ブログより転載(2010年9月)

 



心の開放



たとえばね、

強制癖は責任転嫁を生み、睡眠障害や精神の錯乱を生じますね。

それは当然、自らの思い通りにならないことがありますから、

こんにゃろ、ってなるのですね。

で、眠れなくなって、次第に凶暴になって来るのですね。


作用と反作用の法則は、ものの見事にその人の心の偏りを具体的な事象として現すのです。

これは、その人自身が気付き学ぶための機会ですね。

神霊のお慈悲ですね。


依存心は自ら悩み考え壁を乗り越える妨害になりますから、

成長にも歯止めが掛かりますし、

嫌々病は鬱を招きますでしょうね。

そしてまた、逃げられないことを逃げたい逃げたいと考えておりますと、

パニックになるのですね。


いえ、これはほんの一例ですけど、


考え、内省することは、ですからとても大切なことであるのですね。

それを他人にばかり内省させようとしておりますと、

なにも解決しませんし、先へも進めませんね。


自らの人生を、あらゆる事象を自らの責任として捉え、

いや、全くその通りだと思うのですけど、

よし、どっからでも掛かって来んかい、と腰を据えて対峙する覚悟がね、

大切だなあ、って思うのです。


そしてまた、どうしようもないことは悩んでも仕方がないのです。

どうしようもないことは、どうしようもないこと、

分からないことは、分からないこと、

それはきっとまだ魂が学んでいないことなのでしょう。

おっさんにも沢山ありますね。

でも、それをうじうじくよくよと悩んでおりましても仕方がない。

考えて、内省してみてだめだったら、

一時、スパッと切り捨ててみる、忘れてみることもまた、

方法論かもしれないと思うのですね。



何があってもさ



誰の人生にだって、

嫌なこともあるし、辛いこともあります。

でも、ラッキーなこともあるのですね。

土壇場では必ず守護霊様が必死になって助けて下さろうとするし、

成長のために必死になって試練を与え壁を乗り越えさせようとするかも知れない。


でもね、全部自分の人生。

それを見誤って他人に責任転嫁したり、

神様や守護霊様にばっかり頼っていたり、って

それは駄目だよ。

答えも原因も全部自分自身の中にあるのだから。


全部が自分自身の修行のため、

へえ、そうなんだで終わらせちゃ駄目だよ。

それを心の中に叩き込んで、

何があってもしっかりと受け入れる覚悟をしなくっちゃ駄目だよ。



個性と偏り



たとえばね、

あの人の周りには沢山の人が集まっているのに、自分はそうじゃない、とかね、

あの人は良い人間関係を作っているのに、自分にはどうしてもそれができない、とか、

あると思うのです。

そんな時に、ああ、あれはあの人の性格なんだろうな、

持って生まれた才能なんだろうな、人間性なんだろうな、と考える。

でも、具体的にこうだからというのが見えてこない、

んなことは誰にでもあると思いますね。


そんな時に少し考えてみて欲しいのですけど、

もしも、ですよ、もしも、

あなたと同じ外見で、同じ考え方をするもう一人の人物がいるとして、

共に暮らすとして、

どうなると思いますか?

上手く行くと思いますか?


責任転嫁ばかりしている人でしたら、

強要癖のある人でしたら、

依存心のある人でしたら、

良い関係を構築することは難しいですね。

ひょっとしますと喧嘩ばかりでそこに阿修羅界が現われるかも知れませんし、

冷戦状態になるかも知れません。

互いに鬱陶しく思うかも知れませんし、

「なんじゃこらぁ」と言い合っているかも知れません。(笑)

それでも我慢してその不調和な関係を続けるのかも知れませんし、

或いは、そうじゃないのかも知れない。


でもね、そういったことを考えてみますとね、

必ず自分自身の性格上の偏りや条件反射の間違いが浮き上がって参りますね。

きっと今まで見えなかったことも見えるようになります。

自分自身のことは誰にでも一番見え難いですからね、

もう一人の自分を出現させて一緒に暮らしてみる。

そうするとどうなるかを考えてみる。


はてさて、あなたの場合は如何でしょうか?

何か、見えては来ませんでしょうか?



