ブログより転載(2011年11月)

 



「思い入れ」と「思い出し」



愛の反対は憎しみです。

これは当たり前のことでありながら、誤解されていらっしゃる方が沢山いらっしゃるのです。

ある分量の愛を1としますと、同じ量の憎しみは−1ですね。

マザーテレサさんは関心の有無ということで、憎しみも関心があるといった点でね、

愛と憎しみの絶対値を取って愛の反対が無関心であると仰られたのでしょう。

愛も憎しみも絶対値を取りましたら1になり、無関心は0なのですから、

関心の有無という視点に於いてのみ、愛の反対は無関心ということになりますね。


さて、ここで昨日考えておりまして、

日本語って深いなあって感じたことがございます。


あのね、

好きと愛は違いますね。

好きになって、

何らかの思い入れがあって、

そうして愛が育まれるようになるのです。


好きの対象物への思い入れ、

或いは愛というものに対しての思い入れ、

そういった強い前向きの意志が働いて、愛は育まれて行くのですね。


そうしますと、今度は憎しみですね。

好きと愛の間に思い入れがあるように、

嫌いと憎しみの間にもきっと何かがあるのではないかな、

って考えておりまして、発見しました。


憎しみはね、

嫌いなことを何度も思い出すことで憎しみが育まれて行くのですね。


好き => 思い入れ => 愛

嫌い => 思い出し => 憎しみ

なんです。


ね?

日本語って深いでしょう?

あはは



昨夜の夢



昨夜はどこかの企業の食堂におりまして、

鉄板焼肉が目の前にあるのですね。

それとね、おみかんとさつまいも。


ところが、おっさんの前の鉄板だけ温くなるのに熱くならないんです。

お肉も焼けなくてね、

あったかい生肉を一口戴いたのですけど、

これではいかんってことで席を替えて焼こうとしましたら、

「自分の席で食べなさい」って怒られちゃいまして、

それで自分の席に戻ろうとしますと、もうそこには別のおばちゃんが座っていて、

おっさんのお肉を食べているのですね。


そんなわけでもうしっちゃかめっちゃかで、

仕方なく余っておりました大量のサツマイモを持って帰ろうとする夢なんですけど、、、、、、


おっさんの魂は焼肉を求めているのですなあ。

あはは

清水の舞台から飛び降りるかな



考えること



あのね、おっさん思うんだけど、

日本中がジェンカを踊る、なんて素敵じゃない?

日本国中ジェンカ祭り!

