ブログより転載(2009年7月)

 



美味しいお蕎麦の作り方



とある駅の立ち食い蕎麦屋さんでね、

美味しい出汁のお蕎麦を食べさせて下さるところがございまして、

どうしてこの店のお蕎麦はこんなに美味しいのであるか?

などと日々考えておりましたわけでございます。


ある日にね、テレビでお蕎麦屋さんが出汁を作っております様子が放送されておりましてね、

おっさんも見よう見まねでやってみたわけです。

そうしますとね、あらびっくり。

同じように美味しいお蕎麦の出汁が出来上がりまして、

どうして他のお蕎麦屋さんには、この味が出せないのかなあ、

と、逆に驚いたりしておりまして、


それがね、まあ数年前のお話でございます。

簡単なんです。

あほみたいに簡単にプロ顔負けのお蕎麦の出汁が作れるのです。


あのね、

和風出汁に醤油を加えますでしょう、

この出汁は市販のインスタントのものでも良いのです。

で、それを沸騰する直前まで煮て、火を止めて味醂を加えるのですね。

この味醂を、プロの方は「かえし」と云いますけど、

それだけなんです。

たったそれだけ。

味醂は一人前の出汁に大さじ2から3杯といったところでしょうか。

そこに茹でたお蕎麦を放り込むだけなんです。

勿論、饂飩でも良いのです。



あなたに訊いてみたいのは

素敵な蕎麦の作り方♪

(薬師丸ひろ子さんの「素敵な恋の忘れ方」の替え歌で歌って下さい。古)



夏休み



さて、日本はあと5日程で葉月でございます。

オーガストであり、夏休みのシーズンでございます。

オーシストでも、アウグスティヌスでもなくて、

オーガストなんですね。

これがね。


私の通っておりました大学などは、

4月、5月に講習がありまして、6月は試験、

7月、8月、9月が夏休みで、

10月、11月にも講習がありまして、

12月、1月は冬休みで、

2月に試験がありまして、

3月は春休み、とね、

たった4ヶ月しかお勉強しないところでございましたけど、


大学生はよろしおますなあ。


でもね、それも束の間。

今の社会は本当に狂っておりますからね、

可哀想だなあと思います。

面接に入社試験、

面接では、自己分析やら自己主張ができるかどうかを見られるようですね。

自己分析ができない、

自己主張ができない、

そのようなお悩みをお持ちの方も多いようでございまして、


でも、そんなの小さなことなんですよ。

本当にね。

それでもしどこかの会社の面接で落とされたとしましてもね、

そのような小さなことで人間を判断すること自体が、

愚かなことなんです。

そのような会社で人が人間らしく働き、生きていかれますことは、

きっと難しいでしょうね。


人はね、何も自身の能力のなさを悔やむことはないのですよ。

自分なりに頑張っておりましたらね、

自分は自分で良いのです。

素直で、そのままで良いのです。

それが神様が与えて下さいました人格なのですから。

何も悩み苦しむことはないのです。


もし、悩み苦しむとしましたら、

人を赦せぬ魂を悔いて悩み苦しむことでしょうね。

その方が余程人間らしいのです。

ほんまに、そう思いますね。



安らかな心



心が安らかになるのはね、

死を覚悟して死ぬ積りで生きようとした時だけではないかと想います。

自分を捨てて、

死ぬ積りで生きる、

悟りはそこにあるのです。

本当に死を覚悟できた時、

明日死んでも構わないと本当に覚悟した時、

人生で遣り残したことが本当に見えて来るのですし、

心が波紋一つない澄んだ湖面のようにね、

透き通って来るのです。


安らかな心、

その心が澄み切っていて、

泉が湧き上がって来るように真の智恵が湧き上がって来るのです。

そこが道への入り口ですね。


求道、

道を求める。

ご自身にその必要が生じました時には、

思い出して下さいませ。



胎が生じる



人間の身体はね、

心臓がグワッ、グワッと力強く動いておりましてね、

肺も胃も膨らんだり萎んだりを繰り返し、

腸は蠕動運動をしておりまして、

チャクラもグワングワンと回転しているのです。

ですから、、当然に振動が生じるわけでございます。

ところがね、その震えを脳が抑えてしまう。

ですから殆どの人はその震えを感じないで日常を過ごしておりますわけです。


この震えはね、

生きようとする命の力が強ければ強いほど大きく震えて、

その震えが脳で抑えきれなくなることがあるのですね。

ですから、息吹術などを行っておりますと足元がグラグラって揺れたりすることがあるのですね。

でね、健康になればなるほどその揺れは頻繁に感じますね。


(例えば大蛇の霊が近くを這いますと同じように揺れを感じますけど、

それは私も経験したことがありませんけどね、

見極めが大切ですね。)


