなら、

自民党が自ら生み出した社会の歪み、抑圧に対して何も反省することがないのなら、

人が、楽しければいいじゃん、と自分本位の生き方を省みることがないのなら、

教育に携わる者がいつまでも心というものを無視した教育を続けて省みないのなら、

抑圧を生んでおります張本人がその抑圧にいつまでも気付かない、省みないのなら、

きっとこの世界はいつまで経ちましても、地獄の様相を呈し続けるのでしょうね。

きっとね。



ラッキー体質



書店に参りました折、大阪駅の近くを歩いておりますと、

年末ジャンボ宝くじを買い求める人で賑わっております一角がありまして、

何やら三億円の現物がガラスケースに展示されておりまして、

えーと、ここは当りが沢山出ることで有名な宝くじ売り場ですね。

この厳しい時代に少しでもラッキーを得ようと頑張っていらっしゃる。


でもね、ラッキーにも法則がありましてね、

ラッキーマンなんてアニメもありましたけど、

湯飲みの中に常に茶柱が立っていたりするヒーローなのですけど、

いえ、そんな茶番ではなくてね、

ラッキー体質ってのがあるのですね。


明るく楽しくいつもニコニコ、

これはまあ、当然と言えば当然のことなのですけど、

それだけではなくてね、

神様は頑張っていらっしゃる人にご褒美を下さるのですね。

それと、誕生日とかご自身の関係の深い日などは

ラッキーなことが生じやすいですね。

きっとこれも神様が祝福して下さっているのだろうと思うのですけど。


でもどんな人でも元から超ラッキー体質でありますことは否めない事実でありますけど、

だって産まれた時から何重にも護られ、導かれ、教えられて、

今ここにこうしてあるのですから。


でもまあ、当たれば良いですね。

三億円、ですか?

何に御遣いになられるのでしょうかねえ。



寂しくて死ぬ理由



ウサギは、寂しくて死んでしまいますでしょうか?

恐らくね、

宇宙広しと云えども、

寂しくて死ぬのは、恐らく人間だけでありましょう。

それと、人の心を反映した、たまごっち、だけがね、

寂し過ぎると死んでしまう。


これは何故かと言いますと、

人は求める生き物であるから、なんですね。

何故人だけが求める生き物であるのか、

それは、人には感じる力だけではなくて、考える力、創造する力があるのですから、

自分中心に考えてしまうのですね。

自分だけ良くなりたい。

自分だけちやほやされたい。

それが、孤独を避けたがる原因なのですね。


勿論、そうではない人もおりますでしょう。

それは、客観的に自信とその属する世界全体を客観的に見れる人は、

どのような状況に置かれましても、寂しくとも何ともない。


人の心の弱さの本質的な原因ですね。


ウサギは、寂しくて死ぬなんてことはありませんよ。

だって、考える力が殆どないのですから。

神霊の意識、大自然界の意識そのものでありますところの、感じる力と、条件反射、

殆ど、それだけなのですから、

寂しいなんて思うこともありませんでしょう。

逆に考えますと、人よりどれだけ神霊の意識に近いか、

知れません。


人は、考える力、創造する力、選択する自由を与えられましたばかりに、

神にもなれば悪魔にもなる。


考えなくては何も分かりませんね。

でもね、正解は如来様が度々生まれて下さって、そのヒントを残して下さっている。

最近は、ヒントだけではどうにもならなくて、

ズバリそのものの答えを残して下さっている。

高橋先生なんて霊界では一番高いところにいらっしゃる大先輩なのですから、

分からなければ彼の著書にでもヒントでも求めれば良いのになあって思うのですけど、

それが分からないのですね。


高橋先生と、そこいらの霊能力者との見分けも付かない。

そりゃ神理の知識が全くないのですから当然かも知れませんけどね、

神理の理解を深めてまいりましたら、何が正解で、何が間違いか、

100%の確信を持って選択できる程の判断力を得られるのは当然とは思われないのでしょうか?