変化



人生には、波がございます。

抗いようもなく流されていく大きな波。

その波がね、ある時大きく変わるのです。

課題が変わるからなんでしょうか、

ふっと、ある時から何かとても重要なポイントが変化するのです。


以前におっさんは気の周期について書かせて戴きましたことがございます。

天の気は10年周期

地の気は12年周期

人の気は9年周期

でね、

おっさんはおっさんの人生を眺めておりまして、気付いたのですね。


0歳から11歳までの流れと

12歳から23歳までの流れ、

24歳から35歳までの流れ、

36歳から47歳までの流れ、

これがね、全く違っているのですね。

大きな波に流されて、

12歳の時、

24歳の時、

36歳の時に、

何か列車のポイントでも切り替えられるように、

全く異なった波の流れにぐいっと大きく曲がって行くのですね。


まあ、おっさんの場合は意識的に自分から変化を生じさせていたように思うのですけど、

それさえも、変化するような行動を取らされていたとも感じられるのです。

また、周りの環境にもその時に大きな変化があるのです。いや、あったのですね。


恐らく、皆様も同様に、

12歳と、24歳、36歳、48歳、60歳

の時に大きな変化が生じているのではないかと思うのです。

その歳から、恐らく新しい人生の課題に12年掛けて向き合うことになるのではないかと

思うのです。


おっさんは48歳でございます。

まあ、人間50年などと言いながらもここまで参ったわけでありますけど、

さてこれからは、どんなんかーなー、と笑福亭仁鶴師匠のように

ワクワクドキドキしておりますような次第でございます。



心が折れるということ



心が折れる。

それは恐らく誰にでもありますでしょう。

長い人生、百回も、千回も、一万回も、十万回も、百万回も、

心は、折れるかもしれない。


心が折れて、休んで、また立ち上がって、チャレンジして、

その繰り返しが人生というものかも知れませんね。


でもね、

上を目指すから心は折れるのですね。

未経験のことを成し遂げようとするから、心は折れるのです。

これが同じことばかりやっておりましたら心は折れたりしませんね。


心は、折れてもいいのだと思います。

でも必ずまた立ち上がってチャレンジしなくてはいけませんね。

七転び八起き。

一万転び一万一起き。

打ちのめされても打ちのめされても打ちのめされても

果敢に挑み続ける姿、

それがチャンピオンを目指す者の姿なんですね。


達磨さんもそうだったのでしょう。

ナポレオンもそうだったのでしょう。

マザーテレサもそうだったのでしょう。


そうして神理への理解を深めて悟りを開くもの、

自らを捨てて生きるものは、

遂に心が折れることのない境地に到達するのですね。



兎に角



兎に角、

そうですね。

兎に角何でもやってみようと思うのです。

勇気を惜しんではなにもできないし、

失敗を恐れても、おっさんだからと二の足を踏んでいても仕方がない

と思うんです。

今生を楽しむために、兎に角、なんでもやってみる。


そこに山があれば登るし、

そこにピグがあれば出掛けて行ったりもするのです。

そこに何か良さそうな講演会があれば参加しようと思っているし、

誰かが困っていたら迷わず話し掛けたりもするのです。


ピグ。

そうね、ピグ。

最近流行ですね。

で、人気のスポットなんかに行って、

「集合写真撮りませんかー?」とかやってみる。

うーん。

誰も乗って下さらないのですね。

上手く行かない。

おっさんだからかなあ。

全く、何をやっても駄目。


でもね、それでもおっさんは挫けたりなんかしませんよぉ。

また、何か考えてやってみる。

何でもやってみたいし、やってみることでさらに今生が有意義になるのですから、

取り敢えず何だって試してみる。

最初は誰だって上手くなんか行かないよ、とおっさんに言い聞かせながらね。


迷わず行けよ、行けば分かるさ。ダーッ!!

有り難うございました。



秋分の日



明け方からの激しい雷で目が覚めまして、

暫く雷の音を聴いておりましたおっさんです。

今までの人生で一番凄い雷。

でも、雨は降らないのですね。

天の激しい怒りのような。

サンダーーーーーーーーーッ!!

