ブログより転載(2007年9月)

 

夏バテ

不調和が過ぎまして、少し身体を不健康にしてしまっておりました。

人の欲は入道雲のようにモクモクモクモクと湧き上がって来るものでございます。

如何に自らに厳しくなるか、

難しい問題であるように思います。


ところで、この世界の環境は、心の中の世界が現されているのですね。

心の周りを被う想念のくもりと、
地球を被う雲。

脳から神経が身体の各所に繋がっております様子と、
大宇宙意識体と人の心が繋がっております様子。

この世界の全てのものが、心の世界の何かを現しているのですね。

気付きが深まれば深まるほど、神の愛が理解できるようになるのですよ。

神とは即ち愛であり、愛とは高次元の一つの指標なのです。


奪い合うことと与え合うこと

ある坊さんがこんなことをその書籍の中で書いておられました。

人と人は迷惑を掛けたり、掛けられたり、
それが正しい人の姿であるぞ。
迷惑を掛けられることにも平気にならなくてはいけないし
、 迷惑を掛けることにも平気にならなくてはいけないのだ。
と。

夫婦でも家族の幸せも考えず、逆に家庭を壊すようなことを平気でするような人、
パートナーに依存して、異常なまでに束縛しているような人、
幾らでも例はあると思うのですが、果たしてそれが人としての正しい姿なのでしょうか?

迷惑を掛けると云いますことはね、実は奪い合う醜い姿ではないかと私は思います。
大自然界にその調和の姿を現し、あらゆる魂の故郷となって下さっておりますこの暖かな地球でさえも、
余りにも人が多くのものを奪ってしまいました所為で調和を乱し始めているのです。

奪えばどうなるのか。
与え合う姿は愛であり繁栄をもたらしますが、
奪い合う姿は醜い欲であり、破壊をもたらすのです。

少し悪魔の思考回路について考えてみましょう。

悪魔は自らの欲のために多くのものを奪います。
その奪う心の醜さゆえに悪魔なのです。

他では決して通用することのない、自らのものさし、自らの価値観を押し付け、
それを強制するのですね。
相手の立場に立つこともなく、客観的な視点に立つこともなく、
神様のいらっしゃる外側には目を向けず、
神様のいらっしゃらない自分の方ばかり向いているのです。

それがね、奪うということなのです。
自分も苦しいですし、相手も苦しませてしまうのです。

悪魔は、決して踏み込んではならない人の権利にまで踏み込んで、
自らの価値観を押し付けて強制し、我欲を満たそうとするのです。

どんなに醜い姿でありますことでしょうか。

勿論、御病気などで人に迷惑を掛けなければ生きていられない人もおりますでしょう。
それは仕方がないのです。
でも、決して迷惑を掛け続けて良いというものではありませんね。
一刻も早く正しい姿に戻って下さらなくてはいけないのです。

奪おうとする心は悪魔の心でございます。
与えようとする心は神の心でございます。

皆が健康で強い神様の心でありましたら、
どんなに素晴らしい社会になることだろうかと思いますね


心の闇

最近に至りまして、心の中の闇が減っていることに気付きました。
どのような時でも、一時間ありましたら心の中を光り輝かせられる。
そのような自信も生じて参りました。

それで気付いたのですけど、
呪術とか、霊的なことに関る人は心に闇がありましてはいけないのですね。
心に闇がありますと、必ず不調和が生じるのです。
病気になったり、災いに見舞われたりしてしまうのです。

周りを見回してみますと、心が闇だらけの呪術師がどんなに多いことか知れません。
霊能力者だってそんな人多いですよ。

反省して、反省して、
心の中を光り輝かせなければ呪術なんてするべきではないのです。
当然ですよね。
心の世界と向き合うことはつまり神霊と向き合うことなのですから、
正しい心で行ないませんと、どのような反作用が生じるか知れないのです。

でもね、正しい心で神霊と向き合いますと、神霊は必ず応じて下さるのです。
真剣に心から願い、命懸けで修法しますと必ず良い方向に回り始めるのです。

嘘だと思うのでしたら、御真言の一つでも唱えてみられましたら良いのです。
2時間でも3時間でも真剣に唱えてみられましたら良いのですよ。
神霊は必ずその答えをその日のうちに顕して下さいます。

真に、必ず開運する法でございますよ。


命の芽を摘み取るな

心が強ければ、もがいてでも現状から抜け出そうとする。 腐ったような現実から這って出ようとする。

だから親に反抗できる子は幸せなんです。

身体が成長して大人になっても、
ついに客観的な正しい視点を持ち得なかった人は可哀想です。

強いものに媚びて、
貧相な人格でも肩書きだけは偉くなって、
お金を儲けて、綺麗な洋服に身を包んで、
酒に溺れ、欲を貪り、歳を重ねて恋愛だけは達者になって、
悪魔の息吹がかかった汚れた繁華街などに夜な夜な現れて、
それが大人の生き方なのだと信じ込んでいらっしゃる。

