ブログより転載(2007年8月)

 

心の闇

 

最近に至りまして、心の中の闇が減っていることに気付きました。
どのような時でも、一時間ありましたら心の中を光り輝かせられる。
そのような自信も生じて参りました。

それで気付いたのですけど、
呪術とか、霊的なことに関る人は心に闇がありましてはいけないのですね。
心に闇がありますと、必ず不調和が生じるのです。
病気になったり、災いに見舞われたりしてしまうのです。

周りを見回してみますと、心が闇だらけの呪術師がどんなに多いことか知れません。
霊能力者だってそんな人多いですよ。

反省して、反省して、
心の中を光り輝かせなければ呪術なんてするべきではないのです。
当然ですよね。
心の世界と向き合うことはつまり神霊と向き合うことなのですから、
正しい心で行ないませんと、どのような反作用が生じるか知れないのです。

でもね、正しい心で神霊と向き合いますと、神霊は必ず応じて下さるのです。
真剣に心から願い、命懸けで修法しますと必ず良い方向に回り始めるのです。

嘘だと思うのでしたら、御真言の一つでも唱えてみられましたら良いのです。
2時間でも3時間でも真剣に唱えてみられましたら良いのですよ。
神霊は必ずその答えをその日のうちに顕して下さいます。

真に、必ず開運する法でございますよ。

 

後継者争い

 

どこかの国の、どこかのお寺で、信者達による後継者争いが起きているそうでございます。

寺とは、一体何なのでしょうか?
心を清めて神仏にお仕えする所ではないのでしょうか?
一体、ここの信者は何を信仰していらっしゃるのやら。

日本の新興宗教でもあるようでございますね。
人を教え導くべき上層部の指導者が醜い争いを繰り広げている。

欲心で、争う、
欲心も、争うことも神仏とは無縁の世俗的なことでございます。
その間違った心の在り方に動物霊や阿修羅が入り込んでしまっているのですね。
入り込んで宗教団体や信者の家々で暴れるのですね。
仲間の霊や子分を集めて暴れるのです。

私には見えませんけど、見える人には見えるそうですね。


ここに酒飲みがありました。

顔が赤くなるのは阿修羅ですね。
顔が青くなるのは地獄霊です。
顔が黒くなるのは魔王です。
怒り易くなるのは阿修羅ですね。
愚痴を云ったり言葉遣いが乱暴になるのは魔王です。
奇妙な動作、わけのわからないことを言い出すのは動物霊ですね。
意識が無くなり何をしでかすか分からない状態になるのは怨霊ですね。
心の状態でいろんな世界と通じてしまいますから、
身体にも血圧や様々な異常となって現れるのです。
しかも変な雰囲気が生じますから、周りからも敬遠されますね。

酒を飲んでなくても同じなんです。
阿修羅界に心が通じておりますと欲心で争うことも平気でしますでしょう。

ですから、心は明るく輝かせておりませんといけないのです。
調和に満ちた安らかな状態に保っておかなくてはいけないのです。

指導者が心を変なものに明け渡してしまっております宗教や精神世界系の団体はね、
間違っても関りを持つものではありませんよ。

 

 

祝詞の奏上を始めますと雨が激しくなりまして、

大祓祝詞で一旦雨が止みまして、

終盤で雷がゴロゴロと鳴り始めました。

ですから、この雨は罪人の罪を洗い清めるためのものなのでしょう。

私の罪、私の周りの方の罪、沢山の方の穢れた想念、
そういったものを洗い流して下さるのですね。

雷ゴロゴロ
カルマぐるぐる
早見もこもこ

昨日も綺麗なお月様を雲の隙間から拝ませて戴きました。


お詫び:私の文章には途中に意味不明の言葉が含まれておりますことがございます。
読み苦しいとは思いますが、何卒お許し下さいますようお願いします。

 

大宇宙大神霊と般若心経

 

