ブログより転載(2010年8月)

 



動かない岩



おっさんの人生には、どうしても動かない岩がございます。

いつの頃からか、その岩の存在に気付き始め、

もがき苦しんで参りました。

そのおかげで、おっさんも多少は強くなることができました。


岩。

人生を閉塞させる大きな岩。

動かない岩。

おっさんの人生の自由度を奪い、人生を妨害しているかのように思える岩のようなもの。


ところでね、これは内緒のお話ですけど、

最近、おっさんは異業種交流会と言いますようなところに出入りしております。

見聞を広め、

情報を求めるにはいいかなと、

そしてまた、人脈を広げて未来への可能性を広げようとして、

そういったところに出入り致しております。

多くの方にも、異業種交流会はええで、一回覗いてみたらええで、

とお薦めさせて戴いているのですけど、


知性に偏った子供のような経営者が多いですね。

まごころ、とか、誠実さ、なんてことを微塵も考えたことがなくて、

ただ利益を増やことしか頭にないのですね。


でもね、こういった経営者たちも自分達を苦しめるものから逃れようともがき苦しんで、

今があるのだということがね、

おっさん、何となく分かるんです。

誰だって同じなんですね。

どうして自分たちばかりこんな目に遭わなくてはいけないのか、

そういったものがあって、

誰もが悩み苦しみ、もがき苦しんでいるんです。

恐らく誰にでもあるであろうその人特有の障害、

岩。


それは、紛れもなく学びのために与えられた、或いは生まれる前に自分自身で望んだ、

障害なんです。

それはもしかしますと生きております間に動かすことはできないかも知れない。

でもね、何となく確信を持っておっさんは感じるのですけど、

それは愛を学ぶため、愛を育むためのもので、

その障害に立ち向かう術はただひとつ、

愛だけなのではないかな、と感じるのです。

愛を持って立ち向かうことによって、

岩を動かすことはできなくても、

その岩がもたらす事象を上手く遣りこなすことができるのではないかと思うんです。


言わば、関取が「てっぽう」の稽古をする柱のようなものではないかなとね、

おっさんは思うのですね。



間違いなく生きる



間違いなく生きる、なんことは極めて難しいことでございます。

生身の人間にそんなことができるはずはないのです。

そんなことをしておりましたら、恐らくその人は、

日々大量の涙を流しながら懺悔を重ね、

日々寝る時間も取らずに動き続け、悩み続け、

日々命の危険と隣り合わせで痩せ細りますでしょう。


でもね、それをしようとした人がいたのです。

それがつまりお釈迦様であり、キリスト様なんです。

如来とはつまり、間違いなく生きようとした結果なんだと思います。

そうして、それが如来になって始めて叶うのですね。


正法に基き正しく生きる者、これを正法者と言います。

正法者になるためには、まず悟りを拓いて如来にならなくてはいけません。

ですからおっさんは、正法者見習いなんです。

正しく生きることを目的に生きておりますまだ駆け出しの、

罪ばかり、過ちばかり重ねております人間でございます。


未熟なものが完璧を目指そうとする、まずそこに間違いがあるのです。

ただ、正しい方向にしっかりと目標を定め、

間違ってもいいから力強く、

また間違いを学びとして生きて行く、

その心構えがね、現時点では大切なんです。


人生の目的のトップにお金儲けが上がるようですと、まず難しいでしょう。

何度も何度も書きましたけど、

自我我欲、自分本位、自己保存を捨てるつもりにならなくては難しいのです。

ですから勇気だって要るのですね。

「こわいこわい」

それでも勇気を振り絞って、

それが人間と言うものではないかと思います。

そしてまた、以前にも書かせて戴きましたけど、

正しい信仰と神への義が人をしっかりと大地に立たせて下さるのです。


正しい信仰とは、

間違っても宗教団体に入って他力本願で祈ることではありませんよ。

神への義とは、

決して宗教団体に一人でも多くの人を勧誘することではありませんよ。

正しい信仰には愛と慈悲が伴い、

正しい義には感謝と報恩が伴います。

そうしてそこから勇気が生まれ、人生における客観的な行動指針も見えて来るのですね。


この意味を深く理解して下さる人がおられますことを

おっさんは祈るばかりでございます。



土台



色んなパソコンの教本を読んでおりましたら、

今まで出てきたこともない言葉や概念が突然現われるようなことがございます。

その言葉や概念に関して、まだ学んでいないにも関わらず、

現われて来るのですね。

そうしますと、そこでおっさんの頭は混乱してしまうわけでございます。

そうして、それ以降の内容が全く分からなくなるのです。

まあ、おっさんのブログにも同じような事象が見受けられますけど、

