ブログより転載(2010年5月)

 



ひがみ根性で云うのだけれど(笑)



i−pad、ですか

何やら便利そうなものが日本でも販売を開始したとか、

大勢の人が家電店に並んで買い求めておりましたようで、

本の形が変わるらしいのですね。

紙ではなくて電子データで本を買い求めてi−padで読むのですね。

横向ければ横書きになって、

縦にすれば縦書きに変わるという、

でもって、手で画面をなぞりますとページがめくれるとか。


おっさんは脳の記憶容量が少ないものですからね、

本は読み進めて、また戻って読み返し、

あらすじを掴もうと少し前のページを見てみたり、

と、シーケンシャルアクセスではなくてランダムアクセスですから、

少しおっさんには読みにくいかなと感じるのですけど、

まあ、沢山のソフトが続々と登場すると思われますから、

それに軽くてどこにでも持ち運びができるようですから、

欲しいっちゃあ欲しいのですけど、


でもね、でもですよ、

次から次へと新しいものが出る。

提供する側も使う側も便利には違いないのですけど、

やはり最先端の技術に振り回されてるなあ、ってね、

感じるのですね。


おっさんは一つのものを色んな角度から眺め回し、いじくり回して、

こんなことはできないか、あんなことはできないか、と工夫してみることが好きなんです。

そうしませんとちーっとも楽しくはありませんし、

ただ利便性を追い求めておりますだけでは何も身に付かない、知恵も養われないのではないかな、

って思いますね。

そうやって一つのものを極めて、大切にして進んで行かなくては、

何も身に付かないまま最先端の科学技術に翻弄されて終わってしまうだけじゃないのか?

その方が、地球だって汚れなくて済みますし、

2、3年後に次のバージョンが登場して、

「はい、サポートは終わりました。」ってんで次から次へ新しいものを買わされていたのでは、

お財布だって痩せ細りますでしょうし、

いずれがま口から呻き声だって聞こえて来るのではないかと思うのです。


それに、便利と云いましてもパソコンよりは機能は劣るわけですし、

まあ、何れテレビとかラジオとか、FAXとか、リモコンとか、

カイロとか、エアコンとか、カメラとか、AV機器とか、マッサージ器とか、

色んな機能が付加されて、それ一台で何でもこなせるような機器に成長しましたら、

おっさんも一台、何としてでも手に入れようかしら、とは思いますけども、

ただ本が読めてゲームができる、とその程度の機能では、

今んところはまだ価格面からしましても手が出ないかな、と思うのでございます。


まあ、欲しいっちゃあ欲しいですけどね。(爆)



独習JAVA



このところ、何か、そんな本に立ち向かっております。

これは難しい。

いえ、難しいと言いますよりかは、難解なんです。

アメリカ人の記した書物を日本人に馴染みのないカタカナ交じりの日本語でね、

恐らく英文に忠実に忠実に訳されたと思われるそのプラグラミングの教本は、

難解で、難解で、

凡そ仏教哲学を思わせるような、概念をこねくり回した哲学書のようでございます。


「カプセル化とは、データとデータを操作するコードとを関連付けるメカニズムです。

コードは、データの周りに施される保護カプセルのようなものと考えることができます。

ほかのソフトウェアからこのデータに直接アクセスすることはできません。」


うーん、不可解であります。

どなたか、お分かりになられます方いらっしゃいますでしょうか?


こんなもの読んでおりますから、JAVAが一向に身に付かないのですね。

もう少し分かりやすい本を探して来なくてはいけませんね。



日々のお食事



さて、昨日は、昼食にインスタントのおラーメンに竹輪や玉子を入れたものを戴きまして、

夜はカッペリーニのペペロンチーノを戴きましたおっさんでございます。

やっぱりカッペリーニは食感だけですね。

ぶっちょいスパゲッティーニの方が断然美味しいのではないかなと思います。

で、今日はちょっと贅沢を致しまして、ノリコロ弁当を今から戴こうかなと考えております。

んでもって、食べて昼寝をするかお勉強をするか、それはその時の気分次第、

きーぶんーしーだいーでぇえー♪

なんてね。(爆)


