ブログより転載(2011年3月)

 



吉本新喜劇



もう、何十年見続けたことでしょうか。

吉本新喜劇

物心の付いていない頃からですからね、

もう40年以上になります。


当時はね、

原哲夫さんとか、

花紀京さんとか、

岡八郎さんとか、

平参平さんとか、

船場太郎さんとか、

山田スミ子さんとか、

といった方々が記憶に残っておりますけど、

彼らのギャグはね、それはもう子供心にも面白いものでございました。


ところがですね、ストーリーが面白くない。

なんかドロドロとして澱んだような話でね、

毎回毎回同じような展開なのですね。

感性的にも何もピンと来るものもなくてね、

前半で飽きてしまう、そんな感じでございました。


ところがですね、これが最近になりまして物凄く面白くなった。

面白い方が沢山いらっしゃって、

それに何よりもストーリー展開がね、

度肝を抜くと言いますかイカしているのですね。

座敷わらしが登場したり、

ヤクザがカタギの人より真面目に働いたり、

生き別れた夫婦や恋人が次から次へと再会を果たしたり、

お金が回りまわって登場人物全員の借金が帳消しになっていたり、


恐らくね、過去何十年かの吉本新規劇の中でね、

今が一番面白い。

うん。


今までのね、ずっと続いてきたものを取り払ってね、

更にもっともっと面白くなればいいなってね、

おっさんは思いますね。



大いなる誤解



原発、

恐らく殆どの方は、原発は絶対安全なのだと信じていらっしゃったと思います。

おっさんだってそうですね。

原子炉隔壁内で全ての反応は終結していて、

そこから外へ、一切のものが漏れる心配はないのだ。

空気でさえ、浄化された綺麗な空気が放出されるのだ。

って思っておりましたよ。


そこには最先端の科学技術の人類の知恵の結晶があって、

未来になくてはならない夢のエネルギーが原子力なのだってね。


ところがどすこい、でおますね。

圧力弁からは放射能に塗れた空気が浄化されることなく放出され、

水や電気は外から与えてやる仕組みが必須であり、

供給が滞ると簡単に恐ろしい事態に発展するのですね。


そこには知恵も何もなく、あり合せの技術を組み合わせただけの、

幼稚園児でも考えられるようなお粗末な仕組みなんです。

これでよく何基も何基も日本中に原発を増殖させたものだと思うのですね。


これではね、原子力発電所なんてものは建築するべきではありませんね。

もっと知恵を総動員させて、

ちょっとやばくなったらホウ酸団子が飛び出して、

またちょっとやばくなったら液体窒素で冷却させて、

どうしようもなくなったら地下深く開けた穴に封じ込めてしまうというような、

放射能は徹底的に消し去ります的な、

そこまでやんなきゃ原子力に手を出したらだめですよ。

まあ、よくは分かりませんけど、


福井県には「高速増殖炉もんじゅ」なんて恐ろしげな名前の原子力発電所がありましてね、

電力量は低めなんですけど、

多少複雑な冷却システムが装備されているのですけど、

こんなところがやられちゃいましたら、今度は関西から山陰、中部地方全てやられちゃう。

ですからおっさんは今後原発はなしにして欲しいものだと心から願うのでございます。



いや、その、



ブログを書く気がしなくて少し更新をさぼっておりましたおっさんです。

春でございます。

昨日が春分の日で、春の丁度、ど真ん中でございます。

ところがソメイヨシノは未だ蕾固く、待ち遠しいばかりでございます。


おっさんは今、カレーを煮込んでおります。

春カレーと行きたいところなんですけど、普通のカレーでございます。

原材料が安く手に入りましたもので、

大きな鍋でぐつぐつ煮ております。

春は、カレーに限りますね。

いや、嘘です。


東日本は先日の震災で未だ不自由な暮らしを強いられておられます方や

救いを求めていらっしゃる方、多々いらっしゃるようですけど、

早く救済の手が差し伸べられますことを祈っております。


日本の形が随分と変わってしまいましたようで、

物凄いエネルギーだったことが彷彿とさせられます。


被災者の方々におっさんのカレーでも届けたいものでございます。

でも、食中毒の危険もありますからね、

まあ、おっさんには免疫がありますけど、うん、それは斬られのよさぶろうですね。