寂しくて、魔物に救いを求めるよりも、

寂しければ神霊や如来様、守護霊様に救いを求める方が余程安全で安心だと思うのですけどね。


今の時代、神の言葉を伝える自称霊能力者は多いものです。

三輪さんは、道場破りして叩きのめしても良いと仰られた。

おっさんもそう思いますよ。

悟りも得られない者が神霊と会話できても、

それは不調和な現象でしかないのですね。

神か魔物かの見分けも付かない。

だって、悪魔だって神の姿で現れることはできるのですし、

神の振りして神理のようなものを説くことも、

人の心を見抜くことだってできるのですから。

それを間違いなく見抜き、判断する力は、

神理か、そうではないかを判断できる力に掛かっているのですから。


おっさんはそりゃあ三輪さんには叶わない。

勿論、江原さんにも叶わない。

高橋先生など、到底太刀打ちできるものではないのです。


それでも、神理に照らし合わせてものの正否を判断することはできるのです。

そこらの霊能力者を道場破りして叩きのめす程度の力はあるのですよ。


ある宗教団体の信者たちが変な気を発している。

ああ、これは狸だなあ、とかね、

これは蛇だなあとか、

その程度は霊能力なんぞなくても誰だって分かりますよ。

蛇か、龍神か、それも分かります。

タレントの中にも同じような顔つきの人が沢山いらっしゃる。


見抜けるようにならなくては恐ろしいのですよ。

道理が分からないようでは、もっと恐ろしいのですよ。

それが本当に幸せになれる道か、苦しみに至る道か、

それは今たとえ分からなくても、高橋先生のご本を読んでみて、

そのなかに書かれておりますことの正否を徹底的に、

ご自身で確信が持てるまで追求してみられましたら良いのですよ。

その姿勢と努力は間違いなくご自身を真の神に近付けさせて下さいますでしょう。


ウサギは寂しくて死ぬ生き物なのか、

それは人の心を映し出しただけの情報なのか、

簡単に分かるようになると思いますね。



おっさん教の教え



おっさんもこのところサボっておりましたけど、

やっぱり毎日祈らないとダメですね。

必ず幸せになる祈りです。

心を込めて祈って下さい。


光の祈り
−毎日正座して30分間唱えます。−


大宇宙大神霊、仏よ

私たちの暮らしに光をお与え下さい

心に安らぎをお与え下さい


実在界の諸如来、諸菩薩、光の天使様

私たちの健康と幸せをお護り下さい


願いが叶いますように

愛するものと共にいることができますように

暮らしが豊かになりますように

裕福でありますように

繁栄しますように

楽しく素晴らしい人生でありますように

心安らかにいることができますように

感謝と愛に溢れておりますように

皆と仲良く心豊かにいることができますように

私と私の愛するものたちをお護りお導き下さい


私たちの守護霊様、指導霊様

どうか私たちを心の内より正しくお護りお導き下さい


全ての神霊よ

私たちが悪しきものの妨害に遭うことがありませんように

常に心が光で満たされておりますように

魂が成長できますように

愛と慈悲の光の中に常にいることができますように

皆が幸せでありますように

強く強くお護りお導き下さい



奪おうとする癖



多くの人には、奪おうとする癖がありますね。

奪う想念、行為、

何度も書かせて戴いておりますけど、

言い換えますと、求める癖があるのですね。

無意識にも、求めてしまう。期待してしまう。

人を、自分本位で利用してしまう。


人間関係の中にね、

人に期待し、求め、自分本位で利用しようとすることがなくなりますと、

どんなに人は、ニコちゃんでいることが易しいものか、と思います。

それが、自分で終始せずに人まで自分の思惑の通りに動かそうとするのですから、

そりゃ、人間関係も摩擦が生じます。

殆どの人間関係のトラブルはそれが原因でありますように思います。

奪おうとするから拗れるのです。

当たり前のことなんです。


自分本位の考え方、

それが奪う想念に発展して、

勿論、ご自身にも戻って来る。