まあ、このところ、おっさん一人先行して色々とプログラムのお勉強なんぞしておりますけど、

簡単なものです。

おっさんにできるのですから、誰にだってできるのですね。

まあ、ご希望がありましたら教えてあげたいな(ハート)

なんて考えておりますけど、

ひとつやふたつプログラムが組める、なんて素敵だと思いますよ。

就職にも有利ですし、起業だってできますでしょう。

でもまあその前に、

ノリコロ弁当でも戴くことにします。

ばいなら。



国家の姿



スウェーデンと申しますと、福祉大国でございます。

育児費も医療費も国が殆ど支払って下さる他、教育費が全くいらない。

ですから国民の幸福度も高いのですね。

でもね、その分税金が半端ない程に高いのです。

沢山の経済的弱者が自殺する国でもあります。


これを慈悲なき福祉国家と云いますね。


どうも民主党さんはこれを参考にしていらっしゃるのではないかと思うのですけど、

その上増税もせずに公共事業ばかり切り詰めておりますと、

堅苦しい社会になってしまうのではないかなと思いますね。


かと申しまして自民党さんの高度経済成長期と何一つ変わらない意識で国家運営されますと、

今度は富豪しか生き残れないようになりますでしょう。


慈悲も愛もない国家の姿ですね。


おっさんはその昔、ある人に質問を受けたことがございます。

貧困する者ににパンを与えるべきか、自ら稼げるように腹ペコのまま教育するべきか、

ってね。

まあ、その当時のおっさんにはどちらも必要としか云えなかったのですけど、

パンを与えることが慈悲であり、

教育することが愛である。

と、最近は分かるようになりました。


愛だけでもいけないし、慈悲だけでもいけないのですね。

愛と慈悲は車輪の両輪のように2つ揃ってこそ意味があるのです。


愛だけでは人は生きては行けないのですね。

また、慈悲だけでは、人は餓鬼になってしまう。

増してや愛も慈悲もない社会にありましては、

人は一体どうなりますでしょうか?


