霊の話題


餓鬼

信じられませんでしょうが、実際に餓鬼といった妖怪も存在しております。
餓鬼に憑かれますと顔が険しくなり、どれだけ食べても満腹にならない、決して満足
することがない人格となります。
今の時代はそういった方が本当に多いようです。

このようなことがございました。
近くの生活保護を受けているご老人の方ですが、いつも「お金がない、お金がない」
といっておられました。
話しを聞いてみますと私の収入より遥かに多い額の支給を受けておられます。
最初のうちはお弁当なりを買っては差し入れておりましたが、
そのご老人、次第に態度が横柄になり、「ついでに私の分も買ってきて!」と云うよ
うになられました。
ですがそのご老人の住居には毎月豪華な電化製品が増えて行っております。
私の3日分の食べ物を差し入れても一食で平らげてしまわれます。
10Kgの米が1ヶ月も持たないようです。

心が飢えておりますと大食になるようでございます。

他人の意見は聴き入れず、充分な施しを受けていても不満ばかり、
このような方はおそらく神であってもお救いすることはできないでしょう。
自ら御自身の誤りを見出さなければなりません。


お彼岸

お彼岸は波羅蜜多(パラミター)の日本語訳でございます。
パラミターは煩悩を離れて悟りを開いた心の状態のことでございます。
お釈迦様が悟りを開いた心の状態を河の向こう岸に例えまして、
彼岸(かのきし・ひがん)と教えたものでございます。
悟りを開く前の心の状態が河のこちら側で、
此岸(このきし・しがん)でございます。

どこかで勘違いされたようでございますね。
今はね、
死者が成仏して彼岸に到達するもので、
三途の川の向こう岸が彼岸であるとそう認識されております。

三途の川の三途とは、
餓鬼界、畜生界、地獄界に続く三つの途でございます。
餓鬼は満足して感謝することができない魂でございますね。
足ることを知りませんので、いつまでも飢えと渇きに苦しみます。
畜生は動物的に生きてきた結果、
魂の大脳皮質に相当する部分が形成されずに、
肉体は人間であっても魂はけだものの姿をしているものでございます。
地獄は心がひとときも安らげない世界でございます。
阿修羅地獄などは争いを好み闘争に明け暮れる世界でございます。

お亡くなりになられてから、
そういった世界に連れて行かれるということではございませんよ。
生きている時から心の状態によりまして、
御自身で籍を置かれていらっしゃるんです。

日本は競争社会でございます。
競い合ってより良い地位や収入を得ようとしております。
ですから、沢山の方が餓鬼や畜生、阿修羅になっておられるのではないかと
感じております。


天国の歩き方

その昔、地球の歩き方といった海外旅行雑誌がございましたが、
(今も発行されているのでしょうか。)
ここでは天国の行き方について少しばかりお話しさせて戴きます。

地球上には未成仏霊さんが沢山いらっしゃいます。
何故、成仏できないのだと思われますか?
実はね、
心が感謝と報恩と希望と喜びで輝いておりませんと、
天上界には上がれないんです。
欲や執着、その他の諸々の煩悩で心が暗くなっておりますと、
魂が重くなっちゃうんでしょうね。
心が沈み込むというような日本語もございますが、
ほんとうに魂の粘りが増してその重さで沈み込んでしまう。

ああ、嬉しいな、生きていることは素晴らしいな、
明日はどんな良いことがあるのかな、
ってね、
希望に瞳を輝かせている、
そんな状態でしたら、必ず天上界に上がれます。
例え少しばかり落ち込んでおりましてもね、
守護霊様が抱えて行って下さるんです。
でも、それにも限度がありますね。
余りに重過ぎますとどうにもならない。
増してや心の在り方に大きな問題がありますと、
地の底に沈んで行っちゃいます。

天上界に上がりましたらね、
だだっ広い空き地のような場所で、
生きていた時のこと全てを深く反省させられるわけです。
ここがあの有名な幽界でございますね。
迷惑を掛けてしまった人がおりましたらね、
謝罪に行かなくてはなりません。
罪を背負った状態のままでは天国の門はくぐれませんから。
ご自身の心が許さないんですね。

