幸せに生きる


人がね何のために尊い魂を戴いて産まれてくるのかって考えましたらね、
どのように考えましても、
この地上を愛と慈悲と義に溢れ調和した素晴らしい世界にするため
という結論に達します。
それはどこからでも導き出せる答えなんです。
魂をより効果的に成長させ、
少しでも完全な神に近付き、
義と慈愛に溢れた文明を子孫に残し、
人が皆、幸せに過ごすためにもそれは必要不可欠なんだと思います。

そのためには試練もございます。
苦しいこともありますでしょう。
苦しみが大きければ大きいだけ後々の喜びも大きくなります。
使命が大きければ苦しみも大きいんです。

人生は永いものでございます。
私達はまだ歩き始めたばかりでございますからね、
苦しいこと、楽しいこと、悲しいこと、本当に様々なことがあると思います。
お心の貧しい人も沢山おりますから、
理に合わないことも沢山ございますでしょう。
でもね、
人のため社会のために感謝の気持ちを忘れず働いておりましたら、
神様も御先祖様も必ず見て下さっておられます。
必ずお力をお貸し下さいます。
それにね、自分のことだけしておりましても何も楽しくはありませんよ。

人は皆、霊的な存在でございますからね、
魂の奥底では大自然や万物と繋がりあっております。
御先祖様や守護霊様、指導霊様、神様方とも繋がっており、
また守って下さっておられます。
身の回りのことや今までの人生の中にも、
それを証明する証拠は沢山ございますでしょう。

人は弱いもので、
時にはそのことを忘れ、孤独な気持ちになることもございます。
そのことにお気付きになられましたらね、
寂しいことなどこれっぽっちもありませんよ。

それでもね、人は必ず肉体を捨てます。
それは仕方がないことなんです。
そうして魂となり、
この世界を守り、子孫を守り、
素晴らしい社会を建設するために霊格を完成させ力を尽くすんです。
それが定めでございますからね。

全人類がこの世界では命ある限りは生き抜き、
人や社会の役に立たなくてはなりません。
そうしまして始めて天国に入り、
慈愛に溢れる素晴らしい魂の仲間入りができるんです。

ですが今は成仏できない人が増えておりますね。
その理由としまして、
まず最初に心が成長していないことが考えられますね。
心で考える習慣がなくて脳でばかり考えているんですね。
ですから魂になった時に感じることはできても考えることができない。
生前、心が汚れて幕が掛かったような状態で心が見えなかったんですね。
死んだことにも気付かない、そんな状態ですね。

悪事を企てたり、犯罪を犯すような人は心が成長しておりませんから、
間違いなく成仏できませんね。

次に苦痛や悲しみに執着してしまっている状態が考えられますね。
生前に長期間、苦痛や悲しみが持続しておりましたら、
魂になりましても苦痛や悲しみを振り払うことができないんです。
死んだから苦しいはずがないんだ、辛いはずがないんだと気付きましたら、
すぐに成仏できるんですけどね。

第3に怒りや恨み、憎しみで魂が重くなってしまっているケースが考えられます。
そういった感情を捨ててしまうことができましたら、
魂は時間と共に次第に軽くなって参ります。

第4に何かしらの執着を持っていてこの世に留まりたいと考えているケースですね。
御自身で留まりたいと願っているんですから、神様でも助けることはできません。

心が感謝と報恩と希望と喜びで輝いておりませんと、
天上界には上がれないんですよ。

ああ、嬉しいな、生きていることは素晴らしいな、
明日はどんな良いことがあるのかなってね、
希望に瞳を輝かせている、
そんな状態でしたら、必ず天上界に上がれます。
例え少しばかり落ち込んでおりましてもね、
守護霊様が抱えて行って下さるんです。
でも、それにも限度がありますね。
余りに重過ぎますとどうにもならない。
増してや心の在り方に大きな問題がありますと、
地の底に沈んで行っちゃいます。

天上界に上がりましたらね、
だだっ広い空き地のような場所で、
生きていた時のこと全てを深く反省させられるわけです。
ここがあの有名な幽界でございますね。
迷惑を掛けてしまった人がおりましたらね、
謝罪に行かなくてはなりません。
罪を背負った状態のままでは天国の門はくぐれませんから。
ご自身の心が許さないんですね。

生きている間に、心で感情を制御することを覚え、
何事に対しましても命懸けで全力でぶつかって行けば良いんです。
怒っても泣いても良いんです。
それでさっぱりと忘れてしまい、心に悪い感情を貯め込まなければね、
それが一番良いんです。
くよくよ、うじうじ、恨んだり、根に持ったり、愚痴を云ったりするよりもね、
その方がどんなに良いか知れませんよ。

三途の川というものがございます。
この世界と死後の世界を繋ぐ霊道に流れているそうでございます。
三途の川の三途とは、
餓鬼界、畜生界、地獄界に続く三つの途でございます。
餓鬼は満足して感謝することができない魂でございますね。
足ることを知りませんので、いつまでも飢えと渇きに苦しみます。
畜生は動物的に生きてきた結果、
魂の大脳皮質に相当する部分が形成されずに、
肉体は人間であっても魂はけだものの姿をしているものでございます。
地獄は心がひとときも安らげない世界でございます。
阿修羅地獄などは争いを好み闘争に明け暮れる世界でございます。

でもね、
お亡くなりになられてからそういった行先が決まるのではありませんよ。
生きている時から心の状態によりまして、
御自身で籍を置かれていらっしゃるんです。

さて、私達が使命を果たし、義と慈愛に溢れる素晴らしい社会を建設し、
皆が幸せに暮らせるようになるためには、
私たちはまず成長しなくてはなりませんね。

環境に問題が無ければ、
身体の成長、脳の発育に伴って、
自ずと人格が成長し、自己が目覚め、確立されますでしょう。
それでもね、
立派な大人になりましても、
心が成長していない、そんな方が余りにも多いんです。
心が成長しておりませんと、もちろん魂も成長しません。
前述の通りに、だから成仏もできないんです。
神様のお役に立たせて戴くことも、幸せになることもできないんです。

私達は学校教育で道徳を習いました。
ごく当たり前のことなんです。
でも忘れてしまっている人も多いんです。

自らを省みて行いを正し、
光の方向へ一歩ずつ着実に真っ直ぐに進む。
それだけのことでございます。

そうして互いに思い遣りを持ち、優しさと愛情を持ち、奉仕し合い、
互いに信頼できる関係を築いて行かなくてはなりません。
そうしますとね、
その関係が世界中に広がって参りまして、
世界が光溢れる、皆が幸せで楽しく過ごすことのできる素晴らしい社会に
変わって行くんだと思いますよ。



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