まあ、大半のマスコミに洗脳されてしまっていらっしゃる人には分からないかも知れませんけど、

考えてみて下さいましたらと思います。

恐らくね、その答えが今の日本の状況そのものでございましょう。


日本は一体どこへ行ってしまうのか心配な今日この頃でございます。



魂の四季



魂にも四季はありますね。

実在界(霊界)でただボケーっとしているわけではないのですね。


今、この地上にあります時が夏なんです。

そして実在界に戻りますと、そこからは秋ですね。

刈り入れの時です。

地上におりました時のことを充分に省みて検証し、

良い芽は刈り入れ、悪い芽は取り除かなくてはいけませんから。


そうしてそこから暫く冬の学びの期間に入りますね。

実在界にありましても、私たちは成長しなくてはいけないのです。


産まれて参ります前は春ですね。

計画を立て、約束を交わし、色々なことをお願いして、

期待に胸躍らせて産まれて来る準備をする期間ですね。


春、夏、秋、冬、と過ごしまして、

それぞれの季節が80年ずつ、320年程過ぎますと、

今度は魂の兄弟にバトンタッチするのです。

魂の本体1体と分身5体、

それぞれ全て意識を共有する自分自身なのですけど、

今度は客観的な視点で兄弟の地上での修行を見守りながら四季を過ごすのですね。


そうして6体の転生が全て一巡しますのが、凡そ2千年。

いえ、これは順調に行ってですね。


車のタイヤはね、地上を支えている部分とそうでない部分がありますよね。

水の粒子も水面と水中を循環しております。

惑星だって、衛星だってそうですね。

光の中と闇をくるくる公転と自転を繰り返しているのです。

そうやって万物は存在しているのですね。

勿論、人の魂も、光と闇を循環しておりませんと存在まで危ぶまれます。

それが大宇宙大神霊の大自然の法則なのですね。


中には誰かさんに騙されて、

「悟りを開いて如来になれば転生しなくても良い」

なんてことを信じていらっしゃる方も多いように思いますけど、

そうではなくてね、如来様でもやはり大自然の法を無視することはできませんからね、

やはり光の世界と闇の世界をくるくるくるくる、行ったり来たりするのです。

そうやって全ての存在が魂の四季を過ごすのですね。



日々日々多



さて、おっさん昨日と今日でJAVAのアプレットの本を一冊、殆ど読んだのです。

で、いざ作ってみようと致しましてね、

メモ帳を開いて書き込んで、コンパイルしましたら、

エラーになるのですね。

おっかしいなあ、間違ってないんやけどなあ、って首を傾げておりましたら、

やっぱり、バージョンが低過ぎてあかんのです。

まあ、20世紀の書籍ですから、

100円で買って来た本ですから、

そんなものでしょうけど、

まあ、また新しい本で覚え直しますずら。


それから、Androidもね、何でかエラーばかりで、

こちらもバージョンの合った最新の書籍を買ってこんといかんかな、

と考えております。


それにしましても、何でおっさんこの歳になって、

がむしゃらに猛勉強しているんやろかと思うのですけど、

何でか、おっさんにも分からないのです。

どうも誰かがおっさんを急き立てておりますようで、

勉強止めたら死ぬんじゃー、みたいな感じになっているのです。


なんやろ、これ。


昨日は夢を見ました。

駅の中に鳥居があって、

水中ポストなるものが展示されておりまして、

そこを誰かと探し当てたという夢なのですけど、

おっさん以前にもこの夢に見覚えがありまして、

これもまた、何やろなあ、と不思議に感じているのです。


二度三度見る夢は多いです。

夜中の4時に寝て8時頃起きる、

勿論、昼寝もちゃんとしておりますけど、

夢を見るのですな。一日に二本も三本も。

まあ、あと二本は覚えてはいないのですけど、


覚えたいことも沢山あって、

先立つものもないのにあの本が欲しいこの本が欲しい。

ほんまにもう、むちゃくちゃでござりまするわ。



夏でし



立夏を過ぎまして、早11日。

ご近所では朝早くから木魚の音をチャカポコと響かせておりまして、

入道雲もモクモクと湧き出しておりまして、

日本は、少しずつ夏っぽさを醸し出しておりますような候でございます。


それにしましても夜の肌寒さと言いましたらありませんね。

昨夜などは電気ストーブを点けた程でございますよ。


昨日は、葵祭りだったのでしょうか。

うっかり忘れてしまっておりましたけど、

葵祭りは上加茂神社とか下鴨神社とかで行う流鏑馬神事が有名ですね。

で、京都のあそこらへんの地方を乙訓といいますね。

いえ、別に意味はおまへん。


さておっさんはこのところ、

「はじめてのEclipse3」なんて本を読みながら

Androidの開発のお勉強などに勤しんでおりますけど、

一年前に発行された書籍が、バージョンの違いで既に随分と変わってしまっておりまして、

