ブログより転載(2008年12月)

 



言葉に見る高次元



この世界は、三次元の世界でございます。
横の広がりと、高さ、
それに加えまして奥行きの深さ、
この3つの座標で構成される世界ですね。

そこに心という座標が加わりまして、四次元が構成されます。

さて、それではこれから、この、横の広がりと高さ、奥行きを除外しまして
心という座標だけを見て参りましょう。

心の一番浅いところに、表面意識がありますね。
好き嫌いという判断が行なわれております場所ですね。

さらにその上の次元では、善い、悪いといった判断基準がございます。
好きなものでも一つ高い次元では悪いものであったり、
嫌いなものでも一つ高い次元では善いものであったり、
そういったことが往々にしてあるのですね。

もう一つ次元を上げますと云いますと、
正しいか正しくないか、

その上の次元では、
建設的か破壊的か、つまり愛と慈悲に基づいているか、
人を生かすように関わっているか、

さらにその上の次元になりますと、
調和しているかしていないか、神理に適っているか適っていないか、
と、そういった判断基準、つまり座標が増えていくのですね。
明神様が正しいと考えておりますことでも、
菩薩様の見解ではそれは慈悲に欠ける、と判断されることもあり、
如来様の見解では調和の姿ではないと判断されたり、

とね、次元が上がります毎に物事の見方が異なって来るのですね。
勿論、如来様も明神や菩薩を踏まえての如来なのですから、
単にものの見方が変わるのではなく、視野が広がってくるのです。
ミクロの視野からミリ単位の視野、メートル単位の視野、キロ単位の視野、
惑星単位の視野、銀河単位の視野、宇宙単位の視野、神霊の視野へとね、
半端ないほどに広がって来るのです。

それがね、高次元なんです。
三次元も単に縦、横、高さ、ではないのですよ。
本質は心の広がる方向なんです。
三次元世界も四次元、つまり心の中に存在しているのですからね。



原因



全ての事象には原因があるわけでございまして、

ひとつひとつ、考えて参りますと、次第に判断力が研ぎ澄まされる訳でございます。

最近では、部屋の北の玄関に陰の気が篭っている。

なんてことがありましたけど、

南のエアコンの風に追い遣られて陰の気が全部玄関に留まっているのですね。

ですから、私の部屋は逆にね、

定期的に換気さえしておりましたらもの凄く気の良い状態を保てるのです。

ところがね、多くの人は余り考えることをしないのですね。

どういうわけか考える方法を知らないようでありまして、

なんだかなあ、と思うのでありますけど、

ご家庭でもお子様が親御様に番組の録画をお願いする、

それで上手く録画できていなくて喧嘩になったり、

お子様の成績が悪いと親御様がお子様をお叱りになられる。

よくある光景ですけど、

そんな状態でありながら、うちは仲の良い家族です、なんて自信を持って仰られる。

どこがあ?って思うのです。

でも、うちはうち、よそはよそ、なんでしょうね。

そんなんで皆が幸せでいられるわけはないのですけど、

それが分からないのですね。

考えないから。

麻生さんも何も考えない、渡辺さんも何も考えない、

こんな状態で解散総選挙して時間もお金も無駄にするバカがどこにおるか!

と思うのです。

一人頭1万2千円の給付金、

ガキの小遣いではないのですけどね。

そうやって二億円をどぶに捨てて、

税金も取るべきところから取らずに取れるところからばかり取ろうとする、

企業も人材を使い捨てにして不況をさらに悪化させて自分の首を絞めているのですね。

良くなりたいのならもっともっと考えないとダメだなって思いますよ。

考えて、考えて、考えて、

命掛けで考えて原因を見抜き、それからその最適な対策を講じるのです。

行き当たりばったりではどこに行き着くことか知れません。

悪口ではないのですよ。

老婆心なんです。

それができないのなら人類は間違いなく破滅するのです。

盲目の上に考えないで断崖絶壁を歩いておりましたら転がり落ちてしまいますからね。

本当に、分かって欲しいと思うのです。

分かって下さい。

お願いします。



世界不況へのシナリオ



アメリカ発、自由主義経済

さて、今回の世界規模における不況は、アメリカの自由主義という考え方の反作用でありますように思います。
そもそも、経済における自由主義とは何ぞや、というお話ですけど、私も詳しくは知りません。
でもね、先進国の低成長期にありまして、
世界市場を自由化して弱者を土台に更なる利益の追求を目指そうとする強者の悪巧み
でありますことは疑いようのない事実でありますように思います。