9次元、つまり大宇宙大神霊は全ての魂の源なのです。
全ての情報がここに蓄積されているのです。
全ての心を通して集められた情報があるのです。

心はね、人や動植物だけではありませんよ。
岩、惑星や衛星、原子、水の分子、全てのものが心を持っているのです。

如来様はね、自らが大宇宙大神霊の一部であると認識した方でございますね。
ですから、自ら大宇宙大神霊の中に意識を向けて、
あらゆる情報を引き出して来ることができるのです。

観自在菩薩、自在に観ることのできる菩薩様、ですからこれは如来様のことでございますね。
行深、般若波羅蜜多時、
行を深め、大宇宙大神霊の意識に触れた時

そうなのですよ。パニャーパラミタ(般若波羅蜜多)とは大宇宙大神霊そのものなのです。

如来が行を深めて大宇宙大神霊の意識に触れた時、
その時に何が分かったか。

全てのものは、全ての現象、全ての苦悩は心が生み出しているのだ。
ということが分かったのです。

シャリシよ、現象と心は唯一無二のものであるぞ。
心が現象を生じさせ、現象が心に影響を与えるのだ。

大宇宙大神霊の調和の法は変わることなく、汚れることなく、増減することなく、
それゆえに、心に執着を抱えず、調和の安らぎに満ちた状態にしておかなくてはならないのだ。

そうすれば、心は明るく輝き、老いる苦しみも、死の苦しみも、
財物を得ようとする時の苦しみも、
心が生じさせるあらゆる苦しみが生じることはないのだぞ。

悟りを得た者はこの大宇宙大神霊の調和の法により、
心に穢れなく、一切のこだわりなく、
それゆえに不安や恐怖のない安らかな調和した心を得ることができるのだ。

ぎゃてぃ ぎゃてぃ はらぎゃてぃ はらそうぎゃてぃ ぼうじ そわか

あたながたも悟りを開き涅槃に到達することです。さあ、行きなさい、涅槃に到達しなさい。

 

残念なこと

 

この世界に生まれて参りまして、
魂や霊的世界、神霊の存在に気付かぬほど残念なことはありません。
何のために生まれて来たのか、その使命も分からず、
盲目で自我我欲に翻弄され、欲が満たされれば満足、
欲が満たされないと嘆いては心の内に闇を生じさせて、
自ら苦しみの中に生きなくてはならないのですから。

でもね、私達が魂なのだと分かりますと、
神霊の愛の中に生かされているのだと分かりますと、
もう恐れるものは何もなくなるのですね。
悲しいこともない、苦しいこともない。
ただ、嬉しくて、楽しくて。

お若い方ではまだそういった世界に興味をお持ちでない方も多いようです。
命の力が強いからなのでしょう。
でも次第に命の力が衰えて参りますと、誰だって心の休まるものを探すようになるのですね。
そうして、心の世界に引かれて行くようになるんです。

でもだからと云いまして若い方が我侭放題で良いというわけではありませんよね。
奪い合う愛の中に安らぎを求めても何も得られない。
悪魔に願望成就を願っても苦しみの中に堕落して行くだけなんです。

その時に、周りに一人でも正しいことを教えて差し上げられる方がいて下さいますと良いのですけど。

インターネット関連の犯罪が後を絶ちません。

インターネットに救いを求めて、そこで出会った見ず知らずの人間同士が犯罪を犯す。
自我我欲でおりますと、悪魔のささやきに心を奪われてしまうのです。
悪魔に人生を台無しにされてしまうのです。

悪魔って、本当におりますからね、
いえ、ヘドロペレスなんて生易しいものではありませんよ。

ですからね、私達は一刻も早く神理に帰らなくてはならないのです。
神理に則した社会、神理に則した生活を心掛けなくてはならないのですよ。

 

  リラックスモード

 

  少しのんびりする時には座椅子を取り出して参りましてね、
背もたれを深めに倒してテレビを眺めております。
首に掛けるタイプの空気枕が百円ショップに売られておりましてね、
それがいい具合になるんです。