その現象は少し深く考えただけで見えて参りますね。


おっさんは少なくとも5年程は誰からも、何も奪ってはおりません。

少なくとも、その積りで生きております。

ですからおっさんが何か奪われたりしない限りはニコちゃんでおりますよ。

最近は、「求めない生き方」なんて本も出版されておりますようですけど、

それが当たり前の生き方ではないかなとおっさんは思うのです。

奪うのではなくて与えなくてはいけないのです。

おっさんも、与えられるものは与えて差し上げたいと思います。

ただ、与えて差し上げられる以上のものを奪われますと、

命に関わることにもなり兼ねませんからそれはご勘弁戴きたいのですけど、


これもね、放任主義の在り方なんです。

何度も云うようですけど、放任主義はほったらかしにする主義ではありませんよ。

人と人とが尊重し合い、強く生き抜くための素晴らしい方法なんです。

人間の原点ではないかなって思いますね。



表の顔と裏の顔



この世界に生を受けておりますもの、

全ての現象には、

表の顔と裏の顔が存在しますね。

全ての現象が表面的な事象だけで生じているのではなくて、

そこには必ず心の奥深く、

神霊、霊界に存在する壮大な魂の物語、宇宙の物語がありまして、

この表の世界に命が生まれておりますわけですから、

私達はこの裏の事情に光を与えないことには、

どのような現象も正しく捉えることは困難なのですね。

それで、私もこのブログで全てのことを包み隠すことなく書き連ねて来たのですけど、

そう簡単には裏の世界に光は差し込みませんね。


ですから、魂が良い方向に変化して行くことは難しいのです。

それは守護霊様、神霊のお導きなくしては正しい方向に成長して行けない。

太陽がなくては植物が真っ直ぐ上に生長できないようにね。


人が、魂が、

大自然界の調和の姿にどれだけ近付けたか、

全ての魂にどれだけの慈しみを与えて来たか、

まず、それが真にあるべき姿でありましょう。

その真の姿から外れて来た行為、想念こそが魂の業であり、今生にありましては、罪ですね。

その業と罪の結果が、今の私達であるのですね。

魂の癖を直して、

捻じ曲がったところを真っ直ぐにして、

私達はその課題に真剣に取り組まなくてはいけない。


お経や御真言で業や罪が取り除けるのなら誰も苦労なんてしないのです。

そんなことでは業も罪も取り除けない。

真に必要なことは、

大自然界の調和の姿にどれだけ近付けたか、

全ての魂にどれだけの慈しみを与えて来たか、

その訓練、努力の積み重ね、

そのための反省と訂正(修正)、

それだけが私達の魂を、社会を真の姿へと導いて下さるのです。


どんなに辛くても、

どんなに怖くても、

どんなに辱められても、

どんなに虐げられても、

それを心して生きていない限り安らぎへは到達できない。

来世もまた同じようなうだつの上がらない人生を送らなくてはいけないのですね。


どうもおっさんの業はとんでもなく大きく根深いようで苦労しておりますけど、

これだけはね、本当に、まず間違いのないことではないかと思うのです。

真実というものがお分かりになられない方もね、

まずそこから紐解いてみて下さいましたらと思うのですね。



時代が求めるもの



一仕事終えますと、疲れます。

2、3日動きたくなくなる程に、疲れます。

仕事に、丹精込めておりますと、

そりゃ疲れます。

常に、実力の100%以上の力を意識しておりますと、疲れます。

疲れて、youtubeを眺めております。

小泉エリちゃんの、ごはんリレー、とか、

稲垣早希ちゃんの、ブログ旅、とか、

水曜どうでしょう、とか、

新しい動画が更新されていないか、チェックします。

勿論、落語教会の動画も、チェックします。


今は、女の子が旅をする企画がうけるのでしょうね。

女の子が辛い思いをして、少しずつ目標に近付いて行く、

その様子を、

視聴者が見るのが好きなのか、

テレビ局が女の子を困らせて楽しむのが好きなのかは知りませんけど、

まあ、どうも後者のように感じますけど、