あはは

どう?このアイデア。


んでね、音楽はあるです。

レッツ、キッス、ってやつです。

24メガありますけど、メールで送ってもいいです。


でね、たとえば来年2012年の12月12日の夜にね、

日本国内のあらゆる公園でジェンカダンスが始まるんです。

江戸時代にええじゃないかと踊ったようにジェンカを踊るんです。

賛同者求む、です。

口コミで広まって、皆がその気になって下さればと思うのです。


でもね、でもですよ。

ある方が仰られますには、日本は地盤があぶないから、

皆で飛び跳ねたらえらいことになるかも知れない、らしいのですね。

まあ、そんなことはないと思いますけど、

どかなあ。


ジェンカ、素敵やん。

あははは



願い



心から願って叶わないことはない。

それは間違いなく言えることです。

ただ、間違った願いには反作用が生じますし、

理論的に考えて決して叶わない願いもありますね。


反作用、それは勿論霊的なものもありますし、道理に基く反作用もございます。

また、理論的に叶わないことでも30%程度なら叶えさせることはできるのです。

無理矢理な方法で、ですけどね。


命懸けで修法する。

大声を張り上げて魂の底から願って、

そんなことは呪術でしかありませんから今はもうやりませんけど、

大声を出せる環境もありませんしね。

でも、すれば願いが叶うことは実証済みなんです。


勿論、眠ったような状態では叶いませんよ。

暴飲暴食などしておりましても叶いません。

毎日飲んだくれておりましても叶いませんし、

ストレスや心にわだかまりを抱えておりましても叶いません。


ご利益とかありますでしょ。

神社とか。

あのね、

神霊に少しでも心が通じておりましたら、

そして真面目に前向きにやっておりましたら、

百パーセント以上の力で頑張っておりましたら、

ご利益なんてすぐに生じるようになりますよ。


ただね、

これが神霊ではなくて心が地獄に通じておりましたら、

地獄霊や動物霊、魔物が掛かってくるのですね。

そうなりますと後で必ずしっぺ返しを食らうことになります。


でもね、そこまで無理をすることはないのですね。

だって、私たちは導かれているのですから、

真面目にやっておりましたら、

無理をしなくても、人生は上手く回り始めるはずなんです。

世俗の欲は叶わないかも知れませんけど、

その分反作用も生じず、

ある程度は幸せになれるはずなんです。


ですからね、滅多なことでは呪術に頼らずにね、

もうどうしようもないという時だけ、命懸けでやってみる。

叶うと信じてやってみる。

反作用を覚悟の上でしたら、そんなことも良いのではないかと思いますよ。



御護符ブログ



御護符ブログ始めました。

http://blog.goo.ne.jp/yskfm

主に御護符の画像ですから、

見ているだけでも力が湧いてくると思います。

ご興味がおありになられましたら是非!