地震かな?って感じることもあるのですけど、

この揺れは主に身体の下半身に力を入れたりしますと生じやすいですね。

でね、この揺れが生じる現象を、「胎が生じる」と云うのですけど、


大自然と一体になりまして、

時には断食でもして空腹を感じて、

時には大声で叫んでみて、

そのようなことをして気張って生きておりますと、

恐らくどなたでもこの胎を生じさせることはできますでしょう。

人生も楽しくなると思いますし、

少々の病気でしたら簡単に治っちゃいますね。


良いと思いますよ。



民主主義的国会の姿



国会の審議には国民全員の意思が反映されるべきである、

とかね、

誰でもお金がなくても立候補できる、お金の掛からない選挙制度を、

とか、

国会議員に高い給料を支払う必要はない、普通のサラリーマン程度で充分である。

とか、

国会に政治政党などは不要である、

とか、

おっさんは常日頃から主張し続けているのですけど、


また、選挙が近付いております。


沢山の税金が使われ、

沢山の法案が廃案になり、

そうしてまた新しく国会議員が誕生しましても、

たとえ政権政党が変わりましても、

それで日本が少しでもマシになって下さるようなことは、

絶対にないのです。

期待すべきはどんどん日本を壊して来た悪政が建設の方向に向かうかどうか、

その程度しか期待できないのですね。


ところでね、

ヤホーさんのサービスで、知恵袋といったものがあるのですけどね、

どなたかが質問して、どなたかが回答する。

ベストアンサーは投票で決められて、時にはその質問が破棄されることもあるのです。

おっさんも少しばかり遊ばせて戴いているのですけど、

これね、

この知恵袋システム、

そのまんま国会として機能させることができると思うのですよね。

どなたかが法案を提出して、どなたかが意見を出す。

議決は国民の投票で決められて、時には廃案になることもある。

お金も掛からないですし、国会議員を選出する必要もないのです。

誰でもが参加できて、

国民の意思が反映されて、

さくさくと議案が通ってね、

日本が国民の意思で国民の望む日本に変わって行くことができるのです。

こんなに素晴らしいことはないのではあるまいか、って思うのですけどね。

早く、そんな風になって欲しいものだと思いますね。



めくらの理由



めくら、なんて申しますとどこかの障害者施設から差別用語だと批判されてしまうかも知れませんけど、

いえ、違うのです。

そのような意味で私がめくらと言っているのではなくてね、

たとえ盲でもね、めくらであるとは限らないのです。

正しいことが見えなくなってしまう、分からなくなってしまう、

それを私はめくらと言っているのですけど、


考えて見て下さい。

敢然と大地に自分の足で立って、

正当な労働に対しての正当な報酬を得る。

これは当たり前のことでございます。

姑息な手段で金銭を得ましても嬉しくとも何ともないのですし、

正当な労働に対する正当な報酬を得てこそ、

遣り甲斐もあって楽しくもあり、嬉しくもあるのです。


ところがね、金銭に心を奪われてしまいますと、

それが見えなくなる。

だから、めくらになってしまうのですね。


正当な労働に対する正当な報酬を得ようとして力一杯に頑張ってもどうにもならない。

人生、そのような時もございます。

それでもし、人生が閉ざされてしまうのでしたら、それは仕方がないのです。

姑息な手段で金銭を得て意味もなく生き延びるよりも、

飢え死にしてしまったほうがなんぼか良いのです。

魂もその方が幸せでございましょう。

でもね、神様や守護霊様はそんなことは絶対に許しては下さらない。

それでは本来の目的でありますところの、修行になりませんからね、

修行の結果が出るまでは、神様や守護霊様はその人を無理やりにでも生かし続けますでしょう。


ただね、めくらになってしまいますと本来の修行ができなくなってしまうのです。

ですからね、

めくらには絶対にならないこと。


めくらになったらあかん!

めくらになったらあかん!

めくらになったらあかん!


