ブログより転載(2009年3月)

 



意図された偶然



例えばね、何人かの同姓の人とのご縁を戴く、

或いは、同じような要件で連絡が入る。

よくあること、なのですけど、

これはね、恐らく神様か守護霊様の思惑が絡んでいるはずなのですね。

だって、偶然にしてはできすぎているのですね。

恐らくそれは、護られていることを示すために、

学びのため、

疑問に思い、考える機会を持たせるため、

なのではないかと思いますね。

護られているのですから、

私達はもうまな板の上の鯉、崖の上のぽにょ、

まな板の上のぽにょ、(キャー)

なのですから、

そういう現象が生じるのでしょうね。







今日は快晴の良いお天気でございます。

大阪では桜の花も各所咲き揃い、

今週末辺りからお花見に丁度良い頃合になるのではないかなと思いますね。

夜も過ごし易くなりまして、

春眠暁を覚えずの言葉通り、

人々はよく眠り、心浮かれて楽しい候であるものだ、

と感じるのでございます。

私も桜を愛でながら暖かな陽射しの下で日がな一日ボケーとしていたいものでございますが、

他にもやりたいことが沢山あるのでございまして、

さりとて、余りにも沢山ありすぎてどれから手を付ければ良いものかも分からず、

どちらにしましても、ボケーとなってしまう今日この頃なのでございます。

でもまあ、今週末辺りからそろそろ桜が見ごろですので、

皆様も是非お花見に興じて下さいましたら、

と思うのでございます。

ほなサイナラ。



心の宇宙を管理せよ



この大宇宙大自然は神様がお造り下さいました私達の想像の及ばない巨大なものでございます。

そのことを考えますと圧倒的な能力の差を感じ、時には虚無感や恐怖心さえ覚えます。

絶対に勝つことはできないのです。

その宇宙の中のたった一つの、殆ど無に近い地球という惑星の自然環境でさえ、

人類が団結して立ち向かったとしましても、勝てないのです。


自殺する人がいらっしゃいます。

沢山いらっしゃいます。

志願者の数はその何十倍にも上りますでしょう。

日本は特に自殺者が多く、全ての国の中でも十何番目、

先進国の中ではトップなのです。

そしてまた、その自殺率はかなり少なく計算した嘘の自殺率なのですから、

これはもう目も当てられません。

でもね、私達の心の中にも宇宙があるのです。

この大宇宙と同じ仕組みで私達の心も存在しているのです。

ですから大宇宙大自然に感じる畏怖の感情と死の恐怖は、

同じものなのです。

私達は心の中の宇宙を目の前にしているのですから、

それを死によってどうにかしようとしますとそこに畏怖の気持ちが生じて参ります。

圧倒的に叶わない心の宇宙には、

私達誰一人として死を以って勝つなんてことはできないのです。

もう、抗っても無理、

勝つ方法はたった一つ、悟りを開くことなんです。

まあ、それは生半可なことではとてもできることではありませんからね、

もうまな板の上の鯉で、ええいなるようになれと、

覚悟を決めて導かれる他はないのです。

あとはもう神様任せで身の程を知って生きるしかない。

怖くても、嫌々でも、それはもうどうすることもできない。

でもね、それが良いのだと思いますよ。

そうしますと、それが自分の運命を受け入れることになるのですから、

必ず良い方向に導いて下さるのです。

大宇宙大自然を創造した神様と、その意を受け継ぐ守護霊様方がね、

必ず良いように導いて下さる。

その前に、心の宇宙を魔物に奪われないように、

しっかりと管理しておかれますことは最優先課題ですけどね。



謎の携帯軍団



公園にね、

夜の夜中に、

携帯電話片手に長時間何かを話しながら、

あっちへ行ったり、こっちへ来たり、

せわしないちゃーないね。

公園と道路の境目のポールを足で蹴ったり、

繋いであるチェーンを足でガシャガシャ踏んづけたり。


余程ストレスが溜まっているのでしょうね。

で、そんな若者が三人、

何の因果か縁もゆかりもない三人がね、

夜な夜な携帯で長電話するために公園に集まって来るのです。

人に聞かれたくない話なのでしょうか。

花を愛でるでもなく、

ただイライラしながら携帯で誰かと繋がろうとする。


不満だらけなのでしょうね。

心の中は安らぎどころか荒っぽい波動しかないのです。

可哀想だなって思うのですよ。


でもね、一体誰がサラリーマンをしなさいと仰ったのか、

神様は間違ってもそんなこと仰られてはいないのです。

それどころか、働きなさいなんて一言も仰られてはいないのですね。

どんな生き方をしても良いのですよ、と自由をお与え下さった。

自由に人生を歩むことをお許し下さっているのです。

それをね、

お金のため、生活のためにサラリーマンとして働こうと決めたのは、

間違いなく自分達なのです。

なんで感謝して調和の中に生きないのかな、

安らかな心で、不満を持たずに自分達の決めた道に感謝して邁進することができないのかな、

ってね、そう思うのです。

嫌なら別の道に進めば良いのにって、思うのですよ。



略して「難しり」



少し難しい言葉でしりとりをしてみる。

森羅万象 −> 烏骨鳥 −> インドシナ半島 −> 雲仙普賢岳 −> けんもほろろ −>

 ロンド −> ドメスティックバイオレンス −> 助太刀 −> チゴイネルワイゼン

あ、下手こいた!

ってね。

あ、あいつ、あんな言葉知ってたんだ、って驚いたりして楽しいですよ。

お花見でやってみると良いかもですね。

ところで、どなたかおっさんとお花見しませんか?



