ブログより転載(2011年6月)

 



渋谷ぶいぶい物語



おっさんは横浜で3年ばかり暮らしておりましたことがございます。

その頃はサラリーマンを致しておりまして、

勤め先の都合でちょっと渋谷に行ってちょーだい、と、

まあ、そういったわけで横浜の大倉山というところから毎日東急東横線で30分程かけまして、

渋谷の職場に出社する日々が続いておりました。


ところがね、渋谷はええ街でございますなあ。

宮益坂という坂を下りまして、JRの渋谷駅を越えまして

スクランブル交差点を渡りますとそこはもう歓楽街でござりますがな。

道玄坂という坂を登ってまいりますと、唸るほどついつい入りたくなるようなお店が並んでおります。

ネオンキラキラ、若いねーちゃんが着飾って、、、、、、

いや、もうおっさんなどはついついふらふらーと入ってしまうのですな。


で、楽しいひと時をねーちゃん達と過ごしまして、

さてそろそろ帰ろうかということにはもう日も変わっておりまして、

最終電車に間に合うか間に合わないか、

間に合えば乗るし間に合わなければカプセルホテルという具合ですな。

ところがこんな時間ではもうカプセルホテルもいっぱいで、

渋谷駅前の広場で一夜を明かすことになるわけです。


んです。

あのハチ公のいらっしゃる、待ち合わせに最適な広場ですな。

ポリボックスがおまして、

ところがポリさんもそんなところで寝てたら風邪を引くであるよ、

と宿泊場所の一部屋でも貸し与えてくだされば良いようなものなんですけど、

ぽりさんはぽりさんで、もう頻繁に出動がかかるわけですから、

お行儀よく公園で一夜を明かそうなんて人には構ったりはしないのですな。


あ、ハチ公だけじゃないです。

モヤイ像もいらっしゃるのです。

で、そんなところで寝てるもんだから目覚めてみればかばんの中身がカラッポになっていたり、


あははは


で、次に最終電車に間に合った場合ですな。

まあ、武蔵小杉までは乗せてって下さるのです。

ところがね、そこから先はないのでおますな。

武蔵小杉から元住吉、日吉、綱島、大倉山、と

その四区間は勝手にせえってことなんでしょう。


で、仕方なく駅を出ましてとぼとぼと歩いておりますと、お声がかかるのですな。

たくしいが山ほど止まっておりましてね、乗せてあげるわよと仰って下さる。

でもね、乗り合いなんです。

ぎゅうぎゅうづめで一台に6人くらい乗り込むのですな。

だからといって運賃をまけて下さるかといえばそうではない。

運賃は一人の場合と変わらないだけじゃなくて、

運悪く白タクなんかにつかまちゃた折には、普通より数千円高い金額を要求されるのですな。


24歳から27歳までそんな感じで過ごしておりましたけど、

おっさんはそのようにちゃらんぽらんな人間であったのだぞ、

というお話でございますな。

あはは



エキスパート



誰でもですね、

何かしらの特定の分野での誰にも負けないエキスパートになれる能力が与えられている、

とおっさんは思っております。

何度もいうようですけど、それは間違いなく神様から与えられて生まれてきているんです。

それがどこか、、、、、、


まねをしようとする人がおりますね、

でもね、マネはマネでしかない。

マネてる人を追い越すことはできませんね。


それから、その分野を必死に探し出そうとしている人、

これもそう簡単に見つかるものではないように思いますね。

いや、絶対に見つかりませんでしょう。


でもね、好きなことにのめりこんでおりましたら、

世界にひとつだけのあなただけの分野、お仕事、生き方、

そういうのが見つかってくる。


逆に好きなことそっちのけで日々の煩わしいことに振り回されているようでしたら、

ご自身のいるべきところは見つからないのではないかなって思いますね。


よく訊かれるんですよ。

わたしは何をすればいいのでしょうかって。

でもそれは、ですからおっさんにもわかりませんよ。

まずご自身の足で歩き出さないことには、どうしようもないと思いますよ。

うん。



今をどのように生きるか



今をどのように生きるか、

それは私たち一人一人に与えられた命題ではないかと思います。

難しい難しい命題であり、一人一人が学びの課程で都度答えを見出していかなくてはいけないものであると

感じます。


いくつかの問題が時折に生じて、都度悩み込み、

それでも心の強い人は勇猛果敢に人生に立ち向かって参りますでしょう。

そして心の弱い人は疲れ果てるのかも知れません。

ただ、神理といいますものを知っておりますと、それは私たちの強みになって下さる。

そう思います。


乗り越えなくてはいけない壁、

それでも心を澄まして全身全霊で取り組んでおりましたら、

自ずと答えは向こうからやって来て下さいます。

そしてね、そのために心といいますものが大きな役割を果たしておりますことも、

神理に触れたことのある人でしたら分かって下さいますでしょう。


日常生活でトラブルが生じる。

その時に、たとえばネットを離れてしまわれます方がいらっしゃいます。

ただ、ネット上の人間関係でありましても大切なものでございます。


幸せが、心の中から生じるものか、

それとも社会から与えられるものか、

それはね、勿論心の中から生じてくるものなんです。

その点に於きまして、人と人との繋がりは、決して疎かにできないものでありますように思います。


人間関係が億劫だと仰られます方もいらっしゃいますでしょう。

人と人との関係では必ずトラブルが生じる。

でもね、でもですよ、

自分自身に接するように人とも接する訓練ができておりましたら、

どこにトラブルが生じる隙間があるのでしょうか。

いえ、これは理想ですけどね、

難しいことですけど。


そしてまた、暮らしを演出する、といいますことも大切なことでありますように思います。

心を持って一つ一つ丁寧に生きる。

楽しみを見出しながら日々を悔いなく生きる。

それができるのは、他ならない自分自身なんです。

舞台だってそうでしょ?

