神社・神道


問答

一人の人が問い掛け、素早くその回答を行う問答というものが、
インド南部でまだ行われているようでございます。
手を叩き合わせて勢いよく擦り合わせる。
これが問い掛ける際の儀礼のようでございます。

日本語で、「申す」という言葉がございます。
神道では「白す」と書き、これを「まをす」と発音します。

両手の間を擦り合わせる。
つまり、「間を擦る」動作が「申す」になったものだと思われます。

神仏に向けて行う合掌も神道では右手を少し引きます。
御心を持って合掌する、
この文化も御釈迦様の地方から伝わったもののようです。


神社参詣

近くの神社に頻繁にお参りさせて戴いております。
ポケットの小銭を貯めておきまして、ビニル袋にごっそり入れてお参りします。
ここの神社には稲荷様や恵比寿様、大黒様、産土の神様、戦死者の魂など、
沢山の神様が祀られております。

それぞれの御社に一掴みずつのお賽銭を入れまして、
神様方、御先祖様方に、
ご縁の有った皆様方や霊的な方をお守り、お導き下さいますように、
とお願いさせて戴きます。
もちろん私自身のこともお願い申し上げますよ。

小銭がない時には千円札を賽銭箱に入れさせて戴きます。
賽銭箱って面白いですね。
お札ですと、必ずと云って良いほど突っかえます。
中まで入らず途中で留まっているんです。
これ、噛みおわったガムで簡単に取り出せるぞ、って考えてしまいますが、
そんなことしちゃいけませんね。

神社に参詣しました日には、本当に楽しい気分で過ごさせて戴く事ができます。
やはり神社には本当に良い気が流れておりますね。
良い場所と広い空間、
それに何よりも毎日祝詞を奏上して神様をお呼びしておりますからでしょうね。
私もそういった場所で祝詞を奏上させて戴きたいものでございます。

本当に神様と気軽に御話しさせて戴ける場所でございますよ。


神饌の心

神前に御供えする供物や料理を神饌(しんせん)と申します。
神様には新鮮な食材、心の篭った料理を御供えするんです。

吐息が白く濁るような今の季節には、
暖かい味噌汁が本当に有り難いものでございますね。
本当に味噌汁の湯気にどれだけ有り難さを感じることか知れません。

贅沢三昧の人には分かりませんでしょう。
裕福な時に感謝の気持ちを忘れてしまう。
感謝の気持ちを忘れますから運気が下がるんですね。

毎日コンビニエンスストアで買ったパンをかじっていたような
愛に飢えた子供が心身の調子を崩しまして、
施設に入って、
暖かい心の篭った食事をするようになりましたら、
すぐに体調が元通りになりました。
誰でも心の篭った料理を食べておりませんと病気になりますね。

神様だって心の篭った暖かい料理を食べたいに決まっています。
真夏には熱い煎茶よりも、
よく冷えた冷たい麦茶が良いに決まっています。

そういったものを神饌として神棚に御供えする。
それだけでも絶対に神様が良くして下さいます。

神様だけではなく、人も、魂も、全ての生き物も同じでございますよ。


先日、とても良いお話しを教えて戴きました。
貧乏神や疫病神は感謝の気持ちを思い出して戴くために存在しているようでございま
す。
なるほど、思い当たることが多々ございます。
貧乏をしておりますとものの有難さに気付くことが多いですからね。
それにキリスト様もこんなことを言っておられます。
「金持ちが天国に入ることはらくだが針の穴を通るより難しい。」
全くその通りでございます。

貧しい暮らしをしておりますとものの有難さが身にしみます。
感謝しておりますと、心が満たされます。
感謝できるようになりますと貧乏神様も離れて下さるようでございます。
「有難う」という言葉には本当に素晴らしい力がございますね。
「素晴らしい」とか「愛しています」などにも力がございます。
心から生じる言葉ですからね。
言葉自体にも輝きがございます。
そう云った言葉を日々口にしておりますと心も輝いて参ります。


散文

今日はカニカマボコを買って参りまして、
酢とごま油を1:2の割合で混ぜ合わせて塩こしょうを加えたフレンチドレッシング
をかけて戴きました。
どうしてこんなに美味しいんでしょうね。
ラジオからはハレルヤなんて音楽が流れております。
良いですねぇ。

