神様について


神様ってそんなにわからず屋で遠く離れた存在なのでしょうか?
困っている人も簡単に見捨ててしまわれる冷たい方なんでしょうか?

心が曇っておりますと見えませんでしょう。
汚い心では神様はおろか、守護霊様やご先祖様だって近付くことができなくなります。
でもね、心の綺麗な人、純粋な人の周りには本当に、奇跡としか云いようのない、神様方のお力添えがあるんです。
心を澄ませて周りを見回しますとね、そんな例は枚挙の暇もない程に溢れているんです。

反省して、心を浄化させまして、感謝して、心を輝かせておりますと、
心を鎮めて、そんな生活を続けておりますとね、
心に思ったことが、夢が、願いが実現されることが多くなって参りますでしょう。
災難にも遭わず、心が幸せな気持ちで一杯になり、沢山の幸せも舞い込んで参りますでしょう。

それもね、当然のことなんです。
私達は皆、神様の子供であり、神様は万人に慈愛の光を注いで下さっているのですから。
守護霊様も、ご先祖様も護って下さっているのですから。
どんなに神様が身近に感じられるか知れませんよ。

逆にね、お心の貧しい人、汚れた人はね、
悪霊や動物霊等の低級な霊が利用しようとして近付いて参りますでしょう。
その人を欺くために多少はラッキーな現象も起して下さるかも知れません。
でも、何れ必ず災難に巻き込まれてしまいます。
心の中は不安や怒り、妬みの気持ちで常にイライラしておりますでしょう。
そんな状態ではね、善霊は近付けないんです。
救って差し上げたくても救って差し上げられないんです。

神様に近付くと云いますことはね、
お経を読んだり、写経したり、御真言を唱えたり、祝詞を奏上することではないんです。
そんなことしなくても、神様や守護霊様はちゃんと慈愛の光を注いで下さっておられるんです。
それを受け取るか受け取らないかはご自身のお心ひとつなんです。
勿論、御真言や祝詞には素晴らしい効果がございます。
ですが、それも純粋で綺麗な心がありましてこそでございます。
声の波動がね、神様の所まで届いてこそなんです。
汚れた心では、声は地獄界や低い霊域にしか届きませんからね。
低級霊を呼び寄せてしまうことになってしまうんです。

ですからね、私達は心の在り方を正し、日々の正しく秩序有る生活を実践し、
お心を常に清らかな状態に保つことが大切なんです。

お釈迦様は素晴らしい教えを残されましたね。
八正道に基いた中道の生活の実践が般若波羅蜜多の悟りに導いて下さるってね。

私達が幸せになること、万人が幸せになること、調和に溢れた社会を創ること、
これこそが神様の願いであり、私達の修行の目的であり使命でございます。
何かに執着し、ご自身の幸せばかり願っておりましても幸せにはなれないんです。
奪い合い、争い合い、いがみ合う心は暗いものでございます。
与え合い、愛し合い、思い遣り合うことで心も光り輝き調和が生まれるんです。

そしてまた、愛する者は命を掛けて護って差し上げること、
永久に愛し続けて差し上げること、
不倫や浮気は満足して感謝することのできない幼稚な心から生じるものであり、
純粋で美しい与える愛ではなく、奪い取ろうとする自己中心の醜いものでございます。

ストーカーも自我我欲の醜い塊でございます。
我が子に執着したり虐待したりすることも同様でございます。

純粋に人を愛することの素晴らしさ、与えることの高潔さ、
どうして私達は忘れてしまったのでしょうか?
それは本当に暖かくて、嬉しくて、楽しくて、
調和の光に満たされたものでございます。
その光は人の心に波紋となって広がって行くんです。

さあ、私達はまず最初の一歩を踏み出そうではありませんか。


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