ブログより転載(2013年12月)

 



ノロウィルス



あとほんの5日ほどで年越しでございます。


ところがノロウィルスが流行しておりますそうで、

一昨日などは仕出し弁当屋の調理担当がノロウィルスに感染しており、

その弁当を食べた沢山の人がノロウィルスによる食中毒に感染して

上から下からの大騒ぎだったそうでございます。

恐ろしいですね。


困ったことにこのウィルスはどこに潜んでいるか分らない。

エスカレーターの手すり、電車のつり革、

至る所に潜んでいる可能性があるそうでございます。

外から戻りましたら手洗いは欠かせませんね。

皆様も充分にお気をつけ下さいませ。

でもって、

良い年をお迎え下さいなっしー



電波発電器を作ろう



なんか、構想はあるみたいですね。

人工衛星に太陽発電のパネルを取り付けて電波で電力を供給する、

なんて話ですけどね、

研究段階でありまして、

結局、レーザー光線を使うことになるのかなとは思いますけど、

まあ、大分先のことになるのでしょう。


それでもね、地上を大量に飛び交っております電波からも

微弱電流は取り出せるわけでございまして、、、


子供の頃作りませんでした?

あの、ゲルマニウムラジオってやつですけど、

電池がなくてもAMラジオが受信できるのですね。

それは電波に含まれる電流を使っているからなんですね。


蛸足のような丸い平面の板に銅線を巻き付けましてね、

何重にも撒きまして、

その銅線の先にダイオードを取り付けて電波が一方向にしか流れないようにするのですね。

で、受信周波数を調整するためにバリアブルコンデンサを取り付けて、

イヤホンを取り付けて、


まあ、銅線の長さが合っておりましたら、

小さい音ながらAMラジオが聞こえる筈なんです。


そのタコの足アンテナとダイオード以外は取っ払っちゃいましてね、

そこに蓄電池を取り付ける。

プラスマイナスを逆にしちゃいましたら電流が流れるばかりで蓄電できませんから、

そこら辺は注意が必要ですけど、

それだけで微弱ながらも蓄電できるわけです。


ただまあ、余りにも微弱な電流ですから一年でどれだけ蓄電できるものかは分りませんけど、

まあ、間違いなく人力発電のほうが遙かに効率はいいでしょうけど、

理論的には可能な話でございまして、


まあ、興味のおありになられます方はやってみてちょーだい。

と思うのでございますよん。



宿題の片付け



あ、さて、さて、

さては南京玉簾♪ってことでね、

前回宿題を残しておりまして、

いや、宿題はおっさんは反対しているのですよ。

だって仕事を家に持ち込めばかみさんの顔が曇るのと同じでね、

家にまで学校のお勉強を持ち込ませられたらたまったものじゃないんです。

間違いなくその児童の顔は曇りますですね。

それにね、以前も書きましたけど嫌な思い出もありますし、、、


辞書もないのにどうやって漢字の宿題を終えろと言うのか、、、

教師は夏休みさえ生徒を無限に苦しみ続けさせるつもりなのか、、、

ってね、

そこら辺はおさん、社会全体を敵に回しても、断固No!を訴え続けますよ。

もうちょっと、学ばせるべきことがあるやろ、まず心と言うものを教えて行かんとあかんやろと、

更には、英語より以前に、日本人の日本語の読解能力のなさに気付けよと、、、

おさんは言いたいのでございます。


あ、ごめんちゃい。

つい熱くなってしまいましたです。

あははは


えー、何でしたっけ、

あ、そうそう、ビスマス鉱石の結晶と五点接地法でしたですね。

前回、ちょこっと言っておりましたですけど、


ビスマス鉱石の結晶はね、

一度画像を検索して下さいましたら驚きますよ。

おさんも驚いた。

これはね、高層マンションなんかを建設する時なんかに最も強度のある構造を、

神様がお示し下さっているのではないかと思いますね。


近年、人工衛星(宇宙基地)まで届くような宇宙エレベーターの開発が試みられておりますけど、

