ブログより転載(2008年9月)

 



パン屋さんのパン


最近、街のパン屋さんでパンを買うのですけど、

菓子パンでも、惣菜パンでも、食パンでもないパンを買うのです。

例えばフランスパンのようなパン。

でもフランスパンではなくて、ずんぐりむっくりの、大きなパンを好んで買うのです。

名称なんて分からないのですけど、

中身の詰まってずっしりしたパンが好きですね。

ですから、そういったパンの置いてある店が見付かりますと喜んで買って参ります。

でね、それをパンナイフで切り取りながら、マーガリンをたっぷり付けて戴くのです。

で、時にはクリームシチューに浸して。

エーゲ海などではワインとチーズが合うのでしょうけど、

ドイツなどではビールとソーセージが合うのでしょうね。

どのようなシチュエーションでも想像を逞しくしてその場その時に応じた食べ方で戴くのです。

まあ、そんなことも人生の楽しみの一つとしてどうかと思うのです。



祝福の力


ここに千人の空腹の群集がいたとします。
そこにたった一つのコッペパンがあったとします。

これは私も一度やってみたいのですけど、

まず、一人がそのパンを半分にして隣の人に半分を渡します。
半分のパンはさらに半分にして別の人に渡します。
そうして、全ての人の手にパンの欠片が行き渡るまでそれを繰り返します。

次に、そのパンをまた半分にして、その半分を戴きます。
周りにパンを分け与える人がおりましたら、半分に裂いてその半分を渡します。
また、自分が満たされていなければ、手に持ったパンをさらに半分にして、
その半分を戴きます。

パンを裂くときには必ず祝福の祈りを捧げてから裂くのです。

そうしますと、あら不思議。
皆が満たされて、満腹になって、
さらに大量のパンくずが回収できるのです。

私達に正しい信仰があり、
神がその必要を認めて下さいました時には、
神様はいとも簡単にその奇跡を現わして下さいますでしょう。
勿論、神様を試したりすることは許されてはおりませんけどね。



おばかの国、日本


日本には、保証人制度というものがございます。

若者が大学を卒業して、就職する。
その時に若者に最初の屈辱が訪れます。
企業が、身元保証人を求めてくるのですね。

これは全く、おばかという他はありませんね。
若者が、自分のことくらい自分で責任は取るさ。
と思っておりましても、強制的に責任が身元保証人の元に回っていくのです。

折角、自分の手で、足で、未来を切り開こうと意欲に燃えております時に、
企業が、親子間の依存関係を強要して来るのです。

若者を立派な大人に成長させなくてはいけない、自立させなくてはいけない、
その企業が、そんなおばかなことをするのです。

これでは若者はいつまで経っても自立できない。
依存関係が拭えない。
そうして若者はいつまで経っても自由にはなれないのです。

私にも経験がありますけど、
この屈辱感は、若者には大きいですよ。
あなたは、一人前とは認めていませんよ。
と宣告されておりますようなものですからね。

成人とは、一体何なのか、って思いますね。
そうして、そんなおばかな企業ばかりですから、
日本の国は自らの未来を切り拓くことさえできない。
不況に立ち向かうこともできずにやれ人員の削減だとか、派遣だとか、
従業員や関係者の幸せも考えず狭い視野で利益を得ることばかり考えているのですね。

起業家とか実業家って、どうしてそんなにおばかさんが多いのかと思いますね。



私達の訓練している難しいこと


未だに歩きタバコをしていらっしゃる方を見掛けます。

これだけ問題になって、一部の地域では条例でも禁止されて、
それでも未だにタバコを吸いながら、その火の付いたタバコを振りながら、
灰や煙を撒き散らしながら、ポイ捨てしながら生きていらっしゃるその人を裁くのは、
間違いなくその人の、その不誠実さでございましょう。
その不誠実さゆえに間違いなく人生が上手く行かない。

私達はこの世界に生きているのですから、
この世界を愛さなくては何も上手くは行かないのですよ。
自分自身と同じ程に愛さなくては、何も上手くは行かないのです。

大自然を愛し、宇宙を愛し、世界を愛し、社会を愛し、
社会を混乱させる政府や悪意を持つものを排除し、
この世界を自分のことのように考えて良くして行かなくてはいけないのです。

そうして初めて人は大自然と一体となり、
運気も人生も何もかもを自在にできるようになるのです。
この世界を、大自然をそのように、自分のことのように愛してこそ、
大自然の大きな心にも近付くことができるようになるのです。
調和に近付くことができるようになるのです。

