ブログより転載(2013年11月)

 



最新版、魂の構造論



さて、師走も近付いて参りまして、

ここら辺で一度、最新版魂の構成(全体像)を書いておかなくちゃいけないかな、

と思い立ち、書かせて戴くのでございます。


まず魂の最も深いところ、最も光溢れる高い次元、

魂の中心に存在しますココロと言いますもの、

これは神理(創造神の意識)を核としてその周りに、

愛(智性) 慈悲(理性) 本能(霊性)が存在しております。

これはもはや動かしがたい事実でありまして、これが心の正体でございます。

創造神の次元から眺めましたらこれは所謂下位次元に光を届ける光ファイバーのようなものでありますけど、

一つ下の次元から眺めましたらそれはたとえば球体のような閉鎖空間のように見えるはずです。


地上に高次元学者といったものが存在するものかどうかは存じませんけど、

高次元を科学しましたら必ずそのことは分りますでしょうし、

高次元も科学的なものであるが故に霊界の最も高い次元にさえ、

地球科学を遙かに凌ぐ科学文明が存在しているのです。


さて、次にその心の表面を覆うものとして、

魂の持つ根源的な創造神に対しての信仰・義が存在しておりますでしょう。

だからこそ私たちは創造神には逆らえない。

逆らいましたら必ず反作用が生じるのです。

天に唾するのと同じことになるんです。


更にその外に守護霊が存在し、

更に更にその上に自己保存の意識が覆っております。

守護霊も自己保存の意識もその内側を敵から護る大切な存在でありますけれども、

自己保存の意識は中道を外れますと、

さらにその外側の自分本位、我欲に働きかけて魂の癖(業)を強めてしまいます。

これは人生にとっては非常に有効かもしれませんけど、

魂にとっては非常に好ましくない事態でございますね。

死後に苦しまなくてはいけなくなる。

来世をマイナスのところから始めなくてはならない要因になりますからね。


でもってその周りの層、いえ、次元の更に低い層には、

生活習慣 条件反射 判断力

が存在し、

さらにその外側に

(今生の)記憶 意思 判断 感情

があるのでしょうね。

で、この生活習慣、条件反射、判断力と、記憶、意思、判断、感情はね、

転生の際には削られて真っ白な状態で母体の胎児に宿るのですね。

胎児が人の形を整えた後、ですけどね。

ですから胎児が人の形を整えるまでの3ヶ月程度は倫理なんてものも関係ないのですね。

望まれぬ子なら処置することもスピリチュアル的には何ら問題はないのですね。

ただまあ、母体が傷付くわけですからそこは大きな要因ですけれど、

魂が宿ってから処置してしまいますと母親と子の約束をした魂はもう二度と生まれてきては下さらなくて、

実在界の天使によって育てられるそうですけど、

魂が宿る前でしたら、必ずまた生まれようとして下さるそうです。

ちなみに水子霊が悪さをするなんてことはありえないそうですね。


いや、少し脱線しましたけど、

で、その外側に表面意識があって、それが幽体に入り込んで、

人は地上で一時を過ごすことになるのですけど、


では、何のために生まれてくるのか、

それは勿論修行のためですし、

なんてったって命は美味しいのですね。

実在界の食べ物よりも感動的なんです。

それにね、大自然の奏でる芸術、音楽の素晴らしさ、


まあ、実在界には実在界の、現象界(地上)には現象界の

素晴らしさがあるのですね。



地上に於ける7つのレイヤー



いえ、コンピュータ技術に於いて7つのレイヤーという考え方がありまして、

二進数的コンピュータ理論から対人とのインタフェースが成立するまでの階層が7つあるのですな。

まあ、興味のおありになられます方は一度調べてみられましても良いのではないかと思いますけど、

いや、地上も全く似たようなものでありまして、

第一のレイヤーは基本的理論の階層ですな。