いえ、それは大人の生き方ではなくてね、
悪魔の生き方なんですよ。

でね、そういった大人が子を必要以上に甘やかせたり、
必要以上に束縛して人権を奪い、
自らの汚れた人生観を強制し洗脳して思考を鈍らせ、
考える力も、生きる気力も、心の自由さも奪ってしまうのです。
弱い弱い人間にしてしまうのです。

そこから命懸けで逃れようとする若者は幸せです。
まだ見込みがあるからです。
でも逃れることもできなくなってしまった弱い弱い若者は不幸ですね。
リハビリに何年かかることか知れません。
或いはその親がリハビリに入ることも許さないかも知れない。

愚かなものよ、子供の命の芽を摘み取るな。
子の心の中の輝く光を奪い取るな。
それが悪魔の所業だということを、
あなた方は知らなくてはならない


男女の役割

この世界に生を受けているものの中で、
唯一、人間だけがその使命を忘れて調和を乱している。
それを私達はどのように言い訳するのか。

愛から生じたものは一刻も早く愛の姿に戻らなくてはなりません。

最近は両親の存在意義を忘れて、
片親だけで子を産み育てようとする人も増えておりますようでございますが、

父親の強さと、母親の優しさ、
どちらも子の心には大切な栄養でございます。
母子家庭の御子様は心が弱く
父子家庭の御子様は思い遣りに欠けるのです。
どうしてもその傾向が生じてしまうのですよ。

よく考えてみて下さい。

心の暖かさは、
心の強さと、心の優しさが合わさって生じるのです。
これが陰陽和合するということなのです。

勿論、愛のない親でしたらいない方が良いのです。
すぐにでも愛のある親に子を引き渡すべきなのです。

愛のある父親の強さと
愛のある母親の優しさ。

どちらも欠けてはならないものだと思いますね。

ちなみに、気の強さと、心の強さは別のものでございますよ。
気が強くても心の弱い方は沢山いらっしゃいますけどね。


ドラえもん絵描きうた

まぁるかいて ちょん
まぁるかいて ちょん
おぉまめぇにめぇがでぇてぇ うっえきぃばぁちぃい うっえきぃばぁちぃ

ろくがつ むいかに ゆうふぉおがぁあ
あっちいって こっちいって
おっこちてぇえ
おっいけっが ふぅたつう でっきまっしたっ

おいけに おふねを うっかべったらぁあ
おそらにぃ みぃかづぅきぃ
のぉぼぉおってたっ

ひぃげぇをつぅけたぁらぁ
どぉらぁえ〜も〜ん♪


ほら、ことばに表現ってありますでしょ?
おっいけっが ふぅたつう、なんです。
おっいけっが ふったつっ、ではないのですよ。
で、その後がまた、
でっきまっしたっ。
なんですよ。
わかりますか?


御縁について考えていた。

猫ひろしさんと、ジジぶうさんは、何故出会ったのか。
それは前世からの約束であったに違いない。
約束し合った二人が、守護霊様に導かれてようやく出会うことができたのだ。
それは本当に大切な御縁であるように思う。

誰にでも大切な御縁はある。
利害関係を超えた御縁。
永く、永く続く御縁。
数年に一度は必ずそういった御縁がある。

それを自己中心の愚かな了見で蔑ろにしてしまわないことだと思う。

必ずそこには前世からの約束された何らかの大切な目的があるのだからね


心の雑音

日中、一生懸命に生きておりましたら、どうしても心に雑念が生じて参ります。
それはもうどうしようもないことなのかも知れませんけど、
その雑念が雑音になるのですね。

心がどうも騒がしいぞ。
空気がどうもざわついているぞ。
と、
それはやはり心の雑念が原因であることが多いようです。

祝詞を唱えますとね、
空気が変わるのですね。
不思議に静まるのです。
その謎の原因を探っておったのですが、
ようやくわかりました。へえ。

心の中の雑念がお喋りをしておるんですな。
心は高い次元で、高い次元が心なのですから、
心の中のものは全て意識を持っておるのです。
ですから、お喋りだってするのですね。

