ブログより転載(2011年9月)

 



望まない訪問者



先程またおっさんの家に宗教の勧誘にお越しになられましたおきつねさんがおられまして、

もう、本当に困ったものです。

間違った教えを押し売りに来るのですから。


でね、またちょっと書いておこうかと思うのですけど、

おっさんが知っている宗教団体の中で、

正しい教えが在って教団が調和している。

こういう宗教団体はおっさん、世界中でたった一つしか知りません。

これをAクラスとしましょう。


それから、正しい教えが在って教団が不調和な宗教団体

これをBクラスとしようではありませんか。

ところがね、このBクラスに当てはまる宗教団体でさえ一つもないのですね。


次に、いい加減なことを教えているか何も教えていない。

教団内部も不調和で、ただ犯罪に積極的には関わらない。

これはCクラスですね。

古神道系の宗教団体が多いですね。

おっさんの家の近くにもありますよ、手かざしとか聖水を飲むみたいなことをしていますけど、

動物霊の標的なんですね。


同じくいい加減なことを教えているか何も教えていなくて、

教団内部も不調和で、犯罪的要素の強い宗教団体ですね。

これをDクラスとしましょう。

お題目を唱えるとか、日蓮様が世を救うのだとか、

そういった江戸時代さながらの信仰様式を持つ宗教団体が多いです。

動物霊や地獄霊の温床になっているようですね。


んでもって、積極的に犯罪を行っている宗教団体。

これはEクラスですね。

オウムとか、一昔前の白装束集団とか、

魔物の姿を垣間見ましたね。


こういった団体にはね、絶対に関わらないこと、

関わっておりましたら一刻も早く脱退を宣言してそこから逃げることではないかと思いますよ。

そうしませんと、恐らく人生を棒に振るか、

人からは相手にされず、獣や魔物の類と仲良くやって行かなくてはいけないような、

そんな人生になってしまうのですから。



ジグソーパズルのピースは嵌って行くのだ



以前から、おっさんが閃いた様々なことを色んなところで書かせて戴いております。

たとえばね、

モーゼは「義」について教えたのはないだろうか、とかね

右手を「愛」、左手を「慈悲」とするなら、

右足は「信仰」であり、左足は「義」になると思う、

信仰と義で人は立つことができるのだ、とか

書かせて戴いておりました。


あ、ここで言いますところの信仰とは盲目的に宗教を信じることではありませんよ。

真に正しいものを信じるということなんです。

そしてその中には、真実の神仏といった存在も含まれますでしょうけど、

決して人が作った宗教団体やその教祖を信じることではないのです。


でね、高橋信次先生はその書籍の中でね、

如来様のことを上段階光の大指導霊と呼んでいらっしゃいましてね、

菩薩様が上段階光の指導霊、明神様を光の天使、と呼んでおられまして、

如来様でありますところの上段階光の大指導霊はね

モーゼ様、お釈迦様、キリスト様、そしてもうお一方モーゼ様より以前に

アモン様と仰られます上段階光の大指導霊様がアフリカで教えを説いていらっしゃった。

なんてことをさらっと書いて下さっておりまして、


余りにさらっと過ぎて私も気付かなかったのですけど、

アモン様はつまり阿弥陀様なのですね。

そしてそのアモン様はきっと「信仰」について説かれていらっしゃったのではあるまいか、

と思うのです。

そうに違いないのです。


そうであってこそ、

アモン様の「信仰」(右足)

モーゼ様の「義」(左足)

お釈迦様の「慈悲」(左手)

キリスト様の「愛」(右手)

そして高橋信次先生の全てを統括した「正法神理」(頭部)