私たちは魂にそう言い聞かせて、心して生きていかなくてはいけませんね。



二つのご縁



不思議なことにね、

以前から、何故かご縁が二つずつペアになって生じる、

というようなことが続いておりまして、

なんでかな?

って、考えておりました。


ところでね、気学には相生、相剋という考えがございます。

木・火・土・金・水

この隣り合っておりますものが相性が良く、相生

隣り合っていないものが相性が悪くて、相剋

なのですね。

でね、例えばご自身の九星が火だとしましてね、

火は木と土が相性が良いのですね。


ここまででご不明な点はございますでしょうか?

無いようでしたら次に進ませて戴きますけど、


木と火はね、

木生火と云いまして木が燃えて火を生かすのですね。

九星が火のあなたは木によって生かされるのですね。

ところがね、

土と火の関係であります火生土はね、

火が燃えて土を生じるのです。

火は生かされるのではなくて、土を生かすのです。


人生、生かされたり、生かしたりですね。


でね、ご縁が二個セットになって生じますのもね、

どちらかが自分が生かされるご縁で、

どちらかが相手を生かすためのご縁なんです。

勿論、相手を生かすといいますこともご自身の喜びとなり、成長にも繋がりますからね、

自分にとって相生の関係でありますことは間違いないのですけど、


でね、思うのです。

良いですか?ご縁が二個セットになって生じると言いますのは、

間違いなく神霊や守護霊様のお導きなのです。

護られて導かれているのです。

そうしてね、どのご縁もご自身のためのご縁でありますことには間違いないのですね。



命の安売り



私は仕事柄、正しい在り方について考えることがございます。

いえ、もう毎日のように考え続けております。


ところで最近このような霊能力者の噂をよく耳にするようになりました。

絶対にお金を取らない霊能力者、ですね。

「神様のことでお金を取るのはおかしい」、

それがその霊能力者の主張であり、

どうもそれが信頼できる霊能力者の符号になっておりますようでございます。


神様のことでお金を取るのはおかしい、

当たり前のことですね。

慈悲を持って、無償の愛を持って人を生かすように関わる。

そうしませんと必ず反作用が生じますし、

その清算はどこかで必ずしなくてはいけなくなります。

ですから、私も相談でお金を取ることはしませんし、

別にお金を取っている人を責めたりもしません。


でもね、それをわざわざ声を大にして公言する。

それはね、恐らく「私は信頼できる霊能力者ざますのよ。」

ってご自身で主張されておられるのですね。


でもね、労働は別ですよ。

その霊能者だって相談に乗っているだけで労働している訳ではないのです。

勿論、私も労働が発生しましたら、

労働に対する正当な報酬は求めます。

そうしなくては命の安売りをしているのと同じなのですし、

神様も必ず見返りを与えて下さいますでしょう。

私自身の生活とね、

労働の量と、質、成果をもとに、

正しい在り方、正しくあるべき報酬の額を決めさせて戴きます。

それはね、それが私の仕事なのですから、

無償にしてしまいますと干上がってしまいます。


でね、それでもしその霊能力者がそれでも無償にするのが当然ではないか、

新聞配達でも何でもしてその私の仕事は無償でするべきだ、

って仰られるのでしたらね、

その霊能力者は恐らく鬼でございましょう。

「働け〜、もっと働け〜」と地獄の亡者に鞭打つ鬼ではないかと思いますね。



グリーンマイル



そのような映画がございました。

最近は頻繁にテレビで放映されておりまして、

おっさんももう数え切れないほど何回も見ているのですけど、

恐らく殆どの方がご存知なのではないかと思います。

ジョン・コーフィーって死刑囚がね、黒人の大男なのですけど、

奇跡を行うのですね。

光の奇跡。

おっさんは気とか、光は見えますけど、

これは勿論、見方さえ分かりますと誰だって見れるものなんですけどね、

それから、邪気といったものも見たことはありますけど、

これはかなり見え難いですね。

でね、このジョン・コーフィーの奇跡を行う様子がね、

気とか光の様子そのものなんです。

まぎれもなくね、あんな感じなんです。

ジョン・コーフィーが病人から何かを吸いますでしょ。

あれは邪気を吸っているのですね。

でね、死んだ人やネズミには光を吹き込むのですね。

息吹術ですね。


恐らくね、キリスト様の奇跡も、同じようなものだったと思うのです。

いえ、勿論、キリスト様の方はもっと凄かったのでしょうけどね。

実際に見ておられました人は感動したと思いますよ。

間違いなくね。



偶然にしてはできすぎた一致



日本には、不思議なことが沢山ございます。

あのね、日本には東京と大阪という都市がありますね。

東京には山手線、大阪には環状線が走っておりましてね、

東京の近くには横浜、大阪の近くには神戸といった港町であり外人居留区でもある街があるのです。

どちらにも中華街がありましてね、

それから、関東には鎌倉、関西には京都、奈良があって寺が沢山並んでいるのです。

関西に琵琶湖がありますと、関東にも霞ヶ浦があって、

その距離感ね、殆ど一緒なのです。

また、日本には富士山と伊勢神宮という二大聖地がありますけどね、

東京から富士山までの距離と、

大阪から伊勢神宮までの距離も殆ど一緒なのですね。

丁度、浜名湖を中心にして日本が東と西で似たような具合になっているのですね。


これって何なのでしょうね。

皆様は不思議に思われませんでしょうか?



