ブログより転載(2012年4月)

 



差別



神霊意識体の中には差別といいますものが存在します。

最も根源的なものが血の違い、遺伝子の違いによる差別ですね。


たとえばね、

動物界も勿論そうでしょうけど、

人類にありましても、

北から来た人種は色が白く

南から来た人種は色が黒い

アメリカ大陸などで黒人差別が過去にありましたことは

或いは当然の成り行きだったのかも知れません。


北では黒人差別が行われ、

南では白人差別が行われて当然だったのかも知れないのですね。

勿論それは人道的に許されざることではありますけどね、


北方の人種と南方の人種の血が混ざり合う

文化が混ざり合う


南の方はおおらかで情熱的な美しさを持った文化でありましょう。

北の方では鋭角の美しさでぐいぐい人の心を掴んで参ります。

その二つの素晴らしい文化が消え去り、

どこへ行っても北と南の混ざり合った同じ文化色、

それでは旅をする気持ちにもなりませんでしょうし、

魂は喜べない。

美味しい日本食と美味しいカレーが混ざり合うようなもんなんです。

そんでもって日本食もカレーも衰退してなくなってしまいましたら、

いや、考えただけでも恐ろしいのです。

そんなことがあってはいけないのですね。


ですから神霊は

遺伝子の異なるものを排除しようとする性質と、

存在する場所に隔たりを設けた。

言語も全く異なるものにしたのですね。


そうして、転生して地上に生まれる魂が

どこに行ってもその土地特有の素晴らしいもので溢れている。

魂の感動できるもので溢れている。

そうあるべきだ、と

そのように考えて下さっていたのだろうと思うのですね。



二人のおっさん



いや、なんか、3匹のおっさんという書籍があると、

あるといいますことは聞いておったのですけど、

これはその書籍とは無関係の記事でありまして、、、


おっさんはね、

ここに一人いてま。

へぇ、あっしのことがんす。

ところがね、

全くおっさんと同じ日に生まれたもうひとりのおっさん

タレントさんでね、

お笑いなのか俳優なのか定かではありませんけど、


開いた右手を回しながら「うぅ〜うぅ〜」といって登場してくるんです。

パトカーのサイレンなんですね。

でもって刑事ドラマの真似事をするのです。

タバコの箱を警察無線のマイクに見立てましてね。

時には高校野球の負けた選手が甲子園で砂を持ち帰る時の様子を再現するのです。


あはは

その名も柳沢慎吾さんでおます。


おさんと年も月も、同じ日に生まれまして、

片やテレビ番組で独特な世界観を繰り広げる。


まあ、楽しいこと大好きなのと、

少々マイナー志向なのは、

おっさんと一緒なんです。

春生まれだから陽気ですしね。

あははは。


でも、彼は恐らく明神さんなんでしょうね。

如来様や菩薩さんは言うまでもないのですけど、

明神さんだって、放っておいても世に名を轟かせますから。


おっさんはね、

それほど出たがりじゃないんです。

恐らく彼も出たがりではないのでしょう。

それでもね、楽しいからついつい魂がはしゃいじゃうのですな。

わかりますがな。


まあ、おっさんも、慎吾ちゃんも春生まれなんですから

春爛漫のマリネら国王のパタリロと、

性格も雰囲気も、そっくりなんだすな。



自殺を考える



自殺すればどうなるのか?

自殺はいけないこと?

