ブログより転載(2011年5月)

 



追記



昨日の蛇口のトラブルはドタキャンを喰らいまして、本日、先ほど普及しました次第でございます。

もうすっかり予定も狂ってしまいまして、

もう何が何やら状態でございます。

あはは。


それから、数日前の夢の一件ですけど、

睡眠中にね、魂があちらの世界に返っております時に、

どうもなんだか「生きていない人」は皆さん像のように見えちゃうのだということが分かりました。

いや、過去にも何度もあるんです。

少なくともおっさんの夢の中ではそうなのですね。


今までの夢の中で、仏像とか、そういったものを見た記憶を紐解いて、

全てあちらの世界の人と解釈しましたら、

ああ、なるほどなって思えるところが多々あるのですね。


まあ、そんなことで、これから昼食の準備でも始めます。



水曜日なので



流しの蛇口が壊れておりまして、、、、、

えーっと、

水曜日なので水関連の、と考えたわけで書かせて戴きますわけでございますが


蛇口のね、奥んとこにあるモジュールが磨り減っているそうでございまして、

それを今日交換して戴くことになっているのですけど、


去年の秋口に一度直しているのです。

それが8ヶ月ほどでまた同じ症状がでておりますわけで、

只今、水道屋さん待ちの状態でございます。


とにかく直して戴かないことにはなにもできない。

顔も洗えないのでありまして、

流し回りの物品を朝から移動しておりまして、

もう、何が何やら状態で大変なことになっているのでございます。


しなくてはいけないことも溜まっているわけでありまして、

これを今日ビシーっと片をつけてそんでもって、、、と考えております次第でございます。


水道屋さん、早く来ないかなあ。。。。。。



リアル過ぎた夢の話



その廟(びょう)には、何か悲運の人生を遂げられたどこかの姫様が祀られておりました。

そこには人気は無く、姫様のお姿の像とその他門番やらその姫様に御仕えする者達の

沢山の像があるだけでございました。

私がその廟を訪れるのはこれが二度目で、

前回も、今回も何か言いようの無い異様なものを感じておりました。

それはね、深い悲しみと、風のような「来るなー」といううなり声なんです。


来るなー、来るなー、来るなー、、、、、、、

私はそれでも観音印を結び呪文を唱えてその像達の悲しみを癒そうとしておりました。

そしてその木の門を一歩二歩入った時でしょうか。

空気が硬く冷たい塊となって「来るなといったろうがー」という声と共に叩きつけられて来たのです。

それは険しい顔をした門番の像でございました。


ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

そう言いながら私はすぐにその門を出たのですけど、

そこに一人の老人の像が姿を現しまして、私について来なさいと言うのです。

廟の中に案内して下さるというのです。

そして再び門の中に入り奥へ奥へと進んだのですけど、

今度は門番も何も言わず、「来るなー」の風の声も聞こえませんでした。

そして沢山の像の前でその老人の像に姫様の悲しい出来事のことを教えて戴いたのです。

そうして時間を掛けて祈り像の悲しみを癒して来たのですけど、


帰る時には沢山の像に見送られまして、

また訪れとも良いかと聞きますと、来て下さいと言って下さって、

敵の少ない人、とお褒めの言葉を戴きまして、その廟を後にしたのです。


姫様の悲しい出来事のことははっきりと覚えてはいないのですけど、

こんな夢を見たのです。

今しがた、つい先ほどのことなんですけど。



現代病



多数意見は往々にして視野の狭いものでありますことが多いように思います。

誰から植え付けられたものかも分からず頑固に一つの考え方に固執する。

それが今の日本人の特性ではないかと思いますね。


親が一生懸命汗水流して稼いだお金で子供を食べさせているのだから、

子供は感謝こそすれ、親に歯向かうことなど許されない。


感謝はね、当然そうであるべきだと思います。

でも子供の人権は一体、、、

それに将来子孫を残して下さるのは、、、


そうなんです。そこには互いに感謝し尊重するという姿勢が無くてね、

やたらと傲慢なのです。


民主党には政権担当能力が無い、

そうかも知れません。

でも、自民党にはそれがあるのでしょうか?