これはね、
ボクシングにおけるヘビー級チャンピオンがライト級の選手をその体重差を利用してぼこぼこに言わすようなものでありましてね、
弱者には深き慈悲を持って相当のハンディーを与えて差し上げませんと、
弱者は自由主義経済の下に間違いなく姿を消して行くことになりますでしょう。
そういった当然の配慮を忘れて、
その自由主義をはいはいと言いなりになって聞いてしまった日本の政治家達。

月収一千万円の人の月収が、弱者を踏み台にすることで二千万円になりましても、
消費は変わりませんでしょう。
残りは全て貯蓄に回っていくのですね。
弱者は職を失い、格差社会がどんどん広がって来るのです。

それが不況を招き、結局は下請けに対する心無い扱いも許されていた大手の、
フォードやクライスラーなどといった大手の企業が倒れて行く、
GMなんて特にそうですね。
日本でもトヨタが良い例ですけど。

慈悲を忘れた社会には、もはや未来は残されてはおりませんでしょう。
人類の業の深さを私たちはもう一度反省してみることではないかと思います。
そうして、創造神の御心のままに、
創造神がお慈悲で未来を開いて下さるか下さらないかは分かりませんけど、
心を正して正しい在り方に戻ることではないかと思いますね。

あーめん。



焼き鳥



焼き鳥の話ですけど、

東京で暮らしておりました頃、塩味の焼き鳥の美味しさを知りました。

パラパラっと塩をかけて焼いて下さる、その中でも特にあのパリッと焼けた皮が

美味しかったですね。

それ以来、ずっと焼き鳥は塩が美味しいのだと思い込んでおりましたけど、

近くに美味しいタレの焼き鳥を食べさせて下さるところがあるのですね。

このタレはね、本当に塩より美味しい。

ところでお釈迦様は南無妙法蓮華の教えを残して下さいましたね。

蓮華の花は汚い泥水から美しい花を咲かせる。

人も汚れた身体でも美しい心を持つことができるのだ。

そんな教えなのですけど、

これを私なりに現代版に置き換えてみましてね、

南無妙法焼鳥経

なんてのは如何かと思うのです。

焼き鳥は味付けをしなくては美味しくないけれど、

上手く味付けをすれば塩でもタレでも驚くほどに味に深みが出て美味しくなるのだ。

人も上手く味付けをすれば心の深みを増して豊かな心を持つことができるのだよ。

ってね。

(爆)