ただ、演者がそこにいるだけでは、つまらない舞台でしかない。

演者はね、自分自身なのです。

そして観客もね、自分自身なんです。


それから、災害といいますような事象がございます。

三ヶ月前の大災害では沢山の方がお亡くなりになられました。

また、病気といいますこともありますでしょう。

人の死は唐突にやって参ります。

望むと望まざるに関わらず、私たちは死と隣り合わせに生きております。

それはね、

私たちは覚悟しなくてはいけないということなんです。

だからこそ一日一日を力一杯、言葉通り命がけで生きていなくてはいけないということなんです。


そして、死が早い人もおりましたら、遅い人もおります。

ただ、神が私たちを生かそうとするなら、

私たちはまだ生きておりますでしょう。

でも、そうでなければ、

私たちは元の魂の世界へ戻らなくてはいけません。

どんなに恐ろしくても、別れが辛くても、どんなに抗おうと、

それは動物たちと同じように人も身を委ねなくてはなりません。

そうするより他はないのですから。

そしてそれは、私たち自身が計画してそのように寿命を決めてきた。

ただ、私たちにできますことは、

天に帰るその時には、心清らかにいられますように、、、、、、、

天に戻りました折には、沢山の魂の友人たちに迎えられますでしょう。

それは私が夢に見た光景の通りなんです。

生かされているということは、そういうことなんですよ。


そしてね、

天に帰るその日まで、一日一日を有意義に生きること、

人には愛を以って、自分自身に接するのと同じように接する訓練にね、

前向きに喜んで挑んで行かれますことではないかと思います。


賢者の贈り物ってお話がありましたけど、

恋愛か否かは別として、愛するもの同士が心を込めて贈り物をする。

本当にその人のことを思ってする贈り物でね、

自分が相手にどのように想われているかが分かるのですね。


この世界は物質世界ですけれども、

生き物の本質は魂ですからね、

愛する気持ちが伝わり合うといいますことは、どんなに高価なものを贈り合うことよりも価値があるのですね。


そのようにこの世界を再認識してみて下さいましたら、

きっと私たち人類の向かうべき未来がはっきりと照らし出されますでしょう。

そして、過ち多き政治が過去未来何千年続こうが、

神霊は間違いなく適切なタイミングで時代を先へ進めて下さいます。

その時にね、

このような決して変わることのない神理といいますものに則した生き方をしておりますと、

どんなに楽に今生を渡って行けますことか知れませんね。


過去のまとめみたいな内容になってしまいましたけど、、、



先日の件のデータベース



いやもう、あっちを立てればこっちが立たずで、

こまております。


おっさんのPCはCPUが遅くメモリーも少ないです。

ですからビジュアルスタジオの2008を使っております。

ところがね、このビジュアルスタジオ2008はSQLでーたべーすの2005までしか対応していないのです。

でもね、おっさんのマシンにはSQLでーたべーすの2008が入っている。

この矛盾をなんとかしやないかんのです。


ビジュアルスタジオを2010に上げるにしてももっと早いパソが入りますし、

うるちめいと版という評価版はなんとか動くのですけど、期間限定ですからね、

んじゃあ、ということでSQLでーたべーすを2005に落とすのも何だかで、


いや、ビジュアルスタジオの2010うるちめいとで、作ることは作ったのです。

買い物籠システムみたいなもの、

まあ、従来のフォームとたいして違いはありませんけど、

ちょっと色々と細かなところが凝っているんです。


ややこし話で恐縮なのです。

でもね、もうどうしようもない。

まいけるそふとさんももう少し融通が利くように考えてくれたらよろしおますのに、

と思うのですけど、どうしようもない。


こまったこまったこまどりしまい

のような状況なのでござりまする。



障害者という差別基準



つい今しがた、毎日放送の「だいすき」というテレビドラマを拝見しておりまして、

