ブログより転載(2012年12月)

 



大晦日



大晦日でございます。

皆様にとりましては、今年はどのような年でありましたでしょうか?


おさんなどは記憶力が乏しいもので

今年を振り返ろうとしましても特に何も思い出せないのでありますけど、

大きな出来事は何年経ちましても記憶にあるものでございます。


何年前でしたか、Fitsダンスコンテストなんてものがありまして、

(そっちかいな。あはは)

るるるの歌なんてものが登場致しまして、

低燃費少女ハイジなるものが登場致しまして、

電波少年に出ておりましたスギちゃんなる者が再び現れて

「ワイルドだぜぇ」などとのたまわりまして、


ただね、それ全部、一昨年以前のことなんですね。

あ、ジャン・レノのドラエモンは今年でしたっけ。


事件では、選挙で自民党が圧勝しまして、

角田美代子が捕まりましたですね。

んでもって獄中で自殺したのですけど、


角田美代子は間違いなく悪魔に乗っ取られてしまっていたのですね。

ですから、人を洗脳したり、催眠術のようなことができたのでしょうね。

それはね、催眠術の多くは魔物が関わっているそうですから、

そうして、悪魔によって命を奪われて地獄に引き摺り込まれたのでしょうね。


それは間違いないと思いますよ。

末法の世になればなるほどそういった事件は増えてくるのでしょうね。


さて、来る年は、

明るい年になって下さるのでしょうか。

多少なりとも地上に光が差し込んで下さいますことを、

おさんは願っておりますよ。



人格の核の部分



人格の核を成すものは何であろうか?

まあ、おさんも暇人ですからそんなことを時折に考えたりも致します。


あと6日程で年も明けるのですけど、

毎年元旦にも迷惑メールちゅうものが数通届くわけでありまして、

人迷惑でありながらも可哀想なやっちゃなあ、とね

心の寂しいやっちゃなあ、と思うのでございますけど、


未熟過ぎるのでしょうね。

魂の思いが微塵もない。

或いは生まれてからそういった教育を受けてこられたのかも知れませんね。


未熟さと、魂の思いと、洗脳度


いや、実はこれが人格の主な部分を構成するのではないかな、

と、そこでおさんは思い当たったわけでございます。


人格 = 魂 + 未熟さ + 洗脳度


おさんなんかは未熟さ6割、魂の思い3割、洗脳度1割くらいでしょうか。

安倍晋三さんなんかは未熟さ3割、洗脳度6割、魂の思い1割くらいではないかと思います。

未熟さと洗脳度が0になって魂の思いが10割になりましたら、

きっとお釈迦様のように高い悟りが得られるのでしょうけど、

まあ、転生回数が圧倒的に不足しているのでしょうねぇ。

誰だってそんなに変わるものではありませんね。

煩悩が生じても仕方ないというものでございます。


まあ、何度も申しますけど、

煩悩の根本原因は自分本位と自我我欲、自己保存の心なのです。

でもね、気にしておりましても人生務まらないではあーりませんか。


人生がばちょとね、

不安なんて抱えずに、

取り敢えずは心に生じる魂の思いに素直になって、

心に思うことを発言し行動していくことじゃないかなと思います。

多少間違っておりましてもいいではありませんか。

人間なのですから、誰だって間違えるのですし、

間違いの積み重ねが今の地上の様相なのですから。

間違いは間違いでね、

それは一人一人がどこかで訂正すればいいだけのことなんです。


ただまあ、色んなルールはありますけどね。

法律とか、モラルとか、責任とか、色々ね。



年の瀬



いや、ほんまに

年の瀬でんなぁ。


おさんも年が越せるものかどうなのかと心配を致しておりましたけど、

どうにか年は越せそうな今日この頃でございます。

いや、毎年、年を越せるものかどうなのか、と頭を抱えるのですけど、

不思議なことに、年は越せちゃうのでございますなぁ。


でもって昨日は来年の暦とにらめっこして、

吉日の選定作業などを致しておりまして、

骨が折れましたでございます。

今日明日は電算部門で業務プログラムの変更をしなくてはいけません。

毎年、年末には翌年の設定をしなくては、

上手く動いて下さらないのですね。


まあ、電算部門と申しましてもおさん一人なんですけど。

(この文言、過去にもあったような気が致します。)