えへへへへへ。
幸せでござりまするがな。
って感じですね。

 

心の世界

 

空に浮かぶ雲、樹々や花、人の姿、星空、
神の手によるものは美しく、
人の生み出すものは無機質で汚いものでございます。

実は、それが神の愛の表れでありましたことに、
何故私達は気付けないのでしょうか。

高次元体という神様の意識の中にこの大宇宙も存在しております。
現象界とは申しましても、神様の意識の中にあるのです。
神様の私達を想って下さるその美しく暖かなお心が、
この世界に咲く一輪の花であるのです。
調和の中にある、全ての美しいものであるのです。

自らがその醜い心にも気付けず、
ましてや神様の愛にも気付けず、
神の手による美しいものさえもその穢れた心で無残にも踏み躙り、
恥じることも無い。

もっとましになることです。

 

ふにゃらふにゃら送信

 

「ふにゃらふにゃら」なるものを、不特定多数の方に送らせて戴いております。
過去にも幾度か、送らせて戴きました。

そうしますと、私の心の中の、ふにゃらふにゃらなるものが、
皆様の心の中にも出現するわけでございます。

ところが先日、この、ふにゃらふにゃらを送り付けたことに気付いた方がクレームを下さいました。
凄い能力の持ち主でございますね。

「てめ、昨日ふにゃらふにゃら送ったろ、コンニャロメ!!」
「はい。確かに私は昨日ふにゃらふにゃらを送りました。
ごめんなさい。もう二度としません。お許し下さい。」
「いや、もっと送りなさい。」
「そんなには送れません。」

というような会話があったのかなかったのか。

でもね、人は誰でもふにゃらふにゃらみたいなものを無意識の内にも送ったり送られたり
しておりますわけでございます。
時にそれは「ぼけらぼけら」であったり、「じゃじゃいかじゃじゃいか」であったりするのですけど、
「がんじがんじ」は余り送るべきではないですね。

で、そうやって影響を及ぼし合いながら人は生きておるものでございますよ。
また、皆が意識的に有効活用して下さいますと素晴らしい効果が発揮できるのではないかと思います。
 

 

約束

 

約束には沢山あります。

約束しない約束、これは当然守られるべきこと、当たり前のこと。
約束した約束、これは人と人との約束だけではなくて、規約とか、契約とか、社会法規とか。

この世界には、約束を反故にしてしまわれます方が非常に多いのです。

霊界では、作用と反作用の法則で約束を守らなければ必ず反作用が生じます。
すぐに反作用が生じますから、気付き易いですし、反省もし易くなります。
ですから、心の美しさが保てるのですね。

現世にも、作用と反作用の法則はございます。
でも反作用はすぐには生じない。
廻り回ってご自身のところに戻って来るのです。
いつか必ずその約束を反故にした精算をしなくてはいけないのです。

それが即ち、業でございますよ。

業は精算しなくてはなりません。
プラスマイナス0にしなくてはなりません。

現世に生きる私達はね、業を積み重ねないためにも、
約束には注意深くなることではないかと思いますね。

 

追想

 

捨てられていた芥子の種が何十年も経ってから芽を出した。
それは祝詞という水が与えられ始めたから。

私は色んな、単独では役に立たないものを集めて来て
何か一つのものを作り上げることが得意であった。
色んな経験、色んな情報、色んなファイル、色んな安物の中古機器、
色んな書籍、色んな言葉、
決して単独では使い物にならないそういったものを合せて、
でき上がった一つの大きなホームページ。

全てのものが役に立った。

私が組み合わせたのではない。
私は捨てようとしていたのだ。
不思議なことにその、捨てようとしていたものが、
何らかの力によって絶妙なほどに上手く組み合わさって
一つの大きな体系に仕上がった。

