ブログより転載(2011年10月)

 



今更ながらワークシェアリング



今後、日本を活性化させるためには、

まず一番にワークシェアリングという方法を採らなくてはいけないのではないかなと、

おっさんなどは思うわけでありますけど、


おっさんの考えるワークシェアリング論はこうなんです。

今ね、たとえば3人の労働者が月々30万円ずつの給料で合計30ロットの製品の加工を行っているとします。

それをね20万円ずつにして、合計20ロットの作業に落とすわけです。

そうしましたら、今忙し過ぎてアップアップしております労働者も楽になりますでしょう。

そうしてあと2人の労働者を雇うのです。

月15万円ずつ2人で合計30万円で10ロットを生産させるわけですね。

まあ、新人で不慣れなのですから、その程度に留まりますでしょう。

企業が支払う給料も変わらず、生産するロット数も変わらず、

おまけに新しい人材、戦力を2人も増やし、さらには労働環境も改善されるというわけです。


勿論、企業も多少の投資は必要になりますでしょう。

でも、そうやって多くの企業がワークシェアリングを行いましたら、

人材市場も活性されますし、日本の景気も良くなってくるのですから、

当然、その程度の投資はすぐに元が取れるはずなんです。


ところがね、企業はそのようにワークシェアリングすることなど決して考えないのですね。

何なら今の三人の労働者を全てアジアからの出稼ぎ労働者に代えて支払う給料を減らそうとするのです。

そうやって日本の円がますます海外に持ち出され、日本が貧しくなるという具合なのですね。

或いは生産拠点ごと海外に移すことを考えているかも知れませんね。

従業員がアジア人、経営者と顧客は日本人、

日本人から吸い上げた円がアジア各国に流れ、経営者も益々懐が暖かくなるって寸法ですね。


見た目のGDPは変わりませんから日本は景気が良くなったように見えますでしょう。

ところがね、そうではない。

GDPのプラス分以上は湯水の如く他国に流れ出しているんです。


かくして日本の失業率はますます増大し、景気もますます悪化するのですね。

たとえば他国の失業率が20%を超えているから日本の方がまだましなのだ、

いや、それは違いますよ。

それはね、失業の定義と失業率の計算方法が違っているだけなんですね。



変化



たとえ明日地上が激変しても

あなたが動じることさえなければ、それは何てこともない変化でしょう。

恐れや不安は雷さえ大事件にしてしまいます。

あなたに、どんなことでもそれを良い契機として成長する力がありましたら、

それは全てあなたに向けた神霊からのエールになりましょう。


忌むべき事象と好ましい事象は実は表裏一体の関係にあります。

捉え方、向き合い方で全く違ったものになるのです。

一つの事象は、みんながみんな全く同じ事象とは限りません。


おはようございます。おっさんです。

蛇の夢を見てニコニコお目覚めのおっさんです。


来年マヤ暦が終わるそうでございます。

そして、2011年11月1日と11月11日、この1のぞろ目の日が、

また、何かしらのおさんにとりましての良い契機にでもならないものかな、

と、わくわく、わくわく、なおっさんでございます。


わくわく

わくわく

わく・・・

・・・・・・



水の時代、解説



今年に入りまして、3月11日に東日本大震災が発生しました。

各地で津波による被害が生じ、

また、福島では原発にトラブルが生じ、燃料棒を水で冷やす必要性が生じました。

そして富士山麓の各地では湧き水現象が発生し、

つい先日から、タイが大洪水に見舞われております。


さて、木、火、土、金、水、

これは物質を構成する5大要素とされております。

時代もね、人が木の棒で動物を獲って暮らしておりました時代があり、

それから火を使うようになり、

豪族が出てきて、また小国家があちらこちらに発生しました。

治める土地の広さに価値のありました土の時代ですね。

それから貨幣が使われる金の時代になり、

それまでの価値観が新しい価値観に置き換わって参りました。

そしてこのところ、象徴的に水に関する事象ばかり生じており、

今、まさに水の時代に入ったように思います。


水は潤いと災いを招きます。

新しい価値観が生じ始め、

今まで潤っていなかったところには潤いが生じ、

間違った方法で潤っておりましたところには災いが生じる。

作用と反作用の法則では、必ずそうなりますでしょう。

そしてその反作用はね、学びのため、

今まで間違っていたことに気付くための作用でありますことは間違いのないことでございます。