生きているうちに



人は死んだら心の中の高次元の世界に帰って行くよ。

そうして光の量に応じた世界へ帰って行くよ。

だからね、生きているうちにできるだけ光を増やしておくことだよ。

学校では通知簿を貰ったよね。

通知簿の点はなかなか良くしようとしても難しい。

それは先生が試験の点数だけじゃなくて、

生徒一人一人の学ぶ姿勢や生活態度を見て評価しているからね

神様だって同じなんだよ。

神様が一人一人の常日頃の想念や人生への向き合い方、生活態度を見て、

ちゃんとできている人にはちゃんと光が受け取れるような仕組みになっているから、

光の量を増やすことも半端なことではなかなか難しいよ。

それでもね、常日頃から感謝の想念を心掛けて調和した生活を心掛けているとね、

光は増えるんだよ。

調和の根底には感謝があって、感謝は調和した心から生まれて来る。

だから感謝と調和は表裏一体を成すものなんだと思うよ。

それから、満足して感謝、報恩の行為、これは全てセットだからね。

不満を持ちながら感謝することも、

感謝しながら報恩の気持ちが生じないなんてことも、

ないよ。

もしそうだとすればそれは偽善だよ。

反省して心の偏りを修正して、神様に懺悔して、

そうして不満の心を感謝の心に変えて行くんだよ。

愛もね、喜びも、感謝の形だよね。

愛という形の感謝、

喜びという形の感謝、なんだよ。


自分を高いところに置く人はおっさんを虫けらのようにしか思わないかも知れないけど、

そういう人にはきっと何を云っても眉唾かも知れないけど、

それは仕方がないことなんだ。

人それぞれに時期というものがあるしね。

おっさんも何も強要する立場にはないし、

心も、魂も、人生も、考え方も、それはその人の自由なものだからね。

でも死んでからきっと分かると思うよ。

多分それでは遅のだろうけどね。



焦る心



焦る心といいますものがありまして、

これもまた前進を阻害するものであると思います。

焦る心、性急な心、

それが周りを見る余裕をなくさせ、

集中力を奪い、

自分は何も覚えられないし、身に付けることもできない、と失望させるのですね。

でもね、焦らず余裕を持って、腰を落ち着けて辛抱強く挑み、時期を待つ、

そういった心持ちで挑みますとなんてことはない。

簡単なことであったりするわけです。

ゆっくりと、心を落ち着けて、一つずつ、こつこつこつこつ。

そんなこともありまして、

一休さーん。

慌てない、慌てない。

一休み、一休み。

なんてことも言うのですけど、

それでも性急な心は顔を覗かせるのですね。

自分はこれで良いのだろうか。

もっとするべきことがあるのではないか。

とかね、

導かれていることを忘れておりますとそんなことを考えてしまうのです。

でもね、何も慌てる必要はないのですね。

慌てても、人生たかだか80年。

多くてですよ。

少ない人はもっと少ない。

だからね、あれもこれもと欲張る必要はないのです。

慌てなくても目の前にある道を一歩ずつ歩いておりましたら良いのです。

他にするべきことがあるのでしたら、また別の道が目の前に現れて下さいますでしょう。

そう思います。



智恵袋



最近は、YAHOOさんの智恵袋というようなサイトで遊んでおりますけど、

質問をされる方がいらっしゃって、そこに沢山の人が自分なりのお考えを書き込むのです。

ところが人といいますものは本当に様々なお考えをお持ちのようで、

一人の人が回答しますと、また別の人が正反対の意見を書き込まれる。

なんでかな?

どうしてかな?

