ブログより転載(2011年8月)

 



革命の時



その昔、ブリテンが大ブリテン王国に変わりました頃、

欲に目がくらんだ彼らはアメリカの東海岸を植民地として支配しておりました。

そして植民地支配から逃れようとしたアメリカ人が独立運動を始めますね。

独立宣言がなされ、独立戦争へと駒が進みます。

そしてアメリカ人が独立を勝ち取るわけですね。


ブリテンの支配者たちは、今度は清国に悪さを始めます。

独立戦争で貧しくなったために、清国にアヘンを売って儲けるのですね。

そうしてアヘン戦争になるのですけど、


問題児はどこでも悪さをして迷惑を及ぼしますね。

清国は清国で辛亥革命が起こり中国へと変わっていくのですけど、

革命は必ず起きるのですね。

必ずその時が来るのです。


北朝鮮もそのような時期に差し掛かって来ているのでしょうね。

ただ、体制に執着することで、革命の時期が引き延ばされる。

でもね、命を恐れず勇気を持って革命することで素晴らしい世界へと変貌を遂げることができるのです。


日本もいつまでも古い政治に執着しておりましてはいけませんね。

そしてまた中国もGDPに拘り続ける余り、

地球全体に及ぶ環境破壊を推し進めていくのでしょう。


北朝鮮も、日本の政治も、中国も、

そして一昔前の清国も、

同じなんですね。

必ず革命の時が参ります。

執着することで時期は遅れても、必ず革命は起きるのですね。


そしてまた、私たちの人生にもね、

全く同じような革命の時期が幾度も訪れますでしょう。

勿論それは神霊が定め計画したものであって、

成長へのステップアップに他ならないのですね。


そしてね、

おっさんも今、そんな時期を迎えておりますように思いますね。



明日を探す旅人



人はね、誰も明日進むべき道なんて分からないものでございます。


どうしてって、それは高い高い次元で定められて絶妙に導かれるものだから、

人の浅はかな考えでは分かりようがないのですね。

神霊に端を発する指導霊、守護霊の大いなる計画は、

神霊にとって、という側面もありますでしょうし、

地上の調和にとって、という側面もありますでしょう。

私たち自身の学びや魂の成長と言う側面や、

与え与えられ、生かし生かされという人間関係的な側面やら、

諸々の他との兼ね合いの上に決定され導かれるるものだから、

進むべき道を知るなんてことは到底不可能なんです。


それでもね、正々堂々、正道を歩む。

日々歩みを続けることで守護霊は必ず目的の地点まで導いて下さいます。


ところで、人生12念周期説を唱えておりますおっさんですけど、

48歳の頃から大きく変化し始めた、なんてことを以前書かせて戴きました。

それが遂に形となって姿を現したのが先月のことでね、

今日も共にその道を歩むメンバーとキックオフ集会なんぞを行っておりました。

まあ、どうなるものかは分からないのですけど、

与えられた道は進むしかない。


神理カウンセラー協会

まあ、興味のおありになります方は一度覗いてみて下さいましたらと思うのです。

こんなこと始めました。ってことで。

あはは



おさんの持ち物



持ち物を見れば大体その人のことが何となく想像できるものでございます。


ネタ帳と

御祓い箱と

沢山の短くなった墨と

大量の漢方薬の素と

大量の高価なサブリミナルテープと

パソコン関係をはじめとする沢山の書籍と

沢山の中古のパソコンと周辺機器

余り他のご家庭にはないと思われる家電品類と

お香の類と

缶詰やインスタント系の沢山の食物と、、、、、、


それだけでもおっさんの人となりが見抜かれてしまうかなと思うのですけど、

あはは

明日は御祓い箱の中身を神社に持っていく予定でございます。

で、帰りに回転寿司でも食べてこようかな、

なんてね、考えております。



身に備わりしもの



高橋信次先生はこのように教えて下さいました。


人が生きるために本当に必要なものであるのなら、

それは生まれた時に身に備わっているはずです。と


意思を伝える必要があるから口があって、耳があって、

栄養を摂る必要があるから胃腸があるのですね。


神様は、私たちが生まれてきても困らないように、

地上に必要なものを全て準備して下さった。


ところでね、祝詞と言いますものがございます。

この祝詞の効果は間違いないとおさんは確信しているのでありますけど、

ただね、これも生きるために本当に必要なものではないのです。

もしそうであるのなら、たとえば生まれた時から手のひらに祝詞が書かれているはずですし、

高橋先生はそういった呪文のようなものは一切唱えたりしていないと、

仰っておられるのです。


ですからここ暫くは私も祝詞などに頼らず口にせず、

