ブログより転載(2009年2月)

 



ガジュツ末



ウコンと申しますと、生姜の仲間でございます。

生姜と似たような感じの植物なんですけど、

生姜ではないのですな。

ウコンにも色々あるようでございまして、

秋ウコン、これはカレーやソース、からしなどに入っておりますターメリックですな。

食品添加物にタマリンドとして使われておりますこともありますようで、

それから春ウコン、これは内臓脂肪を取って下さる、腸を綺麗にして下さる、

というような漢方薬ですな。

で、今回の、このガジュツは、紫ウコンという種類なのでございまして、

このガジュツを粉にしたものがガジュツ末ですな。

胃を健康にして下さるそうでございます。


このガジュツ末をね、ほんの少し白湯かお茶に混ぜまして、

飲むのですね。

粉っぽいのですけど、これを我慢して飲んでおりますと、

胸焼けなんかもスーっと引いて行くのですね。

その効果は太田胃酸の比ではないのでありまして、


私も以前は良く胸焼けしました。

腸の消化吸収するスピードより早く胃の中に大量の食物を入れてしまいますと、

すぐ胸焼けするのですね。

これも内臓脂肪の弊害なのですけど、

内臓脂肪が付き過ぎて腸の能力が低下しているのですね。

それで年を重ねるに従って、腸の消化能力も弱まって来るのでありまして、

どうしても食が細くなってしまう。

食を細くしないと胸焼けになってしまう、というメカニズムになっているのですね。


あと、春ウコンは肝臓にも良いそうですね。

お酒や肉食は、これもまた肝臓に大きな負担を掛けてしまう。

肝臓も腸の健康に深く関わっております器官ですから、

皆様も、春ウコンや紫ウコン(ガジュツ)を市場などでお見掛けになられましたら、

是非購入して健康的な食生活にご活用下さいますと良いのではないかと思いますね。



組織における調和とは



人が、例えば会社組織の中で仕事をするとします。

そこには、必ず感情の起伏が生じます。

「それはちがう。」とか、

「それでは納得できない。」とかですね。

無感情で仕事をするなんてことはあり得ないのでございまして、

もし、私は無感情で仕事をしていますよ、なんて人がおりましたら、

その人はまず間違いなく真剣に仕事と向き合ってはいないのでございます。


感情の起伏は、時として感情のぶつかり合い、といった事態に発展します。

それは、人それぞれが個々に異なる魂なのですから、当然のことなのです。

皆が同じ意見、同じ気持ちでありましたら、何も楽しくない。

人それぞれに考え方や見えておりますものが違っておりますからこそ、

それが修行になるのです。

成長もできるのです。

そうして、争うのではなく、

互いの意見に耳を傾けて、より優れた意見を採用するのです。


そうして、目的を一にして、

一つの仕事を成し遂げた時、

心が一つにまとまった時、

それはどんなに大きな喜びでございましょう。

調和の姿でございますね。


そうして、調和を目標にして全メンバーが真剣に仕事に向き合う、

そのような組織こそ、生きた組織、生きた仕事であると言えるのではないかと思います。







私は、旅といいますものが好きでありまして、

時間と経済的なものに余裕がありましたら、

日本一周行脚の旅と洒落込んでみたいところなのですけど、

そうでなくても四国四十七霊場巡りくらいはできれば良いな、

なんて考えるのでありますけど、


琵琶湖には、もう幾度となく足を運んでおりまして、

身近だという理由で、琵琶湖には余り思い入れはなく、

どちらかと云いますと、浜名湖の方がね、好きっ!