って考えざるを得ないではあーりませんか。

少なくとも私の近くの人とは、90%以上同じ方向で意見が一致するのに、ですよ。

で、考えてみたのです。

成る程ね。

誰のために判断を下すのか、

何のために判断を下すのか、

その根本が違って参りますと自ずと判断も異なって来るのですね。

見栄のため、古めかしい考え方を守るため、自分の考えを知らしめるため、そうして自分を守るため、

時間を潰すため、自らの威厳を守るため、敵を攻撃するため、仲間を増やすため、

社会の調和のため、人の幸せのため、

と、色々ありますけど、

回答を見ておりますと次第に、

「この人は何のために回答しているのかな」っていうのが見えて参りますね。

でね、どうして私の近くの人が似たような意見なのか、

これは恐らく神理に基づいた生活を心掛けることで次第に判断が神様目線になって来るのだろうなって

思うのです。

社会の調和のため、人の幸せのため、

それが一番人を幸せにできるってね、私は確信しておりますけどね。



道程



人生は艱難辛苦の道程でございます。

社会人となって歩き出しましてもその足取りは覚束無いもので、

重い足を引き摺りながらも登ったり下ったりの険しい道程で、

ようやく少しは楽に歩けるようになりますと、もう人生も終盤、

道を究めてもうどのような困難も何のその、

と思えるようになりました頃にはゴール地点もまじかに迫っている、

それが人生でありますように思います。

そうして人生経験から得た知識を後進の者に教え、

それでも跡継ぎを育てきらぬまま、

跡継ぎの成長もままならぬままに帰って行く。

そのような中で、夫婦といいます関係は力強いものでございます。

艱難辛苦の道を共に苦労し、

どのような苦労の中にも互いを思い遣り、支え合い、困難を乗り越えていく。

共に歩んで行く。

その気持ちは、失わないで欲しいものだと思います。

私はひとりものですけど、

今生でそのような経験ができなかったことはとても残念に思います。

それでも、今生でそのような経験をしていなくても沢山の素晴らしい学びができましたことは、

とても有り難く嬉しいことでありますように感じます。

でもね、だからこそ、

どのようなご家庭の、どのようなご夫婦でありましても仲良くやって欲しい、

陣内さんところも仲良くやって欲しいと思います。

何よりもご自身が選んだ人なのですから。

それに神様に誓って一緒になっているのですから。


共に歩き、共に探し、共に笑い、共に誓い

共に感じ、共に選び、共に泣き、共に背負い

共にいだき、共に迷い、共に築き、共に願い

そんな日々を描きながら



神理に通じるもの



ある方に教えて戴きまして、先日から松下幸之助さんの御著書を拝読させて戴いておりまして、

その名も「道をひらく」なんですけど、

あれー、ディール・カーネギーさんも似たようなタイトルの御本があったなあと思うのですけど、

暖かな力強いお言葉で、私と似たようなことを仰っておられるのですね。

スピリチュアルカウンセラーなんてお仕事の方も多くは同じことを仰られますけど、