時は貴重なものでございます。

無限にあるかと思いますと、あっと云う間に過ぎてしまう。


サラリーマンの頃、A列車で行こう、なんてゲームにはまりましてね、

一日何時間もパソコンに向かって架空の鉄道会社を運営するのですけど、

それを何十日も続けてようやく資金不足になってゲーム終了となるのです。

でもね、幾らこのゲームに時間をかけましても何にもならない。

経営手腕が備わるわけでも、何らかの能力が養われるわけでもないのです。

ただ、ゲームのコツが分かってくるだけなのです。

ですから、それは本当に無駄な時間であったように思いますね。


私は歩くスピードが半端ないくらいに遅いです。

そう心がけて無理にゆっくりと歩いております。

昔は恐ろしいほどに速く歩きましたね。

早足で有名な大阪人の中でも一際早足で歩いておりました。

元来の性格が我が強くて負けず嫌いですからね、

負けたくないことには負けたくない。

でもね、今の生活をするようになりましてから、

意識してゆっくり歩くことにしたんです。

時間はたっぷりとある、と自分に言い聞かせながらね。

そうして反省しながら、心の調和を図りながら歩いておりましたら、

不思議と大自然と気持ちが通い合うのですね。

悠久の時の流れや大自然の息遣いやその営みが感じ取れて来るのです。

それはどんなに実り多い時間でありましょうか。

ゆっくり歩いております時が、

私に取りましては一番価値のあります時間なんです。

どこかのIT企業の言葉を借りまして、パワーウォーキングとでも呼ぶことにしましょうか、

価値のない時間を惜しみあわただしく生きる人生と、

価値のある時間を惜しまずゆっくりと楽しみながら生きる人生、

パワーランチは恐らく前者だと私は思うのですけど、

パワーウォーキング、皆様も是非試してみて下さいましたらと思うのです。


かしこ。



親神子神



亀の子は、亀である。

それは当然の理屈でありますけど、

神の子は、神である。

それも、当然の理屈でございます。

どんなに出来が悪くても、神の子をその親は神であると認めて、

全ての権限を与えて成長を見守って下さいますでしょう。

それは人間社会の親子関係にありましても、

当然、そうあるべき、そうでなくてはならないことなのですけど、

残念ながらそのようなご家庭は極めて稀ですね。

私たちは、神でございます。

神様の子供ですから、神なんです。

極めて、できの悪い神ですね。

でもね、そんな私たち人間をも神様は尊重して下さっているのです。

ですから、自由と責任を与えて下さって、

必要以上に関わるなんてことはしないのです。

そうしてしまいますと子がダメになってしまいますから。

まあ、今でも充分ダメなのですけど、

でもね、私たち子供は、

何でもかんでも「神様〜」ってね、すぐ親である神様に甘えようとするのですね。

神様も私たち子供をダメにしてしまわないためにも、

抱き締めてあげたいのだけれどじっと我慢して、

適度に突き放したりして自立を促して下さっているのですね。

そしてまた、神である私たちにも自立して生きる能力があるのですから、

自分一人でも何でもできるはずなんですけど、

神様が構って下さらないから、お願いを聞いて下さらないから、

欲望を満たして下さらないからと、

すぐ悪魔に魂を売り渡してしまったりするのですね。

そうして地上が闇に包まれるのです。

悪事が蔓延るのですね。

厳しい試練の時を迎えなくてはならなくなってしまうのです。

見えないから、分からないから、

でもね、少し高い次元では全ての現象は明かされているのですよ。

こうすればこうなる。

それが少し高い次元に立つことで何もかも理解できるようになるのです。

そうして、全ての現象は繋がっているのだということ。

根本さえ正せば、全てがまた正しく回りだすのだということ。

親亀がこけなくても小亀はこけてしまうのです。

でもね、親亀にしっかりつかまっておりましたら、
小亀がこけることはないのですね。

私は、僭越ながら

幸運なことに少し高い次元に立てたから人生相談だって朝飯前にさせて戴いているのです。

何もそれを自慢する気持ちもありませんけど、

今生、私はラッキーだったという、それだけなんです。

ですから時として誰も云わないような高レベルのスピリチュアルなことを、

覚者や偉人を差し置いて、ここで書かせて戴いたりもできているのです。

