ブログより転載(2008年1月)

 

五劫思惟

命が、全てではないのだ。

この世界が、全てではないのだ。

大神霊の意識からすれば、

この世界は、殆ど無でしかないのだ。

その無のために私達が悩み苦しむことは、

愚かなことである。

もっと偉大で、高貴で、確かなもののために、

私達は本気になって挑まなくてはならないのだ。

身体が、塵になっても、

地球が、消滅しても、

宇宙が、無に帰しても、

永遠に存在し続けるその確実なもののために。

夫婦

離婚する夫婦と、仲良く添い遂げる夫婦

その違いを見ておりますと、
仲良く添い遂げる御夫婦の御主人には
甲斐性と、丁寧な愛情がありますね。
奥様には、優しさと思い遣りがあるのです。

逆に離婚なされます御夫婦の御主人には、
余り甲斐性がありませんね。
愛情もなくて、簡単に浮気してしまうのです。
奥様はと云いますと、
優しさや思いやりがないばかりか、
口八丁、手八丁、
要領だけ良いシタタカさが目立ちますね。

どちらか一方でもそんな感じですと、
もう片方は辛抱に辛抱を重ねなくてはならなくなりますでしょうね。

好き、は感情ですけど、
愛は感情ではなく、意識して育てて行くことのできますものでございます。

幸せな結婚生活、
幸せな家族、
そのためにはやはり皆が意識的に愛を深め、
互いを尊重する姿勢が必要なものでございます。

それがね、ご自身の幸せにも繋がるのだと思いますね。

国力

国といいますものは、ある程度成熟しますと成長力は衰えるものでございます。
インフラの整備も、一定規準で満足して次は福祉国家としての在り方を目指すことが
正しい姿ではないかと思います。

そうしませんと、国の借金は膨らみ、
生活破綻者も増えて参りますでしょう。
その上さらに誤った国政が行なわれておりましたら、、、

さて、その道路は本当に作られるべきなのでしょうか?
もう何年も前から政府と地方との間で揉めておりますけど、

私は、これ以上道路は作られるべきではないと思います。
作られて便利になるになる道路は勿論のこと、
住民がないために不便しております道路でありましても、建物でありましても、
それは作られるべきではないのです。

これからのお金の使い方はね、
本当に苦しんでいらっしゃいます人を救うためにのみ、
使われますべきだと思いますよ。

日本は経済大国でなくても構わないのです。
借金ばかり増やして経済大国の地位を維持したところで何にもならないのです。
奢れるものは久しからず、でね、
中国とか、別の後進国にその地位を引き渡すべきだと思いますよ。

国家の目的は国力ではないのです。
その考え方は時代錯誤で、もう古びてしまっているのです。
政治家さんは何故それに気付かないのか?
昔の栄光にしがみ付いているのか?

国民の皆が幸せな国家、
それ以上に素晴らしい国家の形がありますでしょうか?

食と精神世界

動物の肉には脂が含まれます。
これは動物の怨念の象徴でございます。
ですから、動物の脂は身体を弱らせてしまいますね。

それに比べまして、植物の油はさらっとしたもので、
動物より植物の方が念が綺麗で人の与える悪影響も少ないことを示していますね。

酢は悲しみが現象化したものであるようです。
慈悲の側面から、身体に良い部分も在るようですが、
酸性食品ですから内臓を傷めます。

香辛料は妬み、嫉み、恨みなどが現象化したものですね。
特に辛さは怒りの象徴であり、
塩は、身体の自律神経をを興奮させる働きがありますので、
興奮作用が現象化したものであることが分かります。

アミノ酸は智恵ですね。
砂糖は、甘え、弱さ、

ですから、美味しいものを食したい場合には脂や香辛料を沢山使えば良いように
刺激的な人生を送りたいのでしたら、
恨みや怒り、嫉妬や怨念に塗れた人生を選択しますと良いのです。