なのですけど、

湖は基本的に好きなんです。

勿論、河童がいるからという理由で沼と呼ばれておりますようなところも、

嫌いじゃあないんです。

ですから、北海道は摩周湖とか、

手で丸めて作ったマリモでおなじみの阿寒湖とか、

そういったところにも、勿論行ってみたい訳でございます。


ところでね、琵琶湖の北にね、

ポツッと、琵琶湖の水が跳ねてできたような小さな湖があるのです。

余呉湖というのですけど、

小さな小さな湖で、琵琶湖の何百分の一程の大きなの湖なんです。

一応は近畿圏なのですけど、

そこから北に参りますとすぐ福井県、

東に参りますと、すぐ岐阜県、

といった辺境の場所にある湖なんです。

昔から行きたい行きたいと考えているのですけど、

一番近くの駅から、歩いて40分以上掛かるのですね。

で、そんなところを長時間歩いておりまして、

水戸黄門に登場するどこかの旅芸人のように突然差し込みに襲われて倒れてしまう、

なんてことになったらどうするのか、と思うのです。

運良くそこに水戸の黄門ご一行様が現れて、

印籠から丸薬を取り出して与えて下さりーの、竹筒の水で飲ませて下さりーの、

と、そういったことでもありましたら良いのですけど、

現れるのは恐らく、水戸の黄門様ではなくて、熊とかいった野生の動物達でしょうから、

数十年経ちまして、ある日新聞に、

「熊と生活していた熊男発見!」なんて記事が載らないとも限らないのですね。


どんなところかなあ。

一度行ってみたいなあ。

とは思うのですけどね。







今日は、夕方に西の空に虹が出ておりました。

太陽を中心にして円を描くように、

まあ、大分欠けておりましたけどね。

それで分かったのですけど、虹って太陽を中心に円弧を描くのですね。

今日、それが分かりました。

西の方で雨が降ったのでしょう。

そうしてその水蒸気がプリズムのような働きをして、

虹が出るのですね。


それから今日の夕日はとても綺麗でしたよ。

川沿いを散歩しながら夕日を眺めて。

夕日は一日の労を労って、癒して下さるのですね。

お疲れさん、って感じでね。

逆に朝日は、励まして下さるのでしょうね。

今日も一日頑張れよ、ってね。

で、一日を力一杯に頑張って、

サラリーマンなどは疲れた身体を引きずりながら帰途に着く、

その目に飛び込んで来た夕日を見て癒されるのです。

一日、頑張れば頑張っただけ夕日はその瞳に美しく映えるのですね。

「5時から男」なんて昔流行りましたけど、

飲み屋に寄り道している場合ではありませんよね。

何てったって勿体無いですものね。時間が。

夕日を見ながら真っ直ぐに家に帰って、

調和した、心身ともに健康的で実りある有意義な時間をお持ち下さいますことが

如何に人生をより良くして下さるものか。

そう思いますね。



喜びと悲しみ



さて、お仕事も一段落付きまして、またブログでも書くかなと思います。


人生を生きておりまして、

そうしますと私たちは三種類の喜びに遭遇します。


まず、魂の底から湧き上がって参ります喜び、

これは不満に満ちた魂には決して味わえない喜びでありますけど、

決して崩れることのない強固な魂本来の性質、組成といったものでございます。

感謝する習慣が目覚めさせて下さる喜びですね。


次に、自力で掴み取ることによって得られる喜びがありますね。

受験に合格した、事業に成功した、勝利を勝ち取った、苦難を乗り越えた、

これも努力することによって神霊は必ず報いて下さるのだという証でありますように思います。


三番目は他から与えられる喜びですね。

この喜びが人類には一番多いように思いますが、

喜びが与えられることを期待して待ち望み、

そうしてもしその喜びが与えられない時には、人は絶望しますね。

そうして無理にでも喜びを得ようと、今度は強引な方法で奪うことを考えたり、

悲しみに暮れたりしますね。

余り質の良くない喜びですね。


それから、悲しみにも、三種類ありますね。