民主党に無ければ自民党にもない。

それは負の実績が示しているではありませんか。

そんなものどこの政党だって生身の人の集まりである限りはね、

政権担当能力なんぞないのです。

だからこそ協調し合い、尊重し合い、知恵を出し合い日本を良くして行かなくてはいけないのです。


けれど今の頑固で偏狭な意見のぶつけ合いを続ける限りはね、

誰も幸せにはなれんですよ。

憎しみが業を生むばかりです。

業はのろいを生み、災いを招きますでしょう。


互いに祝福し合うことで地上を天にすることができるのに、

互いに自己中心な自己主張を続け、憎しみ合うばかりでは、

地上はどんどん地獄へ向かって行くのです。

自己中心故に視野も狭く、

憎しみ合うが故にみんなが物心両面で貧しくなって行くのです。

ただ、祝福し合えば皆が裕福になれるというのにですよ。


祝福の力で人がどんどん良くなっていく、

おっさんはそれを何度も目の当たりにしております。

憎しみが人を苦しみの中へ落としていくのもね、

おっさんは見て来ているのです。

光の出し方、受け取り方、

光を遮るもの、

だからおっさんはずっと訴えて来たのですよ。


表面だけ恵比須顔で立派な主張をしているけれど、

実際のところ心の中はどうなのでしょうか。

隠しても駄目だすよ。

おてんとうさまはもうぜーんぶお見通しなんですから。



歯のお手入れ



小さい頃から栄養不足で頭が小さく虚弱体質、身体も小さく、

頭が小さいから当然歯並びも悪い、当然虫歯が増えて、歯医者さんに行くのです。

で、歯医者さんも歯をガリガリ削って穴を開けてセメントを詰め込みます。

でもそのセメントもガムにくっついたり、少しずつ磨耗したりで取れてしまう。

すぐに歯医者に行けば良いのですけど、

穴の開いた状態のまま放っておくものですからさらに虫歯になりやすくなる。

当時はデンタルリンスなんてものも無く、歯間ブラシも無い。


でもね、今の時代お手入れさえちゃんとしておりましたら、

あんまり虫歯は増えないのですね。


食事をしましたら、

水かお湯でお口を充分にくちゅくちゅして食べかすを取り除き、

爪楊枝と歯間ブラシでも奇麗にする。

歯間ブラシは針金のようなやつですね。

んでもってデンタルリンスでお口をすすいで歯を磨く。


デンタルリンスはライオンのデンターシステマEXがいいですね。

アルコールが入っていないので「おえっ」てならないのです。

香りも良くてね、

それ以外のものは臭いがきつかったりして、経験上おさんはこのデンターシステマEXしか駄目ですね。

だから歯磨き粉だってデンターシステマなんです。


でね、そうしておりましたら新たに虫歯は全然できないのですね。

まあ、古傷が疼くことはありますけど、

疼いて、膿んでしまうこともありましたけど、

でもね、なんかこうやって日々メンテナンスしておりましたら、

いい感じなんです。


昔からこういうのがあれば良かったのですけどね。



聡く生きる



誰にでも、あると思うのですね。

何をやっても上手く行かない時。

その原因は人それぞれ、

抱える課題によって、また学ぶべきことによって、

違うのですね。


おっさんは時折にご神託を戴きます。

ほら、おっさんのサイトにある「ご神託を戴く」ってやつです。

或いは卦も出してみるのですけど、