あははは


ところで今年ね、おさんは荒神信仰を始めちゃいましたので

来年は荒神さんにお参りにいかなくちゃいけないのですね。

いや、参道にあの美味しい鯖寿司が売られているあのお寺ですよ。

ここ何年もすっかり子豚さん(ご無沙汰)でしたのでね、

鯖寿司はともかくも、お参りに行っておかなくちゃいけません。


荒神さんはね、五行の如来様で上の方のお方でございまして、

お釈迦様や高橋先生と肩を並べる程のお方のようでございまして、

おさんの解釈するところによりますと、

荒神を信仰して精進しておかんと

我が眷属の飢渇神(きかつじん)、貧欲神(とんよくじん)、障礙神(しょうげじん)が暴れて不幸になるぞ、

とお釈迦様の前に現れて仰られたそうでございます。

まあ、今風に申しましたら、貧乏神、疫病神、障り神ですな。

ところが荒神さんを信仰しておりましたら、

眷属の大日如来、文殊菩薩、不動明王が護って下さるそうなのです。

いや、おさんの拙い解釈ですから間違っておりますかも知れませんけど。


まあ、そんなわけで荒神さんにお参りに行こうかと考えちょります。

はい。



愚かな選択



いや、日本人は愚かな選択をしたものだと

私は思いますよ。


数年後には景気はさらに悪化し、

上位1、2割の金持ちはさらに裕福になり、

それ以外の殆どの人は貧しくなりますでしょう。

それが自民党の政策ですからね。


恐らく日本人は余りにも考えなさ過ぎるのでしょうね。

現状の問題分析もしようとはしないし、

この政策でどういう結果が導き出されるかさえ深くは考えない。


好き嫌いで投票して、

或いはずけずけものを言う政党に信頼感を感じちゃう。

まあ、それがカリスマの要件なのかも知れませんけど、

それが現状を招いていることにさえ気付けないのです。


数年後、さらに貧困を訴える声も大きくなりますでしょう。

まあそれは自民党を選択した日本人にとりましては自業自得なのですから、

仕方ないっちゃあ仕方ないと思いますけどね。


橋本の時の規制緩和、

小泉の時の郵政民営化オンリー政策、

そして今回の安部の右翼・金融緩和政策、

どすんどすんと今回も景気は例外なく後退して下さることは間違いないと思いますね。



兵馬俑(へいばよう)