まあ、それが私の勤めなんでしょうけどね。



正しい努力の結果



企業などが正しく努力して消費者に良い商品を届けようとしますと、

そこには必ず研究開発の結果が現れてまいります。

歯磨き粉にしましてもね、

プラークを除去するもの、

歯槽膿漏を予防するもの、

再石灰化を促進させるもの、

タバコのヤニを取るもの、

塩で歯茎を引き締めるもの、

歯を白くするもの、

フッ素で虫歯を防ぐもの、

虫歯菌を除去するもの、

等、様々な効能のありますものが販売されておりますけど、

歯間ブラシにしましても、デンタルリンスにしましても、

私が子供の頃にはそんなものはなかったのです。

でも今やもう正しい歯の磨き方、商品の選択で、私たちは歯医者とは無縁になれるのです。

ですから今後は更に、正しい歯磨き粉の選択、歯間ブラシの選択、歯の磨き方などで

企業のサポートが受けられるようになりますと良いなあと思うのでありますけど、

そういった企業の研究開発の努力は正しいものであるように思いますね。

そういった努力をしておりますと、

必ず何らかの結果は出て参りますものであるように思います。

逆に、何年も何の結果も現れて来ない、何年も変化のない企業となりますと、

それはもう、真面目に取り組んでいるとは考え難いものでございますね。

私が子供の頃にこういった素晴らしい歯磨き粉がありましたら、

適切な歯の保全に関する教育でも受けておりましたら、

私の虫歯はもっと少なかっただろうにと、悔やむこの頃でございます。



宗教



宗教とは恐ろしいもので、

殆どの宗教が争いと悪意に満ちておりますものでございます。

どこかは申しませんけど、

宗派でいがみ合い、上層部もいがみ合い、信者もいがみ合い、

勧誘で一般人ともいがみ合い、信者の家庭でもいがみ合う。

地獄霊や動物霊が暗躍しているのですね。

狐や狸、蛇、地獄霊、魔王とその手下がね、

人の目には見えないものだから、どんどん信者に憑いて不調和を生じさせて、

仲間を増やしていくのですね。

そうして勢力を拡大していくのです。

全く、恐ろしいことでございますよ。

狐や狸に憑かれた人は金の亡者になりますでしょう。

蛇に憑かれた人は執着心強く、強引な正確になりますでしょう。

そうして40歳後半にもなりますと顔付きも憑かれておりますものに似て来るのですね。

多少の能力も与えられるかも知れません。

でもその能力も、人生を破滅させる方向にしか働かないのですね。

そうやってどんどん人生を破滅させて行く。

ですから宗教との関わりは避けたほうが良いのですね。

宗教などとは一切関わらずに心を調和させ、生活を調和させて、

ご自身の正しい智恵と努力と勇気で、お天道様に恥ずかしくない生き方を心掛けて、

光の中に生きることなんです。

そうしますと不調和な環境もどんどん調和されて行くのですね。



現実



盲目といいますものは恐ろしいもので、

親子関係における重大な過ちが殆どのご家庭にありまして、

子の人権を侵害していても気付かない、何も考えない、

それが今の社会現象の大きな要因になっておりますことは、

疑いようのない事実でございます。

私のところにも頻繁に中高生からの救いを求める声が届きますけど、

子供には学校以外での教育が必要なのではないのです。

自分たちを尊重してくれて、

自分たちの声に耳を傾けて心にポッカリ開いた穴を埋めて下さる味方が、

必要なのです。

厳しい叱責の声ではなく、

行動を規制し強要する声でもなく、

ただ味方になって下さる人の思い遣りのあります暖かな声が必要なのです。

そうしてまた、一人の人間として認め、尊重して自由と責任を与え、

正しく見守り成長させて下さる味方が必要なのです。

自分で一つずつ考え、行動する権限を持ち、自らの力で成功し、またつまづいても、

そこから学び取り自信を付けて成長して行ける、

その環境を与えて下さる味方が必要なのです。

決して自由も責任なく自分の力で考え行動することも許されない

親の管理下にある生ぬるい部屋が必要なのではないのです。

そんな部屋で育てられた子供は絶対に社会に通用しない大人になるのです。

ニートや引き篭もり、さらには犯罪者になってしまうのです。

皆様のご家庭では如何でしょうか?

お子様に取りまして親御様はお子様の味方でありますでしょうか?

