はじめに

 

私という人間は、この宇宙にたった一人しかおりません。神様に魂を与えられまして、この世界を調和することを目的に、修行して、魂を豊かに鍛え上げて来いと、万人が幸せで平和で豊かな社会を構築するための力になって来いと、そして最終的には神として一人立ちできるようになりなさいと、神様からそのような期待を一身に受けまして、神様の子として、魂の代表として、この現世に送り出されて参りました。

それは皆様も同じなんです。私達は皆が神様の子供であり、神様から期待され、大きな慈しみを受け、導かれつつ、この素晴らしい環境、地球で修行しております魂の仲間なんです。勿論、動物や植物、鉱物に至るまで、万物が魂を持つ仲間、神様の子供の一員でございます。

ですが、私は38歳頃まで、本当に愚かな生き方をしておりました。心、魂といったものに気付かず、狭い視野で、道理に適わない理不尽なことにも疑問を抱くことなく、人や世襲、風習といったものに命じられるまま、心に足枷をはめ、牢獄に閉じ込め、身も心もズタズタにして、それでも尚、欲や身を守ろうとする意識で、さらに心身を痛め付ける生き方を続けようとしておりました。

そうしますと、当然のことながら、疲れ果て、苦しみは増すばかりなんですね。心に怒りや憎しみ、不安、妬み等の感情を抱え込み、心が休まる暇などありませんでした。

今そのことを振り返りますと、本当に愚かな生き方をしていたことがはっきりと分かります。今現在も地球上の殆どの人がそのような生き方を続けていらっしゃいます。でも、それで本当に幸せな人生なのでしょうか?

神社の神主さんが祝詞(のりと)を読みますでしょう。ある時から私も神頼みで祝詞を読むようになりました。祝詞を読みますとね、何故か気分が良くなるんです。祝詞はとても美しい文章ですね。それは、そこに真心が篭っているからなんです。魂から生じるまことの言葉、心から真にありがたいってね、その気持ちが文章に表れているんですね。

魂から生じるまことの言葉ですから矛盾がない。私達は今まで矛盾だらけの想念や生き方をしておりましたよね。ですから苦いのです。でも矛盾のない想念、生き方をしますと、苦しみから抜け出すことができるんです。執着を解き放つことができるんです。

お釈迦様の言葉、キリスト様の言葉、賛美歌等、探してみますと真心から生じた美しい真実の言葉は沢山ございますね。その全てが私達を生んでくださった神様の意識、大自然の意識から主じたものなんです。

魂から生じる真の言葉、真の想念、真の行動、それは取りも直さず、愛であり、慈悲であり、真心であり、思い遣りであり、人を許すということであり、助け合うということであり、力いっぱい生きる、努力するということであり、幼児でも老人でも、相手が誰でありましても尊重するということであり、光を放つということであり、調和するということであり、神様への義を持つということなんです。

信じられないことかも知れませんが、そのような生き方をしておりますと、私達は賢くなれるんです。強くなれるんです。優しくなれるんです。魂も成長でき、神様やご先祖様、守護霊様方にも喜んで戴けるんです。私達が困っております時には必ず助けて下さり、肉体修行などしておりませんでも、念力や霊能力などありませんでも、心に願いましたことが叶うようになるんです。さらには次第に心眼が開けましてね、過去、未来、この世界や宇宙のあらゆることを見通すことができるようになるんです。

きっと人間関係も良くなりますでしょうし、沢山の人から愛されるようにもなります。人生がきっと上手く行くようになりますでしょう。私共のサイトには(間違いも沢山ございますが)そのための方法を沢山掲載させて戴いておりますので、幸せの方向を探しておられます皆様は是非隅々までお読みくださいましたらと思います。

 

 

神を想い、宇宙を想い、大自然を想う。

魂を想い、命の古からの繋がりを想い、祖先を想い、

過去世を想い、縁を想い、人を想う。

人の暖かさに触れ、よろこびに満ち、愛を知り、

人の生き様を知り、魂の偉大さを想い、神仏の導きを知る。

哀しみに暮れ、それでも尚生きようとする魂、

悲鳴を上げ、叫び声を上げ、打ち付けた拳が血に染まろうとも、

恐怖と闇の中で苦しみ悶えようとも、

命の素晴らしさに変わることはなし。

やがて黎明の光に満ち、人々が明るい笑顔と幸せと喜びに満ち満ちるまで、

静かに、静かに、神仏は見守り導き給う。

己が、己自身で魂を成長させ、よろこびの在処、幸せの在処を見出させんと導き給う。

 

 

開運の護符屋