悪趣味だなあって思いますね。

一つずつ歓びを増やして行くのならまだしも、

苦しみを味わせて共感を求めて行く、

そのテレビ局の意図するところは、

私には理解できませんけど、悪趣味だなって感じるのです。

誰も人の苦しむ姿なんて見たくはないのです。

幸せを、歓びを噛み締めている姿が見たいのです。


小泉エリちゃんなんかは、もうずーっとゴール直前で地獄に落とされたり、

そんなことばかり繰り返しているのですね。

稲垣早希ちゃんだって、

次から次へと、新しい企画、より惨い企画へと

登板させられているのですね。

それを拝見しておりますと、おっさんなどは、

いい加減に豪華な旅でもさせてやったらどうなんやと思うのですけど、


テレビ局と申しますと、公共的な色合いの強いものでございます。

ところが、昨年などを見ておりますと、

この公共的な色合いの強いテレビ局各社が年末に特定宗教団体の広告をこぞって流し始めた。

お金のためだったらどんな広告だって流すよ、ってところなんでしょうね。

これにはさすがのおっさんも驚きましたね。

公共的な色合いの強いテレビ局が悪魔に加担しているのです。

まあ、産経とか、悪魔に乗っ取られてしまった企業も多いですけど、

テレビ局もひょっとしますと悪魔に乗っ取られてしまっているのかも知れませんね。

そこに出ておりますタレントだって、

数人に一人はその宗教団体の信者なんですから。

そしてその信者同士、

信者が、信者を引き立て、前に出させ、というような場面がね、

様々な番組で見受けられるのですね。

それはもうおっさんでも虫唾が走るよな光景でございます。


今年はどうなのでしょうかねぇ。

また悪魔の広告がテレビ局各社で流されるのでしょうかねえ。

恐ろしい話でございます。


調和といいますものの姿を知らない人の多い時代も恐ろしいものですけど、

さらに人の苦しむ姿を放映する悪趣味なテレビ局といいますものや、

悪魔に乗っ取られたテレビ番組も恐ろしいものでございます。

人類は、もう、遅かりし由良之助、なのかも知れませんねえ。



愛するために



人は愛するために生まれて来た。

これは命というものの一つの側面であり、

よく言われますことですね。

では、愛するために生まれて来た、とは一体どういうことなのでしょうか。


愛するために生まれて来た。

それはね、取りも直さず、

与えるために生まれて来た、ということではないかと思います。

与えるための身体を持って、

幸せを与えるため、

喜びを与えるため、

愛を与えるため、


与えることが幸せなのが神霊の法則であり、

奪うことが幸せなのが魔の法則ですね。

奪って、現世的に豊かになっても、

それ一時だけのものでしかありません。

ですから、貧しい者は幸いなのですね。

それは、心の豊かな者に永遠の幸せが与えられるからなんです。

与えることで私たちは心が豊かになり、

永遠の幸せを手に入れることができるのですね。



賢くなりたいっ



といいますことで、

youtubeの動画でね、

水曜どうでしょう、の、試験に出る日本史、

といったものを拝見したりしております。

そうしますと、勉強嫌いなおっさんもね、

あれよあれよという間に日本史がお勉強できちゃう。

不思議なものです。

大泉洋さんと、その事務所の社長さんでもありタレントさんでもある鈴井さんと、

プロデューサーさんとか、カメラマンさんとかと、

車で移動しながら織田信長さんの日本統一に至る道程を追いながら、

お勉強しているのですけど、


賢くなりますわぁ。

いや、ほんま。


その中でね、入試必勝コーナーというものがありまして、

縄文時代や弥生時代のことを、語呂で覚える方法も大泉校長が教えて下さるのですけど、

彼は、ほんまに天才でございますなあ。

例えばね、

群馬君、イワシ食い過ぎ 船頭気分か?

という語呂があるのです。

群馬県に 岩宿遺跡という 先土器文化の遺跡があるのですね。

それをね、

群馬県(ぐんまくん)

岩宿遺跡(イワシ食い過ぎ)

先土器文化(船頭気分か?)