何かを失ったことによる悲しみ、

大切な人を失う、望みを失う、財産を失う、健康を損う、

でも、この悲しみは今生だけで、

実在界においての来世には再会できたり、財産そのものの必要がなくなったりしますから、

余り執着する必要もないように思いますね。

心を煩わせずに力一杯に今生を生き抜くことが大切でございますね。


二つ目が、他から与えられる悲しみですね。

人から認められない、尊重されないことによる悲しみ、


そして三つ目が、可哀想な人に対する哀れみです。


二つ目の悲しみは、

ですから他からの評価など気になされます必要はこれっぽっちもないように思いますね。

自分自身が納得のできる生き方をしておりましたら、

何も怖れぬ覚悟で生きておりましたら、

神様が生かして下さるままに腹を括って生きておりましたら、

そんなものは悲しみでも何でもなくなるのですね。

そうして更に、大切な魂の仲間として

こちらから慈悲のお気持ちで接して差し上げておりましたら、

その方のお心持ちもまた変わって参りますでしょうし、

ご自身の修行にもなるのですね。

それに、その方との魂の絆も深まるのです。

それこそがエネルギー、神霊の慈悲の光を強化することになるのだと思いますね。


そして最後の、可哀想な人に対する哀れみの気持ちは、

感情移入してしまいますとご自身の判断力さえ衰えてしまいますからね、

客観的な中道の視点で考えて、決して振り回されないことだと思います。

そうしますと適切なアドバイスもして差し上げられるのではないかと思いますね。


さて、皆様は今生、どの喜びや悲しみが多いですか?

私は、皆様が

魂の底から湧き上がって来る喜び

自力で掴み取ることによって得られる喜び

可哀想な人に対する哀れみ

に溢れておられますことを望みますけど、

少なくとも、

他から与えられる喜びは積極的には求めず、

何かを失ったことによる悲しみや、

人から認められない、尊重されないことによる悲しみは

客観的な視点でうまく処理して下さいまして、

今生を聡く、楽しく、力一杯に生き抜いて欲しいと思いますね。



バレーボールに見る災いの原理



さて、災いが何故生じるのか、

例えばバレーボールを考えてみましょう。

まず、ルールというものがありますね。

これが神です。

ベンチには監督という守護霊様がいて下さっております。

私達は、「正しさ」というチームで、

「悪」という相手チームと対戦しているのです。

まず、チームワークが大切ですね。

これは即ち、調和ですね。

チームメンバーは自らの守備範囲を認識して、必ずそこだけは守り通さなくてはいけません。

責任ですね。

もし、守り通せない場合には、そこにボールが打ち込まれてしまいます。

これが災いですね。

メンバーは災いを避けるために必死になってボールを身体で受けております。

ところがですね、

守備範囲を自らの能力以上に設定しているメンバーがおりますね。

そうしますと、その場所の守備能力が低くなります。

相手チームの「悪」はそこを付け狙いますね。

また、すぐに人任せにしてしまうメンバーがおります。

或いは自分で守ると云っておきながら人に任せてしまうような人もおりますね。

どこにでもいるのですね。

自分でやりますと能力以上の仕事を引き受けて、人に押し付けてしまう人。

したたかで、努力を好まずやたらと人を遣いたがる人。

そういったメンバーが一人でもおりますと必ず災いが生じてしまいますね。

つまりボールを打ち込まれてしまうのですね。

適正な守備範囲を認識してその領域は死守する。

チームワークを考え、声を掛け合い、助け合いながら全体の勝利を考える。

監督の指示に従う。

こういった中道の在り方、責任意識、調和の姿をチームメンバー全員が認識して

上達する訓練を続けておりましたら、

災いもかなりの確率で避けられるのではないかと思いますね。



輪廻の姿



雨が降りますでしょ?