幽界には天国の門が大きくそびえ立ってておりまして、
その門の向こうが天国になります。


地獄

先日は夢の中で地獄の一つを見て参りました。
ここはね、喫茶店とか遊園地があって一見楽しそうな場所でございました。

何人もの若い人達が集まって参りましてね、
遊園地に誘うんです。
誘われるままにゴンドラに乗りまして、
そのゴンドラが落下するんですね。
ごぼごぼごぼと水の中に落ちちゃうんです。

余り楽しくもない、ただほんの少しスリルを味わうだけの遊びでございます。
それをね、何度も何度も繰り返し飽きることなく続けるんですね。
全身がかぶれているような人やずっと眠り続けている人もおりました。

いい加減うんざりしましてね、別れましてそこを離れました。
少し休もうと喫茶店に入りまして、
でも、そこにまた彼らが待っているんです。
手を引っ張り、また遊びに連れて行こうとするんですね。

無理矢理そこを離れまして駅のような所に向かいますと、
誰かが待っていて、後ろからも誰かが追いかけて来るんです。
誰も逃さないぞって感じですね。

結局、彼等はこの世界から出られないことを悟っているんですね。
この世界から逃げられませんから、
無限に、永遠に、同じことを繰り返しているわけです。
新しいメンバーは決して逃さず仲間を増やそうとしているんです。

ここは地獄の中でもほんの初級の保育園レベルの地獄ですね。
自己中心の者ばかりが集まって造ってしまった地獄でございます。
なんだか争いや中傷ばかりしているどこかのサイトと雰囲気が似ております。

少しだけ真理に気付くことができましたら、
少しでも反省することに気付きましたら、
すぐにでも天に登れる場所なんですが、
御自身のことばかり考えていらっしゃる間は無限に同じことを繰り返すんでしょう
ね。

地獄はね、神様が御造りになられたものではなく、
罪のある亡者が集まって地の下に造ってしまった世界でございますね。
もっと深い場所の一部の地獄は閻魔様が入って管理しておられるんですが。

最近は恋愛にしましても、
御自身を相手に合わせるのではなく、
御自身に相手を合わさせようとする人が多いですね。
これは愛でもなんでもありませんよね。
愛を与えずに愛を求める。
自己中心であり、強引なものはまぎれもなくこの地獄と波長の合った意識でございま
す。

霊道というものがございます。
大きいものは天上界の幽界から、地底の幾つもの地獄にまで繋がっております。
丁度、大きな木と同じような構造になっておりますね。
根っこが地獄に繋がっておりますから、
魂の重みで落っこちちゃいますと地獄に直通でございます。
枝葉は現世のあちらこちらに繋がっておりますね。
どこに行ってしまうかは御心掛け次第でございます。

お気を付け下さいませ。

有り難いことに私の周りには神様の存在を確信して下さっておられる方が
沢山いらっしゃいます。
本当にお幸せな方々でございます。
勿論、そういったことはこの科学の時代にはそぐわないものだと
否定し切っていらっしゃる方も、
何となく信じておられて、
私と会って信じられなくなってしまった方もいらっしゃいます。(笑)

神様はね、忘れないでって仰られているんですよ。
それは神様の御意志に逆らって生きておられる方が如何に多いかを示しております。

一度神様の存在を確信するような出来事に遭遇しましたら、
否定する方が難しくなりますでしょう。

逆に低い意識と同調し続け、神の存在を否定し
或いはそれに等しい行為を続けていらっしゃる方は、
何も気付くことはありませんでしょうし、
神を目の当たりにすることもございませんでしょうね。

価値観の合わない者は悪口を云い、
悪友と愚痴を云い合い、嘲り合い、けなし合う。
そういった場に出入りしているだけでも同じでございますよ。
視野が本当に狭くなってしまうようでございます。
なんと悲しいことかと思います。

地獄の意識とおぼしき場所には近付かぬことでございます。
宜しくお願い申し上げます。


行基(ぎょうき)様

毎年のことながら、もうじき霊に纏わる恐い話しがテレビなどを賑わするようになり
ますでしょう。
でもね、恐いものはいけませんよね。
御子様方のおねしょも増えますでしょうし、
苦しんでおられたりする霊を興味本位、或いは視聴率稼ぎにしてはいけませんよ。
さまよう霊は本当に悲しいものであり、
私達は皆、真剣に向き合って行かなければいけないと思います。