これは本当に、困ったことでございます。

大変、由々しきことでございます。


人生もそれと同じですね。

学びには順序があって、ひとつずつ駒を進めて行きませんと、

先を急ぐ余りに一足飛びに進んでしまいますと、その先の人生が、

わけが分かんなくなっちゃう。

かっらぽになっちゃうのですね。

ですから、その場所で成長が止まっちゃうようなことになるのです。


建物だって、基礎があって、土台があって、大黒柱があって、梁があって、骨組みがあって、

その順番を守らなくては家は建たないのですね。

建設途中で脆くも崩れて誰かさんが下敷きになっちゃう。

危険なのです。


ですから、それを守護霊さんが監視していて、

おいおい、これを忘れているよ、って強制的にその時点まで引き戻して下さる。

そのはずなんです。

そうやって私達は順序良く人生を効率良く最大限に成長できるようになっているのです。

レベル1の人がいきなりレベル100に挑んでも叩きのめされるだけなんです。


人生に目標を持つ、

これは大切なことでございます。

ただね、現在地と目的地の間には隔たりがございます。

勿論、その間が空白でも守護霊様方は間違いなく導いては下さいますでしょう。

おっさんだってそのように感じております。

なかなかその空白について考えることは難しく、また少し怖いなあとも感じます。

それは、「本当に大丈夫かなぁ」って想いが頭をよぎるからですね。


これはマラソンと同じですね。

42.195キロ先に目的地がある。

たどり着けるかなあ。

足が持つかなあ。

大体、オレなんてあれだもんね。1時間以上歩いたこともないんだからね。

42.195キロなんて、大体東京−静岡間のキョリだからね。

無理にも程があるよ。

人間のすることじゃないし、限界を超えているよ。

怖いなあ。途中で止めようかなぁ。

皆怒らないかなぁ。

嫌だなぁ。

何でこんなこと始めちゃったかなぁ。

ってね、思うんです。

誰だってそう思うんです。

人間なんてその程度の弱々しい心しか持っていないのですね。

鰯みたいなもんなんです。


でもね、でも、

あそこの角まで、

次はあそこの大通りまで、

次はあの信号のところまで、走ろっかなぁ。

なんて目前にある目標にターゲットを定める習慣を持っておりましたら、

いつの間にか目的地に到達できるのですね。


この本を一冊覚えてみよう。

この課題を遣り遂げてみよう。

まず、契約を一件貰ってこよう。

この仕事を完璧に遣り遂げよう。

その積み重ねがね、成長にもなり、目的に地にも近付くことになるのですね。

急ぐ心を捨てて、

道が分からなくなりましたら、分かるところまで引き返して、

急がばまわれでね、コツコツコツコツ、

ぼちぼちぼちぼち、

それでも必ず時間内に目的地には到達できますでしょう。

逆に、案外早く到達できるかも知んないですよ。

のろまな亀さんと一緒でね、

怠け者のウサギさんよりは早く到達できるのではないかと思います。


近道していち早く目的地に到達しましても、

それは反則できっと自分のためにはならないですしね。

その分きっと大目玉を食らっちゃうのです。

誰に?って、

そりゃあ勿論、閻魔さんにですよ。



ちょっと、方針変更



Visual Web Developer

なんてものがございます。

これは、最近流行の

Visual Studio 2010 Express Edition

という無料でダウンロード可能な開発キットの中に含まれております機能で、

これを使いますとインタラクティブなホームページが作れるようでございます。


少し前まで、Linuxでサーバーを立ち上げて公開しておりましたおっさんですけど、

この際、このVisual Web Developerに切り替えようと、

お勉強しておりますところでございます。


Visual Web Developer入門なんて本を日々紐解きながら、

少しずつお勉強しているのですけど、

これで作りましたホームページはウインドウズの中のIISという機能を使いますと、

簡単に公開できるそうなのですね。

勿論、ダイナミックDNSサービスへの登録と言いますような作業は必要になりますけど、

ウィンドウズの方がウィルスや不正侵入対策もバッチリできて安心ですから、

そっちに切り替えようと思うのでございます。


この本が一冊1900円、

他には一切追加投資なしでインタラクティブなホームページが作れちゃうのですから、

皆様もどうでっしゃろか、と思うのでございます。


もう、おっさんは本当に、何でもやってみたがりですからね。

何にでも足を突っ込んでみたくなるのでございます。

まあ、インタラクティブなんて言葉の意味は知らないのですけどね。(爆)


カレーパン カレーパン むいて むいて むいて またしまう♪

っとお!