地上のこと



大宇宙大自然界と異なりまして、

地上のことは全て明神様方が運営されておられるのですから、

それは決して完璧な世界ではないのですね。

ですから、地上には至るところに矛盾がございます。

矛盾のオンパレードなのですな。


それでも如来様や菩薩様方は地上の一切を明神様方に任せていらっしゃる。

まあ、会長といったところなんですな。

明神が社長で、菩薩様が会長、如来様方はまあ、放任主義のCEO兼相談役といったところでしょうか。

それ故に地上は決して完璧なものではないのです。

でもね、それでいいのですね。

魂からしてみますと命は一時の夢のようなもので、

決して命が全てではないのですし、

完璧でないからこそ、修行にも最適な環境になっているのですね。


だからね、まあ地上に開運グッズが溢れるのです。

地上が完璧なものでありましたら、決して開運グッズなどに頼ることは正しくはなかったでしょう。

私もそれで随分と悩みました。

でもね、地上が完璧ではないのですから、開運グッズだって使いようなんですね。

だって、幸せを願うのは当たり前のことなんですから。

それで力一杯生き抜くことができればそれに越すことはないのです。


まあ、プラスマイナスは必ず清算されるのですから、

辛い人生には後にその分の見返りが必ずあるんです。

神霊の世界ではそうなっているんですね。

必ず報われるからこそ、頑張り甲斐があるってもんですな。

あはは。



時代



なんかね、時代が変わったんだなってね、

この数日間ひしひしと感じております。

平成初期、増してや昭和時代とはもう、まさに空気が違うのですね。


アジアの隅っこでじっとして、まんまるくなって、

たとえば田舎道をバイクで飛ばして暴走族だとかヤンキーだとか粋がったり、

やくざとかチンピラが幾らしのぎをしたとか、

空手が強いだとか、

ヒルズ族だとか、

どこそこの有名大学を出ましたとか、

もうそんな時代ではないのですね。

そんなのはもう本当に時代遅れのちっちゃな人間ですよ。

その価値観はね、まあもとより虚しいものですけど、

これからはきっと、ますます笑い話にもならないようになって行きますよ。


おっさん自身、自分に向けた強い葛藤を感じるのですけど、

そんなに小さな人間だったのかってことですよ。

もっと新しいことにどんどんチャレンジして、

たとえば世界を相手に、世界を股にかけてね、

信じるところの道を信念一筋に進んでいかなくてはいけない、

新しい経験を沢山積み重ねて行くようでなければいけないなあ、

そんな思いが溢れて来るんです。


それでまあこんな時間になってもいても立ってもいられなくなって色々考え事をしているのですけど、

この感じ、何なんでしょうねえ。

一体、、、、、、



政治は、家庭は、組織はどうあるべきか



地獄の沙汰も金次第、なんてことを申します。

この沙汰はね、実はサタンのことでございまして、

地獄のサタンも金次第ということなんですね。


天と地獄、その二極は全てにおきまして相反する様相を呈します。

勿論、天も地獄も神霊意識体の中に存在するもので、

如何にサタンといえども天に向けて吐いた唾は自分の顔に落ちて参りますわけで、

サタンも決して神には逆らえない存在なのでございます。


さて、TPPですけれども、

これからどうなるのかは分かりませんけど、

国益のために奪い合うのは、どちらかと申しますと地獄の姿なんです。

賢くて愚かな経済学者などは時代の流れなどと分かったような発言を抜け抜けとしたりしておりますけど、

何を以て時代の流れと仰れるのか、

その昔、戦争だって同じように時代の流れと考え意気揚々と戦場に乗り込んで行ったのです。


そうではなくてね、真のあるべき姿はそのように互いに奪い合うような地獄の真似事ではなくてね、

天に似て、国同士が協調し合い互いに与え合うようなパートナーシップでなくてはいけませんね。


以前にも友達の関係について、

奪い合う関係と与え合う関係があるというようなことを書かせて戴きましたことがございます。

依存し合い、執着し合い、憎しみ合い、けなし合い、束縛し合い、奪い合うのが天の姿なのか、

許し合い、認め合い、励まし合い、支え合い、自由と責任を、権限を、全ての必要なものを与え合うのが

天の姿なのか、

はたまた地獄の姿なのか、

それを考えてみられましたら、あるべき姿は自ずと見えて参りますでしょう。


地獄の様相、

それはね、大魔王の恐怖と強制による支配ですよ。

多くの会社組織や家庭にも見られますけど、

このような環境に身を置きますと人は必ず心の中に恐れを抱き、憎しみを抱き、

魂の自由な活動が封じられてしまいますね。

では天はどうでしょうか?