って感じですね。


秋分の日。

秋を分ける日。

昨日が十五夜で、今日が満月。

夏の名残の残暑の候と

本格的な秋とを隔てるこの秋分の日に

雷がなる。


いえ、雨も降って下さらなくてはいけないのです。

その雨が、大地を冷やし切る働きをして下さるのですね。

ですから、夏が暑ければ暑いほどこの雷雨は激しいのです。


まあ、どこか別の場所に雨が降って雷も落ちたのでしょう。

だって、ごろごろどっしゃーん。って

凄かったもん。


きっと今夜は満月が綺麗に見れるのではないかと思います。

はい。



おっさん日本史



日本は、兎角不思議な国でございます。

なんでも隠そう隠そうとするふしがあるのですな。

1月1日には幸せを祈り

3月3日には女の子が健康に育つように祈る。

のではなくて、子沢山になるように祈っていたのですな。

5月5日も男の子が良い嫁を貰って子沢山になって子孫が繁栄するように、

まあ、3月3日と5月5日は性教育を行う日だったという見方もありますけど、

で、7月7日には男の子と女の子が間違いなく出逢って夫婦になるように、

9月9日は家族が益々健康で長生きできますように、

っていう日であったのですね。


で、桃太郎、

これは河を流れてきた妊婦の死体から婆さんが赤ん坊をとり上げるのですな。

赤ん坊は未熟児だったのですけどまだ生きていて、これを桃太郎と名付けたのです。

桃太郎は四国全土から兵を集めて鬼が島、つまり鬼門の方角にある淡路島に攻め込みますな。

そこに住んでいたのは背が高くて日本人離れした顔つきの西洋人なんです。

平家ですな。

たいら、ではなく、テイラーなんです。

ヤアヤアワレコソハ テイラーキヨモリナリ

なんかそんなカタコトの日本語で雄叫びを上げる鬼の一族を攻撃して、

財宝を奪っちゃう。


で、桃太郎は裕福になって、日々のんびりした隠居暮らしに入るわけです。

日がな一日瀬戸内の島で釣りをして、

浦島太郎なんてあだ名を付けられて、

そこでUFOが墜落しているのを目撃するのですな。

で、助けて上げてUFOで別の星に連れて行かれてしまうのです。


この頃はUFOの墜落事件は多かったですな。

かぐや姫もそうですし、

探しましたら幾らでも見付かるのではないかと思います。


いえ、ほんまの話かどうかは知りませんよ。

でも、あながち間違ってはいないんじゃないかって、

おっさんはそう思うのです。



ことの次第



それはある日のことでございました。

おっさんが家に帰ってみると一枚の紙切れが新聞受けに入っておりました。

そこには

「6時50分頃家を出る時はもう少し静かに戸を閉めて下さい。こっちはまだ寝てるもんで。」

と書かれていたのです。


うん。確かにおっさんの部屋の戸は錆び付いていて少し力を入れなくてはちゃんと閉まらない。

でも、どすんばたんやっているわけではないのですね。

でもまあ、どこかの睡眠障害さんが煩わしく思っているのだろうと、

おっさん、我慢して8時頃まで家の出入りを自粛していたのです。


ある土曜日なんです。

その日は8時前に家を出まして、昼頃に戻りました。

その時に訪問者がありまして、

「隣のFですけど、もっと静かに戸を閉められへんのですか」

とお隣さんが怒鳴り込んできたのです。

朝8時といいましたら、もう世間一般では日常生活を始めている時刻で、

幾ら戸を閉める音が煩わしいと言いましても、生活騒音ではないかと、

おっさんは思うのです。

それに、隣の話し声まで筒抜けの安いマンションでうるさいもなにもあったものじゃないと、

それがいやなら防音設備の完備した高給マンションに引っ越せば良いのだと、

おっさんは思うのです。

それにね、一体いつまで寝てるんやと、おっさんは思うのです。


それでもまあ、戸が錆び付いていてどうしても音が出てしまうことを説明しまして、

おっさんは解約する予定だった事務所を夜の就寝場所に変えたのです。

ですからお隣さんには何も迷惑にはなっていないと思うのですけど、


でもね、お隣さんは顔を合わせるたびに口を歪ませておっさんを睨んで来るのですね。

おっさんは思うのです。

恐らくこの人は、何でも自分の思うようにならなければ気がすまない人なんだろうな、

ってね。

介護関係のお仕事をなさっておられるようですけど、

お仕事も上手く行っていないんじゃないかなって。

それから、

この人、いつか怒りと憎しみで気が変になっちゃうのではないかな、

と感じるのです。


まあ、おっさんには全く関わりのないことなんですけど、

今後も余り難癖付けて来られるようでしたらこまったものだな、と思うのですね。



どうしてなのかなあ



先日の続きではないのですけど、

異業種交流会で提携のお話と、システム開発を請け負いますと言うお話をして、

外注として使って下さってもいいですよというお話をして帰ってくるのですけど、

勘違いしてしまわれます方がいらっしゃるのですね。


取り敢えず一度お会いしませんか、って連絡があって、

おっさんは時間もお金も無駄にしたくはないものですから、

「会って打ち合わせするのは詳細の詰めの段階になってからにしましょう。」

と申し上げるのですけど、

そこを無理にと仰るものですから、

お金になるいいお話ですから、と言いますものですから、

色々とありましておっさんはその日半日待ちの状態で、

時間指定の連絡が来るのを待っていたのですけど、


結局は、完全歩合の営業で雇いますというお話でありましてね、

でもね、誰も雇って欲しいとはお願いしてなんていないのですね。

それに、営業で受注が取れましたら、おっさん一人で請負いますよ。

別に他社さんに譲る必要もないのですから。


なんかね、そんな勘違いをなされます方が多いのですけど、

提携と言う意味を勘違いしてしまっておられるのでしょうね。

自分の土俵に引き込んで利用しちゃっていいのだと、