コンピュータアーキテクチャ補足



コンピュータのことばかり書いておりましても仕方がないのですけど、

X86マシンとX64マシンはどう違うのか、

について論じてみようかなと思うのでございます。


いえ、おっさんもよう知らんのです。

X86が32ビットで、X64が64ビットマシンであると言うことぐらいしか知らないのですね。

でもね、それだけでも見えてくるものがございます。

X86の32ビット、

これはメモリーを2の32乗まで持てるということなんですね。

アドレシング可能な最大のメモリー量が2の32乗なんです。


でね、これは決まりごとなのですけど、

2の10乗は、10の3乗でおます。1キロバイトですな。

2の20乗は、10の6乗でおます。1メガバイトでおますな。

2の30乗は、10の9乗なんです。1ギガバイトでありんす。

ですから、2の32乗は、4×1ギガバイトで、4ギガバイトなんです。

つまり最大4ギガまでメモリーを積めるのです。

これがX86の仕様でおます。


ところがね、X64はと申しますと、

2の64乗までアドレシング可能なんです。

2の64乗と言いましたら、2の4乗×10の18乗ですから、

これはもうとんでもない天文学的な数字になるわけでありまして、

16テラバイトをさらに1000倍して、そのまた1000倍した値、

おっさんはここまで参りますともう単位の呼び方が分からないのですけど、

まあ、勝手にジンジャなどと名付けてしまおうかと思うのでございます。

ですからX64マシンは16ジンジャバイトまでメモリーを積み込めるのでおじゃりますな。


どうでもええことでおますけどね。

ほんまにもう、どうでもええことですけど。



コンピューターアーキテクチャ



日本国憲法では信教の自由と言いますものが認められております。

ですから、色んな考え方をなされます方がいらっしゃる。

何かを正しいとする場合、何に基くのかによりまして、正しさもまた違って参ります。

たとえばおっさんが、神霊という概念に基いて正しいと考えることでさえ、

神霊の存在を認めない人には、その考えが理解できないと言いますこともありますでしょう。

でもそこは、おっさんのブログですから、当然に

おっさんの考え方を何が何でも押し通す所存でございますけど、

別にこれは思想の強制でもなんでもなく、

お読み下さいました方も別段、無理に同意して下さる必要もないものでございます。


色んな考え方、そうですね、

1足す1は 田です。なんて小学校の頃は言っておりましたバカおっさんですけど、

コンピュータの世界では、1 足す 1 は 10 なんですね。

これは二進法に基いての答えでございます。

CPUってありますでしょ?

セントラル プロセシング ユニット (中央処理装置)

いえ、そういうのがコンピューターの中にあるのです。

入っているのです。

計算するところですよ。

集積回路が入っておりましてね、

皆様も一度くらい見たことはありますでしょ。

真四角で、黒くて、その上に「Intel」なんて書かれていて、

四方から金色の足が沢山生えているやつです。


足の数はね、

X86マシンでしたら32本

X64マシンでしたら64本

これが4箇所に付いているのですね。

データの計算に使うのが3箇所、制御用が一箇所。

たとえば 1 + 1 の計算をする場合は、

00000000000000000000000000000001



00000000000000000000000000000001

を二箇所から電流に置き換えてCPUに送り込むのですね。

つまり0は電流を流さない、1は電流を流すのです。

CPUの32本の足の左から順番に、

電流を流さない 流さない 流さない ・・・・・・ 流す

それを二方向から流すのです。

でもって、別の制御用信号を流すところから、

「加算しなさい。」って命令を流しますと、

上手い具合に答えが別の足から出力されると言うような仕組みなのですね。


末尾の桁に二方向からの電流の流れが

ありません(0) ありません(0) でしたら答えは ありません(0)