公害大国、中国



中国の経済発展振りはもの凄くて、

とにかく技術が追いついていなくても儲かることならどんなことにも手を出すのですね。

輸出する野菜だから別に毒性があっても構わない、

ってんで虫の付かない強力な農薬や殺虫剤を使っちゃうし、

昨日もテレビでは各国の廃棄されたコンピューターや携帯などの電子機器を買い込んで、

強力な薬品を使ってそこから希少金属を取り出す様子が放映されておりましたし、

ドラえもんやディズニーのキャラクターは安っぽく模倣されちゃうし、

そうしますとね、環境を破壊する農薬や殺虫剤、沢山の薬品や有害物質が大地に染み込み、

大気を汚染し、大海に流れ込んだりしておりますわけですね。

昨日は土用の丑の日でしたけど、

中国産のうなぎが今、安いんです。

でもね、誰も余り手を伸ばしませんね。

そりゃ怖いですものね。

アメリカ産の牛とどっちが怖いかって、

おんなじくらい怖いですよ。


でもね、問題は各国の企業にもあるのですね。

リサイクルを考えない技術開発。

工場の工程でも全て製造工程で、少しでも小型化して販売することばかり考えていらっしゃるようです。

簡単にリサイクルできるような規格を考えて、工場にリサイクルの設備を備え、

リサイクル技術を下請けに指導して、リサイクル産業に一役買って出る、

そのような企業が一体どの程度あるのかと思いますね。

電子パーツだってね、

今は昔のように抵抗とか、トランジスタとか、コンデンサとか、コイルとか、

そんなものは殆ど使われていないのですね。

独自で開発した電子部品やICチップ、そんなものばかり使っておりますから、

パソコンは壊れやすいし、信頼性も何もあったものじゃないんです。

パーツを流用することなんて到底できませんし、リサイクルなんてとてもとても、

そりゃ燃やすか酸で溶かすしか処分する方法がないのですね。

そうして、それをお金のために受け入れているのが中国だというだけのことなんですね。

でね、そういった企業に限って、ISOの99×××を取得しました、なんて看板を揚げているのですね。

ISOももっとリサイクルを考慮した規格を設定するべきだと思うのですけど、


このようなことばかり続いておりますと、

もう地球はあかんのかも知れない、ってね、

ほんまにそう感じるのです。

核保有国もどんどん増えておりますしね。



食うか食われるか



食うかい?食うや!、なーんてね、

空海上人と空也上人のことではないのですけど、


この世界は弱肉強食の世界でございます。

草食動物を肉食動物が餌にして、

肉食動物を人間たちが餌にして、

その人間たちもまた、大自然に簡単に命を奪われてしまうこともございます。


これもね、神理なのです。

他を生かすために自らを犠牲にする。

何と尊い神理でありますことでしょうか。

人を踏み台にして自らの利を得ようとする現代人には想像もできないほどの、

尊い理念でございます。

魂が高潔でありませんと、そこまでは悟れない。


でもね、やっぱり旨いもんは旨いんです。

おっさん今日はコンビーフと卵とチェダーチーズでスッパゲティーを作ろうと考えております。



永遠



この世界は無常の世界でございます。

ですから、この世界に永遠のものは存在しません。

命が、永遠ではないように、

宇宙も、永遠ではないし、

人類も、永遠ではありません。

宇宙はね、生命体なのですから、いつかは必ず朽ち果てるのですね。

人類も、いずれは命を育む他の星へ、

霊界ごとそっくりJALしなくてはいけないのですね。


変化のないところに成長はないのですから。