ただしそのような生き方は身体を偏らせて寿命を縮めてしまいますけどね。

菜食を主として足ることを知ること、
食の犠牲に感謝し供養の心を持つこと、
そうしてやはり、心も身体も食事も、
同じように気を遣い中道の正しい状態を維持する心掛けが大切なのでしょうね。

見えない執着

自分自身の執着は見え難いものでございます。
でもね、悩み苦しみがあると云いますことは、やはりそこに執着があるのですよ。

全ての執着を離れますと、悩みも苦しみも生じないのですね。
そうしますと感謝と喜び、愛だけがそこに残るのです。
感謝と愛と喜びの中に生きる。
それはこの上なく幸せなことでございます。

何故、人は執着するのでしょうか?
何故、人はそうやって自分自身を苦しみの中に閉じ込めてしまうのでしょうか?

それは何度も申します通り、自我我欲、自己保身の故でございます。

それはお一人お人が心を見つめて反省し、
勇気を持って囚われを離れて下さいませんといけませんね。

本質と客観的な視点

客観的な視点で人と接する時
言葉がどのような想念や欲、感情から生じたのか、
その本質を見抜こうとすることは大切でございます。
その人がどのような人生を送ってこられたのか、
その背後にどのような人の存在があり、
どのような過程で今に至っているのか、
それを知ろうとすることもまた、大切なことでございます。

あなたは、好き嫌いで判断することはなりません。
客観的な視点を持ち、
その背後に存在する、正しいもの、迫害されるもの、弱いもの、
間違ったもの、迫害するもの、権力を持つものが誰なのか、
見極めなくてはなりません。

そうして、たとえ仲間であっても、味方であっても、
間違ったものは間違っていると伝えなくてはなりません。
けれども決して無理強いすることもなりません。

人を生かす関わり方、
それは本当に難しいものでございます。

今の時代、
人の心は孤独なものでございます。
多くの人の心に、かまって欲しい、ちやほやされたい、という欲を感じます。
何故そこまで愛情に飢えているのか、
それは心の中に神が存在せず、神の愛を感じていないからではないかと思うのです。

折角生まれて来ているのですから、
使命に目覚め、
沢山の人に夢を与え、愛を与え、真心を与え、希望を与え、勇気を与え、
様々な素晴らしいものを与えられるようになって下さらなくてはいけません。
人を生かすようになって下さらなくてはいけません。
そのためには、愛に飢えた弱い魂ではいけませんね。

放任主義

昨夜はテレビに美輪さんが出演されておられました。

実は、今生での美輪さんは、身を飾る欲と、性への執着が理由で
私は余り好きではないのです。
いえ、魂の美輪さんは大好きなのですよ。
でも今生の美輪さんはどうも生理的に受け付けないのですね。

性への執着、
魂は女性でありながら、性を超える修行のために男として生まれたのでしょう。
性的には中性、ではなくて、無性にならなくてはいけないのです。

身を飾る欲、
これは早く捨てて如来様を目指して下さいますことをお願いしておきたいと思います。

もう72、3歳になられるのですね。
本当にお若い方だと感心してしまいます。

その美輪さんが、日本は恥を忘れてしまったから駄目になっているのだと、
仰っておられました。
それもそうなのでしょう。

私はもう一つ、責任も忘れてしまっているのではあるまいかと、
ここで声を小にして申し上げさせて戴きたいと思うのです。
(だって声を大にしても誰も聞いては下さいませんし。笑)

昔の子供は自らの行為に責任を持たされておりましたよね。
窓ガラスを割れば拳骨を食らわされて、
学校で喧嘩をすれば謝りに行かされ、
親も生きることに必死で子を甘やかす暇なんてなかったのですね。

それが今はもうどこの家庭も親が子を箱入り娘、箱入り息子のように、
歪んだ愛嬢で覆い隠して甘やかせているのですね。

自らの行為に責任を持たせることをせずに、
子供の喧嘩には親が割って入り、
呼び出されもしないのに親御さんが学校に押し掛ける、
子供の進学先まで決めて差し上げ、
将来まで親御さんが決めてしまうのですね。
万引きをした子供でさえ、親御さんが必死になってかばうのです。

