ブログより転載(2012年5月)

 



驚いたこと



「言い聞かせる」をやめればしつけはうまくいく!

トーマス・W・フェラン著

なんて書が流行っておりますそうです。


なんかね、「言い聞かせる」ことをやめて躾をシンプルにできるようにするという、

まだこんなおばかがいるのですね。

おっさんは情けなくなって参ります。


樹だってそうなんです。

上から押さえつければ捻じ曲がっちゃいます。

説得力を持って言い聞かせないことには、

上から押さえつけて何でも思うようにさせましたら、

その時には言うことを聞くかも知れませんけど、

反感が生じて必ず捻じ曲がっちゃいますし、必ずどこかで爆発しちゃいますね。


まるで子供を自分の道具のように従わせようとする、

そこに愚かさがあるんです。

上から目線で「躾」なんてことを考えておりますから、

そんな発送しか出てこないのです。


子供はね、聡いですよ。

恐らく世俗にまみれた大人よりも数段は聡いでしょう。

その上にどんどん智恵に磨きを掛けて参ります。

その時にね、

自分の味方になって下さらなかった人は、たとえ両親でありましても敵になりますでしょう。

そうしてそのまま大人になるまでその関係が続きましたら、

多くの場合、憎まれるのです。

信頼関係を蔑ろにしたのは、むしろ大人の方なんです。

親身になって接してこなかった、

上から目線、親の都合だけでいいように扱ってきた反作用ですよ。


もうちょっと、マシになって欲しいと思いますね。



二匹の雀



このところ、おっさんちのベランダには毎日毎日雀がやって参ります。

早朝、寝ておりましても頭の方でちゅんちゅんちゅんちゅんばたばたばたばた

百均で買ってまいりました箒を置いているのですけど、その穂を抜いているんですね。

いや、雀が巣を作るものかどうかなんておっさんは知らないのですけど、

もしそうでありましたら、きっとどこかで巣を作っているのでしょう。

いや、或いは穂についた実を啄ばんでいるのかも知れませんけど、


それがね、いつもいつも同じ雀なんです。

毛がシャギーのようになっている雀ともう一羽。

シャギーちゃんは一目で見分けがつくのですけど、もう一羽は分かりません。

でもね、恐らく同じ雀ではないかと思うのです。


お昼寝をしておりましても頭の方でちゅんちゅんがさがさ

なんかおっさんが寝ております時に限って

寝ている気配を察してか、睡眠を妨害しようとしてか、

お雀さまがやてくるんです。

まるでね、何かを伝えたがっておりますようにも感じます。


或いは、何らかの意識が入り込んで、、、

なんてことも考えますけど、

ただね、ただ、

「そんなことおっさんは知ったこっちゃないんじゃーーーーーーー!」

と思うわけでございます。


他にも2種類ほど別の鳥さんが時折にやって参ります。

雀さんはね、戴いたことがあるんです。

でも骨ばっかりで、戴けないっ!

いや、鶏さんならなんとかつかまえて、

モモにササミ、ネックにボンジリ、皮、ココロ、レバーに、と思うのでありますけど、

四階ですからね、

鶏さんがここまでジャンプして来ることも望めませんし、、、、、、


とりさんとりさん

あんたは一体おいしいのかえ?食えるのかえ?