等と、いろんな噂やまがいもんの教えが蔓延っております昨今でございます。

日本でも、今自殺率は、世界5位?でしたか、

いや国家やマスコミががリアルタイムに自殺率を調査して教えて下さることをしないので

今現在の本当のところは全く以て分かりませんけど、


自殺はね、勿論いけないことですよ。

神の意思に反して光を拒むという罪と、

それとほとんどのケースで自殺は自己中心的な想念から発生しますから、

自己中心的な行いの結果、その清算が厳しいことは察しが付きますでしょう。


虐められた、

生きる術がない、

それも自己中心的な想念でありましてね、

たとえどんなに酷いいじめを受けたにしましても

それが神の意思に反して光を拒む理由としては認められないのです。

生きる術がないなら、死ぬに任せておけばいいのです。

わざわざ自ら、守護霊の思惑を無視して自殺してしまう必要はないのです。

これっぽっちもないのですよ。


ただね、誰かのために自らの命を犠牲にする。

これは素晴らしいことですよ。

直ぐに救いの手が差し伸べられますでしょう。

勿論、そこには正しい判断がなくてはいけません。

多くの場合、そこに多少なりとも自らの利益や見返りを求める心があるものですから、

そして、どちからかといいますと、人のためと言いながら、

自分のためである割合の方が大きいのですね。

いや、悟りを開かない人間なんて、そんなもんなんですよ。

突き詰めて考えてみられますと分かりますでしょう。


光を拒んだ罪で全く光も音もないところで反省を強いられます。

高橋先生がそのように仰っておられました。


あのね、ボクシングだってそうですね。

もう嫌だってファイティングを途中でやめちゃったら避難の的でしょう。

どちらかが倒れるまで、

或いは全ラウンド闘い終わるまで、

タオルが投げ込まれるまで、

試合は終われない、放棄できないんだって知ることですよ。

そうしてコツコツ地道に頑張っておりましたらね、

きっといずれは必ず強くなって頭角が現れるんです。


今のあなたが弱すぎれば、タオルが投げ込まれますし、

相手の方が強ければKOされちゃいますでしょう。

それが全試合闘い続けられるようになって、

相手をボコボコにいわせられるようになって、

KOできるようになって、

マスコミなんかもう、ウハウハですよ。

テレビカメラとフラッシュの嵐ですよ。


ボクシングの選手はね、

みんなそうやって順に経験していくのですね。

途中でリタイアするぐらいならタオル投げ込まれ続ける方がまだマシなんです。

その方が名誉なんです。

それにだれもあなたを責めたりはしませんでしょう。

それはね、きっと教える側にも問題があるんです。


いやまあ、

そんなことですよ。

あははは



任侠と宗教



この世界には任侠道と言いますものがありますね。

まあ、いわゆるところの、「や」の付く道を極めたらしき連中のことでおますけど、

義理、人情と言いながら神への義は持たず、

任侠と言いながら法律を軽視し、お金に執着して、

暴力や脅しという方法で世間に迷惑を及ぼします。

自らの根性と、喧嘩における武勇伝を誇りとし、

また身体中に彫り上げた刺青を自慢する。


勿論、その価値観は同業の者にしか通用しない視野の狭いものでありまして、

全く以てくだらないものでございます。

阿修羅界に意識を通じるものですね。


似たようおなものに、宗教と言いますものがございます。

愛とか慈悲とか義とか信仰とか言いながら、いつまでも自分中心の考え方を離れることができず、

お布施、奉仕と言いながら神に対してのお布施や奉仕ではなく、

迷惑であったり強引であったりするような勧誘で世間に迷惑を掛け、

その心はやはり地獄や畜生界、阿修羅界に繋がり、

物質的な想念、自己中心的な欲望に振り回され、

意味のない謹行の量を誇りとして決して神とは繋がらず、

何らかの反省も悟りも調和に至る努力もない。


まあ、そんなわけですから、

何が正しいのかも分からず、霊能者や陰陽師がもてはやされ、

そういった肩書きを掲げる連中が増殖するのですね。


では、一体どのようなことが正しく、尊重されなくてはいけないのか、

それはね、

神霊と繋がり少しずつでも悟りを得て、

深い反省によって人生における迷いを解き、

或いは愛と感謝の調和の努力の中に人生を正しく勤勉に生き抜き、

コツコツまじめにやっている者こそがね、

最も尊重されるべき人、正しい生き方ではないかと思いますよん。


よんよん



バリカン記念日



2日程前になりますが、

おっさん、バリカンを買って参りました。

お髭だって剃れちゃう優れものなんです。

いえ、剃れると言いますか、毛がね1ミリもないくらいまでにカットできちゃうのです。