ありません(0) あります(1) なら答えは あります(1)

あります(1) ありません(0) でも同じで あります(1)

あります(1) あります(1) になりましたら答えは ありません(0)

で、ひとつ上の桁に あります(1) 信号を内部から足しこむのですね。

排他的論理和って言いますけど。


じゃあ、今度はそのデータ

00000000000000000000000000000001

を記憶させる方式なのですけど、

残念ながらおっさん、最近のコンピュータの構造をよく存じ上げません。

昔でしたら磁化しやすいドーナツ型の素子がありましてね、

コアって言うのですけど、

そのコアの真ん中に電線が通っておりましてそこに電流を流すのですね。

右向きの電流を流しますと、フレミングの法則でコアが磁化されて、その状態が1

左向きの電流を流しますと、コアの磁化が消えて、その状態が0

そのコアが記憶装置の中に大量に入っていたのですけどね、

今はもっと大量に記憶できる素子があるのでしょうね。

良く分かりませんけどね。



彼らの発想 その2



たとえば、こんなものもございました。

いえ、何十年も前の話なんですけどね、


新聞にわが社の商品の広告を掲載して下さい。

それでそこから注文が入りましたら売上げの10%を還元します。

ってね。

このビジネスも嘘八百ですね。

広告関係にも足を突っ込んだことのあるおっさんですから、

新聞広告でどれだけの注文が入るのか、おっさんは良く知っておりますわけでございます。

恐らく数千円程度の収入にしかなりませんでしょう。

でもそこの事業主は一回で100万円の収入があると言い張るわけです。


それなら、ご自身で新聞広告を出せば良いのです。

それをビジネスにしたのは、広告宣伝費を人に出させて商売しようという悪知恵ですね。

ですからお断りしたのです。

そうしましたらそこの人はまた、驚くようなことを言い出しましたね。

「それではその資料をどなたかに差し上げて下さい。」ってね。


全く腐った頭の持ち主は碌なことを考えないものでございます。

社会悪と言いますか、汚物と言いますか、

もっとマシになって戴きたいものだと思いますね。



彼らの発想



おっさんはその時、とある有名な製薬会社の会議室におりました。

何やら販売店事業の説明会のようでありまして、このような説明がなされておりました。

一セット1万円の商品を100セット販売しましたらエンゼルです。

500セットでクラウン、1000セットでハイクラウンになれます。

クラウンは配下のエンゼルの売り上げの15%が上乗せされます。

ハイクラウンは、エンゼルの20%、クラウンの15%が上乗せされます。


ハイクラウン、なんてチョコレートじゃないのだから、

と感じながらも、

余のバカバカしさにその会場を説明途中に退席して帰って参りましたおっさんでございます。


ハイクラウンになって何の得があるのかと言いますと、

ただ僅かな収入が得られて、

その製薬会社の商品が安く買えて、

配下のメンバーから敬われて、

時折に表彰状が貰えて、

でもね、その収入以上にその会社の商品を買わなくてはいけないのですね。

仕入れたものが全て売れましたら良いのですけど、

殆どの場合は大量の在庫とリスクを抱えて、さらに借金まで抱えるだけなんです。

と、言いますか、

どうして参加者さん達はその会社のためにそこまでして差し上げるのか、

おっさんには分からないのです。


それだけの販売力、経営力があるのでしたらご自身で商売でも企業でもすれば良いのです。

その方がずっと遣り甲斐があって楽しいですし、縛りだってないのです。

上手く行った場合の収入だって月とすっぽんだと思いますよ。


また、その製薬会社もね、

そこまでして儲けたいのか、と思うのです。

人を騙して、搾取して、

信頼を失うだけなんですね。


会社も信頼を失うし、参加者も信頼を失いますね。

そうして自らの身を危うくして、家族や参加者、さらには参加者の家族まで共倒れさせるのです。


それからね、この発想は宗教と全く同じなのですね。

信者に勧誘させて多くの信者から財産を搾取して、

沢山勧誘した信者は高い地位を与えるのです。

ところが信者が得るものは何もないのですね。


知恵はあっても悪知恵で貧困な発想でしかないのですね。

愛も、慈悲も、調和もなく、ただそこにあるのは教祖や経営陣の自我我欲だけなんです。

本当に、くだらないものでございますね。



スネ夫問題



さて、話題がなくなると飛び出して参ります骨川家でございます。

本当に、骨川家は不調和の博物館と言ったような家柄でございまして、

色々と考えさせられることもまた沢山あるのですね。


物心付いた男の子にその母親が「可愛い可愛い」と言って育てるとどうなるか?


