今、そこにあなたがいる。


私達は、何故今、ここに居るのでしょうか。それはアカシックレコードを読み解ける人、如来様でない限り、誰にも分からないことです。
でもね、これだけは言えるという確かなことを積み上げて、何故ここに私たちの今があるのかを推察することは可能なのです。
そうして、その見えて参りましたことを踏まえて、では、どうすれば現状の私達の抱える悩みや苦しまなくてはいけない環境を改善することができるのか、といいますことも見えて参りますでしょう。
それはとても有意義なことでありますように思います。そうして光り輝く未来に向かって逞しく、力強く生きて行くことができましたら、神仏も守護霊様方もご先祖様方もどんなに喜んで下さいますことか知れません。

さて、少しずつ中身に進んで参りたいと思いますが、私達には過去世からの因といいますものがございます。過去世で犯した過ちや心の偏りといったものですね。そういった因を訂正するために、私達は前世に実在界におきまして今生の計画を立てるわけでございます。
過去世で犯した過ちの訂正が間違いなく行われているかの再確認のため、それと、因に応じた学びと成長のためのカリキュラムや環境、それが今生の計画ですね。
そして私達は今生に約束した母親の元に生まれて参りまして今生を生きておりますわけでありますけど、

この現象界におきましては様々な現象が発生しますね。恋愛面、仕事面、人間関係、金銭面等々における様々な現象、それは守護霊様方の課題をクリアさせるためのお導きであったり、心を闇に堕落させてしまったがための魔物の仕業であったりするわけです。でもね、全てのそういった現象は練習問題なんです。
課題をクリアするための練習問題。
ここで最も大切なことはね、私たちがどのような対応をするか、なんですね。言わば条件反射の訓練でもあるのです。
そうして、その現象に対する対応の積み重ねがね、今の境遇であり、周りの環境であるのです。

さて、もう一度繰り返しますよ。


@因がありました。この因とは、過去世での過ちや心の偏りです。

Aこの因がもとで、私達の成長のための課題が与えられているのです。勿論それは自分自身で考えた成長のためのカリキュラムでもあるのですね。

Bさて、私たちが地上に生まれて参りますと、この課題やカリキュラムに沿って守護霊様方が様々な練習問題を与えて下さいます。

Cこの、練習問題の回答が、即ち私達の事象に対する対応の方法でありますわけです。

Dその事象に対する対応の積み重ねが、今の私たち自身と私達を取り巻く環境なのですね。


因、課題、事象、対応(条件反射)、結果、現在


ここでね、私たちが一番目を向けなくてはいけないのが、この対応(条件反射)なんですね。

ことば、想念、行動、

事象に対して私たちがどのような想念で、どのような言葉を使い、どのような行動を行ったのか、
冷たいことば、冷たい想念、つめたい行動だったのか、
はたまた、暖かなことば、暖かな想念、暖かな行動だったのか、
それが積み重なりますと、人は月とすっぽん程に差が出て参りますね。

ですからね、心を明るく、愛で一杯に満たして、笑顔で、暖かな言葉のことだまを使うことですね。
私はこれを、魔法の一つと考えておりますけど、実は魔法ではないのですね。
まぎれもなく神の法なんです。

いいですか?
もし、あなたが、誰かから冷たい言葉を受けましたら、それは決してあなたの責任ではないのです。
冷たい言葉を吐いた人の責任ですね。
また、もしあなたが誰かに暖かな言葉を与えることができなければ、
それは紛れもなく、あなたの責任ですね。

ここにAさんとBさんがおりました。
AさんがBさんに「あほ」と言いました。
Bさんが「なんだとこらぁ」と応戦しました。
これではAさんもBさんも何も成長できませんね。
互いに憎み合い、その想念は互いを傷付け合いますでしょう。

Aさんが「あほ」と言ってもBさんが「ありがとう」と笑顔で答える。
Bさんが「好き」と言ってもAさんが「嫌いじゃボケ」と答える。
Bさんは恐らく皆から愛されますでしょう。その祝福の念はBさんの人生に大いに力になって下さるはずです。
ところがBさんは皆から嫌われる。憎まれて呪われて孤独になって行きますでしょうね。

ですからね、菩薩行とは即ち、愛の実践の訓練であるのです。
愛の心からは暖かな言葉と想念、行動が生じるのです。

そうしてその人の心も周りの人の心も明るく、暖かくなり、その人自身爽やかな心持ちになって参りますでしょう。
これがね、口で愛だなんだと言いながらも明るくも暖かくもならない人は多いですよ。
それは一番大切なことを忘れてしまっているからなんですね。

愛は厳しい。
いえ、人に厳しいのではなくて、自分に厳しいのが愛なんです。
自らに厳しく、言葉と行動を持って愛の姿を示して行く、
それがないから何の魔法の力も生じないのですね。

愛は上から目線の愛というものもありませんし、見返りを求める愛というものもありません。
自身を捨てなくて愛の実践はあり得ませんし、求める愛というものもないのです。
そしてまた、何も持たない者の愛の実践が最も難しく、最も美しい愛の姿であるのです。

ちなみに、これは処世術ということではありません。勿論、処世術として最もご自身らしい自由な生き方、考え方も人生には必要であると思います。
ただ、魂を最も成長させ、未来に光り輝く人生を求めるためには、ご自身の因や課題は全て一身にお引き受けすることが大切なのです。これは、そのための方法論なのですね。




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