残念だなあ、と感じておりました。


障害とは、一体何なのでしょうか。

人間が勝手に「脳機能や身体機能にある程度の問題を持つこと」を障害と定めてしまった。

でもね、でもですよ。

性格にある程度の問題を持つ、

外見にある程度の問題を持つ、

運動神経にある程度の問題を持つ、

恋愛対象にある程度の問題を持つ、

労働意欲にある程度の問題を持つ、

人間関係にある程度の問題を持つ、

責任意識にある程度の問題を持つ、

家族や血族にある程度の問題を持つ、

履歴にある程度の問題を持つ、

更には、ご先祖様にある程度の問題を持つ、

こういったケースは、たとえそれで社会生活が営むことが適わなくても、

決して障害者とは呼ばれないのです。


でもね、いずれも社会生活が自力で満足に営めないというだけでね、

何もそれは脳機能や身体機能に限った話ではないのです。

ところが現代医学に洗脳されてしまっている方々には、それが分からない。

だからこのような番組も作られてしまうのですね。


おっさんは思うのです。

心が健全であれば、それは障害者ではないのではないかなってね。

だって、人間の本質は心なんですから。

逆に心が健全でない人はみんな障害者なのではないかなって、


誰でもがひとつやふたつ障害を持っている。

もちろんそれは医学では障害者とは認定されないかも知れませんけど、

でもね、

ちょっと脳機能が変だからといって障害者と呼ばれ差別される所以などないのですよ。

おっさんだって、現代人から見ましたらちょっと、いやかなりの変人でありますし、

性格的にも問題多く、

身体の中にはちゃんと動いていない臓器もある。

外見的にも、ハゲ、デブ、チビ、ブサイクの四重苦、いや49歳なのですし、

これは自分自身障害者と認定されるべきであると感じるのですけど、


ですからね、障害者なんてものは何の意味もない、

人の考え出したくだらない、差別する基準に過ぎない代物だと感じるのですけど、

どうなんでしょう。



お休みを戴いております



実はサイトのレンタルサーバ事業者が行方不明でありましてね、

ドメインがなくなっちゃっているのですね。

更新のお金を振り込んだのですけど、

連絡が取れなくて、もうどうしようもないのです。


それでね、ちょっとサイトの方向性を考えなくてはいけなくて、

お休みを戴いております次第でございます。


安価なレンタルサーバは色々あれど、CGIが動かせるところは少ないですから、

そこがなくなってしまいますともうCGIが動かない。

フォームからメールを送ったりできなくなるのですね。

かといいまして迷惑メールに加担しておりますようなサービスを利用するのも嫌ですし、


ですからね、ちょと自宅サーバを構築して買い物かごシステムでも作ろっかなあ、

なんて考えております次第でございます。

一応、20日までお休みを戴いてはいるのですけど、

それまでには、無理無理ですよ。

ですから、まあゆっくり方向性を考えて行きたいと考えております。

ですから、来月頃から、サイトで所々見えなくなったり、上手く動かなくなったりすることも

あるかも知れませんけど、

まあ、お許し戴きたいと考えております次第でございます。

はい。



価値観の強制



その昔、木村家の人々という映画がありまして、

そこの家族は小銭を稼ぐことを生き甲斐として日々悪戦苦闘しているのですけど、

小学生の長男がその在り方に疑問を持つのですね。

そして木村家を出て行くことになるのですけど、


価値観の異なるもの同士が価値観を強制し合いましたら、

人間関係は上手く行きませんね。

増してや家長を務めるものが家族に対して価値観を強制すれば、

家族の価値観を認め尊重する姿勢がなければ、

価値観の異なる者はもう、居場所がなくなる。


あなたはこうでなきゃいけない、

ああでなきゃいけない、

それを言い出すようになれば、もうその家族の歯車は噛み合わなくなります。


生まれて参りますでしょ。

守護霊は厳しい存在です。

で、周りの人も、親兄弟も価値観を強制する厳しい人たちでありましたら、

その子は心を閉ざしてしまいませんか?