そうなんです。地球には雨が降るのですね。

そうして、その雨粒は大地に滲み込みます。

そうして次第に大地の奥深く浸透して、地下水脈に合流して、

河になりますね。

始めちょろちょろ中ぱっぱ。

いえ、これは美味しいご飯の炊き方ですけど、

河の流れも最初は一滴の水が次第に水溜りを作りましてね、

それが流れ始める。

その流れが集まって次第に大きな流れになって行くのですね。

そうして大河となって海に出るのですね。

それから太陽の熱で蒸発して、空に雲を作り、

冷たい風に巡り合って雨になる。


大自然の姿は私達人間の姿と一緒ですね。

河の流れと人生、次第に大きくなって参ります姿、

水の輪廻と私達の輪廻、

天と地を繰り返すその姿は何も変わるところがないのですね。



富士山と水の話



あのね、

富士山に持って行った水は違うよ。

分子が再配列されるのか、感動するのかは知らないけど、

水が綺麗になる。

霊水になるのですね。

水にも心がありますから。

浄化された綺麗な水は人を生かすように働いて下さいますね。

人も身体は70%以上が水分ですからね、

一度富士山に登るっきゃないですね。

富士山でなくても、霊山とかでも良いと思いますよ。

それから、富士山頂上辺りで見られる霊現象、

雲が仏様の形になったり、

これは先生が仰いますに、悪霊の仕業だそうでございます。

そう云いますと、雲が黒っぽいですからね。

黒っぽいのは余り好ましくない霊雲ですね。

地上では、最近は沢山の龍神様が雲になって現れておりますけど、

これは白い雲ですよ。

何故、こんなに頻繁に龍神様が現れるのかは分かりませんけど、

二体、三体と連なっていたりします。

私も予算ができましたら富士山に登りたいと思うのですけど、

まだその時ではないようで、登れる状況ではありませんね。

富士山に登る時はやっぱり準備万端が良いですね。

寝袋やカイロ、厚手の登山服、お湯を沸かせるものとか、

山小屋も予約して、登山計画も立てて、

無理のない計画で、7合目辺りから数日掛けてアタックしたいですね。

いえ、それ程の山なのですよ。

皆さん簡単に考えていらっしゃいますけど、

三キロ歩くのも大変なのに、その高さを登って行くのですよ。

雲の上までね。

高山病だって半端ないのですから。



因縁



やっぱりね、因縁といったものはあるんですよ。

それが今生の人生を妨害する。

死んでも尚真心を取り戻せないのが理不尽な恨みを抱えて、

神霊や守護霊様の善導を妨害し、

堕落させて魂の成長を妨害するんです。

ですから私達は光を放っていなくてはいけないのですね。

八正道に基づいた調和ある生き方を心掛けていなくてはいけないのです。

そうすれば彼らも次第に分かって下さるようになるんです。

でもね、表面を繕い自分の心にさえ嘘をついておりますようでは、

彼らも、私たちも不幸ですね。

そうして、更に、

心を開いて、真心で、魂からの想いをぶつけて、

念を送って行く。

誰に対してもそうですね。

人に対しても、霊に対しても、

人として、魂として、神様の子供としてこうあるべきだという念を送って行く、

言葉で説得して行く。

そういったことが自然に実践できるようになりましたら、

周りの環境も浄化されて行くのですね。

想いが伝わるんです。

きっと分かって下さるんです。

どんな魂でもね。



まだ寒き梅の候



街中を歩いておりますとあちらこちらで梅の花が咲いております。

このブログを訪れて下さいました皆様もそうなのですけど、

色々なご縁があり、必要な学びがあり、抱える業、魂の癖があり

神妙な神霊のめぐり合わせで全ての事象が生じておりますわけでございます。

誤った道に入りますと上手く行かない。

それも道理でございます。

道を踏み誤らせるのは抱える業の為すところであり、

善霊様方は私達の誤りを正し、魂の癖を訂正して成長させて下さろうと、

様々なご縁や気付きを与えて善導して下さっておりますわけでございます。


そんな中で、私達がそっぽを向いておりましてはいけませんね。

正しく生きよう。

導きを柔軟な心で素直に受け入れて、一つでも沢山の気付きを得て成長しよう。

大きな心を育てよう、という意識がありませんと、

今生の経験を生かすこともできず、

成長度合いもたかが知れておりますでしょう。


まっすぐに前を向いて歩き始める。

不調和な行為や想念を慎み、毎日を正しく建設的に調和の中に生きる。

春が来れば梅が咲くように、

調和の中に正しく生きる営みを、肝に銘じて続ける努力をする。

明るい太陽の中で人生の花を咲かせられるように、

どんなに辛くても踏ん張り抜く。


駄目なら仕方がない。

でも、背水の陣で必ず踏ん張り抜いてみせる。

明るい未来を必ず実現させて見せる。

そのお気持ちで今生を、今を生きて下さいましたらと思いますよ。



率直なところ



命よりも大切なものがある。

その神理は良く分かるのです。

でもここ数年苦しみに喘ぐ人がどんどん増え続けている。

それを慈悲深き神様が黙って見ていても良いものであろうか?