って、何のことか全く分かりませんけど。


そんなことで、おっさんは元気にやっております。

また、気が向きましたら、何かしょうもないことでも書かせて戴こうかなと思う次第でございます。

はい。



やはり書いておこうと思うのです



東日本は酷い様相を呈しております。

お亡くなりになられました方やご遺族の方々、

住むところも何もかもを失ってしまわれました方々、

被害に遭って深手を負ってしまわれました方々には、

お気の毒なことでございます。

心より深くお見舞い申し上げます。


でもね、皆様、震災は毎年のようにどこかで発生しております。

また来年も同じような被害が生じるようですと、日本は本当にもうだめになってしまう。

これをどうしても食い止めなくてはなりません。


ところでね、東北、これを気学では艮(ごん、うしとら)と申します。

鬼門ですね。

この鬼門の鬼には、死者の魂といった意味がございます。

死者の念が作用するとしますと、この方位に作用します。

東京から北東にななめ45度の方向には宮城県があり、

宮城と東京の間には茨城県がございます。


さて、話は変わりますけど、自殺率と言いますことに関して、

このブログでも度々取り上げさせて戴いておりますけど、

日本は世界で第6位の自殺率を誇ります。

1998年に派遣の自由化が行われましてから自殺率は急激に跳ね上がり、

毎年4万人程度の方が自殺としてカウントされております。

勿論、これは氷山の一角でありまして、

未遂や病院で息を引き取られました方などはどのようにカウントされているのか

疑わしく思うのですけど、


これだけの方が毎年無念の中に命を閉じていくのですね。

それが十数年。

何もないほうがおかしいではありませんか。

いや、それが今回の震災に繋がったかどうかは定かではありませんよ。

でもね、このような無慈悲な国にありましては、

起こるべくして災いは起こるものではないかと感じるのです。


今、この災いの中にありましては、

誰もが慈悲深く思い遣りに満ちておりますでしょう。

でもね、これが喉もと過ぎれば、ではいけないように思いますね。

政府にありましては、しっかりと原因を把握した上での自殺対策を、

国民にありましては、被災者に対してのみではなくて自ら命を失ったものに対しても

供養の気持ちを失わないこと、

そういった姿勢がありましたら、間違いなく神仏は災いの程度を加減しても下さいますでしょう。

決して今回のようなことにはならなかったのではないかな、と思うのです。


勝手なことばかり書かせて戴いておりまして恐縮なのですけど、

ですから鎮魂歌の一つでも流して差し上げ、その無念のお心を癒して差し上げることがね、

開運に繋がると思うというようなことを、昨日書かせて戴いたのですね。



大震災



東北地方では酷いことになっておりまして、

心より深くお見舞い申し上げる次第でございます。

テレビで拝見しておりまして、

救いを求める人が沢山いらっしゃいまして心苦しくなって参りますけど、


でもね、何故こんなに酷い状況になってしまったのか、

何故、神霊はお救い下さらなかったのか、

おっさんには深く感じるところがあるのですけど、

それは言わないことにします。

勿論、解って下さる人は一を聞いて十二分に理解して下さるとは思うのですけど、

頑なな方は決して理解して下さらないでしょうから。


それでもね、少なくともどんなに地殻のプレートがたわんでおりましても、

間違いなく神霊の御守護が戴けておりましたら、

こんなに酷くはならなかったはずなのですね。


もう、何年も以前から、

どうやっても開運できません、なんて方がいらっしゃた。

今になりまして、なるほどな、と分かりましたね。

何故、どうやっても開運できなかったのか、

まあ、それも申し上げることは控えさせて戴こうと思いますけど、

ただね、今一番有効な開運の方法だけね、

書かせて戴こうかなと思います。


それはね、音楽を流すことなんです。

高尚な音楽をね。

鎮魂歌(レクイエム)とかが良いですね。

流し続けておりますとね、きっと運気も良くなって行くと思いますよ。



開運の本質 その2



さてそれでは、

開運の本質でありますところの「好ましい変化」とは、一体どのような変化なのでしょうか?