勘違いしてしまうのですね。


それでおっさんの時間を空けさせておいて、

で、明確な時間指定もなくて、

当日になっていきなり、後日にしましょうと、


それはね、本当に、なしですよね。

会うなら会うで、何月何日、何時何分にどこで会うか、

どういった要件で会うのか、

それが明確にならない限り、

そしてその要件がおっさんにとりまして意味のあるものでない限りは、

おっさんは動きたくはないのですね。

本当にそれは社会人として当然のことではないかとおっさんは思うのですけど、


ったく、困ったものでございます。

はい。



ところで世界史



うーん、世界は、変わりましたなあ。

おっさんが学校で習った時には全然現われなかった国名が幾つもあるのでおますな。

1985年から1991年のペレストロイカですか。

なんか、そんなイカが現われて、

たとえば西ドイツと東ドイツの統合に始まり、

バルト海沿岸のバルト三国がソビエトから独立しましたわな、

リトアニア、エストニア、ラトビア、ですか。

なんか、そんなピザ屋のサイドメニューのような国ですな。

美味しいですな。ラザニア。

カトリックやプロテスタントの国々でおますな。


ソビエトの北西でそのバルト三国が独立して、

西方では、

トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン、キルギス、

なんて国が独立しましたわな。

タン好きな連中でおますな。

きっと、キルギスはキルギスタンやったのでっしゃろな。

でも、タンは切るぎす、ってんでキルギスになったのでっしゃろな。

イスラム教のスンニ派の国々ですな。


それから、アゼル場合じゃん、なんてわけの分からないことを言いながら、

アゼルバイジャンも独立したのでっしゃろな。

イランの隣国ですから、イランの影響を受けてシーア派なんですな。


他にはウクライナ、ベラルーシ、グルジア、アルメニア、モルドバ、

なんて国々がドバーっと独立して、

ソ連はその5分の1の領土を失ってロシアに戻ったのですな。


ここまで参りますともうおっさんの頭では到底覚えられるものではありませんな。

まあ、あほみたいなことばかり言うとりますけど、

あ、アルメニアはコニャックの国なんですよ。

で、コニャックを取り合ってアゼルバイジャンと揉めているのですのですね。

いや、ほんまかどうかは分かりませんけど。


それからウクライナは、チェルノブイリのある国ですね。

ベラルーシにも原発事故の被害は及んだみたいですね。



一枚のチラシ



実はおっさん、先週の土曜日にも異業種交流会に参加しておりまして、

そこでチラシを配って下さるというので、チラシを作って配って戴いたのですね。

実現可能な色んな可能性を込めて、

暗にこんなこともできる、あんなこともできるじゃないか、と気付いて下さるように。


おっさんが一枚のチラシに込めた無限の可能性

ピンと来て下さる人にはピンと来て下さるはずだったのです。

その積りで作ったのですけど、、、

今頃はゴミ箱に捨てられているんだろうな、と思います。


提携といいますことを、おっさんは考えております。

今、大きな夢に向けて一歩を踏み出せるような提携、

アイデアなら幾らでも出てくると思うのです。

勿論、土俵と言いますことも、おっさんは良く理解しております積りでおります。

ある方のチラシなどは自分の土俵に人を引き込んでビジネスに利用しようと言うもので、

そんなことを企てましてもそうは問屋が卸して下さらないことも、

おっさんは良く知っております。

案の定、その方のチラシには、

本当に存在するのかも分からないような偉そうな肩書きが書き連ねられておりました。


幾ら偉そうな肩書きを書き連ねても意味のないことを、

返っておバカに見られてしまうことも、

それでホイホイと罠に掛かってしまう人がどんな人かということも、

分からないこの方をおっさんは可哀想だなと思います。

そんなビジネスが上手く行くはずはないのですし、

その形態のビジネスは世に溢れ返っているのですから。


互いに土俵に引き込み合うのではなくてね、

実は双方にとって有意な土俵を見つけなくては提携なんて上手く行くはずがないのです。


で、そういった想いを込めて、

夢を込めて、可能性を込めて、高価な紙と高いプリンターインクを使用して、

印刷したチラシ。。。

分かって下さる人が皆無と言いますのも、何だか悲しいものでございます。



おでんのタネ



日に日に、くだらないことを考えるおっさんでございまして、

おでんの話が出てきたものですから、少しおでんについて考えてみようと思うのでございます。


いえ、別に「IPとはなんぞや」ということを論じてみても構わないのですけど、

そうしますと、どうしても低燃費少女ハイジのことが思いだされまして、

「IPってなに?」と大声で執拗に聞かれましてもおじいさんのように頭が痛くなるだけなので

止めにしまして、

ここはひとつ、おでんについて考えてみようと思うのでございます。


さて、おでんのタネは色々とあるのでございますけれども、

ここはひとつ、何か新しいタネはないか、と考えてみることにしましょう。


たとえばね、大きな海老を殻をむいて放り込んでみる。

ブラックタイガーとかですね。

あ、尻尾は勿論取りますよ。

おっさんは見た目重視ではなく、食べるもんに食べられないものが混入しておりますことの方が

嫌いな性質でありましてね、

ですから貝の殻や色んな戴けないものが混入しておりますパエリアなんぞはもう、

背筋がぞっとするのでありますけど、

まあ、そういった理由で、ここはひとつおっさんのわがままで海老の尻尾も取っちゃいまして、

おでんのダシに放り込んじゃうのですね。


で、そうしましたら、えびがね、多分、

ちっちゃくなっちゃった!