毎年、何度か丸坊主にします。

床屋に参りますと何千円も取られちゃうのですから、

自分でカットするのです。

でもって、坊主頭にしちゃいますと長持ちしますから、

坊主頭にするのです。


でね、それまではハサミでチョキチョキ、

たまにハサミで耳を危うく切り落としかけたりしまして、

まあ、今以て耳はかろうじて残っているのでありますけど、

それがね、ハサミだとどうしてもガタガタになるのです。

それに、長さにも限度がありますからね、

幾ら毛の長さを1ミリにしたくても、

さっぱりスッキリにしたいと思いましても、

そうは刃物が許して下さらない。


まあ、ハゲなんですけどね、

ハゲの功名でね、

ハゲだからこそ頭を丸めることにも何の抵抗もないのですけど、


これがね、もしかっこいいフサフサの髪の毛でありましたら、

簡単に頭を丸めたりはしないでしょうね。

あははは


新しいバリカンで1ミリ以下にまで切り揃えられました頭は

もう、さっぱりすっきりでね、

逆に髪の毛いっぱいの人などが可哀想に思えてまいりますね。


まあ、そんなことで、頭を丸めたいと仰られます方がいらっしゃいましたら、

バーバーおっさんにお任せ下さいませ。

うひゃひゃひゃ



おっさんが蹴りつけた理由



いや、社名は明かしませんけど、

おっさんは34歳まで、IT系の企業でサラリーマンをしていたのです。

それをね、ある時ケツをまくってケリを入れて辞めちゃった。

あははは


別にね、その会社を避難しようってんじゃないんです。

ただね、事実をありのままにって思いますので、

ここでは具体的な社名は出さないでおくだすよ。


おさんはね、不安神経症(パニック障害)っていう病気にかかったんだす。

この病気はね、逃げよう逃げようとしても逃げられない、

そんな場合に脳が逃れる場所を失って同じところをぐるぐる回りだすんだす。

でもって脳がショートして倒れ込むだす。

コンピュータのディスククラッシュでおさんが現地に駆け付けようとしている時に起こっただす。

おさんの脳もクラッシュしてしまったんだす。


19億円のビジネス。

それが値引きされて9億円になったんだす。

数年後のある日、

百二十数拠点ある店の中の一箇所でディスククラッシュだす。

月に4件ほど起きるディスククラッシュで、要員はおさん一人なんだす。

上司も、客先のTというお馬鹿取締役(バカボン)は役に立たないし、

そんな中でおさんはパニックに見舞われたんだす。


いや、それはね、きっかけなんだすよ。

それ以前にも色々とあったんだす。


おさんは上司から空出張を頼まれただす。

出張したことにして三万円回してちょ、

そんなことが度重なり、

その金で飲み屋を連れ回され、

後輩からは「奢ってもらっているんだから礼を言え」と小突かれる始末さ。


別部門の部長の愛人が経営している外注がね

守られていることをいいことに

片やおさんを盾にして

片やおさんをコケにして

一時の外注の管理者たるおさんを利用して上手く立ち回ろうとするのさ


女性だけの営業部を立ち上げて女の魅力で受注を取ろうとしてたこともあるさ

大幅な組織替えで客先に納品したあとは知らんふりだし

そうやって中小の顧客を振り捨てて大企業と数十億円の契約ばかりするのさ

だから給料は良かったけどね

辞める時には月給100万円を超えてた。


おさんを可愛がって下さっていた本社のN常務はもういなくてね

おさんの上司のその上の上司も価値観が半端なくおかしくてさ

それに社員だってコンピュータのことにしか興味のないおバカばっかりなんだ。


そんなわけでさ、おさんは蹴りを入れたのさ。

でもね、それはそれで良かったと思っている。

あんな肥溜めのようなところで働いていてもさ、

魂は不満を抱えるばかりだからね。

ケツをまくり上げてケリを入れて正解だったと、

今でもそう思うのさ。


ただ、百万円超の月給は、

惜しいことをしたと思うけどね。



調和



あのね、心も、人体も、地球も、社会も、宇宙だってそうなのだけど

システムがね、

全体として調和を保っていないといけないのです。

すべての構成要素が前向きに役割をこなして、互いに助け合って協力し合ってこそ、

大調和が生まれて、

システム全体として充分な働きができるのですね。


構成要素、構成要員が不満を抱え、仕事をボイコットしておりましたら、

決してそのシステムは正しく能力を発揮することができませんよ。


システムのどこかにひずみが生じる。

このひずみはね、

直接影響のある周りのデバイス、機関、組織にも影響しますでしょう。

そしてまた、そのひずみの影響は、

直接には余り関係がないと思われます場所にも、