正道を歩むことを心掛けているのですけど、


祝詞とか、そういった呪文等も明神様より下の世界でのことなんですね。

そして、それが祝詞でなくても、

光ある言葉には菩薩様や如来様が感応して下さる。

それも間違いのない事実なんです。


ただ、私は祝詞から入りましたけどね、

通過点として、それはそれで良いのではないかなと思うのですね。



前世の記憶を持つ子供



前世の記憶を持って生まれて来られます方は多いそうで

稀には、天での出来事さえ覚えているお子さんさえいらっしゃる。


あ、ここで言いますところの前世とは一つ前に地上で生きておりました時のことで、

天で暮らしておりました時のことは(ここでは)省かせて戴こうかと思うのです。

ちなみに二つ前、それ以上前の転生の時のことは過去世と言います。


それでね、前世の記憶を持って生まれてくる方々、

でも残念なことに、地上での不調和な生活環境の故に自我が目覚めました頃にはもう思い出せない。

かすかに記憶の断片が残っておりますだけで、


これはね、思いますに、

前世で望まない死に遭遇してしまわれました方々がね、

魂の兄弟たちと話し合って、例外的にもう一回続けて生まれて参りました場合に

そういった現象が生じるのではないかと思うのですね。


でね、東日本大震災の犠牲者の方々の中にもね、

きっと沢山の方が魂の兄弟の順番をさておいて、

例外的にもう一回続けて転生してこられるのではないかな、と思うのです。

10年後、20年後、30年後、

きっと今生の暮らしや震災の記憶をはっきりと留めた方々が、

世界各地に散らばって生まれて来るのです。

まあ、もう一度日本に生まれて来られます方が一番多いのでしょうけど、

必ず出てくると思いますよ。



瞑想、高橋信次先生の言葉



瞳を閉じて想いを巡らせることを瞑想と言います。

決して、何も考えない無の境地を得ようとする行為ではないのですね。

高橋信次先生などは、そういった無の境地を得ようとする行為は、

逆に魔に付け入る隙を与えるとして強く否定されておられました。


高い意識は、無の境地から生じるのではなくて、

安らぎのある調和した心から生じるのですね。


安らぎのある調和した心だからこそ、

アカシックレコードに記録されたことが浮き上がってくる、

実際に、素晴らしい閃きが生じますし、それを裏付けて下さる方々は、

私の周りに何人かいらっしゃいます。


自らの人生を振り返り、

想念の過ちや魂の偏り、生活習慣の不調和等をことごとく愛と感謝の想念で訂正し、

神に懺悔して、

二度と同じ過ちを繰り返さない覚悟をするのです。

それはお釈迦様も高橋先生もそうだったのではないかと思います。

そしてそこから如来としての悟りに向かって突き進んでいくことができるのですね。


神に懺悔するところから道は拓けます。

そしてまた、清算、つまり人に対しての謝罪と償いも必要ですと、

先生は仰っておられました。

ですからね、まず反省の瞑想で想念を愛と感謝に基くものに訂正して、

神に懺悔してアカシックレコードを金色に塗り替えることなんですね。

そして、清算もね、

まあ、死後にまわすこともできるかも知れませんけど、

私達の魂の成長のためにはできるだけ早い方が良いのでしょうね。







たとえばね、

生まれてきて初めてタバコを吸います。

それが習慣になって、歩きタバコまでするようになって、

人に迷惑を掛けて、無駄遣いして、

止めたい止めたいと思っても中々止められない。

たとえ止めることができたとしましても、タバコの味を完全に記憶から拭い去るまで、

何十年も掛かる。

それが業ですやん。

魂の癖ですやん。


また、たとえばね、隣家の騒音が気になり始める。

生活騒音のレベルを超えるような大した音でもないのに気になるのですね。

気にしなければなんてことはないのですけど、

気にしてしまうから、「こんにゃろ」と思い始める。

次第に気になって気になって仕方なくなってきて、

眠れなくなるわ、神経過敏になるわ、集中できなくなるわで、

隣ん家に文句を言うようになるのですね。

それでも隣家にとりましたら悪くもないのに「いちゃもん」をつけられて、

とんだ災難なのですから聞き入れられるはずもなく、

引っ越すたびに周りに迷惑を掛けるようになってしまうのですね。


業の特徴ですやん。


ですから、業、つまり魂に癖をつけてしまってはいけないのですね。

客観的な視点でよーっく考えて生きなくてはいけないのですね。


人類の業は深いでっせ。

みんなで力を合わせて意識して直していかなくては、業は拭いきれまへんでえ。



短絡思考



たとえばね、批判・中傷・悪口はいけないこと。

人類は昔からそのように決め付けて参りました。

でも、本当にそうでしょうか?