少なくとも反感を持って、誠実さをなくして生きておりましても、
心の奥底には煮え切らない思いが残るだけでございましょう。
何も上手くは行きませんね。

愛して、愛して、愛し抜いてこそ、
大自然は私達に微笑みかけて下さるのです。
それは私達の心も大自然の一部なのですから、
当然のことなのですね。



分かる人には分かるブログ記事


人間は河を見れば橋を架け、山を見ればトンネルを掘る。

新人のその男とリーダーはことあるごとに意見が対立し、争った。

リーダーからしてみると、新人のくせに生意気でいけ好かない男であった。

トンネル工事では危険が付きものである。

特に工期の長い工事では気が緩みがちであり、

事故はそんな時に起こるのである。

何度も危険に遭遇し、

何度も窮地を体験し、

それでも不意の岩盤の崩落などがあるのである。

だから自ら気を引き締めて掛からなくては、仲間が危険にさらされる。

気を引き締め、そうして命を懸けて、掘り進む。

それが本物の、男の仕事である。

そうして、何度目かの岩盤の崩落。

何メートルにも及ぶ何トンもの岩盤の崩落を、片手で受け止めた男がいた。

それが、あのいけ好かない新人のジョーンズであった。

その時、リーダーの心が動いた。

彼もこの仕事に命を掛けている我々の仲間なのだと悟ったのだ。

そうして、最後の名誉ある大仕事を彼に任せた。


でも彼は、本当はこの地球に調査に来ていた宇宙人、

トミー・リー・ジョーンズなのだけれど。


風の中のスバル〜♪ 砂の中の銀河〜♪



米屋の話


一昔前は米屋さんも沢山ありまして、
各御家庭に米櫃があって減ってくれば米屋に配達をお願いする、
なんてことが行われておりました。

ですから、米屋さんでも
各御家庭の米櫃を管理するコンピューターシステムを導入していたりしまして、
注文がなくても米びつが減ってきた頃に御用聞きに伺うなんてことができたのですけど、

今は米櫃のある御家庭も減っているのでしょうね。
それに消費者も贅沢になりました。
安い量販店で色々と銘柄を変えたりして、少量ずつ買ってみたりと、
そんなわけで、米屋さんの「お客様を縛り付けておきたい」といった思惑が、
中々思うようにできなくなって来たのでしょう。

事故米を食用米に混ぜて流通させた大ばか者がおりましたけど、

でもね、智恵を絞りましたら、
誠実な方法で売り上げを上げる方法は幾らでもあるのでございます。

例えば最近はストレージも安くなりました。
ですから量販店では各御家庭の家計簿を管理して差し上げるといったサービスを
提供する店も現れて参りますでしょう。
そうしますと消費者はそのお店以外では余り買い物をしなくなりますね。

携帯サイトを使ってお米の少量配達に加えて
買い物サービスといったような付加価値を提供するとか、

インターネットテレビシステムでおいしいお米をPRするとか、

考え方次第で幾らでも売り上げを上げる方法はあるのです。

それがね、
配達することも嫌がり、
お客様に一期一会の気持ちで感謝することもせず、
ほんまにおおきに、と笑顔と真心で接することもせず、
そういった基本的なことさえ忘れておりますから、
売り上げが落ち込んで、
事故米を流通させるなどといった犯罪行為に手を出してしまうのです。

基本に立ち戻り、智恵を振り絞り、真心で、誠心誠意誠実に、労力を惜しまず、
その鉄則を心掛けておりましたら必ず人気が出てくると思うのですけどね。



視点


視点が内側を向いている人は自分のことばかり話すよ。

視点が家族の方を向いている人は家族のことばかり、

視点が仕事の方を向いている人は仕事のことばかり話すよ。

どれも狭い視野だよ。


想念の暗い人は愚痴が多いよ。

自分は正しくて、誰かが悪いって言うよ。

みんな誰かの責任にしているよ。


狭い視野で暗い想念の人は味方を求めているよ。

自分を好きになってくれる人を求めているよ。

自分に都合良く意見を合わせてくれる人を求めているよ。

好きになってくれない人や都合の悪い人は敵だよ。

そういった人をすぐ非難するよ。

自分に甘くて人に厳しいよ。


全ての現象は自分が招き寄せているんだよ。

狭い視野で想念が暗いと苦しみを引き寄せるよ。

魂は広い視野で想念が明るいと開放されるよ。

全ての現象は客観的に見ると解き明かせるよ。

皆のことも次第に分かってくるようになるよ。



愛しいもの


今日はYoutubeでアヒルのワルツを聴いておりました。

オンデマンドって良いですね。

そうして、アヒルのワルツなんて聴いておりましたら、

この世界がとても愛しく感じられてしまいますね。


でもね、Youtubeの中には悪魔の作品としか思えないような動画もありましてね、

この動画は誰が作ったのかな、

誰がこんな動画を見て喜ぶのかなって思うものも沢山あるのですね。


アヒルのワルツ


ここはとあるアヒル町 若いふたりおりました
古い家の古い部屋 古い庭にざくろの木
好きなものはクロワッサン 嫌いなのは北京ダック
ふたりいつか憧れの パリに行くの夢みてる