と悩むおっさんなのでございます。

えへへ



水無月晦日(つごもり)の大祓へ



今年はね、久しぶりにさ

「水無月つごもりの大祓へ」を企画しようかと

思っているのです。


ただね、お金は戴くとですよ。

おっさんだってそんなに、いやいや、全然裕福じゃあない。

あははは

それと、体力的に可能な範囲内で、しかできませんけど、、、、、、


こそっと以前の常連さんだけにご案内しようかと思っているだす。


神社では一万円弱ってところなんでしょうね。

でもね、今年はやっといた方がいいですね。

今年の年末に世界は変わるだすから。

いや、それは保障はしませんだすけれども。


神社の茅の輪くらいははくぐっといた方がよろしおますな。

気の利いた神社なら大ぬさくらいはかさかさやって下さいますでしょう。

あれはね、心地よいもんだすなぁ。

大ぬさでかさかさ

いや、しゃかしゃかって感じでしょうか。

ああ、とれたなぁって気がするんですよ。


それから、今日の金環日食だすな。

おっさんはちゃんと見れましたよ。

雲が適度なフィルター代わりになって下さって、

まるで黄金のにじゅうまるのように見えましたでございます。

カメラには、残念なことに綺麗に写りはしませんでしたけどね。



新世界元年



いえ、新世界と申しましても大阪の通天閣のある周辺の飲み屋街のことではないのでおじゃりますけど、


様々なことが言われておりますけど、

今年、時代は変わるのだと、おっさんは微かな希望を持っているのでございます。

どのように変わるのか、は分かりませんけど、

時代は先へと進み、今までとは全く違った新しい価値感で社会が回りだすようになるはずなんです。


たとえばね、

能力差別がなくなり、

労働や雇用のかたちが変化し、

生活のための仕事が人生を謳歌するための仕事に変わり、

貨幣が別のものに変わり、

地位や名誉、肩書きといった考え方がなくなり、

金持ち、貧乏といった格差がなくなって、

競争社会から個々人の心の平和を追求する社会へ、

と変わっていくのではないかなと思うのです。


いや、これはおっさんの「願い」ですけど。。。


いや、それにしましても色んな噂が流れておりますなぁ。

巨大UFOが地球に向かっているのだ。

太陽磁気が地球を襲うのだ。

えとせとら、えとせとら、えとせとら。


人類はね、おっさんは数万年単位で二つの地球を行き来しているのだと思うのです。

地球アースと

第二の地球アマテルアース

地球人アースカンと

第二の地球人アマテルアースカン

飛鳥人、つまり地球人類の故郷は天に輝くもうひとつのテラなのでありましてね、

少なくとも1、2万年周期で人類は二つのテラ(地球)を行ったりきたり、


いや、そのためのUFOなのかどうかは分かりませんよ。

まあ、ない話ではないと思いますけど、


それかね、

時代が先に進むのかも知れない。

文明開化の時のように時代は大きく移り変わるのかも知れません。

それはね、まだまだ誰にも分からない。


ところでね、

誰の心の中にも二つの自分がおりますね。

過去にも一度書かせて戴いておりますけど、

小さな自分と大きな自分ですね。


求める心、これはね、自己中心の小さな自分なんです。

それから、求めない心、

与えるか、与えるまでは行かなくても楽しいから頑張っちゃうし、

周りには誰にも何も求めない。

これは自己中心を脱却して少し高いステップに立った自分ですね。


求める心はね、

なあなあの関係が好きなんです。

仲良しクラブのような関係が好きなんです。


求めない心はね、

こちらは一匹狼ですね。

誰にも何も求めずに全部一人でやっちゃうのです。

それが楽しいのですし、魂の成長にもなるのですね。


一匹狼は沢山のものを生み出しますでしょうけど、

仲良しクラブからは何も生まれない。

求める、つまり奪う心が集まっているのですから、

生まれるものは諍いや争いと言った不調和なものばかりでしょうね。


だからね、

誰でも求める自分を脱却して一匹狼の自分にならなくては、

たとえ時代が新しくなりましても本質は何も変わらないように思いますよ。


人類がね

一匹狼の集合体が協調し合ってこそ大調和が生まれてくるんです。

そうであってこそ人類は幸せになれるのですし、

未来も明るく輝いてくるのだと、

おっさんはかように思うのでありますよん。



神社・仏閣・護符・呪術



たとえばね、

天神さん、つまり菅原道真さんは学問の神様であって

恋愛の神様ではないのでおじゃります。

世俗的なことで恐縮なのですけど、


欲望をかなえるに相応しいもの

恋愛をかなえるに相応しい場所

健康祈願に適した方法

家族和合をお願いするべき神様

仕事面でのことに効現のあるお守り

何やら忌まわしいものと対峙する時や

世俗的な願いにはここのおふだ

とかね

色々在るのでおまして、

一柱神で全て叶えて下さる神様などはそんなにはいらっしゃらない

何でも得意な人だって一人もいらっしゃらないのでございます。


いや、私はそれに関わっております人間ですから余り詳しいことは言いませんけど、

あははは

私がね、

効果がなさそうだと感じた御札でも

他の人は効果がありそうだと感じることもあるのでございます。


