ブログより転載(2014年4月)

 



32年の時を費やし



険しい坂を上っている夢を良く見るおさんです。

その坂は滑り落ちそうなほど勾配がきつくて、

進むごとに更に勾配が増すという変な坂でございます。

最終的にその勾配は90度の切り立った崖となり、

更に少し手を伸ばせばその崖なり坂なりは終わって平坦な道に戻るという、、、

毎回必ずそこで目が覚めるのでありまして、

(あ、夢解きは結構ですよ。自分でも充分認識しておりますから。)


空から崖の上に降り立つ夢も以前は良く見ておりましたおさんです。

降り立ったは良いがそこから下に降りれない。

まあ、その2つの夢に関連があるのかどうかは分りませんけど、


霊界を訪問しているような夢も何度か見ているおさんです。

訪問した瞬間、あちらの人はまるで仏像のようでありまして、

それから暫くして動き出すのですね。

恐らく時間経過が10倍程遅いのではないかと思うのです。


人が転生する準備の期間が80年

地上に生まれている期間が80年

戻ってから反省する期間が80年

休憩の期間が80年

そうして次の魂の兄弟にバトンタッチする、


あちらの人の時間感覚では恐らく8年×4フェーズ、

32年程度のことなのですね。

そうして6人兄弟全員のローテーションが終わるのが200年

地球が誕生してから現在まで4、5億年

地上の一年が一ヶ月ちょっと

ちょっと、ちょっとちょっと。


近くの公園にはまだまだ里桜が満開でございます。

毎年、この里桜を愛でて参りましたおさんですけれども、

毎年毎年枝が伸びて大きくなる。

今年なんてもう一円玉の表に描かれております樹のようでございます。


ところがおさんはどうしたことか、

その成長振りも思わしくなく、

残念なばかりでございます。

まあ、仕方ないっすね。

おさんなものですからぁ。

あははは



鬼平犯科帳



ここのところ、おさんの大好きな俳優さんが立て続けにお亡くなりになっておりまして、

ったく、残念なことでございます。

八木勲さん

蟹江敬三さん

大滝秀治さん

宇津井健さん

一体何なのでしょうかね。

この、友引のような連鎖反応は。。。

それもおさんの好きな鬼平犯科帳で演じていらっしゃった方ばかり、


鬼平犯科帳はね、おさんの最も好きな時代劇なのでありまして、

その中でも特に好きなのが

大川の隠居

泥鰌の和助

一寸の虫

ですね。

この3本は録画して何度も繰り返し見ておりましたから、

あらすじは大体覚えているのですけど、


大川の隠居は大滝秀治さんの演技が最高でしたねぇ。

大滝秀治の演じる浜崎の友蔵が友五郎として舟屋で働いているのですね。

実は浜崎の友蔵はもう相当な年齢で盗人家業は殆どしていなかったのですけど、

遊びずくで鬼平の役宅に忍び込んで鬼平お気に入りの親の形見のキセルを

盗んじゃうのです。

蟹江敬三の演じる粂八との絡みもありましてね、

面白い話でございました。


泥鰌の和助は悔しくて悲しい物語でしたね。

和助は腕の良い大工なのですけど、これも盗人でありましてね、

大店を建てる時なんかに盗人に入りやすいように仕掛けを作っておくのですね。

そうして何年、何十年もしてから盗みに入る。

そういった種類の盗人であったわけです。

いや、あらすじを全部書いておりましたらキリがありませんので書きませんけど、


一寸の虫というお話は、

一寸の虫ほどしかない人間という小さな存在が、恩を受けて、

その恩義を大上段に振りかざして御恩のある人を、命懸けで、

いや、命と引き換えに救う、という内容の話なのですけど、

これは深かったですねぇ。

「苦しい時はおのれを捨てちまうのさ」という五郎蔵親分の名台詞にも

感動しましたねぇ。


この三本はね、

命ある限り何度でも繰り返し見たいものだなぁ、

って思うのですね。

いやぁ、鬼平犯科帳って本当に良いですねぇ。



おさんの詩「時代の流れ」



時代の流れは

いつだって欲に塗れた人が生み出していて

未だかってその時代の流れというものが

社会を良い方向に導いたことはない

一度もない

社会を良い方向に導く力は

困難の時にあってさえ

明るい未来を夢見て着実に努力しようとする

その人たちの努力の結晶が

新しい時代を生み出すのだ

或いは高い意識が

そういった人たちに働き掛けるのかも知れない

万物の創造者を神と定めた時から

神は当然そこに存在し

人と共に在った

自然が万物を創造したとする科学者でさえ

自然を創造した者が神であることを

認めざるを得ない

認めなければ定義を否定したことになるのだから