原発同様に今の人類の科学技術では到底無理な話でありまして、

そこは地上数千キロに届くような高い建物を建設して、

その上に空港を設けて、

旅客機の行き来に加えてスペースシャトル様のものでもう一つ高度の高いステーションに到達する。

そのステーションは人工衛星(宇宙基地)と直接繋がっていて、

宇宙エレベーターで数千キロを移動する。

っていうのなら分るんです。

それに、実現可能だと思いますよ。


その、地上数千キロに空港を設ける技術、

それはこのビスマス鉱石が参考になるのではないかなと、

おさんなどは思うわけなんです。

はいな。


それから、五点接地法ですか。

これはね、神仏にお祈りをする時に正座して頭を下げますでしょ。

まあ、所謂ところの土下座の形ですけれども、


地に、足の甲つけて、手の甲をつけて、おでこをつける

これが五点接地法なんです。

イスラム教なんかでもやっておりますけど、

アラーの神様に祈る時の形ですね。

アラーの神は厳しい神様であったようですけれども、


私はね、ちなみに、

太陽系霊団の長であられます高橋信次先生はアラーの神であって荒神様だったのではないかなと思っているのですよ。

色々と一致するところがありましてね。

いや、魂の兄弟だったのかも知れませんし、

全くの誤りなのかも知れませんけどね。


あ、魂の兄弟については以前にも幾度となく詳細を書かせて戴いておりますけれども、

6人兄弟だそうですね。

本体一人に分身五人

光を分け合って存在しているようですね。

その兄弟が一人ずつ順番に転生してくる。

地上での経験を共有して学び成長するのです。


これをね、如来になれば兄弟が合体して一つの魂になる。

なんておばかなことを言う人もいるのですけど、

人格は、意識の一つ一つは合体するわけがないではありませんか。

五体の意識体が消滅してしまうわけがないではありませんか。


いや、まあそういうことでね、

手のひらを天に向ける。

これは神仏を迎え入れるかたちですね。

手のひらを下に向ける。

これは神仏を拒むかたちです。


サラリーマンなんかがよく手のひらを内側に向けて手の甲をすりすりしながらお世辞なんか言いますよね。

いや、実際には見たことはありませんけど、

これはね、手のひら、即ち本心は相手に見えないように隠しておいて、

表面上の言葉をあげつらうかたちですね。

本心を隠そうとすれば自ずとそうなりますよ。

手のひらが内側か下を向くのですね。

政治家なんか見ておりましたら分りますよ。

あははは


いやまあそんなことで、宿題は終わりということにさせて戴きますです。

ほなまあ、皆の衆もお達者で。



高橋桂子氏講演による開運のコツ、その他諸々



えー、、、

体力は20代がピークでございます。

勿論、何歳になりましても体力を養うことは可能なのですけど、

20歳代は鍛えれば鍛えるほどに強くなるのでございまして、、、

知力も、恐らくはそうなのでしょう。

でも、ボケない限り幾らでも知識は積み重ねられる。

逆に殆どの人が歳を積み重ねるごとに学生時代の何十倍も知識の厚みが増して参ります。

テレビのクイズ番組なんかでも、大概のことは答えられるようになるのですな。


あ、ここまでが掴みですけどね、

掴みはOKなのかどうか、

あははは


ところでおさん、

去年か一昨年の年明けに高橋桂子さんの講演会に耳を傾けておりまして、

彼女のお父上は、かの高橋信次先生であり如来様の中でもそうとう高い次元の魂でありましたわけで、

彼女もまた大天使ミカエル様の化身でありますわけですけれども、

まあ、そろそろ数年経ちますので言っちゃってもいいかなと思うのですけど、

まあ、おさんがその講演会で吸収したことのネタ明かしですな。

彼女がそこで伝えようとしたたった一つのこと。

開運のコツと言いますか、


それはね、

自分目線にならない。

一人よがりにならない。

相手の立場、お客様の立場に立つ。

誰かのための支え、生きる力になる。