神理はどのようなお仕事にありましても同じなのですね。

そうして、積年の苦労がその暖かさや力強さとなって文章に溢れ出しているのですね。

私は彼のことを御芳名しか存じ上げてはいなかったのですけど、

成る程、どのような世界でも、名を上げる人の中には立派な方がおられるのだなあと感じました。

精神世界一途の方もね、たまには少し目線を変えてみて、

経営の神様、松下幸之助さんの御著書を読んでみられましたらと思いますね。



親子の信頼関係



さて、現代におきまして、親と子の信頼といいますものは夢物語のようになってしまっておりますけど、

例えばね、いつも90点以上取って来るお子様がある日突然70点のテストを持って帰って来られたとします。

その時、皆様はどのように接しますでしょうか?

まず、叱るという親御様が一番多いように思いますね。

でもね、叱って何になるのでしょうか。

強制的に勉強させることはできますでしょう。

ところが楽しいはずの勉強が、楽しくとも何ともないのですね。

自分の意思で勉強してこそ、楽しいのです。

仕事だって一緒ですね。

強制で人の心を従わせるなんてことはできませんね。

次に、褒めるという親御様がいらっしゃいますね。

お前は、できる子なんだから、と褒めるのです。

でもね、そのお子様は次第に褒められないと勉強しなくなりますね。

では、威厳を持って教え諭せばどうでしょうか?

お子様は、それで心からその言葉をしっかりと受け止めて下さいますでしょうか?

いえいえ、そんなおばかなことはありませんね。

では、泣き落としではどうでしょう?

こんな点を取って来るなんて、ってね、オイオイ泣くのです。

それが続きますとお子様は次第に鬱陶しくなって来ませんか?

俺の人生なんだから、ほっといてくれ、って気持ちになりませんでしょうか?

殴りつけて身に覚えさせても、

それは必ず反感となって親御様に戻って参ります。

こういった方法では、お子様は益々勉強が嫌いになり、学校も嫌いになり、人生が嫌になり、

家出をしたり、非行に走ったり、引き篭もったり、

それはもう自明の理でございますよ。

聡い親御様はね、いつも良い点を取って来てくれるのに、

どうして今回は点が下がってしまったのか聞きますでしょうね。

そうしますとお子様は、

「そうなんだよ、近頃やる気が出ないんだよ。」と素直に話して下さいますでしょう。

それならどうすればやる気が出るのか、勉強の楽しさが蘇ってくるのか、

親と子と話し合って、一緒になって方法を考えることもできますね。

「気晴らしにどこか旅行でも行ってみるか?」

「スポーツでもやってみたらどうだ?」

ってね。

それこそがお子様の味方になって応援して差し上げるということではありませんでしょうか?

最近は悩み事がありましても親御様には一切話さないお子様が沢山いらっしゃいますね。

味方になって応援して差し上げることもせず、

信頼も尊重も、誠実に接することもせず、

力や威厳、駆け引きでお子様を従わせようとしているから信頼関係まで失われて、

その結果、お子様は親御様に何も話さない、

なんてことになっているのではありませんか?