クェックェックェッ クワックワックワッ
アヒルのワルツ

ノートルダムにシャンゼリゼ サンジェルマンに凱旋門
モンマルトルにカルチェラタン エッフェル塔にクリニャンクール

クェックェックェッ クワックワックワッ
アヒルのワルツ

月月火水木金土 来る日も来る日も働いた
満員電車の窓の外 雨に霞むアヒル町
仕事も嫌い上司も嫌い アヒル町も大嫌い
休みはいつも寝て過ごし パリのパの字も忘れてた

クェックェックェッ クワックワックワッ
アヒルのワルツ

とある晴れた日曜日 雨がやんで陽が差した
遠くで鳥が鳴いている 小さな花が咲いている
カフェオレ入れて朝ごはん 庭で食べようクロワッサン
ここにふたりいるだけで 足りないものはなにもない

クェックェックェッ クワックワックワッ
アヒルのワルツ

アヒルンルン アヒルンルン 僕たちは
一生いっしょさ アヒルンルンルンルン

クェックェックェッ クワックワックワッ
アヒルのワルツ
クェックェックェッ クワックワックワッ
アヒルのワルツ

大家さんの金木犀 毎年秋を教えてくれる
花屋さんの黒い犬 行くたびいつも飛んで来る
小川の横の桜並木 線路沿いの名も知らぬ花
アヒル町にゃカフェもある アヒル町じゃ映画も見れる
見た目はかなり地味だけど アヒル町はふたりのパリ

クェックェックェッ クワックワックワッ
アヒルのワルツ

アヒルンルン アヒルンルン アヒルンルンルンルン
アヒルンルン アヒルンルン アヒルンルンルンルン

クェックェックェッ クワックワックワッ
クェックェックェッ クワックワックワッ
クェックェックェッ クワックワックワッ
アヒルのワルツ



記憶


最近、慣れないプログラミングなんてことをして遊んでおりますけど、
思いますに、文明は技術の積み重ねで成り立っておりますわけでございまして、
パソコン一つ取りましても、ダイオードの発見とか、トランジスタの発見がありまして、
そういった技術の蓄積で製作されましたノイマン型コンピューターに始まり、
それが進化に進化を遂げて、何十万、何百万もの技術の蓄積で、
私達が気軽にパソコンを使えるようになっておりますわけでございます。

ですから文明は一度崩壊されますとなかなか元に戻るのには時間が掛かるものでございます。
遥か古にはテラ文明、オーム文明、アスカ文明、アトランティス文明といった文明が存在し、
その痕跡がこの地球上に残っておりますようですけど、
何れの文明も高い技術の蓄積がありましたことは間違いのない事実のようでございます。

そしてまた、記憶といいますものも崩壊せずに蓄積されておりましたら、
人はどれだけ素晴らしい人格を形成できるのであろうかと思うのですけど、
忘却とは忘れ去ることでございまして、
人間はそれが得意なのですね。
忘れたくなくても忘れてしまう。
困ったものでございます。

でもね、忘却も神様のお慈悲でございまして、
実在界に戻りましたら、もう忘却することはできなくなるのですね。
全ての情報が心の奥に蓄積されているのですから、
高い次元に昇華すればするだけ、
忘れ去ろうとしましてもそれは難しくなるのです。

ですから実在界ではより調和を求めて生きておりませんと生きて行けない。
恨み憎しみを四六時中抱えておりますわけには行きませんからね。
ですから、発散して、忘却して、気分転換して、爽やかな気分になることのできるこの世界が、
一番気楽に生きて行ける世界なのではないかと思うのです。

忘れることのできる有り難さ。
忘れてしまいました分は、更に覚え直せば良いだけですね。
その努力を人は惜しんではいけないのだろうと思います。

そういった理由で調和という条件反射を備えた魂だけが高い次元に昇華するのですね。
調和できない魂は低い次元に留まるしかない。
ですから、不調和な記憶はすぐに忘却されてしまう。
この世界で不調和な文明がすぐに崩壊してしまう。
それもまた、神理に適ったことなのでしょうね。