が全て揃うのですしね、

高橋信次先生の娘様の佳子先生を始めとして

様々な方が広め始めております「神理を生活の中に生かす」試みは

実は「胴体に相当するものではないかなと思うのです。



映画についての考察



いや、先ほどまで釣りバカ日誌を拝見しておりまして、

ところがね、どうもおっさんはこの映画が余り好きじゃない。

男はつらいよ、とかね、

何だか雑多なものが詰め込まれ過ぎていてそれ程に見たいとは思わないのですね。


で、何でか考えてみた。

それで少しずつ分かって来たのですけど、


世の中にはね、世間話の好きな人とそうではない人がおりますね。

おっさんは後者なのですけど、

意味のない話を続けるのがどうにも苦痛で仕方がないのですね。

少しでも、そこに何らかの意味があるのでしたら、

おっさんはその意味するところへ向けて、積極的にどんどん話を展開することができるのです。

話題は幾らだって提供できるのですけど、

ところがね、その意味を見失ってしまいますと、無口になるのですね。


さて、たとえばカレーを作るとします。

おっさんは先ほどカレーうどんを戴いたのですけど、

肉野菜炒めを入れたスタミナカレーうどんですけど、

いやそんなことはどうでもよくってね、


カレーを作るにはおじゃがとかたまねぎ、おにくぅ、カレーのルーがいりますやん。

それにご飯も炊かなくてはいけない。

スーパーに買い物に行って、

でも、その前に銀行によってお金を引き出さなくてはいけないかも知れない。


ですからね、たとえばカレー物語には、

カレーが食べたくなる。

銀行に行ってお金を下ろす。

スーパーに行ってカレーの材料を買って来る。

ご飯を炊いて、カレーを煮込む。


これだけの話が含まれておりましたら良いのですね。

テレビの一時間もののドラマでは丁度良い尺になりますでしょう。


でもね、映画は二三時間あるのですね。

ですから、もっと色んな場面が間に挟まれますね。

喫茶店でお友達と噂話をする。

アリエールが安かっただの、隣の奥さんが浮気しただの、

そういった場面が挟まれ、

カレーを作っている最中に化粧品のセールスが来たり、

更には昨夜亭主が酔っ払って午前様で帰って来たり、

そんな場面も含まれるのですね。


決してカレー物語には必要ないのですけど、観客を楽しませるために色々挟んでくるのですね。

ですからこの映画の伝えたいことや何のための映画なのかというところがぼやけてくるのですし、

おさんの頭の造りでは、そんな場面いらんやろと感じるわけなんですね。


いや、勿論人によりましてはその方が楽しいと感じられます方もいらっしゃいますでしょう。

どちらかと言いましたら、そっちの方が多いのですね。

おさん頭はマイノリティーなんです。

でもね、やはりひとそれぞれ必要とする役割があって、

そのために神様が与えて下さった脳の造りなんですから、

仕方ないといいましたら仕方ないのですけど、

いや、おっさんはそうなのだ、ということだけなんです。



感謝するに越すことはあるよ



何が何でも感謝、感謝!