クラシックも高い精神によって生み出されたものなんでしょうね。
聴いておりますと心身の調子が本当に良くなります。
偉大な音楽家様方もきっと素晴らしい御人格でいらっしゃられたことは想像に難くあ
りません。
こんなに素晴らしい作品を御残し下さいまして本当に有り難いことでございます。

次第に暑くなって参りました。
初夏の陽気とまでは行きませんが、風のない時などは本当に暑く感じます。
もうすぐ潮干狩りの時季でございますね。
冷たい海水に足をつけますと気持ち良いでしょうね。

食べ物ではシジミ汁なんてものも季節のものでございますね。
海女さんも未だ冷たい海に入りまして鮑を取って下さいます。
こうして考えてみますとこれからは貝類が旬なんでしょうね。

その昔、やまとびめ様に抱えられて伊勢に向われる途中の天照皇大神様の魂がね、
海女さんの獲る鮑の立派なことに感銘なされまして、
必ず伊勢神宮に鮑を毎年奉納しなさいと仰られたそうでございます。

贈り物にも熨斗(のし)を付けますよね。
この熨斗は、実はのし鮑のことでございます。
贈り物も神様に御供えするのと同じように鮑をつけるんです。
なんて粋な心の篭った贈り物なんでしょうね。

ちなみに鮑を贈り物にする場合には、熨斗は付けないそうでございますよ。


葬場祭詞

葬場祭詞は悲しいものでございますね。
先日、忌ごとがございまして、遠方より静かに奏上しておりました。
とても悲しいものでございましてね、
嗚咽が出て仕方がないような状態でございました。


汝命や御病重く悩給ひてより
(ながみことやみやまひおもくなやみたまひてより)

医師の術を頼み看護の方を尽ししかども
(くずしのわざをたのみみとりのすべをつくししかども)

定まれる御寿命の限にや有りけむ
(さだまれるみいのちのかぎりにやありけむ)

今日御病革まりて今年を一世の限りと身罷ましぬ
(けふみやまひあらたまりてことしをひとよのかぎりとみまかりましぬ)

惜しくとも惜しく哀しくとも哀しきことの極にぞ有りける
(おしくともおしくかなしくともかなしきことのきわみにぞありける)

阿波礼汝命は御心清く明く直く正しくましまして
(あはれながみことはみこころきよくあかくなほくただしくましまして)

世のため人のために思を凝らし力を尽し
(よのためひとのためにおもひをこらしちからをつくし)

御功績高く顕し給ひしかば
(みいさをたかくあらはしたまひしかば)

皆人、汝命こそ世の長人世の遠人と
(みなひと、ながみことこそよのながひとよのとほひとと)

千歳もかも万代もかもと思頼みて在りしを
(ちとせもかもよろずよもかもとおもひたのみてありしを)

阿波礼空蝉の世ばかり定めなきものは有らず
(あはれうつせみのよばかりさだめなきものはあらず)

人の齢ばかり頼難きものは無かりけり
(ひとのよわひばかりたのみがたきものはなかりけり)

今斯く幽りませる御上を嘆き悲しみ
(いまかくかくりませるみうえをなげきかなしみ)

惜しみ慕ふ事も限無ければ
(おしみしたふこともかぎりなければ)

人の世の習慣のまにまに今は葬儀仕奉らくと
(ひとのよのならはしのまにまにいまはみはふりのわざつかへまつらくと)

幣帛献奉り御食御酒海川山野の種々の物を
(みてぐらたてまつりみけみきうみかはやまぬのくさぐさのものを)

横山の如く置足はして
(よこやまのごとくおきたらはして)

親族家族を始め遠近より斎場も狭に
(うからやからをはじめおちこちよりゆにはもせに)

参来列並める会葬の人々が
(まゐきつらなめるみをくりのひとびとが)

最後の御別と進る玉串の榊葉の露の白玉に
(いやはてのみわかれとたてまつるたまぐしのさかきばのつゆのしらたまに)

涙も取添へて手向け奉る状を
(なみだもとりそへてたむけまつるさまを)

御心平穏に享給へと慎み敬ひも白す
(みこころおだひにうけたまへとつつしみうやまひもまをす)

(神社本庁例文より抜粋)