それではお子様が余りにも可哀想ではありませんか。


放任主義と言いますものの考え方は過去にも幾度となく書かせて戴いておりますけど、

どうしてか余り理解されませんね。

それはどのご家庭にも親御様の考え方、価値観に自信を持っておられるからだと思うのですけど、

その根拠のない過剰な自信でお子様の人生を台無しにしてしまいますといけませんね。



社会を変える力



気付いたのですけど、

今も昔も政治が日本を良くした事実はなかったのですね。

逆に政治は日本を混乱させ庶民を苦しめたのです。

時代を変化させて社会を平和で豊かにしたのは何か、

それは、たとえば元寇、百姓一揆、下克上、関が原の戦い、黒船来航、新撰組、

そういった突発的な事象が時代を次のステップに進ませてたのですね。

政治家は自分達の利益を考えますから、

政治だって自分に都合の良いように、つまりは庶民に都合が悪いように運営するのですね。

政治を自分達のものにしてしまうのです。

でもね、そんなことはお構いなしに突発的な事象は元から定められておりましたように、

適切なタイミングで時代を次に進めて下さるのです。

そんなことが繰り返されて今に至っているのです。

ここに至らせたのは、ですから政治ではなく、人の思惑ではなく、

何らかの強い力が働いていたからなんですね。

さて、次の時代はどんな形で訪れるのでしょうかね。

楽しみですね。



春を待つその心



桜の頃も間もない仲春の候でございます。

桜を待ち侘び、一日、また一日、

まだか、まだか、と日を重ねる肌寒き候でございます。

こぶしはね、もう花を咲かせた形跡のあります気の早い樹が一本だけあるのですけど、

雨の所為もありまして、私が夜に訪れます頃には、

もう無残にも散ってしまって道の上にその無残に傷ついた花びらが落ちているだけ、

というありさまで、

そのようなことが何度かございました。

時代もね、今はそのような頃でございます。

春まだ遠く、

一日一日と春を待ち望む、一筋の差し込む陽を待つ、

そのような頃ではないかと思いますね。

でもね、皆様も思い出してみて戴きたいのですけど、

守護霊様は間違いなく私たちを目的の場所まで運んで下さる。

誰にでも過去にそのような経験がお有りになられますはずなのです。

私たちが心を暗闇で覆ってしまわない限りは、時満ちれば必ず目的の場所まで到達できておりますように、

守護霊様は今もその予定を微塵も遅らせることなく、

導き続けて下さっているのです。

ですから、私たちは何も心配することも、悩み苦しむこともないのです。

ただ、心を明るい想念で輝かせ続けて、

日々後悔することなく自らの道を歩み続けておりましたら、

そうして、時が来るのを辛抱強く待っておりましたら、

それだけで必ず未来は開けて来るのです。

ですからね、一陽来復の心で、桜を待つように時を待つ、

それだけで良いのだと思いますよ。

登ったり下ったりの坂道で良い時もあり悪い時もあるのです。

誰もがそうなんです。

周りに気をとられますと羨ましくも思いますでしょう。

でもね、ご自身の道は誰も歩めないご自身だけの道でございます。

自信を持ってその道を人目もくれず邁進する。

時には客観的に周りの風景を楽しむ心の余裕が欲しいところですけど、

そうやって歩んでおりますとね、

知らず知らずの内に目的の場所に到達できるのです。

そうして、到達地点から道を振り返りますと、

導かれていた証拠が幾つも、点々と続いているのです。

その時に人はこう思いますね。

「自分で歩いている積りが、歩かされていたんだな。」ってね。



諸行無常



太陽はね、水素が核融合してヘリウムになる、その過程で大量のエネルギーを放出しております。

そうして数十億年掛けまして次第にヘリウムの割合を増やして参ります。

次第に質量が大きくなりましてね、そうして少し膨張しまして惑星を飲み込みながら大きくなります。

赤色わい星になるのですね。

その時には地球も飲み込まれてしまいます。

そうしてさらにはヘリウムからリチウム、ベリリウム、ホウ素、

と次第に質量の大きな元素を増やして参りまして、重い、重い恒星に変って参ります。

質量が大きくなりますと重力も大きくなりますから萎んだりもするのです。