一度お子様の視点で、お子様の立場で客観的にみて下さいましたらと思うのでございます。

そうして環境が正しく改善されましたら、

お子様も人生の楽しさに気付いて下さるのです。

そうして意欲的に学び、成績も抜群に伸びて下さいますでしょう。

これはね、疑うのでしたらやってみられましたら良いのです。

まあ、やってみるまでもなく、

本質を見抜いておられます方にはごく当たり前のことなのですけどね。

携帯を取り上げたりするよりもその方が余程お子様は立派に育って下さると思いますし、

未来社会も良くなってくると思いますけどね。



神と悪魔



この世界には、二つの力が存在しております。

神と悪魔ですね。


人々が建設的な勇気と智恵と努力により得られる調和の世界、

それが神が導いて下さろうとしております光の方向です。


悪魔は逆に、人々に悦楽を与え、

人を堕落と破壊に導きます。


悪魔が多ければこの世界は地獄となり、恐ろしい犯罪社会に変わります。

人の心が調和に満たされましたら、この世界は天国に、

愛と慈悲に溢れる調和社会になるのです。


必要以上の金銭を与え、どのような願いでも叶えて下さる、

それは、神ではなくて悪魔ですね。


人々が望む必要なものを、得られるように正しい方向に導いて下さる、

それが神の慈悲のお心であるように思います。


悪魔はね、神様が望んで生み出したものではないのです。

神様が人に自由を与えた結果、

人が中道を離れた必要以上の快楽を求め、その結果悪魔が生まれたのです。


神は悪魔を一瞬の内に滅ぼし去ることは可能なんです。

でも、それは絶対になさらない。

それは神様の子供であります私たちを信頼し、

いずれは必ず光の方向へ戻って来て下さると信じて下さっておりますからなんです。

そうして、そいれが本当の自由というものなんです。


ですから神様はね、

地獄には光を与えず、魂の居つけない場所にしているのですよ。


そうして、自らの失敗を自らがつまづくことによって気付き、

反省という慈悲を与えて、心のあり方を訂正することを望んで下さっているのです。


そしてまた、神について、神理について、

いろんな人がいろんなことを云います。

間違ったこと、あやふやなこと、

今の時代は本当に多いです。

さすがの私も愕然としますね。


でもね、たった一つの間違った神理でさえも悪なんですよ。

そしてそのたった一つの間違った認識が、人と神とを繋ぐ障害になるのです。


ですから人は、真摯に、誠心誠意誠実に生きなくてはいけない。

人に対しても、神に対しても、神理に」対してもそうなんです。


ところが人の心は弱いものですからね、

ついつい自分に甘えてしまう。

これくらいで良いだろうと考えてします。

ですから、

真摯に、誠心誠意誠実に生きるなんてことは本当に厳しく、勇気の要ることなんです。


私もね、私自身の今の在り方が全て正しいなんて思ってはいないのです。

神様のご意志のままに、

霊として、神様の子供として真摯に、誠心誠意正しく、神に仕える、

そのためにはどのようにしなくてはいけないのか、

本当に正しい姿とは、どのようなものか、

神様に全てを委ねるとはどういうことなのか、

日々考えておりますけど、


サイトのサービス、たとえば御護符を書かせて戴くにしましても、

真心で一切の妥協をせず書かせて戴きまして、

自由価格で皆様に価格を決めて戴く、

効果がなければ0円、効果が出ればその分だけ、

お支払い戴く、

それが本当の正しい姿だと思うのです。


今は勿論、そんなことは私自身の負担が大き過ぎますので無理なのですけど、

何れは、そうしなくてはいけないように思うのです。

いえ、真心で人の幸せを願うこと程度でお金なんて戴いてはいけないのです。

ただ、そうしますと、地獄に近い今の社会で身体を維持して命を保つことができないですから、

今は未だ割り切らせて戴いておりますけど、


本当にそうなのです。

自分を捨てて生きる。

欲も何もかもを捨てて誠心の中に生きる、

皆がそうなって初めて社会は愛と慈悲に溢れて調和するのだと思いますね。



双子の魂



さて、三倉さんところのマナカナちゃんも大学で頑張っておられますようでございまして、

そろそろ卒業なのかな、未だなのかなと、一度検索してみようと考えているのですけど、

マナカナちゃんのような双子の人はね、

高次元の創造神の中にありましては、隣り合った二つの一番似ております魂が、

転生して生まれて来られますようですね。(先生の御本より)