あっと言う間に夜が来て


一日プログラミングをしておりますと、もう気付かぬ間に夜でございます。

今は自分の使う事務処理プログラムを作っているのですけど、

毎日プログラミングに明け暮れますと、すぐに寿命が尽きてしまうのではないかと、

思うのでございます。

でも、私の以前勤めておりました会社ではね、

一日で作れる程度のプログラムが数十万円、

まあ、30万円以上は取っておりましたね。

その反面、開発が済むとアフターサポートは開発とは関係のない別部門に投げられて、

また期が変わりますと転勤やら部署移動やらで、

そんな状態でお客様の信頼を得ることも考えずによく経営できていたものだと思うのですね。

まあ、その分給料は良かったですけどね。

でもね、世の中もうどこを見回してもコンピューターばかりでございます。

あらゆる家電製品の中にもコンピューターはありますし、

リモコンの中にも、湯沸かし器の中にも、

自動車等の動力で動くものにも全てコンピューターが入っているのですね。

だからプログラマーは幾らおりましても足らないのです。

幾らでも需要があるのです。

ですから現代人は皆プログラム程度組めなくてはいけないのですね。

そうしましたら国力もますます増大して参りますでしょう。

不況なんて関係なくなりますよ。きっとね。



人を構成するもの


愛と憎しみが、私達の今の状況を現しているのですね。

愛と憎しみは、次元を下げますと、好きと嫌いになります。

好きと嫌いは、次元を下げますと、建設と崩壊になります。

建設、努力、勤勉、成長は愛から生じていて、

崩壊、堕落、怠惰は憎しみから生じているのです。

だから魂に愛を刻み込まなくてはいけないのですね。

そうして、愛は美しさを生み、

憎しみは醜さを生むのです。

勿論それは神のため、全ての魂のためですね。



生きものの暖かさ


私はひとりものでございます。

別に寂しいひとりものではないのですけど、

だから家族のある人はいいなと思います。

ただ私が罪多き人間である上にそれをずっと望まなかったから、

子連れの家族を見ますと「幸せになってね」と思ってしまう。

ですから、家族のある人はもっと家族に感謝して、

ご自身の幸せな境遇にも感謝しなくてはいけないのではないかと思うのです。


公園のタマが出迎えに来て下さいます。

これはもう当初から、どうして私が来たことが分かるのかは分かりませんけど、

タマだけが一食猫缶の恩義で出迎えに来て下さるのです。

公園までの数十メートルの道程を一緒に連れ添って歩くのですけど、

その時に生きものの暖かさを感じます。

血の通った生きものの愛は暖かいものでございます。

本当に、それが分かります。


慈悲も吹く風のように涼しくて心地良いのですけど、

愛は暖かくて心地良いのです。

その暖かさは勿論、樹や大地にも感じますけど、


私が、生きていて良かったと心から感じることのできる時間ですね。



感受性を磨く


脳は、記憶なんてしないよ。

脳に情報を保持しておく場所なんてないよ。

そのことは徹底的に脳医学界でも調べてみて欲しいのですけど、

それから、脳が感じる感受性の信号は弱いよ。

脳は信号を心に伝えるだけで、

ものを感じるのは心なんです。

今更そんなこと云わなくても当たり前のことなんですけど、

だって悲しいとか、嬉しいとか、綺麗だとか感じるのは心だし、

心が感じて泣いたり笑ったりするのです。

だから心の乏しい人は、泣いたり笑ったりしないのです。


心で感じる。

感じたものを心のアンプで最大限に増幅する。

そうすればその情報は脳にフィードバックされて、

感受性が磨かれるのです。


興味のないことを余り覚えられないのは、

心がシャッターを閉めるのですね。

ですから脳と心が不調和になって、

覚えられないし、思い出せないなんて現象が生じるのです。


ですから多くのことに嫌だ嫌だと心のシャッターを閉ざして生きている人は、

能力が低いですよ。

そういった人を生み育てた家庭環境にも問題はあると思いますけど、

そんなわけで嫌々病は何が何でも治さなくてはいけないのですね。

そうして心のアンプをMAXにして、

今生を力一杯に楽しく生きて下さいましたらと思うのです。



お茶の殺菌作用


ところでね、お茶を沸かしますでしょ。おやかんにいっぱい。
そうしますと凡そ2日で飲み終わります。
で、使い終わったお茶パックを捨てようとするのですけど、
まだびしょびしょですから、これはそのままゴミに出すというわけにも行かないのです。
それで、流しの隅っこに暫く置いておくのですけど、