膨張したり、萎んだり、と太陽はそのようなことを繰り返しながら、

最終的には重力が大きくなり過ぎて太陽内部に圧力を掛け、

それがさらに太陽の中心部の原子核を破壊する。

これによりまして核融合反応は臨界点に達しまして、

ボーン!って大爆発してしまうのですね。

超新星って云いますけど。

ですから天文学的な長い目で見ますと、太陽も諸行無常ということになりますね。


人はね、9年ごとに変化します。

これはね、天は十干ですから10年ごと、

大地は十二支で12年ごと、

人は九星で9年ごとに変化すると、昔の偉い人がその法則を発見して下さったのです。

この世界には変化しないものは何もない。

現象界ですからね、実在界とは違ってものの姿は必ず変化するのです。

変化するからこそ成長もできるのです。

修行にもなるのですね。

諸行無常を有常にしようとするところから、苦しが生まれて来るのですよ、と

先生も仰って下さっておられます。

私達は導かれているのですからね、

変化を恐れないこと、

そうして、守護霊様の導きを素直に受け入れられるように常に心を磨き、

水のように清浄に澄みわたらせて、

日々、お導き下さいと守護霊様にお願いしておりましたら、

今の厳しい社会にありましても困難を乗り越えて変化することができますでしょう。

波に揉まれてこそ、魂にも磨きが掛かるのです。

執着を離れ、心を乱すものを切り捨てて、

素直なお心で日々感謝感謝と調和した暮らしを心掛けておりましたら、

魂はね、どんどん豊かになって来るのです。

豊かな魂は人生を豊かにして下さいますでしょう。

心の自由度がどんどん大きくなって来る、自由になって来るのです。

それはあたかも羽を生やした天使のようにね、

自由自在に人生を楽しむことができるようになるのです。

人を生かすことだって、環境を変えることだってできるようになって参りますよ。

ご尽力下さいませ。



想うこと



人間と言いますものには傾向がありますね。

まず己の罪を認めたがらず、責任を転嫁したがります。

そうしてまた、不調和を生じる原因に気付いていながらも、

それに執着し続けるのですね。

それは私も全く同じなのですけど、

勇気を持って己の中に罪を認めることがどんなに難しいか。

また、勇気を持って執着を振り払うことがどんなに大変か。

人として生きておりますと誰でもがお気付きになられますことではないかと思います。

そうしていつまでも人を赦さずに責め続け、

いつまでも心身を不調和にするものに依存し続けることは、

どんなに愚かなことであろうかと思います。

でもね、勇気を持って挑み続けるしかないように思いますね。

調和に向かう道に、ただ只管に勇気を持って挑み続ける。

良い方法はないものかと良く聞かれますけどね、

それは本当に覚悟して、心に誓って、勇気を持って挑み続けるしかないんです。

そうしましてね、調和の程度が進んで参りますと、

光も見えるようになって参りますでしょう。

手の周りや足のつま先から放出される光も見ることができますでしょう。

足のつま先から光が出ると言いますことはね、

これはもう心から身体全体まで調和されたということですから、

そこまで到達しますと人生も思う通りになって参りますでしょう。

勿論、叶わないことは叶いませんけどね。

それから、「天照皇大神」という言葉の発する、

背筋が伸びるような高貴な意思も感じることができるようになりますでしょう。

どんどん色んなことが分かって来るようになるのです。

やってみれば良いのにって思うのですよ。

人生観も素晴らしく変わるのですからね。



旅の恥は掻き捨て



例えばですよ、

あなたのご主人様が、常日頃あなたが海外旅行に行きたい行きたいと仰っていたので、

海外旅行に行かせて下さった、としましょう。

あなたには現地の案内人と、

テレビカメラであなたを監視して時折にメールでアドバイスして下さるガイドさんがいらっしゃるのです。

帰りの飛行機も予約されていて、必要なものは持たせて下さっているのです。

あなたは美しい景色を沢山見て、沢山の美味しいものを食べて、沢山の経験をして、

そうしてご主人様に絵葉書を出すとしましょう。

あなたはきっとこう書くのではありませんか?

