神懸りから神理の到達へ

 

人は誰でも幸せになれる。

私がそのように申し上げて、誰が一体真に受けて下さるだろうか。

勿論、誰も本気にしては下さらないと思うのです。でもね、真実なのです。

 

そうなのです。

人は誰でも神様のお慈悲で、誰かを救ったり、

神仏のご守護を戴いて幸せになったりすることができるのです。

それもね、簡単にできるのですよ。

 

ここに御真言と云われておりますものがございます。

お釈迦様のお生まれになられましたよりもさらにずっと昔から

インド辺りに伝わっておりましたものが、

永い永い歴史の中で日本に伝わり、

その過程で多少の間違いも生じておりますが、

日本の仏教寺院に受け継がれて参りましたものでございます。

 

私も最初はそれがどのような効果を生じさせるのかが分かりませんでした。

でもね、唱えておりますと次第に分かってくるのです。

 

良いですか?御護符でも、祝詞でも、御真言でもばかにしちゃいけませんよ。

必ず素晴らしい効果が生じるのですから。

 

たとえばね、お地蔵様の御真言を唱えてみる。

「おんかかかびさんまえいそわか」と3〜4時間唱えるのです。

そうしますとお地蔵様の信念とご意志と力が戴けるのです。

不動明王様の御真言でもそうですね。

「のうまくさんまんだばざらだんかん」と3〜4時間唱えますと

お不動様の不動の信念が戴けるのです。

また、ある御真言では、

長期に唱えておりますと沢山の神仏のご守護が戴けるようになるのです。

やってみられますと良いのです。

誰だってお地蔵様や不動明王様になれるのですから。

 

それでね、そうやって毎日のように唱えておりましたら、

人助けだってできるのですし、

丹田も肥えて参りまして、

次第に唱えなくても必要な時にお不動様やお地蔵様のお気持ちを

蘇らせることができるようになりますでしょう。

 

大宇宙大神霊は、

私たち人間にそういった方法で幸せを掴むことを許して下さっているのです。

ですから、現代にもそういった神仏と繋がる方法が残されたのです。

 

ただ、ここでね、私たちが絶対に間違ってはいけない、

学んでおくべきことがありますね。

 

それは、そういった方法は私たちが人生を行き抜く上で、

決して正しい方法ではないのです。

何故なら、私たちは修行のため、魂を鍛え上げて豊かにするために、

心を慈愛や感謝の気持ちで常に調和した状態に保つ訓練のために、

生まれて来ているのですからね、

ですから、そういった方法に余り頼らないで、

自らの力で強く生き抜いて行かなくてはいけないのです。

 

それからね、決して神仏のお慈悲で一時的に与えて戴きました力を

自分の力だと勘違いしないことなんです。

それこそが魔の思う壺であり、魔の付け込む隙を与えてしまうのです。

皆様は威張り腐る呪術師や山伏、行者、霊能力者といった人間に

遭遇なされましたことはありませんでしょうか?

 

それともうひとつね、

そういった力は余りご自身のための、我田引水の願いには使わないことです。

人のために活かしてこそ、徳として様々なご利益が戴けるのです。

 

でもね、そういったことさえ守っておりましたら、

本当に困ったとき、救いが必要なときには

どんどん使えば良いのではないかと思うのです。

それで間違いなく幸せになれるのですから。

 

と、そのように私は思うのです。

 

 

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