ブログより転載(2008年8月)

 



大切なこと


一番大切なことはさ、神霊を信じるってことですね。

この宇宙に存在する神霊の意識、その愛と慈悲の深さを信じること、

それができていない人が多いですね。

私みたいな者はまず疑ってかからなくてはいけませんけどね。

疑ってかかって、そうして信頼して戴けたのでしたら、お話しましょう。

でも信頼して下さらない方は余り関わらないで欲しいものだと思いますね。

私も余り関わって欲しくはないですし、

それに、どちらにもメリットは少ないでしょう。

でも神様を確信しておりましたら、必ず良い方向に向うものでございます。

互いに意識が向き合っておりましたら守護霊様だって導き易いのですね。

そうして全身全霊、力の限り真面目に誠実に頑張っておりましたら、

のたれ死ぬなんてことは絶対にありませんからね。(笑)

それにしましてもいろんな人がいてはります。

欲深い人、乱暴な人、執念深い人、嫌味の多い人、

でも皆さん、自分のことが一番分かっていないですね。

ですから今生でのいろんな学びや課題があって修行をしているのですけど、

勿論、私もその中の一人ですからね、

頑張って行かないかんなと思います。


愛しきもの


キャラメルコーンという菓子がございます。

何十年かぶりに戴いてみまして、

そうしますと、何日も掛けて戴いておりまして、

一番最後に発見した少量の袋の底のピーナッツ、

これは愛しいですねぇ。

ポップコーンの弾け残ったコーンよりも存在価値がありながら、

自ら袋の底にその身を隠しているのです。

おまけにキャラメルコーンの味まで付いている優れものなんですねぇ。

メーカーの開発者さんがどのような想いでこのピーナッツを入れたのかは存じませんけど、

このピーナッツのお蔭で売上も上がっているのではないかと思います。

このピーナッツファンも多いのではないかと思いますね。

たかが菓子でありながら、やること憎しですなあ。

いやほんま。


今日の雑念


そうですね。

失敗するも自分自身、成功するも自分自身。

失敗の本質的な原因は誰も教えては下さいませんでしょう。

それは私だって云いたくない。

その人のウィークポイントを突付かなくてはいけないのですから。

ですから、反省によってご自身で見出して下さる他はないのです。

ただ、その、失敗の原因は、

間違いなく自己中心(自己本位)、自我我欲、自己保身の中から生じているのです。

勿論、私にも失敗はございます。

ですから、今、借金で経済的に苦しんでいる。(笑)

でもそれは誰にも何も言いません。

それは自分のことですからね。

どうして欲しいとか、こうして欲しいとか、我欲を持ってもどうしようもないのです。

それは私と私の守護霊様で何とかしなくてはいけない、それだけのことでございます。

そのことでもし失敗すれば、私が実在界に帰る、とそれだけのことなんです。

先生は仰られました。

人は半畳の空間とパンの数片があれば生きて行けるのだ、と。

全くその通りだと思いますね。

それ以上の欲を持っても仕方がない。

それよりも命の限り感謝の中に、愛の中に生きております方がどれだけ良いか知れません。

ですからまず自らの失敗の原因に気付いて下さいますことだと思いますよ。

良いですか?誰もそれは教えては下さいませんよ。

ですから最終的には自力しか、この世界にはないのです。

他力で何とかなるなんて、そんな甘っちょろい考え方では運も開いては参りませんよ。


心について


心について、様々なことを今までにお話しさせて戴きました。
心とは四次元よりさらに高い高次元の世界のことであり、
その中心には神様の意識がございました。
そうして、四次元は即ち表面意識の世界であることが分かりました。
想念、想像といいますものは決して存在しないものではなく、
確実にその形を伴って存在しているのだと、
そうして、その表面意識、幽界はこの三次元世界と重なっているのですから、
私達の想念が直接、私達の周りや私達自身に影響を及ぼしておりますことが分かりましたね。
明るい想念は明るい環境を生み出し、
暗い想念は暗い環境を生み出すのです。
ですから私達は想念さえも管理して、
明るく正しい、清らかな状態に保たなくてはいけないのですね。
勿論、それも神様の意識抜きの自分勝手な判断では危険が伴います。
それ故に、客観的な神様の視点で見た中道の在り方、つまり八正道が如何に大切か、
といったことが分かりましたね。

