ブログより転載(2013年2月)

 



人間だもの



自らをね、優れているとか、偉いのだ、とか

傲慢になって自らを高きに置いてね、

そういった人をおさんは最も劣った愚かな人間ではないかと思いますよ。


ダメダメでない人間なんてひとりも居やしないのです。

だからこそ今こうやって地上で訓練をしているのですね。


おさんは思うのです。

ダメでも良いじゃん。

だって、人間なんだものーーーーーーー!!

ってね。


自尊心とかね、

プライドとか、

世間体とか、

背伸びとか、

見栄とか、虚栄心とか、

そんなものはいらないのですね。

あったら逆に邪魔になっちゃう。

自己中になって傲慢になって天狗になっちゃうだけなんですから。


深く深く内省してみて自らのダメさ加減に気付いて、

嫌になって、

打ちのめされて、

そうすればそこから本当の底力が出てくるのです。


大自然界にあるものは全てそうですね。

「あるがまま」

「ありのままの姿」

なんですね。


嘆くこともない

卑下することもない

不安になることもない

無理することもない

ただ、無私に徹して存在しているのです。


それはね、きっと、

大いなる創造主への感謝から生じる報恩の気持ちであって、

全ての命に対しての愛であって、

定めであるのです。


そうして、それが心あるものの最も聡く美しい姿なんだろうなって、

感じるのですね。



マザコンと親孝行の違い



息子が、母親を大切にする。

果たしてそれはマザコンなのか親孝行なのか、

今日はそのようなことを論じてみるのでございます。


まず、親の脛をかじりながらできる親孝行なんてものはありませんね。

成人してもいつまでも実家で家賃も払わずに住んでいる。

親の手料理を食費も払わないで食べ続けている。

そんなのはまず間違いなくマザコン、ファザコンの類なのでありまして、

成人は、

まず独立して自分の力だけで生計を立てる努力が大切であるように思うのでございます。


少し前に、そういった依存関係の強要を前提とした憲法改正案を提示されておりました政権もありましたけど、

まあ、その時の総理大臣が今の総理だなんて野暮なことは申しませんけれども、


子が親離れをしてこそ、

そしてまた、親が子離れをしてこそ、

親孝行ってのは成り立つのではないかなと思うのです。


増してや、母親の買ってきた下着を身につけるなど、

それは間違っても親孝行できる関係性ではありませんし、

おぞましいですし、

そういう関係性は社会通念上、間違いなくマザコンと認識されるのですから

その親も子も自覚して戴かない限り、

結婚なり社会生活なりで損失を生じるのではないかと思います。


また、親が会社に押しかける、

盆と正月の帰省を強要したり、テレビ番組の録画を強要したり、

同意も得ずに親の、或いは子の住居に押し掛けたり、

親が子の結婚に口出ししたり、

それも同じことではないかと思いますね。


そういった関係性を卒業しましてね、

互いに対等な立場になる。


親孝行が叶うのはそれからのことですよ。

おさんはそのように思いますね。



嘘とか、かくしごととか



人類はようやくにも、体罰はいけないよ、ということに気付き始めたところでございます。

人類の心の進化はそれ程に遅いのですね。

ですから恐らく、こんな話題を取り上げましても、理解しては戴けないでしょうけど、

取り敢えず、まあ書かせて戴くのでございます。


嘘とか、かくしごとはいけないよ、

それはまあ、当たり前のことでごはないかと思います。

閻魔さんに舌を抜かれるとか、泥棒の始まりといったようなことわざもありますけど、


それでもね、この世界で、人は嘘をつかず隠しごともせずに生きて行くことが、

果たしてできるものなのでしょうか?


否、ですね。


嘘をつかずに生きておりましたら、間違いなくキリスト様やその弟子のように迫害され、

殺されてしまいますでしょうね。

心にあることを一切合切ずけずけ物申してしまうことになるのですから。


それに、決して到達し得ない完璧を目指すことになりますから、

寝る暇だってなくなっちゃう。

まあ、キリスト様は7日7晩、飲まず食わず、不眠不休で魔物と対峙したのですけど、

凡人にはそれは適わない。


嘘とか、かくしごともね、やはり神様がお与え下さいました慈悲に他ならないのですね。

中道が一番良いのです。


ところがこれを強制しようとされる方がいらっしゃる。

子供が嘘をついたりかくしごとをしたりすると厳しい罰を与えるのですね。


ったく、何をか況やいわんやだと思いますよ。

自分たちが気付いてか気付かずか嘘やかくしごとをしていながら、

子供にそれを強制する。

愚かだし傲慢だし、

神の与え給うた慈悲を受ける権利を妨害する権利がどこにあるのかと思いますよ。


家族に迷惑を掛けないようにという約束なら良いのです。

親権者として、人生の先輩として生き方を教えるにしましてもね、

教訓としてなら良いでしょうけど、

罰を与えたり強制したりすることはあるまじきことですよ。

ったく、けしからんです。


ただまあ、一方的ではない真の信頼と、

判断力の備わった者同士が行う、充分な理解の下に成立する合意、契約の中にありましては、

勝手にして下されば良いように思いますけど、

未成年者相手では、だちかん!だと思いますね。



石原慎太郎に反論する



過去に、石原慎太郎が体罰に対してこのように発言されていらっしゃった。


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人間の社会の中でいかなるジャンル、領域においても人間の能力の優劣の差は認められる