まあ、悩みながらも一日10ページ程読み進めておりますようなことでございます。

一日10ページ。

調子の良い時には20ページ、30ページ、

調子の乗らない日はお休みで、

急がない、急がない、ひとやすみ、ひとやすみ、って感じで進めております。

だってあれでしょ。

焦る心があるから難しいとか、できないとかで、

諦めて放り投げちゃったりするようなことになるのですから。


けどね、覚えても、覚えても、時代は先に進んで行くのでござりまするな。

朝令暮改ではないのですけど、

昨日の技術が役に立たない、

IT業界は昔っから、そうでおますな。

おっさんだって生まれてからどれだけのコンピューター言語を覚えたものか知れません。

人間が、コンピューターに振り回されているのでおじゃるな。


それでもね、おっさんは

Androidの素晴らしいソフトを開発して世に送り出したいと考えておりますから、

まあ、首を洗って、いえ、首を長くして、待っててちょうだい。

と思うのでござりまするな。



逃げか卒業か



逃げか、卒業か、

以前スピリチュアルカウンセラーの江原さんがそのようなことを仰っておられました。

このことは私も全く同じ意見でありまして、意識、想念の在り方には二方向ある

といいますことをお話させて戴きたいと思うのですね。


まず一方は、嫌だ嫌だ、逃げ出したい、遊びたい、楽をしたい、

といいますようなマイナス思考の考え方ですね。

嫌なことはしたくない、お茶を濁しておきたい、

ケジメとか、責任を取るなんてとんでもない真っ平御免の助、ってやつですね。

でもね、それでは神仏のお力添えが戴けないどころか、

どんどん人生が上手く行かなくなって来るのです。


神霊の法、大自然界の法則ってありますからね。

マイナス思考の願いは絶対に叶わない。

何故なら神霊は全てを私たちに任せて下さっている、

自由と責任をを与えて下さっているのですから。


そうではなくてね、楽しい楽しい、こんなことをやってみたい、あんなことをやってみたい、

この障害を乗り越えたい、成長したい、真剣に向き合いたい、

そういった前向きな願いは必ず叶うようになっているのです。


お金が欲しい、これはマイナス思考ですね。

楽してお金を手に入れたいという願いですから、叶い難いのではないかと思います。

でもね、沢山のお金を稼げるだけの能力を身に付けたい、

頑張って稼げるようになりたい、とね、

そういった考え方はプラス思考ですから必ず叶うのです。


他力本願ではなく自力本願でね、魂が本当に願っていることを信念を持って実現させて行く。

そうしますとどんどん未来に向かって幸せや豊かさが扇のように広がって行くのです。

大切なことですよ。


神様、どうかこの苦しい状況から救い出して下さい。

そりゃあ神様も慈悲の塊ですから救い出して下さるかも知れません。

でもね、新しい環境も同じような現象が生じると思いますよ。

私もね、ずっと逃げて来たのですね。

マイナス思考でね。

ですからずっと上手く行かなかったのです。

でも、そうではなくてね、

魂に訊いてみて、魂が本当にやりたいこと、魂が望む生き方、

どうすれば魂が楽しい楽しいと悦びに満ち溢れるかを感じ取って、

信念を持って願って行く、その方向に力強く歩を進める、

そのプラス思考だからこそ願いが叶って、人生も上手く回りだすようになるんです。

本当に自分の魂はどうしたいのか、それに応じて、

今の環境の中で、お勉強なり、心掛けることなり、最大限の努力、

恐れずに、勇気を持って、

それは誰のためでもなくて自分のためですからね、

そうしてそれが、間違いなく、人生を輝かせて下さるのです。


そうしませんとね、悔いが残りますよ。

折角生まれて来たのですから、プラス思考で進みませんと、もったいない。

一番もったいないのはこれですね。

いやほんま。



家サーバー計画、その後



さて、

何故かLinuxサーバーは上手く動作しないところが多くて、

FTPサーバーと、SMTPサーバーと、POPサーバーと、SAMBAが上手く動いて下さらないのですね。

色々と手元の関係しそうな書籍を調べてはいるのですけど、

もう、わかんなーい。

上手く動いて下さっているのが、HTTPサーバーとDNSサーバーだけなんですけど、

でもあれですね、

ここまで上手く動いて下さらないと、なんだか

「クラリネットがこわれちゃった」

の歌みたいでメゲてしまいますね。

いえ、あの、

ドとレとミとファとソとラとシの音がー出ない♪

って歌ですけど。


SAMBAはLinuxとWindowsのファィルとプリンターを共有するものなのですけど、

文字化けするのですね。

SMTPはメールを送受信するサーバーですね。

POPはメールをパソコンに取ってくるサーバーですね。

ポストオフィスプロトコルって云うのですけど、