勿論、社会全体が強制する社会であることも確かなのです。

政治は弱者から僅かな収入をむしり取り、

社会は自営できない者が会社組織に入ることを強制する。

会社組織ではノルマや価値観を押し付けられ、

その結果生活のひずみが家庭の中にまで入り込んでしまう。

ですからそういった仕方のない部分もあるのですね。


でもね、

尊重し合い、理解し合い、許し合い、助け合うその姿勢がなければ、

友人関係、夫婦関係、親子関係、人間関係全て上手く行かなくなりますね。

魂の友人だってあなたを離れて行ってしまうかも知れません。


周りから小銭太郎と呼ばれた木村家のご主人もね、

最後には強制を離れてさらに小銭稼ぎに邁進して行くことになるわけでありますけど、

小銭を稼ぐことが好きならそれでいいのですね。

そこが問題なのではないのですね。

それを強制、強要することが問題なんです。


それからね、会社組織が価値観を強制することは、

これは仕方がないのかも知れませんね。

経営者が、上役が、価値観を強制する、

そうしませんとその組織は上手く目標に向かって歯車を回すことはできませんから、

そりゃあ強制しますでしょう。

ただそこにも、愛とか慈悲と言いますような許し合う姿勢がありましたら、

その職場はどんなに素晴らしい発展を遂げて行くのではないかと、

おっさんは思いますね。



特技と興味



感じますに、得意分野と興味のある分野は誰にでもあるものでございます。

生まれたときからぐいぐいとそっちの方向に導かれて、

誰でもが、誰に教えられなくともほぼ成人の頃にはその二つの分野を確立させるのですね。


おそらく生まれる以前から決めてきたこと、

それが得意分野であり、興味のある分野なんですね。


得意分野はね、余り努力しなくても上手くこなせるような、なんか分かるんだよなあと言いますような、

興味のある分野は、好きで自ら頑張って知識を吸収して、

その二つの分野は全く正反対のことでありますことが多いように感じます。


スポーツが得意な人は、音楽、

スピリチュアル的なことが得意な人は、たとえばパソコン、

一方が柔らかければ一方は硬いもの、

一方が体力勝負でありましたらもう一方は精神的なもの、


そしてね、得意分野は神様より授かったものですから皆にも分け与えて差し上げますことが、

それから興味のあります分野は、割り切ってお金儲けに専念することが、

バランスをとる上で良いのではないかな、と感じるのですね。

五行とか陰陽の観点からもそうではないかなって思うのです。


んだんだ



じゅーんぶらいど



さて、結婚のシーズンでございます。

息子などはさっさと結婚して早く家を出て行ってくれぃ、なんて思われ、

さりとて親孝行は忘れないでね、なんて思われ、

可愛い娘、もとい、気性の荒いヤンキー娘は、

それでも親を見捨てて行っちゃうのね、なんて涙ながらに後ろ髪を引っ張られて、


三つ指ついて「おとうさまおかあさま長い間おせわになりました」と、

いやいや、そんなことは言わないのでございますな。

といいますか、

いやいやそんな礼儀作法とか風習が似合うような奥ゆかしく上品な家柄であらせられるのか、

お考えあそばしてみて下さいましたらすぐにわかりそうおなもんなのですけどね、

あはは、

似合わないったらありゃしないのでございますな。


毎夜の如くに夫婦喧嘩は繰り返され、

親は子を上から目線で怒鳴りつけ、

子はいい加減に家が嫌になり、スケ番姉ちゃんとかレディースでブイブイ言わし、

挙句の果てにできちゃった婚をするわけでございます。

あはははは、

面白いものでございますな。


それがね、

もしその親が三つ指ついて娘が礼儀正しく挨拶してくれるようなことを期待しているのでしたらね、

それはどこかで道を踏み誤っちゃったのでしょうね。

それは一体どこなのか、、、、、、


尊重ということがおますな。

家族が互いに尊重し合っていたのかどうか、

たとえばおかあちゃんにもいろいろおります。

おとうちゃんをばかにして息子をばかり褒めるようなおかあちゃん

おとうちゃんが稼いで来てくれているのだからとおとうちゃんを一番立てるようなおかあちゃん

共に中道ではないのですな。

子には将来が掛かっていて家の宝なのですし、

父も母も家を運営する二大柱なのですから、

皆が平等に尊重されなくてはいけませんね。

幾ら赤ん坊でも魂はそのことを知っているわけでございます。


ですからね、たとえば見下されれば不貞腐れるし、

息子は髪型とズボンを変な形に変えて歯をヤニで茶色くして、

娘は長いスカートをはいて竹刀やチェーンを振り回しレディースの頭を務める一因にもなるのですね。


娘は不貞腐れ、とうちゃんは会社で万年平社員を勤め上げる。

親子間にも信頼関係がなく、

それでも結婚式ぐらいはと何を思うか家族みんながお上品に式に参列するのですな。

まあ、好きにやってもろうたらええのですけど、

こういったのを見ておりましたら、おっさんなどは大変面白うございます。

と感じてしまうのでございますな。