思い立ちまして、先日より兵馬俑を検索して色々と調べておりましたおさんでございます。


紀元前2百年以上の昔に秦の始皇帝が造らせたとされます、もんの凄い数の兵士と馬の整然と並んだ姿は

如何に秦が強大であったかを伺わせますね。


その強大さはきっと後々まで続いたのでしょうね。

周辺国が属国になりたかったわけです。

朝鮮半島に攻め入った大和朝廷や秀吉さんがことごとくやられて帰ってきたわけです。


今はもう見る影もないしょうもない根性ワルの商売大国、盗人大国、公害病大国ですけどね、

その頃の秦はやはり凄かったのだろうなと思います。


でもね、時代は変わりましたですね。

今やもう武力や脅しで優劣を競う時代ではないのですね。

平和と協調と幸福を生み出せる国こそ国際社会から認められる時代なんです。

他国との商売(貿易)でずる賢く勝ち抜こうなんて時代でもないと思いますよ。

そんなの次元が2つも3つも低いのです。


そして、国際社会がそうなるように力を併せ、歩調を合わせて進まなくてはいけない時代なんです。

高い意識を持つ国が率先して提案し引っ張っていかなくてはいけないのです。

ところがね、実際にはそうではない。


兵馬俑や軍艦大和、

文化財としてはそりゃあ素晴らしいものですけど、

過去の遺物ですよ。

決してその時代に逆戻りしてはいけないのですね。

低い次元へ、低い次元へと戻ってしまってはいけないのです。


政治家たちは時代の流れ、なんて言いますけどね、

そんな時代の流れなどあるはずもないし、あってはいけないのです。

決して愚かな者が生み出した愚かな流れに身を任せてはいけないのですよ。


いや、おさんは兵馬俑を見てそんなことを感じておりましたです。

はい。



修行のかたち



今生、おさんには

誰かと恋愛して結婚し、子を設けて家庭を持つ、

というような課題は与えられなかったようでございまして、

自分自身でそのように決めてきたのかどうなのかは分からないのですけど、

それでも何の不自由もなく、そのような欲もなく

今ここにこうしておりますわけでございます。


ところが殆どの方がそうではないのですね。

恋愛して結婚し、子を設けて家庭を持って、

それでも尚恋愛したいと仰られます方とか、

早く将来の伴侶と出逢って結婚したいと仰られます方とか、

まあ、望んでおります限り

正しいことは必ず実現するだろうとは思うのですけど、


いや、別の面から見ておりますと、

求める者同士、惹きつけられ合って結婚に至ることも案外簡単なことではないのかな、

とも感じるのですけど、

ところがそうは簡単に問屋が卸しては下さらないのが

この地上の法なのでありまして、

往々にして、好きになる人と好きになって下さる人が異なるという事象が生じるのでございます。


何だかじゃんけんみたいですね。

「ぐー」 は 「ぱー」 に 負けるのです。

「ぱー」 は 「ちょき」 に 負けるのです。

「ちょき」 は 「ぐー」 に 負けるのです。


共に勝ちという現象はそこにはなくてね、

勝ちと負け、或いは、あいこ、という現象が生じるだけなんです。


一方がかなり妥協して負けを認めないことには、

或いは双方が少しずつ妥協して、あいこ、という状態を受け入れないことには、

決して二人が一緒になることはなかりけるのですね。


勝った相手は別の人に勝ち、その別の人もまたまた違う人に勝つのです。

人類一千万人が恋愛を求めているとしまして、

みんながそれぞれに異なった相手を好きになり、

ぐるっと一周して、さては南京玉すだれ、あらよっと、、、、、、


でもね、思いますに、

好きな人が自分に振り向いては下さらず、

振り向いてくださる人は自分には全く興味のない人、

ということになりましたら、

好きな人の気持ちも、好きになってくださった人の気持ちも、

その気持ちが計れるってものではありませんか。


相互理解が深まって、人間理解が深まって、

それも愛の修行ってことなのではないかなって思うのです。

そうして相憐れむ心の余裕が生じて、

たとえば男が

或いは女だけが

くるっと振り向いて目の前の相手とパートナーになれば、

恋愛を求める一千万人全員に伴侶ができて、

めでたく五百万カップル誕生!

ハートマークキラキラ、

神の御前に〜、

ってことになるじゃあないですか。


いや、暴論ですけど、

なんか、「じみへん」っぽくなっちゃいましたね。

漫画にすれば面白いかも。

あははははは



自信と自尊心



自信と自尊心はよく似ておりますね。

唯一つの違いは、

自信は慎ましやかで思慮深く、控え目です。

自尊心は、力を誇示したがりますね。


実は私はこのように考えております。

人を生かすための余裕が自信であり、

自らに向けられた余裕、自らのための自信が自尊心なのではないかな、

ってね。


自らのための自信が他に受け入れられるはずもなく、

それは決して自信として評価されることもない。

それは紛れもなく自尊心なのです。


いや、ちょっと言い方を変えてみましょう。

愛に基くものが自信であり、

自己中心なのが自尊心であると考えましたら、すっきりするのではないでしょうか。


似たものに虚栄心と言うものもありますけど、

そこまで展開してしまいましたら、ややこしくなっちゃいますし止めておくことにしましょう。


さて、皆さんの持つ自信はどちらのタイプでありましょうか。

自らに嘘のない心を獲得したものは強いものです。

嘘のない心で正々堂々と主張する者は、

心を揺さぶられることがありません。

それが自信です。


嘘のない愛に基く心には怖れがありません。

逆もまた然りです。

何故なら、嘘がないということは自己中心、自己保身の心がないからです。

それはキリスト様やお釈迦様が示して下さってもおりますでしょう。


おさんは思うのですよ。

人のためではない自信が、

果たしてこの神霊内部の世界に必要なものなのかどうか、


いや、ここらへんでおさんはいつも悩んじゃうのですけれど、、、、、、

まあ、理想論ということでね、

口先三寸、言動不一致ということで聞き流して下さいましたら、

と思うのでございますよん。



昨日の夢



師走に入りまして6日目でございます。

明日は24節季で大雪という日でございまして、

天気予報でも、明日は寒くなるぞ、と云っておりました。


いや、夢なんです。

昨夜の夢。

どこかの品のない女社長に私含めて数人があちらこちらに連れ回されておりましてね、

私はもうすっかり疲れ果ててお先に失礼させて戴いたのです。

駅のホームに参りまして、さて乗車しようとしますと、

おさんの手前でドアが閉まるのですね。

よそ見しております間に行ってしまったりと、

何車も何車もおさんを乗せずにドアを閉めて行ってしまうのです。


いや、おさんが乗る手前で、ドアは必ず閉まってしまうのですね。

乗れないのです。

ですからおさんはもう電車に乗ることを諦めましてね、

ホームを後にするのですけど、


猫ちゃんが話し掛けてくるのです。

「おい、おまえ、あっちからきたんだろ?