それがエラーで動かないのです。

FTPもダメですね。

もう、本当に、ダメダメですね。

まあ、7年前の書籍とソフトですから当然ちゃあ当然かも知れませんけど、


でもね、でも、

HTTPサーバーが動いて下さっておりますのでね、

ここは一つインターネットに繋いでサーバー運用しようかな、とか、

何か皆様に喜んで戴けるようなサイトでも立ち上げようかな、

とか考えているのですね。


まあ、流行に疎いおっさんのことですから、何があれかは分からないのですけど、

で、念願の「かしこマガジン」でも始めるかな、と考えているのですね。


あ、かしこマガジンは皆で賢くなりましょうという、

まあ、おっさんは難しいかも知れませんけど、

そんなことを考えつつ作業を致しておりますところでございます。

まあ、まだもう少し先になると思いますけど、

そんな、アホみたいなことを考えております今日この頃でございます。


おっさんも、Linuxはもっとお勉強しなくてはいけませんね。

Linuxだけでもあれなんですけど、他にも色々とやりたいのですけど、


パッキャマラード パッキャマラード パオパオパパパ
パッキャマラード パッキャマラード パオパオパ♪



CMのお話し



相武紗季さんと申しますと強烈な個性を放つタレントさんでございます。

強力な輝きを放つ彼女が少し前にミスタードーナツのCMに出演さえていらっしゃったのですけど、

その時に共演しておりましたのが村上ショージさんでありまして、

まあ、子供のまま壮年になったような彼は相武さんとは対照的に、

どこか穏やかで笑いを誘うようなオーラを醸し出しておりました。


ごめんください。

ウェルカム腕噛むどこ噛むねん、あいたたたたた。

お元気そうで。

うんっ。


この二人だからこそ醸し出すことのできたこのCMの空気感。

今日はそんなことを思い出して懐かしがっておりました。


でもね、だからこそ人間関係が面白い。

全然異なる人と人が大地で出会い、この世界を何とするか。

どんなに素晴らしいものを生み出して下さるか。

素晴らしい魂がもっともっと増えて、

この世界が調和に溢れるようになって、

そうすればやがてもっともっと住み易く働き易く心地良い人間関係で溢れるのにな、

って、思うのでございます。



家サーバー



ご家庭のサーバーを立ち上げてみてはどうだろうか、

と、おっさんは思うのでございます。

例えば口も利いて下さらないお子様にメールを送ってみる。

「○○家専用サーバーを設置しました。」

なんてね。

そうすればお子様も気が向いて繋げてみますでしょう。

そうしましたら、

「何やってんだよ、このばか」

ってメールを返して下さるかも知れませんね。

もしそこに楽しそうなもの、興味をそそるものがありましたら、

少しずつでも会話が成立するようになるかも知れませんしね。


今は無線LANも簡単に構築できますし、

PLCアダプターなんてものを使いますと電力線(屋内配線)がLAN配線の代わりに使えるのです。

長いケーブルを家中にはわせなくても簡単にLANが構築できるのですね。

でもって家サーバーを設置して、

今日の献立、とか、

家族会議掲示板、とか、

みんなの予定表、とか、

家テレビ、とか、

連絡帳、とか、

お手伝いアルバイト情報、とか、

Photo Book、とか、


楽しいのではないかなと思いますけどね。


でね、今おっさんは

「Linuxで作る自宅サーバー Webminだから簡単」

という2003年版の本を読みながらサーバーを立ち上げようとしているのですけど、

この本一冊ありましたら家サーバーなんて簡単に立ち上げられますね。

まあ、古本屋さんでしか入手できないかも知れませんけど、

それに古い本ですから少しその通りには進まない部分もあるかも知れませんけど、

でも、そんなに困難ではないと思うのですね。


どうでしょう。

皆様も家サーバー、

立ち上げてみられませんか?


勿論、遠いところに単身赴任中のパパさんでありましても、

インターネット経由で繋げることだってできますからきっと良いですよ。



父親



おっさんにも父親というものがおりまして、

いえ、今はもういないのですけどね、

それが反面教師な父親でありまして、

正真正銘、これだけは父親からまともに教わった、

というものがないのです。

いえ、反面教師的な意味合いでは、沢山教わりましたけど、


今日は色々と部屋の整理をしておりまして、

そうしますと、もう何十年も前の埃を被った文具品が現れて参りました。

捨てられない性格ですからね、

そりゃあ、捨てていないのですからあるのです。

固くなった沢山の輪ゴムに、

溶けてセメダインのようにくっ付いている消しゴム、

まっさらな鉛筆に中学生の頃使っておりましたシャープペンシル、

クレヨン、ドライバー、半田ごて、ボールペン、電池にナイフ、

な、ナイフ?