現象として何らかの問題が現れることがあります。

往々にしてあるんです。

いや、その見えない因果関係こそがね、私たちが最も恐なくてはいけないものでありまして、


桜の開花時期が遅れた

大震災や大・中規模地震の頻発

水の噴出

最近はもう色んな現象がありますけど、

それが何故現象として生じているのか、

それはね、私たちは広い視点で深く深く考えなくてはいけませんね。


そしてね、こういった不調和は危険信号でもあるのですね。

もうこれ以上ひずみが出ると危険でっせ

システムが崩壊してしまいまっせ

爆発してしまいまっせ

機能停止してしまいまっせ


悪いところを修復して早急に元の調和ある姿にもどさなくては

お終いになっちゃいまっせ

という警告なのですね。


そしてね、去年や今年の異常気象、異常現象などを見ておりますと、

そんなに遠くない未来に

人類の生存に大きな問題となるような「破綻」あるいは「リセット」現象があるのではないかと

感じずにはいられませんね。



手品師



おっさんがおっさんという一人称を己を表すものとして使い始めてから、

お若い人に敬遠されがちなおっさんです。

あはは


最近、手品が物凄いことになってきとります。

貨幣をガラスに通過させたり、

金魚鉢のガラスのところに手を入れて金魚を取り出したり、

人の心の中を見抜いたり、

破れたお札を元通りにしてみせたり、

お札にペンを突き刺したのに穴が消えてなくなっていたり、

ねちっこい気持ち悪い声で観客を魅了したり、


とろこがね、どう考えてみましても、

そこに種や仕掛けがないのですね。

考えられないのです。

まあ、だからこそ手品なのかも知れませんけど、


あのね、でもこう考えたことはありませんか?

実は本当に種も仕掛けもなくて、

この人は心の力、念の力でこういうことを行なっているのではあるまいか、

ってね。

あはは

んなばかな!

でしょう?


でもね、

おっさんは思うんです。

一人ぐらいいるんじゃないかなって。

そういったお釈迦様やキリスト様と同じ力を持った手品師、

いえ、偽物の手品師ですけどね、

本物以上に凄い力を持った偽物の手品師、


いえ、

居るって思っておりました方が素敵ですやん。


まあ、ねちっこくて気持ち悪い声を出す彼は違うと思いますけどね、

からくりどーるさんって仰られるのですか?

彼には彼なりの手品以外の誰にも真似できそうにない個性がありますやん。

彼は手品師でありながら、芸人なんですね。

それはそれはもう素敵な芸人ですやん。



館山大聖観音



館山寺温泉は浜名湖湖畔に在る寂れた温泉街でございます。

上司とのソリが合わず悩み苦しんでおりましたサラリーマン時代、

当時28歳でありましたおっさんは、土日を使いまして旅に出たのですね。

カメラを抱えて浜名湖に降り立ちまして、

タクシーの運ちゃんに「どこか景色の素晴らしところまで連れてってぇ〜」ってお願いしまして、

連れて行って戴きましたところが大きな白い橋があるところの道路沿いの小さな公園なんです。

背後に大きな観覧車が見えましてね、

その道路沿いの誰もいない食堂で腹ごしらえしたおっさんはその辺りを散策したのでございます。

ロープウェイがありましてね、

迷わずおっさん、そのロープウェイで頂上に登ったのでございますよん。

そしてそこから見渡しました景色の中に、

観音様、発見!!



それから十数年、

今から5年前の平成19年ですな。

おっさんはその観音様にもう一度会いたくなりまして、浜名湖の辺りに旅に出たのですな。

ところがね、見つからない。

最初に出会いました時が、タクシーの運ちゃん任せだったのですから、

当然、場所なんて覚えてないんです。

館山寺温泉だってことさえ分からない。

浜名湖だったか、琵琶湖だったかも分からない。

でもね、色々調べてみて、浜名湖の駅の観光案内所で聞いてみて、

観音様ならここでおじゃるよ。

と仰られますので、

おさんはその観音様に会いに行ったのでございます。



なんか、違うんですよね。

おさんの求めていた観音様ではないようなんです。

最近になりましてようやく、

ユーチューブの動画で求めておりました観音様を発見することができましてね、

そしたらやっぱり同じ観音様なんですねぇ。

ただ、平成19年の時にはロープウェイの場所が分からなくて

直接観音様の足元まで歩いて行ったものですから、

シチューエーションが違っていたのですな。

そしてね、最近になって思い出したんです。

サラリーマンの頃、おっさんはこの観音様を見まして、

「もっと観音様の近くに行きたいな」と願ったのです。

それがね、なんか十数年後に叶っちゃった。


あはは

それだけの話なんです。

それだけのね。