不思議なことである。
全く不思議なことである。
でも、それによって私は大きな確信を得ることができた。
偉大な真実と、心の平穏と、様々な素晴らしいものに出会うことができた。

それはあたかも以前から意図されていたことのように、
過去を振り返るとここまでの足跡が真っ直ぐに続いていた。

だから私はこう思うのである。

焦らず気楽に行こうじゃないか。
楽しくのんびり行こうじゃないか。
道は必ず目的地まで続いている。

とね。

 

なんちゃって俳句

 

素麺に茄子の酢のもの添えて居り


今日は朝からちょっと料理を致しております。
今、南瓜を煮ております。


食い余るほど料理するひとりもの


困ったものでございます。

 

さらに高次元

 

二次元の円には、二次元指標である面積と、一次元指標である円周が伴って存在します。

三次元体には、三次元指標である体積と、二次元指標である表面積が伴って存在します。
ここでは円周の概念は無くなりますね。
もし、円周を考えるとしますと、その結果は無限大でございます。

四次元体には、四次元指標である陰積(造語)と、三次元指標である体積が伴って存在します。
この体積が、すなわち三次元空間なのです。
さらに、ここでは表面積の概念は無くなります。
もし、表面積を考えるとしますと、その結果は無限大でございます。

五次元体には、五次元指標である霊積(造語)と、四次元指標である陰積が伴って存在します。
ここで体積といった概念は無くなります。
もし、体積を考えるとしますと、その結果は勿論無限大でございます。
言い換えますと空間と言った概念が、三次元宇宙が無くなる、或いは無限大になるのです。

当然のことなのでしょうね。意識の世界なのですから。

付いて来て下さいね。


魂は無限の彼方から時を越え、空間を超えてやって来るのです。
時を越えて私達を愛して下さる存在、神仏。
私達は愚かな生き方をしておりましてはいけないのですね。


時を超えて君を愛せるか
本当に君を護れるか
空を見て考えた
君のために今何ができるか
忘れないでどんな時も
きっと傍にいるから

 

心と環境

 

心と周りの環境は同じようになりますね。
心が脳に変化を与え、手相や文字、周りの環境まで変えてしまう。

部屋のどの位置が人のどの器官に相当するのか、
人にどのような影響を与えるのか、
家族の誰に相当するのか、
季節ではいつなのか、時間は何時ごろなのか、

それは気学を学ばれました方でしたらもう充分ご存じだと思いますけど、

家の真北と真南、真西と真東を繋いだ線が正中線でございますね。
ここを汚しますと、人は真っ直ぐ生きることが難しくなって参ります。
水回りのものと汚れたものを置いてはいけません。
水回りのものは風呂やトイレ、台所、冷蔵庫、洗濯機、エアコン等ですね。

北には水回りのもの、
北東には子供部屋、
南東には長男長女
西は経理、主婦や娘の部屋、
北西は主人の部屋、
南西は祖母や祖父の部屋

家族団欒は中央か南東、南が良いですね。
神棚は西に東向き、或いは北西に南東向きに設置しますと一番良いのです。
お仏壇は南東か東が良いですね。

北は冬の装いを
北東は初春の装いを
東は春の装いを
南東は初夏の装いを
南は夏の装いを
南西は初秋の装いを
西は秋の装いを
北西は初冬の装いを

ですから、色彩は

北は白、
北東は薄桃色、
東は桃色、
南東は水色、緑
南は青、
南西は茜、
西は黄、橙、
北西は茶、

象意で考えますと

北は水
北東は山
東は振動、雷
南東は風
南は炎、太陽
南西は大地
西は収穫の悦び
北西は天

大宇宙大自然に、心の中に、そういった決まりごとがありましてね、
大自然も心の中もそうなっているのです。
ですから、風水などではその大自然の在り方を部屋の環境に取り入れて、
部屋も心の中も正しい状態にしようという考えの上に成り立っているのですね。

 

金運

 