そうして神は沢山の災いをこの地上に生じさせる

人の生み出す災いは地を地獄にするが

神の生み出す災いは地を調和に変えるのだ

そのための犠牲はあるかも知れない

ただ人は魂の存在であり

魂は永遠であり

神は正しくその犠牲に報いて下さる

それもまた人の定義した神の慈悲深さによるものである

人は報いて下さるだろうか

政治家は報いて下さるだろうか

心あるものは天使が救い上げて下さるかも知れないが

そうでない者は死後も苦しみ続けるだけではないか

人よ

良く知るが良い

失ったものは戻っては来ない

与えなかったものは与えられない

奪ったものは神の手によって奪い返されるであろう

愛の光とは即ち神の与え給うた光であり

感謝とは鏡である

その感謝の鏡が愛の光を感謝の光に変え

神に贈り返すことができるのだ

その徳は天に積み上げられるだろう

そうして報恩の心で努力を積み重ねることで

地上を調和の世界に変えることもできるだろう

その逆に

欲心で地上に災いをもたらした者は

光の届かない深い世界に置き去られる

自らの罪を認めて神に懺悔し

その償いを終えるまでは



色んなこと書きます



最近の人類はどうも究極の二者択一を好む傾向にあるように感じますね。

ゆとり教育がダメだったから今度は詰め込み教育、

って具合ですね。

人間関係もそうなんです。

関係性が浅ければ冷たい人間関係、

関係性が深くなれば執着し依存し強要する人間関係、

そういった究極の二者択一を求めて参ります。


まあ、人間関係は車間距離とか間合いとか云ったものがありますけど、

でもね、お釈迦様は中道ということに気付いてから

悟りへの段階を急激に深めて行かれたのですね。

ですから、お釈迦様も訓えて下さいましたように、

究極の二極どちらかではなく、その中間にある丁度良いところが

大切であるように思うのですけどねぇ。


ウルトラマンもね、

ふと、テレビを点けますと何やらウルトラマンをやってたりなんか致しまして、


でも最近のウルトラマンはあれですね。

怪獣を敵として位置付けていらっしゃる。

昔のウルトラマンでは怪獣はおバカで迷惑というだけで、

敵という認識はしていなかったのですけれど、

敵として位置付けたことにより、レベルが落ちたなぁと感じますし、

くだらなく感じておさんはもう見る気さえしないのです。

キリストさんも隣人愛について訓えて下さっておられると云いますのに、

敵として位置付けることが果たして正義なのだろうか、愛なのだろうか、

と感じてしまうのですね。

これもまた、中道を外れた一つの例なのですけど


で、またころっと話が変わっちゃうのでありますけど、

昨夜も夢を見ました。

子供の頃の夢

そこに誰か居る気配がしまして、

まあ、どなたか昔の家族が「脇で支えているぞ」ってなことを伝えに来たのでしょう。

ったく、毎度毎度彼らは頻繁におさんの夢枕に、、、、、、

いやまあ、その気配は直ぐに無くなったのですけど、

その直後、脇繋がりで

「毛細血管がいっぱい詰まってるとこ、ワキ!」

「ドリル、ドリル、ドリルせんのかい!」

などが現れて参りまして、、、、、、、、、


それから夢の中のブラウン管テレビに「ちあきなおみ」登場!

いつものよぉ〜ぉにまくぅ〜ぅがあ〜きぃ♪

ってな歌を歌っていらっしゃるわけですよ。

鼻の横に大きなほくろのある彼女は

場末の飲み屋のおばはんのようでありまして、

おさんは子供心におぞましいものを感じていたのですけど、

その時の彼女の年齢はまあ今のおさんより20歳程若かったのでしょうけど、

あははは


ブルースの終盤の時代でございますなぁ。

それから森三中、もとい、

中三トリオとかで百恵ちゃんとか森昌子とか、、、

そういった人が現れてフォークソングの時代に突入して参りましたわけでございますね。


ブルースが暗くて重いのに対しまして、

フォークソングは明るくて軽いのですな。

そうして時代はニューソング、ポップス、ロック、

と次第に明るく、軽く、或いはちゃらくなって来ているのでございます。

まあ、人類は科学と歌謡曲だけは優れたものを持っているのですね。

いや、夢の中でそんなことをおさんはぼんやりと考えていたのでございます。



夜中作法



今夜中にはネットで泉鏡花先生の高野聖なんぞを読んでいるおさんであります。

無学なものでひとつひとつ分らない言葉を検索しながら、

なので本当に進捗が覚束ないのでございます。

でもね、それがおさんのやり方であって、

急がず慌てず、時間はまだたっぷりあると己に言い聞かせて

読み進むわけでございます。


だってあれでしょ?