愛に基く慈しみと励ましと、そして責任と権限を与えるもので、

全て自由意志で支配などはありえないのですね。

その中におります者は凡そ喜びと希望の中に魂を活き活きと輝かせることができますでしょう。


そういった風にね、

判断の指標として、天のあり方か地獄のあり方かを考えてみられますことも

正しい答えを得る一つの方法ではないかと思いますね。


ほな、さいならー



そ、そ、そくらてすかぷらとんか♪



自分では分からないのに周りの人が分かっているなんてことはよくあることでございます。

人と話しておりましても、その人は必死になって悩んでいて、

でもおっさんにはその答えが分かっちゃう、

或いは後になってじっくり考えてみれば簡単に答えにたどり着く。

おっさんもよく感じることでございます。

でもその人自身には分からないのですね。


かと言って、「これはこうですよ」と教えて差し上げれば逆に反感を買われますし、

その答えを求めてこられない限り、こっちから教えて差し上げますのも余計なお節介になってしまいますしね。

それに人それぞれに考え方も違いますし信仰するものも違いますでしょうし。

たとえば魔物からしてみますと善や正義といいますものは悪そのものなんですからね。


そしてまた、その答えと思われるところを教えて差し上げましても、

それがその人の視野の外の概念でありましたら決して正しくは受け入れられませんし、

答えが見つからない人のその求める答えは間違いなく視野の外にあるのですから、

これはもうその人自身が自らの概念の枠を取り除いて、視野を広げて、

積極的に相手が誰でありましても

真摯に周りの意見を伺ってみようとする姿勢がありませんとどうしようもない。


ソクラテスなんかはそういった点では素晴らしいなと思いますね。

決して答えは教えずに自分で答えを見出せるようにアドバイスするだけなんですから、

もの凄く頭のいい、聡い人でありましたように感じます。

その彼がなんで彼の言葉を恐らくは全く理解できないであろう悪妻を娶ったのか、

あはは


この世の中、完璧な人間などおりません。

もしいるとしましたら、それは如来様か如来様の仮面を被った如来仮面でありますでしょう。

へんしん!ってね。

如来仮面は勿論完璧ではありませんけど、


自らを決して完璧ではないのに完璧だとか、

決して優れてなどいないのに優れているとか思うから人の意見も受け入れ難くなるのですね。

まあ、中には自らを完璧な人間であると思ってかお節介にも視野の狭い間違った意見を申し述べてこられます方もいらっしゃいますけど、

悩む側も、答えを知っている側も、

互いに自尊心を捨てて、真摯に、そして前向きに求めてみる、

聞かれる側も誠実に分かっていることを教えて差し上げる、

それが大切なんだと思います。


あ、そっか。

ソクラテスはそこまで分かった上で悪妻を娶ったのですね。

そっかそっか。なるほどなあ。

まあ、ソクラテスの分からないことがその奥様には分かるようなこともあったのでしょう。

そりゃああるんです。

だってね、人は誰だって完璧ではないのだし、まるっきりだめなんてこともあり得ないのですから。

少なくとも奥様は、

「効率よく夫を水浸しにできるバケツの水のかけ方」に関してはぴか一だったでしょうしね。



TPPの参加交渉に入りますわよって



野田氏が勝手にのたまわれまして、

折角、1のぞろ並びの日で何かいいことがあるやも知れぬと思っておりましたのに、

おりましたのにですよお、

憂かりける人を初瀬の山おろし、でんがな。

参加するとは思わぬものを、参加表明しよりましてからに、


そもそも、

そもそもですよお。

イギリスに虐められていたアメリカが独立戦争で勢いを得て、

それじゃあ腹いせに日本を虐めてやれってもんで黒船で押しかけて参りましたのが安政の時代でございます。

日本人がまだちょんまげを結い人きり包丁をぶら下げております時代ですよ。

アメリカは日本に何をしたか、

実績がおますがな。


黒船、って何で黒い船なのか、

パッとしない人はパッとしないのでしょうけど、軍艦のことですよ。

その軍艦数隻を江戸湾に浮かべて大砲を日本に向けて日米和親条約や日米修好通商条約なんて、

不平等条約を押し付けてきた。

近年になりましてもことあるごとにやれ自由化だ、やれ狂牛病の牛肉を輸入しなさい、

それが今度はTPPなんていうさらに強制力のある自由化政策を強要してきたのです。

年間の自殺者数がまた数万人増えることは目に見えているのですよ。

日本の自殺率は間違いなく世界で5本の指に入りますでしょう。


まあ、自民党だったらもっと姑息に国民の知らないところでだまって参加していたのでしょうけど、

結局自由化政策の時と同じ轍を踏むことになるんです。


わっかんないんだからなあ。

いやんなっちゃうよなあ。



苦労



心に苦労を抱える

人はこれを心配性と言います。

人は誰でも多かれ少なかれ心配性です。

でもね、心に苦労を抱えるほど愚かしいことはないのですね。

苦労、即ち不安や心配は自分本位の欲や願いから生じます。

これを全て神様に委ねてみる。

神霊の視点で見て、考え、その時その時を大切にする。

そうしますと決して神様は悪いようにはしないですよ。


正しく

あるがまま

恐れるな


そうして心安らかに楽しく生きておりましたら、