それはね、端的に申しますと、

「神霊の意識に同調する」ような変化なのですね。


愛から生じたものは愛の心に戻らなくてはいけない。

言霊だってそうですよ。

神霊の意識に同調しない言霊なんてものはないのです。

そんなものからは如何なるものを生かし得る力も生じはずがないのです。

神霊の意識に同調する言葉だからこそ、

愛のこもった言葉だからこそ、そこから光が生じ、

万物を生かすエネルギーになるのですよ。


平穏

建設

勤勉

真心

誠実

勇気


勿論それは前向きな言葉であるはずであって

心がそのような方向に向かうことこそが「好ましい変化」であり、

全てのものを良い方向へ動かす原動力になるのですね。

そしてその好ましい変化を妨害するものこそが、

邪や悪の意識なんです。


憎悪

憤怒

怠惰

破壊

波乱

偽心


感受性の優れた方でしたらね、

この二種類の語群から受ける感覚の違いがお分かり戴けると思いますけど、

そうしましたらね、

私たちがどのような心がけでおりましたら開運できるのか

自ずと明らかになって来るのではないかと思いますよ。


その心の方向性なくして開運なんてものはあり得ないのですね。

もしあったとしましても、

恐らくそれは一次的な、何らかの霊によるいたずらでしかないように思いますね。



開運の本質



開運の本質はね、心に好ましい変化を与えることではないかと思いますね。

心は勿論、自分の魂に存在する心もありますし、

身体の全ての細胞に付随する心もありますね。


心に好ましい変化を与える。

それはね、全ての存在は魂の過去や霊的世界からの深い理によってその形が現れているのですから、

逆にその形を利用して心の状態を変化をさせることも可能なんです。

御護符もそうですし、

掃除することもそうでしょう。

心の中が清められますからね。

澄み渡った空の写真を貼ってもいい、

透明な水晶を目の前に置いてもいい、

高尚な音楽を流してもいい、

神社に参拝して心の荷物を下すことも大いなる意味があるのですね。


ただ、明神様がそこにいらっしゃるかも知れないから、という安易な理由だけで、

神社が存在するものではないのですね。

開運スポット、

そこにも深い歴史的な意味とか、

その場所が霊界に於て浄化された場所であったりするのでしょう。

ですから深層心理や潜在意識に好ましい変化が現れるのですね。

或いはそこに高貴な存在があるのかも知れませんけど、

そういったことは殆どなくてね、

そういった高貴な存在をこの物質の世界や物質の中に求めておりますと、

逆に低い次元の存在に遭遇して酷い目にあっちゃうなんてこともあるのですよ。


求めるものが正しくてこそ、

自分自身の成長の努力、調和の努力が伴ってこそ、

正しくこの物質の世界で好ましい影響を受けてお心も調和され、成長できるのですね。



このところ想ふところ



生きてきた以上、力一杯生きぬかんといけませんね。

おっさんなんか遠慮する癖がありますから、ついつい遠慮しちゃいますけど、

でもね、遠慮なんかしておりましたら酷い目にあう。(笑)

遠慮なんかするものではないなと最近になって思います。

あはは

まあ、自己中ではいけませんけどね、

いえ、この世界では自己中でなくては生き抜けないところもありまして、

適度に自己中、がいいのかなと思います。

中道ですね。相手半分、自分半分。

ただ、自己中は自分自身が一番見え難いですからね、

本当に慎重にならなくてはいけません。


でね、遠慮なんてせずにどんどんやることです。

誰にも譲ってはいけませんし、

守護霊なんてものに遠慮することもないのですね。

負けて帰ってはいかんのです。


お金を稼ぐことに振り回されて自分自身の本分を忘れ信念を捻じ曲げて誰かに仕えることが良いのか

命は神様任せで何ものも恐れず本当にするべきことを見極めて人生を邁進することが良いのか

まあ、その辺りの判断は皆様の自由意志でご決断なされますことだと思いますけどね、


やっぱりね、人は強気でどんどん行かなくてはいけませんよ。

わんこそばのようにどんどんどんどん突き進んで下さいませんといけません。



いや、そのつもりで、、、



夜は寝るものと思うな

食事はできるものと思うな

水は飲めるものと思うな

まあ、ここまでは自衛隊の教えですけど、

毎日少しずつでも勉強しなさい

明日、生きているものと思うな

これは、おっさんが学ばされていることでございます。


ちゃんと生きる、これは本当に難しいことでございまして、

ここまでしないとちゃんと生きることなんて到底できないものでございます。

必ず自己中になってしまう。

欲や自己保存の心で目が眩んでしまう。

弱い心に負けてしまう。

のですね。


腹が減る、喉が渇く、

これはね、身体がそのように感じておりますだけで、心は実はなんともない。

ですから、心が安らかでありましたら、身体の苦しみなど何も感じないものでございます。

いえ、これはお釈迦様の教えなんですけど、

キリスト様も荒野で7昼夜、不眠不休で何も食さずに魔王と対峙したそうでございます。


私たち人間の本質は心であり、魂ですからね、

心が慈愛と中道の在り方の下にしっかりと身体を管理する。

必要なだけの睡眠と栄養を与えて差し上げ、不足せず、

決して行き過ぎて必要以上の殺生を行わない。

命の時間を無駄にしない。

勉強は人から教わるものは忘れ易く、忘れてしまいますとまた訊きに行かなくてはいけません。

ところが独学で学んだものは忘れ難く、テキストを開きますとまた思い出せるものでございます。


身体と魂の関係は、

アバターとそれを操作する自分自身の関係と同じですね。

まあ、アバターは多少無理をさせましても生きておりますでしょうけど。


でもね、そうやって生きておりましたら、

今生も自らの力で強く生き抜くことができますでしょう。

人生を妨害する魔物だって自ずと離れて行きますね。


まあ、難しいことですけどね、

その気持ちですよ。その気持ち。(笑)