ってことになるのですね。

それでおっさんは、

ああ、なるほど海老は細かくしてつくねにするのか、と気付かされるわけでございます。


豆腐を入れてもいいな、とも思うのですね。

少し味の濃い湯豆腐ですね。

でも、おそらく、煮込んでおります間にくずれちゃう。

それでね、ああ、それでがんもどきなんだ、と気付かされるのですね。


まあ、おでんひとつでも良く考えられておりますものでございます。

たかがおでん、されどおでん、でございますね。


うーん。

何か新規に、おでんに入れて美味しそうなものはないものでしょうかねえ。



おでんの園



今日はテレビでアステカ文明やらマヤ文明についての番組がありまして、

まあ、別段、視聴していたというわけでもないのですけど、

このような話は如何かと思ったのですね。


たとえば、アフリカに昔々エデンという場所がございまして、

恐らくそこに住んでおりました方々が第一地球人類ではないかと思われるのでございます。

彼らが異星から宇宙船で降り立った異星人でありましたことは、

地球ヒロシと言いましてもスピリチュアル的に偉大な方でこの説に異論を唱えられます方は、

恐らく一人もいらっしゃらないのではないかと思うのですけど、


それでね、おっさんは言葉遊びが好きですから、

ちょっとここからおっさんなりの言葉遊びをしてみようと思うのでございます。


エデンに降り立ったエディたち、

まあ、彼らがオデンを食しておりましたかどうかは分からないのですけど、

エディ の プト

エデン人の大陸といったような意味でしょうか、

エジプト、ですね。


それから、エディ の アン

エディアンは アジアですね。


そうやっておっさんなりの解釈で、全ての言葉は繋がって行くのですね。


おっさんは以前にこの方法で、

日本人類がアスカ民族であった可能性のことをお話しさせて戴きましたことがありますけど、

そうして、それが神道という方法で、現代にも暗に伝えられているのです。


また、中米にアステカ文明とマヤ文明が隣り合って存在した、

これは、飛鳥と摩耶も日本に存在する地名なのですから、

必ず繋がりがあるのですね。


ただね、ただ、

エデンからアスカ、マヤに繋がって行く言葉が未だ見付からないのです。

必ずその空白を埋める言葉はあるはずなのですけど。

でも、おでんは違いますね。

おでんは割と新しい言葉ですし、

おでんの園なんて言いますときっと笑われちゃう。

まあ、笑って下さって全く問題はないのですけどね。



何をか、蹴飛ばさんや



おっさんは、その昔、椎名誠さんの本にのめり込んだことがございまして、

ふと気付きますれば、文体がどことなく椎名誠さんの真似のようなものになっていることに

ハッとするのですけど、

影響とは、恐ろしいものだと感じます。

で、彼は東ケト会というものを作っていたのですね。

正式名称は、東日本何でも蹴飛ばす会。

どこへでも行って、何でも蹴飛ばして来ようという、大いなる志の下に結成されたその団体は、

その志の通りにどこへでも行って何でも蹴飛ばしては来るのですけど、

逆にやられて酷い目にあってしまうという、

若い頃のおっさんにはその様子が面白くて可笑しくて、

彼の書くものが大好きになってしまったわけでございます。


そんでもって、その何でも蹴飛ばすという志はものの見事におっさんの魂にも植え付けられ、

このブログでも様々なものを蹴飛ばして参ったのですけど、

今日は、蓋といいますものを蹴飛ばしてしまおうかと思うのでございます。




蓋にも色々とございます。

その中でもおっさんが一番「いらんやろ」と感じるものは、

あの和式トイレの「臭いものには蓋」を地で行っておりますような、あの蓋ですね。

蓋を付けてしまったがために、軽々しく閉じちゃう人がいらっしゃる。

用を足して、そのまんま臭いものに蓋をしちゃうのですから、

次に御使用になられます人はおぞましき洗礼を受けなくてはならなくなってしまうのですね。

開けときゃいいのに、律儀に、軽はずみに、閉じちゃう人。

人迷惑な人。

いや、その前に、人迷惑な蓋。


何のために存在するのか、もうおっさんにはさっぱりと分からないのです。

理解に苦しむのですね。