この世の御別れでございますね。
やはり故人の功績を偲んでおりますと
悲しみが込み上げて来るものでございます。

神様から、大自然から御借りしておりました身体をお返しし、
魂として一人立ちなされるんです。
でもそれも一時の別れでございますよ。
この世での修行を無事終えまして天に参りましたら、
必ず再会することができますからね。


神社参詣

先日は雨の合間の蒸し暑い日に開運方位の神社に参詣しまして、
今年の経過報告をして参りました。

5時間程掛けて3ヵ所の神社、二十数ヵ所のお社を廻りまして、
また沢山の方々や沢山の経本、沢山の神様とのご縁を戴いて参りました。

やはり神社の開運効果は素晴らしいものがございますね。

御神殿の前の賽銭箱の上の鈴を鳴らすために吊り下げられております綱、
そこに色とりどりの紐が一緒に吊り下げられているのですが、
私が手を合わせてお願いしておりますと、その紐が風になびきまして、
私の身体を取り囲むように絡むんですね。
いや、この現象が何度もあるんですよ。
左に立てば右から風が吹き、右に立てば左から風が吹くんです。

ああ、これはきっと神様が「守ってやるぞ」と仰られているんだと感じました。
私は神様のお声を直接聞かせて戴くことができませんのでね、
きっと神様がそうして下さったんだろうと思います。

合掌した手は神憑りしまして激しく震えますし、
心身ともに癒されまして調子も良く、清々しい気分にさせて戴きました。

水掛け不動尊といった水を掛けて願を叶えて戴くというお不動様がおられましてね、
何気なく手にしたひしゃくで水を掛けましたら、ひしゃくが折れちゃった。
元々折れかけていたんでしょうね。
お不動様が「お前は嫌いだから水を掛けるな」なんて仰られているのかも知れませ
ん。

何だか嫌な予感がしますね。
でもね、大丈夫なんですよ。
これも何かのご縁でございますからね、
社務所に行きましてお詫びしまして、
筋を通させて戴くんです。
そうしますとね、
神様はちゃんと守って下さるんですね。

帰りには有名店のらーめんなど戴きまして、
おビールなども戴きまして、
帰って参りました。

かなり歩きましたので直径2センチ程の水ぶくれができておりまして、
小指の爪も剥れかけておりました。
正座しますと足が痛いです。


「人生もひとり行脚の旅路かな」なんてね、
道中ではこのような句が浮んで参りました。

人生は永いものでございます。
私達はまだ歩き始めたばかりでございますからね、
苦しいこと、楽しいこと、悲しいこと、色々あると思います。
お心の貧しい人も沢山おりますから、
理に合わないことも沢山ございますでしょう。
でもね、
人のため社会のために感謝の気持ちを忘れず働いておりましたら、
神様も御先祖様も必ず見て下さっておられます。
必ずお力をお貸し下さいます。

今がどんなに苦しい状況でありましても、
満足して感謝して力一杯に努力しておりましたら、
必ず神様がお力をお貸し下さるんです。
さらに優しい気持ちで人のために命懸けで努力しておりますと、
驚くような力を神様が与えて下さるんです。
お信じになられないかも知れませんが、本当なんですよ。

神社でこのような言葉を見付けて参りました。
「ほほえみあって、祈りあって、感謝」
素晴らしいお言葉でございますね。

3人寄れば文殊の知恵などと申します。
皆様で知恵を出し合い助け合っておりましたら、
必ず大きく道が開けて参りますよ。
悩むことなんてこれっぽっちもないんです。
輝かしい未来に希望と歓びでワクワクしながら
真っ直ぐに進んで行かれましたら良いんですよ。


神道考察

日本は「豊かに水穂の茂る葦原の国」でございます。
神道の大祓いの祝詞にも出て参ります。
これはね、
「日本は広大な水田に稲が実る、気候も風土も稲作に適した豊かな国である」
ということでございます。

紀元前660年、
神武(じんむ)天皇が奈良の葛城(かつらぎ)王朝やその他の部族を倒しまして
大和朝廷を成立させましたのがその頃でございます。

それ以降も幾度となく内乱や他の部族による攻撃を受けまして
幾度となく分裂を繰り返し、
ようやく第十代の崇神天皇の治世で大和朝廷が不動のものとなりました。
ですから神武天皇にも崇神天皇にも同じく「ハツクニシラシメススメラミコト」
(始めて国を統一した天皇)といった称号が与えられております。