男の子に「可愛い」はおっさん思うのですけど、

これは当の本人に取りますと侮辱でしかないのではないかと思いますね。

例えばね、「家の跡継ぎとして立派な大人にならなくてはいけません。」

とかね、「ゆっくり行け、しっかりやれ、亀に乗れ。」

だったら良いのですけど、

(後のも問題はありそうですけどね。)

上を目指すことを意識させ、発破をかける。

それは親として、人生の先輩として、どんなに愛に溢れた行為かと思います。


でもね、「可愛い」はいけません。

本当に、「可愛い可愛い」と言い続けておりましたら、

その子はその言葉を聞く度にさぶいぼができて(鳥肌が立って)、

次第に親を避けるようになって行きますね。

でね、可愛くなくなろう可愛くなくなろう、強くなりたい強くなりたいと願う余り、

髪を染めて、パーマをかけて、変なズボンを穿くようになって、

グレますね。

或いは母親が美人でありましたらマザコンになりますでしょう。


恐らくそうなるのではないかと、おっさんは思いますね。

不調和な言葉からは不調和な人間関係しか生じませんし、

最後には実家に寄り付かなくなることはね、もう目に見えているんです。


スネちゃまはマザコンになった口ですね。

いえ、でもジャイアンは大丈夫ですね。

何故ってジャイアンの母親は絶対にジャイアンを甘やかしませんし、

「可愛い」なんて口が裂けても言いませんでしょう。

「配達行って来い!」これがね、良かったのだと思いますね。

ですからジャイアンはあんなに逞しいのですね。

きっとね。



お盆、最終日



さて、お盆も今日が最終日でございまして、

お盆にはどこか美味しいお店のカレーでも戴こうかしら、

なんて考えておりましたおっさんですけど、

SQL Serverのお勉強に明け暮れまして残念ながら食べに行かなかったのでございます。

それでね、お弁当屋さんのカレーを買って参りまして戴いたのですけど、

カレーはね、

玉ねぎの甘味と、香辛料の辛味と香り、

それとしっかりとした塩辛さのありますカレーがおっさんは好きなのですけど、

お弁当屋さんのカレーはと言いますと、

玉ねぎの甘味と、香辛料の辛味と香り、だけでまるっきり塩辛さがないのでおじゃりますな。

おっさんにしてみましたら、兎に角残念なのでございます。

どれだけ残念かと申しますと、

メロンパンにメロンが入っていないくらいに残念なのでありまして、

こんなことなら十三駅前のインド屋さんにでも行っておけば良かったかなと思うのでございます。


まあ、それにしましても暑うおます。

暑いでおじゃりますな。

ほんの少し外へ出るだけで汗が噴きだして参ります。

やはりね、このような日差し厳しき残暑の候には辛いカレーが一番なのですけど、


冷たいものばかり食しますでしょう?

冷たい飲み物、スイカに素麺、サラダにアイス、

兎角夏の食べ物は身体を冷やすものが多くて、

そういったものばかり食しておりますとお腹がゲリッピーになってしまいますからね。

時にはカレーや焼肉、餃子、熱い麺類などを食してお腹を労って差し上げませんと、

胃腸や肝臓、すい臓さん方もやってらんないですから、

でね、その中でも一番良いのがカレーなんです。

香辛料でお腹の中がぽかぽかぽかぽか。

血の流れだってお腹に集まりますから、他のところが涼しくなるんです。


お腹は冷やしたらあかんのですね。

ほんまですよ。



頭ん中の事象



プログラミングの世界では、デッドロックという現象がございます。

これはね、例えばAのジョブを遂行するためにはBのジョブを呼び出さなくてはいけない。

とした時に、

また別の人がBのジョブを遂行させようとしていて、

Bのジョブも同じように途中でAのジョブを呼び出すようなことになっておりました時に、

互いに使用中で永遠に待ちが発生するようなことがあるのですね。


現実世界では、ある人がAのファイルを見ながら仕事をしておりまして、

途中でBのファイルが必要になったとします。

でも、Bのファイルはまた別の人が使っておりましてね、

その人がAのファイルもよこせ、って言うのです。

互いに今使っているファイルを取り上げられちゃうと、もう、

しっちゃかめっちゃかになってしまう!!