お茶パックってあれですね。
何日置いておきましてもカビが生えないのですね。
コーヒーの出し殻でしたら2〜3日でカビだらけになってしまうのですけどね。
流石にお茶の殺菌作用は素晴らしいですね。

蕎麦だってそうなのですね。
殺菌作用があるから枕なんかに使われているのですけど、

身体の中を綺麗にする。
これもお茶を飲むことですね。
抗生物質は副作用がありますけど、
お茶にはちょっとした抗生物質並みの効果があって、
しかも副作用はありませんから、良いと思いますね。



たとえば芋洗坂


芋洗坂係長の人生を想像してみる。

学生の頃テレビを見ていて芸能人に憧れた。

それで劇団に入って、舞台に立ちたい一心で必死に練習したのです。

ダンスに演技を毎日何時間も何時間も練習したのでしょうね。

日中はアルバイトをしながら、毎日夜遅くまで練習したのです。

そうして、舞台にも立ち、たまにはテレビの仕事も入るようになったのです。

ところが、彼は少し安心してしまった。

その気の緩みで、どうしたことか太ってしまった。

それで彼はその体型を活かせるお笑いの世界に飛び込んだのでしょうね。

人を楽しませることが好きで、毎日そればかりを考え、ネタを作る。

それが彼の生き甲斐なのでしょうね。


そうしてね、それはおそらく彼が前世に心に誓った使命ではないかと思うのです。



八百萬の神


八百萬の神とは何であろうか。

大神霊が神の子供達にこの地上の世界のことを全て任せて下さっておられる。

神の子供達とは、大自然に存在する全てのもの、

そうして、神の子供は取りも直さず、神である。

大自然も、勿論神である。

山も、樹も、河も、神である。

調和の中にある神を人は「上」と書き「八百萬の神」と呼ぶ。

勿論、人も神である。

神であるが故に、神様は私達に全てを任せて下さっているのだ。

ただ、人は調和の中にはいない。

堕落した神である。

だから八百萬の神ではないのだ。



人生の悦び


人生の悦びとは一体何なのか、と思う。

この世界は美しい。

美味しいものが沢山ある。

人を愛した時、

想いが通い合った時、

受験で合格した時、

頑張りが認められた時、

人生には沢山の悦びがある。

私は、この世界は舞台であるように思う。

正しく力一杯に演じて日頃の鍛錬の成果を表わす舞台なのだと思う。

観客は勿論、心の中の親しい友人達である。

そうして舞台を降りて仲間の許に戻った後には、

この悦びはない。

空蝉の世界だからこそ、

先の見えない儚い世界だからこそ、

この悦びは一入であるように思う。



明るいのだ


昨夜は午前5時前まで作業しておりまして、
今朝は9時半頃に起床しました。

色々と考えなくてはいけないことがまだまだ沢山ありますね。

嫌々病は治さなくてはいけないよ、とか云っておきながら、
私にはまだ嫌いなものが沢山あります。
困ったことでございます。

サッポロ一番塩ラーメンが嫌いです。
これは美味しいのかも知れませんけど、
不本意ながら、こればかり食べ過ぎたのですね。

それから、すき焼きというものが嫌いです。
美味しいのでしょうが、嫌な記憶が沢山あるのです。
ですから、もし私がどなたかとすき焼きを食べなくてはいけないような事態に陥りましたら、
無理にでも私の食べ方に従って戴きます。
それが嫌なら、私にすき焼きを食べさせないことです!(爆)

色々と心の整理ができていないことが根本に原因としてあるのですけど、

こんな私でも全てのものを愛することができましたときには光を放てます。
光は愛がなくては放てません。
でも反省して心を研ぎ澄ませて心に愛を溢れさせますと愛の光が放たれるのです。

また、この世界は光に溢れる世界でございます。
大神霊の愛が如何に大きいか、愛に溢れているか、
そのことから理解できるのです。

神様の愛がこの世界を光に溢れさせている。
ですから、神の子供であります私達も、
愛することで光を放つことができるのです。

全てのものを愛しなさい、
この世界を愛に溢れさせなさい、
そうすれば、この世界はもっともっと明るくなりますでしょう。
大神霊はそのように教えて下さっていたのです。

これをお釈迦様はこのように申されました。
無無明 亦 無無明尽
(明るいのだ、また、いつまでも明るいのだ)
とね。

愛によりまして、そのような世界が必ず来るのです。
必ず実現できるのです。