と、全く無駄な語句一つ含まれない語呂を考えて教えて下さる。

素晴らしいですねえ。


この頭の良さがありましてこそ、

周りの人間を執拗に攻撃する面白トークが生まれて来ているのでしょうね。

おっさんは学生の頃は日本史なんて30点以上取ったことは殆どない歴史オンチな学生でしたけど、

こうやって教えて下さると日本史だって簡単に覚えられるのですね。


これはもうお薦めでございますよ。



不調和な現象



ずーっと前のことなのですけど、

おっさんは一時期、まじない、というものにはまっていたことがございまして、

式神を作るまじないの言葉、なんてものがいろんな書物に書かれていたりしたものですから、

そのまじないを一心不乱に試しておりましたことがございます。


そうしますとね、次第にもやもやしたものが現れまして、

それが人の形になって参りまして、

はあ、そんなこともあるのか、と不思議に感じておりました。

今は自然とその理屈が分かるようになりましたけど、

これはね、明らかに不調和な現象ですね。

私たちは霊的なことを充分に理解しておりますわけではありません。

理論よりも前に現象が生じる。

そうしますと間違いなく制御することが困難になって参ります。

これは不調和極まりない。

或いは、そのもやもやした人形は私達の人生にプラスに働き掛けて下さるのかも知れませんけど、

実はそうではないのですね。


私たちが生きて行く上に於きまして、

まじないの言葉とか、

理解を超えた不明な現象とかはね、

全く必要ではないのです。

堅実に人生を歩くために、

まじないの言葉を唱える必要なんてこれっぽっちもないのです。

そんなものに頼らずに生きておられます方は沢山いらっしゃるのですね。

そしてそれが自力本願であり、人の正しい姿なんです。


勿論、まじないも人生を良くするために活用できるのでしたら活用した方が良い。

おっさんの理解もあの時からかなり進みました。

不明だった現象もかなり理論的に解き明かせるようになりました。


昨日は、シャケのバター焼きを作りましてね、

それをおかずに食事をしまして、

さてもう一品何か作ろうかな、

シャケを焼いたバターもフライパンに残っておりますし、

幸いなことに、冷蔵庫にはエノキ茸が眠っておりまして、

それで美味しいエノキ茸のバター炒めを戴くことができました。


人は恐らくそんな風に料理上手になって行くのではないかなと思うのです。

神や心、霊といいますものも同じではないかと思いますね。

工夫して、考えて、実践して、一つずつ駒を進めて、

そうしてそういったものの理解が深まって行くのです。

その積み重ねで、どんどん高い所まで理解できるようになって来るのですね。

そう思います。



無料の温かい鍋供給所



どこかの国ではね、教会でスープが提供されるようですね。

いつでも、誰にでも、温かいスープ。

これっていいなあと思うのです。


日本ではホームレスさん向けに色んな方や施設が炊き出しを行っておりますね。

これはこれでね、素晴らしいことだと思うのです。

派遣村、これもとっても素晴らしいことだと思うのです。

でもね、いつでも、誰にでもというわけではありませんね。


それでね、

いつでも、誰でも温かい鍋を提供してくださる、無料の、温かい鍋供給所、

なんてものがありましたら、

いいなあって思われませんでしょうか?