大和朝廷はね、その存在をより確かなものにするために、
天皇が神であることを証明し威厳を与えようと考えたのでございます。
古くから伝わる神話に天皇との関連を示す部分を付け加えまして、
古事記や日本書紀にまとめあげたようでございますね。
それが神道の始まりでございます。

私は中学の日本史の授業で大和朝廷や豪族、王朝といったことを
学んだ記憶がございますが、
今思いますと、中学でも難しいことを学んでいたものでございますね。

さて、水穂の茂れる葦原国である日本の民族は生活の中で、
水田を大切にし、井戸を掘り、水を大切に使い、稲作の道具を大切にし、
豊かな恵みに感謝し、米を大切にして暮らしておりました。
ですからそこからも神といった概念が発生したんですね。

井戸を祀り、竈を祀り、鍬や鋤や鎌を祀り、
実りの米も感謝して神様方に御供えする、
秋祭り、収穫祭で感謝の気持ちを神様に伝え、
踊っては神様方に喜んで戴く。

酒を醸造する杜氏や金属を加工する鍛冶からも同じく、
神様の概念が発生したようでございます。

例えばね、井戸を祀る時には四手を折り、注連縄に結い付けまして、
「どうか神様、この四手に神掛って下さいまして
美味しく清浄な御水を御与え下さい。」
と手を合わせまして心からお願いしたんだと思いますよ。
水がなければ生きて行けませんものね。
必死に、命懸けで神様を大切にして神頼みしていたんだと思います。

そういった神様方もね、神道に組み込まれましてね、
神道は日本の生活に根差した神様方や御先祖様方、天皇様方をお祀りする、
日本人の生活とは切っても切り離すことのできないものに
成長していったようでございます。

関西の人は1月10日には十日戎、前日は宵戎と云いまして、
戎神社に御参りをします。
戎神社ではね、田の神様がお祀りされているところもあるんですね。
たのかんさまって呼ばれておりましてね、
農家の方には本当に大切な神様でございますね。


神道考察

平安時代には朝廷では生活上の全てのことが儀式として
執り行なわれていたようでございます。
特に大切な儀式には大臣が朝廷に赴きまして儀式を行うのですが、
召詞という特別な言葉で、細かな決まりごとを守りながら、
煩雑な儀式を執り行なわなければならない。
間違いが多く、朝廷の笑いものになっていたようでございます。

笏(しゃく)、これは装束衣裳の時に手に持っている長い棒のようなもので、
聖徳太子様も手に持っておられました。
この笏に式次第を書き込んだ紙を貼ってカンニングしていた大臣もおりまして、
その笏を置いた時に紙を貼った側を上向きにしてばれてしまった、
などといった記述もございます。

面白いものでございますね。


えびす様

1月10日は十日えびすでございました。
前日が宵えびす、翌日が残り福でございます。
私も七福神様を御祀りしておりますので、宵えびすに御参りさせて戴きました。

でもこれは関西だけなんですね。
関東は11月、霜月の酉の日に酉の市で熊手を買うんですね。
関西は笹が主流なんですが。

去年は二の酉にも御参りしました。
西宮えびす大社というところなんですが、
ここは全国のえびす神社の総本社でございます。
二の酉の日には誓文祭(せいもんさい)という儀式が行われましてね、
神饌を供し、降神の儀、祝詞奏上、昇神の儀、玉串奉納、神饌を徹し、直会(なおら
い)
と、10時から11時まで厳粛に儀式が執り行なわれておりました。

参拝者用に椅子を沢山準備して下さっておりましたが、
私は直立不動で拝見させて戴きました。
だって神職様方が頑張っていらっしゃるんですもの。

それから、境内にひっそりと祀られております、
稲荷様や百太夫様、天神様など全ての社に御挨拶申し上げて参りました。

稲荷大明神様は霊性のある狐を救い上げて、
人間のために働くといった使命を与えていらっしゃる人間の神様でございますね。
決して狐の神様ではありませんね。
私は最近きつねどんべえの揚げが好きになってしまっているのですが、
稲荷に仕える狐様が来て下さっているのかも知れません。(笑)