金運は、思いきり良くお金を使うと良くなるって言うじゃない?
金運は、真面目にこつこつ努力することが大切だって言うじゃない?
金運は、西の方向を遣うと良いとも言いますね。
西にお金に関するものを置くのですね。
主婦の部屋も西側が良いのですね。
招き猫とか、金色のものとか、
貯金は少ない方が金運が良いとか、

でもね、大切なことがもう一つありました!!
それはね、部屋の明るさですね。
心の中が明るいと運気も良くなるのです。
同じく、家の中が明るいと金運が良くなるのです。

ああ、だから金色のものとか、暖色系の、特にオレンジや黄色で金運も良くなるのですね。

節約家の人とかはできるだけ電気代も節制しようとしますね。
でもね、電灯はケチらないで明るくしておいた方が良いですね。

 

金運の訂正

 

ごめんなさい。
いえ、そうじゃなくってね、

西側の部屋を明るくしますと金運と結婚運が良くなるのです。
北東の部屋を明るくしますと財産運が良くなるのです。
子を設けたい時も北東ですね。子孫が増えて参ります。
南西の部屋を明るくしますとお見合い運が良くなるのです。
北西と南西は仕事運が良くなりますね。

そうだと思うのです。
その方位を綺麗に掃除して、明るく輝かせておりますと、
絶対に良くなるのです。

理論的にはね。

 

終戦の日

 

明々後日は終戦の日でございます。
テレビ等でも戦争に関する番組が組まれるようになって参りました。

終戦記念日が終戦の日と呼ばれるようになり、
時代は、人々の心は次第に客観的な目で戦争を振り返れるようになって来たように思います。

それでもね、御年配の方や、正しい情報を得る機会に恵まれなかった人達は、
未だに軍国主義的なお考えを抱え込んでおられ、
また、ちょうど今も毎日放送では、
戦艦大和を懐かしむかのような時代錯誤の報道番組が流されており、
その軍国主義的思想に基いた戦争感が今尚日本人の主流を占めておりますことは
否めない事実のようでございます。

戦争で命を落とされましたアジアの方々、
戦争で命を落とされました日本の一般人、
戦争で命を落とされました日本兵、
戦争で命を落とされました連合国の一般人、
戦争で命を落とされました連合国軍の兵士、
連合国の軍事裁判で裁かれました戦争犯罪者、

一体誰が一番可哀想なのでしょうか?
とそう思います。

アジアの方々、日本の一般人、日本兵、連合国の一般人、連合国の兵士、
全て命の重さは等しく、無念の死でありましたことは云うまでもないことでございます。

ところが、これを例えば70代の御老人に聞いてみますと、
恐らくは口から出て参りますことは、日本兵と戦争犯罪者のことだけでございましょう。
誰が悪かったのか聞きましても、
恐らくはアメリカや連合国が悪かったと仰られますでしょう。

毎日放送の報道番組でも、未だに御老人達が軍歌を勇ましく歌っております様子が
映し出されておりました。
全く、愚かしいことでございます。

でもね、時代は変わっているのですね。
若者達の間には次第に客観的な目を持つ人が現れ、
今は軍国主義的思想に洗脳されている、戦艦大和を愛し、軍歌を愛する愚かな人間達の影で
しっかりと新しい時代に向けての足踏みを始めているのですね。

私はその若者達が洗脳されませんことを祈りますね。
次の時代が早く来て下さいますことを祈りますね。

 

夢−虚幸満食な日−

 

朝から鉄板焼を戴きまして、昼寝をしました。

夢を見まして

英語のクラスで私の姉と彼女が出くわす場面でございました。

彼女日く、「わぁお、オネエ様とお会いできるなんて感激。
ドラキュラでも書いちゃおうかしら。」
と、テキストに落書きしておりました。

全くもう、夢ん中は爆笑ものでございます。

そんな夢の影響もありまして、私の頭の中は今爆発モードでございます。

夜はまたカレーでも煮込もうかと考えておりますけど、

こんな状態を言葉で表すとどうなるのでしょうかねえ。

 