私は、創造神の中では、魂は連続体ではないかなと考えているのですけど、

例えば高次元体であります創造神を金太郎飴と仮定しましょう。

金太郎飴の金太郎は連続体ですよね。

で、それをスライスカットして、一つ一つ独立した飴ちゃんにするのですけど、

隣り合った二つの飴ちゃんの金太郎さんは、そっくりのお顔をなさっておられますよね。

でね、どこか一つの金太郎ちゃんが楽しくて笑いますと、

その楽しさが隣り合った金太郎ちゃんにも伝わるのですね。

隣り合う似たような魂なのですから、必ず仲が良いかと云いますとそうではありませんで、

不機嫌になったときはもう一人も不機嫌になっていますからね、

ですから、おすぎとぴーこさんなんて良く喧嘩をなさっておられますね。

まあ、喧嘩するほどに仲も良いのでしょうけどね。



歌を唄う



ほんの十数年前まで、

私が歌を唄いますと何故か哀愁が漂うという極めて特異な才能を、

私は持っておりました。

その理由が生まれてからずっと分からなかったのですけどね、

ある時、理解しました。

私の音は、半音低かったのですね。

全ての音を半音ずつ低く、フラットで唄っていたのです。

半音はずれた程度では殆どの人は気付かないのですけど、

最近、その違いがはっきり分かるようになりました。

フラットで唄いますと、哀愁が漂うのです。

そうして、人生を嫌々病を背負って生きておりますと、音がフラットの世界の住人になるのです。

まるで神様が悲しんでいらっしゃるように嫌々病の人の唄には哀愁が漂うのですね。

現象界ですから、そんな現象も生じてしまうのですね。



智恵子抄に想う



魔に心を支配されてしまった例に、

高村光太郎さんの智恵子抄に登場する智恵子さんが身近なものとして挙げられますね。

智恵子さんが何故魔に身体を支配されてしまったのか、

智恵子さんは東京の光太郎さんの所へ嫁いだのですね。

で、東京には空がないなんて仰っておられましたけど、

その劣悪な環境で、都会の習慣や人間関係、

舅や姑との関係、借金問題等色々とあったのでしょうね。

それで心に不満や憎しみ、逃げたいという想い等の不調和を一杯抱えてしまった。

それで魔と意識が通じてしまったのでしょうね。

お気を付け下さいませ。

私の住んでおります大阪では、

この何年間か夜空にカシオペア座が見えません。

オリオン座は見えるのですけどね、残念ながらそれも星が二つ三つ欠けているのです。

夜空に星が7個見えると御の字のような状況でございます。

あたたら山で見る空は本当に綺麗なんでしょうね。

そないに思います。



調和という名の偽善



初めて正しく生きてみようと思い立ちましたのが大学生の頃でございました。

自分の心に正直に生きなさいと言い聞かせて反省を繰り返していたのですけど、

不調和な環境に置かれた心を閉ざした状態の青年に深いところでの反省ができるわけもなく、

心の奥底には未だ、

憎しみや人から良く思われたいといった気持ちが残っておりますことにも気付けず、

その不調和の上に善の想念を積み重ねようとしていたものですから、

どうしてもそれが偽善になって心が苦しくなって来るのです。

現在はさらにその奥の、人間嫌いを人類愛に訂正する段階でしょうか。

成る程、そのように見て参りますと、輪廻転生の度に計画します使命と今生での課題、

学びの段階といったものもそういった心の層に沿ったものでありますように感じられますね。

そうして私も、嬉しいことに大学生の頃よりは幾分成長できておりますようでございます。



薬湯



あるところから何種類かの薬草を購入して参りまして、

何種類かを合わせておやかんで30分程度煮込んで戴いているのですけど、

薬草にはそれぞれの独特の香りがあるのですね。

でも決して嫌な臭いではないのです。

色々と調べておりますと次のような効果がありますようで、

自然のものには必ず利用価値があるのですね。


ガジュツ
健胃、肩こり、肩甲部の神経痛、上半身の関節リウマチ等を改善

クワ
利尿、血圧降下、血糖降下作用、解熱、鎮咳

じゅうやく(ドクダミ)
毒素排出、便秘、便秘に伴う吹出物、尿量減少

げんのしょうこ
整腸、腹部膨満感、軟便、便秘

あまちゃづる
鎮静、鎮咳、去痰、消炎、解熱、浄血、強壮・強精、利尿

柿の葉
血圧安定、コレステロール排出、利尿 止血作用、動脈硬化、心臓病、活性酸素除去

紫イペ
免疫力の増強、抗癌、抗腫瘍、血糖値降下、血流改善、抗炎症

ニワトコ
発汗、解熱、むくみ、利尿

ハブ(ケツメイシ)
血圧安定、疲労回復、食欲増進、便秘、腹部膨満感、健胃、眼精疲労、眼病、神経痛、リウマチ



社会変動



派遣社員の切り捨ての速度が加速しておりますようでございます。

世界貿易機構の圧力に屈して政府が自由化政策を強行させ、

派遣という働き方が一般化して参りましたのは1997年頃のことでしょうか。

それから十年余、

企業は社員を削減して派遣社員を活用するといったことを行って参りましたわけでございますが、

派遣要員は数千万人に上るのでないかと思われるのでありまして、

社会からも、派遣企業からも、派遣先からも奴隷のように利用されて、

文句の一つも発することを認められず辛抱に辛抱を重ねて来られました弱者である彼らに、

今後どのような救いの手が差し伸べられるのでありましょうか。

2兆円あれば、私なら弱者への貸し付けにしたいところですけど、

社会は今、目を覚ますべき機会が与えられているのではないかと思うのです。

そうして今、目を覚まさなければ日本は一体どうなるのか。

あちらこちらに死体が転がり、暴力が蔓延し、

ホームレスが町々を埋め尽くし、暴動が頻発し、

盗みや拳銃、ドラッグが今以上に蔓延しますでしょう。

警官が袋叩きにあい、毎日あちらこちらで火の手が上がり、

赤子は裸で捨てられ、官公庁は襲撃され、家族は殺し合い、

それは誰でも、想像に難くはないと思いますね。

今の日本の歩みの延長線上は、間違いなくそのような社会なのです。

今の寝ぼけた政治家にそれを食い止めることはできますでしょうか?