教育の世界だけで不思議です

人間の優劣を認めない

これはとてもおかしいと思う

現在の教育界の変な通念になっている

特に小学校、中学校全般ぐらいまで自我ができていない子どもを育てるため

体罰は不可欠だと思う

たちえば体罰も一種の刷り込みだと思う

刷り込みというものも徹底させるという強い強制がいる

強制は1つの体罰になってくると思うし

基本的な矛盾が今の教育を支配している
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でもね、おさんは、

何をおバカなことを言っているのか、って思うのですよ。

ですからこの場で少し反論させて戴くのですけど、


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人間の能力に優劣の差はありませんよ。

誰もが何れかの分野で勝っているし、また劣っているのです。

人間に優劣があると考えるところから差別が生まれ、虐めが生まれるのではありませんか。


自我ができていない子供に体罰を加えればその子の自我の健全な発育が益々妨害されますでしょう。

体罰が人を育てるものか、愛に基づいた心ある教育が人を育てるものか、

検証して見られましたら明らかになりますでしょうし、

検証するまでも無く聡い人間でしたらそのくらいのことは判断できるのではないかと思いますね。
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旧正月



さて、明日2013年2月10日は旧正月でございまして、

旧暦における1月元日なのでございます。


2月3日が節分、

2月4日が立春でありまして、

立春からこの旧正月までの間

運気は2012年であるのか2013年であるのかはっきりせず

優柔不断のなあなあの時季でありましたわけで、


これはさざえさん現象とおさんなどは呼ぶのでございまして、


さざえさんはあれでしょ?

歳をとらない問題で、

毎年大晦日の翌年はまた同じ年の元日に戻るわけですけど、

カツオ君やワカメちゃんの通うかもめ第三小学校だけはそうではなくて、

3月31日の午前零時前に、

彼らは一年時をさかのぼるのでございます。


だって、そう考えないことには、

一時的にもカツオ君は小学5年生から4年生に、

ワカメちゃんは小学3年生から2年生に、

なっちゃうのですからぁ〜


残念!!


とね、まあ、そんなあやふやな時季でありましたわけで、

でもね、明日からは間違いなく2013年の運気が始まるわけでございます。


ところでね、

ついさっき認識したのですけど、


グーグルはグーグルアースに於いて

尖閣諸島が中国の領土であるとの主張を始めた模様でございまして、

まあ、時間のおありになられます方はグーグルアースで確認してみて下さいましたらと思いますけど、

ったく、酷いものでございますよ。


でもって、昨夜、おさんは怖い夢を見ましたとです。


空一面を覆い隠すほどの飛行機雲が作られているのですね。

戦闘機が飛んでおりまして、

時折に閃光が煌き

燃えた戦闘機が落ちてくるのです。


でもって空き地から異様な形の飛行物体が現れましてね、

人々を攻撃してくるのですね。


まあ、近い将来、

現実にならなければ良いのですけど。



光の天使と闇の住人



自己中心的な想念で攻撃したり主張したりする者は光の天使であろうか?

私はこのように考えます。

光の天使は決して自己中心的な想念では争わず、闘わない。


生まれた時には誰もが光の天使でありながら、

環境や地上の厳しさに煩わされて堕落してしまうのです。

ですから地上は闇に支配され、

更に多くの光の天使が迫害され、堕落して行くのですね。


体罰、

虐め、

虐待、

DV、

詐欺、

半グレ、

宗教、

ビジネス、

社会の仕組、、、、、


全ての根源に闇の住人による光の天使への攻撃、迫害の構図があるように思います。


自己中心的な想念で、

攻撃し、

迫害し、

強要し、

強奪し、

権利を侵害し、


そうしてその稚拙な判断で自らを勝ち組と位置付け、

自らを高きに置き、

その考え方を恥じるどころか決して省みようとはしないのです。


俗に言われます障害者を、

その一際高い志を持って生まれて来た光の天使でさえ、

「障害者」と呼び、その外見的な判断で劣った者と看做すのです。


でもね、

この世的な価値観は決して天(実在界)では通用しませんからね、

死後には必ず厳しい反省を求められるか、魔物になるか、

間違いなくそのどちらかであろうと思いますよ。



一昨日の夢



一昨日の夢はね

モントワールというところに住む夫婦の夢でございました。


ご主人は一芸師というお仕事をしておりましてね、

木の机を揺らしながら雀のチュッチュチュッチュという鳴き声のような音を出すのですね。

そんでもって今度は分厚い本を持ち出しまして、

ページをパラパラとめくりながら雀の羽ばたく音を醸し出すのです。

両手の甲に雀の絵が描かれておりましてね、

本の中から雀が飛び出してくるように見えるのですね。


さて、その夫婦も歳を召しまして、

奥さんの目が見えなくなってしまうのです。

ご主人はもう歩けなくなっておりまして、


それでもねその夫婦は支え合いながら、

笑いの絶えない日々を送ったそうでございます。

毎日、歌うように会話していたのですね。