最近、GoogleEarthなんてもので遊んでおりますけど、
衛星写真で地上を見ますと建物の高さが分からないのですね。
つまり三次元のものを二次元で見ますと高さといった概念がなくなるのです。
さて、私達は今、四次元の心を云いますものを認識することができました。
心の軽さは人によりまして異なります。
高い所に心がある人、低いところに心のある人、地下深くに心のある人、と様々ですね。
ですけど、この三次元世界、
三次元しか認識できない身体の中にありますと心の高さが認識できない。
心の高い場所は光溢れ、低い場所は暗いのですね。
ですから、それはオーラの光の量にも現れては来ますけれども、
私達のこの身体の目ではそれさえもおぼろげにしか見ることはできないのです。

でもね、類は友を呼ぶ、で心が同じ位置にある人同士が集まり易いですね。
利用しているウェブサイトだって同じ場所に集まり易いのですね。
勿論、私達が寿命を終えて心の世界に戻りましたら、
今まで隣に居た人が全くの別世界にいるなんてことになってしまうのですね。

心が高い場所にありますと災いも生じ難いのです。
心が天国でありますと、実生活も天国に近付いて参りますでしょう。
心が地獄でありますと、実生活も地獄になりますね。
災いばかり生じますでしょうね。


心の仕組み(改正版)


まず、心の中心部に神様の意識がありますね。

その周りをパニャーパラミタ(般若波羅蜜多:内在された偉大な智恵)が被っております。
このパニャーパラミタの中には、大宇宙大自然界の法と神としての全記録が入っております。

さらにその周りを、愛と慈悲、本能と過去生の記憶が被っているのですね。

さらにまた、その周りを知性と理性、深層心理と善の意識が被っております。

そしてまた、その周りを、生活習慣、条件反射、判断力といったものが被っているのです。
転生の際にこの部分は削られます。
この辺りに守護霊様と指導霊様は心の番人として居て下さっているのですね。

そうして一番上に想念体(表面意識、意志、感情)が被っているのです。

これが心ですね。
この心が三次元の乗り物であります身体に付随する幽体の中に乗っているのですね。


それでも運気が衰えてきた時


それでも運気が衰えてきた時、さてどうしますか?

ここに絶対に運気が良くなる開運方法があるのです。

それは水野南北流、菜食生活。

栄養なんて取らなくたって良いのです。

カロリーなんて必要ないのです。

毎日汁物に菜っ葉を浮かべて、それだけを食べておりますと良いのです。

神様の慈悲のエネルギーは人の命を活かせないほど弱いものではないのです。

ですから私も殆ど食べない生活を過去2年ほど続けて生きておりましたし、

私の経験からも、穀物は心身が鈍るのです。

私も今買い置きの米を食べてしまいましたら、

もう一度一汁一菜の生活を始めてみようと考えているのですけど、

一汁一菜でなくても構わないのです。

クラッカーにいろんな物を載せて一日に数枚程度とか、

なんだって良いのです。

それで半年、長くて一年もしますとどんどん運気が良くなって行くのです。

そりゃ元に戻そうとしますと多少の後遺症はでるかも知れませんけど、

もし命に関わるような状況でしたらやってみた方が良いですね。


信頼を勝ち取る


日々、様々なセールスやお誘いの電話やレターが届きます。
でも、こういった電話やレターで人の購買意識を得ようとする営業行為では、
間違いなく信頼を勝ち取ることはできませんね。

電話でも、ヤフー代理店の○○です、とか、
NTT代理店の、とか虎の威を借るキツネのような語りで話し掛けて来られるのですけど、
企業規模の大きさとか、名誉とか肩書きで騙されるほどこっちも御馬鹿じゃないのです。
企業規模の大きさや名誉や肩書きで信頼が得られると考えるセールスマンも、
どうしようもないお馬鹿ですね。

それで信頼をさらに失っていることにも気付かない。

どこかの名もない大学からの「名誉博士になりませんか?」レターとか、
講演会で講演されませんか?、取材の件でお話を、、、とか、
そういった電話やメールも再三に渡り届くのですけど、
それで信頼が得られると思うのでしょうか。

少なくとも真心の篭ったメールやレターで、
或いは菓子折りの一つも持参して、
まず自己紹介から始めて、目的や依頼の向きを述べて、
是非お願いしますと頭を下げて、
そうしてその真摯で誠実な態度で信頼を勝ち取るのが本筋ではないかと思うのですけど、