否ですね。

最近流行りの似非霊能者や似非宗教家は、それを食い止めることが可能でしょうか?

これも否です。

万人が目を覚まさなくてはいけないのです。

自らが創造神の子供であることを自覚して、

光の中に、調和の中に正しく生きることを心がけ、

慈愛溢れる正しい調和社会を再建して行く。

それしか私たちに残された道はもうないのです。

心正しい人も今は厳しいかも知れない。

皆が厳しいのです。

そうして、来年は社会が少しでもマシになって下さいますように願っております。



人生



人生は色々とあるものでございます。

と、そんなことを何度か書かせて戴きました。

そしてまた、人生は頼り難きものでございます。

と、そんなことも何度か書かせて戴きました。

短い期間修行のために生まれて来る、一時の夢のような浮世の世界、

それが現世でございます。

されど人生、でもたかが人生なのですね。

力一杯に生きてだめだったらまた次の道を考える。

成功が全てではないし、失敗に中にも学びはあるのです。

成功に価値があるのは神界の明神様レベルまでなんですね。

勿論、明神様ともなりますと成功するまで踏ん張り抜くであろうと思いますけどね。

ですから失敗しても良いのです。

何度でも失敗して良いのですよ。

そうしてそこからまた新しい学びを得て次の道で生かすのです。

でもね、世の中の人はくよくよしたり、不安になったり、

そんなこんなで自ら悪い運気を招いてしまうのですね。

でもね、不安になることも落ち込むこともないのです。

しっかりと丹田に魂を鎮めて、

道を切り開く智恵を絞り出すことなんです。

でね、不安になることも落ち込むこともなくなってまいりましたら、

人生の気楽な歩き方や、自由度な発想と高い判断力、成功するまで頑張り抜く信念、

といったものが備わってくるようになるのではないかと思うのです。

そうなりましたら本当に気楽だと思いますよ。

落ち込まず、不安にもならず、将棋の駒を進めるように次の一手を果敢に打ち続ける。

人生はね、それだけの繰り返しではないかなと思うのです。

いやほんま。



霊修法



除霊修法というものがございます。

凄い気迫で、大声で邪気邪霊や悪運を振り払う、

また自らの弱い気持ちを制するために行うものでございます。

私も普段は弱々しい声をしちょりますけど、

この時だけはもの凄い大声になってしまいます。

ですから、環境の整った、防音設備のある部屋で、

できれば行いたいものなのですけど、

そうしませんと近所迷惑ですからね、

でも、最近何かしら塞がっておりますようで、

どこから紛れ込んだのかは知れませんけど、

また、近いうちに修めておかなくてはいけないかなと考えております。

次の大仕事までにはしておかなくてはいけないかなと思うのです。

実はこの法は悪いものをことごとく切り捨ててしまうという、

神界レベルの、拝み屋さんの法なのですけど、

今週中にはしておきたいと考えております。

皆様方の塞がりも全て破り捨ててしまいましょうね。

そうして来年はまた良い運気で新しき年を迎えられますよう、

力一杯に修法させて戴こうと思います。



たこやき



たこやきの話なんですけど、

若い頃に食べたたこ焼きが本当に美味しかったことを覚えております。

そこのたこ焼きはね、山芋がたっぷり入っておりましてね、

水で溶いたその汁もどろどろねちねちなのです。

そのまま食べても美味しいそのたこ焼きにソースを付けるのですから、

それはもうたまらないほどに美味しかったのです。

でも、最近のたこ焼きはうまみが薄いのです。

恐らく原価50円も掛けていないのでしょう。

原価50円も掛からないそのたこ焼きを400円で売る。

ほんまに良い商売でございます。


本能と感情が生み出すものには二種類ありますね。

まず、欲が生まれます。

欲は闘争を生み、闘争は破壊を生みますね。

それから、外側に向かう欲、これは理念と言いますね。

本能や感情から理念が生まれますと、

理念は協調を生みますね。

そうして協調は建設に向かいます。

商売を始めるにしましても、事業を始めるにしましても、

欲で始めるか、理念で始めるかによりまして、その事業の方向性は自ずと定まって参ります。

欲は破壊に繋がり、理念は建設に繋がります。


たこ焼き屋さんもね、
美味しいたこ焼きを皆に食べて貰うのだといった高い理念を持って、

商売に励んで戴きたいものだと思いますね。