福島では原発の危険性を学ぶため、

放射性金属を水で冷やすという象徴的な現象となり、

たとえば静岡は出稼ぎの外国人労働者を多く雇用する土地でありますでしょう。

タイの洪水被害地には沢山の日本企業が進出しており、現地で生産したものが逆輸入される。

どちらも企業が日本円を海外に流出させている場所でございます。


そのおかげでアジア諸国が潤い、逆に日本が貧しくなっているのですね。

そして日本人の中に貧困が広がっている。

まあ、日本の実情をご存知のない方は未だに日本が裕福な国だと信じて疑わないかも知れませんけどね。

まあ、これは一つの仮定にしか過ぎないのですけど、


先日、このような言葉が浮かんでまいりました。

「最も疎かにしていたところが綻び、水が漏れ出した。」

それは勿論、私たちが間違っていた何かを学ぶためであり、

軌道を修正するためのお導きであるはずなんです。

ですからあながち間違ってはいないのではないかと思うのですけど、

ですから、これから価値観の変化と水に関わる現象が増えてくるのかなと思うのですけど、


あ、それからね、2011年3月11日

東日本大震災ですね。

1は九星気学では水を示しますね。

その1が4つ重なっている。

ジョナサン・ケイナーさんもYAHOO占いでそれに関するような発言をしておりますけど、

ちらっとここでそんなことも書いておこうと思うのです。


少しまだ頭の中が整理できておらずかなりの乱文になりましたことをお詫び申し上げます。



リビアテレビ



昨夜は夜中に起き出しまして、リビアのテレビをウオッチしておりましたおっさんです。

”TV Libya”で検索してみますと、

http://www.libya.tv/livestream/

のサイトが出て参りまして、拝見しておりました次第です。


アラビア語は読めないけれど、

画面からリビア国内の様子は伝わって来ますからね。

画面には、カダフィー大佐とその息子?の死体が、、、

親子そっくりに禿げ上がって、、、、、、


まあ、おめでたいことでございます。

やはりね、一人一人の行動と想念が、時代を動かしているのだな、

と頷かされるものがございましたです。

はい。



短波ラジオ



昨夜は短波受信機を出してまいりまして、

何か海外の放送局が受信できないかなとチューナーをくりくり回していたのですけど、

0時を回った頃からAMの9.58MHzで中国の日本語放送が綺麗に入っておりました。

泥人形博物館がどうのこうの、って、、、


中国と韓国、それに北朝鮮もたまに入ってきますね。

以前は北朝鮮の日本語放送なんてものもあったのですけど、

今は分からないです。

暗号放送も入っておりましたけど、

あの、数字をただ朝鮮語で読み上げるだけという、

日本に潜入している工作員に向けての放送ですね。

それも最近はまだやっているのかやっていないのか、

まあ、恐らくは続けているのでしょうけど、


でも最近は世界中のFMラジオがネットで聞き放題ですからね。

まあ、日本語ではありませんけど、

その国の雰囲気が楽しめて良いですね。

もう短波放送なんてものは流行らないのでしょうね。

南アメリカのチリやアルゼンチン、コスタリカの放送なんてもう陽気なことこの上なく、

聞いておりましたらおっさんだって浮かれちゃう。

あはは


たとえばね、コスタリカの放送が聞くとしましょう。

”FM Costa Rica”で検索しましたら幾らでも出てきますね。

でね、そうやって世界中の素晴らしいものに触れて感動を重ねておりましたら、

きっとまた新しい何かを発見できるような気がして参りますね。



かくして松茸は育った



先日スーパーで、チラガー程の大きさの松茸を見て驚かされたおっさんでございます。

それが二千円なのですから、もう安いのか高いのか、


それはさて置きまして、小学校の頃に森の成り立ちについて教わった記憶がございます。

いや、かすかな記憶を頼りにこうだったのではないかなと推測して書かせて戴きますとね、


まず、広葉樹が育つのです。

広葉樹は毎年秋から冬にかけまして葉っぱを落として大地を豊かにします。

虫たちも棲みつくのですな。

そうしますと今度は針葉樹が出てくるわけです。

広葉樹のうっそうと茂った森ですから、秋冬に期待するか木漏れ日なんかを頼りとするかしまして、

少しずつ大きく育って参ります。

でね、針葉樹は広葉樹よりも背が高くて、生命力も強いのですね。

広葉樹の頭のてっぺんから針葉樹がぽこっと顔を出すわけです。

そうなりますと、今度は広葉樹林がどんどん淘汰されて次第に針葉樹林に変わって行くのです。