それが祝詞を心を込めて奏上することで消えちゃうのですね。
拭い去られると云いますか、
なるほど、それが祓いの祝詞の効果だったのですね。




「ま」
はどこからやってくるのでしょうか。

力一杯にいきてみようと、
正しく生きてみようと、
精神誠意、誠実に生きてみようと、
真心でやってみようと、
思えない。
その力が出てこない。

それが実は「ま」なのです。

生きる力、命のエネルギーが奪われてしまっているからそうなるのです。

己に甘え、食欲に負けておりましても、
無理をしておりましても、
不誠実でありましても、
カッコ付けようとしておりましても、
やだやだと思っておりましても、
欲に任せて悪事に身を委ねましても、

「ま」は心の中から、
或いは自業自得、作用と反作用の法の中から、
闇の影踏みをしながら忍び込んで参ります。

そこに光がないことが問題なのです。
闇を生み出したのは他ならぬ私達自身なのです。
「ま」が悪いのではなく、私達が悪いのです。

「ま」は神霊との通信まで遮ってしまいます。
「ま」は先に進む道を閉ざしてしまいます。

音楽は良いですね。「ま」の供養になりますね。


法律

詐欺師が逮捕される。
そのようなことは日常茶飯事に発生しております事象でございます。

刑法で裁かれて有罪判決を受ける。
罰金、或いは執行猶予付きの判決、或いはまた、数年程度の懲役。
残念ながらそこでは被害者の賠償問題に付いては論じられません。
刑法は慈悲の心を持って犯罪者を社会復帰させることを第一に考えておりますから
そうなるのでしょうけど、

ここでもし、被害者が損害賠償を請求するとしますと、
民事での裁判署への告訴が必要となります。
裁判費用は百万円を下りませんでしょう。

この在り方が正しいのかは私には判断できません。
でも、合理性には欠けているのではないかと思います。

スパマーが一日に迷惑メールを1万件送信する。
年間100日送信したとして、トータル件数は百万件となります。
これを広告代理店に依頼して広告を打ちますと1件10円程度でしょうから、
このスパマーは年間1千万円分、社会に対して迷惑を及ぼしている、
金銭を騙し取っているということになります。
被害者に対しても当然、少なくとも1件10円程度の損害賠償は発生するはずでございます。

倫理的には非常に好ましくないことなのですが、
犯罪を数値化する。或いは金額化する。
そういった考え方も刑法に取り入れられるとより合理性が生じるのではないかと思うのです。

一千万円の罪では懲役10年、とかね。
で、懲役の在り方も、きちんと損害賠償できるように、
10年で一千万円返し切れるような仕事を懲役に課すのです。

勿論、殺人などの場合には、
人の命を金額に換算するなどといったことはありえないことなのですけど、
でも、きちんと遺族にはそれなりの賠償をして差し上げなくてはいけませんね。
ですから、犯罪者の財産、未来における労働量を金額に換算して、
国が責任を持って相当の仕事を懲役に課し、
遺族にその全額を損害賠償として支払って差し上げる。

今後はそのような法的整備がなされますと良いのではないかと思うのですね


地球崩壊

このところ毎日、地球環境の崩壊に関する話題を耳にします。

先日は珊瑚の白化現象のことが問題視されておりました。
オゾン層の破壊により強い紫外線が珊瑚を殺してしまう。
その早さはもう、あれよあれよと云う間に、沖縄から九州南部の海域まで、
かなりの珊瑚礁が死滅しているというのです。

北極の氷河もあと数年と云われております。

大地が砂漠化し、
大地が汚染され、
多くの種が絶滅し、
食の連鎖が途絶え、
地球の生体システムが停止し、
心の貧しい人類は、地球を死の貧しい惑星にしてしまうのです。

それ以降、人類は生まれることなく、魂のまま、
地球に付随した霊界で生きることになるのでしょうか。

それは何と勿体無いことかと思います。

思いますに、人の心の崩壊の原因は「わがまま」であったように思います。
科学が進歩して、住環境が改善され、次第に人は感謝を忘れてしまった。
欲に目覚めてしまったのです。

もっと良い暮らしをしたい。
自分だけが、
人や自然環境などもうどうでも良くて、
自分だけが裕福で欲(煩悩)を満たす生活がしたい。
人と争って、人を踏み台にしてその上に立ち、
人より多くを、有り余るほど多くをせしめたい、一人占めしたい。

それは創造力を持つが故に人だけが犯してしまった大いなる過ちでございます。
人類の業なのです。

日本政府だってその前提で政治運営をしているのですね。
国同士で利権を争い、
さらに日本を豊かな国にするために、
平和で安全な国にするために、

それも今となりましては、ナンセンスな理念でしかないのですが。

良いですか?皆さん。
地球環境はもう取り返しのつかないところまで来ているのです。
今後はどんどん悪化する一方でございましょう。
私達の生活はどんどん貧しくなって行くのです。
それは私達の心が貧しい故であり、
さらに地球環境はその貧しい心をさらに貧しくしてしまうことになりますでしょう。