SPI2対応の一般常識問題集なんか見ておりましても

文学史に残る有名作家の代表作の一覧は出ておりましても

そんなの著者と代表作だけ覚えたって余りにも意味がない。

ひとつひとつ読んで消化して参りませんと余りにもつまらないし、

覚えられないではありませんか。


まあ、そういうわけで、

少しずつ咀嚼しながらその言葉の意味を紐解きながら読み進めるしかないのでございます。

はい。


高野聖というのはあれですね。

昔々に高野山に世俗を離れて修行らしきことをしておりました集団のことでおますな。

聖職者としては余り高いレベルの行者ではなく、

世俗的なことを生業としながらも聖職者的な活動をしていた、

いわゆるところの商売行者のようなものであったようです。

まあ、おさんもそういったところはおますけれども。

あははは


それにしましてもスピリチュアルに理解のない人のスピリチュアル感っていったい、、、

と思うのでございます。

日本霊異記なんてものも読みましたけど、

これは飛鳥時代と奈良時代の実際にあったとされる物語ですか。

ところがその仏教的影響の強いこと強いこと。


仏教思想が即ちスピリチュアルではないことを、

余りにもかけ離れておりますことをおっさんは知っておりますし、

余りにも暗いそのありがたや思想にはある意味ウンザリするものもあるわけでございます。

まあ、面白いから読むのでありますけれども、


江戸時代になりましてから

親鸞や道元、日蓮、空海などが日本の仏教宗派を立ち上げました。

これも全くスピリチュアルなんてものとは程遠いものでありまして、

ところがこの平成にありましても坊さんを初めとする人々はその江戸時代の

その古臭い霊的世界観を今尚持ち続けておりますわけでございまして、

まあ、高橋信次という一人の偉大な生きた如来様が

全て解き明かして下さったこの時にありましても、ですよ。


おさんなどはなんとも愚かしく人類に哀れみを感じずにはいられないのでございます。

そんなわけで、

今日も後一時間半もしましたら空が白んで参りますような時間になってしまいました。

大阪のソメイヨシノも葉桜の候でございます。



中道と強要癖



利己主義な人が多く住む世界にありましては、

中道を外れた自己中な意見が多数意見となることが多々ございます。

例えば近所との騒音トラブル問題や電車内での化粧問題ですね。


迷惑を掛けないようにすることと自らが我慢すること

どちらも調和ある社会を構築するためには大切なことであるように思います。

その中道のところが最もバランスの取れた状態なのですけれども、


被害者を名乗るものが我慢することを忘れ、

実害もない、法律的にも規則的にも問題のない事象を、

ただ見苦しい、騒がしい、

といった難癖をつけて加害者とした者にその行為を止めることを強要するのですね。

9割方はそうではないかなと感じます。


見苦しいなら見なければいい、

何らかの実害が生じる可能性があるのなら鉄道会社に改善を申し述べればいい、

騒がしいのならその騒音デシベルと騒音の持続時間を計測して、

根拠を持って然るべきところに対処を申し述べれば良いのです。

そして騒音レベルに達していないのなら耳栓でもすれば良いのです。

それが地獄に住む者には分らないのですね。


神から与えられている人の自由を奪い、強要し、喧嘩を売り、

その結果その人の心も社会もさらに光を失って行くのです。

地獄に近付き、苦しむ者の数を増やして行くのです。

こんにゃろと思うから腹が立ち、神経を不調和にして行くのです。

ノルアドレナリンで血圧を上げ心身の健康を害して行くのです。

熟睡できなくなって少しの物音で眠りが中断されてしまうようになるのです。

霊的な障りも生じて犯罪者にさえなってしまうのです。


少なくともそれはその被害者を名乗る者の強要癖に起因するものでありまして、

自業自得なのですね。

誰かに理不尽な強要をすれば自らに帰って来る。

魂の法則なのですね。



SPI2対応一般常識問題集



えーーーーー

卯月でございます。

それにしても朝から強い風が吹いておりまして、

春何番なのでしょうか。

まあ、鳥南蛮でないことだけは確かなのですけど、

桜を散らせる悪い風でございますなぁ。


おさんは、古本屋でSPI2対応の一般常識問題集を百円で手に入れまして、

眺めておったのですけど、

難しい!!

知らないことがまだまだ沢山あるのですね。

おっさんちょっと暫くお勉強します。

あははは


いや

賢くなるサイトを作って賢くならなくちゃ、

なんて以前から考えていたのですけど、

そんな余裕はとてもじゃないけど無かったわけでございまして、、、


まあ、常識くらいは持っておきたいものですから。