そうしますと、
責任を与えられないということは決定権を与えられない、自由がないということですから、
こどもだって楽しくないし、遣り甲斐を持って生きることさえ出来ない。
いつまで経っても子供のままで大人になれない。

それが今の大部分の日本人なんです。
責任を持つということを知らないのですね。

放任主義ということを以前書きましたけどね、
放任と、ほったらかしは全然違いますよ。
一人前の人間として責任を持たせて対等に接して差し上げます在り方を放任というのです。

それがね、一番大きな愛の姿、一番正しい人間関係(親子関係)の在り方なんです。

その証拠にね、殆どの御家庭で、
歪んだ愛が原因で親子関係にヒビが入ってしまっているじゃないですか。

私的健康療法

お茶が濃くても健康に害は余りないと思う。
昔はその何倍も濃いものを薬湯として飲んでいたのだから。

今はお茶も安くなって、
様々の種類のお茶が百円ショップで買えるのです。
だから、多少濃くしても問題はないのです。
ペットボトルのお茶を買うよりは遥かに安上がりなのです。

おやかんに、
緑茶とか、減肥茶とか、ウーロン茶とか、ルイボイス茶とか、糸瓜茶とか、ほうじ茶とか、
麦茶とか、グアバ茶とか、
色々3〜4種類混ぜてお茶を沸かすのです。
ですから、お茶の色はもうインド人も真っ青、
いえ、真っこげ茶なんです。

絶対にこれ、健康に良いです。

狐憑き、堕落に至るケース3

その家族はある新興宗教の熱心な信者でございました。

毎日、朝夕に家族揃って御本尊を飾った仏壇の前で御題目を唱え、
毎週の会合には家族揃って参加しておりました。

長男が高校生の頃でございました。
年頃ということもありまして、やはり異性に興味を持ちまして、
書店に売られておりました真言密教の入門書を買って参りまして、
異性の心を惹き付けたいと、
そこに書かれておりました人を惹き付ける法を毎日毎日訓練したのですね。

そうしますとね、その長男がどんどん狐に似てくるのです。
自分では気付いてはいないのですけど、
顔付きから動作まで、狐そっくりなんです。

霊域の悪い宗教団体の会合に出て狐を連れて帰り、
その狐が欲心で夢中になって修法する長男の心に入り込んでしまったのですね。

動物霊や地獄霊の暗躍する霊域の悪い宗教団体、
それに、我欲を満たすために無心になって修法すること、
本当に恐ろしいことでございます。

無心だから、心が空っぽですから悪いものが入り易くなるのです。
我欲を満たそうとする暗い想念ですから、悪いものに狙われてしまうのです。
そうして、
客観的な正しい視点で本質を見抜くこともせずに、盲目的に宗教を信仰してしまいますから、
こういった恐ろしい現象が生じてしまうのですね。

偽天使、堕落に至るケース2

彼女には産まれた時から霊感がありました。
それは前世で厳しい肉体修行を積み、呪術を生業としておりましたからでございました。

子供の頃から神職の家系に生まれ、頭も良く、
正しい教えにも触れる機会に恵まれ、
二十歳過ぎには既に神理を頭で理解するに至っておりました。

ある時、その神理を広めようと一大決心をしまして、
精神世界系の団体を立ち上げたのですが、

彼女はまだ、神理を心で理解するには至ってはいなかったのですね。
欲を持ち、煩悩に振りまわされる、見栄っ張りの人間でしかなかったのです。

若い男にちやほやされたいと若い信者を周りに侍らせ、
その頃には既に、心が地獄に通じて心を魔王に占領されてしまっておりました。

そうしますと心の闇が原因でどんどん身体の不具合が生じて来るのです。
彼女はそのことをこう考えるのですね。
「自分がこれだけ皆の幸せにために頑張っているのに病が生じるのは、
信者の業を背負っているからなんだ。
それに私の活動を良く思わない人間が悪い念や波動を送っているからなんだ。」
と。