私達の心が変わらない限り、
それはもう間違いのないことなのです。


十五夜お月様

私はこの世界が好きですね。
生まれて来て良かった。本当に良かった。

この美しい景色。

でもね、自分の方ばかりを向いていて、この景色の美しさに気付かない方もいらっしゃる。
私は余りそんな人は好きではありませんね。

そんな方に限って苦しいと仰られるのです。

でもね、私はこう云いましたよね。
自分の方ばかり向いてたら苦しくなるよ。ってね。
それはね、視野が狭くなってしまうからなんです。

ご自身が望んで今の環境に居るのです。
ご自身の心がその環境を生み出したのです。

嫌ならその環境から逃げれば良いのだし、
心が幸せで、感謝の気持ちで溢れておりましたら、
どのような環境でも平気なはずなんです。

勿論、そこには多少建設的な考え方がなくてはいけませんし、
恐怖や様々なものに束縛されておりましたらいけません。

命に執着せず魂で生きることも大切でしょうけど、
命を大切にすると云いますことも大切なことでございます。

ですから、中道の在り方が大切になってくるのです。
八正道に基いた客観的な神様の視点による中道の在り方が大切なのです。

そのためにはね、やはり大きな心、大きな視野を持っておりませんといけないのですね。

自分の方ばかり向いて自我我欲の狭間で苦しんでおりますよりも、
神様の方を、大自然の方を向いて、感謝しながら、楽しくしております方が、
視野も開けて絶対に良いと思いますけどね。

そうしてね、命を恐れずに力強く生きるのです。
好きな道を力一杯に正しく、建設的に、命を大切にして生きるのです。
愛と勇気を持って、感謝の気持ちで、
理不尽なことや道理に外れたことには決して従わず、
正義の心で、ご自身の判断で次の一歩を踏み出すのです。
過ちを犯さず、間違った心や偏った在り方はその都度反省という行為により修正して、
常に神霊の光の中にいられるように正しく生きるのです。

そうしますと、必ず神霊が助けて下さるのですから。


格差社会まとめ

日本で今、何が起こっているのか。


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第一の波


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バブル崩壊後

ダウンサイジング:企業規模・業務規模を縮小し少数精鋭化

アウトソーシング:リスクを排除するため人材を抱えず安価な業者に業務委託



失業者の増大

(完全失業率は5%台。但し実際の失業率はこの何倍にも及ぶと思われる。)


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第二の波


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世界貿易機関からの圧力により自由化政策が開始される。

外資の参入



・保険業界:ほぼ外資に乗っ取られる。

・派遣業界:儲け主義の企業による賃金のピン撥ね。

・株式マーケット:ターゲットとした敵対的買収。

・運送業:競争の激化。労働者の負担増大により事故多発。

・労働力:

最新技術を叩き込まれた海外からの出稼ぎ労働者と、

社内教育を放棄し即戦力を求めた日本企業。



邦人労働者の失業

・社会:年功序列から実力主義へ

悪徳企業(完全歩合・最低賃金を守らない・偽りの求人)が増大

・ネズミ講:安易な儲けに走る企業(ヒルズ族)

・銀行の統合

・タクシー業界:

労働者激増により競争激化。

労働者の賃金低下に対して企業の収益増大

・法律

男女雇用機会均等法:求職がより困難に。

弱者に厳しい税制:消費税率UP、所得税控除38万円



ニート増加、出産率低下、犯罪増加(振り込め詐欺)、ホームレスの増加、

自殺者増加(自殺率が先進諸国で一位)、

 
肉食と菜食

中国の山東省の人は鶏のささみを生で食べる。
ホントかなあ。
いや、夢で見たから間違いないのだ。(笑)
私も勧められて食べたけど吐いちゃった。
大きなごちゃごちゃとしたアパートの一室のことである。
そのアパートの一角で誰かと待ち合わせをしていたのだけど、
余りに複雑怪奇な入り組んだ通路の所為で、
とうとうそこまで行き付くことができなかった。

動物の肉には、念が篭っている。
だから肉食の人は災いに遭いやすいし、
贅沢をしてお肉ばかり食べていると運気が下がるのです。
それを中和するのが感謝の念と供養の心ですね。

鰻とか、穴子とか、うつぼとか、
長いくねくねしたものは執念深い。
どうもそれも本当のようで、
鰻や穴子ばかり食べていると余り良いことはないのです。

それと、脂肪は美味しいのですけど、
腐った肉ですからね、命まで弱らせてしまう。

でも菜食はそんなことがないのですね。
ですから、菜食で運気はどんどん良くなるのです。
おまけに身体の中の毒や念も排出して下さるのです。