そうしなくては誰も信頼なんて勝ち取ることはできないのではないかと思うのです。

少なくとも、信頼なんてそんなに簡単に勝ち取れるものではないのです。
知恵を絞って絞って、
誠実に、誠実に、真心で訴えて、
それでも信頼なんて簡単には得られない。
逆に失われて行く信頼の方が大きいのです。

ですから私は思うのですよ。
人生なめとったらいかんよ、ってね。
しっかり考えんといかんよ、って。
ほんまですよ。


自力本願


仏像や神棚、神社仏閣で手を合わせてお願いすれば神様が願い事を叶えて下さる。

一体、誰がそんなことを云ったのだろうか。

少なくとも、私はそんなこと一言も云ってはいないのです。

スピリチュアルな世界では自力本願が当たり前ですし、

お力添え下さっても、それは願いを叶えて下さるということではないのです。

ところが、私のサイトを御訪問下さいまして、

間違った信仰、他力本願の心をさらに強めてしまわれます方が多いのは、

一体どうした事なのでしょうか。

それは、全然私のサイトを読んで下さっていない。

本質を理解して下さっていない、ということなんです。

勿論、慈悲深き神様のことですから、

想念の力でお力添えを戴く方法もちゃんと用意して下さっているのですけど、

それは勿論、

深層心理を利用して望むものを寄せ付けるといったレベルの低いことではないのです。

真心の力、祝福の力、言霊の力、愛の力、優しさの力、光の力、信念の力、

そういった力を利用するということなのですけど、

どうして分かって下さらないのか、情けなく思うのです。


それでも運気が開けない人へ


お盆でございます。
思いますに、お盆には晴天の暑い日が多いですね。

さて、それでも運気が開けない、
それではどうすれば良いのでしょうか。

私たちはね、自分一人で生きているのではないのです。
守護霊様、指導霊様、身体の細胞一つ一つに存在しております魂、
ご先祖様、魂の兄弟、仲間たち、神から生じた全ての魂、
そういった無限の魂の中から今回はあなたが総代表として、
今、矢面に立ち、どのように生きるかが求められているのです。

修行という意味では、皆の修行なのです。
あなたの生き方を通して、皆が修行しているのです。
そのような中で、あなたは責任ある行動を行い、模範となって下さらなくてはいけないのですね。

寿命まで生きる。
上手く世渡りする。
財を成す。
それもあなたの人生に於きましては大切なことかも知れません。
でもね、それよりももっと大切なことは、人間として如何に素晴らしく生きたか、なんです。

神様が助けて下さる、下さらない。
そんなことも小さなことなんですよ。
助けて下さらなくても構わない。
人間として、神様の子供として立派に生きる努力をする。
それが本来の姿なんです。

そうしますと、あなたの後ろであなたを見守っておられます魂もね、
自分もこのように生きようと自覚して下さるのです。

でもね、やはり人間ですから
上手く行かない時にはどうしても不安が生じてしまいますでしょうね。

そんな時にはね、例えば言霊を利用してみる。
ありがとう。ごめんなさい。愛しています。
これは三大言霊ですね。(笑)
これは口に出して言っておりますだけで、想念が浄化されて参ります。
心に思っていなくても、言葉にする習慣を持っておいた方が良いですね。

そうして、一時間でも二時間でもこういった言霊をつぶやき続けましたら、
心は夜空のように静かに澄み渡って参りますでしょう。
そうしますと、必ず全てのことが上手く行くようになるのです。