そしてまた、成長に伴って環境も変化するのですから。


十年前と比べますと、

私の想念も随分と明るくなりました。

これも神霊が光を与えて下さっております証拠ですね。

神霊が光を与えて下さっていなければ、

人の心は常に真っ暗闇でございましょう。

闇の中で苦しみに悶え苦しんでおりましたでしょう。

ですから人は感謝を、

命あることを喜びとして明日に希望を見出す生き方を、

忘れてはいけないように思いますね。


そしてまた、喜びの中での修行は実になり、

苦しみや悲しみの中での修行は捗らない。

それも真理でございます。

でもね、心は自由なものでございます。

どのような状況でも、

どのような境遇にありましても、

どんなに苦しい時でも、

感謝と喜び、希望を見出すことはできるのですね。


そうしてその心は、

永遠の幸せに繋がって参りますでしょう。



ご縁紡ぎ



ご縁はね、強引だと切れてしまいますね。

かと云って遠慮ばかりしておりますと繋がらない。

中道の在り方が大切になって参りますわけでございます。


ご縁を大切に、真摯に、誠実に、縁を紡いで人生に織り上げて行く。

それがね、未来や来世に素晴らしいご縁を与えて下さることにもなるのですね。

ですから恵まれた人生にもなるのです。

ご縁を切り捨ててばかりおります魂と、

辛抱強くご縁を繋げようと頑張っている魂とでは、

恐らく来世は月とすっぽんぽんでございましょう。


天使の羽はね、

光を紡いで織り上げたものですね。

ご縁もね、同じなんです。

どんなことでも辛抱強く紡いで織り上げておりましたら、

それがいつかは実を結んで下さる。

素晴らしい宝物になって下さるのです。

きっとね。


縦の糸はあなた〜 横の糸は私〜 ♪



夫婦間のトラブル



夫婦間のトラブル関係で私共に賜りますご相談の中ではね、

まず多いのがご主人の浮気ですね。

次に多いのがご主人の意識の低さです。

あとは両家の問題とか、二世帯同居、嫁姑関係、

でもこれは余りありませんね。

最初の二つが殆どの割合を占めているのです。


男ってのは、どうして浮気をするのでしょうかね。

浮気をしたいのなら、最初から結婚などしなければ良いのですよ。

石田純一のようにね、若作りして遊んでおりましたら良いのです。

結婚して、浮気をする。

それがどんなに人に迷惑を掛けていることか、

それでしっかりと慰謝料を払っているかといいますと、

そんなことはないのです。

浮気をする男が格好良いのか、

奥様や家族を真摯に愛し続ける男が格好良いのか、

どちらが男前なのか、

いっぺん頭冷やして考えてみたら良いのではないかと思うのですけど。

いえ、良いのですよ。

奥様に家事の報酬をしっかりと支払い、

その上に家に充分な生活費を入れて、

家族に対しての義務を怠らず、

浮気がばれても納得の行く慰謝料、養育費を支払う覚悟があるのでしたら、

浮気してか弱い女性?のお力になって、

経済的にも精神的にも支えて差し上げて下さいますことも、

まあ、それも男の甲斐性というものでございましょう。

でもね、そのような甲斐性のある男おいどんをおっさんは今まで見たことがないのです。


ご主人の意識の低さはね、

まあ、良い言い方をしますと昔気質ってやつですけど、

俺様が稼いで食べさせてやっているのだから、

女房子供は俺様に従え!

って感じなのですね。

ご主人がその偏狭な思想で、

こうでなければいけないと独善的に信じる「正しい在り方」を、

女房子供に押し付けるのですね。

奥様の家事に対しての報酬も考えず、

俺様が稼いだ金は全部俺のものだ、

俺に従え、嫌だったら出て行け!