でも、もう一方のファイルを参照しなければ、

いつまで経っても仕事が終わんないじゃない!!

ってんで、蹴りが出るわ、ヘッドロックが繰り出されるわ、

唾を飛ばし合いーの、罵り合いーの、

ってな現象をね、ヘッドロック、もとい

デッドロックと呼ぶのですけど、


落語の中にもこんな話がありますねん。


ある男に家主さんが嫁さんを世話したいと言ってきたのです。

それがね、赤ちゃんができちゃったから貰ってくれないかという話なのです。

その代わりに50文付けるから、というのですね。

実はこの男、ある人間から50文借用しておりまして、

先だって急に要り様になったから返して欲しいと言われておったのです。

でもこの甲斐性なしの男に50文なんてお金は工面のしようもないわけでありまして、

そこにこの嫁取りの話が転がり込んで参りましたので喜んでおりましたら、

嫁さんは届いたものの、いつまで経っても50文が届かない。


ここまで書きましたらもう大方の人はオチが見えておりますわけでありまして、

これもまた、見事なヘッドロック、いや、デッドロック現象でありますわけでございます。



日本は、大丈夫か?



1998年に派遣法が改定されましてから自殺者数は一気に跳ね上がりまして、

それまで2万5千人程度だったものが、3万数千人になりました。

丁度、派遣会社が世に現れ、乱立し始めた頃ですね。

その当時の首相が橋本、小渕、それに続いて森、小泉、と

歴代の総理大臣はそのようなことはお構いなしに平々凡々と、

外交政策や自由化政策、郵政民営化に力を注いでおりましたわけでございますけど、


いえ、3万数千人と言いますのは氷山の一角なんです。

ここには病院で息を引き取った者の人数は含まれてない訳でございまして、

また、未遂や志願者の数はその何倍にも及ぶものと思われるのでございます。


それがね、今年は特に酷いような感じが致しております。


日本は、大丈夫かなあ、と心配しているのですけど、

おっさん一人が心配しておりましてもどうにもならないのでございまして、

まあ、菅さんに任せる他はないのですけど、


このところ、おっさんはソフトハウスのお仕事の方で実績を出そうと頑張っております。

それで実績が出るようなら、

おっさんも、自信を持ってお仕事の面倒を見て差し上げられることもできると思うのです。

それで、名刺を大量に刷って、色んなところに出入りしてみようとしているのですね。


駄目元で色んな方向性を探って頑張ってみようってね。

まあ、皆様も酷いご時世ですけど、

色んな方向性を探って頑張ってみて下さいましたらと思います。

はい。



いじめを考える



「ケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ云わせたろか」

これは、ご存知、吉本新喜劇のギャグでございます。

大阪人でもたまに使う人が見受けられる慣用句ですね。

これに対して、未知やすえさんなどは、

「ドタマかち割ってストローで脳みそちゅうちゅうしたろか」

と応戦するのですけど、そのすぐ後で

「こわかったー」とぶりっ子するのです。

もうこれは本当に、お決まりの一連の流れですね。


相容れないものを排除しようとする心の動き

それは自分自身さえも赦し認めることのできない心の狭さでもあるのですけど、

強要や排除は勝ったの負けたのと争って生きております今の人たちの常套手段ですね。

勝ち抜くための手段なのです。

仲間になれない者は強要して従わせ、利用しようとして、

それでも駄目なら排除する。

ですから、先程の、「ケツの穴から・・・」と脅すのですね。


これがね、相手が自分より強い場合には反撃を食らいますし、

卑怯者の彼らは決してそういった強い連中には手を出しませんね。

相手が弱そうだと見くびって攻撃しますね。

ただ、相手が未知さんにような人には通用しないし、それは虐めにはならないのですね。