そうして自ら反省して過ちに気付くことなく、全ての責任を他人に転化し、
魔王の声を神と信じて闇の教えを広め、
天に唾するような活動を続けて行ったのですね。

偽不動、堕落に至るケース1

その男は悩み苦しんでおりました。
かなりの借金を抱え、死の淵まで参りまして、
青木が原の樹海の中で、もはやこれまでと、冷たい大地に座り込み、
一本の樹を背にして今までの人生を思い返しておりました。

頭は冴え渡り、心は澄み渡っておりました。

そこで彼は不動明王様が必ずお救い下さると、とある方が仰っておられました言葉を思い出したのです。

彼はその場所でお不動様の御真言を、3時間程も唱え続けましたでしょうか。
最初はため息混じりに、次第に強くなって参りまして、
最後には知らず知らずの間に、大地までも震える程の力強い大声で唱えておりました。

そうだ、成して成せぬことは何もないのだ。
もう一度一からやり直してみよう。
彼は思いました。

一年後、彼は生きておりました。
力一杯にお不動様の御真言を唱え、悩める人を救っておりました。
自信に溢れ、力に溢れ、
どのようなことでも叶わぬことはないのだと信じておりました。

ただ、彼はそこで間違ってしまったのです。
お不動様が慈悲でお与え下さいました力を、自分の力だと勘違いしてしまったのです。
そうして、彼はお金儲けを考えるようになりました。
この仕事を事業にして、もっと大きくして、一億、いや、何十億と何百億と集めたい。と

その時魔が彼の心に忍び込みました。
お不動様の救済の力は、魔の力に代わり、
彼は人を脅し、強引に信者を集め、事業を大きくして行きました。

でも彼は、自分は正しいことをしているのだと信じて疑わなかったのですね。
自分は、神様に遣わされているのだ、
力を与えられているのだと、疑う心を持てない程、視野が狭くなっていたのです。

端整な顔立ちで、魔の協力で奇跡のようなことも起こせますから、
アイドルをファンが追っかけるように女性信者も増えて行きました。

でもね、彼は真実の神ではなかったのです。
魔に憑依された人間を増やしただけなのです。

両陛下

今日は皇居の一般参賀でありましたようで、
沢山の国民が皇居を訪れておりましたようでございますね。
天王陛下、皇后陛下共に御健康に新年を迎えられましたことは国民に取りましても
どんなに幸甚なことであろうかと思います。
天王様、皇后様共に一昨年より何かと健康面の問題が報じられておりましたから心配でしたけど、本当に良かったです。

(涙)

さて、このところスピリチュアルなことに目覚めて下さる方が増えて下さっておりますように感じております。

普通の人が心に目覚めて心豊かにお過ごし下さいますと、
その方は霊界の住人であると云えるのではないかと思います。
魂の小学生レベルですね。

霊界の住人がスピリチュアルな知識を身に付けて正しく生きることができるようになって参りますと、
その方は神界の住人であると云えますね。
魂の中学生レベルです。

さらに神界の方が本質を見ぬくことができるようになって参りまして、判断力が備わって参りますと、
その方は菩薩界の住人であると云えると思います。
魂の高校生レベルとしましょう。

さらにそこから正法(神理、大自然界の法)を全て理解しましたら、
その方は恐らく如来界の住人であると云えると思います。
知ではなく、智と理で理解しなくてはいけませんけどね。
魂の大学生レベルです。

天王陛下も、皇后陛下も菩薩様でございます。
江原さんも、美輪さんも菩薩様でございます。

さて、皆様は今、どの世界に籍を置いていらっしゃるのでしょうか?

私は、私自身、今どこにいるのかが分かりません。
分かったとしましてもそんなこと必要がない以上は誰にも話しませんでしょう。
それぞれがそれぞれの上を目指して下さいますことが大切なのだと思います。

ただ、霊能力の有無は全く関係ないのですよ。
高レベルの霊能力は必要に応じて備わるものでございます。
低レベルの霊能力は悪霊の悪戯でございます。
それを勘違いしないことだと思いますよ。