貧乏ゆすりは悪い癖!

放任とはほったらかしにすること!

家族の中では父親が一番偉い!


本当にそのように短絡的に決め付けて良いのでしょうか???


たとえば批判中傷、悪口を言う人はどのような心の状態なのか、

嫌い!

自分の気持ちを分かってほしい!

自分の方が優れているんだい!

間違いに気付いてほしい、良くなって欲しい!

色々あると思うんです。

そんでもって一番最後のはけっして間違った心ではないのですね。

それに、悪口を言うことではなくて、人を悪く思うことが悪いのです。


お父ちゃんが稼いできてくれてるから一番偉い。

でもね、家族みんなそれぞれの社会との関わりの中でそれぞれに苦労もし、努力もして頑張っている。

子供だってそうなんです。


そうやって当たり前と考えられていることが人類を狂わせてしまっているんです。


本当にそうなのだろうかという疑問、

さらに深く考えてみる熟考、

そんな習慣を持つように心がけておりましたらね、

当たり前のことが当たり前ではなくなって、

その薄皮の下から本当の当たり前の姿が顔を現すんです。

目からうろこが落ちるって言いますけどね、

本当にそうなんです。


人類は今までその薄皮に目をくらまされて参りましたけど、

そのもうちょっと深いところに人類の幸せな未来はあるのだと思いますよ。



(月遅れ)お盆



お盆と言いますのは、お釈迦様の地方・時代のウランバーナという言葉が

中国大陸を通って日本に伝わります際にそのように変化したものでございます。

もう何度も書いておりますが、お釈迦様のお弟子様の目連(もっけんれん)さんの母親が

餓鬼地獄に落ちて飢えと乾きに苦しんでおります様子を見て、

お釈迦様が目連様に、母親のために布施をすることを勧めたことが始まりとされております。

布施とは貧しいものに施しをするものであり、

その心のこもった行為こそが供養としての意味を持つのですね。


ただむやみに心のこもらない供養を形だけ行いましても何の意味もないのです。

それよりも心のこもった感謝の方が、

また、私たちが楽しく幸せに心正しく暮らしておりますことの方が、

ご先祖様は間違いなく喜んで下さいます。

子孫の幸せよりも供養を望むご先祖様はいらっしゃいませんし、

供養を求めるとしましたら、それは間違いなく成仏していない魂でありましょう。

そしてまた、そういった魂ほど、心のない供養では成仏を望む術もないものでございます。


ただ、その上でね、

そういったことを理解した上で、お心をこめて盛大に供養をして差し上げる。

無駄なことかも知れませんけど、

ご先祖様も無駄なことはよしこさんですよと仰られますかも知れませんけど、

そのお優しいお心は必ず汲んで下さり、何倍にもして返しても下さいますでしょう。


先日、大阪では淀川で盛大な花火大会が行われました。

この花火も死者を供養する意味のありますものでございます。

ご先祖様方もこの夜空の花火を必ず見て下さっておりましてね、

その供養の祭りに感謝して下さっているのです。


今年はまだ半ばですけど、色んなことがございました。

かってないほどの沢山の命が失われました。

失われました命は、勿論天に帰りますでしょうけど、

こういった災いは人々の業や想念が深く関係しているのですね。

もう幾度となく書かせて戴いておりますけどね。


今は、いい時代になりました。

沢山の菩薩様方の教えがテレビで聴けたり、書籍で学ぶことができる。

私たちは少しでも多くのそういった先輩方の教えを聴き、学び、

聡くなって地上を良くして行かなくてはいけないように思いますね。

私も今生は菩薩様方だけではなく如来様の教えを学ぶ機会まで戴きまして、

なんと幸甚なことかと感じているんです。


光を分けた魂の兄弟が6人、

それぞれが

転生の準備に80年、魂の春ですね

地上に生まれて80年、魂の夏ですね

反省の期間が80年、魂の秋です

休眠の期間が80年、魂の冬ですね

この320年を順番に繰り返しまして、一周するのに凡そ2千年。