それとね、守護霊様に話しかける習慣ですね。

決してあなたは一人ではないのです。
それを自覚して下さいますように。


どこにいても、何をしていても、


どこにいても、

何をしていても、

どんな生き方をしていても構わない。

ただ、あなたの心が幸せであればそれでいい。

心に忠実であること、

それだけで、全てのものは存在価値があるのだから。

急ぐ必要は何もない。

どこにいようが、

何をしていようが、

どんな生き方をしていようが、

誰もそれを責めたりはしない。

ただ、あなたの心があなたを責めなければ、

それだけでいい。


そして知る、私たちにふるさとは、


そして知る、私たちにふるさとは、

安住の地は、

実は用意などされてはいなかったのだと。

おまえは、まだふるさとに甘えるか、

母の胸に、父の膝に甘えるか、

それでも空蝉は、

おまえをいつまでも甘えさせはしないだろう。

だから、

おまえがふるさとになれ、

おまえが暖かな愛で魂を抱け、

そして人は強くなれる。

そのために神は厳しき試練を授けたのだ。

やがておまえたちも魂に帰る。

その時、神は暖かな胸に、

おまえたちを抱き迎えてくれるだろう。

その時に悟るだろう、命の意義を。

神の想いを。


古文の授業


そういいましたら、高校でこのような歌を教わった記憶がございます。

「かしのふに よくすをつくり よくすに かめるおほみき うまらに きこしもちおせ まろがち」

漢字にしますと、

橿の生に(かしのふに)
横臼を造り(よくすをつくり)
横臼に(よくすに)
醸める大神酒(かめるおほみき)
うまらに
聞こし持ち食せ(きこしもちおせ)
麻呂が父(まろがち)

深い意味は分からずとも、昔の歌は綺麗ですね。
ついつい口ずさんでしまいますね。


残された時間


私に、残された時間はあとどのくらいあるのだろうか、と思う。
どちらにしても余り長くはないように感じます。

昨日、住居のエアコンを交換して戴きました。
あとは、トイレの便座が割れておりますので、
それを交換して戴きましたら、部屋が使えるようになりますね。

それで住居の荷物を少し整理しておりまして、思ったのですけど、
この部屋は、修行場所にしようと思うのです。

応接室と、修行所。
寝室とかは必要はないのですね。
どこでも寝れるわけですし、
布団もここ一年以上使っておりませんので捨てちゃいましたから。
その方が私は体調が良いのですね。

でもさ、でも、
私は掃除が下手なんです。
捨てていいものと捨ててはいけないものの区別ができない。
ですから、もう何十年も抱え続けておりますものもありますし、
もったいない運動家ですからね、
捨てることに対して戸惑いが生じてしまうのです。

でもね、ここを何とか綺麗にして、
残された時間を心身の鍛錬に少しでも多く割り当てて、
正法者への道を一途に歩みたいと思うわけでございます。

ところで、ここ数年、掌の皺が随分と変化し、変化し続けております。
しわくちゃでおます。


表面意識


表面意識に、
自らのこと以外何もなければ、
或いは怒りや憎しみ、欲や怖れ、嫉妬や人を悪く思う気持ち、自らを正当化しようとする試み、
そういったものしか存在しない時は、
それはね、表面意識が真っ黒に汚れて心の次元が下がっているのですよ。

そんな時は何を考えてもいい考えは出てきませんね。

ですから前述の、言霊で想念を浄化する方法とか、
良く反省して自らを罰するために少し断食してみるとか、
心を込めて祝詞を読み上げてみるとか、

そういったことが必要になって来るのですね。

そうして、心の次元を上げて、
優しい気持ちを思い出して、
感謝できる心を再び取り戻して、
そうしてまた、人生に力一杯向き合って参りますと、
きっと全てのことが上手く行くようになりますよ。


淀川


淀川は蕩々と水を湛えて、

それはガンジスや黄河、アマゾン等には遥かに及びませんけど、

静かに水面が揺れております様子は癒やされるものでございます。

大きな鯉がいましてね、

その鯉が優雅に泳いでいるかと思いますと、時折に飛び跳ねるのですよ。

鳩も、雀も、とんぼも、平和な時間を楽しんでおりますようでございました。

欲もなく、不満もなく、心の病もなく、

それは神の意思をそのまま現しておりますようでございました。

人間はどうでしょうか?

人間は文明の恩恵を受けましたね。

遠く離れた人と会話したり、数時間で移動できたり、

でもね、心はどうでしょうか?

欲に塗れ、不満を抱え、時間に急かされて、心まで病んでしまって、

心に全く余裕がないのですね。

大自然の生きもの達と、人と、どちらが心が綺麗かと云いますと、

間違いなく大自然の生きものの方が心が綺麗のです。

淀川にもごみが大量に浮いておりますけどね、

阿修羅のごとく人と争い、

餓鬼のごとく食を貪り、

畜生のごとく性に明け暮れ、

悪魔のように暗い想念を撒き散らし、

鬼のように冷酷で、

その結果が今の地球の有り様なんです。

でもね、その価値観は結局人間の首を絞めることになるのです。

ですから、人はもっと聡く生きなくてはいけないと思うのですね。