いや、ほんまかどうかはわかりません。

詳しいところをご存知の方は是非教えて欲しいものですけど、

かくして赤松の根元のところに松茸が生えて来るのです。


山、ありますでしょ。山。

だいたいが奥深い山んなかに針葉樹林はできますな。

松茸もそうとう山深く入って参りませんと取れませんな。

そしてまた、今度は針葉樹林が竹林に代わって行く。

いや、ほんまかどうかは分かりませんけど、

竹林という存在がありますし、

竹林には余り針葉樹も広葉樹も生えていません。

ですから恐らく竹が一番生命力が強いと思われるのですけど、

そうなりますとしますと、今度は筍ですな。


秋も終盤でございます。

松茸に栗、

まあおっさんには全く縁のない食材ですけど、

一度はチラガー程の大きさの松茸にもかじりついてみたいものだな、

と考えるこの頃でございます。



憎しみ合う親子



親と子の、信頼関係。

日本では、信頼関係にある親子が極めて少ないのが現状です。

それは何でか。


世の親御様方はね、不思議なことにどうも親という立場になりますと、堕落しちゃう。

親心は親になって初めて分かるのだ、

などとさもそれが分かったような気になって、

子供の頃に経験した理不尽な思いや純粋な思いなどことごとく忘れてしまって、

親は子供よりも偉いのだ、と傲慢にも上から目線になってしまう。


それでは信頼関係は築けませんし、

そこに一番大きな原因があるように思いますね。


そもそも、大人と子供の違いって、何なんでしょう。

子供の頃よりはるかに穢れた心、想念、

しわくちゃになった顔と老化した身体、

それでも多少は世の中を上手く生きる知恵と要領は身に付いているのでしょうけど、

本質的なものは子供の頃と全く違わないのですね。


それでも、しっかりと生きておりますような子供もおり、

周りに迷惑をかけ続ける大人もおりまして、

本当に、大人と子供という概念には悩まされるものがございます。


それでも、そういったわけで憎しみ合う親子なんてものが誕生するのですね。

傲慢の上に胡坐をかいた上から目線の親と

自由な創造力や人権を、自ら生き抜こうとする意欲をすっかり奪われた子供たち。

そりゃあ憎しみ合うのです。


それでもね、前世にはすごく仲良しで、

今生も一緒に暮らそうと約束し合った仲でありますのに、

憎しみ合うことになってしまう。


そしてその子供たちが親の世代になってまた同じことを繰り返すのですね。

早く目を覚まして欲しいと思うのは、おさんだけではないと思うのですけどね。



信仰のあるべき姿



ただ盲目に指導者を信仰の対象にする。

そんなのはいい加減な信仰なのでありましてね、

自ずから注意深く正偽を吟味する上に成り立つ信仰こそが

本来のあるべき、聡い信仰の姿でございます。


「あなたが正しいように思うから、あなたを信仰しましょう。」

いや、それも違うのですね。

先日もお話させて戴きました通り、

人の心は移ろい易く弛んだネジであるよ、なんてことを申し上げさせて戴いたのですけど、

たとえ如来でも菩薩でも明神でも、

油断してしまいますと鬼にも悪魔にも成り果ててしまうのです。

それだけ地上の修行は厳しく、反省を欠かすことのできないものでございます。

その、生身の人を信じる、なんて無謀この上ないのですね。

本来はね、人を信じるのではなく、その教えの内容を信仰しなくてはいけないのです。


「私には今のところ疑問に思うところがなく、正しいように思われますので、

疑問が生じない限りはこの教えを信仰します。」

それが本来の信仰でありますように思いますね。


そしてまた、とある指導者などは、

「私は何某の生まれ変わりである。(だから私を信仰しなさい)」というような発言をしておりましたけど、


正しい指導者でしたら、

私を信仰の対象にされるのは迷惑です。と仰られますでしょう。

何故ならその間違った在り方は指導者を堕落させ、

信者を盲目と苦しみに追い遣る作用しか及ぼしませんでしょう。

ただ、その過った在り方によって指導者は多額の金銭を得ることもできるのですから、

逆に心正しくない指導者は、

「我こそは何とか大明神である。」とか、

「えるらんてぃであるぞ。」とか、

「釈迦であるよ。」とか、

「ミカエルでおまんにゃわ。」とか、

自ら進んでその必要もない場面で名乗りを上げますでしょう。

そうして、「私を信じなさい。さもなくば罰があたるよ。」

って人を脅すのですね。

神が罰を当てることはない、なんてことも知らずに、

虎の威を借る狐のようにその盲目な信者を脅して大枚を巻き上げるのですね。