ターゲットが無力か反撃する勇気のない弱い人に向けられました場合にのみ、

それは虐めになるのですね。


でもね、反撃はしなくてはいけませんね。

自分が弱いのなら強い者を利用してでも反撃しなくてはいけません。

何故なら、その反撃しようとする強さがありませんと、

この社会では生きていけませんから。

どんなに純粋で綺麗な心の持ち主でありましてもね、

苛められることが苦痛なのでしたら反撃しなくてはいけません。

どんなに正しくても心が弱くては、粘りがなくては、

すっぱまんやうるちょらまんのようにはなれませんからね。

まあ、苛められることが平気なのでしたら全く問題はないのですけど、

と言いますか、それはもはや虐めではないのですけどね。


ところで、東京03というお笑いのグループがございます。

3人組ですから、トリオですね。

この3人が3人とも、ひねくれ顔をしておりますところが、

まあ、不思議と言いますと不思議なのですけど、

まあ、ひねくれ顔にも何らかの原因はあると思うのですけど、

この東京03が生み出すコントは面白いですね。

独特の人間関係が見事に表現されておりましてね、

まあ、ひねくれているからこそユニークなものも作り出せるのかも知れませんけど、


その東京03のコントの中にもね、

虐めを扱ったものが2つほどあるのですね。


転校生が苛められていたのですけど、

ある時にその転校生がいじめっ子に対してこのように宣言するのです。

「もういい加減にしてくれよ。

どんな苛め方するのかなと思って暫く様子を見させて貰ったけど、

全然なってないよ。

いいですか?このままだと僕は苛められ続ける自信がありません。」

ってね、

で、そこから苛めっ子と苛められっ子の関係が逆転するのですね。


それと、もう一作品はね、

遣いっ走りさせていた苛められっ子がオカルトに興味がありましてね、

遣いっ走りさせるからと「火あぶりになれ」って呪いをかけちゃった。

もちろん遊びのつもりだったのですけど、

ここでも苛めっ子がその瞬間から不利な立場に転落するのですね。

必要以上に火が恐くなるのです。


まあ、それはお笑いの世界の中だけの話なんですけどね、

おっさんも外見的には弱々しかったために学生の頃はよく苛められました。

でもね、おっさんも性格が暗くていつまでも根に持つタイプでしたから、

必ず仕返ししましたし、仕返しすることを考えましたよ。

そのせいかおっさんは気味悪がられて余り苛められなくなっていきましたけど、


反撃することも仕返しすることは別段悪いことではないと思いますよ。

「弱い者を苛めちゃいかん。それは卑怯者のすることだ。」と相手に分からせる方法が

それしかないのでしたら、それは何もしないよりは反撃か仕返ししてでも分からせる方が

愛ではないかと思いませんか?

まあ、その前に毅然とした態度で

苛めに屈する人間ではないぞ、と後姿で主張しておく必要はありますでしょうけどね。


で、そうやって強くなっていかなくてはいけませんね。

苛めに屈しない、虐めなどはモノともしない、攻撃されれば必ずそれ以上の反撃がある、

或いは反撃はないけど、どうやっても被害を与えることができない、

逆に攻撃した側にしわ寄せが来る、反作用が生じる、

そういった強さを身に備えなくては、この社会は生き残って行けないのですから。



この記事を見る機会を得たヤングマンたちへ2



それからね、

根絶やしにする、って言葉があるよ

私たちには、

ご先祖様がいらっしゃって、

親との縁を得て、

兄弟の縁、

友人との縁、

仲間との縁、

人生を共にする伴侶との縁、

沢山の縁を戴いて

今の私たちがあるのだよ。

ご先祖様の居た土地には、うじがみさま

生まれた土地には、うぶすなのかみさま

住んでいる土地には、ちんじゅのかみさまがいらっしゃってね

私たちを見守って下さっている。


そういったご縁や神様方との関係を絶やしてしまうと

人は生きて行けると思うかい?