人間関係

 

人と人との関係におきまして、
一つに協調という在り方がございます。
仲良く、思い遣り合い、助け合う在り方ですね。

協調の反対は何でしょうか?
正しい言葉は見付かりませんけど、
敵対とか争いと云ったような言葉になるのではないかと思います。

グラフのねX軸に協調と敵対を置いてみましょうね。
右が協調で、左が敵対とします。

それと、もう一つね、
自立と依存といった指標がございます。

グラフのY軸に、この自立と依存を置いてみましょう。
上が自立で、下が依存です。

自立する人同士が協調している人間関係
自立する人同士が敵対している人間関係
依存する人同士が協調している人間関係
依存する人同士が敵対している人間関係

の4つの窓ができましたね。

さて、よおく考えてみて下さい。

霊界の人間関係はどれでしょうか?
魔界の、例えば魔王とその手下の関係はどれでしょうか?
阿修羅界の人間関係はどれでしょうか?
幽界の、未成仏霊同士の関係はどれでしょうか?

例えば、仲が良くても喧嘩ばかりしておりますような関係は、
敵対している関係になりますね。

御夫婦でも、自立する者同士が思い遣り合い協力し合ってこそ
暖かなご家庭を築くことができるように思います。
美輪さんと江原さんの関係もそうですね。
勿論、夫婦ではありませんけど、
自立する人同士が協調し合っている良い例だと思いますね。

互いにあーしろこーしろってね、
これは依存する者同士が敵対する関係になりますね。
命令する側が魔王で、命令される側が手下ですね。

依存し合いながら仲良く、これはなあなの関係です。
この類の人達は、集団という形態を取りたがりますね。
例えばコンビニの前などにしゃがみ込んで菓子などを食べているような人達が
相当するのではないかと思います。
幽界の人間関係ですね。

友人関係でもね、
この依存し合いながら仲良くが一番多いように思います。
次に多いのが依存し合いながら敵対する関係ですね。
自立する人が敵対しております人同士は絶対に友人にはなりませんね。

でもね、一番良い関係は自立する人同士が協調し合う関係だと思うのですね。
共に高め合うこともできますし、
先の美輪さんと江原さんの例でも、互いに尊重し合い、助け舟を出し合い、
周りから見ておりましても良好な関係に見えますよね。

ですからね、そういった関係を目指して下さいますことが一番良いのではないかと思うのです。
親友になれると思うのです。
夫婦になって家庭を築きましても、素晴らしい御家庭が築けると思うのですね。

 

正法的感情論

 

復習しましょう。

感情はエネルギーでございましたね。

言葉は?

言葉は毒にもなり薬にもなるものでございました。


怒りの感情は燃え上がる炎であり、客観的な心でしっかりと管理しておりませんと暴れまわります。
その炎は、あなたの大切なもの全てを焼き尽くしてしまうかも知れない。

また、怒りの心から生じた言葉には怒りの毒があり、
その毒は人から人へ言葉を通じて伝わります。
その毒は人を狂わせてしまうほどの強力なものでございました。

楽しい気持ちははまるで暖かな陽の光のようなエネルギーでございますね。
悲しい気持ちは冷たい氷のようなエネルギーです。
優しい気持ちは森林に射し込む木漏れ日のようであり、
思い遣りの気持ちは透き通った湖面のようではありませんか。
愛はたがねのように強く、慈悲は雨露のように大地に染み込むのです。

正しい言葉は人を生かし、
前に進む力を与えて下さいます。

感情を客観的な正しい心で管理して正しく使うこと。
そうしますと、素晴らしい感情のエネルギーが未来を変えて行くのです。

ただ、人間関係の中にありまして、
人は人の感情や言葉に影響されます。
怒りの言葉には怒りの対応をしてしまう。
でもそれは野性的で危険な間違った条件反射でございます。