ですのでね、余り恐くはない行基様のお話をさせて戴きます。

奈良時代には行基様とおっしゃる高僧がいらっしゃいましてね、
この方も多くの方を集めて説法なさっておられました。

子連れの女性の方が参加しておりまして、
その御子様がもう10歳にもなりますのに、まだ乳をせがみ、
言葉を話さず、立って歩けず、
説法中にも頻繁に大声で泣き叫ぶ有り様でございました。

行基様がね、
その子を川に捨てなさいと命じまして、
御母様は仕方なく川に捨てたんですね。
そうしますと、その子は川の上に飛び上がりじだんだを踏んで、
「あと3年おまえを苦しませてやろうと思ったのに。」
と云ったそうでございます。

借財していたお相手の方がそれを恨み子孫にとり付いていたんですね。
金銭に絡むことはとかく恨みを生み未成仏霊を生み易いようでございます。

この時代には税金を逃れるために私度僧の姿をするものが多かったようでございま
す。
行基様のお弟子を勝手に名乗るものもいたようでございます。
今の時代も同じようなものかも知れませんが。。。


成仏できない理由

今は本当に成仏できない人が増えておりますね。
何故なんでしょうか?

その理由としまして、
まず最初に心が成長していないことが考えられますね。
心で考える習慣がなくて脳でばかり考えているんですね。
ですから魂になった時に感じることはできても考えることができない。
生前、心が汚れて幕が掛かったような状態で心が見えなかったんですね。
死んだことにも気付かない、そんな状態ですね。

悪事を企てたり、犯罪を犯すような人は心が成長しておりませんから、
間違いなく成仏できません。

次に苦痛や悲しみに執着してしまっている状態が考えられますね。
生前に長期間、苦痛や悲しみが持続しておりましたら、
魂になりましても苦痛や悲しみを振り払うことができないんです。
死んだから苦しいはずがないんだ、辛いはずがないんだと気付きましたら、
すぐに成仏できるんですけどね。

第3に怒りや恨み、憎しみで魂が重くなってしまっているケースが考えられます。
そういった感情を捨ててしまうことができましたら、
魂は時間と共に次第に軽くなって参ります。

第4に何かしらの執着を持っていてこの世に留まりたいと考えているケースですね。
御自身で留まりたいと願っているんですから、神様でも助けることはできません。

難しいものでございますね。

生きている間に、心で感情を制御することを覚え、
何事に対しましても命懸けで全力でぶつかって行けば良いんです。
怒っても泣いても良いんです。
それでさっぱりと忘れてしまい、心に悪い感情を貯め込まなければね、
それが一番良いんです。
くよくよ、うじうじ、恨んだり、根に持ったり、愚痴を云ったりするよりもね、
その方がどんなに良いか知れませんよ。

まあ、笑っているに越すことはありませんが。

最近気付いたのですが、
私も貧相な顔をしております。(爆)
でもね、笑顔でおりましたらね、
最近は書物に出ておりました貴相や富相に少しばかり近付きました。
笑顔でおりましたら貴相や富相になるんですね。
嬉しいことでございますよ。


昔話

以前、日本昔話などといったテレビアニメがございました。
そこでは神様や妖怪などの話しが沢山取り上げられておりましたね。
覚えているものをひとつ書かせて戴きます。

二人のきこりが山小屋でのこぎりの手入れをしているとね、
やまんばが人間に変装して、
「のこぎりはあるんかいの」って毎日聞きに来るんです。
きこりはね、
「こののこぎりの一番下の刃は鬼刃というてな、
鬼が出るとこれで切り裂くんじゃ」って教えるんです。
ある日その鬼刃が折れてしまいましてね、
きこりの一人が修理に出かけるんですね。
残ったきこりがね、うっかり
「鬼刃が折れてしもうてな」
とやまんばに教えてしまい食べられてしまうという話です。

面白いですね。

話しは変りますが、
トイレにも神様はいらっしゃるようでございますね。
トイレの神様はうすさま明王様っていう神様でね、
安産の神様なんですね。

開運のためにはトイレを綺麗にしておくべきだと良く云われます。
水まわりは湿気が多くじめじめしておりますから、邪気が溜まり易いんです。
それに、やはり神様がいらっしゃるのですから、
綺麗にしておくに越したことはありませんよね。