その二千年に一度が末法の世で在りながらも、こんなに素晴らしい時代でありますことの不思議さ、

転生の神秘さ神妙さに心打たれる想いが致しますけど、

実はこれも兄弟たちと相談し合って自ら決めたことなのですね。


まあ、お盆にはこのような話も如何かしらと思って感じるままに書かせて戴きました次第でございます。

うふふ



人を赦さない国民性



たとえばですね、

被災地で幼稚園のバスが海沿いの道を走ったために津波にのみこまれた。

なんて被害者遺族が幼稚園を訴えて裁判になっておりますけど、

同じ被災者でありながら何故仲良くできないのかと思うのですね。

自分たちのことしか見えていない。


また、力を尽くして治して下さろうとしたお医者様のちょっとしたミスを責め立てる。

自らの罪には寛容でありながら、人の罪は決して赦さない。

国民性なのか、人類の業なのか、


その昔、アグダラのマリアがキリスト様の前に連れて来られました時に、

人々はキリスト様に、マリアを打って下さい。と詰め寄りました。

その時キリスト様はこのように仰られたのですね。

「罪のないものが打てばいい」とね。


罪を犯したものを打つことが正しいことなのか、

罪を犯したものを赦すことが正しことなのか、

神はどちらの人の罪をお赦しになられるだろうか。

そして人類はことごとく前者を選択して参りましたように思います。

一見正しいように見えて誤った選択を人類は常に行ってきたのです。

そうやって人類は業を高く高く積み上げてきてしまったのですね。


今、この間違った条件反射を修正しなくては人類に未来なんぞあり得ない。

これから、

力による支配を選択するのか、対話による和解と協調を選択するのか、

奪うことを選択するのか、与えることを選択するのか、

強要と強制を選択するのか、自由と尊重を選択するのか、

さあ、どうする?


選択を一つ誤ればその反作用は必ず人類の未来に暗い影を落とすのです。

ですから私たちは清く聡いまなこでしっかりと選択していかなくてはいけない。

そう思いますね。



明け方の夢



明け方の夢には、何かしらの意味が隠されておりますことが多いそうでございます。


おっさんの夢はね、目の前に積み上げられた大きな長方形の箱なんですね。

3箱積み上げられておりまして、

その箱の中身はと申しますと、「寿司」なんですね。

これがね。


1メートルほどの巻寿司が2本、

綺麗に折りたたまれて入っているのですね。

それが二箱。

もう一箱はね、

鯖寿司とか海老・穴子・玉子焼きのバッテラ等が何段にも積み上げられまして、

詰め込まれていたのですね。

これはね、もう見るからに綺麗で、豪華で、美味しそうで、食べ切れなさそうで、、、、、、


ところがね、そこに友人が現れまして、

その三箱の寿司を食べ散らかして行ったのです。

その友人が帰った後はあちらこちらに鯖寿司が転がっているような次第でありまして、


ったくもう、

なんてこった、パンナコッタ、

ウーイェイ!!

でございましょ?

あはは


その友人は高校を卒業してから一度も会ってはいないのですね。

風の噂で苦労しているようなことを聞いたりもしました。

時期が時期ですし、ひょっとこしてもう死んじゃってて、

おっさんの夢枕に、会いに来て下さったのかなと思うんです。

んでもってもう一度寿司が食いたいって言ってるのかなと思うのです。

今まで一度も夢に現れたことはなかったですからね、

彼は今年50歳のはずですし、茶目っ気のある友人でしたから、

なんだかそんな気がしてしまうのですね。


あははは



強制的分け分け主義



ある方などはこんなことを仰います。


このところの不景気で主人の収入も減り、食べるものにも困るような有り様です。

義母の家に同居して暮らしていますけど、

義母は年金を沢山もらっているのに少しも出してくれずに貯め込んでいます。

なんとか義母にお金を出させる方法はないものでしょうか。


皆様はどのようにお考えになられますでしょうか?