って、どこでそんなこと埋め込まれちゃったのか、

それではね、必ずどこかで爆発するんですね。


心が満足してこそ感謝できるのですし、感謝するべきなんです。

そうして、心が満足できる幅を広げて行くことが大切なんです。

でもね、心が不満でしたら感謝するべきではありませんね。

自らの思いを主張して、説得して、心が満足できる環境に変えて行かなくてはいけませんね。

そうしませんと、心がどこかで捻じ曲がっちゃう。


満足して感謝、そして報恩の行為、なんです。

あのね、それでも中道と言いますものもあるのですよ。

全ての想念・行為におきましてこの中道が大切になってくるのです。

何が何でも感謝、感謝、

それでは中道を外れておりますし、

中道の正しい在り方を求めて行かなくてはいけませんね。


そうしてね、一つ一つの学びを重ねて行くことで

一段高いステップに立つことができるようになるのですし、

判断力も磨かれて行くのですね。



宇宙人関与説



人類は宇宙人が猿の遺伝子を改良して作ったのだ

そんな主張をされます方がいらっしゃるようですけど、

これは違いますね。

明らかに違います。


あのね、全ての存在は高い次元に源を発するものなんです。

宇宙人が遺伝子操作したくらいでは身体の変化は見られましても魂は猿のままなんです。

でも、人類の魂と、猿の魂は全然異なりますよ。

人類の魂の方が大きく、猿の魂は野生です。

それはね、人類が永い永い時をかけて魂を磨き鍛えてきたからなんです。


その期間は、少なくとも数万年のレベルではありませんよ。

地球が生まれてから今に至るまでの期間よりはるかに永く、

人類は人類全体として魂を磨き養ってきたのです。

だからこそ、まだ生まれて間もなく野生に近い動物の魂とは歴然とした差があるのです。


今の地上にいる人間はすっかり忘れてしまっておりますけどね、

胸を張って良いのだと思いますよ。

そして恥ずかしくない生き方をすることではないかと思いますよ。

少しでも動物たちよりも聡くなって全ての生き物の見本となるべく、

真摯に誠実に神の子としての人類の課題に向き合うべきですよ。

そうして神霊の御手配に感謝することですよ。


全ての宇宙の人類たち、宇宙人類は同じ根っこを持つ同朋なのですね。

そして人類は空から地球に降り立ったのです。

古事記にも高天の原から降臨した伝説がありますけど、

それは語り部が語り継ぎ伝えられてきた事実の欠片なんですね。



忠臣蔵



「錦屋善右衛門は男でござる。」

忠臣蔵の名台詞でございます。

作家によりましてその名前は異なれど、

何某何べえは「おとこ」でござる。

この場面は見せ所の一幕なのですね。


袖振り合うも他生の縁と言いますけど、

見ず知らずの赤穂浪士のために大枚をはたいて軍備を用意して置いて下さったのです。

それが錦屋善右衛門という人なのですね。

そうして具合の良いところまで届けて下さろうと言うのです。

何という男気に溢れた商人ではありませんか。


そして、忠臣蔵にはこのような沢山の「男」が登場するのですね。

それを見ますと、おっさんは泣けて来るのです。

そしてここにもまた一人の男がおりました。

垣見五郎兵衛

http://www.youtube.com/watch?v=V1VnFEcoeN4&feature=related


ね?!泣けてくるでしょ?

