片目のダルマ




この世界に生きておりまして、
客観的な神様の視点で現象を見るといったことを心掛けておりますと、
自分といったものが次第に薄れてまいります。
これは不思議な感覚でございますよ。

自分の中に自分というものがなく、
常に人類を見つめ続ける客観的な視点でしかない。
そうなりますと、苦しみや不満さえ超越して、
自分さえも客観的に見ている、それは一体誰なのか、
自分ではないのか、とさえ感じられます。
それでもね、そのような状態にありましたら、
心は安らぎに満ちて幸せでございましょう。

ところで、ダルマってありますよね。
壁の前に9年座り続けて悟りを御開きになられました少林寺の達磨さん。
その姿を模したダルマの人形なんですけど、

私はそれでもまだまだ片目のダルマさんなのですね。
心の中の意識が教えて下さったのです。
神とともに生きていないものがどうして両目を開くことができようか、ってね。

人生を、幸せを求めて力一杯に楽しく生きる。
これは神理でございます。
そしてまた、調和を目的に、犠牲を厭わず生きる喜び、
これはもっともっと高い最高の神理ですね。
神とともに生きるとは、実はこういったことでありますように思います。
私も後者であることを心掛けて生きて参りたいと思うのでございますが、
それでもまだまだ未熟な魂でございます。

私はどうも今年は整理の年のようでございますね。
そうして、来年から今以上に奮起して両目ダルマを目指すことになるようですね。




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