「毎日楽しくしています。こんなに美しい景色が見れて幸せです。」

ってね。

その時に、「辛いです。苦しいです。」とか、

「友達になりたいと思ったのになれなかったので、悲しいです。」とか、

「お小遣いが少なくて困っています。」とか書きますと、きっとご主人様は心配なされますでしょう。

行きたいって云うから行かせてあげたのに、って怒るかも知れませんね。


現世もね、全く同じなんですよ。

旅の期間はご自身の智恵と努力で力一杯に楽しめば良いのです。

ガイドさんを無視したりしなければ何も問題はない筈なのです。

たとえどうしようもない問題が発生しましても、

ガイドさんが強制帰国させて下さるだけですね。

そうして時折に幸せですよという感謝の念を神様に送って差し上げますと、

神様も良いお返事を送って下さいますでしょう。

沢山恥を掻いて、沢山の経験をして、沢山の良い思い出を作ることではないかなって思います。

不満を持ってガイドさんまで無視しておりますと、

悪人に身こそぎ持ってかれてしまうかも知れませんけどね。

帰るにも帰れないってことになってしまうかも知れませんけど。



銀河の終焉



甚だ難しい話で恐縮なのですけど、

紙には表と裏がございます。

この世界の全てのものには表と裏があり、

そうして私たちが今存在しておりますこの三次元世界は、表の世界でございます。

そうして、全ての存在は表の世界と裏の世界を輪廻する。

これはもう間違いのない事実でございまして、

紙が表と裏によって成り立っておりますように、

三次元宇宙は裏に霊界が存在し、

私達人間は肉体と霊体を併せ持ち、

この世界も、私たちも、万象万物が、表と裏によって成り立っておりまして、

表と裏を輪廻することによって存在し続けておりますわけでございます。


さて、銀河はこの三次元宇宙に数知れず存在しておりまして、

身近なものでは私達の属しております銀河系やすぐ隣のアンドロメダ星雲はお馴染みでございますが、

ウルトラマンはアンドロメダ星雲のウルトラ星から、

ニコチャン大王はどこかの星雲の梅星から、

地球を訪れて下さっておりますことは周知の事実でございます。


銀河はね、渦巻きのように回っているのですね。

高速で回転しておりますにも関わらず、余りに巨大すぎて止まっているようにしか見えませんけど、

でもね、銀河は鳴門の渦潮よりはるかに早く、もんの凄いスピードで、回転しているのですね。

そうして、その中心はと云いますと、排水溝のようにぽっかりと穴が開いておりまして、

そこに年老いた星達が吸い込まれて行くのですね。

銀河の中心部の穴の正体はね、実はブラックホールなのですけど、

ブラックホールは重力が大きすぎて光さえも引き込んでしまう、

だから真っ暗闇の穴、ブラックホールなのですけど、

その重力は原子さえも押し潰して全ての存在を無に還元してしまうのです。

勿論、物質的には無に還元してしまうのですけど、

銀河の心やそこに含まれる数知れない魂は高次元に還って行くのですね。

ですから、高次元の穴と理解して下さいましても良いかも知れないと思うのです。

そうしてまた、遥かに長い時間を経まして、

その心や魂はまた銀河の卵が生じました際に、のり移って転生して来るのでしょうね。



人といふもの



さて、鑑みますに、

私たちは本当に未熟でございます。

そりゃ中には偉人の一人や二人はいらっしゃるのかも知れませんけど、

その偉人でさえ、悩み苦しみ、争い多く、罪を重ねているのですから、

どんなに未熟であることか、と思い知らされます。

ですからね、

未熟なのですから、

神霊はそんな未熟な私たちに全てを任せて下さっているのですから、

大切な人類の仲間同士、

目くじらを立てるのではなくてね、

もっと赦し合って、仲良くすれば良いのにと思うのです。

恋人とも、お子様とも、友達とも、家族とも、

味方になって、友達になって、赦し合って、仲良くすれば良いのにと思うのですね。


ところでね、

子供は時に驚くような絵を描きますね。

計算して描いたとしか思えないような微妙な色遣いや曲線を描き出しますね。

まるで導かれて描いたとしか思えないような絵なんです。

でもね、これは本当に導かれて描いたのだと思いますね。

そうでなくては決して描けるものではないのです。

素直な心だから導かれたのです。

ですからね、

本当に、素直が一番だと思いますね。