って、こうなのですね。

で、女房子供に愛想をつかされて逃げられましたらおっさんに泣き付いて来るのです。(笑)

「俺の言うことを聞かずに出て行ってしまいました。どうしたら良いでしょうか?」

ってね。

でもおっさんはそんなことは知らないのです。

メールの文面から、誰が間違っているかなんてお見通しなのです。

それにね、そういった人に限って聞く耳をお持ちでない。

ああ言えば上祐、って昔流行りましたけど、

そうなのです。

そのまんまなのです。

ですから反省して、反省して、反省して、ご自身が悪かったと気付いて、

心から懺悔して、迷惑を掛けてしまったことを謝罪する気持ちになって、

そうなるまではおっさんは絶対にそのような人の味方にはならないし、

何も教えてあげないのです。

ああ、おっさんの意地悪ぅ、って思いますけど、

それはね、仕方がないのです。

そうやって経験して学んでいかない限りは、

そういった人は考えないし、身に付かないのです。

成長もできずに同じことを何度も繰り返すだけなんです。


まあ、おっさんも意地悪ですけど、

それはね、認めますよ。

でもね、おっさんは信念を持って意地悪しているんです。

ほんまでっせ。



虹の七色



なーんてな、どえりゃー可愛らしいタイトルを付けちゃいましたけど、

光の波長の段階によりまして、光の色は七色に変化するのです。


ところで、チャクラなんてものが人の身体には存在しておりますようです。

まあ、呪術世界でのみ重視されておりますもので気になされます必要は全くないのですけど、

通常は心の状態の変化によりましてチャクラの状態も自ずと変化して来るものでございます。

でね、そのチャクラにも7種類あるのですね。


一番下のチャクラは人を元気にして下さいます。

下から二番目のチャクラは人生を楽しくして下さいます。

下から三番目のチャクラは人に癒しの力を与えて下さいます。

真ん中のチャクラは人に力強く生きる力を与えて下さいます。

上から三番目のチャクラは人に本質を聞き取る力を与えて下さいます。

上から二番目のチャクラは人に本質を見抜く力を与えて下さいます。

てっぺんのチャクラは人に調和と閃きを与えて下さいますね。


心の状態が変化しますとチャクラの状態も変化します。

そうしますとオーラの色も変わって参ります。

基本的な部分は余り変わることはありませんけど、

心の在り方でオーラの外側の部分の色は結構変化するようですね。


まあ、チャクラなんて低い次元のことですから大した意味はないのですけどね、

何となく書いてみただけです。



わしは鞍馬の大天狗じゃ



天狗はね、

一本足の高下駄を履き、

楓かなんかの大きな葉っぱを団扇代わりにして扇ぎながら、

カッカッカーッ、わしは鞍馬の大天狗じゃー

ってね、鼻高々にして威張って現れるのですね。

いえ、鞍馬の大天狗は牛若丸こと宮本義経なのですけど、

(実際にはそのようなことはないのです。義経さんは徳の高いお人で、天狗とは関わりはなく、

鞍馬は修験道の山でしたから他の行者さんが沢山天狗になっているのでしょう。)

ほら、落語にありますでしょ?

「おまえさん、菜は食いなさるか?」

「名だっか?」

中略

「鞍馬から牛若丸が出でまして、その名を九朗」

「義経、義経」

って落語。


で、どうしてこの人は天狗にならなくてはいけなかったのか、

どうして天狗の鼻は高いのか、

ってところなのですけど、

皆様の周りにはこんな人はいらっしゃいませんでしょうか?

「あたくし本物の霊能者ざますのよ。」とか、

「わしは陰陽道の陰陽師である。」とか、

「わたぁしぃ、道教のほんまもんの道士あるね。」とか、

「拙者は修験道のあじゃりでござる。」とか、

「拙者の術でおぬしの悪業を解いてやるわい。」とか、

「あなたの未来を霊視して差し上げますわよ。」とか、

「わたぁしぃのぉ 、ほんまもんの霊符使えば一発あるね。あなた万々歳あるよ。」とか、

それが事実かどうかは別としてね、

その威張り腐り様が天狗にそっくりだとはお思いになられませんか?

そうなのですよ。それがね、天狗の正体なんですよ。


少なくとも、本質が見えていて心のある人はそのように威張り腐ったりはしないものです。

本質が見えているか?

真心があるか?

本質が見えていて真心のある人ならどうするだろうか?

