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【癒しの世界】
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【神道考察】

吹く風の心地良い候となって参りました。
まだ少し肌寒い感はございますが、
心地良い春風に吹かれて山に登ってみますと気持ち良いかも知れませんね。

やまとには むら山あれど
取よろふ 天の香具山
のぼり立ち 国見をすれば
国原は 煙たちたつ
海原は 鴎たちたつ
うまし国ぞ
あきつしま やまとの国は

これはね、舒明天皇が天の香具山に登りまして、
下界を一望なされました折の御歌でございます。

立ち昇る煙を見ましては、民が幸せに暮らしている様子に思いを馳せ、
海に鴎が飛び交っている様子を見ましては、命の素晴らしさに感じ入り、
日本は稔り豊かで神の恵み豊富な有り難くも素晴らしい国であるぞ、
と、感謝の気持ちを込めて御詠みになられました御歌でございます。

歴代の皇族様方は素晴らしい御歌を沢山残しておられますね。

仁徳天皇妃でおられました磐之媛様の御歌でね、

つぎねふ 山瀬河を
宮のぼり わがのぼれば
青丹よし ならを過ぎ
をだて 倭(やまと)を過ぎ
わが見がほし国は
葛城高宮 吾家(わぎへ)のあたり

といったものもございます。
実妃の磐之媛様が留守の際にね、
仁徳天皇が八田若郎女(やたのわかいらつめ)様を妃として迎えてしまった。
磐之媛様はそれを恨みまして、ひとり山城国の筒城(つつき)宮に篭り、
寂しく生涯を終えられました。
生家のある葛城の高宮を遠くに望み歌われたものでございますね。

「私が見てみたい場所は奈良の葛城の生まれ育った土地です。」
生家にも帰れず、家族も失い、
できることならもう一度あの楽しかった場所に戻りたい、
と、そういった想いを込めて歌われました御歌でございますね。

仁徳天皇陵は大阪の堺にございます。
そこから生家のある奈良を越えまして、
知らない土地である山城の国、京都の地でひっそりと御過しになられたんですね。
お可哀想に。

今も昔も浮気をする男連中の業の深さには呆れ果てるばかりでございます。


花山天皇も女癖の悪かった天皇でございますね。
984年に十七歳で即位しまして、
十九歳で仏教に出家して法皇になられました方でございます。
出家なされましたのは、
寵愛しておりました源為光の娘、しし様に先立たれました悲しみからでございますが、
権力争いもあり周囲が強く勧めたことも一因であったようでございます。
法皇になられました後も女癖は治らず、
恨みを抱く者から弓で袖を射られたりといったようなこともあったようでございますよ。

でもそれからは心を入れ替えられましてね、
荒れ放題になっていた西国の三十三霊場の復興に力を注いだという記録が残っております。
十一面観音様を彫り上げまして、
その観音様を背中に背負いまして、巡礼の旅路に出られたそうでございます。

京都の西京区に十輪寺というところがございます。
花山法皇がその十輪寺の細道に差し掛かりますとね、
美しい五色の透き通る羽衣を着た女人が現れましてね、
「ここはあなたの御先祖の文徳天皇の勅願書でございます。是非お寄り下さい。」
と教えて下さり、そのまま消えてしまったそうでございます。
背中に背負った十一面観音様がお姿を変えて現姿なされたんですね。

十輪寺は平安時代の歌人、在原業平ゆかりの寺でもございますね。
彼もまた恋愛と放浪に明け暮れ、
藤原氏の勢力の下に不遇の生涯を終えられたようでございます。
晩年はこの自然豊かな十輪寺に身を寄せましてね、
鳴く鳥のさえずりを聴き、樹々を眺めながら、
静かにお過しになられましたそうでございます。
十輪寺では業平料理(精進料理)が有名でございますよ。


第一代天皇であります神武天皇のことを調べておりましたら、
興味深い話しが幾つか見付かりました。

時に夜夢みたまわく、天照大神、天皇に訓えまつりてのたまわく、
朕いま頭八咫烏を遣わす。
宜べもちて郷導者としたまえと。
果して頭八咫烏あり、空より翔び降る。
天皇のたまわく、この烏の来ること自らに祥夢に叶えり。
大いかな、赫なるかな、わが皇祖天照大神、
もちて基業を助け成さんと欲せるかと。

神武天皇が大和朝廷建国の折、天照大神様が夢枕に現れましてね、
八咫烏(やたがらす)を遣わすこと、
この八咫烏に大和への道案内をさせること、
を神武天皇に伝えたんですね。
実際にその通りになりまして、
天照大神様が私の倭統一にお力添え下さっているとお歓びになられたんです。

八咫烏は頭が八つある烏でございますね。
実はこの烏、建角御命(たけつぬみのみこと)様の化身でございました。
建角御命は玉依媛命(たまよりひめのみこと)様と共に
賀茂御祖神社(−かものみおやじんじゃ−下鴨神社)の主祭神でございます。
下鴨神社は下鴨茶寮という超有名な料亭がある神社ですから、
御存知の方も多いんじゃないかと思います。
玉依媛命様はね、実は建角御命様の娘様でなんですよ。

玉依媛命様がね、加茂川べりで遊んでおりますとね、
河上から色鮮やかな綺麗な矢が流れて来たそうでございます。
その矢が玉依媛命様の足下に流れ付きましてね、
拾い上げて持ち帰り、枕もとに飾っておいたんです。
そうして暫くしますとね、
玉依媛命様が父親もいぬ子を身篭った。
玉のような男の子が産まれたそうでございます。

祝の宴席で玉依媛命様が戯れにその赤子に杯を持たせ、
お前の父に渡してみよと申しましたところ、
赤子は天を指差しましてね、
「われは天神の子、別雷命(わけいかずちのみこと)だ」
と云い、火柱を上げて天に昇ってしまった。
玉依媛命様は深く悲しまれましてね、
神社を建てまして子を祀ったそうでございます。
それがね、下鴨神社の由来でございます。

賀茂御祖神社(下鴨神社)は本当に立派な神社でございましてね、
私も年始には参詣させて戴きましたが、
そんな由来があるなんてね、全く存じておりませんでした。

でもね、話しはそれで終わりではありませんでね、
玉依媛命様の夢枕に、今度は別雷命様がお立ちになられましてね、
「母君、われのみが祀られておりましても心が落ち着きませぬ、
わが父君もお祀り下さい。」
と申されたそうでございます。
それでね、
乙訓坐火雷神社(おとくにおわすほのいかずちじんじゃ−乙訓神社−)
に御父様の火雷神(ほのいかずちのかみ)様は祀られているそうでございますよ。

なかきよの とおのねふりの みなめさめ
なみのりふねの おとのよきかな

これは初詣で下鴨神社を参詣させて戴きました折、
戴いて帰りました宝船の絵の封筒に書かれておりました和歌でございます。

長き世の 遠の寝ふりの 皆目覚め
波乗り舟の 音の良きかな

上から読みましても下から読みましても、
同じ和歌になります。

皆様の所に宝船が参りますように。

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