洗脳手法



一昨日は「慈悲」に心奪われると鬼にもなるし人権侵害もしてしまうようになる。

といいますようなことを書かせて戴きましたけれども


たとえば戦争映画でね

真っ暗な閉ざされた映画館で人が大量に殺されるような場面を見せておいて

何やら心に染み入るような悲しげな音楽を流すのです。

それだけでね、人は洗脳され、怒りの塊となりますね。

そうして次の場面で憎むべき対象とその所業をスクリーンに映し出しますと、

怒りのベクトルは必ずその方向へ向きますね。


それだけのことで人は客観的な視点と冷静な判断力を失って洗脳されてしまうのです。

製作者に意図があればかんたんに扇動されてしまう。


あのね、

感情は理性という留め金が外れてしまいますと凶暴になりますよ。

そしてそれが多数派意見になってしまいますと、社会だって危険な方向へと動かされますでしょう。

それがね、今の地上の混乱の要因の一つでありますように感じますけど、


無意識にも情報操作は行われておりますね。

製作者の悪意の有無は別にして、そのような意図があったのかどうかは別として、

人類は簡単に中道を外れた慈悲心によって過ちを犯してしまう可能性があるのです。

未来に翳りを落としてしまう可能性があるのです。

ですから私たちは充分に注意深くならなくてはいけませんね。


そしてたとえばそのような視点で二百三高地のような映画を検証してみる。

良い具合にさだまさしさんの歌が流れておりますよ。

ご自身方がね、感情から理性の留め金が外れることなく常に客観的な視点を持ち続けられるのでしたら、

問題はないのですけど、

そうでありませんと、恐ろしいとおっさんは感じますね。



信仰について



おっさん、この度10日程お休みを戴きまして神社巡りをして参りました。

開運スポットってやつですね。

その旅の記録はまたどこかで詳しく書かせて戴きたいと思いますけど、

4箇所の神社に参拝させて戴きました。

なんかね、龍神に導かれているかのような旅でございました。

また明日からお仕事に励みたいと考えております。

はい。


ところでね、

信仰と言いますものには判断力が必要でありますように思います。

常に疑問を持って自ら注意深く考えて進んで参りませんと必ず中道を踏み外すようなことになります。

たとえば「慈悲」という一点しか見ずに「慈悲」に溺れてしまう。

哀れだ、可哀想だ、

心にその一念しかなければ、人は鬼にもなりますでしょうし、

少しでも異を唱えるものの人権を尊重することさえできなくなりますでしょう。


また、盲目的に指導者や教祖の言葉を信じるならば

オウムやイスラム過激派のように平気で人を殺すようにもなりますでしょう。


ですから、盲目的な信仰は災いを招くのですね。

ですから自分自身の頭で一つ一つ考え、疑問を解決しながら注意深く進んで参りませんと、

いけませんね。

盲目的な信仰で人は成長することもありませんし、幸せになれるはずもないのです。

でもね、自分自身の頭で考えながら進むことで、正しい道を見抜く力が養われて、

魂も成長できるのですし、必ず幸せになれるのです。


宗教や思想の信仰だけではありませんよ。

法律や権力を信仰するにも、

占いを信仰するにも、

何らかの技能や物質的なものを信仰するにも、

全てそうなのですよ。

必ず中道の客観的な視点で捉え、自ら問題意識を持ち疑問を解決しながら進んで行く。

自分自身の頭で考えながら進んで行く。

そうしませんとご自身の人生が振り回されちゃう。


そう思いますよ。



地上は、変化したようです



皆様、こぶたさんしておりましてごめーんね。

只今、出雲におります。


機が動く。

そのようなことがありまして、色々と考えることもありまして、

神無月にやおろずの神々が会議をするという出雲大社にやって参りました。


ところで、地上も数日前から

富士山麓に水が湧き出すとか

厳島神社が水没するなど変化が生じておりますようで、

なんかね、

「水の時代」に入ったようですよ。


富士山麓の件はマグマを冷やすための神霊のご手配かな、とも思ったのですけど、

どうもそうではなくて、富士山麓一帯に幾つかの湿原ができるのかな、と思うのです。

人もね、

これから益々精神的なものを求めるようになるのでしょうね。


これから、どんどん本格的に「水の時代」に入り込んで行くのかな。

そんでもって、地上にもどんどん変化が現れだすのかな。

なんてここ2、3日考えておりましたけど、


あ、「水の時代」の正体は分かりません。

何なんでしょうね。

やはりそれも機が動いたということなのでしょうけどね。