心を常に正しい安らぎのあります状態に維持すること、
これこそが神の子としての、人の正しい在り方でございます。
太陽は、大自然は、調和を乱すことがありません。
人もそうでなくてはならないのです。

それこそが私達の修行の目的地であり、正法というものなのです。

 

人との関りから生じる不満と怒り

 

社会が、或いは周りの方が、自分の思うように動いて下さらない。
そんなことでも不満や怒りは生じてしまいます。

でもね、人間、不満を持って心を地に落としてしまうよりかは、
不満を心の中で上手く処理して、心を光り輝かせ、神様と繋がっている方が
どんなに幸せか知れません。

子供がオネショをした。
それで怒る親などおりませんでしょう。
逆に心身の成長度合いを心配したりするものだと思いますね。

例えば、子供がオネショをする度に怒っておりますと、
いつまで経っても子供のオネショは治りませんでしょう。
もし怒りたくなりましても心の中で不満や怒りを上手く処理して
子供には寝る前に飲み物を飲まないようにと、
最適なアドバイスをして差し上げますしかないのです。

人と人でも同じですね。
たとえ魂は対等でありましても、
様々な環境の相違で、
気付きが遅かったり、
心が曇って見えなくなってしまっていたりすることはあるものでございます。
それにね、自分の考え方が正しい、と
そのようなお考えも傲慢なものであるように思います。

不満や怒りの気持ちが生じて参りましたら、
間違った感情が生じて参りましたら、
反省して、何度でも反省を繰り返して、
その間違った条件反射を訂正する必要があるのですね。

そうして心の中で上手く処理する条件反射を身に付けて、
相手に対しては必要に応じて適切なアドバイスをして差し上げる、
正しい在り方を背中で示して差し上げる、
そういった方法が一番良いのではないかと思うのです。

それにね、どんなに心が未熟な人でありましても、
思い遣りに溢れた環境の中におりますと自然と変わって下さるものだと思うのです。

不満を不満と感じない心、
自ら身を引き、相手の愚かさを赦して差し上げます心、
気付きや成長を願って差し上げます心、
自らの中にそういった暖かな気持ちを持って戴きましてね、
心を常に光り輝かせて神様と繋がっているようにするのです。

その方が絶対に幸せですからね。
その方が絶対に人生が上手く行くのですから、
不満や怒りは余り持たない方が良いですね。

 

人よ

 

間違いを犯してはならない。
現世に生きている人は人目を引こうと、或いは物質的な何かを得ようと、色んなことを云う。
それに惑わされてはいけない。
神理に自分に都合の良い勝手な解釈を付け加えたり、捻じ曲げたりしてはいけない。
その言葉の本質を見抜き、偽善を見ぬき、悪を排除して行かなくてはいけない。

神理は、大宇宙大自然界は、何一つ変わることなくその営みを続けている。
それは変わることがあってはならないものである。

人は神の子として、正しく人の心を耕す農夫にならなくてはならない。

 

魂理論仮説

 

般若波羅蜜多(パニャーパラミタ)すなわち9次元の神の意識は全ての存在の源である。

その一つの小さな点が、あなたの心の中の神の意識である。

その点の周りが愛と慈悲で覆われ、
さらに愛の周りを智性が覆い、慈悲の周りを理性が覆い、
それを善我が覆っている。
これが心の姿である。

心は本体1体の他に分身が5体存在している。
光を分けた兄弟である。

この心に生活習慣や条件反射等の八正道が蓄積されて霊体となる。
霊体と守護霊様、指導霊様は魂として一体となり、
表面意識を伴って幽体に入る。

幽体は4次元で活動するための乗り舟である。
私達の身体には必ず心であるこの幽体が備わっているのだ。

神の意識→慈愛→理性・智性→善我→心→霊体→魂→幽体→身体


それでもまだ間違いがあるような気がする。

 

供養の本質

 