神とか、法(決まりごと)とか、心とかがそれに相当しますね。

第二のレイヤーは宇宙、大自然界といったハードウェアの基本となる最初の階層です。

第三のレイヤーは人間習慣、言語、行動様式

第四のレイヤーは国家とか社会システム、日本国憲法とかそういったものです。

第五のレイヤーは地域社会や条例、土地土地の風習

第六のレイヤーは家庭ですな。家のしきたり、よそはよそうちはうち、

まあそれが民主主義的であって、

客観的に見て正しいものでありましたら何も家族間のトラブルは生じないのでしょうけど、

人は盲目ですから家長が理不尽な決まりごとを押し付けたりしているものでございます。

まあ、99%以上のご家庭はそうでありましょう。

第七のレイヤーは個人の信条、考え方、友人関係や職場、働き方、スキル、

こういったものになりますでしょう。


ところがね、

第二のレイヤー以下の設計思想と

第四のレイヤーの国家・社会システムの在り方、考え方に矛盾がある。

それではこの地上のシステムは上手く動作するはずがありませんですね。

レイヤーは一つ下のレーヤーの思想に基づいて、その決め事の上に成り立つものでなくては、

エラーがでちゃいますよ。

そのエラーがどこで現象として確認できるのか、

それは一番表面の第七のレイヤーの個々人のつまづき、行き止まり、予期せぬ不運・災害、という形になって現れます。

考えましたら誰にだって分る話です。


まあね、今日はそんなことを申し述べてみたおさんでありますけれども、

そういったことを考えておりますと、

おさんも、激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム

っすよ。

いやほんま



寂しい男論概要



少しお出かけを、と考えておりましたけど、

特に行くあてもなく、

先立つものもなく、

篭っております。

残念。。。


でね、

今日は少し「寂しい男」論と言いますものを、

主張の展開をさせて戴こうかしらと考えるのでございます。


寂しい男、

いや、色んな意味で寂しい男が増えているのでございます。

全く以て嘆かわしいことでございます。

いやまあこれは私の一方的主観によるものでありますから、

当の本人がね、

自分は寂しい男なんかではないずら、

と仰られるのでしたら、それは勿論寂しい男なんかではないのでありましょう。


たとえばね、

弱いものを攻撃する。

一方的な思い込みでどなたかを攻撃する。

自分の物差しでどなたかを測って見下してしまう。

髪が寂しい。

智恵が乏しい。

スキルが寂しい。

人生に楽しみを見出せない。

誰も愛せない。

ビールが苦い。

毎朝、タバコをふかしつつ唾を吐き捨て日々のくだらなさを嘆いている。

そういった男は、

私などは寂しい男のグループに入るのではないかなと思うのですけど、

いや、自分はそうはないぞと仰られるのでしたら、

そうではないのでありましょうけど、


これを間違って認めちゃったらまあ間違いなく寂しい男なのでありまして、

そういった諸氏は自信も備わらないでありましょうし、

人生だって暗闇の中でしょうから、

どこかで「寂しい男からの脱却」を試みるべきなのでありまして、

まあ、おさんもそのようなことを考えておりましたら、

おさん自身はどうなのかな、とふと身震いのひとつもしてしまうのでありますけど、


まあ寂しい男にはなりたくなないのものでござりますなあ。

いやほんま。

あははは



人生に於ける問題



恐らくね

私たちがこの物質的身体を離れて神霊の御足元の世界に戻る時、

神はきっとこうお尋ねになられますでしょう。


おかえり。

大変だったね。お疲れさま。

魂は成長できたかい?

悪に染まらず正しくやってこれたかい?

有意義に過ごせたかい?

楽しんできたかい?

使命(計画)は全うできたかい?

社会に貢献できたかい?