それも2本。


思い出しました。

そういいましたら、私の父親は、何度か私に意味もなくナイフを与えて下さった。

その昔、裕次郎とかが錆びたナイフ、とか映画に出ていたようですから、

感化されてでもいたのでしょう。


そうしましてね、ただ、ナイフで鉛筆を削るやり方だけは、

紛れもなく父親譲りなんですね。

酒飲みで真っ赤な顔で無理難題を吹っかけてくる。

時には真っ青になり、理性を失う。

私はそんな父親に何度殴られたことか、知れません。

往復ビンタの後に足を蹴り上げるその軍隊方式の制裁は

中学の時の背の高い体育教師もやっておりましたけどね、


その赤鬼か青鬼の顔で小さかった頃おっさんが始めてゲシュタルト崩壊を経験しておりましたことを、

誰が知っておりますものでしょうか。

少しはマシになって下さっているのでしょうかね。

それともまだ阿修羅界にいらっしゃるのでしょうか。


ナイフでの鉛筆の削り方。

いえ、私の高校の頃のクラスメイトは円錐形に削るものだと考えていらっしゃった。

違うよ、六角錐の形に削るんだよと教えて差し上げましたことがございます。


しょうもないお話でございます。

ほんまに、しょうもない。。。



幸せの法則



皐月でございます。

おっさんの極小規模でありながらも広大な夢と理念を掲げた事業も

早11年目に突入致しました。


さて、その事業の電算部門もね、

ホームページの作り方をお勉強して一から全くの手作りで作り上げて、

さらにPerl言語をお勉強して幾つかのCGIが登場しました。

最近ではビジュアルベーシックを覚えてフリーソフトまで提供させて戴けるようになりまして、

さらにはこれからサーバーを立ち上げようかと、

また、アンドロイド携帯向けのコンテンツまで製作しようかと、

前向きに挑んでおりますわけでございます。


まあ、電算部門と申しましても、

おっさん一人なんですけどね。(爆)


まあ、できの良い方でしたらこの程度のことは一年足らずでやってのけるのかも知れませんけど、

おっさんの能力では精一杯のところでございます。

まあ、積み重ねて参りますと誰だって簡単にできちゃうことなのですけど、

それにおっさんはそのパソコン関連の作業に専念しておりましたわけではなくて、

毎年、書籍2冊分以上の文章を書き、

500件程度、人の人生に好き勝手に口出しをして、

本業にも取り組み、旅にも出掛けて、

そりゃあ一昔前までは考えられなかったことでございますよ。


一昔前までおっさんにはそのような心の余裕も、意欲もなかったのですね。

で、それは何でかといいますと、

嫌々病で間違いなく悪いものにとり付かれていたのですね。

それがここまで変わることができましたのは、

神霊と守護霊様方の慈悲深きお導きと、

皆様方の暖かな愛情がありましたからでございまして、

さらには、御護符やサブリミナル音楽、祝詞も大きな役割を担って下さったのではないかと、

感じているのでございます。


でね、ここまで前向きな意欲が持てて参りますと、

間違っても何か悪いものにとりつかれている、なんてことはないのです。

そんなことはありえないのですね。

時には、「あなたとり付かれているわよ」と教えて下さるような宗教関係の人もおりますけど、

ちゃんちゃらおかしいのですね。


いえ、まあそのようなくだらない自慢話などどうでも良いのですけど、

要はね、車輪を前に進めることが大切なんですね。

調和の方向に、

建設的な想念と行動で、

一つ一つ積み重ねて車輪を前に前に回して行かなくてはいけないのですね。

それが人の務めなんです。

だからこそ、人は一歩一歩幸せに向かって進んで行けるのですね。


急がず慌てず、

休むことはありましても、怠けることなく、

勤勉に、充実感を持って、幸せに向かって進んで行かなくてはいけないのですね。

だからこぞ守護霊様方もお力添え下さるんです。

逆に怠惰は焦りや苛立ち、不安を生み、不幸せになって行くのですね。

それは車輪が逆回転しているからなのですね。


で、そのためにはね、

好きなことに前向きに躍起になって挑んで行かれますこと、

ではないかと思うのです。

嫌いなことでも嫌々病を治して、

何でも好きになって前向きに挑んで行かれますことではないかと思うのですね。