それが道を切り開くコツであって、

上手く行きだすし心も軽くなるのだよ、

魂の想いに宇宙が同調し始めるのだよ、導かれるのだよ、

という、

まあそれだけで半日講演をじっと聴いておりましたわけでありますけど、


全くその通りなのですね。

相手の立場に立たなきゃ、誰かの役に立たなきゃ、

自己中心であっては道は拓けない。

まあそれは充分に認識してはおるのですけれども、

人それぞれ導かれ方とか、

色んな抱えておりますものもあるわけなんですけれども、、、、、、

そこをえいやーっと心を転換させて行けと仰るのでござりまするな。


あははは


でね、

やっぱ考えますやん。

おっさんもね。

その為にはどうすればええんでっしゃろか、ってね。


たとえば朝起きて、

神仏に感謝とご挨拶を申し上げ、

今日一日を生きる覚悟と、誓いをすることがええでっしゃろか、

悔いのない一日を送らせて下さい。

収入をお与え下さい。

護りお導き下さい。

とお願いするのがよろしいでっしゃろか、

ってね。


でね、

おさんそこで不思議なことに気が付いた。

今日一日を生きる覚悟とは何だっしゃろか。

って考えておりまして、

幾つかの四字熟語が現れてきよりましたのですな。


一日一善

一日一生

一期一会

一汁一菜


あれ〜

ほよ〜

ほえ〜


まあなんと、

でんぶ「一○一○」になっておるやおまへんか。

なんだっしゃろねぇ。

この不思議な現象。。。。。。


まあそんなわけで、

不思議な感覚に襲われたちゅう話ですな。

あ、ビスマス鉱石の結晶のこととか、

神仏への祈り方(神仏に頭を下げる)の五点接地法ちゅうのもどこかで詳しく書きたかったのでおますけど、

それはまた気が向きました時にでも書くことにしておきますです。

はいな。



食道楽は料理が上手い



えぇ、美味いもんは美味いと申します。

ところが昔から、「男子厨房に入らず」ってんで、

料理なんてさせては貰えない。

そうしますと、食道楽(くいどうらく)が食道楽のままで

食道楽の長所を活かすことができないのですな。


でもね、時代も変わりまして、

料理の一つも作れんで何が男や、ちゅう時代になりましたわな。

まあ、今以て男子厨房に入らずなんて哲学は時代錯誤なのでありまして、


食道楽だからこそ考えるのです。

何をどのように調理すれば美味しくなるのか、ってね。

で、色々試行錯誤を繰り返しておりますうちに美味くなる。

そうか、刺身の海老は海老味噌を絡ませれば最高の味になるじゃあないか。

焼きそばもチャーハンもしっかり炒めた方が美味しいじゃないか。

って分ってくる。

料理の味付けだって目分量ってなものが分ってくる。

色んな知恵も備わりますし、舌も味覚の判別力を肥やしてくるのですな。

いや、それなしでテキストだけの料理人がいるとしましたら

どんなに危ういことか知れませんね。


味に欲がなくては、

味覚のセンスがなくては料理の腕も上がらないわけでして、

しかも好きでありませんと粘り強く試行錯誤などしないわけで、

どこかで放り投げてしまうわけで、

ただそこいら辺の店で腹を満たすための食事をして

さっさと自分の仕事の持ち場に帰ってしまうってな男は、

いや、女もですけどね、

間違ったって料理なんぞするもんではない、

人に食わせるもんじゃない、

と思うのです。


好きこそモノの上手なれ、であって、

自分を通して相手の立場に立った感じ方考え方が大切なのであって、

それにはまず経験と知識や知恵の積み重ねが、

大切なのでおますなあ。

と感じるのでございます。


まあ、どのような仕事でありましてもそうなのでしょう。

増してや好きでもない、楽しくもない仕事に派遣で遣わされる、

なんて

当人に取りましても社会に取りましても、

ただ人生の時間を無駄にするだけで、

やたらと価値のない命の時間を延ばすだけで、

何の意味もない!

のでございますな。


勿論、料理した後の洗い物や後片付けは当然のことでおますけどね。