ばあ様が御主人と長年に亘って汗水流して働き続け、今ようやく受け取っている年金、

これは紛れもないばあ様の収入ですね。

血と汗と涙の結晶ですね。

そのお金は遊びに使ってもいいし、旅行してもいい。

このばあ様が自由に使えるお金なんです。

それを遊ぶこともせずにコツコツ貯めているんです。


それをね、ばあ様の家に住まわせてもらって家賃も払わず、タダで子供の面倒までみて貰っている。

その上さらに、どの口が「金を出せ」なんて言えるのでしょうか。

毎月ね、「おかあさま、これは少ないですけど今月分のお家賃です。」

という儀式でもあるのでしたら、

おかあさま、今月は食費、生活費分としてこれだけ負担して戴けないでしょうか、

くらいのことは言えますでしょう。

そこはきちんとするべきだと思いますよ。


持っているものが金をだせばいいじゃないか、ってね

これはもっている側の理論ですね。

たとえば夕食などに義母だけ特別に何か一品付くとか、

マッサージのサービスがありーの、母の日や誕生日に色々と心のこもったプレゼントありーの、

と色々優遇されているのでしたら、

義母様もそういった慈悲心をお持ちになられますかも知れません。

でもね、持ってない側が「持ているのなら出して下さい。」

これは強制的分け分け主義でありましてね、

どんなに金に汚いのかとおっさんなどは感じるのであります。


それでも出してほしいのなら、頭を下げて誠実に借りればいいのです。

勿論、利子的なものは考えるべきでしょうし、

約束の期日は守らなくてはいけないように思いますけどね。



阿含経



時期外れの話題で恐縮でございます。

毎年ね、節分の頃になりますと、京都で盛大に御護摩が焚かれます。

金剛界の御護摩と胎蔵界の御護摩ですね。

ご存知の方はご存知かと思いますけど、

おっさんも二回ほど参拝させて戴きましたけど、


桐山靖雄さんというおじいちゃんが仏教の一宗派として阿含宗を立ち上げられましたのは、

おっさんがたしか中学生の頃ではなかったかと記憶しておりますけど、

その桐山のおじいちゃんが密教法力でもって御護摩を炊き上げるのですね。

ですからそこには様々な仏や明神がそのお姿を炎の中に顕現なされるそうなのですけど、


沢山の山伏姿の行者さんたちがその護摩壇に水を掛けたり、護摩木を放り込んだり、

山伏問答が行われたり、弓入れ式?なんてものが行われたり、

いやもう一見の価値ありのすんごいものでございます。


阿含経、

じつはこの中に、毒矢の喩えという教えがありましてね、

勿論、お釈迦様がお弟子様にお教えになられましたものなんですけど、


ある人が毒矢に討たれるのです。

その毒矢はすぐに抜き取らなくてはいけない。

そうしませんと、その人は命を落としてしまうのですから。

でも、その人は、その矢は誰がどこから放ったもので、

どのような毒が塗られていて、

と、その矢に関する全てのことを教えてくれというのですね。

毒矢を抜くのはその後だって言うのです。


これは理性的に本質を見抜かず、知性的に知識ばかり求めたがることの愚かさを教えたものなんですけど、

これをね、桐山のおじいさんは「何も言わずにだまって苦しみを抜いてやるのだ」

と解釈したのですね。

そしてその志をもって阿含宗を立ち上げたのです。


おっさんは素晴らしいおじいちゃんだなって思うのですね。


ちなみに金剛界の護摩壇は知性、愛の御護摩ですね。

これをもって人々の幸せを願うのですね。

胎蔵界の護摩壇は理性、慈悲の御護摩ですね。

マイナスの念や障りをもたらす霊等を浄化させるのですね。



気学暦解説



葉月でございます。

暑い暑い日が、更に凄みを増して参ります。

いえ、一番暑いのは、実は7月後半にあります大暑の日なのですけど、

これは地球が最も太陽に接近する日でございます。

でも、地球が温められて、地表温度が一番高くなるのは8月なのですね。

そのために大自然は地球を冷やすために雨を降らせますね。

台風ですね。

暑さが厳しければ厳しいだけ、この台風は勢力を強めて参ります。


夏至を境として地球は、今度は太陽から遠ざかって参ります。

気学ではここに大いなる意味を見出したのですね。

大自然が全て今までとは逆向きに動き始める、と考えたのです。

そして、夏至と大暑の間の、干支の始まりである甲子の日を陰遁始めとして、

日毎に一白水星、二黒土星、、、と順周りに増えてまいりました九星のカウントをね、

この陰遁始めを境に九紫火星、八白土星、、、と逆周りにカウントするように考えたのですね。


冬至と大寒の間の甲子は養豚、いや、陽遁始めですね。

その昔、ブタの鼻息で玉を飛ばす「ブタみんとん」なんておもちゃがありましたけど、

それはね、まったく関係ないのでございます。




それから、今年は8月8日が立秋ですけど、

立春、立夏、立秋、立冬の前の十数日は土用ですね。

夏は土用の丑の日にはうなぎを食べる慣わしがありますけど、

今日も土用の丑の日でございました。

丑の日は一回の年もありますし二回ある年もありますね。


この年に四回ある土用の日には土を動かしてはいけないということになっておりまして、

畑仕事や土木工事は余りよろしくないようでございます。

土の気が盛んだからという何やら深い理があるようですけど、

おっさんはその詳しいところを知りません。

それから、なんか、この土用の期間にはお子様を授かりやすくなるという言い伝えもあるようでございますね。

ああ、それでうなぎなのかと妙なところで符合が合ったりするように感じますけどね。

あはは