あはは



日本過激派



ネットを彷徨っておりますと、

最近は「国益の追求」を掲げる過激派思想があちらこちらで見受けられるようになりました。

彼らの考え方はこうです。


・日本の政策は国益を堅固し他国にそれを奪われるようであってはならない。

・アジア人、特に韓国や朝鮮系の、或いはそれと窺がえる人物は排除しなくてはならない。

・そういった人物に対しては人権を無視しても構わないし、差別しても構わない。

・民主党は朝鮮系の政治政党であって、彼らは国益を譲り渡してしまうから、決して支持してはならない。


ったく、恐ろしい思想が現れたものでございます。

イスラム過激派とさして違わない可哀想な人たちですね。


勿論、日本政府は国益を護るべきではあると思いますが、

もう少し広い視野に立ちましたら、民族は異なれど全く同じ人間でありますことに気付くはずですね。

決して差別や人権を侵害して良い物ではありませんし、

双国に利益となりますように仲良くやって行かなくてはなりません。

その姿勢こそが神の子としてのあるべき姿だと思いますし、

人としての価値ではないかな思うのですね。


民主党がどうとかは分かりません。

でも自民党の方が国益を他国に渡してしまう政策を推し進めてきた実績がありますよね。


特に若い方々のあり余る力が生じさせた思想だとは思いますけど、

もう少し建設的な調和の方向を考えて戴きたいものだと切に願うのでございます。



宇宙との共鳴



宇宙と共鳴する。

神霊の意識と共鳴する。

まあ、色んな書き方をしてきちゃっておりますけれども、

おんなじことなんです。


共鳴するためにはね、魂の想いと行動や想念が同期していなくてはいけませんね。

魂の想いと想念・行動が同期した時、神霊の意識との共鳴現象が生じて、

道が拓かれるのです。

おっさん、最近それがわかってきた。


魂の想いとは異なるのに、

信念にそぐわないのに方向を間違っちゃう。

お金のためにいやいや働く。

それでは道も拓けないし、魂も成長できないですね。


たとえば指導的立場にある人が間違ったことを教えちゃう。

魂は違う違うって言っているのにお金儲けのために間違ったことを教えて人の人生を妨害する。

宗教団体の教祖とかね。

そんな人は、だからこそ自らの善なる心が自らを厳しく裁きますでしょうし、

それが無間地獄なんだなと思うのです。

神霊の意識と共鳴することはありませんし、調和と言う作用も生じない。

従って信者を救うことさえできなくなりますね。

信者が争いにまみれ、不協和音を奏で始めますね。

その結果、狐や狸、蛇の動物霊や魔物などがその宗教団体に入り込んで、

教祖も信者もどんどん狐や狸に似てまいります。

性格が蛇のように執念深くなったりしますね。

「平成たぬき合戦ぽんぽこ」にも見られますように、

狸や狐が「われこそは何とか大明神である」とか言って、

その宗教団体に居座っているのですね。

そうして人間たちが狐や狸、蛇に良いようにもてあそばれる。


信者だって魂の声に耳を傾けず金の亡者である教祖の言うことばかり信じているのだから、

そりゃあ信者にだって責任はあるのですね。


でもね、そうじゃないんです。

魂の声、想いに耳を傾けて、想念・行為もそれに合わせて行く。

勇気を持って人生を修正していく作業がね、

神霊の意識との共鳴現象を生じさせて、

真のご自身の人生への道を拓くことになるんです。


皆様、道を違えませんよう。

落とし穴に落ちてしまわれませんよう。

聡く、そして正々堂々と魂の想いで、信念で突き進んで下さいませ。



心についてのまとめ



心について、もう一度まとめて置こうと思うのです。


私たち命ある者は地球という惑星の上に暮らしております。

そしてすぐ後ろの四次元世界、つまり地球の表面意識に相当する部分、エネルギー界に、

幽体と言う身体を持ち霊糸線というもので肉体と繋がっております。

この幽体の中に一時的に魂が入っていて、

その魂の中に心があるのですね。

命の終焉を迎えますとこの霊糸線が切れ、

執着を離れましたら幽体を捨てて、魂が霊界に帰ることになるのですね。


さらに詳しく申しましたら、この三次元世界も地球の表面意識の上に合って、

私たちの身体が三次元しか認識しないために

この世界を三次元だと思い込んでしまっているだけなんですね。


そして、心と言いますものは更に高い次元に存在する空間なんです。

そして、その心が苦しみを抱えるといいますことはどういうことか、

つまり、心の中に地獄が生じているということに他ならないのですね。


そうして、心の中に地獄が生じましたら、

神霊の光が届かない。

幽体はどうなるかと申しましたら、

四次元的な高度をどんどん下げてしまうということなんですね。

まあ、三次元で見ますと同じところにおりますけど、

四次元的にはどんどん落下するのです。


四次元世界はエネルギー界ですからね、

炎のようにもやもやっと想念が現象化する世界ですよ。

そして低いところには地獄だって現象化されていますからね、

そんなところまで落ちてしまいましたらいけません。

魔物だって幽体の中に入り込みますでしょうし、心の中にだって入り込んで参ります。

誰が悪いとか、責任転嫁できる余地はないのですよ。

全て自分の想念次第でそうなってしまうのです。


ところで堕落と言う言葉がありますね。

悦楽の度合いが過ぎましたら堕落ということになるのでしょう。

私などは、「人生を楽しく生きて下さい。」なんてことを申します。

それはね堕落した生き方を勧めているのではないのですよ。

だって、悦楽を求めて堕落してしまいますと、心の中は決して楽しくはないんですね。

逆に苦しくなって参ります。

何故って、それは四次元的な高さが下がるから。

スモッグの法則で神霊の光を受け取れなくなるから、ですね。


私は思うのですね。

人と言いますものはゆるんだネジだなあってね。

生きてまいりますと勝手にネジがどんどんゆるんで参ります。

ですから、時折に反省と言う方法でチェックして締め直さなくてはいけないのですね。