おい、あっちの、なんか相当疲れてるやん。」

そんでもって、元気のでる何か良いものを下さるというのですね。


どぶ川のところに連れて行かれまして、

そうしましたら、そこに何か光るものが落ちているんです。

「おい、ちょっと拾ってみいや。」

おさんは云われるままに拾い上げましたね。

どぶ川からね。

そんでもって現われましたものはネコの首輪なんですねぇ。


いや、ネコに首輪をしちゃいかん、ってことは知っているんです。

ネコちゃんは逃げますし、

その時に首輪されておりましたら、

成長した時に首が締め付けられちゃいますから。

いや、過去にそういうネコも見たことがありますし、、、


ネコちゃんは云いましたね。

「その首輪に、ミケは3年前に死にました、と書いて持ち主に返してやってくれ」

ってね。



この世の理



神様が死ねというなら黙って死ぬさ

小賢しく立ち回ったり

卑怯に逃げ回ったり

命乞いしたりするようなおバカじゃない

だからこそ

信念を持ってさ

たとえ神様にでもたて突くことができるのさ

おそれない

自己保身を抱えない

覚悟するってぇのは

そいうことなんだと思う

そうなればさ

誰もあなたを攻撃したりなんかできなくなるさ

そんでもって

あなたはあなたの好きなように生きることができるじゃないか

命の枠を超えてさ


4次元世界の表面

りんごの皮のところさ

5次元世界ではいっちゃん底の面

6次元でいうところの

底の面を構成する一つの細胞

7次元でいうところの

底の面を構成する一つの細胞の表面

8次元でいうところの

底の面を構成する一つの組織の中の一つの細胞

9次元でいうところの

底の面を構成する一つの組織の中の一つの細胞の表面


その最も次元の低い最も単純な世界

三次元宇宙

大宇宙大神霊体の事象全てが現象となって現われる

物質界

だからこそ

最も苦しみの多く存在する世界

喜びも苦しみも怒りも悲しみも

大いなる影響力を持って魂に訴えかけてくるこの無常の浮世でね

まあ、所謂ところの戦争の最前線さ

執着する価値の微塵もない世界なんだ

そんな中でね

ナニモノにも動じずに強く生きてかなきゃ

損じゃないかなぁ

って思うのさ

いやほんま



おじゃりんこ



おさん、

目刺しの好きなお年頃になり申した。

あはは


105円で焼いた目刺しの小さめなのが6匹入っているおやつがあり申して、

添加物も入っていないようなのでよろこんでたべておったのじゃが、

じゃがじゃが、

んまいのでおじゃるな。

若い頃は目指しなんぞには目もくれなかったのでおじゃるけど、

んまいのでおじゃる。


きっと、身体に必要としているものが美味しく感じるのではないかとおじゃるのだけれども、

だから、美味しく感じないものとか嫌いなものはきっと身体が欲していない、

摂取する必要のないものでおじゃりんこで、

無理して食することもなかりけるのではないかなとおじゃるのだけれども、

それにしてもこの焼いた目刺しは美味しいのでおじゃる。

今年に入ってからもう数十袋、摂取しているのでおじゃりんこ。


目刺しを食べて骨を丈夫にして、

肉を食べて筋肉を養って、

脂肪をつけて命を護って、

人間の成長はこの繰り返しではないかとおさんなんかはふと考えたりするのでおじゃるけれども、


内臓の働きが年と共に弱くなって、

おさんにとりましては、食物繊維も必要不可欠な栄養素になってきたのでおじゃる。


でもまあ生きている限りは、

美味しいものをたらふく食べて、

美味しい経験を沢山積んであちらに戻らんとせんと思うのでおじゃるのだが、


あ、昨日ね、刺身の赤海老を戴いたでおじゃるよ。

海老味噌を醤油に混ぜましてね、

そこに海老を漬けて戴いたのでおじゃる。


これはもう、なんともまあ美味しかったのでおじゃるよ。

あははは


ちなみに、このブログでもおっさんは、

自称「おさん」に変えることにしたのでおじゃりんこ。