それから、次に、これは閉じておかなくっちゃいけないでしょ、って蓋がありますね。

たとえばコインランドリーの洗濯機の蓋ですね。

開けっ放しになされます方が多いのですけど、これもね、おっさんには、

一体何のために開けっ放しにするのかが理解できないのです。

虫が入っちゃうし、

夜にはヤンキーの襲撃にあって、おにぎりの包み紙をゴミ箱代わりに投げ込まれたりするのですから、

そういったことのないように閉じておいて下されば良いのですけど、

朝早く洗濯しに参りますと、案の定蓋は開いたままで、

やはりこれも案の定、蛾がへばり付いておりましたり、

案の定、飲み物の空き缶やらおにぎりの包みなんかが投げ込まれたりしているのです。


いえ、これはおっさんの勝手な考え方ですから、

このことに関してはおっさんが絶対に正しいと信念を持っているわけではないのですけど、

使い終わりましたら締めておいて欲しいのです。

或いは、「いや、開けておく方がこれだけメリットがあるよ」ということでしたら、

それを教えて欲しいのです。

説得力を持っておっさんを納得させて欲しいのですね。


まあ、そんなわけで、今日は蓋を蹴飛ばしましたけど、

蹴飛ばしますと反作用が生じることも良く知っておりますおっさんですから、

まあ、おっさんも蹴飛ばされることになるのかも知れませんけど、

それこそが蹴飛ばすことの醍醐味でもありますでしょう。

東ケト会のように酷い目にあって皆様に喜んで戴ける。

それもまた、神霊がお定めになられておりますことかも知れませんね。

なーむー



内緒のお話



おっさんが異業種交流会に参加し始めましたのは、8月下旬のことでございます。

まだ参加経験も浅く、3回程様子を見させて戴いたに過ぎないのですけど、

最初はね、ワクワクしていたのです。

たとえばね、

パンにわさびを練りこんでみました、なんてパン屋さんがいたり、

手作りの車を販売しています、なんて車やさんがいたり、

一緒に村興しをやろうではないか、なんて革命の戦士がいたり、

そういった大志を抱く人間ばかりで溢れているのではないか、

と期待していたのですけど、


でも実際には、そうではないのですね。

そんな人一人も居やしないのです。

堅実に、そこで一件でも契約が取れないかしら、とかね、

まあ、名刺を配って名前だけでも売っておこうってな人が多いように見受けられましたね。


分類しますと、4種類の人間に分類できますね。

@地道な努力を積み重ねてきた経営者

A同族会社の二代目あほぼん、慶応大学卒で自尊心が高い

Bアジアからの出稼ぎ労働者、野心と悪知恵で勝ち抜いてきた

C視野も狭く知恵も能力もまだまだ未熟な駆け出し経営者

この、AとBは余りおっさんは相手にしたくない方々ですね。

したたかで人を利用することばかり考えておりますから。

でね、Cが一番前途有望な方々ではないかと思うのです。

自立意識があって、これから悩み苦しんで後に@になると思われるのですね。

で、おっさんはパソコンの方のお仕事でね、

@とCの方々との人脈を得て将来に向けて一緒に頑張っていけたらと思うのですけど、

そういった方々を探しているのですけど、

なかなか、名刺交換だけで終わってしまうことが多いです。

提携するためのアイデアは沢山あるのですけどね、

幾らでも出てくるのですけど、

ますお相手さんにその意思がなければ、

ピンと来て下さるような人でなければ提携しても無駄でしょうしね。

友情と勘違いされましても困りますし、

本当に難しいものだなあと感じております。

いえ、くれぐれも、内緒のお話ですよ。

はい。



経営力



おっさん、思うのですけど、

たとえばどこかの会社の社長さんなんかが、

「経営力」なんて御本を出版されていらっしゃる。

巨大IT企業の社長さんも、経営力を養うセミナーなんてものを始めちゃったり、


でもね、彼らには決して経営力なんてものはないのです。

経営に成功しているのは、ただ単に図々しいから、

それだけなんです。


パソコンが時々遅くなる。

晴れ時々雨ではないのですけど、

うんともすんとも言わない♪ 状態になる。

おっさんはそれを何でか調べたのです。

そうしますとね、

たとえばどこかの有名サイトからプログラムをダウンロードしますでしょ?