至誠の念で神霊に「教えてください」って御信託を戴くのですけど、

568 吉

998 神仏

620 如意

まあ、こんな感じの結果が出ますね。

心が曇っておりますと余りいいのはでないのですけど、

普通はいつでも似たような結果になります。


思うように生きなさいってことなんでしょうね。

神仏がついているじゃないかって。

悪くはならないよって。

そんな意味なんでしょうね。


誰だってね、魂のままに思うように力一杯に生きておりましたら良いのですね。

願いがあるならその方向で頑張っておりましたら良いのです。

ただね、それで人を犠牲にしてもいけないし、誰かを悲しませることもいけないのですね。

執着、依存、強要、嫉妬、怒り、憎しみ、

そういった感情が人に向いてしまいましても、それは上手く行かないですね。

誰かを憎めばそれは憎まれた人ではなく憎んだ人に反作用が生じるのですから、

動機から目的から何から何まで自分のため、

全て自身に収束するような生き方も決して発展はしないのですね。


社会の中にあって、自然と思うように感じるように客観的な視点で生きる。

そうしますと自らの役割を認識していなくてもね、

神仏は必ず護り導いて社会の役、神様のお役に立たせて下さる。

そうではないかと思うのです。


執着癖、依存癖、強要癖、嫉妬癖、怒り癖、という過ちとね

憎しみ合うという過ち。

それがこの世界を支配しております最も多い過ちでございましょう。

全て自己中心、自己保存、自我我欲の心から生じて参ります。


憎しみを持たないということは難しいですね。

ただね、人の不幸を願うようになってはいけませんね。

どのような悪人でも、心が捻じ曲がった魔物でもね、愚か者でも、

愛するものがあって、家族がいて、友達がいるのです。

それは誰だって同じなんです。

ただ、正義の味方の正義の部分が多少の判断の稚拙さからぶつかりあってしまう。

その判断の稚拙さはね、

自分の物差しで測ることで判断を誤っちゃうのですね。

そうして自分自身の視点で誰かを責め立ててしまいますと、

その反作用は必ず自分自身に返ってくるのですね。


増してやそれが魂の愛する人であったなら、

たとえそれを忘れていたとしましてもね、

命に惑わされてその魂の声が聞こえていなかったとしましても、

その魂の愛する人、大切な人への仕打ちは

必ず自分自身の真心で自分を裁くことになるのでしょうね。


だから怖いのですね。

感情のままに、感情に振り回されて生きることがどんな弊害を生むのか、

反作用を生じさせるのか、

自己中心、自我我欲、自己保存から生じる執着、依存、強要、嫉妬、怒り、憎しみが

どんな業を生じさせてしまうのか、

私たちは深く考えて生きなくてはいけないように思いますね。


愛別離苦、

怨憎会苦、

求不得苦、


それらがどのような意識から生じるものか、

愛するものと別れる苦しみは、

憎む人と会わなくてはいけない苦しみは、

求めるものが得られない苦しみは、

それらもやはり自己中心や自己保存、自我我欲から生じるものでありましょう。

心に地獄を生じさせて自ら苦しみを招いているのですね。


それでは上手く行く術もありませんし、

業を積み重ねてしまうだけでありましょう。


なんかごちゃごちゃになって何が書きたいのか分からなくなってきましたけど、(笑)