少なくとも、生きていくのは難しくなるよね。


さらに心を忘れて自分勝手に生きていたら、

守護霊さんの言うことや神様の言うことに耳を貸さずに、

周りの迷惑も考えずに自分の好きなように、したいように生きていたら、

もう生きて行くことなんてできなくなるよね。


それがね、根絶やしだよ。


気付くかないで自分が得することばかり考えて、

自分が悪い立場になることを必要以上に恐れて、

自分が王様みたいに威張り腐って生きている人は多いよ。

でも、そういった人は必ずどこかでつまづいてしまうよ。

でもね、私たちをそっと慈悲深い目で見守って下さっている存在がある。

そのことを私たちは思い出さなくてはいけない。

そういった存在とのご縁はいつでも繋げて行くことはできるのだからね、

自分から切って忘れてしまったら駄目だけどね、

繋げようとすれば繋げて行くことができるんだよ。


それがね、生と死の境目。

根っこが一本残っているか残っていないか、ってところなんだよ。



この記事を見る機会を得たヤングマンたちへ



ヤングマンよ、

若い人たち、

あのね、

後悔先に立たずってことばがあるよ。

おっさんはもう若くはないけどね、

今になって後悔ばかりしているんだ。


もうちょっとしっかり勉強しておくべきだった、

とかね、

もっと歯を大事にしておくべきだった、

とかね、

正しい生活習慣を身に付けておくべきだった、

とか、

あの時、あの言葉を勇気を出して言っておくべきだった、

とか、

本当に沢山あるよ。

今更後悔してもどうにもならないのだけどね、


だから後悔先に立たず、なんだけどね、

ヤングマンにはおっさんと同じような人生を歩んで欲しくはない。

後悔ばかりするようなおっさんにはなって欲しくないんだ。

だからね、今からだよ、

しっかりと考えて、

身体を大切にして、

絆を大切にして、

沢山の知識を頑張って吸収して、

努力して人一倍特技でも何でも身に供えて、

前向きに建設的な目標を持ってしっかりと生きて欲しいと思うよ。


そうすればおっさんのようなバカおっさんにならなくても済むからね。

それから、人生は一生勉強だよ、

一生努力と頑張りだよ。

楽しい楽しいと言いながらワクワクして人生を頑張って勝ち抜いて行くんだよ。

笑うのは最後の最後だよ。

最後まで笑っちゃ駄目、余裕をかましていたら駄目なんだ。

でもね、必ず最後に笑えるようにならないと駄目だよ。


いいかい、若いっていうのは権利なんだ。

その権利を知識や能力と言う収穫に変えて行かないとだめなんだよ。

そうしないと権利は時間と共に消滅しちゃうからね。

消滅しちゃうと後の祭りだから、

何にも残っていなかったなんてことにならないようにしなくちゃ駄目だよ。

この世界は矛盾ばかり間違いばかり悪事ばかりの無慈悲な世界だからね、

しっかり生きなくてはいけないよ。

その世界で生き抜いていくコツは知識と能力だよ。

それと日々の弛まぬ努力と辛抱だよ。

楽しく、遣り甲斐を持って武将になった積りで突き進めるところまで突き進むんだよ。


今から、後悔しないように生きていかなくちゃいけないよ。



壊れ始めた日本



確か、90年頃だったと思いますけど、

自民党が日本人二世三世の諸外国人に就労ピザを与えるような法案を成立させました。

これは、日本人の血を引く諸外国人であれば、日本に出稼ぎに来てもいいよ、

という法案ですね。

その後、その法案がどうなったのか、

新しい法案が成立したのか、といったことは分かりませんけど、

今現在、日本には二世や三世のみならず、日本人の血を引かない諸外国人までが

日本で働いている。

企業が就労証明書を発行しさえすれば、

幾らでも出稼ぎ労働者に長期滞在の許可が与えられるのですね。

その結果、今日本にはものすごい数のアジア人が労働力人口の中に含まれているのです。

その上、生産拠点も海外なのですから、

日本のGDPが1%、2%でありましても、

そこに働いて収入を得ているのは外国人なのですね。


このところ、おっさんのところに沢山の純日本人から悲惨な声が沢山届いております。

ご相談メールの半分以上が、経済的苦境に立たされている日本人ですね。

自殺志願、

失望、

どん詰まり、

そういったご相談ばかりなんです。

そりゃあ、如何なるおっさんだって解決策なんて持ってはおりませんよ。


そうして、次の段階は、間違いなく日本社会の崩壊ですね。

日本における日本人の比率がどんどん下がって参ります。

巨大企業がどんどん潰れて参ります。

或いは外資に乗っ取られます。

政治と企業が心を忘れ、やたらと利益ばかりを追求し、人材を使い捨てにして来た結果ですね。


その前に何とかしやんと、ほんまに日本は潰れますね。

間違いなくそうなります。

恐ろしいことですけどね。