自分本位になってないか、

欲に振り回されてはいないか、

依存心が生じていないか、

執着が生じていないか、

ってね。


それから、魂のことですけど、

たとえば樹に魂があるというなら、

株分けされた樹は同じ魂なのか、それともまた別の魂なのか、

というようなことをお悩みになられます方がいらっしゃる。


光を分けた6人の魂の兄弟とはどういうことなのか、

とかね、


江原さんなどはグループソウルとか仰っておられましたけど、

九次元体であります神霊の細胞の一部が私たちの魂でございます。

九次元球にはね、八次元球が無限に含まれているのです。

そうしてその私たちの魂であります八次元球は、さらに幾つもの八次元球に分割できるのですね。


人の魂は6分割、

植物は沢山、

あはは、

そういうことなんです。

まあ、植物の場合は八次元で分かれているのか七次元で分かれているのか、

そこらへんの詳しいところは分かりませんけど。



幸せになりたいと思うなら



小宮山とかいう厚生労働省の新しい女大臣がタバコを毎年百円ずつ値上げするという

なんだか、700円まで値上げしますわよ!なんて言っちゃった。

いや、税収のためではなくて皆さんの健康のためです、って

どこまでお馬鹿なのかって思うのですね。

健康のためならたとえばフィルターの使用を義務付ければ良いのですよ。

被災者や失業者が明日の暮らしに思い悩んでおりますような時勢に

このような弱者虐めのようなことを考え公に発言する。

鬼畜だし、KYだし、


それは違うぞ、と感じることは沢山ありますね。

他にもたとえば、

世の姑たちの多くは嫁に辛く当たる。

息子を盗られた嫉妬心からなのでしょうか。

或いは昨今の若い妻よりも自分の方が知恵があるという上から目線からなのでしょうか。

嫉妬心は見苦しく、何十年も前の知恵はその大半が現代には通用しませんでしょう。

時勢ってものがありますからね。


おっさんはそんな色んなことを腹立たしく思うのです。

幸せになりたいのなら協調することを考えることですよ。

どうすれば仲良くやって行けるのかを考えることです。

愛の姿は幸せを生み

憎しみは不幸を招きます。

それは間違いなく言えることなのです。


舅や姑と嫁は仲良くすることを考えるべきですし、

決して互いに強要し合ってはいけませんね。

二世帯同居を強要することも間違ったことです。

求められてもいないのに育児に口を挟むなんてこともいけませんし、

息子家族はご自身方とは独立した家族であることを認め尊重して差し上げませんといけません。


そしてまた、成人した人は誰でもね、

できるだけ早く独立することですよ。

鳥は必ず早い時期に巣立つのです。

どのような生き物でもね、

早い時期に親元を離れますよ。


そうであってこそ

自ら生き抜く知恵を得て強く生き抜くことができるようになるのですから。

そして充分に生き抜く知恵と力を備えて、

親孝行なんてものはその後で良いと思いますよ。

それよりもね、

伴侶を設けて子孫を残すことの方がはるかに大事なことなんです。

何故なら未来に転生してくる魂に命を繋げなくてはいけませんからね。

そうしませんと人類の命の営みが絶えてしまうのですから。



名月や〜



仲秋の名月といいますものがありますな。

陰暦の八月十五日、新暦で今年は九月十二日ですな。

翌日は十六夜(いざよい)、さらにその翌日以降一日ごとに

立待(たちま)ち月、居待(いま)ち月、臥待(ふしま)ち月、更待(ふけま)ち月、と続くそうでございまして、

陰暦の九月十三日、新暦で今年は十月九日、これは十三夜で後の月とか栗名月というそうです。


火に飛び込んだウサギと帝釈天の話が有名ですけど、

なんか、ウサギが自ら火に飛び込んで食べてもらおうとしたのですな。

それで帝釈天が月にウサギを飾って見本にしたそうな。

むか〜しむかしのことじゃった〜 (声:常田 富士男)

ってね。


あはは



そこに見るもの



札幌で虐めを苦にして中学生が飛び降り自殺をした。

その飛び降りた場所の近くの壁には、

「ここから落ちて死ね」と書かれていたそうでございます。


恐ろしいことですよ。

稲川淳二さんの怪談話よりも恐ろしい。

人間の所業ではないのですね。

やはり、これもまた魔物に心を乗っ取られた者の所業なんです。


魔物の言動に動揺してはいけませんよ。

魔物の思う壺にはまってしまってはいけません。

それで人生を台無しにするなんてとんでもないことです。


正直者が損をする、なんて申します。

でもね、必ず正直者が得をするようになるんです。

真面目に頑張っている者と、

自らの想念故に魔物に心を乗っ取られてしまった者。

心の次元の高さだけ見ましても月とすっぽんじゃないですか。

正直者の方が心の高さはずっと高いところにあるんです。

心の貧しい者は何十年、何百年と低く荒々しい世界で苦しみの中を行くことになりますでしょう。

それだけでも正直に生きる価値があるというものではありませんか。


今の時代、天の意に沿う者も増えていると思いますけど、

逆に魔物も増えているんです。

ですから確りとした心の確立も求められるのですね。

そうして魔物など恐れず毅然とした態度で対応することなんです。

決して心許してはいけませんし、

どんなに自身にとって有利な情報を与えて下さる存在でありましても、

見えないものの言葉を理証なくして信じ込むなんてことは絶対にいけませんよ。

魔術とか、呪術とか、愚痴の言い合いとか、不調和な想念・行為全てにおいて、

魔物は私たちの心が闇の方向を向いた隙を狙っているんです。


そうして魔に付け込まれた者は必ず善意の者を攻撃して参ります。

それも心ある者には想像もできないほどの怒りの毒を放って来る。

憎しみの刃を向けて来るのです。

怒りの毒は怒りを伝染し、憎しみの刃は心を傷つけます。

でもね、その毒も刃も慈悲の心を持つものには無力でありましょう。

冷静になって受け止め、心の中に取り込まないようにすることは簡単なことだと思いますよ。