聡く生きる、ということ

深い深い理を知り、高い視点で生きるといいますことがね、

必ず神仏の意識と共鳴して自分自身を幸せな境遇に導いて下さるものであるということをね、

おっさんはここで主張させて戴きたいと思うのでございますよ。



富士山は噴火するのかしないのか



震災の直後にそのようなことが言われておりました。

新燃岳が噴火して、震災が起こった。

過去の震災でも幾つも事例はあるようですね。

マグマの活動が活発化して、噴火が起こる。

同じように、震災も生じるのですね。


震災と噴火

私は降雨量も関係していそうに思うのですけど、

勿論、これは人々の想念も大いに関係しているのでありまして、

高橋先生などははっきりとこのように仰っておられるのです。

心の正しい人がいるところには災いは起こらないってね。


地上は、それでも天国と地獄のどちらに近いかと言いますと、

間違いなく地獄に近いのです。

それは住む人の想念如何で天国にも地獄にもなり得るのですけど、

どんなに人が奇麗事を言い、善なる心から生じた善なる行為を一時行っておりましてもね、

一朝一夕には地上は天国に近付いていかないのですね。

地上が地獄であり続ける限り、

腐り捻じ曲がり不貞腐れる人の心はどんなにか多いことかと思います。


地上が地獄であるならば、富士山が大噴火を起こしますでしょう。

天に近付こうとする力が強ければ、富士山は不動のまま鎮座ましますでしょう。

それは勿論、政治如何にもかかっているのかも知れません。


ただ、私たちは心して様子を見守るしかないのかも知れませんね。

それはあるかもしれないし、ないかもしれない。

ただ、人の軽はずみな言動に惑わされて、「ない」とは決め付けてしまわないことでしょうね。



黒棒



昔の話で恐縮です。

その昔、おさんが小学校高学年の児童でありました頃、

そうなんです。

おっさんがめちゃおばかだった頃のお話です。

家庭が不調和でありました所為で自我も目覚めず、

相変わらず成績もほぼ最下位で、

おバカな毎日を何も感じず、何も考えずに送っておりました頃のお話でございます。


小学校の校門の前に駄菓子屋さんがありましてね、

そこにこの黒棒という菓子が置いてあったのです。

いや、その黒棒は景品なんです。

くじを引いて戴けるのですけど、

くじの結果次第でね、

もんの凄く小さかったりするのです。


毎回、幅一センチ程のその菓子を、あっという間に平らげて、

、、、、、、

ところがですね、

ある時、大当たりした時があったのです。

手のひら一杯にずっしとくる重さの黒棒、

ま、お友達に半分もってかれましたけど、

それでも美味しい美味しいと、

むしゃむしゃ頬張りましたおっさんでございます。


その美味しさは子供心に記憶に残っておりましてね、

昨日、隣町に出掛けました折に買って参りました。

南海堂のげたんは

ん?

げたんは?

なんじゃなんじゃ

てな名称なんですけど、

でもね、黒砂糖の甘いその菓子は小学生の頃の記憶のあの菓子と全く同じ味なのですね。

案外どこにでもあるもののようで、

過去にも何度も目撃していたのですけど、


甘いもの嫌いなおっさんが好きなのですから、

きっと余程美味しいのだと思われますでしょう?

うん、うん、

美味しいのです。


ま、そんな菓子のお話でございました。



自由主義おさん



連休でございます。

ゴールデンウィークでありまして、

しかもこどもの日やら、立夏やら、いろいろありまして、

もうお仕事もする気力なんかありゃしない、

ああ、こりゃこりゃ、

的な飛び石連休の中日なのでございます。


ところでね、時はさかのぼりますけど、

おさんが小学校4年生の頃でしたか、

「飛び出せ青春」なんてテレビドラマが確かお昼の四時ごろだったでしょうか、

放送されておりまして、

学校から帰りますとテレビにかじりつく、

そんな日々を送っておりました。


主題化が青い三角定規、なんてグループが歌っておりまして

村野武典さんが英語教師兼、サッカー部のコーチなのですね。

で、彼は自由な校風の学校にいる自由な感覚の先生なのですけど、

その学校には規律を重んじる教頭とか、

同じく規律を重んじる女教師、

これは酒井和歌子さんが演じておりましたけど、

そういった人との人間関係的絡み合い、といいますか摩擦と言いますか、

がありましてね、

まあ、見ているだけでも面白かったのです。


この教師と女教師は互いに相思相愛でありましてね、

ところがなかなか通じ合わない。

女教師は彼を、「もっとまともになって欲しい」と考えていて、

彼はその女教師を、「このトウヘンボクが」と思っているのです。

面白いですねえ。

うんうん。

現代にも充分通じるものを感じるのですね。


まあ、そんなテレビドラマによりましておっさんの自由主義精神にも磨きが掛けられたわけでおますけど、

椎名誠さんの小説とか、

男はつらいよの寅さんとか、

そういったものを何か予定されておりましたかのように順調に吸収して、

おさんはこの自由な生き方、考え方に猪突猛進して参りましたわけなのでございますな。


あ、そういいましたら、おさんの夏休みのスケジュール帳の一日の計画は、

その殆どが「自由」で埋められておりましたね。

あはは。

おバカですねえ。

全く。