そうしましたら、タスクの中に「プログラムを最新の状態に保って下さい」

なんて書かれたプログラムが自動実行されるようにセッティングされてしまっているのですね。

パソコンの所有者がそれを望まなくても、

彼らはそれをさも「おもちゃ」か自分の持ち物のように、

強制的にシステムを書き換え、自社のプログラムを強制的に最新の状態に保たせようとする。

その余りにも図々しく強引なやり方が経営を成功させているだけなんです。


このタスクを削除してどうなるものか。

消せば分かるさ、ってんでおっさんはそのタスクを全部消してみたことがあるのです。

どうにもなりませんでしたよ。

セキュリティーソフトも自動で動かないようにして、

自動更新も止めて、

そうしましたら、うんともすんとも言わなくなるようなことはなくなりました。


それがね、普通の状態なんです。

それが本来のパソコンの在り方なんです。

全てのプログラムはその所有者の命令によって開始される。

そうでなくてはいけないのです。

決して、

自社のプログラムをインストールした以上は、

パソコンの使用権も自社のもの、って考えの企業に

パソコンを明け渡してしまってはいけないのですね。

それを間違ってしまいますと、

ロボットが人間に反逆するようなことにもなってしまうのです。


しかも、そういった悪質なプログラムは殆どが重いのです。

今の時代だからメモリー2ギガは積んでいるだろうって勝手な思い込みで、

彼らは色んな機能を付加した贅沢なプログラムをバックグラウンドで走らせるのです。

全く、そんなことされちゃあメモリー512メガ程度のおっさんのパソコンは

たまったものではないのですね。


それが真摯で誠実な商いの姿なのか、傲慢で図々しい故なのか、

それはもう考えるまでもないとおっさんは感じるのでございます。


あーめん。



Javaは、難しかねぇ



Javaは難しい。

何が難しいかといいますと、まず概念がややこしいのです。

で、文法も難しいですね。

プログラミング言語の中で文法が一番難しいのがJavaではないかと思います。

沢山、文法がありまして、アセンブラの方がまだ簡単ですね。


で、思うのですけど、

これはまず概念と文法だけを徹底的に頭に叩き込まないといけないですね。

そうすれば自ずと関数の使い方だって分かると思うのです。

どんなに苦労してもまず概念と文法。

関数は辞典が一冊作れるほどありますからね、

それは覚えきれるものではないと思いますし、

開発段階で辞書を引くように調べながらで良いと思うのです。


と、そんなことを考えておりますと、思い出しました。

高校では英語の科目で、Reader と Grammer が、

ありましたねぇ。

Readerに当たる部分は、プログラムの組み方なんでしょうね。

Grammerに当たる部分が、文法なんです。

Javaの文法。

勿論、ややこしいといいましてもGrammer程はありませんけど、

で、Javaの関数が英和辞典に相当するのでしょうね。


でもね、

SQL Serverもこんなものか程度に理解しましたし、

Eclipseの使い方もまあ、大体は分かりました。

そうしてJavaもなんとか頑張ってマスターして、


その後には

C++
JavaFX
SilverLight
Appachi
PHP

ってえのも覚えていかんとあかんなぁ

と思っているのです。

まだまだ先は長いのですね。

頑張っていかなあかんと思うとります。

はい。



人脈を広げる



この社会は、人間社会でございます。

人から、情報が流れ込み、

人と人との交わりから、未来の可能性が広がって参ります。

人との交わりなくして何一つ得るものはなく、

周りにありますもの全てが、沢山の人の手を介して今そこにあるのですね。


価値の見出せないものも在りますでしょう。

余り好ましくないと思われますものもありますでしょう。

ただ、全てのものは必然があってそこにあり、必ず何らかの学びが得られるのです。


人、

人の手によるもの、

愛あるもの、

業という河の流れに溺れ押し流される人同士に、

そういった「人」との接点がありましてこそ、

力強く業の河を渡り切ることができるというものでございます。


ですから、おっさんはこの歳になりまして、ようやく

人脈を広げることの大切さに気付き始めたようでございます。


まず、自分ばかり見ている視点から人を見るように視点を変えて、

周りの人の幸せと自分の幸せを両立させることを考えてみる。

この人の今の姿はどのような業因縁によるものか考えてみる。

理解しようとしてみる。

その中に自分自身の業因縁を見出すこともできますでしょう。

それは作用反作用の法則でね、鏡のように深層心理に現われて来るのですね。


人を責めますと深層心理は自分自身の不甲斐なさを責めますでしょう。

そしてまた、人間理解が深層心理の中での自分自身の理解に繋がるのです。

その関係は未来に必ず素晴らしい人脈、素晴らしい人間関係、

素晴らしい共存関係に発展しますでしょう。

それは間違いのないことだと思いますよ。



おタバコ、よ、よ、よんひゃくじゅうえん!



10月からおタバコが値上がりするそうで、

な、なんと410円!になるのだそうでございます。

300円でも高いなあと思っていたのですけど、

これがさらにまた値上げされるとは、

困ったものでございます。

その昔、カルビーのポテチが100円でありました頃、

「ひゃくえんでぇ、カルビーポテトチップスは買えますがぁ、

カルビーポテトチップスでぇ、ひゃくえんはぁ、買えません。

悪しからず。」

なんてCMがありましたことを思い出しました。

そうなんです。タバコ一箱でポテチが4袋買えるのです。

ポテチは今でも百円程度ですからね、

これではもうおタバコはお吸いになられますことが適わないではありませんか。

(上記文章には一部に不適切な日本語が含まれております。)


勿体無い。

勿体無いし、余りにもバカらしいのです。

おタバコ一箱410円なんて、人をバカにしておるのです。

ですからおっさんは10月からおタバコは吸いません。

すいません。

ごめんちゃい。


おタバコの代わりに似たようなものでおタバコの代わりになるようなもの、

たとえば「バタコ」なんてものがありましたら、

そっちに切り替えるのですけど、

この際「バタコ」事業でも始めますと良いかもしんないな、とも思うのですけど、

いい機会だからこの際止めちゃえ!って思うのですね。


まあ、そのうちにきっと「バタコ」事業をお始めになられます方が現われて下さいますでしょう。

で、一箱100円程度で販売を始めて下さる。

おっさんはそのように睨んでおりますけど、

ただね、ただ、

おタバコも、おバタコも公共の場所での喫煙が条例で許されていない行政地区は多いですよ。

条例には違反しないこと、

そういった地域では歩きタバコも歩きバタコもしないこと、ですよ。

大阪市もそうなんですけど、ほんまに多いですからこの際強く申し伝えておく所存でございますよ。

勿論、人の多い場所での喫煙とかね、

火の付いたタバコが周りの人にどれだけ恐怖を与えていることか、

迷惑を及ぼしていることか、知れません。

めっ!ですよ。めっ!!