供養とは奥深いものでございます。
言葉でどれだけ説明しても、実際に経験してみなければ分からない。
経験してみて、ハッと気付くものでございます。

神に対して、人に対して、亡者に対して、
供養とは、その人を、その魂を思い遣って誠実に接すること、
と云いましてもさっぱり分かりませんでしょう。
癒しのエネルギーを与えると云いますと分かり易いのかも知れませんね。

心に愛を蓄えましてね、
「可哀想に」、「幸せになってね」って精神誠意誠実な真の想いを送って差し上げる。
それはね、涙がちょちょ切れるくらいの想いなんです。

精神誠意、真の心でその魂のことを想って差し上げる。願って差し上げる。
汚れた心ではできません。
わだかまりを拭い去らないとできません。
反省して、反省して、それでようやくできるようになるんです。

供養とは、感動で涙するものである。
そのためには優しい心が大切でございます。

 

命の味噌汁

 

もうどうにもならなくなって命を投げ出すことも考えていたり、
頭をガンガン壁にぶつけて泣き喚いていたり、
と、そんな人は命の味噌汁が良いですね。

命の味噌汁。

ただの具沢山の野菜の味噌汁なんですけど、
これをね、毎食どんぶりばちに一杯食べるんです。

ご飯も食べないのですよ。
他に何にも食べないのですよ。

これを6ヶ月続けますと、目がくわっと見開かれますね。健康で身体が軽くてね、
睡眠時間もナポレオン以上に短くなります。
運気が驚くほどに良くなりましてね、願ったことが何でも叶うようになります。

一年続けますともうにこにこにこにこ。
突然、神懸りして神詞を語り出したりするんです。

三年も続けますと仙人のようになりますでしょう。
それまでに、もう何も食べなくても生きて行けるようになっておりますでしょうけどね。

 

 

百日紅(さるすべり)の樹が満開でございます。
百日紅の花は薄紅色で、樹はツルツルでお猿さんも滑ってしまう。
ですからさるすべりなんですね。


私達は罪を犯します。
気付いている罪より気付かない罪の方が多いのですね。
そうして、人の罪は見え易く、自分の罪は見え難い。
でも客観的な視点での反省という行為で、必ず見えて来るものでございます。

罪が増えて参りますと、人生に様々な障害が生じます。
病や人間関係、社会的信用等々でございます。

それでも私達は生きて行かないかんのです。

生きて行かないかん。
ん?いきていかないかん?
いきて いかな いかん。

「い」の三段活用ですね。
さあ、皆さんも発声してみましょう。

いきて いかな いかん。
いきて いかな いかん。
いきて いかな いかん。
いきて いかな いかん。
いきて いかな いかん。
(笑)

 

正座

 

正座のし過ぎで、足の甲が酷いことになっております。

それでもまだ、心の中に闇の部分があって、不満を持とう持とうとするんです。
その闇は身を守る欲から生まれて来るのですけど。

その闇を留めるものが正座というわけでございます。

不満を持って心を地に落としてしまうよりかは、
足の甲が酷いことになるほうがなんぼか良い。
のでございます。

人は必ず、光りある方へ進もうとするものでございます。
何故なら、その方向が心の故郷なのですから。
一時不満を持って、安易な方向へ、闇の方向へ堕落しましても、
必ず魂は光のある場所に集まって来るものでございます。

ゾウリムシもそうですね。
光のある場所に集まって来るのですね。
好光性とでも云うのでしょうか。
神様の子供は皆そうなんです。

でも、そうじゃない存在もありますね。
闇を好むもの。
神に反逆するものがそうですね。
それでも彼等だって光に飢えているのです。

祝福されたもの、と、呪われたものの典型的な例ですね。


ひとつの宇宙に光が現れ、
それから権威が現れた。
それは決してドブや闇の中からは現れず、
必ず、歓びと、感謝と、愛と、平穏の光の中から生じた。