必ず護って下さるし導いて下さるし、いいように考えて下さる。

たとえ今生苦労したとしましてもね、

必ずその分は報いて下さる。

それを分かっておりましたら我を通す必要がどこにありますでしょうか。


お釈迦様は教えて下さいました。

全ての苦しみは心から生じるのです。

でもね、自ら苦労を背負い込む必要はどこにもないのですね。



映画「悪人」



昨夜は日曜ロードショーでそのような映画を視聴しておりました。

出会い系サイトで知り合った女とトラブルになり殺人を犯してしまった若い男と、

その男に惚れて一緒に逃亡した若い女、その家族の凄惨な物語ですな。


好きや嫌い、惚れた腫れたは感情から始まります。

そしてそれは決して愛ではないのです。

何故なら愛とは、その人に最も必要なものを与える行為・想念なのですから、

自らの欲求で行動することは決して愛ではないのですね。


惚れた二人が感情の赴くままにで抱きあうことは素晴らしい姿ではあるのですけど、

感情に振り回されてしまってはいけないのですね。

それでは必ず誰かに迷惑が掛かります。

誰かを悲しませてしまうことになるのです。


感情はしっかりと理性で管理して、

愛と調和に基いた最も正しい方向性を見出そうとする高い視点がそこになくては、

幸せにはなれないのですね。

全ての間違いはそこにあるのです。


今地上に生きております人類も同じでありますでしょう。

殆どの方が感情優先で生きていらっしゃる。

考える習慣も感じる習慣も省みる習慣も持たずにね、

感情の赴くままに感情に振り回されていらっしゃる。

ですから社会におきましても多数意見は常に間違ったものになってしまっているのですね。


犯罪や事象には必ず原因がございます。

要因と、心因と、原因と、課題と、目的と、結果等々がございます。

たとえば間違いなく生きていらっしゃる人が犯罪を犯してしまうことはないのです。

ありえないのです。

あったとしましたら、それはどこかに必ず間違った生活習慣や人間関係等のその犯罪が生じた要因があり、

その人の性格上や心の偏りや間違った条件反射や考え方、心の弱さ等の心因があり、

直接的な原因があるのです。


犯罪や好ましくない事象が生じましたら、或いは見聞きしましたら、

そういった要因や心因、原因がどこにあるのかを探って見られますことですよ。

そうしましたら必ず何かが浮かび上がって参りますでしょう。

或いは、それはあなたに向けて発せられたメッセージかも知れません。

そうでなくても、少なくともあなたの中での経験値や人間理解が進み、判断力が養われるのではないかと

思いますよ。



こぶたさんしております



ごめんでやす。

ブログの更新がない時はアメーバピグで遊び呆けていると思って下さい。

こんにちわ、おっさんです。


ある落語家は言いました。

「師匠、どうして餅にカビが生えるんでしょうか?

ばかやろう、早く食わねえからだ!」

あはは、成る程その通りなのでありまして、

早く食べなかったばっかりに大自然界の土に還す作用の第一段階、

菌による分解が始まったのですね。


まあ、おっさんのような解釈の仕方を屁理屈というのでしょうけど、

ばかやろう、早く食わねえからだ!

この発言には色々とその人の想念が見えてきますね。

「もったいない、餅にカビなんか生やしやがって。何でそれまでに食ってしまわなかったんだ。」

って抑えようのない怒りがこの発言を生じさせたのでしょう。

きっとね。


感情から生じた言葉。

まあ人間らしいと言いましたら人間らしいのですけど、

ちっちゃなことにも一々腹を立てておりましたら心の休まる暇もないのではないかと思うのですね。

心は一念三千、

心の在り一つで天にも地獄にも通じてしまうものですから、

ここは一つ浮世の戯れごとの一切には同ぜずにね、

美しいもの、素晴らしいもの、感動するもの、楽しいことにばかり目を向けていたいと考えるおっさんなのでございます。

だって、人生はそんなに永くはないですからね。

ちだまの一つや二つ壊れたって神様が何とでもして下さる。

おさんはそのように確信しておりますよ。

はいな。



三十六計でおますね



世の中には、争いを好む人が沢山いらっしゃいますようで、

街でも職場でも隣近所にも、どこにでも喧嘩を売ってきたりいちゃもんをつけてきたりする方がおりますね。

まあ、多くの場合それは自らに課せられた課題ということではなくて、

課題を終えて一段と高いステージに立った人にもね、

そういった人たちは喧嘩をふっかけて参ります。


ただ、それは高いステージに上ってその課題から卒業した人でしたら簡単にクリアしているというだけでね、

真にその事象が課題となるべき人に課題となってその人を悩ませている、

というだけなんです。


自己中心の低い視点だから自分のことしか見えず、自分の利益になることしか考えられない。

そしてその、自分の利益になることがね、

何をどう間違ったのか人に喧嘩を売って満足するという、馬鹿げた発想になっているのですね。

勿論、それなりの反作用だって生じますし、

周りの人の評価も下げることになるのですけど、


憎まれ口、憎まれ癖なんでしょうね。

或いは誰にでもあるのかも知れませんけど、

それは「威張りたい」の裏返しの心理でありますようにも思います。

可哀想な人たちでおますね。