そのような問い掛けが幾度となく私の中で繰り返されまして、

ふて腐れて酒を飲む毎日が続き、

また思い直して何年か酒を断って歩き始める。

といったようなことを何度か繰り返しておりまして、

テレビドラマではないのですけど、

戻ったら容赦しねえぞ、と考えるわけでございます。

でもね、天に唾すれば必ず自分に返って来るのです。

神が尊く威厳のあるものなら、

神から生まれた私たちも尊く威厳のあるものであり、

慈悲を欠いた尊さや威厳などは存在価値のないものでありまして、

でも間違いなく神には大きな慈悲があるのですね。

不調和は私たちの責任なんです。

でもその自業自得の不調和の中にありましてさえ大きな慈悲を与えてくださるのが

神様ではなかろうかと、申し上げるのです。

そうしますと、神様は必ずこう仰られるのでしょうね。

自分達が慈悲を忘れておいて神にそれを求めるのか、

それは違うのではないか、

まず慈悲を覚えて実践することではないか。ってね

禅問答のようですけど、

実際のところそれが結論なのでしょうね。



伝わってくるもの



公園にね、木がありますよね。

沢山、

今は葉枯れて裸んぼの木ですけど、

皆さんはあの公園の木を見て何をお感じになられますか?

伝わってくるものってありますよね。

美しいな、とか。

でもね、こう感じたことはありませんか?

「ほら、僕はこんなに堂々と生きているよ。

葉枯れていても、曲がっていても、枝が折れていても、腐っていても、

ボールをぶつけられても不満も持たず、

誰に恥じることもなく堂々と生きているよ。

人間はあれだね。

生きるのが下手だよね。

凄く小さなことで思い悩んでいるよね。

人からどう思われるか、とか、

気にして生きているよね。

僕を見習って堂々と生きればいいのに。」

って。

今日はそれが瞬時に伝わって来ました。

晴天の大空の下でね。

公園の木が間違いなくそう伝えて下さった。

そう思うのです。

気のせいかも知れませんけど。



派遣切りを考える



鑑みますに、会社勤めのサラリーマンやOLは

決して収入に見合った徳、つまり金運があるということではないのですね。

魂がそういったことに未熟だから、学びのために組織の傘の中に入るのだと思うのです。

ですから、殆どの人は首を切られますともうどうすることもできない。

次の雇用先を探すしかない。

そうして、不景気と、実力主義の世の中、

強く立ち向かっていかなくてはいけないのですけど、

心が折れてしまわれます方が多いのですね。

それから、問題はそういった方々のお心の在り方ですね。

組織の歯車となって働いておりました所為で、自らの意思が素直に表面に現れて来ない。

ストレスもあり、疲れ果てて意欲が殆ど見られなくて、

死んだような目をしているのですね。

また、組織という箱の中で過保護に護られておりましたような方は、

人と誠実に接することの大切さも分からないのですね。

傲慢なんです。不満に塗れているのです。

今まで、組織の中ではそれで通用して来たのでしょうね。

でね、そういった状態ですからますます就職できない。

誠心誠意誠実に、明るく笑顔でやる気を出して、意欲を見せて、

こんなことがやってみたいのですと自己主張して、

少なくともそうでありませんとどんな会社でありましても採用して下さいませんね。

友達にだってなって下さる人はいないと思うのですね。

社会に心がなければ、そこに働く人にも心がない。

ロボットが働いているのと何ら変わらないのですよ。

でもね、心を癒して正しいお心を取り戻して下さいますだけで、

誰の人生でありましても、人生はもっと良くなるのです。

生きる希望、生きる喜び、感謝、愛すること、思い遣ること、助け合うこと、

ロボット人間はこういった言葉がインプットされますと、ハッとしますね。

何でハッとするのか、

それはその言葉自体に、光があるからなんです。

エネルギーがあるのです。

でね、そういった光ある言葉の方向に進みますと、人生はどんどん良くなって来るのです。

言葉だけでもエネルギーがあるのですから、

実行しますともっと光に溢れるのです。

そうしましたもっともっと人生に対してやる気が出て来るのです。

自分自身も光溢れることさえできるのです。

派遣を切られたくらい、何の何の、と

強い力で踏ん張りぬいて下さいますことを願っております。