それがね、判断の基準ですよ。

そしてまた、天狗は執念が人一倍強いのです。

余り利用しようとはなさらない方が良いと思いますね。



論理的矛盾



どこかでこのような設問を聞いたことがございます。

「神は自分では持ち上げることのできない程の大きな石を創ることができるか?」

うーん、困りましたね。

その昔、椅子に深く腰掛けさせて、指でおでこを押しながら立たせることができるか、

ってゲームがありましたけど、

それと同じですね。

立てるわけがないのです。

一体何なのでしょうね。

この視野の極端に狭い論理的矛盾を含んだ設問は、

神を愚弄する以外のなにものでもないように感じます。

ただ、ね、ただ、

恐らくは私のサイトをご訪問下さっておられます方でしたら、

いとも簡単にその答えを導き出して下さると思いますけど、

恐らく40度以上の熱がありましても、

広い視野でその答えを解き明かして下さると思いますけど、


答えは簡単ですよ。

この宇宙自体が神の内にあり、宇宙よりも巨大な石をこの三次元世界に創造することはできません。

ただ、神霊の中にあるもっと高い次元でしたら可能でしょう。

そして、神霊の内側にあり神霊の法によって支配されたものは、いかなる存在でありましても、

神霊は自在に動かし、操ることができるのです。

ただ、神霊は、ご自身では決して持ち上げることのできないものも創造しておられるのですね。

それはね、心、魂、なんです。

意思を与え、自由を与え、愛を与えて下さいました故に、

神霊は神霊の創造物でありながら、

ご自身では持ち上げることができないのです。

そのようにご自身で決められたのです。

心はね、宇宙よりも大きいものでございますよ。


ですからね、この設問、つまり、

「神は自分では持ち上げることのできない程の大きな石を創ることができるか?」

の答えはね、

「できるう!」

が正解ですね。


そしてまた、この「できるう!」のところは、

ご自身がスリムクラブさんのフランチェンになったおつもりで、

大きな声でお答え下さいましたら、と思いますね。

目覚めよ、フランチェーーーン!



恥を忍んで



おっさんは、お笑いが好きな人種でございます。


もう17年ほど前になりますでしょうか。

夜に何気なくテレビを点けてみますとしますと、

日本人のお笑いタレント6人が付け鼻を付け外国人に扮して、

柄の長いデッキブラシで床を磨き、サイコロを振って、

当たった人がハリセンで顔面を幾度も叩かれる、

というようなことをやっておりました。

当時の私には、ツボでしたね。

おおーっ!!って感じで引き込まれて行きましたね。

今考えますとね、

それは私にはないパワーがそこにあったからなんですね。

力いっぱいにお馬鹿なことをやっている。

彼らがお笑いに命を懸けているということが伝わって来たのですね。


自分にないものを得る。

学びとはそういうことではないかと思います。

自分にないものを吸収して、人は成長して行くのだと思います。

そして学びにはお笑いも、音楽も、遊びも、関係ないのです。

どこにでも素晴らしくて得るものがある、

発見するものがあるのですね。


ちなみにその番組は現在も続いておりまして、

極まれに面白いことをやって下さいます。

その番組のことが詳しく記された大百科事典(ウィキペディア)なるものも存在しておりましてね、

恥を忍んで書かせて戴きますと、

おっさんは、その初版本を秘蔵致しておりますです。

はいな。



アマテラスとアスカ文明



以前、五島勉さんと仰られます方が、
アスカ文明というものについてどこかの御本に書かれておりましたように記憶しております。

実はアマテラスとアスカには繋がりがあるようでございまして、
今日はそのことを少し書かせて戴こうかなと思います。

アマテラス、

言葉を分解しますと、
アマ テル アスという三つの単語に分解できます。

アマは天ですね。

テルは照る、寺、テラ(地球)、

テル + アス => テラス

テラスはテラスですね。
枯葉散る白いテラスの午後三時、のテラスです。
或いはステラ、これはスタア(星)の元の言葉ですね。

アスは、明日であり、アース(大地)、ですね。

ですから、テラス つまり、テル アスは直訳しますと、
光に溢れた星、或いは光に溢れた明日という意味になりますね。

でね、たとえばアフリカン、とかアメリカンとかのようにカンを後ろに付けますと、
テル アスカン (光に溢れた星の人、アスカ人)となりますね。
これはカントリーもクニ(国)も子音がKNですから、KNを付けてみるのです。

アマテラス、つまりアマ テル アスでは(天の光に溢れた星)
といった意味になるのですね。

その昔、人の心が純粋で神様の意に沿ったものでありました頃、
地球に移り住んだテラス人、テル アスカンは恐らく、
空を見ながらアマ テル アスを懐かしみ、
心を正す言葉として、
また、明日に希望を持って、
輝かしい明日を信じて口々に
「テル アス(テラス)」
「アマ テル アス(アマテラス)」
と言っていたのではあるまいかと思いますね。