魔物、そう、魔物です。

闇と光、この壮大な概念の地上での縮図がね、

実は海と陸なのですね。


ちょと脱線して参りますよ。


空気(光)は陸(地上)にあるのですね。

でも海(闇)の中に空気(光)はありません。

ですから、そこに人は住めませんね。

バケツ一杯の水(悦楽)は簡単に運べますけど、

そのバケツを逆さにして空気(光)を海の中に持って行こうとしますと、

もんの凄い力が要りますね。

深海の底は空気(光が)が全くありません。

そこに住む生き物(魔物)はどうも醜くて、

目が退化して(判断力が低下して)何も見えず盲目ですね。


でもね、私たち生きております人もやはり海(闇)や水(悦楽)が必要なのですね。

海(闇)や水(悦楽)がなくては生きていけないのです。

人はそこから塩を採取し(反面教師として正しく生きることを学び)、

水(悦楽)を有効活用し、

魚を獲らなくては(命の糧としなければ)生きてはいけないのですね。


ただね、やはり私たちは陸(光の中)に住むことしかできないのです。

海(闇)とはあるところで一線を引いてそこより深くは行かないようにしなくてはいけませんね。

だって、そうしませんと死んじゃい(魔物に取り込まれて地獄に落ちちゃい)ますからね。


それ故に正しく生きることが求められている。

恐らく今この地上に生きております全ての人に求められているのではないかと思うのですね。



洗脳



その昔、おっさんがさらりーまんでありました頃、こんなことを仰る方がいらっしゃいました。

「銀行がATMで手数料取るのはおかしいやん!!」

いや、おかしいも何も銀行さんのきめはったことやからそれはそれでしゃーないやん。

いややったら銀行使わなかったらええだけのことやねんから、

とおっさんは主張したのですけどね、

その方は、

「いやこれは上岡龍太郎さんの言うてはったことやからこれは正しい主張なんや」

と仰られるのですね。


最近では民主党内の小沢氏の扱いでマスコミや多くの国民が騒いでおりましたけど、

幾ら税金から政党助成金が出ているとは言いましても、

部外者が組織の人事に関してまで干渉することはできませんね。


誰かが言うてはったから、

マスコミがそうしているから、

きっとその方が正しいのだろう、


これをね、洗脳と言いますね。

自分自身の心で、深く掘り下げて考えない。

感じて考える習慣さえ持っておりましたら、

「あれ、変だな」と感じられますものが、

残念なことに簡単に感情論や他人の発言に惑わされてしまう。

その洗脳されやすい人が日夜雑誌を読み、新聞を読み、テレビを見る。

一体本当のあなたの気持ちはどこへいってしまったのでしょうか。

ってね、それほどまでに洗脳されてしまっているのですよ。

でね、その洗脳された意識状態で植えつけられたものの間違いにも気付かず、

躍起になってご自身の信じるところを主張する。

いや、他者の代弁をするのですね。


ね、

あなたの本当のお気持ち、意見、信念は一体どこへ行っちゃったの?

って思いますでしょう?


テレビの討論番組でもね、

政治家や評論家という何も分からない人種が頭でこね回しただけのくだらない発言をする。

政治や社会にとんちんかんなお笑い芸人が政治について語っている。

特にそういうのは危険だと思いますよ。


賢い人達なのかも知れませんけど、

賢いのは頭がいいっていうだけですからね。

賢くても聡くなくてはいけませんね。

賢いは頭の能力ですけど、

聡いと言いますのは心の能力なんです。

賢いの対義語はおバカでね、

聡いの対義語は愚かですね。


ですからね、自分自身の心でしっかりと感じ、考える。

その結果生じた答えでしたら恐らく誰も反論はできませんでしょう。

勿論、洗脳されていない人の中では、ですよ。


洗脳されちゃってしまっている人には、正しいことが何一つとして

わかんない、わかんない、ですよ。