硬派な呪術師さん

軟派な拝み屋さん

世俗的なヒーラーさん

スピリチュアルな神主さん

恋愛のことでは完璧な答えを出す占い師さん

お金儲けのことでは超一流の風水師さん

あの霊能者さん

こちらの陰陽師さん

除霊で名を揚げた住職さん

未来を的確に告げて下さるのにやたらと金の亡者な霊媒師さん

ここの神社、あちらの仏閣、、、


願意願意でね

どこを利用するべきなのか

鈴虫寺さんがいいのか

勝尾寺さんが合っているのか


願意とか色々の要素を鑑みて最適な判断をして下さいますことだと思いますよ。


恋愛で上手く行ったから悪霊退治にもその方法を、

なんてそれは盲信でしかありませんから。



原点



原点に戻ります。


あのね、創造神といいますものは、居てはりますよ。

それは高い次元の意識であり、

この世界を含む高次元体そのものを創造神と呼ぶべきなのかも知れませんけど、

紛れもなく、「調和」に向けた意識が存在しているのですね。


それから、幽霊もいてはりますよ。

人は魂の存在であってね、

死後に思いっきり良く現世の執着を振り捨てて前向きに反省に臨んでこそ

魂は浄化の過程を進んで参ります。

それが後ろ向きに憎しみなんぞ大事に抱えておりますと、

いつまでも幽界に留まり続けることになります。


人間の身体は物質的なものしか見えないようになっていますけど、

この世界も幽界にあるんです。

その証拠にね、

光とか、炎とか、物質ではないエネルギーの現れを私たちは見ることができるのですから、

この世界が三次元ではなくて実は四次元だということが分かりますでしょう。


タテ、ヨコ、高さ、

それが三次元の座標でおますな。

四次元はそこにエネルギー座標が加わります。

時間はね、座標ではないのです。

それは空間に標準装備された機能ですね。


ですから、例えばタイムマシンで過去に向かうことはできないのです。

過去へ行けたとしましても、それは神霊の中の映像の世界でしかないのです。

未来はね、アインシュタインの相対性理論で

物質が高速に近づけましたらその内部の時間の流れを遅くすることができますから、

未来へは行けるんです。


未来はね、ジグソーパズルのように一つ一つの魂のこの世界への関わり具合で

無限に展開されて参りますよ。

大きな流れはあるかも知れませんけど、定まった未来などないのですね。


UFOはね、存在しています。

それを操縦するものの姿は分かりませんけど、

たとえ異星人だとしましても、人類と同じ神霊意識体に存在するものですから、

考え方にそれ程大きな差があるとは思えません。

ただ、人類が余りにも未開発なために、恐らく人類がまだまだ理解に至らないことも

多いのではないかと思います。


或いはそれを操縦しておりますものは、

人類かも知れませんけど、

ジェットエンジンやロケットエンジンで満足している人類の創造物でないことは明らかですね。

ただ、模倣物といった可能性は大いにあると思いますけど、


あの世、即ち実在界にもね

文明はあるそうですよ。

今の人類の文明よりも遥かに進んだ文明があるそうです。

まあ、それはそうなんでしょうね。

一度も崩壊していないのですから。



死んだ智慧と生きた智慧



情報はね、データを整理して得られるんです。

数多くのデータ(情報、数値)を特定の判断のもとに分類して、整理して、

そこから得られるものが情報ですね。


データはこの世界に無限にあります。

さらにインターネットの存在によって入手することも容易くなりました。


ただね、その情報も、死んだ智慧に過ぎないのですね。

ご自身が本当に悩み苦しんだ時、

困った時に、

探り当てた情報、

ヒットした情報、

それによって人は一つ聡くなり、成長することができるのです。

そうして、死んだ智慧を生きた智慧にすることができるのですね。


たとえばね、

どんなに記憶したことが沢山ありましても、

どんなにおっさんのブログに沢山のことが書かれておりましても、

それがヒットしてどなたかが魂の成長に繋げて下さらなくては、

それは生きた智慧にはならないのですね。

死んだ情報でしかないのです。


まあ、おっさんのブログ記事も少しずつは社会に根を下ろして下さってはいるようなのですけど、


データが情報となり、生きた智慧となる

その生きた智慧は人生の可能性をも広げて下さいますでしょう。

恋愛やお金にしか興味のなかった人が時として神と共に荒野を歩む潔さに

魅力を感じることもあるのではないかと思います。


神と共にいられます幸せを、

などと言いながらも

この世界で命を維持するためにはお金といいますものは必要になってくるのですけどね、

命への執着が解けましたらその苦悩の元も断ち切ることができるのですね。


まあ、その半面では生きた智慧を元手に人類相手に商売することも、

大金を稼ぐこともできるのですけど、

ただ、キリスト様もお釈迦様もそれはなさらなかったのです。

彼らはそんなに低い意識ではなかったのですね。


ですからデータや情報の未来に及ぼす可能性はプライスレス!

無限大なのでありますけど、

それを生きた智慧とするためには、

自らの求めようとする姿勢が必要でございますね。


ややこし話で恐縮なのですけど。