だから僕は君が好き

 

人って、考えれば考えるほど絶妙な創りになっておりますね。

 

腕の長さはね、丁度誰かを抱き締めることのできる長さなんです。

少しくらい太っちょの人でもね、抱き締めることができるんです。

手はね、握手をしたり、指を絡ませ逢ったりできるんです。

向き合って、右手と右手を出し合いますと、上手く握手ができるんです。

親しい人とは、二人並んで右手と左手で指を絡ませることだってできるんです。

 

顔はね、自分では見ることができませんよね。

相手には見えるのだけれど、自分で見ることはできないんです。

顔に何か付いておりましてもね、自分では分からない。

誰かに教えてもらって初めて分かるんです。

何故って、顔はつねに外を向いているから。

相手の方を、社会の方を向いているんです。

 

不思議ですよね。

自分のものなのに・・・。

 

やさしい顔、人懐っこい顔、笑顔、

こんな御表情の人の周りには皆が集まって参りますね。

険しい顔、恐い顔、暗い顔、

こんな御表情の人からは、皆逃げちゃいますね。

 

眼は相手のことを知ることができるんです。

口は相手に話しかけることが、

耳は相手の話しを聞くことができるんです。

 

だからね、神様はきっと、

人は、人と人との関り合いの中で、社会との関り合いの中で、

生きて行くように、

人間をお創りになられたんだと思うんです。

 

私達はね、人を愛することも、傷付けることもできてしまう。

愛はね、良い実りとなって自分のところに戻って来るんです。

他傷の行為や想念はね、罪となり業となって戻って参りますからね、

自分で自分を傷付けることになってしまうんです。

 

それからね、

人の心は水鏡のようだってこと、

怒りという毒を食べてしまいますとね、

その毒がまた、言葉や行動と一緒に体外に吐き出されるんです。

優しさという栄養が体内に入りますとね、

その栄養が、言葉や行動と一緒に体外に吐き出されるんです。

 

だからね、毒は体内に取り込まないようにすることが大切なんですね。