勿論ね、

神様はその答えなんぞ望んではいないのさ。

だって全てお見通しなんだからさ。

ただ、地上での暮らし、人生に於いて最も大切なことだから

神様はお尋ねになられるのですね。


一度、自らの心に問うてみられましたらきっとね、

今生が成功だったのか失敗だったのか、

判断できますでしょう。


生き死にとかね、

政治が悪政だとか、

それは小さい小さい問題であって、

人の人生からしましたらもうまるでオマケみたいなもんなのですね。


ただおさんは、

今生、成功とは言い難いだがね。

残念!

あはははははは



地上に於ける如来という人格 まとめ



酒を飲むために生まれてきたのではない

タバコを吸うために生まれてきたのではない

メシを食うために生まれてきたのではない

恋愛するために生まれてきたのではない

人に依存するために生まれてきたのではない

こき使われるために生まれてきたのではない

要領よくカネを稼ぐために生まれてきたのではない

奪うためではない

与えるためである

神の子として正しく生きる訓練のために生まれてきたのだ

地上で光り輝く愛の実現のため、

地上を愛で溢れさせ輝かせるために生まれてきたのだ


夜は寝るものだと思うな

メシは食えるものだと思うな

水は飲めるものだと思うな

休みはあるものと思うな

明日は必ず来るものだと思うな

罪が赦されるものだと思うな

神が救うものだと思うな

己に甘えるな

何事にも執着するな

悔いを残さぬように一日一日を大切に生きろ


それが如来様が自信に課すであろう定めであり

掟なのでしょう


どんなことでも我慢すれば済む話

貶されても

腐されても

どんな状況であっても

辛抱強く

粘り強く

魂を鍛え上げ

そうして如来は悟りを啓くのです


釈迦の長い旅路

6年麻麦の行

モーゼの神の与え賜うた大地を目指しての旅

そしてキリストもまた

安住の地を持たぬ人生でありました


それが如来なのです

私にはまあ凡そ無理でしょうけどね



見方を変える



お釈迦様がね、

ある時一人の弟子に、

「おまえ、苦しくないか?」

とお尋ねになられまして、

そのお弟子様は、

「はい、苦しいです。」

と答えられた。

「執着を持つから苦しいのだ。」

お釈迦様はそのように訓えて聞かせたのですね。


モノの見方は多種多様でございます。

視点を変えるだけで、

発想を変えるだけで、

考え方を変えるだけで、

あらゆるモノゴトは全く異なって見えるものでございます。


例えば愛する人との別れは、

制約がなくなって自由になるということ、

次の一歩を踏み出せるということ、

例えば病は己と向き合う絶好のチャンスであり、

生活習慣を見直す素晴らしい機会でもあります。

例えば死は旅立ちであり、

この世に生を設けるのと表裏一体を為すもので、

祝福に値することではありませんか。


それが執着を持ってしまうことで、

心は苦しみに繋がれてしまうのです。


ですからお釈迦様はこのように申されましたね。

「照見五蘊階空 度一切苦厄」

五蘊:色(身体)受(感覚)想(想念)行(行為)識(意識)

と苦厄は皆

空(心)から生じるものである。

ってね。



山本氏の行為について



山本太郎氏がまた何かしでかしましたようで、

彼はとんちんかんな事ばかりやっておりますように思いますね。


出馬の折に迷惑メールを大量に発送し、

特定秘密保護法案の誰でも認識しておりますような危険性をここぞとばかりにブログで訴え

いや、自らが国会議員なのですから自ら行動を起こしてしかるべきと思うのですけれど、

他人事のように訴えるだけで何も方策を持たず、


で、今度は陛下に手紙を手渡しした、って

失礼にも程がありますし、

恐らく彼の視野の範囲など、両陛下は遠の昔にご認識であらせられましょうに。

増してや心優しき両陛下がその訴えに対しどれだけお心を煩わせましたことか知れません。


山本さんよ、ええですか?

陛下には参政権も如何なる政治的権力もないのですよ。

直訴してどうなるものでもない、どうすることもできない、

ただ無闇に陛下のお心を煩わせるだけなんです。


ったく、困ったものでござりまするなぁ。