ひさしぶりー



昨夜はノブナガというCBC放送のテレビ番組を何の気なしに眺めておりまして、

それから4時頃までJavaの本を解読しておりましたおっさんでございます。

眠くて眠くて、落ちるように眠りに入りましたら、

怖い夢を見てしまいましたでございます。


何か色々とありまして、

部屋中水浸しになったり、

わー、きゃー、ぎゃー、どひゃーってなって駆け込みました小さな部屋。

その部屋は真っ暗でね、大きなシャンデリアがぶら下っているのです。


シャンデリアに付いている紐を引っ張って(笑)シャンデリアを点けようとしたのですけど、

時間が掛かるのですね。

すぐに明るくはならないのです。

暫く経ちますと次第に明るくなって参りましてその部屋を眺めますとね、

小さな光の玉が沢山付いたシャンデリアがぽーっと光を放っておりまして、

そこに沢山の仏像があるんです。

気味の悪い部屋だなあ、と思いながら眺めておったのですけど、

次の瞬間、仏像が次々に声を掛けて来たのですよ。


「ひさしぶりー」、「ひさしぶりー」、「ひさしぶりー」

その声ってのがとても暖かくてね、安心できる声なんです。

残念なことにおっさんはそこで目覚めてしまったのですけどね。


この家はおっさんの夢に始めて現われた家ですね。

今まで現われた家は、たとえば白い小さな坂の途中にあって、

コの字形の大きな家がありましたね。

和室がコの字形に繋がっているんです。

で、地下にも同じようなコの字形の部屋があって、

おっさんはその地下を散らかし放題にしてしまった経緯があるのです。

それ以降、おっさんはその部屋には足を運んでいないのですけど、


他には、庭が温室のようなガラス張りになっていましてね、

そこに蒸気機関車が頭を突っ込んでいるんです。

そこから線路がずうっと延びてましてね、

たしか、大きな柱時計があったと記憶しております。


あとひとつは、小さな家ですね。

その前に石仏が5体並んでいるのですね。


おっさんは夢の中で色んな家を移り住んでいるのですね。



盲信



キリスト教の信者さんは必ず

「キリスト様が私達の罪を償って下さった」

と仰られます。

この間違いが皆様にはお分かりになられますでしょうか?

少なくとも罪は、自分自身にしか償うことはできません。

それ故に学ぶことができるのです。

神に対しては懺悔して、二度と過ちを犯さない誓いを立てて、

人に対しては謝罪して、罪を償って清算して、

自らに対しては反省して心の偏りを修正するのです。

そうして始めて次のステップに進むことができるのですし、

魂もその分豊かになれるのです。


盲信とは、恐ろしいものでございます。

キリスト様が私達に代わって罪を償って下さった。

疑問を抱くことさえなく、そのように信じていらっしゃるのですから。


宗教の中にはね、

「疑問を持ってはいけない」といった教えを行っているところもありますでしょう。

そう言っておきますと教祖が多少間違ったことを言いましても誰も疑いを抱きませんでしょうから、

さらには「疑問を持てば神罰が下る」

それで信者は教祖の言いなりになって付き従いますでしょう。

財産だってほいほいと教祖に差し出しますでしょう。

でもね、でもですよ、

どこの神様に「疑問を持ってはいけない」などと仰られます神様がいるというのでしょうか。

納得が行くまで疑問を持ちなさい。

自分自身の頭で考えなさい。

そうして正しいものを見抜く判断力を養って聡い信仰をすることです。

神は罰など与えません。

自分自身の嘘の付けない心が自らを罰するのです。

正しい神仏はそう仰られるはずですね。


あのね、

キリスト様は尊いお方です。

同様にお釈迦様も尊いお方でございます。

でもね、キリスト教や仏教は違いますよ。

それは人の手によって加工され歪められたものですから中には間違いも沢山含まれております。

仏教なんてもうお釈迦様の教えを探し出す方が大変で、

哲学のような難解なものに成り果てているのですから。

ですから、疑問を持たずにそういった宗教を学びますと、

必ず、間違えます。


自らの純粋な心でね、

先入観を持たずに新約聖書を読んでみる。

キリスト様のお言葉が何を伝えようとしたのかを考えてみる。

それはお釈迦様でも同じですよ。

病人を癒すことで何を伝えようとしたのか、

教えの本質はどこにあったのかを考えてみる。


良いですか?

業と欲に塗れた生き神様や教祖が過ちを犯さないはずがないのです。

それは神父様や御坊さんでも同じでありましょう。

そういった人間達の手を介して存在する宗教に間違いがないことなんてあるはずがないのですね。

ですから、全ての教えを素直に受け入れてしまいましてはいけないのですよ。

必ず疑問を持って納得するまで受け入れない姿勢が必要なんですね。