特にね、冬は、心が冷えて参ります。

愛情のこもった温かいものを食べておりませんと、

心が荒むんです。


温かい鍋を戴きまして神様にひと時感謝する。

心の底から幸せを、喜びを感じる。

これはとーっても大切なことでございますね。

おっさんに財力がありましたらそんなことも始めていたかも知れませんけど、

今のところそれは到底無理な話でございまして、

どなたか財力のある懐の深い方が始めて下さらないかなあ、

と思うのですけど、


今のところ、おっさんのお薦めは、

味噌と酒粕の鍋ですね。

もう本当に、味噌と、酒粕のコンビは最高ですね。



芥子、苦痛からの解放



芥子はね、余り美しい植物ではなく、

どこか毒々しい形をしております。

この芥子からアヘンなるものが取れますね。

アヘンは人格を崩壊させてしまう危険性のある恐ろしいドラッグでございます。


ところがね、この芥子の中にはモルヒネの成分も含まれておりますね。

モルヒネも勿論、恐ろしいドラッグなのですけど、

救いようのない痛みに対して、医療機関でも使用されているのですね。


何の役にも立っていないように見えて、

芥子も間違いなく神様の御用にためにこの世に存在する植物なんです。

人もそうですね。

誰もが、間違いなく神様の御用のために生かされている。

勿論、自身の魂の修行の目的もありますけど、

必ず、大いなる意味があって、存在しているのです。


ところがね、自分ではその役割が分からない。

でも必ずその存在が何らかの役に立っているのです。

ですから、自分の存在価値は?、なんて悩む必要は全くないのですね。

それにね、そんなことは知ろうとしなくても構わない。

自分は自分の魂の修行にだけ精を出しておりましたら良いのですね。


難波金融伝というテレビ番組がありまして、

おっさんは恐らく殆どの作品を見てしまったのではないかと思うほど好きで良く見ているのですけど、

色々な人間模様、色々な人の苦しみが複雑に絡み合って、物語が展開して行くのです。

そんな中で、苦しみから救い出して下さるものは、有り難い。

モルヒネでありましても、

神仏でありましても、

萬田銀次郎さんでありましても、

或いは歌でありましても、

有り難いものでございます。


勿論、苦しみだけではなく、全ての意味のある存在が有り難いものですけど、

モルヒネは、苦痛を感じなくさせて下さるのですね。

萬田銀次郎さんは、悪巧みとお金で苦しみから救って下さるのです。

歌は、希望を与えて救って下さるのですね。

でも神仏は苦しみを解き放つ方法を教えて下さるのです。


神仏と歌は身近にあるものですからね、

それに依存も生じませんし、

利用しない手はありませんね。



いつもより余計に回しております



この時季になりますと思い出されますのが、

海老一染之助・染太郎師匠でございます。

もう何年も前に、頭脳労働ご担当の方が天に召されてしまいましたけど、

毎年、お正月になりますと現れまして、いつもより余計に回すのですね。

あの目出度い兄弟を見ないことには、一年が始まらない。

でももう見れませんけどね。


横山ホットブラザーズさんも正月には必ず現れるメンバーでございますね。

真ん中の、ノコギリご担当の方のあの福々しい御表情。

人生、余程の経験を積み重ねて来られたのではないかと思うのですけど、

最近はもう全くお見かけしておりませんので、来年の正月はどうなんかな、

と思うのですけど、


音楽漫談、

今はもうすっかりそういった形の漫才師はいなくなってしまいましたけど、

伝統芸能として残せないものか、とおっさんは考えるのでございます。

そうしませんとね、漫才から、癒しという側面が失われて、

ただ面白おかしいだけの漫才ばかりになってしまうのですね。


日本の文化がどんどん薄っぺらいものになって行く。

ですから、残して欲しいものだなあ、

とおっさんはそのように願うのです。

どなたか若い人でも伝統芸能を、音楽漫談を継いで欲しいなあと思うのです。


おっさんはやりたくても楽器ができませんからね。

何しろ、不器用なものですから。



師走



師走になりました。

政府もハローワークで生活保護の相談を受け付ける試みのようなことも始められましたようで、

まあ、それから、

日本はデフレなのだというデフレ宣言なども行われまして、


デフレはね、今更何を云うのだと感じるのですけど、

百円ショップが至る所に現れ、

地価は下がり続けて、

もう十数年も前からデフレなんてことは誰の目にも明らかなことであったと思うのですけど、

でもね、それでも経済はちっとも良くならない。

それはね、貨幣の流通量が圧倒的に不足しているからでありましてね、

民主党さんもそこに目を向けて早いとこその原因に目を向けて改善策を考えて下さいませんといけませんね。

でもまあ、民主党さんは自民党さんと違って、弱者を可哀想と感じる心があるようですから、

まあ、おっさんも静かに見守らせて戴こうと思うのですけど、


あと一ヶ月で新年でございますなあ。

一年の早いこと早いこと、

もうあっという間に年も暮れてしまいました。

んで、初詣に参りまして、

あ、初詣はぺちゃくちゃおしゃべりしながらする人が多いですね。

でも本当に福を求めるのでしたら、厳かにお参り下さいますことがよろしおますな。

おっさんが毎年一番初めにお参りさせて戴きます神社はね、

余り有名ではないマイナーで小さな神社なのですけど、

でも由緒正しき歴史がありましてね、

ですから、余りぺちゃくちゃおしゃべりしながら参っておられます人は居てませんね。

少し渋めの年代の方ばかり、

心に何かを堅く誓い、心に何かを問い、人生を見つめつつお参りされておられます方ばかりなのですね。

でね、やはりそういった方ばかり招いていらっしゃるのですから、

恐らくは間違いなく何らかの意味を持った神社ではないかと感じるのです。

明神さんも間違いなく見守って下さっているのではないかと思うのです。


そこは結構気の良い場所でね、

その辺りに参りますと心身の調子もなんだか良くなりますし、

頭も冴え渡って参りますね。


さて、来年はどのような年になるのか、

来年のことを云いますと鬼が笑うなどと申しますけど、

おっさん少し来年のことを云って鬼を笑かせてやろうと思うのです。

このブログを見て下さっておられます方の中でね、

もし何か新しいお仕事でも探していらっしゃるのでしたら、

インターネットで何か販売してみる、なんてことも良いと思うのですね。

で、先日も書かせて戴いたのですけど、

護符を印刷するソフト、なんてものをね、要望がありましたら作っても良いかなと考えているのですね。

で、恐らくまだどこにもないものでしょうし、需要はあると思うのですね。

一緒に作るとか、販売してみるとか、

そういった方向性も良いかなと思うのです。

面白いのではないかなと思うのです。

或いはプログラミングのお勉強をおっさんと一緒に始めたいなんて人がおりましたら、

おっさんも僭越ながら多少のお力にはならせて戴けるのではないかなと思うのです。


今はね、政治でも何でも、発想が乏しいのですね。

でも、人生道を切り拓くためには発想が何よりも大切でございますね。

んでもってね、発想なんてものはもう無限に出て来るものなのですから、

私たちは積極的に発想を生み出して、どんどん前に進まなくてはいけませんね。


ご要望はどのようなことでも常に承っておりますよ。

それで皆様と共に輝かしき未来への一歩を歩むことができましたら、

素敵ではないかなと思うのです。


かしこ